ことばって、おもしろい。
夫:俺が死んだら海にただまいてくれるか。
でも本当はこれ、韓国語の原文で読むともっとおもしろい。
本ブログは韓国語講座ではないので、詳しい解説は遠慮させていただくけど、簡単にだけ見てみたい。
だったら、そのまま便器にでも捨ててくれよ。海までは俺が自分で行くからさ
みたいな感じになろうか。ことばのおもしろさを改めて感じさせてくたジョークだったので、
鄭会長の'成人用'秘話
韓国・現代グループの先代会長、鄭周永(ヂョン・ヂュヨン、1915年11月25日 ~ 2001年 3月 21日) の語った秘話をご紹介します。
朝鮮日報の記者が書いた記事です。
♦ここから引用♦
鄭周永会長は、それまで経験した自分の体験談や秘話などをとても気さくに、実に面白く構成して聞かせたりすることが得意だった。この中には'成人用'の話も含まれる。
1979年夏、鄭周永会長を団長とする20人余りの韓国経済使節団一行が約1週間間の
ナイジェリア訪問日程を終えて出国のためにラゴス空港に到着した。
空港に到着し、出国手続きを終えた彼らの心は単に飛行機の搭乗を待っているといった気分ではなかった。
一種の解放と安堵感で胸が張り裂けそうだったのだ。それには理由があった。
約1週間のラゴス滞在はほとんど耐え難い地獄のような日々だった。もちろん第一高級ホテルに泊まった。
しかし、とてつもない暑い天気にもかかわらず、ホテルの冷房装置がまともに動かなかった。
冷蔵庫も動かず冷たい飲み物1杯さえ飲むことができなかった。
暑さを少しでも減らす方法は、暇ができるたびに屋外プールに出て首だけ出して身を浸していることだった。
治安が不安で、公式日程以外は一歩もホテルの外に出ることもできなかった。
このような悪夢のような状況はホテルのチェックアウトの時最高潮に達した。
停電になってエレベーターが全面ストップになってしまったのだった。
空港時間に合わせなければならなかったため、いつ回復するか分からない電気をただ待つこともできなかった。
ホテルの職員は、きちんと動いてもくれなかったし、20人余りの荷物を一度に階段をつたってロビーまでおろすことはほとんど不可能のように思えた。
現地支社職員がいて彼らの助けを受けることのできた鄭会長をはじめとする代表団の一部を除いては、
汗まみれになって直接荷物を持って降りなければならなかった。
ほとんど10階以上の客室に泊まっていた代表団が荷物を持ってロビーに降りていく当時の姿は、今思い出してみても悪夢だ。
しかも代表団の半分以上が鄭会長をはじめ、キム・カクチュン京紡会長、ソルウォンシク大韓(テハン)紡織の会長、キムイプサム全経連常勤副会長など、
すでに60を越えた人たちだったため、このような状況下で、もしかして健康問題などが発生しないかと、しこたま緊張しなければならなかった。
信じがたい程だが、これが当時、ナイジェリアでの状況だった。
このような悪戦苦闘の日程を終え、ついに空港の出国手続きを終えて搭乗を待つ人々の心は、
すぐにでも高らかに万歳でもして、歌いたい心情であったことは想像するに難くないであろう。
そのとき案内放送がなった。空港事情のためわれわれが乗る飛行機が5時間程度遅れるという。
出国の期待が高まっていた代表団の失望感は並大抵のものではなかった。
しかし、しかたないことだった。空港と交渉して待っている間、代表団が別に使える小さな部屋をひとつ手に入れることができたのは幸いだった。
しかし、その時から新たな問題が生じた。彼らが待たなければならないこれから先の5時間は50時間のように感じられるようなはるか遠い時間だった。
しかも、これまでの苦労と緊張のあげく、心と体が完全に疲れ果てた状態だった。
