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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

粋なはからい

北の挑発(地雷)によって、南北が戦争になるかもしれないという憶測まで出ていたけど、
50時間近くに及ぶ「2+2会談」の結果、合意に達し、なんとか戦争の危険は免れた。
北が遺憾の意を表することで、南もそれをよしとし、
拡声器の放送をやめることにしたもの。

北が地雷を爆発させたことは、あまりにも明白なのに
ずっと、おれたちはやってない、と主張してきていた。
南の兵士は、2人が足を切断するなど大怪我をしている。

北という国は、あまりにも明白な嘘をつくので、
彼らと、まともに対応してゆくのは至難のわざだ。

日本の拉致問題にしても、今度こそ何か出してくるだろうという期待だけ持たせておいて
ちゃらんぽらん状態をつくり、結局何も出てこない。
しかもこういうことを一度ではなく、二度も三度も四度も五度も、
何度でもやってしまうずうずうしさ。

今回、南の2人の高位級幹部が、北から「遺憾」のことばだけでも引き出せたことは、
わたしにとってはほとんど「奇跡」に近いくらいに感じられる。
ずっと「やってない」と主張してきていたわけだから。

で、今回のブログで書きたいことは、会談が合意に達したということではなくて他にある。
この会談の途中、北は潜水艦を動かしてどこかに配置したり、戦車を動員したりと、
戦争を起こすぞ! みたいな態度を取りつづけていた。
南の軍隊にいる兵士のなかで、ちょうどそのころに「除隊」になる兵士がいたわけだけど、
そのなかの50人くらいの兵士が、
自国(韓国)がこんなに危険な状態になっているおり、おれたちは除隊などできない。
除隊手続きを撤回して、このまま軍隊に残り、北が戦争をふっかけてきたら
おれたちはすぐに出て行って戦う! と宣言していたという。
感動のドラマである。

こうした兵士たちの覇気に感動した韓国有数の大企業SKグループの会長が
除隊手続きを撤回した兵士らに対し、
兵役を終えたらいつでもSKグループで雇ってあげよう、と宣言したのだ。
希望すれば彼らはいつでもSKグループにはいれることになった。
SKグループだけでなく、いくつかの大企業も、いま、そのような動きになってるみたい。

命をかけて国を守ろうとするその覇気があるなら、
会社に入っても、大きな仕事をやれるだろう、というわけだ。

兵士にも感動だけど、SKグループの会長の粋なはからいにも感動である。
韓国は、いつも戦争と背中合わせで存在している。

このへん、日本とは天と地の差である。


軍隊 _ 学生エッセイ55

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその55回目で、男子学生 KCU さんの作品です。
(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)


<軍隊> 
  2008年1月22日冬、21歳になって軍隊に入隊をした。兄と親戚のお兄さんたちの話だけ聞いて、それ以上は何も分からないまま入隊した。私は特技兵で志願し、運転兵という職責を前もってもらった。入隊の当日、議政府(ウィジョンブ)306補充隊の前で最後の食事でブデチゲを食べたんだけど、口に入るのか鼻に入るのかぜんぜんわからなかった。1時になって練兵場に集まって入隊する前の儀式を行った後、30分にスタンド席のほうに集まっている家族らに「忠誠!」と敬礼をして入る。しかし、必ずしもその儀式に参加しなくてもよい。私は1時30分まで家族と友たちと一緒にいた。30分になると、「もう家族と別れる時間です。」との放送が流れた。その放送が終わったら入隊する人たちは、それぞれの方式で挨拶しながら別れる。しかし皆は泣きながら、簡単に家族に背を向けることができない。本当に、入隊の当日の最後食事と入隊直前の気分は、韓国の男性以外は絶対感じられないだろう。
 5週間の基礎軍事訓練を終えて、一般兵士になる人たちは、割り振られた部隊に行く。私のような場合は、運転兵なので5週の間、後半期教育を受ける。ガピョンにある野戦輸送教育団に行く。教育が終わったら軍隊生活が終わるまでに留まる部隊に行く。「さあ、家に行こう」と皆が表現する。ほとんど2年間生活する場所なので家と呼ぶのである。
 軍隊の長所と言えば、何の心配もせずに過ごせることと、相互の礼儀をはっきり習うこと。短所は、一番重要な自由がないことと、食べたい物を自由に食べられないことだ。そして、どんなにかっこよく飾っても、軍人だというのがすくわかる。2年間少しきつくて自由がなくても、韓国の軍隊というところはいろんなことをたくさん感じたり、思ったり、学べることがいいと思う。分断国家で仕方なく強制に引っ張られるものという考えもあるが、軍生活をした人としてない人では、考える面からして違いがある。もちろん就職する時も開きがあるという。
 軍隊生活を勤め上げた日、その気分は、当事者しかわからない。絶対言葉で表現ができない。最初はとても行きたくなかったが、もう一度考えてみると、私の人生においてとてもいい経験だっだ。しかし、もうこれ以上、行きたくはない。


