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「国立国会図書館デジタルコレクション」中の小田原市史関連資料

本記事では、小田原市及び関連部署によって発行された小田原市史関連の資料について、「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジタルコレクション」、一部「デジコレ」)への収録状況を確認して一覧化しました。

凡例については「目次」を参照下さい。


1. 小田原市史


広報おだわら 第509号」(平成元年・1989年6月15日)には「小田原市史 史料編 近世2 藩領1」の刊行について伝えており、

これは、来年(注:平成2年・1990年)の市制施行五十周年の記念事業の一つとして、昭和五十六年度から作業を進めてきた市史編さん事業の成果をまとめたもので、本市初の本格的な市史です。小田原市史は、平成十年度までに全十六巻を順次刊行していきますが、本誌が行う出版事業としては今までにない大規模なものです。

(2面)

と位置付けています。実際の市史編纂事業は完成までもう少し時間がかかり、平成15年(2003年)に完了とされていますが、当初の計画に含まれていたダイジェスト版についてはその後小田原市立図書館に編集が移管されて別途発刊されています。

書名出版年著・編者出版者デジコレ
小田原市史 史料編 原始・古代・中世11995小田原市 編小田原市本編△ 付録△
小田原市史 史料編 中世2 小田原北条11991
小田原市史 史料編 中世3 小田原北条21993
小田原市史 史料編 近世1 藩政1995
小田原市史 史料編 近世2 藩領11989
小田原市史 史料編 近世3 藩領21990
小田原市史 史料編 近代11991
小田原市史 史料編 近代21993
小田原市史 史料編 現代1997
小田原市史 通史編 原始・古代・中世1998
小田原市史 通史編 近世1999
小田原市史 通史編 近現代2001
小田原市史 別編 城郭1995
小田原市史 別編 自然2001
小田原市史 別編 年表2003
おだわらの歴史 小田原市史ダイジェスト版2003小田原市立図書館 編小田原市立図書館

2. おだわら―歴史と文化―


第1巻の「発刊によせて」(小田原市長(当時) 山橋敬一郎)には、小田原市史編纂事業の経緯が述べられた後、

ここに発刊のはこびとなりました機関雑誌『おだわら―歴史と文化―』が、広く市民の方々に親しまれ、皆様と編さんサイドとの良きパイプ役を果たし、後世に残る立派な小田原市史の礎となれば望外のよろこびであります。

と記されており、「あとがき」 (市史編さん専門委員(当時) 内田哲夫)には

本号では早くから編さん事業に参加した三委員の論文と、小野編さん委員の歴史研究と随想とが一体となった作品が掲載されている。また故中野敬次郎氏へのインタビューは、本年三月急逝された氏の、郷土史研究への「最期の声」となった。第一号という制約から全体として市民との交流の中で市史編さんを進めるという姿勢からはやや後退した内容のものとなったことは否めない。専門委員外の委託事業としての民俗・城郭・考古の各部門も本年度から始動している。本誌が今後各部門の成果を発表する場としての役割を果すと同時に、各層の人びとから寄稿を得て、内容豊かで親しみやすい「市史の広場」となることを望んでいる。誌名も一般的な呼称としての「市史研究」を避け「おだわら―歴史と文化―」とした意図が生かされるよう、各方面のご協力を切望する。

と、本誌が小田原市史編纂事業の機関誌として創刊されたことが明示されています。出版期間も小田原市史編纂事業の完了とともに終刊となっています。

なお、現物を確認したのは第1巻のみですが、その奥付では「編集:小田原市役所企画調整部文化室/発行:財団法人 小田原市公益事業協会」となっています。OPAC上で各図書館の書誌情報を確認した範囲では、発行者を編集者と同一としている所が殆どで、奥付の表記とは合っていません。ここでは小田原市立図書館の書誌情報を優先しました。

書名出版年著・編者出版者デジコレ
おだわら―歴史と文化― 第1号1987小田原市役所企画調整部文化室 編小田原市役所企画調整部文化室
おだわら―歴史と文化― 第2号1988
おだわら―歴史と文化― 第3号1989
おだわら―歴史と文化― 第4号1990
おだわら―歴史と文化― 第5号1991
おだわら―歴史と文化― 第6号1993
おだわら―歴史と文化― 第7号1994
おだわら―歴史と文化― 第8号1995
おだわら―歴史と文化― 第9号1995
おだわら―歴史と文化― 第10号1997
おだわら―歴史と文化― 第11号1998
おだわら―歴史と文化― 第12号1999
おだわら―歴史と文化― 第13号2000
おだわら―歴史と文化― 第14号2003小田原市教育委員会図書館市史編さん 編小田原市教育委員会図書館

3. 小田原市郷土文化館研究誌/報告


小田原市内の歴史・自然・文化の資料収集・保全/保管を目的として1955年(昭和30年)に設置された施設の機関誌として、現在も刊行が続けられています。

なお、本誌は当初自然科学編と人文科学編がほぼ交互に刊行されていたのですが、煩雑を避けるためこの一覧ではそれらを一括で取り扱います。「〜報告」の書誌情報については神奈川県立図書館のOPACを主に参照しましたが、一部不正確と見られる箇所は適宜他のOPAC上の情報と照合して適切と思われるものを選びました。

書名出版年著・編者出版者デジコレ
小田原市郷土文化館研究誌 自然科学篇 創刊号1964小田原市郷土文化館
小田原市郷土文化館研究誌 自然科学 第2号1966
小田原市郷土文化館研究誌 第3号 人文科学篇1号 小田原の金石文11967
小田原市郷土文化館研究誌 第4号 人文科学篇2号 小田原の金石文21968
小田原市郷土文化館研究誌 第5号 人文科学篇3号 小田原の金石文31969
小田原市郷土文化館研究報告 第6号 自然科学第3号1970小田原市郷土文化館 編
小田原市郷土文化館研究報告 第7号 人文科学第4号1971
小田原市郷土文化館研究報告 第8号 自然科学第4号1972
小田原市郷土文化館研究報告 第9号 人文科学第5号1973
小田原市郷土文化館研究報告 第10号 自然科学第5号1974
小田原市郷土文化館研究報告 第11号 人文科学第6号1975
小田原市郷土文化館研究報告 第12号 自然科学第6号1976
小田原市郷土文化館研究報告 第13号 人文科学第7号1977
小田原市郷土文化館研究報告 第14号 自然科学第7号1978
小田原市郷土文化館研究報告 第15号 人文科学第8号1979
小田原市郷土文化館研究報告 第16号 自然科学第8号1980
小田原市郷土文化館研究報告 第17号 人文科学第9号1981
小田原市郷土文化館研究報告 第18号 自然科学第9号1982
小田原市郷土文化館研究報告 第19号 人文科学第10号1983
小田原市郷土文化館研究報告 第20号 自然科学第10号1984
小田原市郷土文化館研究報告 第21号 人文科学第11号1985
小田原市郷土文化館研究報告 第22号 自然科学第11号1986
小田原市郷土文化館研究報告 第23号 人文科学第12号1987
小田原市郷土文化館研究報告 第24号 自然科学第12号1988
小田原市郷土文化館研究報告 第25号 人文科学第13号1989
小田原市郷土文化館研究報告 第26号 自然科学第13号1990
小田原市郷土文化館研究報告 第27号 人文科学第14号1991
小田原市郷土文化館研究報告 第28号 自然科学第14号1992
小田原市郷土文化館研究報告 第29号 人文科学第15号1993
小田原市郷土文化館研究報告 第30号 自然科学第15号1994
小田原市郷土文化館研究報告 第31号 人文科学第16号1995
小田原市郷土文化館研究報告 第32号 自然科学第16号1996
小田原市郷土文化館研究報告 第33号 人文科学第17号1997
小田原市郷土文化館研究報告 第34号 自然科学第17号1998
小田原市郷土文化館研究報告 第35号 人文科学第18号1999
小田原市郷土文化館研究報告 第36号 自然科学第18号2000
小田原市郷土文化館研究報告 第37号 人文科学第19号2001
小田原市郷土文化館研究報告 第38号 自然科学第19号2002
小田原市郷土文化館研究報告 第39号 人文科学第20号2003
小田原市郷土文化館研究報告 第40号 自然科学第20号2004
小田原市郷土文化館研究報告 第41号2005
小田原市郷土文化館研究報告 第42号2006
小田原市郷土文化館研究報告 第43号2007
小田原市郷土文化館研究報告 第44号2008
小田原市郷土文化館研究報告 第45号2009
小田原市郷土文化館研究報告 第46号2010
小田原市郷土文化館研究報告 第47号2011
小田原市郷土文化館研究報告 第48号2012
小田原市郷土文化館研究報告 第49号2013
小田原市郷土文化館研究報告 第50号2014
小田原市郷土文化館研究報告 第51号2015
小田原市郷土文化館研究報告 第52号2016
小田原市郷土文化館研究報告 第53号2017
小田原市郷土文化館研究報告 第54号2018
小田原市郷土文化館研究報告 第55号2019
小田原市郷土文化館研究報告 第56号2020
小田原市郷土文化館研究報告 第57号2021
小田原市郷土文化館研究報告 第58号2022
小田原市郷土文化館研究報告 第59号2023
小田原市郷土文化館研究報告 第60号2024

