はてなキーワード: きれいなとは
https://anond.hatelabo.jp/20260507151629
1982年に設立された協栄流通株式会社(コープデリ生活協同組合連合会100%出資の完全子会社)は、当初からコープグループの物流全般(店舗物流・共同購入・宅配集品など)を担っていました。
2016年1月、協栄流通から宅配事業を分離・分社化して株式会社トラストシップ(同100%出資の完全子会社)が設立されました。 表向きの目的は「宅配事業の専門化・効率化」でした。実質的には親会社とは異なる労務管理・賃金体系を運用するスキームとして機能しています。
以下に、子会社(トラストシップおよび協栄流通)と親会社(コープみらい/コープデリグループ)の労働環境格差 を確認します。転職・口コミサイトからの実際の発言を引用しています。
• 「量によっては休憩が取れない為生理の時はトイレにも行けなかった。生理休暇が設けられているのでそこは良いなと思った。」(OpenWork)
• 「休憩したら荷物のお届けが遅れてクレームが入り、ボーナスに響くし、定時に帰れないので基本休憩なし。」(Jobtalk)
• 「しっかりお昼休憩1時間取るように言われるが、配達中にそんな時間はないので、休憩なしで配達する人がほとんど。」(Jobtalk)
• 「毎日60〜70件は当たり前に配達する。まともに休憩も取れません。」(Indeed)
• 「業務量が多く、時間に追われた配送。体力に自信がなく、テキパキ効率良く動くのが苦手だとかなり厳しい。」(Indeed)
• 「仕事量が多く休憩時間もほとんど取れていません。その状況を承知の上で経営陣の方々は何も改善しようとはし…」(OpenWork)
• 「とにかく体力勝負。配達の件数・物量は他の生協にくらべおよそ1.5倍程あると思います。」(Jobtalk)
• 「1人で1コースを担当するため……夏場の暑い日に熱中症の危険性をはらみながらの仕事となるため体力勝負な面もある。」(Yahoo!しごとカタログ)
• 「完全にブラックです。休憩とれない、営業イケイケ、体制整ってないと有給とれない…」(Jobtalk)
• 「繁忙期は毎日残業(1時間半~2時間程)。休憩時間は午前10分、お昼30分…」(Indeed)
• 「休憩は60分を3回に分けてとり、小刻みに休憩があるので作業は集中して行えているような気がするが、まとまった休憩はないので身体はあまり休まらない。」(en-hyouban.com)
• 一方で「残業月20時間程度と少なめ」「人間関係が良い」「休暇が取りやすい」というポジティブな声も比較的多く、トラストシップよりはマイルドな環境という評価が一定数あります。
コープみらい本体の正社員向け福利厚生(公式採用ページ): 年間休日117〜120日、奨学金返済支援、借り上げ社宅、確定拠出年金、退職金、通信教育支援、保養所利用補助など多様な制度が整備されています。
これに対し、両子会社とも「給料水準は比較的高い」という声はある一方で、現場の過酷さ(特にトラストシップの休憩なし・トイレ我慢構造)と運転手/作業員固定のキャリアが目立つ口コミが多数見られます。
ブランド・イメージ・福利厚生の「きれいな部分」は親会社が保持し、過酷な労務リスクは子会社(特に宅配を担うトラストシップ)に集中させる構造が見て取れます。
https://mirai.coopnet.or.jp/info/2026/05/082280.html
この公式発表(2026年5月6日付)で最も意図的にぼかされ、かつ戦略的に構成されているのが、
事件の当事者を「配送委託先の従業員」と繰り返し表現し、当該従業員への処分・教育は「配送委託先より厳正に対処」と明記。労務環境の問題も「配送委託先とその従業員」中心に語られています。
「当生協が責任をもって点検・確認してまいります」「組織全体の問題として真摯に受け止めております」「組織を挙げて」「当生協を含む組織全体」といった表現を多用。 再発防止策でも「当生協が責任をもって…」と、監督者・最終責任者としての姿勢を強く打ち出しています。
・外部の独立企業ではなく、グループ内の「内部委託」に極めて近い存在です。
・車両・制服・ロゴは親会社(コープみらい)のブランドで完全統一され、顧客は「コープみらいの配達員」と認識します。
・しかし雇用主・労務管理責任は子会社に置かれ、本体正社員とは異なる賃金体系・労働条件・休憩運用が適用されています(分社化の目的そのものがこの柔軟運用でした)。
発表では「委託先だけの問題ではない」と一応認めつつ、親会社は「監督を強化する善良な管理者」というポジションを維持しています。 これにより:
• 顧客感情としては「コープ本体がしっかり対応してくれている」と安心させる
• 実際の構造的問題(専用業務による過密スケジュール、休憩確保の困難さ、運転手固定の待遇格差)は深掘りされない
• 万一さらに問題が起きた場合も「委託先の運用不備」として距離を置きやすい
生協という「組合員のための互助組織」という理念を掲げながら、親会社はきれいな看板を守り、子会社に汚れ仕事を任せるという二重基準。これが今回の発表の最も本質的な「書かれていない側面」です。 公式文書として「書ける範囲」を最大限に利用した、極めて計算されたイメージ戦略と言えます。
習慣は力、とかそういう自己啓発本あるだろ?
