朝を愛す 室生犀星
朝を愛す 室生犀星
僕は朝を愛す
日のひかり満ち亙(わた)る朝を愛す
朝は気持が張り詰め
感じが鋭どく
何物かを嗅ぎ出す新しさに餓ゑてゐる。
朝ほど濁らない自分を見ることがない、
朝は生れ立ての自分を遠くに感じさせる。
朝は素直に物が感じられ
頭はハッキリと無限に広がってゐる。
木立を透く冬の透明さに似てゐる。
昂奮さへも静かさを持って迫って来るのだ。
朝の間によい仕事をたぐりよせ、
その仕事の精髄を掴み出す快適さを感じる。
自分は朝の机の前に坐り、
暫らく静かさを身に感じるため、
動かずじっとしてゐる。
じつとしてゐる間に朝のよい要素が自分を囲ひ、
自然のよい作用が精神発露となる迄、
自分は動かず多くの玲瓏たるものに烈しく打たれてゐる。
ムロウサイセイの「朝を愛す」という詩です。
この朝の感覚はじつにわかります。
わたし、早朝、近くの太祖山(テジョサン)に登ることが多いんですが、
朝の山歩きは、とてつもなく気持ちいいものです。往復1時間半ぐらいです。
数年前、あるいはここを引っ越さねばならぬか、という状況になったことがあります。
そのとき、いちばん名残惜しいと思ったのは、
この山を去ることでした。
この山の朝歩きができなくなるのでは、ということでした。
わたしは、太祖山の一つの峰で落涙しました。
お前と別れたくないけど、遠くへ引っ越さないといけなくなるかもしれないよ、って言って。
その峰にはベンチがあり、鉄棒があり、七メートル四方の平らな場所があるんですが、
その場所を何十ぺんも回りながら
涙がとめどなく流れてくるのです。
そばには人はだれもおらず、わたし一人でのことだったのですが、
とても深く切ない思いにかられたものです。
結局は引っ越しせずともよかったのですけど。
サイセイの詩は、別に山に行かなくとも、朝そのものの素晴らしさを
感じ、とらえ、いつくしんでいるものだと思います。
朝そのものも もちろん素晴らしいのですが、
山の朝は、また格別であることをお伝えしたいと思い、こんな文章になっています。
2016年もみなさまのご健康とご発展を心よりお祈りいたしながら。
アデュー2015。& ウェルカム2016(丙申ひのえさる)年
アンニョン お隣さん _ 筆者のエッセイ集のお知らせ
クリスマスイブは楽しく迎えられたでしょうか。
きょうは、管理者のエッセイ集についての広告です。(恐縮です)
『 アンニョン お隣さん 韓国暮らし27年のつぶやき 』というタイトルです。
グーグルやアマゾンからはいると閲覧可能です。
管理者の韓国暮らしは、四捨五入すると三十年くらいになるわけですが、
長き韓国暮らしから見えてくるいろいろのことを、ちょっとユーモアを交えながら書いてみました。
マツノミって松ノ木にできるものと思っていたわたし。
ちがっていたんですね、それが。
マツノミというあの白っぽい、というかベージュっぽいかわいらしい木の実は、
なんていう木にできるんでしょうか?
そんな話とか、ある日本人の奥さんがその義理の父親(韓国人)にたいして
「おやすみなさい (アンニョンヒ ヂュムシプシオ) 」というところを、まちがえて
「やすらかに死んでください (アンニョンヒ ヂュグシプシオ) 」と言ってしまった話など。
でも、驚いたことにこのとんでもないアヤマチの表現が、
かえって義理の父との距離を縮めてくれるはたらきをしてくれた話などなど。
そんじょそこらの本にはない、生活臭漂う話がちょっとユーモラスに書かれている(と思います)。
『おしょうしな韓国』につづく第二弾のエッセイ集、乞うご期待!