4. その他の小田原市史関連成果物(仮)


以下は差し当たって目に留まった小田原市史関連の資料を仮に出版年順(叢書については最初の刊の出版年の順)に並べたものです。後日更に資料を追加する過程で一覧の構成を変更する予定です。

書名出版年著・編者出版者デジコレ
神奈川縣國府津村誌1924神奈川縣足柄下郡國府津村
前羽村誌1926前羽村 編/椎野藤助
※所蔵図書館によって表記が異なる
小田原市史料 上巻 歴史編1966小田原市
小田原市史料 下巻 現代編1966小田原市
小田原市立図書館目録シリーズ1 特別集書 片岡文書解説目録1967石井富之助 解説/小田原市立図書館 編小田原市立図書館
小田原市立図書館目録シリーズ2 特別集書 小田原有信会文庫解説目録1968
小田原市立図書館目録シリーズ3 特別集書 山県公文庫目録1969
小田原市立図書館目録シリーズ4 特別集書 板倉文書解説目録・牧野信一資料解説目録・報徳集書目録1970
小田原市立図書館目録シリーズ5 特別集書 山崎元幹文庫目録1971小田原市立図書館 編
小田原市立図書館目録シリーズ6 小田原の近世文書目録1―稲子家文書―1979
小田原市立図書館目録シリーズ7 小田原の近世文書目録21981
小田原市立図書館目録シリーズ8 小田原の近世文書目録31984
小田原市立図書館目録シリーズ9 小田原の近世文書目録41985
小田原市立図書館目録シリーズ10 小田原の近世文書目録51986
小田原市立図書館目録シリーズ11 小田原市立図書館報徳集書解説目録:昭和63年1月31日現在1988
小田原市立図書館叢書1 福田正夫 : 追想と資料1972小田原市立図書館 編小田原市立図書館
小田原市立図書館叢書2 江戸時代の小田原1980岩崎宗純・内田清・内田哲夫 著
小田原市立図書館叢書3 図書館一代1987石井富之助 著
小田原市立図書館叢書4 随筆北原白秋1992藪田義雄 著/小田原市立図書館 編
小田原市立図書館郷土資料集成1 明治小田原町誌 上1975片岡永左衛門 編著/小田原市立図書館 編小田原市立図書館
小田原市立図書館郷土資料集成2 明治小田原町誌 中1975
小田原市立図書館郷土資料集成3 明治小田原町誌 下1978
小田原市立図書館郷土資料集成4 御家中先祖並親類書11990内田哲夫 校訂・解説/小田原市立図書館 編
小田原市立図書館郷土資料集成5 御家中先祖並親類書21991
小田原市立図書館郷土資料集成6 御家中先祖並親類書31993内田哲夫 他 校訂・解説/小田原市立図書館 編
小田原市立図書館郷土資料集成7 御家中先祖並親類書41994
小田原図書館五十年史1983金原左門・内田哲夫・久保輝巳 著/石井富之助 校閲/小田原市立図書館 編小田原市立図書館
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「国立国会図書館デジタルコレクション」中の神奈川県及び県内各市町村史関連資料:目次

昨年暮れに「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジタルコレクション」、一部「デジコレ」)が全文検索に対応して以来、前々回まで幾つかの題材で検索を試みて記事を書いていましたが、その過程で「神奈川県史」や県内各市の市史や関連冊子がヒットし、一部は記事内で引用しました。

これまでは県史や県内各市町村史については最寄りの図書館の蔵書を見つつ、そちらでは必ずしも蔵書が揃っていないため、必要に応じて所蔵している県立図書館や他の市町村の図書館まで出掛けたり、相互利用協定を利用して蔵書を取り寄せてもらったりしていました。勿論、中を見るまでは目的とする項目の記述があるかどうかわかることはなく、時には書架に並んでいる書物を片っ端から手に取って中を確認して廻る様な作業が必要になることもあります。これらの国立国会図書館蔵書が「デジタルコレクション」に全文検索可能な形で収録されたことによって、より容易に目的とする資料がどれであるかを確認し、閲覧することが可能になったことになります。

とは言え、「デジタルコレクション」には神奈川県史や県内各市町村の地方史関連書誌が必ずしも全て揃っている訳ではありません。無論、「デジタルコレクション」上で検索すれば比較的容易に収録の有無はわかることではあるのですが、「デジタルコレクション」上でどの様な神奈川県内の郷土史関連資料が現状収録されているのかを、一覧化しておくのも役に立つかも知れないと思い立ち、しばらくこの作業に時間を割くことにしました。まずは今回その目次を準備し、次回以降一覧表が完成したところから別記事として公開して、このページからリンクしていくことにします。これまでこの様な一覧をまとめた時と同様、最近の記事を公開する都度、この記事の日付を最新記事の1日前に合わせる運用にします。また、右の「まとめ記事一覧」に本記事へのリンクを置いておきます。