そうかといってこの状況のもとで眠れる状況でもなかった。
このとき代表団団長であるだけでなく、最高齢者の鄭会長が乗り出した。
これらの退屈な時間をなんとか持たせるため '喜び組'エンターテイナーになることを決心したのだった。
伴奏もない状況で歌を歌うことはできない。だからといってビジネスの話も興がさめてしまう。
考えた末にみんなの関心と興味を引くことのできる「成人用、伝説を求めて三千里」を使うことにしたのだ。
以前も、鄭会長が気がおけない人びとと会食後の雰囲気を盛り上げるためたまにやっていた鄭会長のこの手の話は、レパートリーも多様だった。
ところが、同じ話でもその場の状況と雰囲気によって少しずつ変奏して作り出される。
普段むっつりやの財閥トップ鄭会長の語りの腕は、普通ではなかった。
一度彼が話を始めと、聞いている人はトイレに行くためにしばらく席を空けることさえ惜しいほど。それくらい会場を魅了させるのだった。
話の主人公が変わるたびにその人物と状況の雰囲気に合った裏声で、女性なら女性、屈強な男なら男、
そうした声を駆使しながら導いて行く彼の話の実力は、初めて経験する人にはその意外性のために衝撃に近いショックを受けるほど。
その日、ラゴス空港で彼が繰り広げた「成人用、伝説を求めて三千里」を要約・整理して紹介してみよう。
" 昔ある村にとても大きな大家が一人いた。
ところが世の中にうらやむことの無いようなこの宗家にも悩みが一つあった。あらゆる努力をしても子孫ができないんだな。
お祈りし、グッ(厄払いのような儀式)をしてみたり、体にいい薬という薬は全部飲んでみたが、さっぱりだ。
考えた末にシバジ(子を産むだけの女性)も雇ったり、いろんなことをやってみるが、
種が悪いのか畑がずさんなのか、全然効果がないんだ。
そうこうするうち、奥さまが霊験あらたかという噂の山奥の寺に百日の祈祷をしに行った。
ところで、本当に驚いたことに百日祈祷を終えた末に赤ん坊ができたんだ。月が満ちたる前にとうとう子供を産んだんだ。女の子だった。
どうして子どもが早く出たのかは私もしらない。たぶん父親とは一つも似てなかったとか。しかし、7か月の子でも8か月の子でも問題ではないさ。
この家に子どもができたわけだから、これ以上めでたいことがどこにあろう。村の人を呼び、牛をつぶし豚をつぶして宴を数日間した。
もちろん、その山中の庵にも少なからぬご褒美が送られた。
手で触ったがら壊れるんじゃないか、吹けば飛ばされるんじゃないかと(蝶よ花よと)育てた娘が、
いつのまにか18歳を超えて20歳の花のお嬢様になった。
ところで、なぜかこのお嬢さんはお嫁に行けなかった。1、2年の間に親までもこの世を去ってしまった。
突然に大きな宗家を統率する家長になったわけだ。
そのため婚期を逃し30代に入ろうとするところだった。
その時代には娘が二十を迎えただけでも、婚期を逸したということで結婚相手を決めることが難しい時代だった。
そんな中、夏が終わろうとするある日、隣村からある伝言が来た。
親戚の家に大事があるから必ず参加してほしいという内容だった。
親戚の家の大事に出ないわけにもいかない…。それで家の召使の中で一番優れて丈夫なトルセという男を選んで外出することにした。
ほとんどの時間、完全に家の中だけで育てられたお嬢さんは、外へ出たらとても不思議なことだらけ。
山を見ては驚き、水の見物をしては喜びと、ルンルン歩を進めた。そうしていきなり、深くはないが小川に出たんだ。ところで橋がない。
帰るわけにもいかないし、足袋と履物を脱ぎ、裸足で渡るしかない。しかし、どうして貴人のアシ(お嬢様)が、素肌を現わして川を渡ることができようか。
トルセと言う男がもじもじしながら背中をさしだす。