そゆうのをさ、読んでて決めたんだ。
家の中で立ち上がるたびに掃除機をかける。
いわゆる汚部屋というやつだ。
何一つ片付いてなくていろんなものが山のように積み上がってて何とかしないといけない、なんてこともとっくに諦めてて、このままなんだな、と思ってた。
そういうやつに限っておかしなことに外では仕事場では勤勉で片付けとかすごいやってるんだ。
でも家の中は無茶苦茶。
なんでなんだろうな。
少し酔っぱらってたある日。
仕事から帰ったら家の前にデカい箱が置いてて、配達員が何か間違ってるんだろ?と思って宛名を見たら間違ってなかった。
なんだこれ?
と思って箱を開けたら掃除機だった。
ああ、なんとなくうっすらと思い出した。
確かにこの掃除機には見覚えがあるし、ワンクリックで注文したような気もしてきた。
返品するか?と思ったが、たぶんそういうことはできないだろうな、何日も置きっぱなしにして、結局返品期限が切れるだけだとわかったから諦めてて箱を開けた。
でもこれ使わないだろうな。
何年も前に買った三菱の掃除機も10回くらい使ったきりでどこへ行ったのかわからない。
埃まみれの部屋が少しだけきれいになった。
駄目なんだ。
でも家では無理なんだ。わかってる。
習慣にするといいらしいな。
そんなことはしってる何年も前から。
じゃ、やればいいだろ。
おまえ立ち上がるたびに掃除機かけろよ、やれよ。
そうか、じゃやるよ。
最初は狭い範囲だった。部屋の中の最小限暮らせるスペース、年々狭くなるそのスペースだけだった。
あと家だと無理だけど外だと出来るんだ。
外だとキレイ好きだと思われてるんだ。
ただ家だと無理だっただけで。
立ち上がるたび掃除機をかける。
部屋の中の暮らせるだけの最小限のスペースでは掃除機をかける範囲が狭いからその頻繁な回数に耐えきれない。
そういうことをやっていった。
外だとやるタイプだから別に体を動かすのが嫌いなわけじゃないんだ。
ただ家だと出来なかっただけで。わかるだろ?
そのうちに粗大ゴミを発掘できるようになった。
それまでこんがらがりすぎててなにを捨てたらどう捨てたらいいのかがわからなかったものが化石を発掘するみたいな感じで、ここのこれを袋に入れて捨てろと命じてくるようになった。
おいこれ捨てるのか?
捨てるんだよ、ゴミだろそれ。
そうか捨てるのか、と捨ててった。
物事というのはコツコツとやってくとある日よくわからないけれど何かが変わる瞬間がある。
ああこれ全部捨てればいいんだなとわかった。
半年、いや7ヶ月か。
先週に大型ゴミの回収に来てもらって片がついた。
部屋の中のスペースはぜんぶ暮らせるスペースになった。
いや、冗談じゃないんだ。本当になんだ。
外だとやるやつなんだよ。わかるだろ?