以下、今回作成する一覧共通の「凡例」です。

  • 今回の一覧の対象については次の様に考えます。
    • ・原則として神奈川県あるいは県内各市町村関連の部署によって編集・発行された書物類に限定します。
    • ・民間の著者が編集したものや民間の出版者によって発行されたものであっても、県や市町村が主体的に関与して作成されていることが明らかなものは対象とします。
    • ・地方自治法施行前の県や郡に存在していた私設の「教育会」や、現在の地方公共団体の「教育委員会」は厳密には県や市町村の部署と呼ぶことは正しくありませんが、郷土史研究上重要な資料が作成されていることから、ここでは敢えて取り上げることとしました。
    • ・その他の資料類も適宜対象に含めることとしましたが、後日改めて追加する可能性があります。
    • ・埋蔵文化財の発掘調査報告書の類は分量が多いため、歴史関連資料と一緒のシリーズに収められている場合を除き、今回は一旦対象外とします。民俗・美術の文化財に関する資料なども同様の扱いとします。
    • ・初心者向けのガイドの様な資料は対象外としますが、戦前の「教育会」が学校の読本として作成した資料は原則的に対象とします。
  • 旧郡役所や合併によって消滅した町村の誌史については、適宜県や合併後の市の一覧に収録することとします。
  • 書名は原則「デジタルコレクション」の表記に従っていますが、副題が表記に含められていない場合は適宜追記しています。その際、「デジタルコレクション」の「書誌情報」中の情報や他の図書館の書誌情報を追加している場合があり、必ずしも奥付に記載された書名の通りではない可能性があります。
  • 出版年は月日部分は割愛し、西暦に統一しています。
  • 「デジコレ」欄の記号は次の通りです。
    • ◎:ログインなしで閲覧可能:インターネット公開(保護期間満了)
    • ◉:送信サービスで閲覧可能(要ログイン):国立国会図書館内/図書館・個人送信限定
    • ◯:送信サービスで閲覧可能(要ログイン)だが全文検索不可(全文テキスト情報なし)
    • △:国立国会図書館内限定:インターネット非公開。この場合、全文テキスト情報が存在するかどうかは館外からのアクセスでは確認不能のため、区別していません。
    • ▲:「インターネット資料収集保存事業」によって収集された「電子書籍・電子雑誌」で、「国立国会図書館内限定」に指定されています。別途紙媒体の資料が存在しているものがPDFの形で県や市町村のWeb上で公開されている場合、それが同事業によって結果的にデジタルコレクションに先行して採録されるケースがある様です。
      なお、本事業でデジタル化された資料については、必ずしも全編がデジタル化の対象となっていないケースが少なからずありますが、部分的にデジタル化されている場合でも「▲」印を付しています。
      本事業で受け入れたデジタル化資料と、国立国会図書館の蔵書をデジタル化した資料の両方が収録されている場合は、後者を優先することとします。
    • ✕:デジタルコレクションに収録されていない
    • ―:国立国会図書館に蔵書なし:「国立国会図書館サーチ」で検索して国立国会図書館の蔵書がヒットしなかったもの
    これらの状況は各記事の更新日時時点の状態です。以降の「デジタルコレクション」側の変更は見つけ次第反映させる予定です。
  • 「全文テキスト情報」については飽くまでも有無のみを確認しているため、OCRの精度については未確認です。
  • 今回は全て書誌本体にリンクするため、試験的に今回に限りDOIにリンクすることにしました。これにより、将来URLの変更が発生した場合でもリンク切れを抑えることが期待できます。なお、DOIについては以前の私の記事を御参照下さい。「インターネット資料収集保存事業」によって収集された「電子書籍・電子雑誌」には現時点ではDOIが割り当てられていないものがあり、その場合は従来どおりのURLにリンクしています。
  • 「デジタルコレクション」の「書誌情報」に、「電子化時の注記」として「一部判読不能」など全文検索時に支障となる状態があったことを示す情報が記されているものがあります。一覧にこの情報は含めていませんが、利用時の注意喚起のため、ここに記しておきます。
  • 「デジタルコレクション」に収められていないものについては、神奈川県立図書館はじめ県内各市町村のOPACなどから書名や著・編者、出版年を参照しています。



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【短信】「国立国会図書館デジタルコレクション」中の神奈川県及び県内各市町村史関連資料:今後の進め方について

ここまで、「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジタルコレクション」)に神奈川県と藤沢市の地方史関連資料がどの程度収録されているかを一覧化してきましたが、月に記事1本程度のかなり遅いペースになってしまっていて、この調子で作業していたのでは、県内全市町村について作業を終えるのが何時になるのかわからなくなってきました。もちろん、当初の想定より大幅に時間がかかっています。

市町村史だけを一覧化するのであれば、冊数がそれほど多くないこともあり、範囲も明確なのでそれほど時間はかかりません。ですが、それ以外の古今の関連資料をどこまで一覧に含めるべきかを考えながら「デジタルコレクション」や各自治体図書館のOPAC上で該当資料の検索を繰り返すところで時間がかかっており、こうした作業は一旦後回しにした方が良いのではないか、という気がしてきました。

そこで、今後の分については、差し当たり各市町村史と、その編纂の過程で作成された一連の叢書程度を先行して一覧化して公開し、全市町村について作業が一巡した後に、その他一覧化すべきものを追加していく方針で編集することにします。それによって多少なりとも今までよりも公開までの期間を短縮できればと考えています。公開の順序は原則として右の「ユーザータグ」に表示されている市町村の順に従いますが、一部の市町村については自治体史編纂事業の実情について確認したいものもありますので、それらについては順番を後にすることになると思います。
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「国立国会図書館デジタルコレクション」中の藤沢市史関連資料(その3)

本記事では、藤沢市及び関連部署によって発行された藤沢市史関連の資料について、「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジタルコレクション」、一部「デジコレ」)への収録状況を確認して一覧化しました。今回で前2回で取り上げた以外の残りの資料をまとめます。

凡例については「目次」を参照下さい。


1. その他の藤沢市教育委員会作成資料


ここでは、「その2」で取り上げた「藤沢市史資料」及び「藤沢市文化財調査報告書」以外の、藤沢市教育委員会が刊行した郷土史関連の出版物を一覧化しました。

なお、「藤沢市教育史」及び一連の関連資料については、一部は藤沢市教育委員会が担当しているものの、途中から藤沢市教育文化センターの担当に変わっています。これらは教育に関係する史料を掲載している資料であること、及び一覧性を確保する観点から、こちらで一括して一覧とすることにしました。

また、「遠藤民俗聞書」は全編が民俗調査の資料ですので、今回の一覧作成の基準に照らすと対象外とすべきなのですが、私のブログ中で数回にわたって触れた資料であり、例外的に一覧に含めました。後日民俗資料について同様の一覧をまとめる機会があれば、そちらに移す可能性があります。因みに本資料の様に国立国会図書館に収蔵されていない資料については、将来寄贈などの形で改めて蔵書に含められない限り、現時点では「デジタルコレクション」に収録される可能性もないことになります。