<군대>
  2008년 1월 22일 겨울, 21살이 되고 군대에 입대를 했다. 형과 친척 형들의 이야기만 듣고, 그 이상은 아무것도 모른 채로 입대를 했다. 나는 특기병으로 지원을 해서 운전병이라는 직책을 미리 받았다. 입대 당일, 의정부 306보충대 앞에서 마지막 식사로 부대찌개를 먹는데 입으로 들어가는지 코로 들어가는지 몰랐다. 1시가 되어서 연병장에 모여서 입대 전 하는 의식을 하고 30분에 스탠드 쪽에 모여 있는 각자의 부모님들에게 충성 이라고 경례를 하고 들어간다. 하지만 꼭 그 의식에 참가를 하지 않아도 상관없다. 나는 1시 30분까지 가족들과 친구들과 함께 있었다. 30분이 되면 방송으로 ‘이제 가족들과 헤어질 시간입니다.’ 라고 방송을 한다. 그 방송이 끝나면 입대 하는 사람들은 각자의 방식으로 인사를 하며 헤어진다. 하지만 사람들은 눈물을 흘리며 쉽게 돌아서지 못한다. 정말 입대 당일 마지막 밥을 먹을 때와 입대 직전의 그 기분은 정말 대한민국 남성이 아니라면 절대 느낄 수 없을 것이다.
 5주동안 기초군사훈련을 마치고, 일반 병사가 될 사람들은 배정받은 부대로 간다. 나 같은 경우는 운전병이기 때문에 5주동안 후반기 교육을 받는다. 가평에 있는 야전수송교육대로 간다. 교육이 끝나면 군 생활이 끝날 때 까지 머물 부대로 간다. ‘이제 집에 간다’ 라고 모두 표현을 한다. 거의 2년동안 지내야 할 곳이기 때문에 집이라고 부른다.
 군대의 장점이라고 하면 아무런 걱정 없이 지낼 수 있다는 점과 상호간의 예의를 확실히 배운다. 단점은 가장 중요한 자유가 없다는 점과 먹고 싶은 것들을 자유롭게 먹지 못한다는 점이 단점이다. 그리고 아무리 멋지게 꾸며도 군인이라는게 딱 보인다. 2년동안 조금 답답하고 자유가 없어도 대한민국의 군대라는 곳은 정말 많은 걸 느끼고 생각하고 배울 수 있다는 점이 좋은 것 같다. 분단국가이기 때문에 어쩔 수 없이 강제로 끌려 간다는 생각이 들지만 군 생활을 했던 사람과 하지 않은 사람과 생각하는 면에서 차이가 있다. 물론 취직 할 때도 차이도 있다.
 군 생활이 끝나는 날 그 기분도 느껴본 사람 만이 알 수 있다. 정말 말로 표현 할 수 없다. 처음에는 정말 가기 싫었지만, 다시 생각해보면 내 인생의 정말 좋은 경험이였다. 하지만 또 가고 싶지는 않다.

【さようなら原発 米沢のつどい (第27回)】

GOOD-BYE,NUKES!、今回は8月17日(月)までに
予約が必要のようです。(きょうです)。


【さようなら原発 米沢のつどい(第27回)】
美味しいお茶とお菓子で語り合いましょう
日 時:8月22日(土)14:00~16:00
会 場:レストラン ポモドーリ(米沢市中央1-3-10大沼米沢店西口向かい)
 茶菓代:500円
 定 員:50人
 ◆ 今回は、事前の申し込みが必要です。参加ご希望の方は、8月17日(月)まで
   Tel/Fax0238-24-3643(保坂)宛てに留守電又はファックスで、お名前
    と電話番号を添えてお申込ください。
   お問い合わせ先 ℡0238-21-0191(米沢地区平和センター)