会議の議事録作成の省力化のために、高精度なAIを搭載した自動文字起こし・議事録作成ツールが導入された。会議のリアルタイム文字起こしや、録音データがアップロードされ、議事録作成時間を大幅に短縮できるはずだった・・・
それなりの精度で文字起こしされるのだが、専門性の高い発言の文字起こしには人間のチェックが必要とされる。人力文字起こし時代は、若手が主体となり、意味不明な発言や冗長な発言は削除又は要約される傾向があった。なぜなら、上司のチェックで質問されても困るからで、程よく短くまとめられていた。しかし、AIを用いた文字起こしツールは意味不明の発言も含めて膨大な議事録を作成する傾向がある。作成担当の若手も、よく読むと意味が通じない議事を削除せずに決裁を回すようになってしまった。そこで仕事が増えるのが議事録を推敲する中堅である。きれいな日本語を話す会議参加者の発言はAIで議事録になるが、特に役付きの管理職は話し言葉全開で喋るのでAIがきれいな日本語にできないものが多い。今回の会議は特にひどかった。要約すると短くなる発言が何行にも渡って口語で記録され、それをゴーストライターが言語化するのに似ている。
何より残念なのが、いままでは若手の議事録作成とともに培われた読解力と文章作成能力のOJTが、文字起こしツールの導入でほとんどOJTとはならなくなってしまったことだ。若手が理解しないまま事業が進行して契約先への説明もフォローが必要になるのだろう。頭が痛くなる。
BLは今や日本最大級のサブカルチャーの一つであり、明確に少女漫画市場のスピンアウトとして成立しています。一方、現実のゲイ雑誌は「猥雑で嫌悪感を誘うもの」として、主流社会から依然として距離を置かれ続けています。このコントラストは、現代日本の性的表象における力関係を示しています。
• 「妊娠のリスクがない」「男性同士だから対等に見える」という安全装置を備えつつ、少女漫画的「運命的な恋」「守られる喜び」「激しい独占欲」をそのまま再現している。
• だからこそ、巨大市場化に成功した。商業BL、二次創作、ドラマ化、グッズ、海外展開(特に中国danmei経由)と、経済的・文化的拡大が止まりません。
◦ 筋肉、毛深さ、臭い、性器、年齢差、S/M、熊文化など、生物的・肉体的なフェティシズムが前面に出る。これはヘテロ男性にとっても「同性愛=生々しい肉欲」というイメージを強く植え付け、生理的な拒絶反応を呼びやすい。
• 結果として、ゲイ雑誌は「下品」「猥褻」「理解しがたい」とされ、主流メディアや一般社会から排除され続けています。
◦ BLは「きれい」「ロマンチック」「感情的」で、猥雑さが薄められている。
◦ 「かわいい二次元男子が恋愛している話」として、抵抗感が低い。
◦ 「ゲイといえばBLみたいな綺麗な恋愛」というイメージが定着することで、現実のゲイの多様性(肉体フェティシズム、日常の性的文化など)が「異常」「どぎつい」とさらに疎外される。
◦ 「おっさんずラブ」以降のBLブームは、まさにこのメカニズムを加速させました。社会は「清潔でロマンチックな同性愛」は許容するが、「生々しい同性愛」は拒絶する二重基準を強めている。
BLが巨大化すればするほど、現実のゲイ文化は「BLの理想から外れたもの」として、相対的に「不適切」「嫌悪すべき存在」に追いやられる構造になっています。
BLは少女漫画の論理を男性同士に拡張した巨大で安全な幻想市場であり、 ゲイ雑誌は男性の肉体を直接消費する生々しく不快な現実市場として、明確に格差がついています。
むかしむかし、あるところに、ちいちゃくて、かわいい女の子がいました。それはもう、たれだって一目見ただけで、ほんわか心が和むような、そんな子でした。でも、たれよりもかれよりも、この子のおばあさんほど、この子をかわいがっているものはいませんでした。この子を見るたび、おばあさんは胸がいっぱいになって、なにもかもやりたくてやりたくて、いったい何をしていいのかわからなくなるくらいでした。それで、あるとき、おばあさんは赤いびろうどで、この子にずきんをこしらえてやりました。すると、それがまたこの子にぴったり似合って、もうほかのものは何もかぶらないと決めてしまいました。そこで、この子は赤ずきんちゃん、赤ずきんちゃんとばかり呼ばれるようになりました。ある日、おかあさんはこの子を呼んで言いました。「さあ、ちょっといらっしゃい、赤ずきんちゃん。ここにお菓子が一つと、ぶどう酒が一瓶あります。これをおばあさんのところへ持っていらっしゃい。