チリでの政権交代について、記憶のための記録です。大統領選決選投票では左右両派の女性どうし、左派のミチェレ・バチェレ(新しい多数派)と右派のエベリン・マッテイ(同盟)の対決となり、バチェレ氏の勝利となりました。
チリでの1973年のアウグスト・ピノチェトによる右派軍事クーデターから40年です。日本も2013年12月6日の特定秘密保護法成立をもって自公政権が行なった『クーデター』から40年後といわず、30年後の2043年、いえそれよりも前に、
吉良よし子さんあたりを首相とする内閣ができていることを真剣に希望します。
では、チリ大統領選の決選投票の結果から。東京新聞の短いコラムが素晴らしいです。今回当選したバチェレ氏が1973年の右派軍事クーデターの時にどのような立場にあった人かを思い出させてくれます。
●東京新聞(TOKYO Web)
筆洗
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013121802000120.html
2013年12月18日
街角に音楽が流れる。歳末の商店街のジングルベルも高円寺駅前の若者の歌もいい。とりあえずは「平和」だ▼霞が関で「ケサラ」のトランペット演奏が聞こえた。抗議集会のようだ。切ないイタリア歌謡の不意打ちにちょっとはなをすする。「ケサラ」は「なんとかなるさ」の意味でホセ・フェリシアーノが歌った原曲は家出する男の歌。日本には反戦、抵抗を歌う訳詞(にしむらよしあき)がある▼チリの歌手ビクトル・ハラ。訳詞に「ビクトル・ハラを決して忘れはしないさ」とある。四十年前の一九七三年九月の軍事クーデターで、ハラはチリ・スタジアムに連行された▼『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』(八木啓代著)によると、ハラはスタジアムでも逮捕者のために歌った。兵士にギターを奪われた。手拍子で歌った。銃の台尻で腕を砕かれた。なお歌おうとして射殺された。兵士は言った。「歌ってみろ。それでも、歌えるものなら」▼チリ大統領選決選投票でバチェレ前大統領が勝利した。バチェレさんの父親も軍事クーデターで拷問され死んだ。バチェレさんも母親と拘束された。「痛み」を知る指導者である▼「この牢獄(ろうごく)にいるのはもう前に進むことなく、ゆっくりと死を待つ番号ばかり」。ハラがスタジアムで書いた悲痛な詞。街角に音楽が流れる穏やかな日常のありがたさを思う。
(転載ここまで)
では、決選投票から少しさかのぼって、2013年11月17日の大統領選第一回投票と国会議員選挙の結果から決選投票の結果までを振り返ります。南米の政治経済についてのブログの記事をお借りします。
●ラテンアメリカの政治経済
■チリ大統領選開票速報(11月17日)
http://ameblo.jp/guevaristajapones/entry-11700937792.html
2013-11-18 08:02:51
(参考:N0751「チリ大統領選挙、ミチェレ・バチェレ優勢は持続」)
http://ameblo.jp/guevaristajapones/entry-11649463871.html
[この記事は時系列で更新します]
[AFP]
11月17日におこなわれたチリ大統領選挙は即日開票されているが、41,349の投票箱のうち、14,227箱が開票され、開票率34.4%の段階の公式発表で、チリ社会党(新しい多数派)のミチェレ・バチェレ前大統領が46.42%、与党右派のエベリン・マッテイ候補が25.26%となっている。進歩党のマルコ・エンリケ・オミナミ候補と無所属の経済学者フランコ・パリシ候補が互角で第3位を争っている。最終的にこれが結果となると、バチェレは過半数に届かず、12月15日に、マッテイとのあいだで決選投票がおこなわれることになる。
[BBC Mundo]
69.51%の開票段階で、バチェレ:46.69%、マッテイ:25.24%、オミナミ:10.76%、パリシ:10.21%、このほかの5人の候補は3%以下となっている。バチェレとマッテイのあいだでの、12月15日の第2回投票がほぼ確定した。
[BBC Mundo]
チリ大統領選と同時におこなわれた国会選挙において、学生運動の指導者であった、カミラ・バジェホ、ヒオルヒオ・ジャクソン、カロル・カリオラ、ガブリエル・ボリクは、議員選挙に当選した。
[AFP および WIKIPEDIAによる]
開票率99.34%、投票率48.99%
ミチェレ・バチェレ(新しい多数派) 3,050,864(46.68%)
エベリン・マッテイ(同盟) 1,634,917(25.01%)
エンリケ・オミナミ(進歩党) 716,654(10.96%)
フランコ・パリシ(無所属) 661,738(10.12%)
