はてなキーワード: アップルとは
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だいわ文庫
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4.2/5平均レーティング: 5つ星のうち4.2つ星
前代未聞! 気鋭のコンサルが内幕を暴露した全米騒然の問題作! デロイト・ハスキンズ&セルズ、ジェミニ・コンサルティングと、大手コンサルティングファームを渡り歩いてきた実力派コンサルタントが、自らとコンサル業界が犯してきた恐るべき過ちの数々を大暴露。「戦略計画」「最適化プロセス」「業績管理システム」……こうして企業は崩壊する。望ましいコンサルティング業務のあり方、クライアントとコンサルタントの正しい付き合い方を提唱する。
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【目次より抜粋】
はじめに 御社をつぶしたのは私です
「数人のコンサル」が歪んだ流れをつくった
「確実にまちがっている」理論の数々
ほか
お得意の「人員削減」を自社で行うはめになる
ほか
ほか
正しく動くと評価されない
ほか
公正に見える「不公正」なシステム
ほか
ほか
一度の失敗が「致命的」になるシステム
ほか
■第七章 「リーダーシップ開発」で食べている人たち
ほか
コンサルタントの「使い方」
ほか
おわりに
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お客様はこの本について、以下のような評価をしています: ストーリーが爽快で、勉強になる良書だと感じています。コンサルの現実を追求した爽快なストーリーで、意外性があって面白かったと好評です。内容については論理的で、本質的な答となっている点も好まれています。また、著者の性格や人となりが表れているという指摘もあります。 コミュニケーションについても、ツールは手段であって目的ではないことを再認識させる本だと評価されています。
あの時は、ブロックされたばかりのしんどかった時期を乗り越えて、既に前向きになっていたような気がする。
ブロックされた時は、数ヶ月は何も手につかない、食事も辛い、何見ても思い出して涙するだろうなんて考えていたけど、意外とそんなこともなかった。
綺麗な別れ話がない状態なので、怒りが先行して、こんなやつまともじゃない!って思ったからだと思うけど。
その渦中で、一番ネックになってたのが、お揃いで買った品々である。買ってもらったアップルウォッチは流石に今後も使わせていただくが、指輪とネックレスはどうしようか。
お揃いのものをお互いに買いあったので、高いものはどうしても捨てたり売ったりするのが惜しい…だけど、しばらくは身につけられないなと思った。彼が置いていった荷物も捨てずにとってあるし、そこまで感情的に捨てる!っていう対処法を取らなかったので、お揃いのものも、なんとなく付け続けるのかなと思っていた。それでも、指輪はなんか付けてるのも変な感じがする。
というわけで、新しく指輪を買うことにした。
金銭的に余裕がなかったけど、背に腹はかえられぬと思い、奮発。お揃いのものよりも高い値段のものにした。値段は大事じゃないように見えて、実は大事なこと。彼氏とお揃いでなければこの値段のものは買わなかった、というのが嫌だった。自分に買う指輪はもっといいの買いましたって感じ。指輪の種類も、自分好みの少し派手なやつにした。
この時やっと、彼に趣味を合わせていたことに気づいた。服も、アクセサリーも、メイクも彼氏に合わせなくていいんだって気付いて、今まで少し無理していたことを知った。解放されたよう。
寝る時もずっと付けているが、指にだんだん馴染んできて、最高の気分。
自分で物事を決められることがどんなに幸せなことか思い出した。
さすがアップル
そういえばドザは評判が悪い vista も初代 Mac のアイコンデザイナーがデザインしてるんだよね
あれもよかったな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
通じるのを選択するだけなんだよなあ
機内サービスで飲み物聞かれたら日系航空会社ならアップル、オレンジでも海外の航空会社ではあぽー、おーらんじに変えるのと変わらないと思う
逆に、「カーサー」って呼ぶ人は、
"なんでMouse
cursor は「マウスカーソル」って言うの?"
"なんでWaterは「ウォーター」っていうの?"
…ていう問いに大体答えられない。
欧米の発音に引っ張られるなら、一貫性もって他の単語も引っ張られないと。
Geminiを「ジェミナイ」って言っちゃうのも同じ https://t.co/olKpysNSN9— とみー@PCカチャカチャしてる人 (@_to33y) June 8, 2025
西暦3018年。
「情報に振り回されるのは、もうやめよう!」
自然回帰主義者の運動は日に日に過熱化し、ついに暴動にまで陥った。
アップル社をつぶせ!
