統一祈願、青銅大仏。
2024-06-26
南北統一祈願靑銅大佛
「桃源郷に遊ぶ」でアップした写真のところから車で3分走ると
階段のすぐそばに駐車スペースがあって、ここにわがSUV(コランドC)を止めて
ゆっくりと百八煩悩階段をのぼる。
名前は百八煩悩階段ではあるがちょうど百八個の階段があるんじゃなくて、
実際には200段をちょっと超える。
ゆっくりのぼっても若干息がきれるかなという感じだ。
のぼりつめると上は台地のようになっていてはるか(100メートルほど)向こうに
韓国ではこれが一番大きいと言われているようだ。
正式な名前は「南北統一祈願靑銅大佛」となっていて1977年に作られた。
このお寺(覚願寺)自体は1975年に日本に住む在日同胞らからの資金で建立されたようだ。
そのせいもあってか上の台地のところには桜の木が何十本も植えられている。
春桜の咲くときはまさに見ものだ。
ただ人が多いので桜の咲く時期に桜を見に行くのは3年に1回くらいにしている。
この日も木魚の音とともにお坊さんらの経をあげる音が大きく響いていた。
この日6月25日は「ユギオ」といってここ朝鮮半島において大きな戦争が勃発した日である。
1950年、6月25日。北の金日成(キム・イルソン)が突然南を急襲した日だ。
こんな日に遊びほうけていていいのかという気持ちもちょっとはあるが、
このところ韓国(筆者の住む天安市)がpm2.5の数値の低い日が続いており、
おのずから足が向いてしまってこの覚願寺まで来てしまったのだった。
来たついでに大仏さん横のお寺のカフェで3000ウォン=345円の五味子茶(オミジャチャ、アイスで)を
買って飲みながら大仏さんに南北統一を祈願することも一応忘れなかった。
百八煩悩階段をのぼっていくルートもあるし、
土を踏みながら歩いていくこの道も「絶品」ではある。
百八煩悩階段上り口の道を挟んでの反対側には池(ヨンファジ)があって、錦鯉やフナなどがあまた泳いでいる。
ここ覚願寺もまた、筆者に至福の時間を与えてくれるありがたい場所だ。
桃源郷にて遊ぶ。
2024-06-08
定年退職を迎えてから丸4年余りになる。
今は日々の生活に追われるというよりは、多少なりとも余裕のある時間を送っている。
余裕にまかせてSUVに乗ってあちこち「探索プチ旅行」をしている現在だ。
このフォトは足だけが見えてしまって恐縮だが、
SUVのトランクを開けて車テントを張り、
中から撮ったものだ。
日陰にとめておけば涼しく虫も入ってこないのでゆっくりと本を読んだりものを書いたりできる。
今の自分にとってはサイコーの時間である。
雨が降っていても㏘2.5のよい日にはほぼ出かけていく。
早朝4時半ごろ起きてコーヒーをポットに淹れ、朝飯を準備して家を出る。
朝飯は前日の夜にかみさんが準備してくれていることが多い。
サンドイッチとサラダとか、ヨモギ餅と豆乳とサツマイモを蒸かしたものなど、日々多少の変化はある。
毎日出かけるかというとそうでもない。
韓国は以前にも書いたが㏘2.5の数値の高い日が結構多くて平均して週に2,3日出れるかな、といったところである。
冬場などは10日間も㏘2.5のベラボーに高い日が続いたりするので、
出かけられるときになるべく出かけるようにしている。
まず目指すのは黄土道(ファントキル)で、車で約15分くらい走るとある。
里山の一部を黄土道としてはだしで歩けるように天安市が作っている。
2.5キロほどなので急ぎ足で歩くとだいたい25分くらいで1周することができる。
土を踏むことで気分は上々だ。
終わったら足を洗い(洗い場が用意されている)、
SUVに乗って見晴台に行ったり日陰駐車場に行ったりとあちこち動くことになる。
定年の前から縁のあったところで大学入試・化学を講義している。
こんな内容だ。(写真)
日本の医療系の大学に行って勉強しようという韓国の若者たちが相手だ。
なので韓国語と日本語を織り交ぜての講義となる。
彼らが日本に行って大学の授業についていけるようにするため
韓国語だけではなくて日本語も必須となるわけだ。
モル濃度を求めたりPHの計算をしたりと、
昔のことを懐かしく思い出しながら講義の準備をしている。
講義自体は自分にとっても新しい刺激となっているので毎回楽しくやらせてもらっている。
学生は男女半々くらいのときもあれば男子学生が多いとき、
反対に女子学生が多いときなどいろいろだ。
学生らは勉強する気でやってくるので授業そのものはだいたいやりやすい。
やる気のない子が複数人いると、これはかなり大変となる。
そういう年もあるが、いままで10年ほどやってきて1回くらいあったかなと
思うくらいなのでそういう大変な年(期)は例外と見れよう。
講義は3時間授業週1回が基本であるが、補習や特講などが入ると
その期間1か月ほどは週3回なんてことにもなる。
収入はそれだけ増えるが週3回はやはりこの年になるときつい。
それも、まあ、1か月で終わりだと決まってるからできるわけだが。
この年で講義をやって学生からの質問をうけ、脱線話をしたりと
自由にやれているのがなによりうれしい。感謝しかない。
「顕忠日に」旭日旗掲揚
2024-06-06
釜山水営区のある高層マンションに旭日旗が掲げられた
殉国烈士と護国英霊を称える顕忠日(ヒョンチュンイル)の6日、釜山のある
マンションに日本の象徴である旭日旗が掲げられ、論議を呼んでいる。
同日午前から釜山水営区のある住商複合ビルの高層窓に旭日旗が掲げられた。
周辺を行き来する多くの市民が旭日旗を目撃し公憤している。
ある市民は「顕忠日に戦犯旗が掲げられたのを見たが、あまりにも衝撃を
受けて手がぶるぶる震える」とし「あの建物に売国奴が住んでいるのか」と話した。
いくつかのインターネットコミュニティ掲示板にもこの建物の旭日旗写真が掲示され、
ネチズンたちは「本当に一線を越えたね」「正気か」等の題名で公憤する内容を
盛り込んだコメントが上がってきた。
この建物には先月中旬から日の丸が数回掲げられた。
日の丸と旭日旗は同じ階に張られており、同一人物が掲げたという推定が出ている。
旭日旗の処理をめぐり、アパート(=マンション)の管理事務所は困惑している。
先月から周辺の苦情のために関係機関に問い合わせもしてみたが、
旭日旗を掲げた釜山アパート入居者のドアの前に貼ってある文句。
日の丸と旭日旗を掲げた入居者は、日本人ではなく韓国人の医師だという。
(朝鮮日報参照)
「旅行に行っているので中には誰もいません」といった内容が書いてある。
日の丸と旭日旗を掲げた入居者は、日本人ではなく韓国人の医師だという。
(朝鮮日報参照)
韓国の中で日の丸とか旭日旗を掲げるというのは命をはっての行動である故、
暇さえあれば日本(ニッポン)攻撃に余念のない進歩系に対する強いメッセージ
ととることもできなくもない。いずれにしても筆者が韓国に来た1980年代のころ
までには想像だにできない現象が去年だけに限らず今年も起きた。なんらかの
内的変化がこの韓国の中にあるのかもしれない。