コメント
恥ずかしながら
更新、お待ちしていました。
恥ずかしながら、初めて知りました。
現代の私たちも、抵抗する人でありたいものです。
英雄がいない社会をつくりたい。
しかし,ブレヒトが「英雄のいない時代はたしかに不幸だ。しかし英雄を必要とする時代がもっと不幸なことを忘れてはいけない」と言ったように,英雄という言葉が出てくる時点で既に危うい社会になっています。
ゾフィーのように悲劇的な最期を遂げた人,あるいは旧約聖書外典に出てくる美貌の未亡人ユーディット(実在しないと言われています)がユダヤ民族を守るために敵将ホロフェルネスの首を掻き切ったように,英雄が現れるのは危機的で血なまぐさいものです。
逆に言うと,英雄などいない社会を作る方が大切か思います。
もちろんゾフィーの功績を忘れず,その悲劇的な最期を深く追悼するものではありますが。
我々日本人が我々自身を改革する必要に迫られている
なるほど、我々日本人の歴史を見ても真の意味での『民主主義の偉人』はいない、もしくは少ないと言っていいでしょう。江戸時代初期の徳川幕府による禁教及び鎖国制度で徹底的な抵抗運動に対する弾圧と相互監視制度を強いておよそ260年も統治していたのですからその制度の中の思考能力が我々日本人の中に血肉化してしまい、それが克服されないまま現在に至っているわけです。政官財のなれ合いと腐敗から子供同士のいじめやこのネット内における誹謗中傷合戦までの諸問題の原因が我々の社会的無意識内にあるのです。
この克服は我々一人一人が意識してやらない限り日本人が亡びるまで続くでしょう。その克服も一朝一夕ではできません、百年単位で何世代にも渡ってやる必要があります。
皆さま
>DANGER MELONさん
「更新、お待ちしていました」とか言われると、また更新しなきゃと思っちゃうではないですか。できるだけ更新を続けるつもりですが、ツイッターで少しつぶやいたりリツイートしたりしておしまいにする日もありますので、そこはお許しください。
>Takeshiさん
コメント公開が遅れがちであるにもかかわらずいつもコメントありがとうございます。勉強させていただいております。
今回の記事にTakeshi さんのような意見がくることは半分予想しておりましたし、その意見はよくわかりますし、賛成ではあります。
しかし、民主主義の偉人が不必要になるのは社会の隅々まで個々人に民主主義の意識と行動が浸透した時だと考えます。
今の日本は残念ながらそういう成熟からは程遠いというのが私の診断です。民主主義のために闘う人々を軽侮し冷笑し批判する人々さえ目立つ中で、民主主義を発展させようとする努力がどれほど困難か。そんな時に、民主主義のために闘う人々を軽侮し冷笑し批判する人々に対してまず、そのような軽侮や冷笑や批判は控えてもらいたいと説得しなければならないのです。また、民主主義のために闘おうとする人たちがひるまないような社会にしなければならないのです。
そういう時に、圧政、暴政に抵抗する人は国際的な常識として民主主義の偉人であるという単純な事実を改めて示したかったのがこの記事です。
偉人や英雄を大勢作りたい、というよりも、普通の人がそのような偉人や英雄に敬意を払うのを当たり前にしようと言えばいいでしょうか。
最終的な目標は英雄などいない社会を作ることです。ただ、そこまでの道は長いでしょう。長いけど、一人でも多くの日本人が歩き続けるしかありません。
私も歩き続けます。一緒に歩き続けましょう。
>Neutalizerさん
ご指摘のように、日本の現在の社会は何百年、何千年の歴史の積み重ねの上にできています。なので、この社会を真に民主的なものにするのには、一歩一歩進むしかありません。まさに、「百年単位で何世代にも渡ってやる必要があります。」
それぞれの場で、できることをやり続けましょう。
圧政、暴政を行った人が日本では偉人
抵抗した人は権力に楯突く不届き者とみなされます。
学校の歴史教科書も時の権力を肯定的に記載しています。
民主主義とは対極の大日本帝国の時代を理想としている政治家が自民党やその補完勢力には多々おります。
また有権者がそういった考えの政治家を選挙で選出しています。
だから日本は自らの力で民主主義を勝ち取れなかったばかりか、与えられた民主主義さえ年々無力化、縮小、無効化の方向へ向かうのです。
二・二六事件のような軍事蜂起が期待されない。しかしながら、国家騒動員法制定さながらのコロナ特措法の下、国会崩壊の大政翼賛支配下にあるいまは、青年将校が決起した翌日の二・二七事件の蜂起の危機にあるのではないだろうか?と私には思われます。私も年内には刑務所にいるかもしれません。
ディートリッヒ・ボンヘッファー