書名出版年著・編者出版者デジコレ
藤沢の文化財 1輯1957服部清道 編著藤沢市教育委員会
藤沢の文化財 第2集1958
藤沢の文化財 第3集1959
藤沢の文化財 第4輯1960
藤沢の文化財 第5輯1961
藤沢の文化財 第6輯1962
藤沢の文化財 第7集 庚申塔調査記録11963
藤沢の文化財 第8集 庚申塔調査記録21964
藤沢の文化財 第9集 庚申塔調査記録31964
復刊『藤沢の文化財』1993藤沢市教育委員会編
藤沢市教育史―史料編―第1巻1998藤沢市教育文化センター編藤沢市教育文化センター
藤沢市教育史―史料編―第2巻1994
藤沢市教育史―史料編―第3巻2001
藤沢市教育史―史料編―第4巻2003
藤沢市教育史―史料編―第5巻1997
藤沢市教育史―史料編―第6巻2000
藤沢市教育史―史料編 別巻2004藤沢市教育委員会
藤沢市教育史―史料編―別巻 教育統計・教育史年表2004
藤沢市教育史―通史編 近代―2008
藤沢市教育史―通史編 現代―2010
藤沢市教育史 読本―わたしたちの藤沢教育史 江戸時代末から昭和の終わりまで2014
藤沢市教育史資料目録(稿) 第1集 学制以前~明治45年1991藤沢市教育史編さん室編藤沢市教育文化センター
藤沢市教育史資料目録(稿) 第2集 大正元年〜大正15年1992
藤沢市教育史資料目録(稿) 第3集 昭和元年〜昭和20年1993
藤沢市教育史資料目録(稿) 第4集 昭和21年〜昭和63年1994
藤沢市教育史年表便覧 1868(明治元年)~1991(平成3年)1994
藤沢市教育史研究 創刊号1992
藤沢市教育史研究 21993
藤沢市教育史研究 31994
藤沢市教育史研究 41995
藤沢市教育史研究 51996
藤沢市教育史研究 61997
藤沢市教育史研究 71998
藤沢市教育史研究 81999
藤沢市教育史研究 92000
藤沢市教育史研究 102001
藤沢市教育史研究 112002
藤沢市教育史研究 122003
藤沢市教育史研究 132004
教育アーカイブズふじさわ 創刊号(「藤沢市教育史研究」改題)2005
教育アーカイブズふじさわ 2号2006
教育アーカイブズふじさわ 3号2007
教育アーカイブズふじさわ 4号2008教育アーカイブふじさわ編集会議編
教育アーカイブズふじさわ 5号2009
教育アーカイブズふじさわ 6号2010
教育アーカイブズふじさわ 7号2011
教育アーカイブズふじさわ 8号2012
教育アーカイブズふじさわ 9号2013
教育アーカイブズふじさわ 10号2014
教育アーカイブズふじさわ 11号2015
藤沢通史 総説篇1961服部清道著/藤沢市教育委員会編藤沢市教育委員会
辻堂郷土史―藤沢通史 地区篇之一1962
古文書を読む-史料集(平成十年度企画展 古文書を見る ―藤沢の中世文書を中心に―)1998博物館建設準備担当編/藤沢市教育委員会編
湘南の誕生2005「湘南の誕生」研究会編
遠藤民俗聞書1961丸山久子 他

2. わが住む里


藤沢市図書館のサイトには「図書館刊行物案内」の1つとして「わが住む里」のページが設けられており、そこには

昭和24年(1949年)に創刊した藤沢の郷土研究についての刊行物で、総合市民図書館で毎年発行しています。

誌名は小川泰堂の「我棲里」にちなんでいます。

市の歴史や風俗・風習、伝説、ゆかりの人物について、市内の文物に関連する研究を公募し、歴史研究・郷土研究に市民参加の機会を提供しています。

と紹介されています。委細については「藤沢の郷土研究と『わが住む里』」(藤沢市総合市民図書館 内藤彰 「神奈川県図書館協会報 No.214」所収)が詳しいため、こちらに譲りたいと思います。

市民から一般公募した研究成果をそのまま載せる方針となっていることによって、「その1」で紹介した「藤沢市史研究」が専門家寄りの研究報告となって棲み分けられている様です。

なお、藤沢市図書館のOPAC上では「わが住む里」の抜刷本が多数見つかりますが、重複を避ける観点からこれらについては割愛しました。

書名出版年著・編者出版者デジコレ
わが住む里 第1号1949藤沢市図書館
わが住む里 第2号1950
わが住む里 第3号1951
わが住む里 第4号1952
わが住む里 第5号1953
わが住む里 第6号1954
わが住む里 第7号1955
わが住む里 第8号1957
わが住む里 第9号1957
わが住む里 第10号1958
わが住む里 第11号1959
わが住む里 第12号1960
わが住む里 第13号1962
わが住む里 第14号1963
わが住む里 第15号1964
わが住む里 第16号1965藤沢市中央図書館
わが住む里 第17号1966
わが住む里 第18号1967
わが住む里 第19号1968
わが住む里 第20号1969
わが住む里 第21号1970
わが住む里 第22号1971
わが住む里 第23号1971
わが住む里 第24号1972
わが住む里 第25号1973
わが住む里 第26号1974
わが住む里 第27号1975
わが住む里 第28号1976
わが住む里 第29号1977
わが住む里 第30号1979
わが住む里 第31号1980
わが住む里 第32号1981
わが住む里 第33号1982
わが住む里 第34号1983
わが住む里 第35号1984
わが住む里 第36号1985藤沢市中央図書館 編
わが住む里 第37号1986
わが住む里 第38号1987藤沢市総合市民図書館 編藤沢市総合市民図書館
わが住む里 第39号1988
わが住む里 第40号1989
わが住む里 第41号1990
わが住む里 第42号1991
わが住む里 第43号1992
わが住む里 第44号1993
わが住む里 第45号1994
わが住む里 第46号1995
わが住む里 第47号1996
わが住む里 第48号1999
わが住む里 第49号2000
わが住む里 第50号2001
わが住む里 第51号2002
わが住む里 第52号2003
わが住む里 第53号2004
わが住む里 第54号2005
わが住む里 第55号2006
わが住む里 第56号2007
わが住む里 第57号2008
わが住む里 第58号2009
わが住む里 第59号2010
わが住む里 第60号 藤沢市市制施行70周年記念2011
わが住む里 第61号2012
わが住む里 第62号2013
わが住む里 第63号2014
わが住む里 第64号2015
わが住む里 第65号2016
わが住む里 第66号2017
わが住む里 第67号2018
わが住む里 第68号2019
わが住む里 第69号2020
わが住む里 第70号2021
わが住む里 第71号2022
わが住む里 第72号2023
わが住む里 第73号2024

