【さようなら原発 米沢のつどい(第44回)】
【さようなら原発 米沢のつどい(第44回)】
まもりたい!未来のために 鎌仲ひとみ監督作品 DVD上映 80分
『内部被ばくを生き抜く』 肥田舜太郎 鎌田 實 児玉龍彦
スモルニコワ・バレンチナ 4人の医師が語る
とき: 4月22日(土)14:00から
ところ: 置賜総合文化センター 301号室
(米沢市金池3-1-14 tel 0238-21-6111)
◆ 参加費は無料です。是非おいで下さい。
◆先日、環境省で検討している増え続けるフレコンバックの処分方法が報道されました。信じがたい驚きの計画です。とてつもない量の放射能の覆水は盆に返ることなく拡散し、モンスター化し私たちの暮らしやいのちを脅かしています。一体私たちはこの現実にどう向き合えばいいのでしょうか。
◆鎌仲ひとみ監督は「現場で実際に被ばくに関する医療活動を続けてきた4人の医師に問いかけることにした。年齢も、経験も違う4人の医師が、これまで積み重ねてきた体験や研究は、重なるところもあれば重ならないところもある。内部被ばくの影響は複雑で未知の部分も多い。自分にとっての立ち位置を見定めていただきたい」と・・・
次回、5月27日つどいは、葉っぱ塾 代表 八木文明さんの講演「福島の子どもたちのための週末保養“森の休日”5年間の報告」です。別途、詳細お知らせします。
わび・さび _ 学生エッセイ78
今回はその78回目で、男子学生 Y H G さんの作品です。
<わび・さび>
今度、僕が決めた作文のテーマは、「侘び・寂び」だ。「侘び・寂び」は日本の文化そのもののだと考えても問題ないぐらいに日本の文化を貫通している文化である。
例えば、茶道の千利休が作った侘茶(わびちゃ)、わびさびの建物の慈照寺、庭園の兼六園など、「侘び・寂び」の精神の入っているものはよく見られる。
基本的に「侘び・寂び」は日本の美意識である。侘しいと寂しいという二つの単語が組合わされた言葉で、意味は「素晴らしいものの中にも侘しさ、寂しさが入っている」という意味で捉えることができる。これは、もう言葉から理解が難しい意味になっているものだ。簡単に言えば派手ではないが、上品な何かを意味する。
そのために外国人には理解が難しいだけではなく、今にいたっては日本人にさえも「侘び・寂び」ということは何であるかとはっきりとは言えないものになった。
僕が日本で旅行をしている時、ある屋台で出会った日本人から聞いた話があった。「わびさび、千利休、侘茶などというけれど、50年以上日本で生きている私もまだよくわからないですね」という話だった。
なにぶん、伝統として続いてきた文化というものは、大部分こうものかもしれない。
だが、僕は外国人として冬の季節、福岡の能古島へ観光の目的で訪ねた時、ちょっとだけだったけど、捨てられた小さな仏堂や古い家などを目にして、「侘び・寂び」について感じた時があった。今もそれが「侘び・寂び」かどうかよくわからないし、日本人が見ている「侘び・寂び」と僕が見た「侘び・寂び」が同じだとは思わないけれど、日本の文化の一面を感じた時として今も記憶にありありと残っている。
<와비 사비>
이번에 내가 정한 작문테마는 [와비 사비]이다. [와비 사비]는 일본의 문화를 표현하는 말자체라고 봐도 문제가없을 정도로 일본의 문화를 관통하고 있는 문화이다.
예를 들면, 차도의 ‘센노리큐’가 만든 와비차, 와비사비의 건축물 은각사, 정원 겐로쿠인등 와비사비의 정신이 들어가있는 것은 자주 보인다.
기본적으로 [와비 사비]는 일본의 미의식을 말한다. ‘쓸쓸하다(적적하다)’와’허전하다’라는 두가지 단어가 조합된 단어, 의미는 “휼륭한것 안에 쓸쓸함, 허전함이 있다”라는 의미로 볼 수 있다. 이건 이미 단어부터 이해하기 어려운 의미가 되어버린것이다. 간단하게 말해서 화려하지는 않지만 수준높은 무언가를 의미한다.
그 때문에 외국인은 이해가 어려운 동시에 지금에 와서는 일본인까지도 [와비 사비]는 무엇인가라고 확실히 말할 수 없게 되었다
내가 일본에서 여행을 할때, 한 포장마차에서 만난 일본으로부터 들었던 이야기가 있다. “와비사비, 센노리큐, 와비차라고 해도 50년이상 일본에서 살고 있는 나도 잘은 모르네요”라는 이야기였다.
아무래도 전통으로 이어져오는 문화라는것은 대략 이런가보다.
하지만, 나는 겨울에 후쿠오카의 노코노시마에 관광을 목적으로 방문했을때, 조금이었지만 버려진 불당에서, 낡은 집에서 외국인으로써 [와비 사비]를 느꼈던적이 있었다.
지금도 내가 본것이 [와비 사비]인지 잘 모르고, 일본인이 보고있는 [와비 사비]와 내가 본 [와비 사비]가 같을거라고 생각하지는 않지만 일본의 문화의 겉면을 느꼈던 순간으로 지금도 기억에 남아있다.