ドイツの降伏が間近に迫った約1ヶ月前の1945年4月9日の早朝,チェコ国境に近いフロッセンビュルク強制収容所で絞首刑に処せられました。
以下,「ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生涯と思想」(宮田光雄・岩波書店)から引用します。
一部には,-これまでプロテスタントの伝統にはなかったことだが-ボンヘッファーを《福音主義的聖人》と呼ぶ声もある。
しかし,生誕100年(2006年時点で)にあたってボンヘッファーを反ナチ抵抗の模範=殉教者として偶像化することは無意味だろう。むしろ,彼の思想と生涯の歩みが21世紀に生きる人類に投げかける問いかけについて新しく注意を向けることをうながされているのではないだろうか。すなわち,眼前に押し迫ってくる暗く絶望的に見える既成事実に打ち倒され,埋没させられるのではなく,《未来の世代にたいして責任を負う》ために時代の流れに抗して確固として立ち向かっていく決意を新たにすることこそ,ボンヘッファーを改めて《想起》する意味だろう。
彼の生涯と思想は,軍事政権下の韓国における民主化闘争,ラテなメリカの解放の神学,南アフリカのアパルトヘイト政策への反対など,世界の各地における人権闘争や平和運動に影響をあたえてきたことが知られています。最近になって注目されているのは,人権やデモクラシーを擁護する中国知識人のあいだでもボンヘッファー受容の事実があることです。その代表的な存在が2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波です。
彼とボンヘッファーとの結びつきは,投獄生活を余儀なくさせられた事実だけではありません。ボンヘッファーが1939年に安全なニューヨークにとどまる可能性を捨てたように,劉もまた1989年に中国の民主化運動に身を投ずるため自由なニューヨークから母国に引き返したのです。それは,長期間にわたる投獄の生活に通じていました。平和賞の受賞は獄中で行われたものです。
劉は妻にあてた手紙の中で,ボンヘッファーの『獄中書館集』を「飢え乾いた者のように読み耽った」と,その熱い読後感を書き記しています。
「愛する霞よ,われわれの前にはボンヘッファーの手本があり,われわれに呼びかけている。拘禁刑に服することは,まさに現実世界の悲惨さに参与する一つの仕方なのだ。われわれは,どんなことがあっても断念しない。われわれがたとえ何ひとつ変革しえないとしても,われわれの振舞いは,少なくともイエスの精神がなお人類のあいだに生きていることを証しするだろう」
以上で引用終わり。
劉暁波がボンヘッファーに強い関心を持ち,思想や行動をたたえていたことは
知りませんでした。
なお,1996年8月1日にベルリンの刑事法廷はボンヘッファーに下されたSSによる判決を破棄し,彼の名誉を復権しました。その判決理由にはこのように記されていました。
「ボンヘッファーとカナ―リスとをめぐる抵抗グループの努力は,事実上,可及的速やかに戦争を終結すること,ヒトラーを罷免すること,ナチ国家を排除することであった。彼らの行動は国家を危険におとしいれることを意図したものではなく,-まったく正反対に-ナチ政権によって国土と民衆の上に引き起こされる害悪を防止するためのものであった。彼らの動機は破壊ではなく,祖国愛であり,人類のために身を捧げることであった」。(前掲書からの引用)
豊臣秀吉に抵抗した少女
ずっと昔のことですが,ルイス・フロイスの「日本年間書翰󠄀」及び「日本史」では,伴天連追放令発布にわたり「徳運」(「日本史」では施薬院全宗)という名の僧侶が伴天連追放令に際して重要な役割をはたしたとしていたとのことです。
即ち彼が豊臣秀吉の命で,城に側室ないし妾を置いておく美女を調達するため,有馬の地に行き,たまたま目をつけたキリシタンの娘を連れて行こうとしたところ,頑強な抵抗にあって目的をはたせなかったためにキリシタンに悪意を持ち,秀吉に対しキリシタンを讒言する大きな要因になったとしているそうです。
この少女は「私はキリシタンですから=私はイエスさまと結婚したので,できなせん」と拒否したのです。
豊臣秀吉と言えば泣く子も黙る権力者で好色で有名でした。それなのに小娘が
言う事を聞かないなど,なんとキリスト教というのは無礼な教えだとして,キリスト教を憎悪したわけです。
逆に言えば,当時は豊臣秀吉に抵抗できたのはキリスト教しかなかったということになります。
ツルの”寒晒し”
清四郎は明治元年6月に津和野に流され,2年2月18日に55歳で殉教しました。子の光蔵と娘のツルは萩に流されました。明治2年,22歳だったツルは18日間役人から毎日御用に呼び出されました。