韓国と日本の音楽 _ 学生エッセイ64
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその64回目で、男子学生 S S M さんの作品です。
「韓国と日本の音楽」
私は子供の頃から音楽が好きだった。バラ─ド、ヒップホップ、ロックなどいろんな音楽を聞いてきた。いまでも最新曲をたいてい知っている。それで高校2年生の頃、初めて日本語を学んだ時日本のアニメ以外に音楽についても関心をもった。
もっとも初めに見た日本の歌手はX-JAPANだった。X-JAPANは韓国に日本の文化が入り込んだ以後に私が知っている範囲内では韓国で一番愛された日本の歌手だろう。音楽あるいは日本の音楽に関心がない人たちもX-JAPANの'Endless rain’を聞いたことがないという人はいないだろう。だから私はX-JAPANを通じて自然に日本の音楽に入門し、そのあとに'L'Arc-en-Ciel''bump of chicken'などの 音楽を聞いた。
とくに'bump of chicken'の音楽は、歌詞が叙情的で詩的だから日本の情緒が見える窓のようなものだった。そして'kokia''Yui''安室奈美恵'などの数多い音楽を聞きながら日本と韓国の情緒があんまり違っていないということを知るようになった。
続いて最近の日本と韓国の音楽の話をすると欠かせないのが、'アイドル'だ。韓国ではちょっと人気が下火だが、相変わらず多くのグル─プが活動している。'Bigbang'や'KARA'のような韓国のアイドルは、日本での活動も良い成績を収めている。日本にも'モーニング娘'や'AKB48'みたいな国民的なアイドル以外にもいろんなグル─プが活動している。
特に日本では今'ラブライブ''アイドルマスタ'のようなアニメに出演した声優たちで構成されたグル─プがかなり人気がある。日本の有名な音楽チャートであるオリ・コンチャートにアニメ'ラブライブ'の収録曲が一位にランクされたのは偶然ではない。そのような点は日本の独特な点だと理解している。韓国ではアニメの曲が一位になる場合は絶対ないと思う。その分日本が社会的に多様な趣味を認めるというな意味もあるのだから悪いとは思わない。曲も聞いて見たけど、思ったよりずっと良かった。これからも両国の音楽を愛し、楽しむようにしたい。
[한국과 일본의 음악]
난 어렸을 때부터 음악을 좋아했다. 발라드부터, 힙합, 락 여러 가지 음악을 들었고, 지금까지도 여러 최신 곡들을 거의 다 알고 있다. 그러다보니 고2때 처음 일본어를 배웠을 때 일본의 애니메이션 말고도 음악에 대해서도 관심을 가졌다.
가장 처음 본 일본의 가수는 X-JAPAN이였다. X-JAPAN은 우리나라에 일본문화가 들어오기 시작하면서 내가 알기론 우리나라에서 가장 많이 사랑받은 일본 가수일 것이다. 음악, 일본 음악에 관심 없는 사람들도 X-JAPAN의 ‘Endless rain’을 안 들어본 사람이 없을 것이다. 그래서 나는 X-JAPAN을 통해서 자연스레 일본 음악에 대해 입문할 수 있었고 그 이후에 ‘L'Arc-en-Ciel’ 이나 ‘bump of chicken’등의 음악을 들었다.
특히 ‘bump of chicken’의 노래는 가사가 서정적이고 시적이라 일본의 정서를 볼 수 있는 창이기도 했다. 그리고 ‘Kokia’, ‘Yui’, ‘아무로나미에’ 등등 많은 노래를 들었고 일본 노래를 들으면서 일본과 한국 정서가 그렇게 차이가 많이 나진 않는다는 것을 알게 되었다.
이어서 최근 일본과 한국의 음악얘기를 하자면 빠지면 안 되는 것이‘아이돌’ 얘기다. 한국에서는 잠시 인기가 주춤하지만 여전히 아이돌의 인기는 많고 엄청나게 많은 수의 그룹들이 활동 중이다. ‘빅뱅’이나 ‘카라’같은 아이돌은 일본 활동에서도 좋은 성적을 거두고 있다. 일본도 ‘모닝구 무스메’ 나 ‘AKB48’ 같은 국민 아이돌 그룹도 있고 그 외에도 여러 다양한 아이돌들이 활동 중이다.
특히 일본에선 ‘러브라이브’나 ‘아이돌마스터’ 같은 애니메이션에 나온 성우들로 구성된 그룹들도 상당히 인기가 있다. 일본의 유명한 음악차트인 오리콘 차트에 애니메이션 ‘러브라이브’의 수록곡이 1위에 랭크된 것은 우연이 아니다. 그런 점은 일본의 독특한 점이라고 본다. 한국에선 애니메이션곡이 1위가 되는 경우는 아마 평생 보지 못할 것이다. 그만큼 일본이 사회적으로 다양한 취향을 인정한다는 의미도 되니 나쁜 점이라곤 생각하지 않고, 노래도 들어봤는데 생각한 것 보다 훨씬 좋았다. 앞으로도 두 나라의 음악을 사랑하며 즐기도록 하겠다.