【次回(第28回)の予定】
「さようなら原発 米沢のつどい(第28回)
           GOOD-BYE,NUKES!
   青空学習会とパレード
   日 時:9月26日(土)14:00~16:00
   会 場:北村公園、金池・春日周辺
   お問い合わせ先 ℡0238-21-0191(米沢地区平和センター)

私の生のホームラン「野球」 _ 学生エッセイ54

学生エッセイシリーズ、今回はその54回目で、女子学生 KDJ  さんの作品です。
(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)


<私の生のホームラン「野球」>
  ある人があるスポーツを熱心に好きなのは、特別なことではありません。しかしながら、有名な選手から直接にあいさつをしてもらったり、一緒に写真を撮るというような特別な経験があれば、話が変わります。私は元々野球に興味がありますが、こうまで野球を好きになったのには、3つの理由があります。

 まず、2014年4月27日。アメリカで私の最後の誕生日の日、シアトルでチュ·シンス(テキサス·レインジャーズの打者)がロードゲームに来ると聞き、チケットを買って、シアトルに行きました。残念ながらチュ·シンスは負傷でラインアップから外れました。それで静かに座席でテキサスを応援していました。しかし、ダッグアウトでチュ·シンスの背番号の17とCHOOが見えました。友達と二人です早く走っていって「チュ·シンス!チュ·シンス!オッパ!!!」と叫んだら、チュ·シンスが振り向いて帽子を取って頭を下げてあいさつをしてくれました。私は生で一番大事なプレゼントをもらって、その瞬間をまだ忘れられません。それ以来、野球の魅力にさらに落ち、選手一人一人のプロフィールも探してみて、自分で野球の競技を分析して見たりします。

 第二に、野球は物語があります。代表的なスポーツで、サッカーやバスケットボールのようなものは、互いにパスをしてゴールにゴールを入れると点になりますが、野球はホームラン、ホームスチール、適時打のように点を取る方式が多様です。このように、誰がどのように塁に出るか、どのようにスコアを出すかが多様ですから、一つのストーリーが作られるのです。もう一つの魅力は、犠牲バントのようにチームのために「犠牲」になることです。他のスポーツでは一人、一人が最善を尽くさなければならないけれど、野球だけは「犠牲」も重要な戦力の一つです。

 第三に、野球だけでなく、スポーツが好きな人たちは同じように感じることができる感情だと思いますが、「現在、生きているんだな」と感じることができて良いです。喜び、感動、楽しみ、これらの感情を感じて勝敗に関係なく、競技中にボール一つ一つに緊張して興奮する瞬間がとても良いです。特に九回の裏ツーアウトに出てくるサヨナラヒットまたはサヨナラホームランは、言葉で表現できないほどの喜びを感じます。また、アメリカでは見ることができなかったですが、韓国では応援文化が有名ですが、これもすごく魅力的な要素です。打者にそれぞれその選手の応援歌を歌って、チームごとにチームの歌を歌うとき、そのチームの真正のメンバーになるに感じがして嬉しいです。
 これからも一生懸命応援しながら、私が生きて行くうえでより大きな原動力がもらえたら良いと思います。


<내 삶의 홈런-야구>
 한 사람이 어떤 스포츠를 열성적으로 좋아하는 것은 특별한 일이 아닙니다. 그렇지만, 유명한 선수로부터 직접 인사를 받거나, 같이 사진을 찍는 것과 같이 특별한 경험이 있다면 이야기가 달라집니다. 저는 원래 야구에 관심이 많았지만, 이렇게까지 야구를 좋아하게 된 것에 대해서는 세 가지 이유가 있습니다.

 첫째, 2014년 4월 27일. 미국에서의 저의 마지막 생일 날 시애틀로 추신수(텍사스 레인저스의 타자)가 원정 경기를 온다고 하여 표를 구매하여 시애틀로 갔습니다. 슬프게도 추신수가 부상으로 라인업에서 빠졌습니다. 그래서 조용히 자리에서 텍사스를 응원하고 있었습니다. 그런데 갑자기 더그아웃에서 추신수의 백넘버 17과 CHOO가 보였습니다. 친구와 둘이 한걸음에 달려 나가 ‘추신수! 신수오빠!!!’ 라고 외쳤더니, 추신수가 뒤돌아 모자를 벗고 고개를 숙여 인사를 해주었습니다. 저는 생에 가장 소중한 선물을 받았고, 그 순간을 아직도 잊을 수가 없습니다. 그 이후로 야구에 더 빠지게 되었고 선수 한 명 한 명 프로필도 찾아보며 나름대로 야구 경기를 분석도 해보곤 합니다.