「お主はどれほど説き聞かせても分からぬ奴じゃ。草でも喰え」「私はケモノではありません。草は喰べません」「お主は日本人ではない。日本にできた着物を着ることは許さぬ。脱げ」「これは私がつくった着物です。脱げません」「唐にでも飛んでゆけ。日本の土を踏むな」「私は鳥ではないので飛べません。遣ってくだされば唐の国にでもどこにでも行きます」。
こんなくだらない言い合いをした後,1週間食事は与えられませんでした。
ツルは一人戸口に出て「この苦しみに耐えさせたまえ」と神に祈るばかりでした。1週間後こんどは神官に呼び出されました。その晩から1週間食物は与えられましたが,1週間目に同じ神官から呼び出されました。
「お主たちは神通力があるということだが,大豆を小判になしうるであろうのう」「考えてもごらんなさいませ。どうして大豆を小判になしえますか,たとえなしたとしても,私は生命を投げうってここに来ています。キリシタンは何も悪いことをしたわけではありません。ただ御制札に決まっているから,キリシタンを信じれば生命がないことになっているだけです。生命がないなら,大豆を小判になしてもどうにもならないではありませんか」
神官は炊事夫を呼んでツルの着物を脱がせました。冬のさなか,寒い北風が吹いている外で,腰巻一つのままの裸で外庭の石の上に,ツルは端座させられました。朝から晩まで一粒の飯も与えられませんでした。夕方になると裸のまま室内に戻され,翌朝はまた寒晒しとなり,1週間続きました。
1週間目には目も口も開けられぬほどの大雪になりました。ツルはいよいよ死を覚悟し,一心にスピリツ・サントのお助けを祈りました。
同室の婦人たちはただツルのためにオラショを唱えて神の助けを求めようとしました。男たちはツルの不屈の精神を見て,われわれもいつあのような目にあうか分からぬから練習しようと,褌一つになって縁側に出たものの,1時間もたたないうちに引っ込んでしまいました。
ツルが雪の中に埋もれ,死にそうになったのを見た炊事夫二人が来て回心を勧めましたが,ツルは手を振りはなしました。夕方また二人が来て,ツルは四つん這いになりながら炊事夫の後について炊事場に入りました。
ツルは木村という役人もとへ行きました。「この寒さは何年かぶりだ。さぞつらかったであろう」「つらいことはいいようもございません」「もうお任せするであろうな。若い身空で体をこわしたらいけないではないか」「御親切はありがとうございますが,前々から申し上げておりますごとく,どんなに責められてもお任せはできません」「そう一徹に申すものではない。とにかく今日はつらかったであろうから,小屋に帰って養生するがよい」とツルは炊事夫に連れられて小屋に帰されました。婦人に対する拷問はこの日を最後に行なわれなくなりました。
ツルは明治6年に帰郷してかた岩永マキが創立した十字会に入って孤児の養育と自己修養に励み,鯛の浦や神の浦などで働き,大正14年12月に浦上の十字会で78歳の生涯を終えました。
以上,「日本キリシタン殉教史」(片岡弥吉・時事通信社)から一部引用しました。
欧米人民及び政府から,日本のキリスト教徒弾圧に対して厳しい批判がやまずに条約改正に難航していた明治政府は,とうとう信教の自由を認めるに至りました。外圧によるものとは言え,やはり250年にわたるキリシタンの不服従と流血が信教の自由を導いたのではないかと思います。
爆弾三銃士は政府・軍部によって英雄になりましたが,それは一定の政治的方向をもったものでした。ツルのような行動こそ,本来の英雄的行為なのだと御んぃます。
芸能人、局アナ、すぽーす選手…言葉は悪いですが「〇ホ」の一つ覚え…でもジミンだけで津木野宇佐儀個人経営の餃子屋さんへの堀江貴文による誹謗中傷に法の裁きを。強きを助け弱きを叩くジミン支配下ニッポソなら>工作員zさん
>返済できずに破産かもしれないネ
ホリエ某は、ジミンpowwwwwwwwered by 財界& assssssssssisted by 電通 がいる限り、そうはならないでしょうね(憤怒)
ass津木野宇佐儀全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。補足です。 インドネシアにおける共産党員虐殺の主体には,イスラム法学者もいました。必ずしも共産党員及びそのシンパが犠牲になっただけでなく,中国人も犠牲になりました。軍が武Takeshi欧日間の経済連携協定で、欧州連合が人権後進国日本に「人権条項」を要求するのは当然である。天賦人権論最近の記事のコメント欄では脈絡がないので、村野瀬玲奈と天賦人権論を検索ワードにして出てきた記事にコメントします。
