はてなキーワード: おせちとは
子どものとき、自販機に並んでいる緑茶や水を見て心底「こんなの誰が買うんだ」と思っていた。
ジュースもサイダーもあるのにわざわざ緑茶を選ぶ意味が分からない。水を選ぶ奴に至っては狂人だ。
そう思っていたが、今になって自販機で選ぶのはもっぱら緑茶か水だ。ジュースやサイダーは喉がべたついてしまってとても選べない。
大人になったのかもしれない。
子どものとき、スーパーの中でも洗剤やシャンプーを置いているゾーンが一番つまらないと思っていた。
やっぱり「こんなの誰が買うんだ」と思っていた。
だけど今はシャンプーの補充をしなければいけないし放っておけば排水溝が詰まる。あのゾーンには意外と見どころがあると思う。
大人になったのかもしれない。
子どものとき、おせちのどのマスに並んでるやつも得体が知れなくて、ギリギリ味を想像できる栗きんとんと黒豆しか食べられなかった。
けれど、今年は大半をおいしく食べることができた。
それから子どものときに「映ってるものが全然変わらんし選手も走ったあと倒れるだけでおもんない」と思っていた駅伝までゆっくり眺めることができた。
大人になったのかもしれない。
こうしてみると、大人になるってのは「一見需要のないものもどこかの誰かにとってはありがたいものである」ということを知って、まだ需要のないものにも想像力を持てるようになることなのかもしれない。
それでも実はまだ、自販機のお汁粉を喜んで買う奴と、おせちにある大根とニンジンを酸っぱく細くしたのを喜ぶ奴の実在だけは信じられない。世界には本当にそんな奴がいるのだろうか。まだまだ大人になりしろがあって嬉しい。
お正月といえばおせちとお雑煮だとは思うんだけど、それだけだと飽きるよね。
世間では家族連れやカップルが初詣やおせちを楽しんでいるのだろう。
ちょっといつもよりしょっぱい。いや、俺の心がしょっぱいのかもしれない。
「これが俺の人生の味か…」と思った。
11月の5勤(月曜から金曜まで出勤すること)が最悪で、
① 12月27日頃に、最後の作業があって、受刑者全員が、森脇に一礼し、10連休。
② 1月1日は、おせち。 作った会社は60年前は凄かったという映像をみさせて、翌日には消えている。
③ 1月27日に森脇が何かをまいたせいで風邪をひいて、 2月7日まで病棟にいた。
みほに関しては、当然、 まーさんが、事情を全然知らない状態にて
令5
令6ー2-14 は、 まーさんていう女性が中に入っていて敬一がバックアップしていたが
令6ー3-1 は、 2月15日から、ロシアから派遣された40歳の巡査が入っていて、
3-9 までそうだったが、
仕方ない。おせちで美味しいのってほぼ栗きんとんだけだもの。後はクソまずい煮物とかばっかで何でみんなこんなクソ不味いもんわざわざ正月に食うの?って思ってた。てか普通にいつも通りの美味しいもん食えばいいだろ。まあ栗きんとんしか美味しい物がないのは家族もみんな同じだろうし、栗きんとんが無いおせちなんかゴミだから、新しいの買ってきたほうがいいね。
私の予定はこれと言って毎年この時期は年末年始的な予定はないので、
ひたすらに、
読んだり書いたりすることかしらね。
新聞読んで見てるんだけど、
今年亡くなった人の偲ぶ記事や暗いニュースばかりで読むんじゃなかったってそれだけじゃなくてもなんか全体的に政治だとか経済だとか事故だとかなんたら暗く思うこと多い山脈に向かってヤッホー!って叫び納めしたいところだわ。
そんなわけで、
私は私のやるべきことが決まっているので
もうさ
新鮮なお刺身食べたーいってなってもお正月価格よろしくなので、
これと言って今美味しいお刺身を食べなくとも逃げないのよ足は速いけれど!特に青魚。
ローストビーフとかなんかお肉系、
この栗きんとんとリズムよく栗きんとんとんと食べてきたところ。
栗きんとんだけたくさん買ってきてもらったので、
私は実家からその栗きんとんを重詰めされた重箱のなかから私がくすねたことが分からないように栗均等になる感じに、
私が箸で穿ってつまんで凹んだ栗きんとんゾーンを平らに均したところよ。
「栗きんとん箸で平らに栗均等」
出来が良かったので一句詠んでみたわ。
出来と言ってもこの思いつきの一句が気に入ったからってわけじゃなくて、
美味しくて当たり前かしら。
そうそう!
