日本語が原動力 _ 学生エッセイ0031
韓国の若者、大学生がどんな文章を書くのか。
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその31回目で、KGTさんの作品です。
(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)
< 日本語が原動力 >
私が日本語を本格的に習い始めたのは高校2年生からだ。その前は趣味で日本ドラマや映画、アニメを見て、高校2年生になって第2外国語として日本語を選んで勉強するまで平仮名も良く知らない文盲だった。
初めて平仮名から習ってあいさつや基本的な会話をする時まで楽しく勉強していた。しかし楽に勉強することができるのはそこまでだった。単語と漢字を覚え始めると、勉強するのが難しくなった。単語は日本ドラマや映画で見たのを記憶して知っていることがあってよかったが知っている単語の中で発音を間違えて覚えたものもあるし漢字はよく知らなかったためにたいへんだった。
学生たちは試験を受けてからいつも勉強がよくできる友だちの周りに集まって問題の答え合わせをする。私の成績は中間ぐらいだった。そして中間テストを受けてからクラスで勉強ができる友だちに行って問題の答えがあっているか確認する方だった。しかし日本語の試験は私が聞きに行った友だちが私に来る科目だった。勉強ができる友だちが私に、この問題は合っているかと聞いてくるときはなんとも勉強した甲斐があったなあと感じられたものだ。それでそういう気分をほかの科目でも感じたくて勉強をがんばってした記憶がある。いまは私より日本語をよくできる人が多くいるから私が聞く立場だが、いつかほかの人が聞きに来る人になりたい。
< 일본어가 원동력 >
내가 일본어를 본격적으로 배우기 시작한 것은 고등학교 2학년부터이다. 그 전까지는 취미로 일본 드라마나 영화, 애니메이션을 봤었고, 고등학교 2학년이 돼서 제 2 외국어를 일본어를 선택해 공부하기 전까지는 히라가나도 제대로 모르는 문맹이었다.
처음 히라가나부터 배우고 인사말이나 기본적인 회화를 할 때 까진 편하게 공부했었다. 하지만 편하게 공부할 수 있었던 것은 거기까지였다. 단어와 한자를 외우기 시작하면서 공부하는 것이 힘들어졌다. 단어는 일본 드라마나 영화에서 본 것을 기억해서 알고 있는 것이 있어서 괜찮았지만 알고 있는 단어 중에서 발음을 틀리게 외운 것들이 있었고 한자는 잘 몰랐기 때문에 힘들었다.
학생들은 시험을 치르고 나면 언제나 공부 잘하는 친구들 주위에 모여서 문제의 답을 맞춘다. 나의 성적은 중간정도였다. 그래서 중간고사를 보고 난 다음엔 반에서 공부 잘하는 친구한테 가서 문제의 정답이 맞는지 확인하는 쪽 이었다. 하지만 일본어 시험은 내가 물어보러 간 친구가 나에게 오는 과목이었다. 공부 잘하는 친구가 나에게 이 문제가 맞냐고 물어볼 땐 왠지 공부한 보람이 느껴졌었다. 그래서 그런 기분을 다른 과목에서도 느끼고 싶어서 공부를 열심히 했던 기억이 있다. 지금은 나보다 일본어를 잘하는 사람이 많기 때문에 내가 물어보는 입장이지만 언젠가 다른 사람들이 물어보러 오는 사람이 되고 싶다.
調和級数(2) _ 数学の話題006
4月 27日に書いた内容の続きです。
分数だけの単純な式なので、しばしお付き合い願います^^。
1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + 1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8 + 1/9 + 1/10 + 1/11 + 1/12 + 1/13 + … = ??? (a)
ということで、
「調和級数」( a ) の結果がどうなるのか。
1にすこしずつでも小さな数を足していくのだから、
いつかは無限大になるだろうことは予想されます。
でもそのことをどうやって証明すればいいでしょうか。
力尽くでやっては無理ですが、ものすごいエレガントな証明があります。
皆様も楽しんでください。
(証明)
はじめの二つの部分、1 + 1/2 はそのままにしておいて。
次の二つの部分、つまり 1/3 + 1/4 を考えます。
これは 1/4 + 1/4 よりも大きいです。(1/3と 1/4を比べると1/3のほうが大きいことはわかる。)
式で書くと、
1/3 + 1/4 > 1/4 + 1/4 = 2/4 = 1/2
となり、 1/3 + 1/4 の部分は 1/2 よりも大きいということがわかります。
次にその後の4つの部分、 1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8 を考えます。
最後が 1/8 なので 1/8 を中心に考えます。
1/5 は 1/8 より大です。 1/6 も 1/8 より大です。1/7 も 1/8 より大です。したがって
1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8 > 1/8 + 1/8 + 1/8 + 1/8 です。
で、 1/8 + 1/8 + 1/8 + 1/8 =4/8 = 1/2
となり、