3. その他の藤沢市関連部署作成資料


ここでは藤沢市のその他の部署が作成した郷土史に関連する資料を一覧化します。

書名出版年著・編者出版者デジコレ
社会科資料 1 郷土篇1955藤沢市教育文化研究所編藤沢市教育文化研究所
社会科資料 2 郷土篇1956
社会科資料 3 郷土篇1957
藤沢志稿(市勢振興調査結果報告書)1955宮出秀雄・佐々木哲朗著/藤沢市総務部市民課編藤沢市総務部市民課
明治地区の史話―相州四ツ谷事情・東陽祭の想い出1975名取重坪藤沢市中央図書館
村岡郷土史資料 その1 村岡村郷土誌1978藤沢市立村岡公民館
村岡郷土史資料 その2 皇国地誌1979
村岡郷土史資料 その3 旧鎌倉街道に残された遺跡と村岡城1979広田 三郎藤沢市立村岡小学校
村岡郷土史資料 その4 川名の御霊神社1980藤沢市立村岡公民館
六会地区歴史年表-亀井野・西俣野・石川・今田・円行・下土棚2017六会地区郷土づくり推進会議人・自然がふれあうまちづくり部会編藤沢市六会市民センター
藤沢市議会史 資料編1970地方都市行政研究会編藤沢市議会
藤沢市議会史 記述編1972
藤沢市政の20年(藤沢市議会史資料1)1988藤沢市議会事務局編藤沢市議会事務局
粗年表 昭和44年~昭和61年(藤沢市議会史資料2)1988
「市議会の記録」索引(議案)(藤沢市議会史資料3)1988藤沢市編/藤沢市議会事務局編
「市議会の記録」索引(一般質問・代表質問・緊急質問) 第1分冊(藤沢市議会史資料4)1988
「市議会の記録」索引(一般質問・代表質問・緊急質問) 第2分冊(藤沢市議会史資料4)1988
「市議会の記録」索引(請願・陳情)(藤沢市議会史資料5)1989
行政組織図(藤沢市議会史資料6)1989
議会開催状況(藤沢市議会史資料7)1989
年表-(議会)-(藤沢市議会史資料8−1)1990
年表-(市)-昭和44年1月~平成元年3月 第1分冊(藤沢市議会史資料8−2)1990
年表-(市)-昭和44年1月~平成元年3月 第2分冊(藤沢市議会史資料8−2)1990
藤沢市議会史 資料編(昭和44年~平成元年)1989藤沢市議会編藤沢市議会
藤沢市議会史 年表(昭和44年1月-平成元年3月)1990
藤沢市議会史 記述編 昭和44年度~63年度1991
藤沢市議会史―平成30年間のあゆみ―2023
図書館30年の歩み-昭和23年~昭和53年1979藤沢市中央図書館藤沢市中央図書館

参考. 「藤沢市史資料 第26集」中の「藤沢郷土史関係出版物」掲載資料


今回の方針上は、県や市町村が作成した資料以外は今回の一覧では対象外としていますが、地方自治法施行前の藤沢町や各部署が作成した資料については件数が少なく、一方で個人の手になるものに郷土史の研究上重要な資料が少なくありません。

「藤沢市史資料 第26集」(1982年 服部清道 編 藤沢市教育委員会 編集刊行、以下「第26集」)に「藤沢郷土史関係出版物(藤沢市史編纂以前)」という一覧が掲載されています(116〜117ページ)。藤沢市の市史編纂事業が立ち上がる前に市域でどの様な郷土史の出版物が作成されていたのか、という観点から選ばれた資料のリストと見られますが、今回は参考までにこれを対象に「デジタルコレクション」への収録状況を確認することとしました。

ここでは「第26集」で一覧にされている資料を掲載順に挙げた上で、既に別途一覧に含まれているもの、もしくは別の資料の中で復刻されているものは、重複を避ける観点からその旨記載の上飛び先をリンクで示しています。中には児童用など今回の方針では一覧に含めないことにしている資料も入っていますが、ここでは省略せずに一覧化しました。書誌情報は「第26集」の表記を優先しましたが、一部藤沢市図書館のOPAC上の書誌情報によって補いました。

なお、「出版物」とされてはいるものの、私家本等の中には国立国会図書館にも藤沢市図書館にも蔵書されていないものが含まれています。その様な資料は藤沢市文書館が所蔵している可能性がありますが、未確認です。

書名出版年著・編者出版者デジコレ
長後山志1902井上欣一井上欣一
藤沢町勢要覧
(「藤沢市史資料 第38集」所収:「その2」参照)
1922藤沢町役場
大庭御厨の研究1931三上左明古今書院
現在の藤沢1933加藤徳右衛門加藤徳右衛門
渋谷読本1934渋谷尋常高等小学校渋谷尋常高等小学校
2000大和市立渋谷小学校創立百周年記念事業実行委員会(復刻)
植物学上より見たる緑の江の島1936百瀬静男江島神社
私どもの町(児童用)1936藤沢尋常小学校藤沢尋常小学校
鵠沼海岸1937奥田操有斐閣
江之島記1939間宮雄太郎(間宮霞軒)間宮雄太郎
江島弁財天信仰史
(復刻は複数あるが、ここでは国立国会図書館所蔵分に絞った)
(不詳)是沢恭三江島神社々務所
2019江島神社社務所(復刻)
(相模国)江島考1941呉文炳書物展望社
江島・片瀬・こし越1941浅野安太郎江島神社
わが里(「わが住む村」の誤り)1943山川菊栄三国書房
江の島(かわいゝ科学者特集号)(第7号)1951藤沢市立片瀬中学校自然科学部編藤沢市役所(藤沢市立片瀬中学校自然科学部)
江のしま1952栗原光三湘南新聞社
ゆかりの里1953服部清道藤沢史談会
社会科資料 1 郷土篇
※「第26集」では1行にまとめられているが、実際は3冊
3. その他の藤沢市関連部署作成資料」参照
社会科資料 2 郷土篇
社会科資料 3 郷土篇
藤沢志稿
江の島(楽しい修学旅行のしらべ)
※委細不詳
1958宮下正美藤沢市商工観光課
藤沢通史1. その他の藤沢市教育委員会作成資料」参照
辻堂郷土史(藤沢通史地区篇ノ一)
藤沢の歴史―服部清道博士還暦記念論文集1966藤沢の歴史編集委員会編藤沢の歴史編集委員会
長後誌史
※「第26集」に「昭和十二年」とあるのは「昭和四十二年」の誤りと考えられる
1967長後誌編集委員会編梅本辰雄/長後誌編集委員会
我がすむ里(稿本)
(「藤沢市史料集 2」所収:「その1」参照)
1830無逸小川泰二編輯
鶏肋温故(稿本)
(「藤沢市史料集 2」所収:「その1」参照)
1834小川無逸編輯
藤沢沿革考(稿本)
(「藤沢市史料集 12」所収:「その1」参照)
1896堀内松麿編纂
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【頭出し】「ふじさわの歴史シリーズ」の「藤沢市北部の俳諧史」について

今回「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジタルコレクション」)中の神奈川県史や県内市町村史関連の資料の収録状況を一覧化する際には、原則的に「デジタルコレクション」や「国立国会図書館サーチ」をはじめ、各公立図書館のネット経由で参照できる書誌情報を基準として使用しています。出来れば、対象となる資料を逐一手に取って中を確認するに越したことはないのですが、流石に分量が多過ぎてそこまでの手は掛けていられません。

しかし、書誌情報だけでは十分に判断が付かないものも少なからずあり、その場合は中身を見て判断するしかありません。「デジタルコレクション」に収められていて「ログインなしで閲覧可能」か「送信サービスで閲覧可能(要ログイン)」になっていれば、引き続きネット経由で見に行けますのでさほどの労力にはなりませんが、そうなっていないものは適宜図書館の蔵書を直接閲覧することになり、その分だけ余計に時間が掛かってしまいます。

大抵の場合、参照するのは奥付の他、扉ページの表題・副題の表記状況や目次、序文など、資料の性格を概観出来る箇所のみです。ですが、薄手の資料では目次も十分に付されていないものも多く、その場合は本文を大まかに眺めて構成を確認することになります。その過程で私の関心と合致する記述が目に留まって、ついそのまま読み耽ってしまって時間を費やしてしまうことがしばしば起こります。ちょっと古い例えですが、引っ越しや大掃除で剥がした畳の下から出てきた古新聞に気を取られてしまう様なものです。

