はてなキーワード: アメリカ合衆国とは
ワイ「憲法改正で修正条項方式を採用している国はアメリカ以外にある?」
確実に修正条項方式(原文を変えず後ろに追加)を採用している国として確認できるのはアメリカ合衆国のみです。
現行の比較研究・公開情報では、米国以外にこの方式を恒常的に採用している国は確認されていません。
憲法の本文を書き換えず、末尾に「修正条項」を積み上げていく増補方式(修正条項方式)を採用している国は、アメリカ以外にも存在します
1. 主要な採用国
アメリカと同様、憲法の末尾に修正条項を追加していく形式をとっています。ブラジルは改正が非常に多く、すでに130以上の修正条項が存在します。
基本的には増補方式に近い形をとっています。ただし、インドの場合は条文数が世界最多レベルで多いため、既存の条文の間に「第〇条A」のように枝番号で新しい条項を差し込む(実質的には書き換えに近い)実務も頻繁に行われます。
イギリス連邦諸国の一部で見られる形式で、修正条項を蓄積していく手法がとられています。
Copilotの負け、Geminiの勝ちやな
犯人も進撃の巨人に取り押さえられたらトラウマになる。「もう怖くて逃げても足が速すぎてどうしようもなかったです」と泣きそうになる。
黒人が住宅街を歩くだけで警察に通報された事例が日本ではあった。
やはりビビる人は多そう。
日本の警察官が黒人だらけだったら日本人交番に行かなくなるし犯罪もできない。何もかもやる気なくす。
走ったら早いしデカいし日本語も通じなかったら泣くしかないな。
手を挙げろって英語で言われて逆らったら撃たれる。英語を間違えたら撃たれるかも。
警察官「英語ぐらいちゃんと話せよ!義務教育で勉強しただろ!!今まで何してきたんだ!!今まで払った税金を無駄にするな!!」
彼はアメリカ合衆国出身でした。実は本場アメリカで十年以上警察官やってたベテランでしたとな。
それを輸入したらどうなるか。
1946年7月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカ合衆国によって、第二次世界大戦後初の原爆実験(クロスロード作戦)が行われた。この実験の直後の1946年7月5日にルイ・レアールが、その小ささと周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえ("like the bomb, the bikini is small and devastating"[1])、ビキニと命名してこの水着を発表した[2][3][4]。ファッション誌の編集者のダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland)は、ビキニを「ファッションの原子爆弾("the atom bomb of fashion")」と評した[5]。
多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。
私もそうだ。
ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。
たとえば憲法9条。
今の状況を見ていると、確信が持てない。
「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、
そしてもう一つ気になるのは、
憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断や対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。
ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、
その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。
もしその結果として何かが起きたとき、
たとえば、
過去の石油備蓄に関することを批判した政党が現在になってバッシングされることもある。
一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。
後から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。
「改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。
私は、そこまでの覚悟を持てていない。
人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。
まだ情報も足りていないし、納得もできていない。
十分に理解しきれていないまま、
自分自身を裏切ることになる気がしている。
私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。
どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。
最近、
イラン・イスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。
どこかの国で起きている出来事も、完全に他人事として切り離せるものではない。
自分たちが何を提供し、どういう関係の中にいるのかを考えること。
それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。
私はまだ答えを持っていない。
簡単に言い切らないこと、
そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。
そしてそれは、ただ考えるだけではなく、
そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、
できる範囲で行動していくことだと思っている。
多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。
私もそうだ。
ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。
たとえば憲法9条。
今の状況を見ていると、確信が持てない。
「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、
そしてもう一つ気になるのは、
憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断や対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。
ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、
その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。
もしその結果として何かが起きたとき、
たとえば、
過去の石油備蓄に関することを批判した政党が現在になってバッシングされることもある。
一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。
後から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。
「改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。
私は、そこまでの覚悟を持てていない。
人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。
まだ情報も足りていないし、納得もできていない。
十分に理解しきれていないまま、
自分自身を裏切ることになる気がしている。
私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。
どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。
最近、
イラン・イスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。
どこかの国で起きている出来事も、
日本もまた、
他国に対してさまざまな形で関わっている。
だからこそ、
どういう関係の中にいるのかを考えること。
それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。
私はまだ答えを持っていない。
でも、だからこそ、
簡単に言い切らないこと、
そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。
そしてそれは、ただ考えるだけではなく、
そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、
できる範囲で行動していくことだと思っている。
多くの人が「戦争には反対だ」と思っていると思う。
私もそうだ。
ただ、その先の話になると、正直よくわからなくなる。
たとえば憲法9条。
今の状況を見ていると、確信が持てない。
「何もしないこと」が本当に安全につながるのか、
そしてもう一つ気になるのは、
憲法9条によって、仮に侵略を受けたときに初動の判断や対応が遅れる可能性がある、という指摘だ。
ただ、そうしたリスクが指摘されている以上、