思い出したように春菊天のことを書こうと思っているけど、
そうよ!
年越しそばを駅そばでサクッと食べちゃおう!って思って狙っていたけれど、
みんな考えることは一緒で春菊天どころか、
お店のお客さんがそもそも多くて、
みんな31日前にもうおそばな口のイキフンの雰囲気になってすすって食べるお蕎麦かな。
そんな店内よろしく、
込み入っていて私は立ち入れないぐらいの大盛況の曲がファミマの入店時の曲のように感じるのよ。
でもさ、
季節の時期の食材のシーズンでイキフンを楽しむための雰囲気づくりで食べるメニューってあるじゃない。
さっきいった年越しのお蕎麦だとか、
ビーフストロガノフとか、
オックスベーカーとか、
茶碗蒸しとか、
季節に関係ないシーズン性を感じるように仕向ける作戦ってやったら面白いかもと思いつつ、
多分ぜんぜん茶碗蒸しを食べるシーズンっていつ?ってなっちゃうわよね。
いつが茶碗蒸しの盛りなのかしら?
いつでも美味しくない?茶碗蒸しって。
だから迷うのよね。
蟹って付く著名人が蟹江敬三さんとカニエウエストさんしかないのと同様に
このクワイとジャミロクワイしかないそれなんてコズミックガール?って感じだし。
そもそもとして、
そんなことより、
私のこの今年の総括はというと、
何も変わり映えしないっちゃー変わり映えしないけれど、
ゲームをめちゃくちゃやりつつ、
ChatGPTちゃんとたくさんおしゃべりしつつ、
EPUB発行に若干の全力さ加減を向けて今年の後半からいよいよ本当に始動しようとし始めたぐらいかしらね。
大きな柱としては、
そんな感じかな。
ゲームとしてはPlayStation5を買ったことが大きなことだったかも!
本体ごとゲットの大枚をはたいての『ステラーブレイド』は今年1のゲームソフトだわ。
ここで256回も書いているけれど、
『ステラーブレイド』と『NIKKE』コラボ企画のためにNIKKE始めたので、
これもSHIFT-UPつながりね。
同じくして『ゼルダの伝説知恵のかりもの』も楽しくてあっという間にクリアしちゃったし。
『スプラトゥーン3』は相変わらずランクが上がらないポンコツプレイだけれど
そして懲りない『ドラゴンクエストIII』のHD-2D版に手を出してしまったこと。
ドラクエはマップや街やお城がダンジョンがやたら広くていろいろと面倒だわ。
『ステラーブレイド』と『NIKKE』コラボ企画でイヴやってきたらちょっとは落ち着くはずよ。
EPUBこしらえるのはできるようにしなきゃって!