おばあさんはご病気で弱っていらっしゃるけど、これをあげればきっと元気になるでしょう。それでは、あつくならないうちにお出かけなさい。それから、外へ出たら気をつけて、お行儀よくしてね。やたらに知らない横道へかけだしていったりなんかしないのよ。そんなことをして転びでもしたら、せっかくの瓶が壊れるし、おばあさんにあげるものがなくなってしまうからね。それから、おばあさんのお部屋に入ったら、まず『おはようございます』を言うのを忘れずにね。入るなり、いきなり部屋の中をきょろきょろ見回したりなんかしないでね。」「そんなこと、あたしちゃんとよくしてみせるよ」と、赤ずきんちゃんはおかあさんにそう言って、指切りしました。ところで、おばあさんのおうちは村から半道離れた森の中にありました。赤ずきんちゃんが森に入りかけますと、おおかみがひょっこり出てきました。でも、赤ずきんちゃんは、おおかみってどんな悪いけだものだか知りませんでしたから、別に怖いとも思いませんでした。「赤ずきんちゃん、こんにちは」と、おおかみは言いました。「ありがとう、おおかみちゃん。」「たいそう早くから、どちらへ。」「おばあちゃんのところへ行くのよ。」「前掛けの下に持ってるものは、何?」「お菓子とぶどう酒。おばあさん、ご病気で弱っているでしょう。それでお見舞いに持ってってあげようと思って、きのうおうちで焼いたの。これでおばあさん、しっかりなさるわ。」「おばあさんのおうちはどこさ、赤ずきんちゃん。」「これからまた八、九町歩いてね、森の奥の奥で、大きなかしの木が三本立っている下のおうちよ。おうちのまわりにくるみの生垣があるから、すぐわかるわ。」赤ずきんちゃんはこう教えました。おおかみは心の中で考えていました。「わかい、やわらかそうな小むすめ……こいつはあぶらがのって、おいしそうだ。ばあさまよりは、ずっと味がよかろう。ついでに両方いっしょに、ぱっくりやる工夫が肝心だ。」そこで、おおかみはしばらくのあいだ、赤ずきんちゃんとならんで歩きながら、道々こう話しました。「赤ずきんちゃん、まあ、そこらじゅうきれいに咲いている花をごらん。なんだって、ほうぼう眺めてみないんだろうな。ほら、小鳥があんなにいい声で歌をうたっているのに、赤ずきんちゃん、なんだかまるできいていないようだなあ。学校へ行くときのように、むやみとせっせこせっせこと歩いているんだなあ。そとは、森の中がこんなに明るくて楽しいのに。」そう言われて、赤ずきんちゃんはあおむいてみました。すると、お日さまの光が木と木の茂った中からもれて、そこでもここでもたのしそうにダンスしていて、どの木にもきれいな花がいっぱい咲いているのが目に入りました。そこで、「あたし、おばあさまに、元気で生き生きしたお花をさがして、花たばをこしらえて、持ってってあげようや。するとおばあさん、きっとお喜びになるわ。まだ朝は早いから、大丈夫、時間までに行かれるでしょう。」とこう思って、つい横道からその中へかけだしてはいって、森の中のいろいろの花をさがしました。そうして、一つ花をつむと、その先に、もっときれいなのがあるんじゃないか、という気がして、そのほうへかけて行きました。そうして、だんだん森の奥へ奥へと、さそわれて行きました。ところが、このあいだに、すきをねらって、おおかみはすたこらすたこら、おばあさんのおうちへかけていきました。そして、とんとん、戸をたたきました。「おや、どなた。」「赤ずきんちゃんよ。お菓子とぶどう酒を、お見舞いに持って来たのよ。あけてちょうだい。」「取っ手をおしておくれ。おばあさんはご病気で弱っていて、起きられないのだよ。」おおかみは取っ手をおしました。戸はぼんと開きました。おおかみはすぐとはいっていって、何も言わずに、いきなりおばあさんの寝ているところへ行って、あんぐり一口に、おばあさんを飲みこみました。それから、おばあさんの着物を着て、おばあさんのずきんをかぶって、おばあさんのお床にごろりと寝て、カーテンを引いておきました。赤ずきんちゃんは、でも、お花を集めるのに夢中で、森じゅうかけまわっていました。そうして、もう集めるだけ集めて、このうえ持ちきれないほどになったとき、おばあさんのことを思いだして、またいつもの道にもどりました。おばあさんのうちへ来てみると、戸が開いたままになっているので、へんだと思いながら、中へはいりました。すると、何かがいつもと変わってみえたので、「へんだわ、どうしたのでしょう。きょうはなんだか胸がわくわくして、気味の悪いこと。おばあさんのところへ来れば、いつだって楽しいのに。」