今年一年をサマライズする
2020-12-30
1月1日には普通、北朝鮮の首領様の「新年の辞」があるのだが、
今年2020年は、それがなかった。これはかなり異常な事態だった。
金正恩の迷い、不安、動揺の表れとみてまちがいないだろう。
何もなかったのは、金正恩が国務委員長になって権力を掌握した2013年以降、
今年が初めてのこととなる。
新年2021年の1月1日にあるのか、はたまたまたないのかが大きな関心事となった。注目していよう。
1月13日には、秋美愛(チュ・ミエ)法務大臣が大検察庁の幹部らを含む32人を交代する人事を発表した。
尹錫悦(ユン・ソンヨル)検察総長の方針に従って捜査に当たっていた多くの検察幹部が
大検察庁を離れることになった。つまり尹総長側の検事たちをいきなり左遷させたわけである。
理由は簡単だ。尹総長が進める捜査(文政権に大いに不利となる)をやめさせるためだ。
こんなことができるのが韓国の法務大臣だ。
与党民主党と文政権は二言目には検察改革、検察改革と叫ぶが、
改革されるべきは、法務大臣や大統領の権限なのではないのか。
そして2月に入るころからコロナ禍がはじまった。
筆者の住んでいる天安(チョナン)という町に中国の武漢から引き上げの韓国人を収容することになり、
一時天安市民は、「ここへ来るな」というプラカードや垂れ幕で牽制したが、
数日後には、「おかえりなさい」という垂れ幕を作って歓迎の意向を示した。これには筆者も驚いた。
危険性があるのによくぞ歓迎の立場になったものだと。
その後の流れを思うと、この時は本当によくぞ自己犠牲の精神を発動させたものだと喝采を送りたい。
4月には国会議員の総選挙が行われて、全議席300というなかで与党民主党が180という
過半数をはるかに上回る議席を獲得した。「国民の力」をはじめとする野党らは何をしているのかと
ハッパをかけたい心情だった。ただ、「国民の力」から2人の脱北者が当選したことは奇跡だった。
今もがんばっているのだろうが、今のところ彼らの活躍の様子がまだよく見えてこない。
6月には「何の役にも立たない」南北連絡事務所をキム・ヨジョンが爆破した。
これは数百億ウォンという巨額をかけて文在寅大統領の命令で作られたもので
文在寅の唯一の「成果」のようなものだった。これが一瞬に灰燼と化したのだ。
北に向けて風船を飛ばした行為に対してキム・ヨジョンが怒りに狂って爆破したもの。
このときのキム・ヨジョンの吐いたことばがすごかった。
文在寅を低能児だの馬鹿だのチョンだのと、考えられる限りのひどいことばを浴びせたものだ。
それでできたのが、対北朝鮮ビラ散布禁止法(2020年12月14日国会通過)というものである。
正式名称は南北関係発展法。何が発展法だと言いたいところだが。
北に向けてビラを飛ばしたりUSBを送ったりすることを完全に禁止した法である。
本来なら、キム・ヨジョンに対して
「何をほざいているのだ。連絡事務所を弁償せよ」と言わねばならないのだし、
そう言うのが普通の頭の持ち主だと考えるのだが、
韓国の大統領府と与党民主党はそうではないらしい。
キム・ヨジョンの顔色を窺ってばかりのだらしない集団と化してしまっているのだ。
9月には、黄海上で韓国の公務員A氏が漂流しているところを北朝鮮軍によって射殺されて
遺体を油で燃やされるという事件が起こった。
このときも、北になんの難癖をつけるでもないばかりか、
逆にA氏が自分からすすんで北朝鮮に行こう(越北)としたんじゃないかといった見解を
大統領府はじめ与党が出していた。さらにこのときの事件の処理に関して、
文在寅の「空白の数十時間」が問題になった。大統領として素早く指示を出すべき時間帯に、
雲隠れしていてその動線がわかっていない状況だった。これは現在も曖昧のままだと思う。
12月にはいってからも凄まじい動きがあった。
尹錫悦検察総長が停職2月という処分を一時出されて、その執行停止処分を求めて裁判を
起こしたのだが、裁判所は尹総長側の言い分を認めて、停職取り消しとなり、
尹総長は8日ぶりに検察総長の職務に復帰し今現在活発に捜査の指揮にあたっている。
月城原発書類改竄事件や蔚山市長選挙不正疑惑の行方が気になるところだ。
全て文在寅との関わりがとりざたされている。
この尹総長の執行停止判決が出る前日の12月23日には、あのタマネギ男で有名になった