マルセル・クラウデ(人権党) 184,524 (2.80%)
アルフレド・スフェイル(緑の党) 153,475 (2.34%)
ロハナ・ミランダ(平等党) 83,015 (1.27%)
リカルド・イスラエル(独立地方党) 37,744 (0.57%)
トマス・ホセリン・オルト(無所属) 12,742 (0.19%)
バチェレとマッテイによる決選投票が確定した。
[teleSUR]
大統領選挙と同時におこなわれた議会選挙の99%の開票段階で、上院38議席のうち改選議席20議席は、中道および左派の「新しい多数派」が12議席、右派の「同盟」が7議席、無所属が1議席であった。非改選と合計すると、バチェレの「新しい多数派」が21議席、ピニェラ大統領の「同盟」が16議席、無所属が1議席となる。
下院120議席については、「新しい多数派」が68議席、「同盟」が48議席、無所属が4議席となる。「新しい多数派」は上下両院で過半数を占めた。しかしバチェレが目指した、アウグスト・ピノチェッ時代の憲法を改正するためには難しい数字である。
「新しい多数派」は、これまでの中道および中道左派の「民主主義のための政党連合」(コンセルタシオン)の社会党、キリスト教民主党、民主党、社会民主急進党に左派の共産党、市民左翼、拡大左翼運動(MAS)が加わったものである。
■カミラ・バジェホら4人の当選はチリが変わる象徴になるか(11月18日)
http://ameblo.jp/guevaristajapones/entry-11704977604.html
2013-11-19 20:35:00
(参考:N0167「カミラ・バジェホ、FECH委員長選挙に敗北する」)
http://ameblo.jp/guevaristajapones/entry-11103724051.html
11月17日、チリの大統領選挙とともにおこなわれた議会選挙において、2011年にチリ全土を揺るがした学生運動の指導者が4人、下院議員に当選した。全員が27歳未満である。この運動のカリスマ的存在とも呼ばれたのがカミラ・バジェホ、25歳である。彼女はチリ学生運動を象徴する、チリ大学学生連盟(FECH)の2010年ー2011年の委員長であり、もっとも高揚した時期を指導、2011年ー2012年の副委員長でもあった。チリ共産党員として、サンティアゴ南部の26区ラ・フロリダから立候補、43%の票を獲得し当選した。
同じくチリ共産党からはカロル・カリオラが当選した。彼女はコンセプシオン大学学生連盟の元委員長で、チリ共産青年同盟の書記長でもあった。バジェホの盟友である。19区のインデペンデンシア、レコレタ地区から立候補、38%を獲得し当選した。バジェホののちにFECHの委員長となったガブリエル・ボリックはチリ南部のマガジャネス、60区から立候補、26%を獲得し当選した。かれは自主的左翼(IA)を代表する人物である。自主的左翼は1990年年代の急進主義運動を引き継いでいる。さらにサンティアゴのカトリカ大学学生連盟の元委員長であった、ヒオルヒオ・ジャクソンはサンティアゴの22区から立候補、4人のなかではもっとも多い、46%の票を獲得し当選した。かれは民主的革命(RD)の指導者である。
自主的左翼からはさらに2人の候補者が立候補していたが落選した。フランシスコ・フィゲロアは21区プロビデンシア、ニュニョアから立候補、セントラル大学学生連盟元委員長のダニエラ・ロペスは13区バルパライソから立候補していた。このほか4人に近いと思われる当選者にイバン・フエンテス、50歳がいる。かれは南部のアイセンの漁師であり、2012年2月に生活条件の改善を要求して、セバスティアン・ピニェラ政府と闘った。
バジェホは勝利が明らかになるとツイッターで、「この勝利をラ・フロリダの街頭で一緒に祝いましょう!192番、リア・アギルレで会いましょう!」と呼びかけた。通りは夜、シャンパンと音楽でお祭り騒ぎとなる。「いまチリはその経済モデル、政治システムを大きく変更するときにある」、バジェホは語った。4人の学生運動指導者は、議会のなかから闘うことになる。議会の外では数万人の学生が抗議行動をする準備ができている。カリオラはチリ学生は、この国を揺るがし目覚めさせたという。ピニェラ政権にたいし、数十回にわたって繰り返された抗議行動は、右派政権にたいする支持率を低下させることになった。国会での課題は引き続き無料で質の高い教育であり、新自由主義経済を改めること、アウグスト・ピノチェッの時代の憲法を新しいものに変えることである。(N0775)
■ミチェレ・バチェレ、チリ大統領に選出される(12月15日)
http://ameblo.jp/guevaristajapones/entry-11730155272.html