マンマンハゲ _ 筆者のエッセイ25
「マンマンハゲ ボイジマ!(만만하게 보이지 마!)」。こういう教育をうけてこちら韓国の人は育つ。つまり「人に軽く見られてはならない、ばかにされてはならない」といった意味である。日本ではどうだろうか。「人の迷惑になるようなことはするな」。これが第一の教育だろう。
韓国と日本、これら二つのことばを見比べてみると、韓国のほうは自分を強く保てという教えであり、日本のほうは他人を大事にしろという教えであることがわかる。
韓国のほうが生き方の面でよりアグレッシブな傾向があり、自分を強く出そうとする積極的な姿勢が見られる。日本の場合は「人の迷惑にならないように」生きるということで、自分を強く出すというよりは、どちらかというと消極的な方向性であり、周囲の目を気にした神経質な立ち居振舞いになりやすいことは容易にうなずける。
韓国のこういう教えが「ポムセン ポムサ(폼생 폼사=形が大事、見栄えが大切、ひいては格好をつける)」というスタイルにもつながっていくのかもしれないが、人間、このせちがらい世の中で生きていくうえで、自分の品位を保ち「軽く見られないこと(만만하게 보이지 않는 것)」が、処世術としてはかなり重要な教えなのではなかろうかとこのごろしきりに思う。消極的でどこかひ弱そうな、すぐにもくずおれてしまいそうな控え目な生き方もいいけれど、自己の品位を保ち毅然とした生き方をするほうが困難ではあろうが価値ある生であるような気がしている、最近。
『おしょうしな韓国』 アマゾンより。
オンドルの家
クールジャパンということばが日本ではちょっとはやっているのだろうか。
日本のトイレ文化がけっこうクールであるらしい。
韓国はどうか。クールコリアということばはこちらでは今は使われていないが、
もしクールコリアはなにかと聞かれたら、わたしとしては、オンドルの家をあげたい。
昔ながらのオンドルの家は、今はほとんどなくなってしまい、
アパート(日本式にはマンション)の部屋は、床暖房式にはなってるが、これは本物のオンドルではない。
床の下にパイプをめぐらして、その中に温水を循環させ床全体を暖める仕組み。
ほんとうのオンドルというのは、アグンギ(かまど)から木をくべて
その熱と煙が通っていく通路のぬくみを利用して床全体をあたためるシステムだ。
見た目にはオンドルと似ているから、普通は現代のアパートの部屋を「オンドル」の部屋といったりはする。
でも本物ではない。
ところで最近、本物のオンドルの家がそこはかとない流行になっているらしい。
本格的なものはもちろん高価だが、
昔ながらのほんもののオンドル方式で作った注文式の小ぶりな家。
注文してから2週間くらいでトラックで運ばれてくるようだ。
しめて2000万ウォンから4000万ウォンくらいで買える。
日本円で200万円から400万円くらい。
もちろんそれほど安い買い物ではないが、
完全な家であることを考えると、かなりお買得ではないだろうか。
特に雪の多い東北地方の人々にはお勧めだ。
今住んでいる家があって、周りの畑などの空間があれば、
そこにトラックで運んできて設置してくれるしくみだ。
でも、日本にはこのオンドルがないから、ちょっと無理か。
オンドルは、それほど難しい原理ではないので、ちょっと学べばすぐにできる。
(建築の専門家ならば、であるが。)
友だちにも話しているが、「おっ、それやろう」という人間はまだ名乗りをあげてはいない。
1 完成したオンドルの家 2 かまど 3 オンドルの部屋 4 トラックで運ぶ
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日本語と僕 _ 学生エッセイ63
今回はその63回目で、男子学生 K B U さんの作品です。
< 日本語と僕 >
僕が日本語を始めたのは高校の一年生の頃だ。厳密に言うと中学生の頃から日本のアニメを見たり、音楽を聞きながら歌ってみたりはしていたが、本格的に勉強として始めたのがこの時である。夢も希望もなかったその頃、趣味でやったのが平仮名と片仮名を覚えることだった。最初に覚えた単語は「ともだち」だった。何度も何度も平仮名表を見ながら書いた。単に日本のアニメとか音楽に興味があって始めた日本語だったが、だんだんうまくなり、小学校の時から学んだ英語よりも知る単語の数が多くなって、いつのまにか学校の勉強もほったらかにして日本語の勉強をする自分を見て日本語の道を行くと決めた。