チョ・グク前法務相の妻・鄭慶心(ジョン・ギョンシム)がわが子の不正入学のための
書類の偽造などを中心に11個ほどの罪状が認められて、懲役4年の実刑と罰金5億ウォンが
言い渡され直ちに拘置所に移送された。これも検察側の完勝だったし、
その次の日にあった尹総長の裁判でも勝つんじゃないかという予感が、韓国全土に走ったものだ。
文在寅によって任命された尹錫悦検察総長だったが、
尹総長のモットーが「人に仕えるのではなく法に仕える」であることを、
文在寅氏は今身に染みて感じていることだろう。
正義という語はなるべく使いたくないのだが、尹総長の歩みをみるとどうしても
この正義という語が浮かんでくる。どっかの正義連だかなんだか得体の知れない団体は知らないが、
尹総長には正義を最後まで貫いてがんばってほしいものだ。
ただし、韓国で正義という語がでてきたら、まずは眉に唾を付けて一旦考えてみるべきではある。
腹心の部下たちはすでに地方に左遷されている状況だから、
なかなか思うようにはいかないかもしれないが、尹総長のことだ。
あらゆる困難をぶち破って邁進していくはずだ。そのために筆者は祈りの時間をもうけたい。
この号が今年最後のアップとなりそうだ。
今年一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
読者の皆様のご健康とご発展をお祈りしながら。
来年もまたよき年になりますよう。アデュー2020、そしてHAPPY NEW YEAR 2021。
尹総長勝訴
2020-12-25
クリスマスの今日、いかがお過ごしでしょうか。
韓国ではちょっと大きな動きがあった。
ソウル行政裁判所行政12部(洪淳旭裁判長)は12月24日、大きな判決を出した。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領が12月16日に秋美愛(チュ・ミエ)長官の提案を
受けて裁可した尹錫烈(ユン・ソンヨル)検察総長に対する懲戒決定を
裁判所が覆したものだ。
受けて裁可した尹錫烈(ユン・ソンヨル)検察総長に対する懲戒決定を
裁判所が覆したものだ。
尹総長は8日ぶりに職務に復帰することになった。
裁判部は、任期制検察総長(=憲法によって任期が保証されている検察総長)が
今回の懲戒で回復できない損害を被ったかどうかを重点的に検討したという。
停職2月の処分についても「回復できない損害」を認めたことになる。
これによって文在寅が下した判断(裁可)が、間違っていたということを主張する結果となり、
今後文在寅政権に対する風当たりは、ますます強くなるものと思われる。
尹総長が検察総長として復帰したことにより、
蔚山(ウルサン)市長選挙不正事件や月城(ウォルソン)1号機原発の書類改竄事件といった
様々な権力型不正事件は、公捜処ではなく、
尹総長の指揮下にてこのまま捜査される可能性が高まった。
そうすれば、捜査の手は大統領にまで及んでいくことも考えられる。
蔚山事件も月城の原発事件も全て、
問題の本質は文在寅にあることは火を見るよりも明らかなのである。
問題の本質は文在寅にあることは火を見るよりも明らかなのである。
ソウル行政裁判所が、権力の目(大統領)を恐れずに
ただ法のもとに、法を中心として判断を下したことに筆者は驚いている。
穢れにけがれている大統領府および与党民主党であるが、
真実を追求しようとする部分も韓国の中に、あるにはあるのだ。
この裁判の判決に対する今後の動きが気になるところだ。
そんなこんなで今年、もう1回くらい発信できるかもしれないが、
とりあえず今日は、真実を愛する尹錫烈検察総長が、
文在寅に勝ったことをお伝えできて、うれしいことこの上ない。
また数日後にお目にかかることになりそうな雰囲気ではある。
コロナの一年、いかがお過ごしでしたか。
2020-12-22
コロナで明け暮れた2020年(令和2年)も残すところあとわずかなった。
皆様におかれましては、いかがお過ごしの年だったでしょうか。
世の中の人たちは、2020年がいろいろの意味で「転換の季」だと言っている。
来年の2月3日までが今までの時代(地の時代)で、
2021年の2月4日からは風の時代になるともいわれている。
こういう風水的な話は信じるかどうかという話になりやすいが、
筆者はどちらかというとこういう話は深く参考にしてみようという姿勢だ。