2013-12-16 08:24:47
(参考:速報「チリ大統領選開票速報」)
http://ameblo.jp/guevaristajapones/entry-11700937792.html
[teleSURによる]
「新しい多数派」のミチェレ・バチェレは、11月17日におこなわれた第1回目の大統領選に続いて2回目の勝利を獲得した。第1回目には与党右派のエベリン・マテイを含めて8人の対立候補がいた。12月15日におこなわれた、マテイとの決選投票で、バチェレは選管発表、開票率99.85%の段階で346万5002票、62.16%の得票で、チリの民主主義の歴史ではかつてなく、4年ぶりに大統領に返り咲くことになった。
マテイは210万9360票、37.84%の得票であった。これは選管(SEC)がウェブサイトで発表したものである。バチェレは右派のセバスティアン・ピニェラ大統領のあとを継ぐことになる。第1回目の候補者9人という数字は、チリの歴史のなかでこれまでなかった。投票は12月15日午前8時から始まり、全国41,000の投票所で10時間のあいだおこなわれた。チリの有権者は1350万人であるが、多くの棄権から、高い投票率は期待できなかった。バチェレが決選投票で勝利するのはこれが2回目となる。2005年の大統領選挙では、ピニェラとのあいだの決選投票に勝利した。
今回の選挙は、ふたたびチリ左翼が勝利するのか、右派が引き続き政治を続けるのかを決めるものであった。これに候補者2人の特色が加わった。両候補者がともに女性であったこと、幼馴染であったこと、アントファガスタでともに遊んだ仲であったこと。この地で父親はチリ空軍の将軍であり、エベリンの父フェルナンド・マテイとミチェレの父アルベルト・バチェレは親しい友人関係にあった。数か月後のサルバドル・アジェンデへのクーデターののち、フェルナンド・マテイは空軍学校の校長となり、アルベルト・バチェレはアウグスト・ピノチェッにより迫害されることになる。
アルベルト・バチェレにたいしておこなわれた不正義については告発されていないが、アジェンデ政権のもとで要職を引き受けたことが、そのほかのものとともに逮捕された理由と考えられている。1974年、アルベルトは拷問が原因と考えられる心筋梗塞によって死亡した。1年後、ミチェレ・バチェレは、母アンヘラ・ヘリアとともに逮捕される。
[エベリン・マテイは、ミチェレ・バチェレ勝利の選挙結果を認めた。](N0801)
(転載ここまで)
1973年のピノチェトのクーデターと、今回議員として当選した学生運動の指導者カミラ・バジェホさんについてはいくつかの記事を書きましたが、最近の次の記事で全部まとめてリンクをはって紹介していますので、よろしければご参照ください。
■1973年のチリの軍事クーデターから40年。軍事政権と新自由主義の悪夢を思い、これからの日本を思う。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4739.html2013-09-11
さて、今回大統領に当選した左派のバチェレ氏と、決選投票で敗退した右派のマッテイ氏。今まで二人がそれぞれ歩んだ道についても記憶しておくべきですね。
●毎日新聞
キーパーソン:ミチェル・バチェレ氏=チリ大統領選で当選した
http://mainichi.jp/shimen/news/20131217ddm007030119000c.html
毎日新聞 2013年12月17日 東京朝刊
◇男性優位破る先駆者−−ミチェル・バチェレ氏(62)
チリで初の女性大統領に就任し脚光を浴びたのが2006年。後を追うように隣国アルゼンチンで07年、ブラジルでも11年に女性大統領が誕生した。男性優位とされる南米社会に風穴を開けた先駆者として、地域に与えた影響は大きい。
1期目の退任後は、国連が男女平等促進のため創設した新組織、UNウィメンの初代事務局長に抜てき。私生活では結婚と離婚を経験し、2人の男性との間に3人の子を持つ母親でもある。公私にわたって性差と旧弊の壁を破ってきた。
今年3月、国連がある米ニューヨークから母国へ戻り、返り咲きを狙う大統領選への立候補を表明した。早くから再選確実と予想され選挙報道も下火になったが、7月に思わぬ対立候補が出現し、父を亡くした暗い過去に注目が集まった。
与党・独立民主連合が大統領候補に指名したマテイ前労働・社会保障相は幼なじみだ。幼少期、2歳年下のマテイ氏とは父親同士が空軍で同じ基地に所属し、家族ぐるみで付き合う隣人だった。
しかし1973年のクーデターを機に両家の運命は明暗を分ける。ピノチェト軍政の下、マテイ氏の父は空軍士官学校長に出世。一方でバチェレ氏の父は左派政権を支持していたことを理由に拘束され、拷問を受けた末に死亡した。拷問が繰り返されたのは空軍士官学校の施設内だったが、校長だったマテイ氏の父は関与を否定している。