二年生になってからは塾に通いはじめ、いろいろと頑張ったあげく高校三年生の時、JLPT2級を取ることができた。その時の達成感は今でも昨日のことのように覚えている。僕の人生で初めて「俺もやればできる」を感じた瞬間だった。そのまま大学生になり、夢に見ていた1級を取った。ここまでは後ろも振り向かず1級だけを目指して走ってきたがもう目標がなくなって特にやることもなく無駄な毎日を過ごして軍隊に入った。除隊を目の前にこれからの人生について悩む時間を得た。もちろん日本語能力を活用する事がしたかった。EJU(日本の修学能力試験)も考えていて本まで買ったが、化学の漢字だらけの本を見て諦めたのだった。
それで考えたのがワーキングホリデー。「旅行どころか飛行機も乗ったことのない僕に果たして日本で生活ができるのか」とどれだけ悩んだものか。日本語の勉強はしているものの、これまで僕は日本語で会話をしたことがなかったのだ。自分のなかの日本語が正しいのかどうか確認するすべがなかったのだ。そんな不安を持ったまま日本関西空港行きの飛行機に身を乗せた。
結果から言うと無駄な悩みだった。分からない単語はあっても日本語が通じないことはなかった。大阪の10月のあの高くて青い空はたぶん一生忘れられないだろう。その時から日本生活を思う存分楽しんだ。通帳を作り、バイトを探し、京都や神戸に観光に行ったり、見たいものを見て、行きたいところに行って、食べたいものを食べた。その1年は僕の今までの人生で一番自分に素直になれた1年だった。
韓国に戻ってからもう8ヶ月になる。僕は今、2学期の交換学生を目の前にしている。未だに僕の未来はわからないままだ。この留学で僕は自分の未来を探してみよう思う。今までの努力が無駄にならないように。自分を探す機会になるよう頑張ろう。行くまでまだ3ヶ月も残っているが既に僕の心は日本行き特急線に乗っている。
<일본어와 나>
내가 일본어를 시작한 것은 고등학교 1학년 때였다. 엄밀히 말하자면 중학생 때부터 일본 애니메이션을 보거나 음악을 듣고 따라 부르기도 했었으나 본격적으로 공부하기 시작한 것이 이 때부터이다. 꿈도 희망도 없었던 그 시절, 취미로 하던 것이 히라가나와 가타카나를 외우는 것이었다. 처음 외웠던 단어는 ‘도모다치’였다. 몇 번이고 몇 번이고 히라가나 표를 보며 썼다. 단순히 일본 애니메이션이나 음악에 흥미가 있어서 시작한 일본어지만, 점점 잘하게 되고 초등학교 때부터 배웠던 영어보다 아는 단어가 많아져, 어느 샌가 학교 공부도 내팽개치고 일본어를 공부하고 있는 자신을 보고서 일본어의 길을 가기로 정했다.
2학년에 되어서부터는 학원에 다니기 시작하여 열심히 노력한 결과 고등학교 3학년에 JLPT2급을 딸 수 있었다. 그때의 달성감은 지금도 어제의 일처럼 기억하고 있다. 나의 인생 처음으로 ‘나도 하면 되는구나’를 느낀 순간이었다. 그대로 대학생이 되었고 꿈에 그리던 1급을 땄다. 지금까지는 뒤도 돌아보지 않고 1급만을 목표로 달려왔지만 더 이상 목표가 없어지고 특별히 하는 것도 없이 쓸데없는 매일을 보내고 군대에 들어갔다. 제대를 눈앞에 두고서 이제부터의 인생에 대하여 고민하는 시간을 얻었다. 물론 일본어능력을 활용할 수 있는 일을 하고 싶었다. EJU(일본의 수학능력시험)도 생각하고 있어서 책을 샀으나, 화학의 한자투성이의 책을 보고서 포기하였던 것이다.
그래서 생각한 것이 워킹홀리데이. ‘여행은커녕 비행기도 타본 적 없는 내게 과연 일본생활이 가능한 것인가’ 하고 얼마나 고민했었는지 모른다. 일본어공부는 하고 있었으나, 이제까지 난 일본어로 회화를 해본 적이 없었던 것이다. 자신속의 일본어가 올바른 것인지 확인할 방도가 없었다. 그런 불안을 가진 채 일본관서공항행 비행기에 몸을 실었다. 결과부터 말하자면 쓸데없는 고민이었다. 모르는 단어는 있어도 일본어가 통하지 않는 일은 없었다. 오사카의 10월의 그 높고 푸른 하늘은 아마 평생 잊을 수 없을 것이다. 그때부터 일본생활을 마음껏 즐겼다. 통장을 만들고 알바를 찾고, 교토나 고베에 관광가거나, 보고 싶은 것을 보고 가고 싶은 곳에 가고 먹고 싶은 것을 먹었다. 그 1년은 나의 지금까지의 인생에서 가장 자신에게 솔직할 수 있었던 1년이었다.
한국에 돌아온 지 8개월째가 된다. 난 지금 2학기의 교환학생을 목전에 두고 있다. 아직도 나의 미래는 모르는 상태이다. 이 유학에서 난 나의 미래를 찾아보고 싶다. 지금까지의 노력이 헛수고가 되지 않도록. 자신을 찾는 기회가 될 수 있도록 힘내자. 오사카에 가기까지 아직 3개월이나 남아있지만 이미 나의 마음은 일본행 특급선에 올라있다.