1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8 の部分も 1/2 よりも大きいということがわかります。
次にその後の8つの部分、
1/9 + 1/10 + 1/11 + 1/12 + 1/13 + 1/14 + 1/15 + 1/16 を考えます。
同様にして
1/9 は 1/16 より大です。
1/10 も 1/16 より大です。1/11も、 1/12も、 1/13も、 1/14も、 1/15も、全て
1/16 より大です。つまり
1/9 + 1/10 + 1/11 + 1/12 + 1/13 + 1/14 + 1/15 + 1/16 は
1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 より大です。
1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 + 1/16 = 8/16 = 1/2
ですから、
1/9 + 1/10 + 1/11 + 1/12 + 1/13 + 1/14 + 1/15 + 1/16 の部分も 1/2 よりも
大きいということがわかります。
以下同様にして、
次の16個、32個、64個、128個、、、つまり2倍、2倍、、、と区分けしていくことができ、
その区分けの部分が全て 1/2 よりも大と示せます。
つまり、いつまでいっても 1/2 より大のものが加算されていきますので、
はじめの式 ( a )
1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + 1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8 + 1/9 + 1/10 + 1/11 + 1/12 + 1/13 + …
の結果は、無限大ということになります。
これで
1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + 1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8 + 1/9 + 1/10 + 1/11 + 1/12 + 1/13 + … = ∞
ということが示せました。
( a )の式、つまり
1 + 1/2 + 1/3 + 1/4 + 1/5 + 1/6 + 1/7 + 1/8 + 1/9 + 1/10 + 1/11 + 1/12 + 1/13 + …
「調和級数」は無限大になる、つまり「調和級数」は発散する、ということですね。
いやあ、おもしろいですよね。
上の証明は、ニコル・オレーム (1323年ごろ-1382年) によって証明が得られているそうです。
皆様はいかがですか。あんまりおもしろくないですか?
見ただけでは無限大になるのか、何かに収束するのかわからないのですが、
上のような手順で考えれば、無限大になるということがはっきりと示せるわけです。
これが、おもしろくないわけがないとわたしは考えまして、わたし、
子どもに話し、妻にも話しました。
でも、反応はゼロでした。おもしろくないんですね。どうでもいいことなんですね。
もちろん、明日のパンのためにはなりません。
なんにもなりません。
でも、わたしはおもしろいです。不思議すぎておもしろいんです。
共感してくださる方が現われることを願ってやみません^^。
老眼
私たちはだれも年老いる。肌の弾力性は落ち、脂肪がたまり、しわは増えていく。目もまた例外ではない。誰も老眼を避けて通ることはできない。そうはいってもお手上げでばかりはいられない。老眼とその対処法について江南聖母病院眼科の金星煥(キム・ソンファン)院長に聞いた。
Q1. 老眼の原因は?
老眼は老化の一種だ。年を取るほど眼球調節力が減少するが、これは水晶体や水晶体の屈折力を調節する周辺の筋肉(毛様体)の弾力が落ちて現れる現象だ。もちろん若い時は毛様体の弾力が優れている。近い距離にある事物を見る際には毛様体が収縮して水晶体が厚くなることで屈折力が増加する。物事をはっきり見ることができるということだ。しかし年を取るにつれて毛様体の弾力が落ちて近い物を見る時も水晶体の屈折力が増加しない。ゆえに遠い距離はよく見えるものの、近い距離にある事物はぼやけて見えるようになる。老眼は遺伝的要因とは関係がなく、環境的要因とは関連がある。同じ40代半ばでも、個人に応じて偏差が大きいが、運動をやって老化に備えた人は、確かに老眼も遅く訪れる。
Q2. 老眼の主な症狀は?
近距離にあるものがよく見えないのはもちろん、時によって視界が悪くなるなどの症状が現れる。遠いものと近いものを交替で見るとき焦点の転換が遅れて本を読む時に目が疲れやすくなる。頭痛がでることもある。照明が暗い所で文章を読む時や小さな字を見るとき症状がひどくなる。見たい対象が遠くにあるほど比較的目が楽だしよく見える。
Q3. 老眼になる時期がだんだん早まっているということですが?
老眼は一般的に40代前半に始まり、50代に最も速く進行するものと知られている。しかし最近はパソコンやスマートフォンなどの使用が増え、老眼発生年齢が低くなっている。30代後半から老眼を経験したりする。老眼は性別とは無関係であるが、社会生活をたくさんする男性たちがどうしても家事をする女性より症状を早く感じる。
老眼の増加率2006年と2011年に患者800人を対象に調査した結果、最近5年の間老眼患者が急速に増加していることが分かった。
Q4. 老眼を豫防する方法はないのか?