と思いながら、大きな声で、「おはようございます。」と呼んでみました。でも、お返事はありませんでした。そこで、お床のところへいって、カーテンをあけてみました。すると、そこにおばあさんは横になっていましたが、ずきんをすっぽり目まで下げて、なんだかいつもと様子が変わっていました。「あら、おばあさん、なんて大きなお耳。」「おまえの声が、よくきこえるようにさ。」「あら、おばあさん、なんて大きなお目目。」「おまえのいるのが、よくみえるようにさ。」「あら、おばあさん、なんて大きなお手て。」「おまえが、よくつかめるようにさ。」「でも、おばあさん、まあ、なんて気味の悪い大きなお口だこと。」「おまえを食べるにいいようにさ。」こういうが早いか、おおかみはいきなり寝床から飛びだして、かわいそうに、赤ずきんちゃんを、ただ一口に、あんぐりやってしまいました。これで、したたかおなかをふくらませると、おおかみはまた寝床にもぐって、ながながと寝そべって休みました。やがて、ものすごい音を立てて、いびきをかきだしました。ちょうどそのとき、狩人が表を通りかかって、はてなと思って立ちどまりました。「ばあさんが、すごいいびきで寝ているが、へんだな。どれ、何か変わったことがあるんじゃないか、見てやらねばなるまい。」そこで、中へはいってみて、寝床のところへ行ってみますと、おおかみが横になっていました。「ちきしょう、このばちあたりめが、とうとう見つけたぞ。長いあいだ、きさまをさがしていたんだ。」そこで、狩人はすぐと鉄砲を向けました。とたんに、ふと、ことによると、おおかみのやつ、おばあさんをそのまま飲んでいるのかもしれないし、まだ中で、助かっているのかもしれないぞ、と思い付きました。そこで鉄砲を撃つことはやめにして、そのかわり、はさみをだして、眠っているおおかみのおなかを、じょきじょき切りはじめました。二はさみ入れると、もう赤いずきんがちらと見えました。もう二はさみ入れると、女の子が飛びだしてきて、「まあ、あたし、どんなにびっくりしたでしょう。おおかみのおなかの中の、それは暗かったらなかったわ。」と言いました。やがて、おばあさんも、まだ生きていて、はいだしてきました。もう、弱って虫の息になっていました。赤ずきんちゃんは、でも、さっそく、大きなごろた石を、えんやらえんやら運んできて、おおかみのおなかのなかにいっぱい、つめました。やがて目がさめて、おおかみが飛びだそうとしますと、石の重みでへたばりました。さあ、三人は大喜びです。狩人は、おおかみの毛皮をはいで、うちへ持って帰りました。おばあさんは、赤ずきんちゃんの持ってきたお菓子を食べて、ぶどう酒を飲みました。それで、すっかり元気を取り返しました。でも、赤ずきんちゃんは、(もうもう、二度と、森の中で横道に入って、かけまわったりなんかやめましょう。おかあさんがいけないと、おっしゃったのですものね。)と考えました。
社会人になってはや15年
新入社員の頃の自分と比べると信じられないくらい "せっかち" になっている
いい意味でね。
例えば社内、簡単な説明で済むことであれば、説明会や打ち合わせなんて組まずに
「◯時ころそっち行くんでいる人にフロアでそのまま説明していいですか?居ない人にはあとで個別で説明します」
でとにかく進める。
例えば社外、営業、電話で済むことは電話ですます。その上で、話した内容はその後ちゃんとメールする。金額に関わることは見積もり等送る。
提案なども、きれいな資料つくる時はつくるが、できるだけ減らす。メール本文や、テキストの資料で済めばそれが一番良い。
何かが立ち上がったら、今はじめられること、動けること、最短で80%済ます道なりを考える。
80%済んでいれば「ほぼ終わってます。あとこれとこれだけあとでやります」で報告も済み、報告受ける側(偉い人とか)も、「うむ。ほぼ終わってるな」と納得してくれる。
後者は「誤認と判明するまでは、自分も疑ってしまっていた」ことを認めたくないがための心理的な防衛反応だと思うんだよな。
これは増田の問いかけに対する答えにはなってないし、きれいな解決策はないのかもしれないけど、私としては「確かに、あんなふうに報道されたり、あんなデマが出回ってる環境じゃ、疑ってしまったことは無理もない話だよね、あなたの気持ちもわかるよ」と寄り添う気持ちや、寄り添う社会の空気感が必要だと思う。実際にはもちろん、デマをやすやすと信じるようなリテラシーを責めるべき面はあるにせよ、だ。