「アシ(お嬢様)、私の背中におぶさってください。」
特に暑い日でもないってのに、何歩も行かないうちにトルセは急に体がほてってきて体に汗が流れるのを感じた。今まで重い米俵一俵を背負う時も、そんなことはなかった。
汗が出始めて湿ってきた頑健なトルセの背中にぱたっとおぶさったお嬢さんも、いつのまにかトルセのように胸がばくばく。全身がほてるのを感じ始めた。
健康な男の下着から漂ってきた幽玄な汗の臭いにお嬢さんは溶け込むようにますます頭がくらくらしてきた。これまでに一度も感じたことのない症状だった。
ところで悪いことには、川の堤防につながれていた牛2頭が実に奇怪なことをしているではないか。どっしりとした雄牛が雌牛の背に乗って口からは泡のような汗のようなものを激しく噴き出しながら「そのこと」を大仰にしていた。トルセはきまり悪くて身の置き所もわからず、顔は真っ赤になって首を回したが、これがまたなんの仕業か、お嬢さんは目をぱっちりとあけて牛だけを見つめているではないか。そうして自分を負って行ったトルセの背中をを叩きながら自分も知らないうちに少しずつ速くなっている息を抑制し、ささやくように聞いた。
「ねえ、トルセ、あそこのあの牛たち、今何をしているんだい?」
ただでさえ、お嬢さんを背中に負って体は火のように燃え上がっているうえ、原因の分からない冷や汗までかいていたところに、トルセにとっては危険極まりない質問が飛んできた。事実をそのまま説明することもできず、お嬢さんの問いに答えないわけにもいかず…。
瞬間悩んだ末、自分なりに知恵を絞って返事をした。
「アシ(お嬢様)、あの雄牛がこの暑い天気で、今雌牛の暑さを抜いてあげようとあんなに苦労しているんです。その熱い熱気に耐えられず、汗を流すのを見てください。」
「ああ、そうなんだ…。」
知ってのことか知らずのことか、お嬢さんは頷きながら首をふって答えた。
そうしていつのまにか川を渡ってしまった。二人とも心の中では川をもう一度わたってみたいという気持ちが充満していたが、どちらもどうしても言葉を出すことができない。お嬢さんもトルセも、名残惜しさを感じながらも、特別のこともなく隣町まで何事もなく行った。
ところがその後からが問題だった。
宗家の小間使いのトルセは、もともとの運命にはじめからそうあったのかどうか「苦労」をすることになったのだ。暇さえあれば、アシ(お嬢様)がトルセを呼ぶのである。
「これこれ、トルセよ、お前ここに来て、私の暑さを除いておくれ。なんでこんなに天気が暑いのか、とうてい我慢できないわ。」
これはまたどうしたことでしょう。
夏が去り秋も去り冬が近づいても、お嬢さんの暑さ除きのおねだりと注文は継続されたんだとさ。"
元ネタがどこかにあって鄭会長がそれを面白く脚色したのか、それとも彼の純粋な創作物だったのか、筆者は知る由もない。長い時間が過ぎた今もこの話をたまに思い出すとちょっと色っぽいところが、諧謔とヒューマニズムのにおいがぷんぷん漂う立派な短編小説の主題にもなりうるんじゃないかと思われる。とにかく、ちょっと見では想像できない鄭会長のまた別の姿が垣間見える話だ。
鄭会長はそんな面でも、生まれつきのリーダーだった。
出典:朝鮮日報
http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/09/04/2014090401895.html
♦ここまで引用♦
鄭周永会長は、一代で今の現代(ヒョンデ)グループを作り上げたやり手だった。
現代グループは今は現代自動車が一番有名だが、韓国では、現代建設、現代アパート、現代半導体など、やってない事業はないくらい幅広いグループ企業だ。現代に入社するのは狭き門だ。