今回藤沢市の資料を一覧化する過程で見つけた資料にも、そんな感じでつい目を通して時間を浪費してしまったものが何点かありましたが、その中に将来もう少し掘り下げてみたい課題を提示しているものがありました。勿論今回はまだ深掘りするところまで出来ていませんが、今後のために「頭出し」しておく意味で、ひとまずその資料の紹介と、差し当たって見つけた関係しそうな資料を書き留めておきたいと思います。


前回一覧に収めた藤沢市文書館作成資料の中に、

ふじさわの歴史シリーズ(2) 藤沢の北部(長後・六会・御所見・遠藤)」(昭和50年・1975年10月 藤沢市文書館編集発行)

という資料があります。国立国会図書館の蔵書には収められておらず、藤沢市図書館や、蔵書している神奈川県立図書館及び相模原市立図書館のOPAC上で見られる表題には副題が反映されていませんが、当該資料の奥付を確認すると「第四回藤沢市史展示会パンフレット」という副題が記されています(以下、この資料を「パンフ」と略します)。このシリーズの資料は全部で4冊作成されていることから、この時期に編集が進められていた「藤沢市史」にまつわる展示会が4回にわたって催され、その際の配布資料として作成されたものであることがわかります。

ただ、最近の特別展等で作成される図録類とは異なり、その展示会でどの様なものが展示されていたのかについては一切触れられていません。最終ページ数は「26」(但し7ページの次が9ページに飛んでいるため実質<!— 2024/12/16 訂正:27→25 —>25ページ、他に付録地図の折込み1枚)と薄手の資料ですが、表題の通り藤沢市北部の古代から近・現代の歴史を概観する内容となっており、一見すると編集中の「藤沢市史」のダイジェスト的な性格を帯びていると言えそうな小冊子です。

その中の「近世」の章に「六.俳諧史からみた北部の文化圏」という項があります。それほど長い項ではありませんが、書き出しは次の通りです。

藤沢地域の文芸を俳諧史から見ると大きく南・北に区分することができる。南・北の文化圏をそれぞれどこの地域に求めるかということは、かなり問題を残すことになるが、藤沢宿周辺と江の島・片瀬を南の地域とし、用田・七ッ木・長後・遠藤を北の地域と冒険ではあるが区分することができる。

この区分は俳諧史の面からであって、文化史全体を総合してみることは、今後の課題として残る。

この区分の仕方は、俳諧史からのみではなく、明治以降の町村合併による行政上の区分として、また生活圏ということを考えてみた場合にある程度うなづける区分でもあることは、近世史料によっても明らかにできる。例えば、助郷制度の場合に、用田・七ッ木・長後地区は、藤沢宿ではなく戸塚宿に組入れられているなどである。

(11〜12ページ)


そして、用田の名主、伊東孫右衛門(俳号鳥秋)について紹介した上で、次の様に締め括っています。

鳥秋を先達とした北の地域における俳諧は、藤沢宿地区を中心とした俳諧運動より早く江戸の文化圏と結びついていたことは注目されてよい。とくに藤沢宿が東海道の整備にともなう京と江戸との文化をおりまぜて藤沢の文化を育てたのに対して、北の地域は、江戸と大山街道を結びつけた、また滝山街道による多摩文化圏とかなり強く結びついて発展していったようである。

(12ページ)


文中に現れる藤沢市北部の地名の位置(「今昔マップ on the web」)

この最後の1文に見逃すべきではないものを感じたのは、私の主関心事が江戸時代の相模国やその隣接地の街道をはじめとする交通・流通であることもありますが、江戸時代の俳諧の様な文化活動について「文化圏」という言葉で地域毎の特色があることを示唆し、更にはそれが街道交通と結び付いていると、かなり突っ込んだ指摘をしているからです。私はそれほど様々な資料を読み込んでいる訳ではないので見落としている可能性は多々ありますが、この様な指摘にはこれまで行き当たったことがありません。

この指摘が持つ意味を、差し当たってすぐに出来る範囲でもう少し掘り下げ、どの様な課題が埋まっているのかを考えてみました。「パンフ」の指摘は大別すると、物流面と文化面の2つの側面について検討すべき課題を含んでいることがわかります。

まず物流面についてですが、現在の藤沢市北部が江戸時代に藤沢宿よりも戸塚宿と繋がっていた例として、「パンフ」では北部の各村が助郷を戸塚宿に出していたことが挙げられています。同様の例としては「廻米の津出し」が挙げられると思います。これは、年貢米を領主の江戸屋敷へと送り出す際に、途中から海路を行くための湊として何処を使っているかということであり、幕府や藩などの領主が各村に提出させた「村明細帳」に、折に触れて報告を求めたことが見出せます。

藤沢市史料集 11 村明細帳 皇国地誌村誌※」(1986年 藤沢市文書館 編)では、当資料編纂時点で発見されていた藤沢市内の村明細帳が一式収められています。現在の藤沢市域に属する江戸時代の村は全部で31村ありますが、そのうち「村明細帳」が見つかっていたのは12村に限定されており、特に「パンフ」で対象としている北部域の村々の「村明細帳」は1件も掲載されていません。差し当たり当資料に掲載された「村明細帳」から「津出し」に関わる記述を抜き出すと、以下の様になります。

  • 1 相模国高座郡石川村明細帳(下書) 明治三年十一月

    「一 御廻米津出之義当午年ゟ鎌倉郡片瀬川岸津出仕候道法壱里廿八丁同所ゟ船積東京迄海上「三拾六里」(貼紙訂正)」(4ページ下段※)

  • 2 相模国高座郡西俣野村明細帳下書 明治三年十二月

    「一 御廻米津出し片瀬岸     迄壱里廿丁」(9ページ下段※)

  • 3 村差出明細帳写(大庭村) 明治三年四月

    「一 御廻米津出之儀鎌倉郡片瀬川岸迄道法弐里半海上東京迄拾七里当村之儀旧地頭中石代金納来リ候処(昨)巳年三分石代納七分廻米仕候」(17ページ上段※)

  • 5 相模国高座郡羽鳥村明細帳(下書) 明治三年

    「一 御廻米津出し同州鎌倉郡片瀬村津出し仕候
    同所迄陸路壱里同所ゟ舟積東京迄海上弐十七里余」(23ページ下段※)

  • 6 相模国高座郡羽鳥村明細帳(控) 明治四年五月

    「一 御定米之儀片瀬浦迄道法壱里余之処附出し船積仕候
    片瀬浦ゟ東京迄海上廿六里御座候」(25ページ上段※)

  • 10 相模国鎌倉郡宮前村明細帳下書 明治三年十一月

    「一 御廻米津出等之儀従前仕来候儀無御座候」(39ページ上段※)

  • 17 相模国鎌倉郡小塚村明細帳下書   明治三年十二月

    「一 御廻米津出等之儀従前仕来之儀無御座候」(62ページ下段※)

  • 20 村方明細書上帳(写・川名村) 弘化四年七月

    「一 御年貢米津出之儀同郡片瀬村河岸津出申候
     但し津出し船賃米壱俵付四拾文
    道法村方ゟ右河岸出江戸迄船路拾八里余
    運賃米壱俵付壱升四合つゝ」(73ページ上段※)