政治犯の烙印(らくいん)を押された父を失ったバチェレ氏は、母とともに75年にオーストラリアへ亡命。旧東ドイツで医学を修め、79年に帰国し外科医となる。政権が民政復帰した90年以降は保健省に勤め、社会党中央委員を経て00年に保健相、02年に国防相、06年に大統領就任と、政界の階段を上った。マテイ氏との奇縁については多くを語ろうとしない。今回の選挙戦は「みんなのチリ」が合言葉。従来の左派、右派といった枠組みにとらわれない支持を集め、2期目は順調に船出した。【サンパウロ朴鐘珠】
(転載ここまで)
また、決選投票の結果と同時にフランスのメディアが解説記事を出していましたので、個人的なメモとして「追記を表示」に記録しておきます。(当然チリ、南米、スペイン語圏の報道でも出ていたはずです。)
さて、右派軍政で迫害された人が数十年の時を経て大統領として選挙で当選するチリ。一方、1945年までの右派軍政で人々を迫害した側の実際の子孫や政治的末裔(自民党)が数十年たっても政権に居続け、右派軍政のもとで迫害された政党の末裔の一つ(公明党)は右派と手を組んで今度は人々を迫害する側に回り、右派軍政のもとで迫害された政党の末裔のもう一つ(日本共産党)は政権を取るには程遠い日本。...チリは少しずつ暴政の傷をいやしながら前進しているように見えますが、日本は明らかに退歩していると思います。今の日本は明らかに暴政への退歩を続けて滅びの道を進み続けていると意識する人がもっともっと増えて、自公政権とはっきりと対決する政治勢力に投票しようと考える人がもっともっと増えないことには日本には未来がないと思います。
追加。同じ南米の別の国、アルゼンチンの軍政の記憶についての記事。
●国会議員への投書のための「議員一覧ポータルサイト」 (1)→
http://taro-yamamoto.jp/お知らせ/【反tpp・反秘密保護法!】全国街宣キャラバンス/ ; (2)→
http://publistella.jp/●マスメディアへの投書のための「News for the people in Japan」マスメディア問い合わせ用リンク集→
http://www.news-pj.net/link/media.html●他の社会系ブログに行くにはうちの「私的リンク集 (適宜更新)」経由で→
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-136.html *
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個人的な記憶のためにフランスでの報道も記録。
●Le Monde.fr - Actualité à la Une
Chili : la socialiste Michelle Bachelet de retour à la présidence
http://www.lemonde.fr/ameriques/article/2013/12/15/chili-la-socialiste-michelle-bachelet-remporte-la-presidentielle_4334783_3222.html
Le Monde.fr avec AFP | 15.12.2013 à 23h46• Mis à jour le16.12.2013 à 08h27
Michelle Bachelet est la première ex-présidente à remporter un deuxième mandat en plus de soixante ans. | AP/Luis Hidalgo
Une victoire écrasante et sans surprise. C'est avec un peu plus de 62 % des suffrages que la socialiste Michelle Bachelet a été élue à nouveau présidente du Chili, devant la conservatrice Evelyn Matthei. Appréciée de ses compatriotes pour son style chaleureux, la candidate de centre gauche, pédiatre de formation, a déjà dirigé le pays de 2006 à 2010. Elle est la première ex-présidente à remporter un deuxième mandat en plus de soixante ans.