長い人間の歴史が編み出した教えであることにはちがいないし、
参考にしても被害もないことだし。
だったら積極的に取り入れていけばいいんじゃないかと考えている。
あるサイトを見たら、この「転換の季」にすべきこととして、
まずは身の回りの整理(断捨離みたいなこと)をやるべし。
そして、風=空の時代にふさわしいものとして「空を食う」(くうをくう)。
これは、腹八分目にして、残りは空を食う、つまり宇宙のエネルギーを食って
腹を満たすようにすべしということ。断食というとやりにくいが、
宇宙のエナジーを食うんだと思えば、なんとなく気が楽になるというもの。
大食をしないで地球にあるものを大切に使おうということでもあるだろう。
すばらしい姿勢じゃないか。
こういう「教え」みたいなものは、筆者は好きだ。
さて、このブログは韓国発がコンセプト。
今年もこの韓国、いろいろのことがあった。
結論からいうと、コロナとかその他のごたごたで、
大統領府と与党民主党が推し進める反日キャンペーンがほとんど
見られなかったということがいちばんの収穫か。
火の元がなくなったわけではないが、
とりあえずは、GSOMIAの破棄だとか徴用工問題に対するマスコミの報道は
一切ないのが現実だ。
マスコミ報道さえなければ、人々は日本のことなど忘れているのだ。
マスコミが煽りさえしなければ、反日もこうも激しくなっていないのだ。
(今年は幸い、反日の嵐がここ10年くらいの中で一番静かだった)。
ユニクロも人々が列を作っているようだ。
筆者も近くのユニクロに行ってみたが、列を作るほどではなかったけど、
1F にも2F にも人がいっぱいいた。
心の中だけでだけど、ユニクロ、がんばれよ、と言ってきた。
きょう12月22日、裁判がある。
前号でお届けしたユン・ソンヨル検察総長に対する停職2月という懲戒処分が
あったわけだが、これを文在寅は即裁可した。
この裁可に対して「停職執行の停止訴訟」を起こしているユン・ソンヨル検察総長に対する
裁判があるわけだ。午後に開かれるようだ。
その結果や、その影響なども含めて今年最後のブログは数日後にアップしたい。
2020年12月、韓国における検察総長に対する懲戒委員会のゆくえ。
2020-12-15
12月15日、韓国で検察総長に対する懲戒委員会が開かれた。
きょうのブログは、朝鮮日報の論説委員であるキム・グァンイル氏の論説内容を
筆者なりに簡潔にまとめてお届けしたい。
(とはいっても、だいぶ長くなってしまった;;;;)
2020年12月に大韓民国で行われている「検察総長への懲戒」、
そして「公捜処(=高級公職者犯罪捜査処)の発足」の2つの本質は何か。
それは文在寅政権が、検察権や捜査権を掌握するということだ。
この1年、秋美愛(チュ·ミエ)法務長官はまるで手綱を解かれた子馬のように、
人事権を子どものいたずらのように振り回した。
言うことを聞かない検事を棒で叩くようにして脅して追い出したかと思うと、忠犬にしたりもした。
文政権はそうしたことを頑なにやりおおせる人は「チュ・ダルク」しかいないと考え、
この1年間、検察の人事混乱はそのまま見ないことにしてきた。
チュ・ダルクとは、チュ・ミエをジャンヌダルクになぞらえたことばだ。
ところが最近、チュ・ミエ長官の存在感がうすい。ほとんど無いと同じくらい。
政権与党にも大きな足かせとなっている。
チュ・ミエに対する国民の怒りが日増しに大きくなっているからだ。
文大統領は尹錫烈(ユン・ソンヨル)検察総長の懲戒処分について、
「手続き上の公正性と正当性」を強調したが、
それは目の上のたんこぶである尹総長を裁き、後腐れがないようにせよという強力な指示を下したと同じこと。
後腐れのないようにせよ、それはまた国民の恨みの矛先が大統領と大統領府に向けられないようにせよ、そういう意味だ。
文大統領も、チョン・ハンジュン懲戒委員長も、
「適法な手続きを通じて合法的判断をするとか、速断するな、などと言っているが、
しかし懲戒の答えは決まっている。それは「ユン・ソンヨルはずし」以外にない。
解任となるか停職となるか、それは重要なことではない。
ユン・ソンヨルにいかなる検察総長の職務も遂行できないように阻止すること、
そしてそのような措置の後腐れがないようにすること、
そして大統領選挙支持率1位のユン・ソンヨルが大統領選挙に出馬できないように阻止すること、などだろう。