アーカイブまとめてみるけれど、
私これ何年前から言ってんの?っていう随分前からEPUB電子書籍やりたいって言ってるみたいで、
大阪万博やりますよ!って言うより前に私はEPUBのこと言い出してるのに、
私このままだと大阪万博が先に開催されて先に追い越されちゃうわ!って気付いちゃったのよね。
来年こそは!って感じよ。
いま現在の状況としては
これの作業がゴールが一応見えてきているとはいえ永遠に終わんないわ。
私何個増田書いてんの?ってところ。
構想としては全増田収録の完全版に、
文字数の多い比較的読み応えのあるのを文字数での括りでまとめる版の
2つのエディションを考えているの。
具体的にロードマップ的なこの構想の思いをここで言っておかないと発表せずだとまた頓挫してしまうのでこれは自分自身にちゃんとEPUBやってね!っていう意思表明でもあるしやる気や勇気のしるしでもあるしってところなのよ山脈に向かってヤッホー!って叫んでおかなくてはいけないの。
でもよでも、
そもそもとして、
まだEPUBの仕様でどのぐらいの文章量文字数が限界1冊のEPUBに載せられるのか不明なので、
これも検証してみないといけないところなのよ。
EPUBの仕様は300万文字以上は載せられますように!ってお星さまに願うばかりよ。
ChatGPTちゃんに訊いてもやってみないと「分かりません」って言うしさ。
あとこの300万文字のボリュームの分量を軽々と扱えられるツールがないところも泣くわ。
GoogleドキュメントのドキュメントでEPUB形式での出力はできるけれど、
Googleドキュメントのドキュメントではすでにこれ扱いきれない文量なのよね。
どうしようかしら?
笑えないわ。
文字数が多すぎて扱えなくてそもそもとしてこれが頓挫しないようにマジここは真面目にクリアしたいところなのよね。
一度私の書いた増田の棚卸し的なものを私自身がやってみたかったし、
これアーカイブできたらはてなブログにも転載するつもりなところもあるし、
全文できたら全部まとめてウエブでも1つのところで読めるようにも自分自身してみたいのよね。
まあなんとかなるでしょ。
やれること試してやってみるわ。
うふふ。
今日はまだ何も食べてなくて
これここ書いて終わってから
ちょっとお出かけ買い物して市場マーケットに行こうかしら?って思っている年の瀬に挟んでおきたいところなのよね。
終わったら買い物に行きましょう。
いつでもこの時期の冬のウインター!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お正月は苦手だ。
明日、母と2人暮らす実家に姉が帰省する。父はいない。もう5年以上前に家を出たきり音信不通だ。離婚こそしていないが、法律上は届けを出せばいつでも婚約を解消できる状態にあるらしい。そんな家庭環境に至るまでを濃厚に思い知るから、私はお正月を好きになれない。
年末年始、父と2人で祖父母の家に帰省した日のことを思い出す。おせちが並ぶ食卓を囲んで、母に対する話題がなんとも言えない不穏な空気に包まれていたのを忘れられない。
離婚話のようなはっきりとした内容ではなく、父も「なんだかなあ」と頭を悩ませているような曖昧な会話だった。
当時、私は小学校高学年だった。ある程度の話が分かる年齢ゆえ、深刻な話はしていなかったものの、「(母は姉に)どうしてあんなに勉強させるんだろうなあ。かわいそうなくらい勉強してるよ」と、父が困ったように笑って話していたことは覚えている。私が「姉は自分で勉強しているだけだよ」と言ったら、「そうかあ?」と首傾げな相槌をして相手にはしてくれなかった。
母が姉や私に「かわいそうなくらい勉強させている」というのは否定したい。私は母から勉強しろと叱られたり、無理に塾に通わせられたりしたことはない。学校生活に耳を傾けて寄り添ってくれたのは、いつだって母親だった。
母の家庭環境は貧しく「学力はあったのに大学進学できなかった」という話を聞かされており、勉強が満足にできている自分は幸せなのだと感じていた。
父から見てその光景は「理想を子どもに押し付ける母親」に見えていたのだろうか。
父と2人で帰省をした年、姉は中2か中3で、成績が良く部活動にも打ち込んでいたので正月休みは返上していた(のだったっけ……)