「こどもには権利も義務もない」と言っている地方kuroneko個人経営の餃子屋さんへの堀江貴文による誹謗中傷に法の裁きを。この方は、大阪万博の特別顧問だそう。ライブドアceo時に証券取引法違反で逮捕された前科。ロケット打ち上げ失敗の融資先はたぶん政府系金融機関でしょう?返済できずに破工作員z「まるで中国、北朝鮮」と言うのではなく、「まるで大日本帝国」と言おう。北朝鮮への帰還事業から65年 北朝鮮への帰還事業は1959年12月14日に新潟港から出発したのが第一陣で,2024年12月14日には65年を迎えました。当時朝鮮人は日本社会において貧困と差別に苦しみ,「地上Takeshi政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しいNo title来年は確か統一地方選挙もあるので、「地獄逝こう」と立憲で有名人を候補に擁立する猟官運動の類が頻発しますね。
「頭数にしかならんだろ」と冷めた目で見ています。今井アンドリュー・バルトフェルド政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい体育会系芸能人はともかく、スポーツ選手つまり体育会系エリートは、割と自民党に近い思想を持っていると思います。
体育会系は軍隊であり、そこに民主主義などありませんから。怒りの日政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい打越さくらvs中村真衣か オリンピックでのメダル受賞者の自民党議員となると,堀井学や橋本聖子のようにかんばしくない人を思い出します。中村真衣さんは早くから自民党の参議院議員になりたいとTakeshi全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。インドネシアにおける共産党員大虐殺インドネシアは17500の島から成り,人口は2億3500万人。300の民族から成り,365の言語が話されています。留学生のリクルートのためにジャカルタに出張したとき,インドネシTakeshiハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)No titleトピズレすみません
山口放送制作のNNNドキュメント「アボジが眠る海」は必見です
山口県宇部市の長生炭鉱の惨事は、恥ずかしながら、知りませんでした津木野宇佐儀ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)ハン・ガンさんの小説が尹錫悦大統領の弾丸を求めるデモに参加した若者曰く「今までデモに参加したことはなかった。でもハン・ガンさんの小説を読み光州事件のことを知り民主主義の危機を感じたの閉口ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)民主主義の勝利ハン・ガンさんの韓国でクーデターを起こして失敗した尹錫悦大統領への弾劾訴追案が一昨日(14日)可決されました。
心より歓迎したいと思います。
これは民主主義の勝利その閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。そもそも原発は多くの欧米列強は脱炭素を悪用し原発を推進しようとしています。
しかし原発は核兵器の開発のためにつくられた悪しきものです。
さらにウラン採掘から運転・廃炉、廃棄物処閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。危険だとわかりきっている原発が避難計画の策定が不十分の中、島根原発が再稼働されました。
これは暴挙そのものです。
一時盛り上がりをみせていた脱原発の声はすっかり下火になってしまいました。
なり閉口修学支援新制度において、成績要件によって機械的に支援を打ち切ることは低所得家庭の学生の学びと人生を危機にさらす偏った富を吐かせるもちろん、無償化は「学費」だけでなく、教育全般の無償化です
「GDP」では中国に続き、さらにドイツに抜かれましたが
まだまだ経済「大国」日本にはそれくらいの富はある津木野宇佐儀玉木雄一郎ドヤ顔の公約「手取りを増やす」は「玉木を衒いて石を売る」行為ではないか (国民民主党への強い疑問 (3)) #国民民主党に騙されるな #玉木雄一郎に騙されるな予想。給与所得控除55万円はいじれない。特定扶養控除での調整か年少扶養控除の復活かでしょう。柿ノ木扇蔵ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)疑問:M上青樹にどんな演説ができるのか??…∞またまたトピズレ、すみません
ここ何年か、過剰に喧伝され続けてきた某M上ペラ樹氏のノーベル賞受賞…
彼には絶対にない!