老眼を防ぐ医学的方法はない。老けて行くのを防ぐことができないのと同じ論理だ。ただ目の健康に良いとされるホウレンソウ、カボチャ、ニンジン、ブルーベリー、ビタミン、オメガ3などを摂取することが役に立つ。世間に出回っているルテイン成分の目の栄養剤もいい。こうしたものが老眼の進行を少しは遅めてくれる。治療剤ではなく補助剤というわけだ。良い食べ物を摂取しながら着実に運動することが最善だ。
老眼の予防に向けた10つの心得
①過度な喫煙と飲酒は避ける。
②強い紫外線を避けてサングラスの着用で目を保護する。
③目にいいルテインとビタミンが豊富な緑黄色野菜と果物、タンパク質を十分摂取する。
④インスタント食品や過度に甘い食べ物は避ける。
⑤暗い照明で本を読むことを避けて適切な照度(白熱灯一つにスタンド蛍光灯を一緒に使用した程度)を維持する。
⑥バスや地下鉄のような揺れるところで本を読まない。
⑦TVは必ず電気をつけて見る。
⑧長時間作業をする時には、1時間ごとに5分ほど休憩をとる。
⑨コンピュータでは30センチ以上離れて作業する。
⑩40代以降からは1年に1~2回眼科検診を受ける。
Q5. 老眼を矯正する方法は?
一般的に老眼鏡を着用する老眼鏡は一番簡単な老眼矯正方法である。老眼の初期から中期、後期まで自分の状態に適合した眼鏡のレンズを選択することができるという長所がある。しかし、水晶体の調節力が減少するごとに眼鏡の度数を上げなければならないという点やレンズの部分部分の矯正の差に関して適応が必要だという点は短所だ。最近は老眼矯正術も多くある。この老眼矯正術は根本的に老眼を取り除く手術ではない。「20代の目」に完全に帰ると誤解するむきもあるがそうではない。手術後にも時々老眼鏡の助けをかりなければならない時もある。ただ、生活はずっと楽になる。手術は社会活動が活発な40代後半から50代が最も多い。手術の副作用としては、レーシック(LASIK)・ラセック(LASEK)手術と似ている。眼球乾燥症や夜間光のにじみなどの症状が現れることもある。
Q6. 最近脚光を浴びている老眼矯正術は?
老眼矯正術は、原因である水晶体はそのままにしておいて角膜に手を加え老眼鏡をかけるような効果を与えるのが原理だ。手術法は大きく3つに分けられる。
手術法は大きく3つに分けられる。
ウソンアン(主に使用する目)は遠い距離を、ビウソンアン(副次的な目)は近い距離がよく見えるように合わせるモノビジョン、それぞれの目から遠い距離と近い距離を分けて見られるように角膜を切削するマルチフォーカス、そしてドーナツの形をしたレンズを挿入して遠い距離、近い距離、中間距離ともよく見られるようにするカメラインレイなどだ。
現在一番好まれる手術法はマルチフォーカスだ。モノビジョンより費用が2倍ほどかかるが、両眼の視力差のために生じるめまいなどを防止することができる。モノビジョンとマルチフォーカスが一度で終わる手術に翌日のすぐ回復されれば、カメラインレイは計2回手術を進行して回復期間も3ヶ月程度で比較的長い。費用も3~4倍も高い。しかし、老眼に以降、ある程度進行されると言っても見ることに問題はない。以前にレーシック手術をした場合ならカメラインレイの手術を受けることができる。
白内障と老眼が同時に生じれば、混濁した水晶体を除去して人工水晶体を移植する手術を受けなければならない。既存の水晶体があった場所に焦点眼内レンズを挿入して遠い距離と近い距離がよく見えるようにする。この老眼矯正手術は方法によって10~40分程かかる。目の状態や職業、ライフスタイルなどを考慮した上で専門医と相談して手術法を決定するのがいい。
出典:朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/05/02/2014050201183.html?csmain
韓国も日本もだいたい同じような方法でやられているものと思います。
ドラマ『鄭道傳』(ヂョン・ドヂョン)
今こちら韓国では、KBS1のゴールデンタイム土・日の午後9時40分からのドラマ『鄭道傳』が人気です。高麗末から朝鮮時代にはいる混沌の時代を生きた一人の学者(ソンビ)の生涯を描いたドラマです。このドラマもそのうち日本で放映されるものと思われます。おもしろいです。わたしも毎週見てます。
♦ここから引用♦
高麗末のように乱れた韓国社会…革命家 鄭道傳(ヂョン・ドヂョン)に共感する
時代劇「'鄭道傳」'に熱狂する40-50世代たち、「ギャグコンサート」見ないで本邦死守、なぜか。
朝鮮のチェ・ゲバラ…命をかけて革命を主導し、民本・爲民政治を推進… 夢が結実される前に夭折して永遠の'革命アイコン'に。
最近40~50代中年男性視聴者の間で人気を集めているというKBS1ドラマ「鄭道傳」。