Sa rivale, Evelyn Matthei, 60 ans, n'a obtenu que 38 % des voix, la plus mauvaise performance de la droite depuis deux décennies. L'ex-ministre du travail, investie tardivement après une cascade de retraits de leaders conservateurs, avait reconnu qu'une victoire face à la candidate socialiste relèverait du « miracle ». L'abstention, qui avait dépassé les 50 % au premier tour, a toutefois de nouveau été importante.
Michelle Bachelet après sa victoire à la présidentielle, le 15 décembre à Santiago du Chili. | AP/Luis Hidalgo
Un bémol qui n'a pas entamé la joie des soutiens de Michelle Bachelet. Le « Chili s'est regardé lui-même, sa trajectoire, son passé récent, ses blessures, ses gestes, le travail encore à faire. Et il a décidé qu'il était temps de mener des changements de fond », a déclaré la présidente socialiste à la tribune, devant des milliers de partisans enthousiastes à Santiago. « Ça ne va pas être facile, mais quand a-t-il été facile de changer le monde pour l'améliorer ? » Elle a insisté sur l'urgence à construire un « Chili plus juste » et promis que « plus jamais une minorité ne fera taire la majorité ».
50 RÉFORMES EN 100 JOURS
Au cours de sa campagne, Michelle Bachelet a promis de mettre en marche dans les cent jours après son élection un ambitieux programme de cinquante réformes, fondé notamment sur une révision de la Constitution de 1980 héritée de la dictature. Une réforme fiscale, avec une hausse de l'impôt sur le bénéfice des sociétés de l'ordre de 8 milliards de dollars (3 % du PIB), doit aussi permettre une refondation du système éducatif pour instaurer une éducation publique de qualité, l'amélioration du système de santé et des services publics.
Lire la note de blog : Présidentielle au Chili : les étudiants dénoncent « l'éducation lucrative »
La nouvelle présidente du Chili hérite d'un pays un peu essoufflé par le ralentissement de l'économie mondiale, un recul des investissements et la baisse des prix du cuivre, dont il est le premier producteur au monde. Mais l'économie chilienne reste solide, avec une croissance entre 3,75 % et 4,75 % prévue pour 2014. Le revenu par habitant a dépassé le seuil des 20 000 dollars, ce qui en fait le plus élevé d'Amérique latine.
Des partisans de Michelle Bachelet lors du second tour de la présidentielle, le 15 décembre au Chili. | AP/Jorge Saenz
Après un premier mandat (2006-2010) achevé avec une popularité record, l'ex-présidente socialiste n'avait pu immédiatement se représenter, la Constitution interdisant d'exercer deux mandats consécutifs. Elle avait alors été nommée directrice exécutive de l'ONU Femmes, où elle a pu, à New York, étoffer son bagage diplomatique. Rompant avec le style figé de la classe politique traditionnelle, la présidente s'était fortement engagée en faveur des droits des femmes dans un pays ultraconservateur, où l'avortement est interdit et où le divorce n'a été légalisé qu'en 2004.
UN PARCOURS MARQUÉ PAR LA DICTATURE
Mme Bachelet et Mme Matthei, qui s'affrontaient dans un duel électoral féminin sans précédent en Amérique latine, ont la particularité de partager un passé commun. Filles de généraux de l'armée de l'air qui étaient des amis proches, elles ont partagé les jeux de l'enfance et l'ambiance familiale d'une base militaire. Mais, lors du coup d'Etat qui a installé la dictature d'Augusto Pinochet en 1973, Alberto Bachelet fut arrêté et torturé à mort pour sa fidélité à l'égard du président déchu Salvador Allende. De son côté, Fernando Matthei a rejoint la junte militaire.
Après la mort de son père, Michelle Bachelet poursuit ses études de médecine, tout en aidant secrètement des personnes persécutées par le régime militaire. En janvier 1975, elle est arrêtée avec sa mère par les services secrets, qui les conduisent au centre de Villa Grimaldi, où les deux femmes sont torturées. Libérées fin janvier, mère et fille s'exilent en Australie, puis en Allemagne de l'Est. Dès 1979, elle est de retour au Chili où elle obtient son diplôme de chirurgien, et travaille pour une ONG qui soutient les enfants de victimes de la dictature.