 둘째, 야구는 이야기가 있습니다. 대표적인 스포츠로 축구나 농구 같은 것은 서로 패스를 하다 골대에 골을 넣으면 득점을 하지만, 야구는 홈런, 홈스틸, 적시타와 같이 점수 내는 방식이 다양합니다. 이처럼 누가 어떻게 베이스를 갔고, 어떻게 점수를 냈는지가 다양하기 때문에 하나의 스토리가 만들어 지는 것입니다. 또 하나의 매력은 희생번트와 같이 팀을 위해 ‘희생’ 한다는 것입니다. 다른 스포츠에서는 한 명, 한 명 최선을 다해야 하지만 야구에서 만큼은 ‘희생’도 중요한 전력 중 하나입니다.

 셋째, 야구 뿐 아니라 스포츠를 좋아하는 사람들은 같이 느낄 수 있는 감정이겠지만, ‘현재 살아있구나’를 느낄 수 있어서 좋습니다. 희열, 감동, 재미 이러한 감정을 느끼고 승패에 상관없이 경기 하는 동안 공 하나하나에 긴장하고 흥분하는 순간이 좋습니다. 특히 9회말 2아웃에 나오는 끝내기 안타 또는 끝내기 홈런은 말로 표현 할 수 없을 만큼의 희열을 느낍니다. 또 미국에서는 볼 수 없었지만, 한국에서는 응원문화가 유명한데 이것도 굉장히 매력적인 요소입니다. 타자마다 각자 그 선수의 응원가를 부르고 각 팀마다 팀의 노래를 따라 부를 때 그 팀의 진정한 구성원이 된 것 같아 기쁩니다.
 앞으로도 열심히 응원하면서 제가 살아가는데 더 큰 원동력을 제공 받으면 좋을 것 같습니다.


上杉鷹山 (14)

ご無沙汰してしまいました。上杉鷹山です。
今回はその14回目。2015年1月31日ブログ上杉鷹山(13) の続きです。

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 



 しかし、どのような仁政も、病人を治療する施設を備えて、はじめて完全になります。この点でも期待どおり、わがすぐれた藩主に抜かりはありません。医学校が開設され、そのために当時の日本では最高の医師二人が教師として招かれました。

  薬草の栽培のために植物園も開かれ、そこで採取された薬草で薬学が教えられ、調剤もなされました。西洋医学が恐怖と疑惑の目で見られていた時代に、鷹山は、数人の家臣を、日本最初の著名な蘭方医杉田玄白のもとに派遣して、新しい医術を学ばせました。それが、いったん皇漢医学にまさるとわかると、どんな医療機器をも、費用を惜しまずに可能なかぎり入手し、医学校に置いて教育と実習とに自由にに使わせました。

  このようにペリー艦隊が江戸湾に姿を現す50年前に、北日本の一山間地に西洋医学が一般の間に取り入れられていたのでした。鷹山が習った漢学は、鷹山を中国人に変えてはいませんでした。