4月13日(日)に放送されたドラマは視聴率17.1%(全国基準)を記録し、伝統の視聴率王者であるコメディー番組「ギャグコンサート」(16.4%)を抜いて同時間帯では第1位を占めた。3月9日以降6週間連続'ギャグコンサートの代わりに『鄭道傳』を視聴した人が多かった。視聴者掲示板には「現代の男なら必ず見なければならないドラマ「「時代劇においてアクションシーンがなくてもスペクタクルで迫力溢れるものにもなるということを見せてくれた」などの文章が掲載されている。
公務員ガン・テウン(51)さんは「民のための名分と実際の権力争いの実利をすべて準備しながら、新しい王朝を作る姿が興味深い」、「この過程で戦略を樹立して、反対側に対抗する勢力糾合に乗り出している姿がまるで今日の政治ドラマを見ているようだ」とした。
朝鮮の建国過程を描いたドラマ『鄭道傳』に触発された'鄭道傳熱風'が出版・文学界に拡散している。1997年に出版された鄭道傳(ヂョン・ドヂョン)に対する初の大衆歴史書『鄭道傳のための言い訳』(以下'言い訳')が17年ぶりに2版を刷り、大型書店には鄭道傳コーナーができた。'言い訳'の著者・ヂョ・ユシク(インターネット書店アラジン代表)氏は、「この本を書く時、参考にできるものは韓永愚(ハン・ヨンウ)ソウル大学教授が書いた『鄭道傳思想の研究'』くらいだった」と語る。2003年に「サムボンハク(三峰學)」という名前を掲げた初の学術会議が開かれた。サムボンは、鄭道傳の号である。
高麗末期の混乱を乗り越え、朝鮮建国の思想的枠組みを築いた政治指導者である三峰・鄭道傳(1342~1398)。朝鮮の国家経営体系を確立した1級ブレーンであり、「キングメーカー」だった。しかし、彼は李芳遠(イ・バンウォン)と繰り広げた権力闘争(1次王子の乱)で敗れて悲劇的最期を迎え、朝鮮時代はずっと万古の賊という烙印を押されたまま忘れさられた。その鄭道傳が600年の歳月を超えて再び登場したかっこうである。
朝鮮開国6年後の1398年8月26日未明、李芳遠一派が鄭道傳を不意打ちに襲い殺害する事件が起きる。1次王子の乱である。『朝鮮王朝実録』は、鄭道傳が王族を蹴散らそうとしたため先手を打った事件であったと記録したが、実際の情況から見て、李芳遠(イ・バンウォン)が政権を獲得するため起こした反乱だった。李芳遠は朝鮮を開いた李成桂(イ・ソンゲ)の5番目の子ども。
イ・インファ教授は「自分の設計通りに朝鮮を開いたが、革命の後輩世代だった李芳遠に殺された鄭道傳は、自分が作った体制によって処刑された人」"とし、「革命家の宿命で、ペーソスを感じさせる」とした。韓永愚(ハン・ヨンウ)教授は「革命は命をかけることだと言うが、三峰こそ命をかけて革命を主導し、その革命のために命を失った」とした。小説家ソン・ソクジェ氏は「賤民の血が混じった地方出身の若者が開国功臣となっていったが、再び万古の逆賊に墜落した途轍もない落差はそれ自体で立派な話の種」とした。
鄭道傳は政権樹立には成功したが、守城に失敗して命まで失ったから半分は成功して半分は失敗した革命家であるわけだ。ジャン・ウンス、民音社編集人は彼を「未完(の革命家」として、「革命のアイコン」であるチェ・ゲバラにたとえる。彼は「チェ・ゲバラは自分の信念に従って生き39歳の若さで死んで行ったのに逆説的に永遠のヒーローでいることができた」、「純粋で遠大な夢を見たが、自分の夢が結実される前に除去された鄭道傳も『悲運の革命家』としていつまでも記憶されるだろう」と語った。
出典: 朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/04/18/2014041801574.html?cont02
♦ここまで引用♦
このように鄭道傳という人は、高麗時代の末に現われ、次の時代・朝鮮時代の思想的枠組みを構築したブレーン的人物です。高麗時代に生き次の新時代(朝鮮時代)を開拓すべく立ち上がった革命家という位置づけになるかと思います。本文中、「高麗末期の混乱を乗り越え、朝鮮建国の思想的枠組みを築いた政治指導者である三峰・鄭道傳(1342~1398)」とありますが、三峰(サンボン)というのは鄭道傳(ヂョン・ドヂョン)の号です。韓国ではこの号というやつをかなり多く使用してますね。朝鮮時代あたりの文人、学者などはみな号をもっていてだいたいその号で呼ばれているようです。たとえば朝鮮時代の偉大な学者である李滉,(イ・ファン 1501~1570年)という学者は、号が「退溪」で「テゲ」と発音します。それで「退溪・イ・ファン」などと言われたり「イ・テゲ」(李退溪)」と言われたりしています。上杉鷹山の場合も本名は「藤原治憲」ということで「鷹山(ようざん)」というのは号みたいなものですから、それと同じような感じですね。
朝鮮(1392年-1910年)。国を開いた太祖のイ・ソンゲ(李成桂)から最後の王・純宗に至るまで27名の王が継承され518年に及ぶ期間持続した。日本による植民地進出により朝鮮は終えることになる。
「寝てない自慢」は日本だけ!?
マイナビにまたおもしろい記事があった。各国の自慢の違いってもの。
下の伝でいくと、韓国はどうなるか?