  • 21 相模国鎌倉郡片瀬村明細帳(写) 明治三年十一月

    「一 皆石代納ニ付御廻米無之尤当村ニ川岸場有之外村ゟ御廻米津出し仕来り候」(76ページ下段※)


該当する「村明細帳」は1つを除いて何れも明治維新後に明治政府が各村に提出させたもので、大庭村の記述に見える様に従来は年貢を米ではなく代金で納めていたものが、明治維新後に米で納めたために津出しを行う様になったケースが多かった様です。このため、維新後も代金で納めた村については津出しを行っていないと回答しています。ただ、唯一維新前の日付を持つ川名村の明細帳に見える様に、それ以前から津出しを行っていた村もありました。そして、ここで見える村々は全て、江の島の対岸に位置する片瀬村を津出しの湊として使っていました。


該当する村明細帳を作成した村々(「今昔マップ on the web」)

これらの村々からであれば相模湾が至近であり、海上輸送が必要になった折に相模湾に面して湊を運用する片瀬村まで運ぶ選択をするのは、至って自然なことと考えられます。但し、江戸(東京)へは三浦半島を大きく迂回しなければなりませんから、その分海上の道程が大幅に長くなるのは避けられません。

一方、藤沢市北部の村々の「村明細帳」が現状見つかっていないため、比較のために現藤沢市域に隣接していた高座郡福田村(現:大和市福田、代官、渋谷の一部)や、その東隣の上和田村(現:大和市上和田、渋谷の一部)の「村明細帳」に見える「津出し」を確認してみましょう。

  • 福田村明細帳 明治三年十一月

    「一御廻米津出之儀、武州橘樹郡程ヶ谷宿河岸迄陸地五里余、夫ゟ東京迄海上拾里余、」(579ページ上段※)

  • 上和田村明細帳 明治三年

    「一御廻米津出シ之儀武州橘樹郡保土ヶ谷宿川岸迄四里半、同所おいて船積東京迄海上八里、」(675ページ下段※)

(以上双方とも「大和市史 4 資料編 近世※」1978年より)


福田村・上和田村と保土ケ谷宿の位置関係(「今昔マップ on the web」)

どちらも保土ケ谷宿の河岸が指定されています。2件とも維新後の明細帳ですが、福田村については他に文政11年の文書※(「年貢上納日限取極議定連印状」文政十一年七月、「大和市史 4」643ページ上段)に廻米について記した箇所があり、以前から実施されていたことがわかります。その際の津出しについては未記載であるものの、恐らく同じく保土ケ谷宿が使われていた可能性が高そうです。

保土ケ谷からであれば三浦半島の迂回が必要なくなる分、海路が大幅に短縮されることがわかります。但し、これらの村々から保土ケ谷へ向かう道筋では、境川水系や帷子川水系が作る細かい谷戸や尾根筋を何度かアップダウンするのを避けられず、相模野台地の上の比較的平坦な道筋を下ることが出来る片瀬村への道筋に比べると、重量のある米の陸送には厳しい道行を強いられることになりそうです。主要な道筋では中原道を北東方向に向かい、鎌倉郡瀬谷村(現:横浜市瀬谷区)の二ツ橋付近から帷子川と並行する「保土ヶ谷道」を進むことになりますが、廻米に際して具体的にどの道筋が選ばれていたかは、かつての地形図だけでは判断できません。

以上の村々の間に位置していた藤沢市北部の村々が、果たして片瀬村と保土ケ谷宿のどちらの河岸を選択していたのか、現時点では「村明細帳」が見つかっていないことから、他に津出しの方向について記した史料がないかを探してみなければなりません。これらの村々からであれば、長後を経由する柏尾通り大山道を東へ向かえば鎌倉郡下柏尾村(現:横浜市戸塚区柏尾町)で東海道と合流することが出来、そこから江戸方面へ向かえば保土ケ谷宿に到達出来ることになります。もしそうであることが確認できれば、藤沢市北部に位置していた各村が藤沢宿方面より東部方面との関係が強かった、別の例を見出したことになります。

しかし、下柏尾村から保土ヶ谷宿に至る間には品濃坂・谷宿坂・焼餅坂と登り坂が幾つも待ち構えており、権太坂の下りに差し掛かるまでやはり厳しい道行になったことが予想できます。廻米では東海道の様な主要な道筋を避ける傾向があったので、あるいは別の道筋を行った可能性もありますが、その場合でも河岸の面する帷子川の流域に入るには武相国境のかなり高い尾根筋を越える必要があることから、何れにしてもかなりの上り下りが避けられないところです。こうした条件も加味して考えると、片瀬村と保土ケ谷宿の選択の「境界線」がどの辺に来るのかは、意外と見えにくい面があります。

藤沢宿と瀬谷野新田の位置関係(「今昔マップ on the web」)

藤沢市北部のかつての村々が流通面でどの方面に繋がっていたのかについては、他にも例えば各地に点在していた「定期市」の「商圏」がどの程度の拡がりを持っていたか、言い方を変えればそれぞれの村が買い出しに出掛ける際にはどちらの定期市を利用していたか、といった課題もあります。また、藤沢宿に御殿があった頃から鎌倉郡瀬谷野新田(現:横浜市瀬谷区二ツ橋)に秣場があり(「新編相模国風土記稿 卷之百二 鎌倉郡卷之三十四」)、藤沢宿に運上金が納められていたことが記されています。これなども助郷の受け持ちとは違う流通の方向があったことを指摘できる一例とも言えます。

つまり、「パンフ」が指摘する様な街道を軸にした「繋がり」について検討するに当たっては、こうした流通面の諸相を様々な局面で検討して重ね合わせてみることによって、果たしてどの程度「繋がり」が浮かび上がってくるかが、課題の1つと言えると思います。ただ、今回の場合は俳諧との関連を指摘することに課題の主眼がありますので、こうした流通の諸相のうちのどれが俳諧と関連が強いのか、という観点からの検討も併せて必要になります。

もう一方の文化面での課題ですが、こちらはまず、相模国の各地の俳壇の配置とその地域的な拡がりを、どの程度史料によって明らかにできるかが課題です。そのためには、まずは俳諧が主催する俳壇への参加者がどの様な地域に住んでいたかを分析するところから始めることになるのでしょう。可能であれば、それぞれの俳壇で発表されていた俳句などの作品に何らかの地域的な特性が浮かび上がってくるか、更にはそれらが発表された時期の江戸などの中心地の文学史と照らして流行の時期のズレなどをも検討する必要が出て来るでしょう。それには現在の藤沢市域に留まらず、より広範囲の各地の俳壇の興亡についてリストアップしてみる必要がありそうです。

また、俳諧以外の各種の文化活動(特に、例えば茶の湯など、稽古などの必要から俳諧同様に「集う」「通う」必要が出るもの)で、俳諧の様な地域性を示す様なものが挙げられるかどうか、またその傾向が俳諧と同様の地理的な配置を示すと言えるかどうかも、考えてみないといけない課題の1つと言えます。勿論、その検討のためには何らかの記録が史料として見出だせるかどうかが鍵となります。