鄭周永会長はまた、1998年の6月と10月、2回にわたって計牛1,001匹をひっつれて板門店を越え北朝鮮に入った。出発する前、83歳の鄭周永会長は臨津閣(イムジンガク)で「今回の訪問が南北間の和解と平和を実現する礎になることを心から期待する」とその感慨をコメントしている。
こういうスケールの大きな経営者が日本にもいるだろうか。
1998年のあの「事件」をテレビでだが目の当たりにしたわたしは、そのスケールの大きさに激しく心打たれたものだ。いまも記憶に新しい。また機会を見て、鄭周永会長のことは書いてみたい。
医学部の実習
大学の医学部。
医者の卵たちが、教授のあとについて死体解剖室に入る。
横たわる死体を前に、教授は
「医者はあらゆる恐怖心、忌避心を振り払い何でもやれることが必要」
と学生らに教える。学生らは「はい」と一斉に返事を返す。
かなり緊張した面持ちだ。はじめての実習だからそれもいたしかたのないこと。
「これから実習にはいるが、皆、ようく聞き、観察するように」。
教授もはじめての学生らが緊張しながら聞いているのを見て自分もどことなく緊張する。
教授はまず右手の指を肛門に入れて何やら中のものを確認しているようだった。
「医者はどんなことにもびびらず、果敢になんでもやれる度胸が必要だ」。
そして学生ら一人一人に同じようにするように言う。学生らはおそるおそる肛門に指を入れてみる。
感触を確認しながら。
一通り終わると、今度は教授は指をぺろぺろなめはじめた。
「全員、指をなめてみて、その味を確認せよ」。
これにはさすがに学生らは戸惑った。
「げげっ。内容物がついているこの指をなめるの!?」。
「うぐっ。それだけはできない。あたし、もうだめ」。
あちこちから悲鳴に近いつぶやきや黄色い声が聞こえるのだった。
「なんぼなんでも、それだけは、、、」。
しかし勇気のある学生がまず指をなめはじめた。
顔色も変えずに。2番目の学生がそれに続いた。
すると他の学生たちもいっせいに指を嘗めるのだった。
するとおもむろに教授が言った。
「医者は観察眼が鋭くなくてはいかん。わたしは右手の中指を肛門に入れたね。」
「はい、そうです」
「嘗めたのはどの指か?」
「同じ指じゃなかったんですか」
「ようく見てみなさい。わたしが嘗めた指は人指し指だよ」
「げげーっ。そんな。あんまりだ。」
医者の卵たちは口の中のものを吐き出そうとしたが、すでにこと遅し。
口のなかに異様な味と香りが拡がり、それは消そうにも消せるものではなかった。
学生らの身を挺しての実習はこのように行なわれたのである。
教授は大きな成功を納めた形だ。 めでたし、めでたし。
權なにがしの屈辱 _ 韓国のジョーク002
クォン(權)なにがしの屈辱
ある日、安なにがしが、道行くお坊さんを呼びとめた。
「お坊さん、ちょっとお聞きしたいことがありまして」
「はい、どんなことでしょうか?」
「私は、安なにがしといいますが、
隣りに住む權なにがしという者が、ことあるたびに冗談に
「女が笠をかぶった姓 (安のこと) といいながら私をばかにし、こけにするんですよ。
私もこの權なにがしをコケにする方法はないものでしょうか」
權なにがしには、他人の姓の揚げ足をとり、笑い物にしてはこけにするという
悪い習慣があったのである。
「しからば、日を決めて權なにがしを自宅に招待してくだされ。
さすれば、わたくしめがあなたの家の前を通り過ぎますから、
小生をお呼びくだされ。そのあとはわたくしめがよきように計らいます。」
安なにがしは、お坊さんからこのように約束をとりつけてもらった。
約束の日、お坊さんが安なにがしの家の前を通りすぎようとしていた。
「もしもし、もしもし、大和尚様」
安なにがしが大急ぎでお坊さんを呼びとめた。
「はい。どうかなさいましたか」