                          ここまで上杉鷹山(14)。『代表的日本人』(内村鑑三)より 
                   

アガヤ _ 筆者のエッセイ0021

 韓国語のなかには、「エーッ、なんで?」ということばの使い方をすることがある。「なんでこんなときにこんなことばを使うの?」「信じらんない」という感じである。その一つがこの「アガヤ」。アガというのは赤ちゃんという意味であり、ヤというのは「~ちゃん」というくらいの語である。ということで「アガヤ」は、「赤ちゃんちゃん」ということだが、これではちょっとおかしいから「赤ちゃんクン」単に「赤ちゃん」ぐらいの意味になるわけである。
 これだけならなんら不思議の点はないのだが、これを赤ちゃんに対してでなく大のおとなに対して使うから「信じられない」のである。お嫁さんとしてはいってきた女性に対して、シブモ(夫のほうの親)が使う。とくにシオモニ(夫の母親、姑)がよく使うのである。かわいい赤子をはやく生んでほしいという気持ちから使われるのか、「わたしのかわいいひと」という感覚から使われるのかはわからない。
 さらに、お嫁さんが赤ちゃんを生んで、すくすくと育ってゆく。子どもが二、三歳ほどになって、なにかの集まりなどにつれてゆく。するとそこでは、自分の子どもの名前でその子の母親(自分)のことを呼ぶこともめずらしくはない。つまりこうだ。母親の名前がミギョンで、その子の名がユリだとする。まわりの女性たちがミギョンさんをさして「ユリや」というのである。「ユリや、それどこで買ったの?」「きのうデパートのバーゲンセールで買ったのよ」といった具合いである。子どもにでなく母親に対して子どもの名前を使うのである。
 すべての女性の集まりでこうなるのではないが、このように子どもの名前を母親に使うケースをわたしはなんども見た。非常に不思議である。子どもを呼んでいるのか母親をさしているのかは、その場の空気ですぐにわかるようになっている。その点は心配いらない。
 この現象は地域によってもちがうであろうし、集まる女性たちの性格や雰囲気などによってもかわってくるものであり、韓国においても多少例外的といえるかもしれない。ふつうには「ユリオンマ」といってユリちゃんの母親を呼ぶ。「オンマ」は「お母さん」の意であるからユリのお母さんという意味である。この使い方はとても便利で、適度の親しさも表わせるし、ごく自然に相手(とくに奥さん)のことを呼べる。
 高橋さん夫妻の間に「ジョンホ」という名の子がいるとする。わたしが夫の高橋さんを呼ぶ場合、「たかはしさん」といえばいいが、奥さんを呼ぶときも「たかはしさん」となって、これだとかなりよそよそしい響きがしてしまう。よく知っている夫婦同士が集まってお茶会などリラックスして時間を楽しむというような場合、こんなときにはやはり「ジョンホ オンマ」というのがいちばんいい。よそよそしくもないし、かといって女性の名前たとえば「さちこ」さんなどと呼んだらナマメカシクなってしまう。「ジョンホ オンマ」というのが、こういう場合はもっともふさわしい呼び方ということになろう。日本語で言えば、「たくまクンのお母さん」ってな感じだが、これだとなんとなく間が抜けた感じだ。
 子どもたちが友だちのお母さんを呼ぶときならいざしらず、母親同士あるいは大の大人がこういう言い方はしないだろう。日本語としては普通は使用しない言い方ということだ。わたしの友人同士の家族が集まったりするときには、わたしもよくこの表現を使う。日本人夫婦でも、こちらに住んでいれば韓国の習慣にのっとって、この言い方をすることが多い。チイちゃんという子がいたとすると、この子の母親は「チイちゃん オンマ」となり、父親は「チイちゃん アッパ」となる。完全に韓国語式でやれば、「チイ オンマ」「チイ アッパ」となるが、日本人同士なのでここはどうしても「ちゃん」をつけて「チイちゃん オンマ」のようになるのが自然だ。
 日本語と韓国語のチャンポンということになるが、自然にそうなってしまう。自然にそうなってしまうということは、「それでいいのだ」、ということであろう。日本語を解しない韓国の人がそばで聞くとしたら、どういう印象をもつものだろうか。気になるところだが、まだそれを確認したことはない。もっとも、「ありがとう」「こんにちは」「ちゃん」ぐらいは、たいていの韓国人が知っているので、「チイちゃんオンマ」と聞いてもそれほどの違和感はないのかもしれない。



                                                                               (『おしょうしな韓国』より)


洋服を着た朝鮮 _ 学生エッセイ53

今回はその53回目で、男子学生 YGH さんの作品です。
この学生は、かなりの文章家です。内容も学生が書いたものとは思えません。ご堪能のほど。
「俺」というようなことば遣いは、この学生の独特の言い回しなのでそのままとしました。

<洋服を着た朝鮮> 
俺たちは誰でも幸せになりたい。
幸せの基準は人それぞれだが、それを得るため何が必要なのか、
皆がどう答えるかを予測するのはむずかしくない。
たぶん“もうちょっと頑張ることでしょう。”だろう。

最近、連日メルス(MERS)の記事がでているし、政府の及ばない対応に社会は揺れている。
やばい流れだとおもう。
韓国は長い歴史の中で数えきれない外国の侵略を受けて来た。
そして政府(王朝)が見せた対応は、がっかりそのものだった。