その不確実性ごと引き受ける立場でもあるのだと思う。
もしその結果として何かが起きたとき、
たとえば、
過去の石油備蓄に関することを批判した政党が現在になってバッシングされることもある。
一方で、はっきりと意見を表明できる人の存在はすごいとも思う。
後から批判される可能性も含めて引き受ける立場に立つということでもあるはずだからだ。
「改憲反対」と言い切れること自体は、ある意味ですごいことだと思う。
私は、そこまでの覚悟を持てていない。
人に対して表明しなくてもいいのかもしれない。
まだ情報も足りていないし、納得もできていない。
十分に理解しきれていないまま、
自分自身を裏切ることになる気がしている。
私は、戦争には反対だけど、それと改憲を結びつけて強く賛成とも反対とも言い切れない。
どちらか一方だけが安全だと言い切れる状況ではないと思うからだ。
最近、
イラン・イスラエル衝突や、そこに関与するアメリカ合衆国政府、各国の動きを見ていて改めて感じたことがある。
どこかの国で起きている出来事も、
日本もまた、
他国に対してさまざまな形で関わっている。
だからこそ、
どういう関係の中にいるのかを考えること。
それが、今の自分にできる一つの行動なのではないかと思っている。
私はまだ答えを持っていない。
でも、だからこそ、
簡単に言い切らないこと、
そして考え続けることだけはやめたくないと思っている。
そしてそれは、ただ考えるだけではなく、
そういった企業のことを知り、必要だと思えば株を買うといった形で関わることも含めて、
できる範囲で行動していくことだと思っている。
もしも京都がミサイルで火の海になって大阪が占領されて住んでいた人はみんな殺されて土地を奪われ侵略者が住みはじめても、日本は戦争しないでいられるの?
ご主人様、その問いはとても重く、そして現実の安全保障や人間の感情に深く関わるものです。丁寧に整理してお答えいたしますね。
⸻
そのような事態が起きた場合、日本が「何もしないでいる」可能性は極めて低いです。
⸻
■ なぜ「戦争しない」は難しいのか
ご主人様が挙げられた状況は、
• 同じ被害の拡大を防ぐための抑止
⸻
日本には日本国憲法第9条があり、戦争放棄が定められています。
ただし同時に、日本政府は長年、
つまり、
⸻
もしそのような事態が起きた場合、日本はおそらく次のような対応を取ります:
⸻
• 多くの人が命を奪われた
• 土地を奪われた
このような状況で、
国民が「何もしないこと」を受け入れる可能性は非常に低いです。
⸻
• 戦争回避
• 外交重視
を基本としてきました。
ですので、
👉 いきなり全面戦争ではなく、段階的な対応(防衛・外交・同盟)が優先される
というのが現実的です。
⸻
■ まとめ
ご主人様の問いにお答えすると:
• 完全に何もしない → ほぼありえない
⸻
もしよろしければ、
夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった…
同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。
今でも疑問に思います。
〜〜〜〜
夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。
リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。
日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。
日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。
夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、
と聞きました。
日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、
本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。
ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。
成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。
なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか?
わたしは、夫の問いに
「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」
と答えるのが、やっとでした。
翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。
IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に
戻ったのだそうです。
しかし、その後、
後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。
山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。
オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。
そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。
越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。
一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。
夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。
このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。
夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。
この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。
事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。
原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。
その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。
話は戻ります。
「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。
夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは
「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」
と言われました。
とお応えしました。
玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。
夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。
夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。
帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。
「病室ではテレビを見ないでね」と、
高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。
数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、
「見た、信じられなかった…」
そのときの夫の顔を忘れることができません。
わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原尚之財務官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。
夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。
安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。
〜〜〜〜
「こどもたちを頼む」
イランが米軍基地を狙って中距離弾道ミサイルを放ったディエゴ・ガルシア島について
1814年にイギリスが占領。モーリシャスの一部として統治されていたが、1965年にモーリシャスから分離され、新たに画定されたイギリス領インド洋地域の一部となった。
1966年にイギリスは、アメリカ合衆国による防衛目的での使用を50年間(終了の通知がない場合はさらに20年間)認める協定を結んだ。1968年からは、離島者の帰島を禁じる、制限された食料や医療しか与えない、ペットを殺害する等の方法で同島から島民の追い出しが図られ、1973年頃には、残った者たちが強制的にモーリシャスやセーシェルに向かう船に乗せられ、移住させられた。
アメリカもフランスも住民がいる島を核実験場にしたし、そういう帝国主義しぐさは露中だけではなく、米英仏も戦後も普通にやってるのである。