♦ここから引用♦
「寝てない自慢」は日本だけ!? 世界各国、「自慢」の違い
日独ハーフである筆者は、日本人やドイツ人はもちろん、色んな国の人と日々交流していますが、面白いと思うのは、国によって「自慢の内容」が全く違うこと。もちろん、最近コレを買った、自分はこんなにオシャレ、といった「お金にまつわる自慢」や「オシャレ度をアピールする自慢」に関しては万国共通だったりしますが、それとは違う部分、「その国では自慢になるけれど、他の国では自慢にならない内容の自慢」というものもあるのです。
今回はそんな「その国特有の自慢」にスポットをあててみたいと思います。さっそく、ドイツ、日本、ロシア、アフガニスタン、イランの人々の「自慢の仕方」をご紹介しましょう。
ロシア =「ボクの母親は世界一!」
ロシア人の自慢には「母親自慢」があります。
人前で「ボクの母親は世界一素晴らしい女性だ」「ボクの母親は世界一美しい女性だ」
「ボクは母親のためなら死ねる」というなんとも情熱的な自慢を披露します。
言っている当人は母親を誇りに思っていることや母親を大切にしていることを
周りにアピールできますし、ロシアでは聞いている側も
「母親のことを大事にしている立派な人」という感想を持つのだそうです。
確かに親を大事にするのは良いことですし、意外とこの自慢、人間的でいいかもしれませんね。
でも、もし日本で「ボクの母親は世界一美しい女性」などと言ったら......。
その男性は間違いなくマザコンの烙印を押されてしまうことでしょう。
アフガニスタン =「私の結婚式が世界一!」
アフガニスタンでは「結婚式がらみの自慢」がとにかく多いんだそう。
付き合いの浅い人に対しても長い人に対しても、人を選ばず繰り返し7時間(!)もある
「結婚式ビデオ」を見せながら、
「結婚式で出た料理は、この街で一番高いレストランのシェフが作ってくれた」、「ウエディングドレスは高級なデザイナーが作ってくれた」、「街で一番高いバンドが演奏してくれた」、「一番歌が上手くてギャラの高い歌手が結婚式で歌ってくれた」、「結婚式のカメラマンは、この街で一番腕の良いカメラマン」「結婚式で身に着けたジュエリーは有名なジュエリー屋さんが作ってくれたの」「引き出物は、この街の一番高いデパートで」......とそれはそれは細やかに解説。
それらの解説を聞きながらビデオを見る人もおちおちボーッとしておられず、
適切な場所で褒めたり驚いたりしなければならないので、7時間気が抜けないんだそうです。
ちなみに、この「結婚式自慢」のビデオ大会、アフガニスタンの場合は、新婚さんはもちろん、
結婚して10年ぐらい経ち全く新婚ではなくなってもずっと続くのだそうです(笑)。
なんだか微笑ましいですね。
イラン = 玄関にド派手な鳥!
イランでは、余裕のある人は玄関の両端にド派手な鳥(孔雀の一種)を一羽ずつ生きたまま飾るんだそうです(生きたまま飾ります)。
Tavusという羽がとてもきれいな鳥で、イラン人はアフリカからかなり高い費用をかけて
わざわざこの鳥を輸入するとのこと。
その鳥を玄関の両脇に飾り、運よく来客時に孔雀がパッと羽を広げると、
持ち主はそれはもう鼻高々なんだとか。なんだかかわいいですね。
ドイツ =「長い春」自慢
さて、次は筆者の出身国であるドイツ。
ドイツでは女性が「私は彼氏ともう10年も付き合ってるの」
「彼氏ともう15年も付き合ってるから、彼のことは何でも知ってるの」と自慢げに話しているのをよく耳にします。こんな時は間違っても、「そんなに長く付き合ってるなら、なんで結婚しない
の?」と聞くのはやめましょう(笑)。
日本人からすると冒頭の発言あまり自慢には聞こえないと思いますが、本人は間違いなく自慢をしています。迷わず褒めてあげることできっととても喜ばれるはずです。
日本では「恋人と10年、15年付き合う」ことが「長過ぎる春」だと思われているフシがありますが、そのことには触れないのがベストかもしれません。
日本 =「もう3日間寝てないんですよ~」寝てない自慢
では、「日本」にはどのような自慢があるのでしょうか。
筆者が来日した当初、日本人が頻繁に使う「忙しい」「もう3日間寝ていないんですよ」という発言を聞いて本気で心配したものです。でも日本に長く住むにつれて分かってきたことがあります。
それは、本当に忙しく、3日間寝ていなくて悩んでいる人も確かにいるのだけれど、「忙しい」「寝ていない」は一種の自慢でもあるということ! とくに業界人の言う「もう3日間、寝てないんっすよ~」は自慢の可能性大ですね(笑)。
ちなみに「寝てない自慢」系の発言は英語やドイツ語、フランス語に訳しても、決して自慢には聞こえず、単なる気の毒な人になってしまいますから、これはやはり日本特有の自慢だと言えるでしょう。
各国の自慢の違い、いかがでしたか?