「こちらに来て、酒でも一杯いかがですか」
お坊さんが安なにがしの応接間に入り、
お酒を飲みはじめた。
同席していた權なにがしがお坊さんに尋ねた。
「高僧様、姓はなんとおっしゃいますか」
「はい、わたくしめ、姓がちょっと複雑でございます。
母がわたくしめを妊娠したとき、4人の男と関係を持ちまして
小生の姓を知るのが困難となりまして、
4人の男の姓であるイ(李)氏、ノ(盧)氏、オム(嚴)氏、チェ(崔)氏を
すべて合わせて小生の姓を作ったと申しておりました。」
「ほう、それでその姓とは?」
「申し上げるのも恥ずかしいかぎりです。
李氏からは、「木」の字を一つ取り、
盧氏からは、草かんむりの艸を一つ取り、
2度関係を持った嚴氏からは、口の字を二ついただき、
崔氏からは、ふるとりの字(隹)を一つ取り、
みんな合わせてクォン(權)氏の姓となったと申しておりました。」
自らの姓氏をばかにするお坊さんの話を聞いていた權なにがしは怒り心頭に発し、
「ええい、きさま、天下のアホウ家門、權氏だったのか」
といいながら、お坊さんに悪態をつき、自分は顔を火照らせるのだった。
すると久かたぶりに權なにがしをこてんぱんにした安なにがしは胸のつかえがとれ、
權なにがしにさらなる寸鉄を浴びせた。
「君と同じ家門(宗氏)の関係なんだね」
權なにがしは顔をひきつらせた。
その後、權なにがしは人の姓に対して
バカにしたりケチをつけたりいいがかりをつけたりする悪癖がなくなったそうな。
めでたしめでたし^^。
参考サイト:http://blog.daum.net/heeg1209/1181/
ちなみに、上のジョークは、特定の家門の悪口ではありません。一つの笑い話としてお受け取り下さい。
旦那さんの願い _ 韓国のジョーク001
韓国のジョークでおもしろいものがあったら、その都度
ここにアップしていこうと思います。
今日はその1回目で、「旦那さんの願い」です。
< 旦那さんの願い >
ある旦那さんが…。
自分は毎日出勤して苦労しているが…
女房は家でごろついているようだ。
どう過ごしてるのか詳しく知りたい。 それで
神様に祈りながら願い事をしました。
主よ、
私は毎日8時間も熱心に仕事をしているのに、
家内は家にいるだけで す。
それで私が出勤してどれだけ苦労して働いているのかを
女房がわかるようにしてあげたいんです。
なので、主よ。ぜひ一日だけ
お互いの肉体を変えてくださいませんか。
気の毒に思った全能の神様は
その夫の願いを聞き入れ、、
次の日の朝、夫は女になっていた。
彼女は起きるやいなや
ご飯を炊いて子供たちを起こし、
服を着させながらご飯を食べさせ、
お弁当を作って学校に送り、
夫を出勤させて、
洗濯物を集めては洗濯機を回し、
猫にご飯をやり、
布団をたたんで部屋の掃除をしてさらに部屋の床を拭き、
犬を洗ってあげ、
請求書の決済のため銀行に行き、
帰って来る途中、市場で食料品を買い、
その重い手提げをひいひいいいながら持って、
家に帰ってきたらもう午後1時が過ぎている。
洗濯物を干して
子供たちが学校から帰ったら食べる間食を準備し、
子供たちを待ちながらアイロンをかける。
ややあって子供たちが学校から帰ると、
食べさせ、宿題をやりなさいと、どなり、
しばらくTVを見ながら一息いれると、
もう午後4時30分、もう夕方だ。
それでまた、大急ぎでお米をとぎ、
肉を切って野菜を切り刻み、
みそ汁を作り、夕食の準備で目が回るほど忙しい。
夫が退勤して夕飯を食べた後は後片付け。
それを終えると今度は
洗濯物を畳んで入れ
子供たちを寝床に寝つかせてると
もう夜9時が過ぎている。
しかし、
まだ彼女の一日の日課は全部は終わっていない!!??