Après la transition démocratique de 1990, Mme Bachelet s'engage comme médecin du service public, tout en étudiant la stratégie militaire et les questions de défense. En 2000, elle est nommée ministre de la santé, puis deux ans plus tard ministre de la défense par Ricardo Lagos. Là, elle travaille au dialogue entre civils et militaires, dans un pays aspirant à une réconciliation nationale après les années de plomb de la dictature. C'est le début d'une popularité jamais démentie par la suite.
(転載ここまで)
●Le Figaro - Actualités
Michelle Bachelet retrouve la tête du Chili
http://www.lefigaro.fr/international/2013/12/16/01003-20131216ARTFIG00305-michelle-bachelet-retrouve-la-tete-du-chili.php
Mis à jour le 16/12/2013 à 08:35
Publié le 16/12/2013 à 08:12
Michelle Bachelet, dans son discours de victoire a insisté sur l'urgence de construire un «Chili plus juste».Crédits photo : Luis Hidalgo/AP
Sans surprise, l'ex-présidente a été élue triomphalement avec 62% des voix. Plébiscitée pour son programme ambitieux de réformes, elle a promis de mener « enfin les grandes transformations » dont le Chili a besoin.
Après ses près de 47% lors du premier tour de novembre, sa victoire écrasante faisait peu de doute. Trois ans après la fin de son premier mandat, la première présidente du Chili Michelle Bachelet a retrouvé la tête du pays dimanche. L'ex-chef de l'Etat a recueilli au second tour de la présidentielle 62% des voix contre 37,8% pour la candidate de la droite Evelyn Matthei.
Evelyn Matheia félicité en personne sa rivale. Crédits photo : Campaign of Michelle Bachelet/AP
Celle-ci a d'emblée reconnu la victoire de Michelle Bachelet lui adressant ses félicitations. Pour sa part, le président sortant Sebastian Piñera a appelé la nouvelle présidente en direct à la télévision, une tradition républicaine prisée au Chili. «Vous avez obtenu une grande victoire», a déclaré Pinera qui avait lui-même succédé à Bachelet en 2010, «et je voudrais vous souhaiter le plus grand succès». Il lui a promis «une attitude constructive, patriotique car malgré nos différences, nous voulons la même chose: le meilleur pour le Chili».
Elue sur un programme ambitieux de 50 réformes, à mettre en vigueur dans les 100 jours suivant son investiture le 11 mars, Michelle Bachelet a promis de mener «enfin les grandes transformations» dont le Chili a besoin. Le pays, dont l'économie croît à un rythme annuel supérieur à 5%, connaît un développement spectaculaire depuis vingt ans qui a permis des avancées considérables sur la voie d'une éradication de l'extrême pauvreté, mais les inégalités persistent parmi ses 16,6 millions d'habitants. Elles furent au cœur du mouvement de contestation étudiante de 2011. Les nouveaux leaders du mouvement ne sont pas acquis à Michelle Bachelet et n'avaient pas appelé à voter pour elle.
Réformer en conservant le sérieux budgétaire
Michelle Bachelet, dans son discours de victoire a insisté sur l'urgence de construire un «Chili plus juste». «Ça ne va pas être facile, mais quand a-t-il été facile de changer le monde pour l'améliorer?» a-t-elle admis. Son programme est fondé sur une révision de la Constitution de 1980 héritée de la dictature, une réforme fiscale envisageant une augmentation de l'impôt des sociétés de l'ordre de huit milliards de dollars (3% du PIB) destinée notamment à une refondation du système éducatif et à l'amélioration du système de santé et des services publics. Michelle Bachelet, à qui la Constitution interdisait de briguer un deuxième mandat consécutif en 2010 malgré sa forte popularité, s'est toutefois engagée à maintenir le sérieux budgétaire qui caractérise le Chili depuis le début des années 1990.
La mise en œuvre de ses projets dépendra en grande partie du rapport des forces au Congrès. Sa Nueva Mayoria (nouvelle majorité) a remporté les législatives qui se sont déroulées en même temps que le premier tour, sans toutefois atteindre la majorité absolue. Or, si la majorité simple suffit à modifier la fiscalité, une majorité qualifiée est en revanche requise pour réformer l'éducation et le code électoral.