自慢の内容によって、その国の文化や雰囲気のようなものが少し見えてくるのではないでしょうか。
出典:http://news.livedoor.com/article/detail/8750771/ マイナビスチューデント
♦ここまで引用♦
この流れでいくと、韓国の場合はどうなるのか?ちょっと考えてみた。ブログ制作者の独断と偏見から書いてみます。
たぶんその筆頭としては、「オレの家系は73代もつづく『ミリャン・バク氏』だ」というように自分の家系の長さと由緒正しさを現わすのが来るだろうと思われる。
その2.としては「うちの息子は、長男が医者で次男が判事、三男が大学教授よ。」という
子ども自慢がくるものと思われる。でもこれは特に韓国に限ったことではないか。
その3.としては、「あたしの彼氏、背が190センチよ」という長身自慢がくるか。
(あくまでも筆者の独断と偏見の賜物です)
本音と建前 _ 学生エッセイ0030
韓国の若者、大学生がどんな文章を書くのか。
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその30回目で、男子学生GOCさんの作品です。
<本音と建前>
「日本人たちは親切だが韓国人たちはそうでない」と言えば、多分このように反論する方たちも少なくないだろう。
韓国人が親切でないように見えるのは、実際に韓国人の心が優しくないからではなく、ただ韓国人たちはそれを表現するのが下手なせいだからだと。
たしかに私もそうだ。心では思っていても「すみません」とか「ありがとうございます」という言葉は、容易に出ていない。 ときおりそんなことをとても簡単に言う人がいるが、かえって軽挙に見えるたりもする。まして西洋人たちのように、唇に唾も塗らないで「Beautiful」とか「I love you」とかいうくすぐったいことばを 臆面もなくすらすらと吐き出すというのは、死んでもう一回生き返ってもできない相談だ。私だけがそんなんじゃなく、たぶん、韓国人たちは自分の心を簡単に表現しないものと思う。
しかし、それなら地下鉄で人の足を踏んでも「それぐらいのことでなにを睨んでいるんだ」というふうに むしろ目をむく韓国人たち、他人の車の前に割り込んでおきながら、声だけは張り上げる韓国人たちは、果して本音はそうではないのに、単に表現が下手という理由でそうなのだろうか?
長くても短くても日本に行って帰って来た人はもちろん、日本に全く行ってみたことがない人も日本人の特性を語る時、絶対に忘れることなく出てくるのが「本音と建前」ということばだ。
本音とはいわば心の中の気持ち、建前は表に表れる表現だ。
日本人の本音と建前が(われわれ韓国人と)異なると言った場合にはだいたい否定的な意味なのが普通だ。つまり、日本人たちは表向きでは親切そうに、ありがとうとか、すまないというそぶりを見せるが、心の中ではそうでないということだ。はたしてそうなのか?
一つ面白い事は、日本で約1年ぐらい生活した方はこう語る。
「6ヶ月くらい生活しても分からないけど1年ぐらい住んでみれば日本人の本音と建前が分かるよ」と。
ところで6ヶ月くらい生活してきた方はこう言う。
「3ヶ月くらいでは分からないけど6ヶ月くらい住んでみればわかるさ」と。
さらに3ヶ月くらい住んだ方は「一二ヶ月暮らしてはわからない」と言い、
二月住んだ方は「半月ほどだけ旅行してもわからないさ」と主張する。
ところが半月どころか3~4日旅行して帰ってきた人も、本音と建前を話題にするのである。
本音と建前は、実は日本人の頭の中にあるのでなく、
そのように言う私たち韓国人の心の中にあるものではないかと思っている。
多分日本人が本音と建前を持っているという話は事実だろう。
なぜならそれは日本人たちだけでなく、誰にでもあるものだから。
例えば、人の家に招待されて行った時、出た食べ物があまりおいしくなかったとして「本当においしくないですね」と 言う人がいるだろうか? 当然、韓国では「とても美味しく食べました」と言う。これがまさに本音と建前ではないのか?