彼女は疲れた体で寝床に入り、
夫の要求まで聞いてあげなければならなかった。
翌朝になって
彼女は目が覚めたとたん
ベッドの横に跪いて祈祷をした。
主よ! 私が本当にバカでした。
女房が家でする仕事を
あまりにも知らずに嫉妬していました。
どうかお祈りいたします。
私を元通りの男に、つまり夫にしてください。
しかし、神様はにっこり笑って
お前、それはだめだよとおっしゃった。
昨日一日、お前は本当にいい経験と反省を得たものと信じている。
私もお前がすぐ夫にもとがえることを願うが…
お前は今日からきっぱり10ヵ月後に
夫にもどるしかないのだ!
なぜ、?。
なぜなら、。
↓
↓
↓
↓
お前は昨日の夜に、どんぴしゃり、
妊娠してしまったからさ。www!!!
<한국어 원문 >
어떤 남편이..
자긴 매일 출근하여 고생하는데
마누라는 집에서 빈둥대는 것 같아
어떻게 지내는지 자세히 알고 싶어
하나님께 기도하며 소원을 빌었답니다.
주여,
나는 매일 8시간이나
열심히 일 하는데,
집사람은 집에만 있습니다.
그러니 내가 출근하여 얼마나 힘들게 일하는지를
마누라가 알도록 해주고 싶습니다.
하오니 주여~ 꼭 하루만
서로의 육체를 바꾸어서 지내게 해 주십시오.
딱하게 여긴 전능하신 하나님은
그 남편의 소원을 들어주었고,
다음 날 아침 남편은 여자가 되어 있었다.
그녀는 일어나자 마자
밥을 짓고 애들을 깨우고,
옷을 챙겨 밥 먹이고
도시락을 싸서 학교로 들려 보내고,
남편 출근 시키고,
세탁물을 거두어 세탁기에 돌리고,
고양이 밥을 챙겨주고,
이불개고 쓸고 닦으며
돌아가면서 집안 청소를 하고
개를 목욕 시키고,
청구서를 결제하려 은행가서 일 보고
오는 길에 장봐서 낑낑 대며 집에 돌아 오니
벌써 오후 1시가 넘었다.
빨래를 널고
애들이 학교에서 돌아오면
먹을 간식을 준비하고,
애들을 기다리며 다림질을 하였다.
좀 있다가 애들이 학교에서 돌아와
먹이고 숙제하라고 실갱이(실랑이)를 벌이고는
잠시 TV를 보며 숨 돌리는데
벌써 오후 4시 30분 저녁 시간이 다아 되었다.
그래서 또 허겁지겁 쌀 씻고
고기 저미고 채소를 다듬어서
국 끓이고 저녁 준비를 정신 없이 하였다.
남편이 퇴근하고
저녁 먹은 후에 설거질 끝내고
세탁물을 개어 넣고
애들을 잠자리에 들려 재우고 나니
벌써 밤 9시가 넘었다.
그러나
아직도 그녀의 하루 일과는
다아 끝나지 않았다!!??
그녀는 지친 몸으로
잠자리에 들었고
남편의 요구까지 들어줘야 했다
다음날 아침이되어
그녀는 눈 뜨자 마자
침대 옆에 무릎 꿇고 기도 하였다.
주여! 제가 정말 멍청 했습니다.
마누라가 집에서 하는 일을
너무나 모르고 질투하고 말았습니다.
제발 소원하오니,
저를 원상으로 회복하여
당장 남편으로 돌려 주십시오.
그러나 하나님은 빙긋이 웃으시며
이 사람아 그건 안 되느니라 말씀 하셨다.
어제 하루 너는 정말 좋은 경험과
뉘우침을 얻었으리라 믿는다.
나도 네가 바로 남편으로 돌아 가길 바라지만,..
너는 오늘부터 꼭 10개월 후에야
남편으로 돌아 갈 수밖에 없게 되었다!
왜,..?? 왜냐하면,..
↓
↓
넌 어제 밤에 그만
임신 하고 말았기 때문이니라ㅎㅎㅎ!!!