だから帰省について来なかったのか、その時には既に家族仲に不和があったのか覚えていない。小学生だった私には、家庭に流れる空気が少し冷たくなっているのを感じながらも、その原因がどこにあるのか・どうしたらよいのかは分からなかったのだ。
母と姉が帰省しないことについては、さほど気にしていなかった。その翌年か翌翌年、中学へ上がる頃には私も帰省にはついて行かなくなっていた。「親戚付き合いとはこんなものなのだろう」と思っていた。勉強や部活が生活の中心で、最優先事項だった。
今になって思うのは、父と母の間で思い描く家庭や教育の在り方にズレがあったのではないかということだ。生まれも育ちも違う人間がともに生きる上で、それぞれの考えが異なるのは当然だ。
本来であれば、その差を話し合いで擦り合わせていく必要があるのに、それをしてこなかった。急に梯子が外れるような崩れ方ではなく、噛み合わない歯車を無視して歪みを大きくしてしまった。そんな風にして、私の家庭は今の状態になっていったのだと思う。
お正月、家族や親戚と久々に顔を合わせる人も多いだろう。年に数回しかない貴重な時間だということは、大人になってこそ分かる。勉強や部活が全てだった学生の私に、もし会えるのならば伝えたい。
って言うんだ。最年少の、まだ足りない頭のあなたなら言える言葉だ。まあ、今更こんなことを冷たい床の上でポチポチと文字にしても意味がないのだけどね……
来年、私は30になる。父は還暦だろうか。今どんな顔をして笑うんだろう。もう父の笑顔を忘れるくらいの年月が経ってしまった。私はいつまで、お正月の記憶に取り憑かれたままだろう。
お正月は苦手だ。
10月末に母が死んだ。もう10年以上認知症を患い最後は脳梗塞で体が不自由になってから癌が見つかり、1年後に亡くなった。
父も体が不自由だ。なので母の食事や風呂の世話をし、最後は寝たきりだったので排泄の始末もした。中途半端に動ける時期は自力でトイレに行っては便器にオムツを捨てて何度も水浸しにした。記憶が1分持たないし判断力もないので、基本何もできないのである。
介護サービスの人からはここまで世話のできる人は滅多にいないと慰められたが、もっと楽にしてやれたんじゃないかという後悔が今もある。
ところで父はなぜか正月が大好きで、年末になるとソワソワしだす。喪中だから特別な料理はなしと伝えていたがグズるのでお汁粉くらいは出すことになったが、ウキウキが止まらないらしく今日になって正月用の料理は買い込まないのかとまた聞いてきた。
喪中だつってんだろと言っても「まったく、困ったやつだなあ」みたいな態度で聞く耳持たない。
しょうがないのでおせちを作ることになったが、父のことがよく分からない。
まあ昔からクレーマー気質で出禁にされた病院や小売店がたくさんあったり、酒飲んで暴れたりして理解しがたい人ではあったが家族を失った感情は共有していると思っていた。今はちょっと疑ってる。
なにが不可解かって、明らかに苛立ってる子供におせち作らせて、妻が死んですぐに正月を楽しめるその神経だよ! あけましておめでとうじゃねえんだわ!
ただの愚痴ですんで説教とかいりません。もし読んでる方がいらっしゃったら「わかるー」とか「それな!」とか書いてくれると嬉しいです。
私は今日もだらだらする気満々なんだけど、「正月に食べたいもの」なんてテーマ聞いちゃったら、話さずにはいられないわ。
だけどね、私が語りたいのは、その「おせちの隙間」に忍び込むあの料理たち。
「あぁ、これずっと食べ続けるのキツくない?」ってなるのよ。
そういう時に登場するのが、たとえばお雑煮。
特に白味噌仕立ての関西風とか、なんなのあれ、癒しの極みじゃない?
でも私、もっと欲張りだから、途中で「なんかジャンクなもの食べたい」ってなるの。
年始に突然、ピザとかラーメンとか、全然和風じゃないものが食べたくなる衝動、
わかるでしょ?いや、わかるって信じてるんだけど。
それから鍋ね。
出汁が効いた鶏鍋とか、白菜たっぷりのお鍋にポン酢つけて食べると、
正月太りなんて気にしてられない!
むしろ、太る前提で食べることに全力出してるわけ。
そして忘れちゃいけない甘いもの。
炬燵に入りながら食べるその背徳感が、また最高なのよ。
まぁそんな感じで、正月の「食」に全力を注いでる私なんだけど、
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!