若い男女の結婚式で司式者が
「何の将来性もない新郎と、性質まで汚れた新婦が会って結婚するなんて本当に心配です」
と言ってしまっては、その場で非難され死なずに済めば幸いなくらいだ。
それでわれわれはいつも本音ではなく、建前を口にするのだが、実はこれが人と人の間の礼儀なのだ。。。だから、本音と建前というのは、日本人だけが持っているものでもないし、韓国人だけが持っているものでもない。人と人が集まって住む社会ならどこでも共通して見えるものだ。
例えば、人の家に招待されて行った時、食べ物を称賛するのは、心を表現するのが苦手な韓国人より褒め言葉に慣れた西洋人がもっと建前的といって間違いないだろう。
ただ、西洋人たちはお腹がいっぱいだったり、自分が好きではない食べ物については明らかに
"No"と言う一方、韓国人はお腹がいっぱいでも食べ物が口に合わなくてもどうしても拒絶できず、
胃がむかむかするまで腹に入れてしまうところが違うだけだ。
仕事でも同じだ。韓国人たちは嫌な頼みを受けても "いいえ" と言えない。集団的倫理が強い韓国社会では断るということが非常に難しいことであるためだ。ともすれば「人でなし」、「恩知らず」と指をさされることにもなる。はなはだしくはそんな程度を越えて30年の友情が一朝にして崩れさってしまうこともあながちありえないことでもない。
このような点からみると、すなわち生活の中でも仕事の中でも "はい" と "いいえ" を明確にことばにできないという点からみると、確かに個人主義的倫理が強い西洋より人情や集団的連帯感を強調する東洋社会において本音と建前の二重性がより強いことだけは確かだ。
それゆえ、西洋人たちは日本人を見て本音と建前と語ったのである。しかし、日本人よりもっと激しいことはあっても絶対少なくはない韓国人が、日本人に関して「本音と建前」と話すのはおかしいことだ。少なくとも私はそう思っている。
ケッセキ _ 学生エッセイ0029
韓国の若者、大学生がどんな文章を書くのか。
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその29回目で、女子学生CSAさんの作品です。
(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)
<ケッセキ>
私が初めて日本語を習い始めた決定的なきっかけではなかったろうか。
18歳。高校3年の時の担任の先生は、日本語の先生で若い女の先生だった。
学校で恐ろしいといううわさが立った虎先生、
教務室で子供を懲らしめるときは
教頭先生も止められないほど厳格で礼儀をあまりにも大事にする先生だった。
この先生の授業のときはいつも緊張しなければならなかったが、、、意外にも
退屈な授業を面白く導いていく先生でもあった。
時は暑い夏、休み時間の終りを告げる鐘がなり先生が入ってくるのを待つ子供たち。
しかし先生は5分が過ぎても来なかった。緊張が解けた子供たちは次第に騷ぎはじめた。
さらに3分程経ったろうか。ドアを開けて無表情で怒った表情で先生が入ってきた。
怒った先生の顔に私たちは皆静かになって様子をうかがった。
その時教卓を大きくぴしゃりと叩いた。そしてなんと「ケッセキ」というではないか。
私たちは瞬間耳を疑った。そしてぼそぼそとつぶやきはじめた。
「狂ったんじゃないの?」、「先生があたしたちに絶対に言ってはならない悪口を言ったよ!」など
いろいろの気持ちが交差した瞬間、先生は追い討ちをかけるように「シュッセキ」と言った。
韓国で「セキ」は極めて大きな悪口であり、
人の前では絶対に言ってはいけない言葉の一つである。
それから先生は顔をぱっと輝かした後、これは「欠席」という単語と「出席」という単語で、
今日学ぶ単語だよと説明してくれた。
私たちは一斉にため息をつき、また大きな笑顔を見せた。
これを機会にクラスの子供たちは
「日本語って笑わせるじゃん」、「日本語って面白い言葉が多いんだね」と言いながら
放課後の日本語学習をする友達が急激に増え、私もその中の一人だった。
今考えてみると、子供たちにはその時の事件が大きな新鮮さと衝撃をもって刻まれ、
日本語に大いに関心を持ちはじめたようだ。
いま日本語の「欠席」という単語を聞くと、
その時の時代が懐かしく思い出されちょっぴり切ない気持ちにもなる。
<筆者の解説>
韓国語の「ケッセキ」という発音は、『おしょうしな韓国』にも書いたが、人の前では言ってはいけないくらい強い罵りことばなのである。「ケッセキ」よりは「ケーセッキ」という発音が近いが韓国語では長音という概念があまりないので「ケッセキ」と表記してもだいたい同じ発音として捉えられる。「シュッセキ」ということばはないのだが、「シュッセキ」のなかにある「セキ」という部分が「ケッセキ」と同じ部類の強い罵りことばなのである。実はこの「ケッセキ」という語は「犬っころ」という意味でもある。訳すと「犬っころ」となるが、韓国語の「ケーセッキ」は単なる犬っころという意味をはるかに越えて、別次元のことば(意味)になってしまうのである。だいたいにして「犬」というのは韓国語においては悪い意味で使われることが多い。日本語も「犬死に」「野良犬」「どこの犬だ」などのことばは悪いニュアンスのある語だ。しかし韓国語での「犬」は日本語のそれよりはるかにマイナスの意味が強いのである。こういうのってけっこうあると思う。たとえば「きさま」。これは「貴様」という語であって、ほんとは「あなたさま」という意味。いつのまにか「きさま」と言えば、悪口とか罵りことばという概念ではないが、相手を非常に蔑んだことばとして使われるようになってしまった。なぜなのかな? 実はわたしの名前が「まさき」。反対から読むと「きさま」。なのでガキのころ、よく「きさま」「きさま」って友だちからからかわれたものだ。イジメの次元ではなくていたずら坊主たちの悪ふざけ程度。「きさま」ってのは、ほんとはすごい偉大なことばだったんだぞ、と、言ってやりたかったが、そのころはそんなことは全く知らない時期。言われ損で終わったことは言うまでもない。しくしく。
