101歳の詩人(ハルモニ)
2021-09-08
国民日報の記者が書いたインタビュー記事を、筆者のことばでお届けしたい。
全羅北道完州郡東上面(チョルラブクド・ワンジュグン・ドンサンミョン)は
韓国でも八大奥地に選定されるほど山深く人里離れたところだ。この小さな
山里に最近世間の耳目を引くことが一つできた。この奥地の立石村に101歳
の「口述詩人」が誕生したためだ。ペク・ソンレさんがまさにその主人公だ。
「毎日毎日祈祷します//国がうまくいくように/祈祷します//大統領がうまく
いくように/祈祷します//政府もうまくいくように/祈祷します//息子や娘、
嫁もうまくいくように/祈祷します。
ペクさんは今年4月、村の住民とともに詩集『同床異夢・熟し柿を食べて吐きだ
した言葉が詩になる』を出版した。270頁に及ぶ分量の詩集には、住民133人
余りの詩150編が収録されている。 詩集の一番前のページに上述の「100歳
のおばあさんの祈り」が収録されている。
ペク・ハルモニは毎朝、国や大統領、子供を心配し、神様に祈る気持ちを込め
て詩に描いた。
村の入口に入ると、古くて昔の趣が感じられる120年経つというスマン教会が
目を引く。この教会の権士(クォンサ、教会での呼び名。長年通う女性を指す
ことば)であるペクさんは、教会から50メートルほど離れた所に暮らしている。
ペクさんは101歳という年齢が信じられないほど、腰はまっすぐでしゃんとしている。
老衰で耳が少し遠くなって不便を強いられているだけで、今も毎日スマン教会
の夜明けの礼拝に出かけて祈祷で一日を始め、家の前の畑で直接野菜も作り
ながら裏山で散歩したりもする。
耳が遠いハルモニに代わってインタビューを手伝ってくれた息子のユ・ギョンテ
さん(63)は「最近、母に会うために往来する人が多くなり、マネージャーとして
の役割をきちんと果たしている」と笑顔で話した。
詩を学んだこともなく、文字も分からないハルモニが、どうして詩集を出版する
ことができたのだろうか。詩人であり、東上面の前の面長(ミョンジャン、村長に
あたる)だった朴ビョンユン氏が、直接足を運んでハルモニに会って口述証言を
採録し、ハルモニの胸にしまっておかれている話を詩に描いたのだ。
朴さんは、「『一人の高齢者が亡くなれば、小さな博物館が消える』という言葉
がある。村のおもだった人たちが、一世紀を生きてきたペクさんが亡くなる前に
この方の人生を記録しておいたらどうかと提案してきた。ペクさんを記録する
ために始まったことが、他のお年寄りが生きてきた話まで丁寧に盛り込んで、
詩集が作られた」と説明する。
1920年生まれのペクさんは、立石村で生まれ育った。
「両親は私と姉と二人だけ産んだ。私を息子のようにして育てた。17歳のとき
4歳上の夫と結婚した。夫が婿養子となってくれた(韓国ではかなり珍しいこと)。
夫は私の両親に優しくしてくれ、私にも本当に優しい人だった。」
日本の植民地時代と朝鮮戦争を昨日のことのように鮮明に思い出す。ペクさん
は「日本人は村人を殺して干し柿や稲も持って行った。すぐに6・25事変(ユギオ
=朝鮮戦争)が起こり、パルチザンたち(北朝鮮の共産主義者)が押し寄せてきて、
ニワトリや牛も食べ、家や服も奪っていった。こんな騒動を二度も経験した」と話した。
国を失った悲しみがどれほど大きいか知っているため、ハルモニは「毎晩、国と
大統領への祈りを一度も欠かしたことがない」と語る。
ペクさんは5人の息子娘に恵まれた。苦しい生活の中で牛2頭を売って唯一大学
に送った長男は卒業後、開拓教会の牧師になった。四代に渡って続いている
信仰の家門には、孫をはじめ孫娘婿など4人が牧師や宣教師として活動している。
キリスト教一家といえる。
聖地巡礼に行ってきたとき、帰って来てしばらくすると長男の嫁さんが心臓麻痺
で死亡した。葬儀を終えて3日後に、今度は牧師である息子(長男)も心臓麻痺
で神様から呼ばれた。子どもを先に送り出す悲しみ、理解できないその苦難を
どうやって耐えたのだろうか。「ひたすら神様に従う信念と祈りだけです」という
短い答えがペクさんから返ってきた。
ペクさんの長寿の秘訣は何だろうか。ユさん(実の息子であるが夫婦別姓である
ため母親の苗字と息子の苗字が異なっている)は「母親は肉をよく食べ、何よりも
讃美歌を歌い楽しみつつ神様を頼りに笑いながら生きることが、最大の長寿の
秘訣のようです」と話す。ハルモニにお祈りの題目を聞いてみた。
すると、また別の詩「100歳のおばあさんの願い」と同じ答えが返ってきた。
「何も望むことなく、ただ笑って生きる/息子や娘を心配したりして/ああ、80歳の
おばあちゃんたちも、ボケてしまう人が多いってことさね/私も病気にならないで/
先に行った夫のところに急いで行くのが夢ですよ」
ここまでが記事の内容である。ハルモニは百歳を超える長寿であるけれど、
息子はまた別の遺伝子をもっていたんだなあという部分と、「植民地時代に日本人
が(村人を)殺して、云々」という部分が筆者の目をひいた。
こちらの歴史ドラマなどで、当時日本の警察が村人たちを強権力でとっ捕まえて
いったり暴行を加えたり鉄砲をぶっ放したりする場面がよく出るが、あのようなこと
は一部の作家や政治家らの誇張された話で、実際には罪のない村人に暴行を
加えたりピストルを発射したりすることはなかったんだと『反日種族主義』の中には
書いてある。韓国人学者らが書いたこの本はすでに読者の皆さんもご存じの方も
多いと思う。筆者も読ませていただいたが、日本人を悪者にするためにいかに誇張
されてきていたのかを感じたものだ。
ところで、このペク・ハルモニの証言の中にある部分(日本人が村人を殺して)は、
するとどうなるのだろうか。ハルモニが嘘をついていうはずもなく、見たままをその
まま話しているはずだ。ハルモニは子どものころにそういう場面を見たのであろう
か。たぶん、そうなのだろう。筆者が直接このペク・ハルモニと会って、お話してみ
たいところだ。
筆者も日本人だ。日本人がそんな野蛮なことをするはずがない、と主張したいと
ころだが、それは事実を抑えたうえでの話だ。どんなことが実際になされていたのか。
直接確認のできる人は、どんどん少なくなっていく。筆者がこれまで論文を書いたり
調査したりするなかでは、こういう証言をする人がいなかったので、この101歳の
詩人ハルモニの証言は、無視できるものではない。
慰安婦問題とか徴用工問題とはまた別の次元で関心をもっていくべきだなと、
感じさせられたことであった。(自然に生活する流れのなかでそういう人たちに会え
る機会があれば、確実に聞いておくことになるだろう。)