それより、生前に谷川俊太郎さんが受賞されてい津木野宇佐儀「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)No title 田中熙巳さんが日本政府が原爆被害者への国家補償をかたくなに拒んでいることを批判したことについて、ネットでは「補償ならアメリカに求めろ」とか「結局は金か」と罵倒クテシフォン島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。鼻先の馬は必死、目先のジジイ・オヤジは「一代主義」の「お主も悪よのう」福島原発事故でまき散らされた放射能はしばらくしてドイツでも観測されたそうですし、海洋汚染もアメリカに到達しています。
推進派はともかく、世界からはニッポソの核お津木野宇佐儀大日本帝国のおかしたたくさんの過ちの一つ、太平洋戦争の開戦。(1941年12月8日、真珠湾爆撃)No titleそして、南京と・だけでない「蝗軍」の蛮行…
「ゴメンで済んだら警察いらん」と言いますが、まだきちんと「ゴメン」も済ませていないニッポソ…
いつになったらアジア全土で津木野宇佐儀論外取締役デマ工作についての最初のぬるい謝罪を批判されてやっと「沖縄の方々」に謝罪した弘兼憲史と講談社。しかし、まだ問題は残っています。 @morningmanga @KODANSHA_JP講談社は滅ぼされて然るべき理由を自分で作っている一つ
ワニブックスを買収したこと。私としては「アイドルのグラビア雑誌などの収入でヘイト本を作っている」扱いなので「やっちまった」という感があります。
新書は「石しアンドリュー・バルトフェルド1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。12月13日は聖ルチアの記念日でもある。イタリアの歌謡でサンタ・ルチアとして歌われるシラクサのルチアの記念日は、西欧では12月13日とされています。ルチアは生涯を神に仕えることを決意し、自分の財産を貧しいTakeshi1937年12月13日は大日本帝国軍による南京占領の日。南京虐殺の蛮行の歴史を忘れず、犠牲者を悼み、蛮行を繰り返さないと誓う。8月6日と8月9日に原爆被害を思い出すように。2024年12月13日は南京大虐殺から87年2024年12月13日は、南京大虐殺から87年を迎えます。日本人学校の生徒が殺害される事件が起こり、かなり緊張感が高まっているようです。今の中国では大学を卒業しても希望しTakeshi「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)カーチス・ルメイカーチス・ルメイは東京大空襲の指揮者。東京大空襲では死者10万人以上,被災者100万人以上を出しました。あまりの非道さに「鬼畜ルメイ」とあだなされました。ところが196Takeshi「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)国家無答責,受忍限度論,統治行為論 国家無答責論は明治憲法下での大原則でした。戦後国家賠償法が施行されましたが,政府及び司法にはまだこの考えが残っているように思います。
大阪空港騒音公害訴訟上Takeshi婚外女性を玉木の輿に乗せて、自分に都合が悪くなったら切り捨てた #玉木雄一郎に騙されるな #玉木代表の議員辞職を要求する #国民民主党に騙されるな橋下徹のずれた発言橋下徹が小泉みゆき嬢を国民生活党で職員として雇うことを提案したそうです。いくら不倫を擁護するにせよ、橋下徹の発言はやはりずれています。Takeshi玉を衒いて維新を売る立憲民主党の誤り @edanoyukio0531 @izmkenta @okada_katsuya @nagatsumaakira @tsujimotokiyomi @OogushiHiroshi @junyaog @kikuta_official @s_mizuoka @shigetoku2 @hirofumi_ryu @sokuno2 @masayo_tanabu @saito_yoshitakaNo title 野田代表の政治センスの無さは相変わらずのようです。一応リベラルな政党という事になっている立憲民主党がバリバリ保守の維新の会と組めば政党の理念が死んでしまいますクテシフォン新型コロナウィルス感染症は終わっていません。不織布マスク着用による最大限の予防を。 #感染症から子どもを守れ #学校園は流行期の対策をNo titleさらに「リンゴ病」も流行っているそうですね。
本当に油断できません。
以前購入したN95マスクとゴーグル、一度、最寄りの政令指定都市に行ったときに使ったきりですが、津木野宇佐儀新型コロナウィルス感染症は終わっていません。不織布マスク着用による最大限の予防を。 #感染症から子どもを守れ #学校園は流行期の対策をNo title「コロナはまだ終わってない」と吐き捨てたくなるときがあります。
それに「インフルエンザ」と「マイコプラズマ肺炎」が終息するどころか「これからじゃないか」と間違いアンドリュー・バルトフェルド