倭人が引き起こした時も、中国、モンゴルの時も、すこし違うが、
日本の脅威でロシアの大使館に避難した時など、こんな事件を見ながら民は何を感じたのか。
収奪と政争をしたばかりで、肝心な時には民を守る義務は忘れたまま、
誰より早く逃げる連中だと考えても無理はないだろう。
すこしずつ繰り返されたこういう事件が、現代、この国の未来を暗くしている。

長い間見せてくれたノブレス・オブリージュの不在は、民(国民)の心の中に、
支配階級[政治家たち]に対する冷笑と何かの諦念を深くした。

韓国の民主主義は、1948年、南北政府が作られて以来、
約5,60年くらいでその歴史は短い。
なお民主主義の本山、ヨーロッパでは長期間の闘争で得たものの集合を、
韓国は米軍にいきなりもらった。それが何か知らずに消化する時間さえすぎていない。

よく、ヂョン・ドゥファン(全斗煥)政権をデモで追い出した事を、
韓国の民主主義の偉大な結果と言う人もいる。
もちろんあれは国民たちがみせたおおいなる勇気の結果だったし、
その価値を貶(おとし)めるつもりはない。
だが俺は、あれが独裁を追い出しただけで、民主主義の完璧な消化を成すわけではないと思っている。
たとえこの意見が間違いだとしても、あの時代の精神が次の時代となる今に至るまで、
薄れていないとは言いにくいと思う。

民主主義は万能ではない。
共産主義が“全ての人が持っている全ての能力を使ってこそ理想的な社会が成立する”
と不可能な命題を前提しなければならないように、
民主主義も“多数の意見がいつも社会全体的に最善であり、
それが洞察てきる能力を多数が持ってるべき” と、同じく不可能に近い命題を前提とする。

それをできるようにするのが、社会全体的な疎通、交流、なにより関心だ。
もちろんそれはきびしいことだろう。
さらに韓国は、儒教およびほぼ全ての男子が行く軍隊をはじめ、
硬直した社会雰囲気がそれをさらに難しくしている。

韓国の学生は、頑張って何かしているし、社会人は一生懸命働いている。
だが家庭の負債は増えているし、社会満足度は下がっている。

前述した政治的な諦念と、すぐ上で話した疎通の諦念で、
そこに入れるエネルギーはもう全て個人に向かっている。
俺たちがどこに行くのがいいか、話合い、考える代わりに、
他人に作られた流れに身を任す事になるのだ。
もちろん、そっちの方が一見楽だろう。
たしかにたくさんの人と話し合い、調節して最善を探し出すなど、夢のような話だ。

だがよく考えてみるべきだ。
米軍と共に民主主義と資本主義という現代韓国の二つの輪が入り、
身分が消えて独立国として、四民平等の時代が到来しているかに見える。

しかしそれから約60年。その短いあいだに資本によって新しい階級が形成、固着されつつある。
この新しい身分も、同じく個人の努力で克服するには限界があり、
そもそも上流社会に編入されることだけが幸せになる条件なら、それは洋服着た朝鮮にすぎず、
それ以上でも以下でもない。

幸せになりたいがなれなくて、皆が疲れているいまこそ、
そろそろ俺がどうするかからはなれて、われわれがなにをすべきかを考えなければ手遅れかもしれない。
あなたの努力が足りないのではない。その方向がすこし間違っているだけだ。

 <양복 입은 조선>
우리는 누구나 행복해지고 싶어 한다.
행복함을 느끼는 기준은 사람마다 다르나, 그것을 성취하는 방법에 대해서는 어렵지 않게 예상할 수 있다. 아마 “더 열심히 해야죠.” 일 것이다.

최근 연일 메르스에 대한 기사가 나오고 있고, 정부의 미진한 대응에 사회는 흔들리고 있다.
위험한 흐름이라 생각한다.
한국은 기나긴 역사 속에서 무수한 외침을 받아 왔다. 그리고 정부(왕조)가 보여준 행보는 실망스럽기 그지 없다.

왜란 때 선조의 피난, 호란 당시에 남한산성에 틀어박힌 일이나 몽골의 침입을 피해 강화도로
들어간 일, 조금 성질은 다르지만 임금이 일본의 위협에 러시아 공사관으로 대피한 일 등,
이러한 사건들을 겪으며 백성들은 무슨 생각을 했을까.
수탈과 정쟁이나 일삼다가 정작 난이 닥치면 국민의 보호라는 의무를 팽개친 채 종묘사직의 보존이라는 명분으로 누구보다 빠르게 도망가는 이들이라 생각했다 봐도 무리는 아니리라.
켜켜이 쌓여온 이런 앙금이 현대에 이르러 이 나라의 미래를 어둡게 하고 있다.