Pour la droite chilienne, l'élection de dimanche annonce une période de reconstruction. Elle réalise le plus mauvais score de son histoire mais Evelyn Matthei partait dans les pires conditions. Elle a été investie à la dernière minute, après une cascade de retraits de caciques de la droite. Elle a également souffert de l'impopularité du président sortant Sebastian Piñera et des liens passés entre sa famille et la junte d'Augusto Pinochet, son père étant général.
Michelle Bachelet retrouve la tête du Chili
Sans surprise, l'ex-présidente a été élue triomphalement avec 62% des voix. Plébiscitée pour son programme ambitieux de réformes, elle a promis de mener « enfin les grandes transformations » dont le Chili a besoin.
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(転載ここまで)
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>返済できずに破産かもしれないネ
ホリエ某は、ジミンpowwwwwwwwered by 財界& assssssssssisted by 電通 がいる限り、そうはならないでしょうね(憤怒)
ass津木野宇佐儀全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。補足です。 インドネシアにおける共産党員虐殺の主体には,イスラム法学者もいました。必ずしも共産党員及びそのシンパが犠牲になっただけでなく,中国人も犠牲になりました。軍が武Takeshi欧日間の経済連携協定で、欧州連合が人権後進国日本に「人権条項」を要求するのは当然である。天賦人権論最近の記事のコメント欄では脈絡がないので、村野瀬玲奈と天賦人権論を検索ワードにして出てきた記事にコメントします。
「こどもには権利も義務もない」と言っている地方kuroneko個人経営の餃子屋さんへの堀江貴文による誹謗中傷に法の裁きを。この方は、大阪万博の特別顧問だそう。ライブドアceo時に証券取引法違反で逮捕された前科。ロケット打ち上げ失敗の融資先はたぶん政府系金融機関でしょう?返済できずに破工作員z「まるで中国、北朝鮮」と言うのではなく、「まるで大日本帝国」と言おう。北朝鮮への帰還事業から65年 北朝鮮への帰還事業は1959年12月14日に新潟港から出発したのが第一陣で,2024年12月14日には65年を迎えました。当時朝鮮人は日本社会において貧困と差別に苦しみ,「地上Takeshi政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しいNo title来年は確か統一地方選挙もあるので、「地獄逝こう」と立憲で有名人を候補に擁立する猟官運動の類が頻発しますね。
「頭数にしかならんだろ」と冷めた目で見ています。今井アンドリュー・バルトフェルド政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい体育会系芸能人はともかく、スポーツ選手つまり体育会系エリートは、割と自民党に近い思想を持っていると思います。
体育会系は軍隊であり、そこに民主主義などありませんから。怒りの日政治を知らないスポーツ選手や有名人の自民党からの選挙出馬が悲しい打越さくらvs中村真衣か オリンピックでのメダル受賞者の自民党議員となると,堀井学や橋本聖子のようにかんばしくない人を思い出します。中村真衣さんは早くから自民党の参議院議員になりたいとTakeshi全国民のための正しい政治を求めることは「共産主義的な物言い」だとする石原伸晃の発言が、「政治は自民のもの」という自民党の基本姿勢をよく示していた。インドネシアにおける共産党員大虐殺インドネシアは17500の島から成り,人口は2億3500万人。300の民族から成り,365の言語が話されています。留学生のリクルートのためにジャカルタに出張したとき,インドネシTakeshiハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)No titleトピズレすみません
山口放送制作のNNNドキュメント「アボジが眠る海」は必見です
山口県宇部市の長生炭鉱の惨事は、恥ずかしながら、知りませんでした津木野宇佐儀ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)ハン・ガンさんの小説が尹錫悦大統領の弾丸を求めるデモに参加した若者曰く「今までデモに参加したことはなかった。でもハン・ガンさんの小説を読み光州事件のことを知り民主主義の危機を感じたの閉口ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)民主主義の勝利ハン・ガンさんの韓国でクーデターを起こして失敗した尹錫悦大統領への弾劾訴追案が一昨日(14日)可決されました。
心より歓迎したいと思います。
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しかし原発は核兵器の開発のためにつくられた悪しきものです。
さらにウラン採掘から運転・廃炉、廃棄物処閉口島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。危険だとわかりきっている原発が避難計画の策定が不十分の中、島根原発が再稼働されました。
これは暴挙そのものです。
一時盛り上がりをみせていた脱原発の声はすっかり下火になってしまいました。
なり閉口修学支援新制度において、成績要件によって機械的に支援を打ち切ることは低所得家庭の学生の学びと人生を危機にさらす偏った富を吐かせるもちろん、無償化は「学費」だけでなく、教育全般の無償化です
「GDP」では中国に続き、さらにドイツに抜かれましたが
まだまだ経済「大国」日本にはそれくらいの富はある津木野宇佐儀玉木雄一郎ドヤ顔の公約「手取りを増やす」は「玉木を衒いて石を売る」行為ではないか (国民民主党への強い疑問 (3)) #国民民主党に騙されるな #玉木雄一郎に騙されるな予想。給与所得控除55万円はいじれない。特定扶養控除での調整か年少扶養控除の復活かでしょう。柿ノ木扇蔵ハン・ガンさんのノーベル文学賞授賞講演のテキスト (メモ)疑問:M上青樹にどんな演説ができるのか??…∞またまたトピズレ、すみません
ここ何年か、過剰に喧伝され続けてきた某M上ペラ樹氏のノーベル賞受賞…
彼には絶対にない!