そのうち、一人がタイムマシンに乗り逃げ伸びた。
数千年前。
そこでは人は言語を獲得し、ようやく喋ることでのコミュニケーションを獲得して間もないころ。
逃げ延びた敬虔なアップルユーザーは、ぼろぼろとなった自分の格好を見ながら、己の人生を振り返った。
エリート人生を送ってきて順風満帆だったはずなのに、今ではこの惨状…。
近くに、警戒しながらも原住民がその姿を注目して観察しており、そのうちの一人、長老がその投げ捨てられたノートパソコンを拾い上げて男に近づき、こう訊ねた。
「これは何かね?」
すると、男は長老を一瞥。それから地面に唾を吐き捨てるような視線を向けながら答えた。
「アップル?」
「ところで、そなたは誰じゃ?」
「へびー?」
「ああそうだ、そしてあなたが今、手に持っているのがアップル社のノートパソコンだ」
男はそれだけ言うと、今後の事を考え大きな溜め息を吐いた。
それを見た長老は気の毒に思い、男に声をかけた。
「もし行く所がないのなら、わしらの所に来るかね?」
「いいんですか!?」
長老は顔一杯に皺を作って頷いた。
後日。
「いいかい、種まきは……」
「まさか役に立つとはなあ。認めたくはないが、さすがアップル!」
投げ捨てたノートパソコンは未だバッテリーが生きており、そしてHDDにはウィキペティアよろしく生活に関する諸情報を保存してあったのだ。
するとそのデータからの助言はみな的確で、瞬く間に村は発展した。
しかし有用な情報はすべて、村に対して有用に働くわけではなった。
あまりの効率化により無駄は省かれ、すると労働量は以前に比べ必然的に減少した。生まれた余暇に若者はみな寝転び勤勉とならず、先代からすれば実に楽をしているように映った。
そうした声が次第に高まると長老も重い腰を上げ、とうとう例の男を村から追放した。
その後、長老は戒めを込める意味でも男の発言を思い出しては話をまとめ、
後世にこのことを話し伝えた。
子どもにiPhoneを持たせないとハブられるとかいじめられる問題について書いてみる。
ウチの子どもは3人、女、女、男。全員中学生になるときにスマホ所持。そして全員Androidでした。理由は夫婦ともにAndroidで、iPhoneだとペアレンタルコントロールができないため。キャリアはIIJmioです。
一人目(女)
やはりiPhoneがほしいという。理由は「みんなiPhoneだから」というありがちなもの。ペアレンタルコントロールの問題を話して、未成年のうちはAndroidにしてほしいと話した。長女は納得して、ファーウェイのスマホを所持。当時同じクラスの子どもたちはiPhone7あたりを持ってる人が多かったと思う。結果として特に不自由はなかった。ファーウェイは写真がきれいなので大事な記念写真とかは長女のスマホで撮ることも多かったらしい。
彼女は大学に行って、バイトしてiPhoneを購入したが、社会人になってAndroidに戻った。「iPhoneよりAndroidのほうが使いやすかった」という理由。今はGalaxyの結構いい奴を持っている。
二人目(女)
姉がAndroidだったので自然にAndroid。OPPOのスマホだった。今は高校生で地元の進学校に通っている。入学式のときにみんながエアドロで写真を交換しているのにビビっていたが、彼女のいたグループは彼女に配慮して写真の交換がグループLINEになり、部活は男子が多くそちらの方はAndroidユーザーは結構いたのでハブられることはない。彼女にとっては「みんなと違うものを持つのがいい」らしい。OPPOのスマホを4年使って、今はPixel8aになっている。
三人目(男)
去年スマホを持ったばかりの男子中学生。彼は自分で色々調べてXiaomiを選んだ。自分で選択したので文句を言うことは当然無い。割と男子の間ではAndroidは多いという。
何となく思うのだが、iPhoneを持たないとハブられるのではなく、「iPhoneを持つとハブられる」という不安に怯えているだけじゃないかと思う。確かに女子はiPhoneが多いが、今は男子生徒はそうでもない。子どもたち聞いた限りでは次女だけが「貧乏だからiPhoneを買ってもらえないの?」といったことを言われたらしい。しかしこれは、そんな事を言うことが問題なのであって、だからiPhoneを買ってあげないと可愛そう、という話ではないだろう。
ちなみに私は個人のスマホはAndroidだが、会社からはiPhoneを支給されているので両方使っている。10年前くらいはiPhoneのほうが格段に使いやすかったが、今はAndroidのほうが使いやすいと感じる。
ーーーーーー追記ーーーーーー
朝起きたら随分ブクマが伸びていた。びっくり。
いろいろ言いたいことはあるが、少しだけ。娘たちのスマホが中華ブランドであることを小馬鹿にするコメントがいくつかあったが、君たちが大事にしているiPhoneは中国製であり、アップルは中国の技術とサプライチェーンに深く依存している会社だと知らないのだろうか。
また、高くてもiPhoneくらい買ってやれよというコメントもあるが、Androidにしたのは安いからではなくペアレンタルコントロールの問題。実際長女のときにはiPhoneもAndroidも価格はそう変わらなかった。これは、Androidを買う人は貧乏人という無意識の差別心なんだろう。
さて、私は今やサイタマに住んでいるが、高校生までは関西の南の方の地方都市に住んでいた。そこは人権教育が盛んなところで、「差別されるのが嫌だから差別する側に回る」という考えが、どれほど差別を助長するのかを徹底して教えられていたのだな。これは自分の中に今も染み付いている。大事なのは自分が差別されないことではなく、「差別をやめよう」と声を上げることだと。
同調圧力で高価なスマートホンを持ち、それを持てない人が暗に見下されたりハブられたりするのを見て、そうなりたくないなら「持つ人達」の中に入ったほうがいいと勧める。そしてその考え方を「善意」だと考え「差別」だと気づかない。これは、まずいことなんですよ。君たちは本当に経済的事情でiPhoneを持てない子どもがいても、そういう態度を許すのですか。