展示会のために作成されたパンフレットという性質もあってか、この資料では執筆担当者の名前も参考文献の一覧もありません。このため、この論考についてもっと掘り下げた資料は自力で探すしかありません。差し当たって藤沢市の図書館のOPACを色々と検索して探してみることにしました。

まず、「藤沢市史」(本記事執筆時点で「デジタルコレクション」では館内限定)の通史編で近世について取り上げているのは「第5巻」(1974年)です。第3章第5節「東海道の往来と藤沢の文芸」では、
  • 一 遊行寺と万葉集(761〜767ページ)
  • 二 藤沢の和歌(767〜781ページ)
  • 三 芭蕉と東海道(781〜785ページ)
  • 四 藤沢宿の俳諧(786〜825ページ)
    • 先駆者 堀内道二
    • 千梅門と藤沢宿俳壇
    • 千豈とその門下
    • 堀内天神と奉納句
    • 化政・天保期の藤沢俳諧の動き
    • 幕末期の藤沢俳壇の動き
    • 遊女の句
  • 五 江の島・片瀬・腰越の俳人(826〜835ページ)
    • 片瀬・腰越の俳壇
  • 六 用田・七ツ木・長後の俳諧(835〜845ページ)
  • 七 芭蕉句碑(846〜849ページ)
  • 八 藤沢の狂歌(850〜853ページ)
    • 狂歌と俳諧歌
の様に、4〜6の3項で市内各地の俳諧や俳人について解説し、その前後の各項で芭蕉と藤沢の関係や句碑・狂歌といった関連する事項について補足しています。

「四 藤沢宿の俳諧」では千豈(せんがい)という俳人について

さらに、千梅と千豈との関係であるが、千豈は直接に千梅と関係を結んだのではなく、学二を通じて千梅と師弟関係を結んだのではないだろうか。千梅はよく知られている如く近江辻村の鋳物師で、半年は江戸深川の出店に住み、後の半年を近江に住んでいた。そのため毎年、東海道を往来し藤沢の地にも足をとどめたことであろう。まして湖東での弟子であつた学二が、藤沢の地に移り住んでいたとあっては、学二のもとに旅の草鞋を脱ぎ、歌仙の興行もおこなったことであろうと想像するにかたくない。その学二を通じて、千豈と千梅との関係が生じたことは、学二の残された書簡によって明らかである。

藤沢宿が大磯鴫立庵に近いのにかかわらず、この時期には直接鴫立庵圏には属していなかった。藤沢が東海道の宿場であったという特殊性から、東海道の帯として近江と江戸を往来した千梅圏に属したというだけの問題ではなく、むしろ学二・桃琳女という渡し舟があったればこそ可能だったとみるべきであろう。

(789〜790ページ)

の様に、東海道が俳人の師弟関係を結ぶ働きをしていた事例を挙げています。一方で、東海道を西へ向かえば大磯の鴫立庵があり、俳壇の特に大きな中心となっていたことに、この引用文以外の箇所でもしばしば触れており、東海道を軸に鴫立庵と各地の俳壇・俳人の交流があり、その中で個々の俳壇が興隆と衰退を繰り広げていた様子が窺えます。

それに対して「六 用田・七ツ木・長後の俳諧」では「パンフ」でも紹介された鳥秋に端を発するこの地域の俳壇の興隆と衰退について、特に鴫立庵との関係で紹介されており、後に鴫立庵と袂を分かつことが記されてはいるものの、「パンフ」の指摘する様な「江戸と大山街道を結びつけた、また滝山街道による多摩文化圏とかなり強く結びついて発展していった」という事情が読み取れる様な箇所は見当たりません。

第3章第5節の執筆を担当したのは、巻末に掲載された担当者一覧によれば藤沢市文書館館員の高野修氏です。これを手掛かりに、高野氏が他に執筆された論文等を探したところ、「藤沢市史研究 第3号」(1972年 藤沢市役所広報課内市史編さん室 編)に「近世藤沢俳壇の動向」という論文が掲載されています(28〜47ページ)。

刊行時期だけで比較すればこちらの方が先に世に出ており、その点では「藤沢市史」の執筆に先立ってまとめられた論考という位置付けになりそうです。実際、章立てを見ると、
  • 一、近世藤沢宿俳壇の動き
    • 1 千梅門と藤沢宿俳壇
      • 1 藤沢宿俳壇の先駆者学二のこと
      • 2 千豈をめぐる人々
      • 3 堀内天神と奉納句
    • 2 化政・天保期の藤沢宿俳壇の動き
    • 3 幕末期における藤沢宿俳壇の動き
    • 4 藤の花の句碑
  • 二、近世江の島片瀬腰越の俳人
と、「藤沢市史」の「四 藤沢宿の俳諧」と「五 江の島・片瀬・腰越の俳人」の内容にかなり近い構成になっていることがわかります。藤沢市北部地域の俳壇についてはまだこれから調査する段階であることが、最後のまとめに記されていますが、

以上、藤沢宿および江の島・片瀬・腰越における近世俳壇を概鯛したが、藤沢宿より以前に、用田には穂雲楼鳥秋・春塘親子がおり、さらに七木・長後にも鳥秋を中心とする鴫立庵系の俳譜が盛んであった。しかも、これ等の藤沢宿隣接の村々が、まったく藤沢宿の俳壇と関係がなかったと云うことについては、後日論をすゝめたいと思っている。

(46ページ)

とあり、「パンフ」にあった「江戸と大山街道を結びつけた、また滝山街道による多摩文化圏とかなり強く結びついて発展していった」という指摘を予告するかの様な一文が挿入されています。ここから判断すると、「パンフ」の該当箇所も高野氏が自身で執筆したか、少なくとも何らかの形で関与した可能性が高そうに見えますが、裏付けはありません。

高野氏はその後藤沢市文書館の館長に就任されますが、「藤沢山日鑑」の監修などに第1巻から第18巻まで関与するなど、宗教関連の資料の紹介に、館長退任までの活動の主軸が移っていた様で、同氏がその後執筆した論文等の文章で藤沢の俳壇について論じたものは、藤沢市の図書館のOPAC上で確認できた範囲では見当たりませんでした。また、高野氏以外の方が現在の藤沢市域の江戸時代の俳壇や俳人について論じたものも、現時点では見つけられずにいます。

このため、「パンフ」が指摘する藤沢市北部地域の江戸時代の俳壇が「江戸と大山街道を結びつけた、また滝山街道による多摩文化圏とかなり強く結びついて発展していった」という課題については、その後詳述されることなく現在まで措かれている状態の様です。

俳壇の実施に当たっては参加者が一同に会する必要があることから、当時の交通事情の制約をある程度受ける可能性は確かに高く、そこに俳壇の中心を担える人物の登場が重なって地域性を形成する動きが見えたとしても、不思議はないと思われます。しかし、それが具体的にどの様な形を取ったのか、更には物流の様々な局面の何れかと相似な傾向を帯びていたかについては、現存する史料をかなり多方面から検討する必要があるのは間違いないでしょう。

個人的には、特に俳諧を始めとする文学史については生憎と疎いので、出来ればそちらについては更に詳述された論考が世に出て欲しいところです。しかしこの課題は、「道」というパブリック・スペースが持っていた多様な性格を江戸時代の様々な局面について検討するという意義を持っており、私も将来機会があれば改めて検討してみたいと感じている次第です。

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