もう一つ、今回の「ユン・ソンヨル懲戒」という政治波紋が持つ本質がある。
それはユン・ソンヨル総長が「生きた権力を捜査した最後の検察総長」になるという点だ。
高級公職者犯罪捜査処=公捜処は関連法改正案まで一方的に処理されたことで、
早ければ今月中にも野党の拒否とけん制なしに公捜処長を任命し、
23人の検事、40人の捜査官、事務処職員、公捜処建物などの陣容を整えることになるだろう。
今週、ユン・ソンヨル総長に対する懲戒の結果がどのような形で出ようと、
それと関係なく公捜処は発足することであり、
これまで検察が捜査していた蔚山(ウルサン)市長選挙操作事件、
月城(ウォルソン)1号機経済性操作事件のような様々な権力型不正事件は、公捜処に移管される可能性が高い。
そうなれば、大韓民国憲法に明示された唯一の捜査機関である検察総長が
「生きた権力」に対抗して捜査を敢行したのは、「思い出の伝説」として残ることになるだろう。
現政権は発足時から、口を開けば「検察改革、司法改革」と叫んできた。
しかし我々は、検察改革という言葉自体が間違っていると考える。
「そうではない。この言葉は本来間違っている。
権力機関の体質を変えるには、すべての権力機関の頂点にある最高頂点を改革しなければならない。
検察、警察、国税庁、国情院、公正取引委員会、金融監督委員会、
このような権力機関を改革するにはどうすればいいのか。
まさにそのような機関の頂点に君臨しているその機関長を任免する大統領と大統領府を改革すればいい。
大韓民国は今、何よりも大統領改革、大統領府改革が必要な国なのだ。
検察改革の要諦は何か。
それは政治的中立性と独立性を確保することだ。
それなら検察の政治的中立性を最も頻繁に毀損したのは誰か。
そうだ。まさに大統領と大統領府と政権与党だ。
大統領が検察捜査に介入しなければ、大統領が検察人事に中立を守れば、検察改革は自然に行われる。
検察云々という前に、大統領が検察に介入できないように制度と法を作らなければならない。
大統領府に派遣された検事を全員復帰させ、大統領府が検察に対してああしろこうしろと干渉しなければ、
検察改革は自然に実現する。
今、大韓民国で最も歪んでいる地位と組職が、大統領と大統領府だ。
公捜処を10個、100個作っても公捜処長人事を大統領と大統領府の犬が牛耳れば、
その公捜処は大統領の忠犬にならざるを得ない。
しかし文大統領はいかなる場合であれ、公捜処長任命権を放棄しないだろう。
文在寅政権が狙っている「ユン・ソンヨル懲戒のシナリオ」は、解任であれ停職であれ、それは問題ではなくて
今すぐユン・ソンヨルを有名無実な存在にしてしまうこと、
そして2022年3月7日、次期大統領選挙日から逆算して、
ユン・ソンヨルから大統領選出馬の資格を剥奪すること、この二つだ。
与党民主党がついに「現職判事・検事が公職に出馬するには、
1年前に辞職しなければならない」という法案まで発議したのも同じ理由からだ。
この法案は一言で言って、「ユン・ソンヨル出馬禁止法」といえるだろう。
それだけ彼らにユン・ソンヨル氏が恐ろしい存在であり、
もし尹錫烈氏が大統領になることになれば、自分たちの運命が危険だと直感的に感じているためだ。
尹錫烈氏が大統領選出馬の資格をもつためには、自ら検察総長職を投げて辞任すること、
あるいは今日の懲戒結果に対して行政訴訟で抵抗することだ。
どちらにしても容易ではないだろう。
特に行政訴訟は時間がかかりすぎる。
訴訟の決着がつく頃には、検察総長の任期はもとより大統領選挙も終わっているだろう。
2022年なのだから。
私たちは自由民主主義をもう一度思ってみる。
自由民主主義とは、牽制と均衡。
自由民主主義の最大発明品である三権分立制度が十分に作動することだと学んだ。
しかし、政権が肥大化した権力で「立法独裁、司法独裁、行政独裁」を振りかざすことになれば、
最後に自由民主主義を守る砦が一つだけ残ることになる。
それは生きた権力が恐れる場所であり、そこが残っていてこそ民主主義が生き延びることができる。
それは「生きた権力」にメスを入れる検察であり、検察総長だ。
しかし、もし「生きた権力」が恐れるべきところが1か所もないとすれば、それが全体主義だ。
そのため韓国国民は、
「生きた権力」にメスを入れた大韓民国最後の検察総長が除去される過程を、忸怩たる思いで眺めているのだ。