기나긴 세월 동안 보여준 노블레스 오블리제(지배 계급의 의무)의 부재는 백성(국민)들의 마음 속에
지배계급(정치권)에 대한 냉소와 묘한 체념을 심어줬다.

한국의 민주주의는 1948년 남북 정부가 수립된 이래, 약 5,60년 가량으로 그 역사가 짧다 할 수 있다. 더욱이 민주주의의 본산인 유럽이 장기간의 투쟁을 통해 얻어낸 결과들의 집합을, 우리는 미국에
의해 어느 날 갑자기 받게 됐다. 그것을 뭔지도 모르는 음식을 받아먹고, 그것을 소화할만한 충분한
시간도 지나지 않은 것이다.

흔히, 전두환 정권을 시위를 통해 몰아낸 것을 한국 민주주의의 대단한 성취라고 말하는 사람이 있다. 물론 그것은 국민들이 보여준 위대한 용기의 소산이었고, 그 가치를 폄하할 생각은 없다. 다만,
나는 그것은 독재를 몰아낸 것으로, 민주 정신의 완벽한 소화를 이룬 것과는 조금 차이가 있다고
본다. 설령 이것이 내 잘못된 견해라 해도, 그때의 정신이 다음 세대인 지금에 이르러서는
희미해졌다는 사실까지는 부정하기 힘들리라 생각한다.

민주주의는 만능이 아니다. 공산주의가 ‘모두가 가진 바 모든 능력을 발휘해야 이상적인 사회가
성립’된다는 불가능한 명제를 전제하듯이, 민주주의 또한 ‘다수의 의견이 항상 사회 전체의 최선이며, 그것을 통찰할 수 있는 능력을 다수가 갖춰야 한다’는, 마찬가지로 불가능에 가까운 명제를 전제로
한다.

그것을 가능케 하는 것이 사회 전체적인 소통, 교류, 무엇보다도 관심이다. 물론 그것은 힘든 일이다.
더욱이 한국은 유교와 남자 대부분이 거쳐가는 군대에서 비롯된 경직된 사회 분위기가 그것을 한층 어렵게 만들고 있다.

한국의 학생들은 열심히 무엇인가를 하고 있고, 직장인들은 열심히 일하고 있다. 그러나 가계 부채는 계속해서 늘어가고 있고, 사회 만족도는 점점 떨어지고 있다.

앞서 얘기한 정치적 체념과 바로 위에서 얘기한 소통의 체념으로, 거기에 쏟아야 할 에너지는 이제 전부 개인을 향하고 있다. 우리가 어디로 가야 하는지 얘기하고 생각하는 대신 남들이 만들어 놓은 흐름에 몸을 맡기는 것이다.
물론 그쪽이 일견 편하다는 사실은 부정할 수 없다.
많은 사람들과 의견을 나누고 그것을 조율해서 최선을 찾아낸다니, 꿈 같은 이야기다.

그러나 잘 생각해봐야 한다.
미군과 함께 민주주의, 자본주의라는 현대 한국의 두 바퀴가 들어왔다. 그에 따라 신분제가 무너지고 자주국으로서 사민평등의 시대가 도래한 듯 하다.

그러나 그로부터 약 60년. 그 짧은 시간 사이에 자본에 의한 새로운 계급체계가 형성, 고착되어가고 있다.  이 새로운 신분 역시 개인의 노력으로 극복하는 데에는 한계가 있으며, 애당초 상류사회에 편입되는 것만이 행복해지기 위한 조건이라면, 그것은 양복 입은 조선 이상도 이하도 아닐 것이다.

행복해지고 싶으나 될 수 없어 모두가 지쳐가고 있는 지금이야 말로 슬슬 내가 어떻게 해야 할 지에서 벗어나 우리가 무엇을 할 지에 대해 생각하지 않으면 걷잡을 수 없게 될 지도 모른다.
당신의 노력이 부족한 게 아니다. 그 방향이 조금 잘못되어 있을 뿐이다.

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treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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