それより、生前に谷川俊太郎さんが受賞されてい津木野宇佐儀「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい」 (被団協、田中熙巳(てるみ)代表委員、2024年ノーベル平和賞授賞式で)No title 田中熙巳さんが日本政府が原爆被害者への国家補償をかたくなに拒んでいることを批判したことについて、ネットでは「補償ならアメリカに求めろ」とか「結局は金か」と罵倒クテシフォン島根原発再稼働。大事故が起こったら日本政府も自民党も電力会社も誰も責任を取らないのに。鼻先の馬は必死、目先のジジイ・オヤジは「一代主義」の「お主も悪よのう」福島原発事故でまき散らされた放射能はしばらくしてドイツでも観測されたそうですし、海洋汚染もアメリカに到達しています。
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「ゴメンで済んだら警察いらん」と言いますが、まだきちんと「ゴメン」も済ませていないニッポソ…
いつになったらアジア全土で津木野宇佐儀論外取締役デマ工作についての最初のぬるい謝罪を批判されてやっと「沖縄の方々」に謝罪した弘兼憲史と講談社。しかし、まだ問題は残っています。 @morningmanga @KODANSHA_JP講談社は滅ぼされて然るべき理由を自分で作っている一つ
ワニブックスを買収したこと。私としては「アイドルのグラビア雑誌などの収入でヘイト本を作っている」扱いなので「やっちまった」という感があります。
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大阪空港騒音公害訴訟上Takeshi婚外女性を玉木の輿に乗せて、自分に都合が悪くなったら切り捨てた #玉木雄一郎に騙されるな #玉木代表の議員辞職を要求する #国民民主党に騙されるな橋下徹のずれた発言橋下徹が小泉みゆき嬢を国民生活党で職員として雇うことを提案したそうです。いくら不倫を擁護するにせよ、橋下徹の発言はやはりずれています。Takeshi玉を衒いて維新を売る立憲民主党の誤り @edanoyukio0531 @izmkenta @okada_katsuya @nagatsumaakira @tsujimotokiyomi @OogushiHiroshi @junyaog @kikuta_official @s_mizuoka @shigetoku2 @hirofumi_ryu @sokuno2 @masayo_tanabu @saito_yoshitakaNo title 野田代表の政治センスの無さは相変わらずのようです。一応リベラルな政党という事になっている立憲民主党がバリバリ保守の維新の会と組めば政党の理念が死んでしまいますクテシフォン新型コロナウィルス感染症は終わっていません。不織布マスク着用による最大限の予防を。 #感染症から子どもを守れ #学校園は流行期の対策をNo titleさらに「リンゴ病」も流行っているそうですね。
本当に油断できません。
以前購入したN95マスクとゴーグル、一度、最寄りの政令指定都市に行ったときに使ったきりですが、津木野宇佐儀新型コロナウィルス感染症は終わっていません。不織布マスク着用による最大限の予防を。 #感染症から子どもを守れ #学校園は流行期の対策をNo title「コロナはまだ終わってない」と吐き捨てたくなるときがあります。
それに「インフルエンザ」と「マイコプラズマ肺炎」が終息するどころか「これからじゃないか」と間違いアンドリュー・バルトフェルド