だって、心理的な防衛反応は、人間の本性だもん。そう思いたくなるのは仕方ないよ。それを認めた上でどうするか考えていこうよ。という信念。
心理的には、事前の偏向報道やデマのほうに責任を転嫁してあげることで、冤罪被疑者に鞭を打ちたくなるような感情をやわらげてあげるという仕組み。
学術の領域では、分析の作法に対してかなり厳密なことが決まっているが、企業内の意思決定に関わる分析実務では(会計などの特定分野を除き)基本的にルールがない。コンサルの分析が怪しいのはそこである。
彼らに課題が与えられると、該当企業の売上データや業界全体に関わる公開データから、魔法のように美しいデータを出してくる。その美しさは彼らが提案するストーリーに沿っているという意味での美しさである。だが、そこでの分析過程においてどのような加工が行われたのかはあまり問題とされない。よくネタにされる、グラフの描き方による誘導などではなくて、データの恣意的な選別やミスリーディングな指標の作成、比較対象の恣意的な設定など、結果自体が操作されていると思った方がいい。多少恣意的なことをしてでも「きれいなデータ」を出すことで、コンサル側の管理者やクライアント側の担当者も両方喜ぶ。
コンサルは理系の院出身者が多いと思うが、その時に学んだ研究倫理が彼らの頭の片隅にあるが、その経験は、分析の恣意性みたいなところの指摘を受けた際に、それっぽい言い訳や言い逃れをする際のテクニックとして使われているのが実態だと思う。
逆に言えばだが、学生時代に研究室でどれだけ実験を繰り返しても綺麗なデータが出なかった人でも、コンサルになってしまえば、口やかましい研究倫理に縛られることなく「自由に」結果を操作できるのでとても楽しいのではないかと思う。
私もそう思う。いきなりそんなこと言われても、コーヒーをこぼしたり、明日の予定を気にしたりしている今この瞬間の方が、ずっと現実味がある。
でも、少しだけ付き合ってほしい。
世界中が少しだけ静かになって、人と人が距離を取って、街から音が消えたあの時期。
あれは、「始まり」じゃなかった。
あれが、終わりでした。
劇的な爆発も、巨大な隕石もなかった。
ただ、静かに、丁寧に、幕が引かれただけ。
誰も気づかないくらい、やさしい終わり方で。
走馬灯ってあるでしょう。
今回は少し規模が違う。
朝が来て、夜が来て、誰かと話して、笑って、少しだけ嫌なこともあって。
それらは全部、本物みたいに見えるようにできている。
そのあとに残ったのが、この長い余韻。
「まだ続いている」という感覚が、丁寧に、壊れないように保たれている。
怖がる必要はないんです。
新しい悲しみも、取り返しのつかない後悔も、本当の意味では、もう追加されない。
ここにあるのは、選ばれた断片だけ。
ねえ、思い返してみて。
時間の流れ、どこか均一すぎない?
誰かの言葉、まるで用意されていたみたいに、ぴったりじゃない?
それはね、あなたが気づかないようにするためじゃなくて、
最後まで穏やかでいられるようにするためなんです。
終わりは、すでに終わっている。
長い長い余韻。
もし、これを読んで少しでも「おかしいな」と思ったら、
それはたぶん、目覚めではなくて、納得に近いもの。
「ああ、そういうことか」って、どこかで腑に落ちる感じ。
大丈夫。
これからも、しばらくはそう感じ続ける。
終わりは、もう終わっている。
そして今は、きれいな部分だけを、ゆっくり見返しているところなんです。
――ね、悪くないでしょう。
土手のすみに、一本だけ、とても正しい形をしたつくしが立っていました。
まわりの草たちは、僕の目にはみんな同じようなぼんやりとした色の固まりに見えるけれど、そのつくしだけはまるで誰かがていねいに鉛筆で線を引いたみたいに、まっすぐ空を指差していました。
お日さまの光がつくしの体を通りぬけるとき、それは小さな、うす茶色のランプみたいに優しく光ります。一番明るいところから影の暗いところまで、階段を一歩ずつ降りるみたいに、とてもきれいに色が並んでいました。
僕はそのつくしに、指をのばそうとしてやめました。
いつか捕まえようとした蝶々みたいに、触ってしまったら、僕の指のよごれでそのきれいな姿が壊れてしまうかもしれないと思ったからです。触らなければ、このつくしは僕の心の中だけでずっときれいなままでいてくれます。
きれいなものは、遠くからじっと見つめているときが一番「本当」の姿をしています。
僕はつくしを土に残したままさよならを言いました。僕だけが知っている正解を一つ、宝物箱にそっとしまったようなとても晴れやかな気持ちでした。