女 VS 男 _ 学生エッセイ0028
韓国の若者、大学生がどんな文章を書くのか。
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその28回目で、女子学生KDIさんの作品です。
(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)
<女 VS 男>
中学の時からたくさんの日本のドラマを見てきた。一番基本のドラマと言われる「ごくせん」は私が日本のドラマを見始めた頃一番流行っていたドラマだった。かっこいい男子の俳優がたくさん出ていて、わがままな所があったけど、面白かったドラマだった。
私が学んだほとんどの日本語はドラマを見ながら習ったもので、発音もドラマで聞いてマネするのが一般的だ。韓国とは違って日本語は男と女が使える言葉が区別されている。たとえば、「僕」は男が自分をさす時使う。女は「私」あるいは「あたし」を使う。これは本でも説明しているから、あまり特別な事ではなかった。私と同じ世代の若い人たちが使う言葉に興味があったが、よく聞く言葉では「うまい」が一番言いやすかったことばだった。簡単でなんかかっこよく感じれる発音の「うまい」「うめー」は、「おいしい」の意味で男が使うことばだと言う。韓国では「マシッダ」と言うけど、性別とは関係なくみんな使う言葉だ。若い人たちのなかでは「すごくおいしい」の意味で「デバク マシッダ」、「ジンジャ マシッダ」、「ワンジョン マシッダ」とは言えるが、男女で区別される部分はない。でも、日本で「うまい」は男のニュアンスが強いから、女は使わないと日本の友達から聞いたことがある。
それ以外にも「~なの?」「~かしら」「~ぜ」など、ことばの最後になにを使うかによって、女らしくも男らしくも聞こえる話し方がある。私が日本の友達とメッセージをした時、友達から「○○チャンはきれいな日本語で言うよね」って聞いた。それがなんのことかわからず何でだろうかと思った。「~しようよ、~したらどう、~ね」が私がよくメッセージの最後で使う言葉だけど、無意識のうちにインドネーションが強くない言葉を使っていたのかも。
外国人が韓国語を習う時「ヌン」が「目」、「雪」の両方の意味で使われることにこんがらがってしまうように、私がドラマを見て学んだ日本の言葉も同じだろう。女が男みたいな言葉をつかう時、日本人はどれくらいおかしく思うのかは今でも気になる部分だ。私には「おいしい」より、「うまい」がもっといいやすいけど。
和顔施 _ 痛快!より(3)
「痛快!サルもできるツボ療法」というメルマガを愛読してるんですが、
ここにあったことばです。心にひびくものがあって、ご紹介します。
(3月23日に続き、3回目のご紹介となります。)
笑顔が一つの「行」として認められるほど重要なことらしい。
笑うことは、自分にもいいし他人にもいいものだ。それは知っていたけど、
「行」になるほど重要なものであるとは知らなかった。
おもしろいのでご紹介します。
♦以下、引用♦
夕方近く、生後8ヶ月の孫をだっこして農協の直売場に入った。
お客は少なく、店員は疲れきった表情で黙々と商品を棚に並べていた。
愛想のいい孫は、直売所の店員のそばを通りかかって目が合うと、ニコッと無邪気に笑って答えていた。
無愛想気味だったレジの店員にも笑顔を振りまき、直売場全体に明るい空気がながれ、
孫が“天使”のように感じた。
和やかな笑顔(和顔)は、人を幸せにする布施行のひとつで、それを仏教では“和顔施”と云っている。
本来、“布を施す”と書く“布施”は、僧侶(インド)が、蚊や虫、暑さなどから身を守るために
巻いていた黄色い布を、信者たちがその布を施すことから“布施”という言葉が生まれたそうだ。
しかし今では、布施というとお金やものを寺や僧侶に施すことがほとんどとなってしまったが、
お金やものを持っていない人でも子どもでもできるのが「無財の七施」の一番目“和顔施”なのだ。
そして笑顔(和顔施)は、相手も自分自身も癒され(自利利他)、
「苦しみ」「怒り」「不安」「疲れ」も消え去って生きる力の元ともなっている。
メルマガ「痛快!サルもできるツボ療法 2014/04/20 第458号」より。
上杉鷹山(4)
米沢は、わがふるさと。
米沢といえば、やはりこの人、 「上杉鷹山」(うえすぎようざん)のことを
ご紹介するシリーズです。
わたしのオリジナルの文章ではなくて、
内村鑑三著『代表的日本人』という岩波文庫の本の中から、
抜粋してアップしたいと思います。
内村鑑三の文章のリズムも味わっていただければ幸いです。
今回はその(4)で、4月10日ブログ上杉鷹山(3) の続きです。
「今はよい。すばらしい教訓を学んでいるところだ。それはあとで言おう」
鷹山は答えました。その晩、行列が泊まった宿で、藩主は供の家来を集めて、その午後に学んだ新しい、貴重な教訓を説明しました。
「この目で、わが民の悲惨を目撃して絶望におそわれていたとき、
目の前の小さな炭火が、今にも消えようとしているのに気づいた。
大事にしてそれを取り上げ、そっと辛抱強く息を吹きかけると、
実に嬉しいことには、よみがえらすことに成功した。
同じ方法でわが治める土地と民とをよみがえらせるのは不可能だろうか。
そう思うと希望が沸き上ってきたのである」
ここまで上杉鷹山(4)。『代表的日本人』(内村鑑三)より