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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

日本の街_ 学生エッセイ89 

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナー。
今回はその89回目で、女子學生 B S H さんの作品。(久しぶりとなる)。
<日本の街>
交換留学生として初めて日本に行ったとき、桜が盛りの3月末のことである。
重たい荷物を持って不安でドキドキする気持ちで行き先行きの電車に乗った。
電車は間違わっていないか、降りる駅は過ぎてないのか、駅に着くと迎えに来た大家さんとはちゃんと話せるのかなど
いちいち気になって焦っていた。そんな中、ふと車窓の風景を眺めた。
線路に沿って桜の木が並んでいて、その後ろには写真だけで見た日本の木造住宅が桜といっしょに並んでいた。
私が想像していた日本そのままの姿だった。暫くの間その景色に魅せられている間、いつの間にか電車は駅に着いていた。
日本に来てから初めての週末。友だちと自転車に乗って家の周りを見回るついでに散歩に行った。
街のあっちこっちを歩き回りながら写真を撮ったり、コンビニに寄って食べたかったプリンを食べたりした。
そして自転車に乗って気持ちいい風に当たりながら走り着いたところは新川という川だった。
満開の桜が川岸に沿って長く並んでいて、その下で花見に来た村人たちが家族や友達とお弁当を食べたり、
お酒を飲んだりするのも見られた。
私たちもその川岸に沿って歩きながら写真を撮ったり、すれ違う人に声を掛けたりした。
ここに来てから有名な街と観光地、大勢の人からすすめられた場所など色んな所へ行ってみたが、
偶然に通り過ぎて出会った村の街と新川ほど記憶に残る場所はない。
韓国に戻ってきてからもちょいちょい懐かしくなるほどあの風景だけはまだ鮮明に覚えている。

<일본의 거리>
교환유학으로 처음 일본에 갔을 때, 한창 벚꽃이 피기 시작한 3월 말 무렵이었다. 
무거운 짐을 들고 설렘과 불안한 마음이 뒤섞인 채로 숙소로 가는 지하철을 탔다. 
지하철은 제대로 맞게 탔는지, 내릴 역은 지나지 않았는지, 역에 도착하면 마중 나온 숙소 호스트와는 제대로 이야기할 수 있을지 등 
하나하나 신경이 쓰여서 초조해 하던 와중, 우연히 차창 밖을 바라봤다. 
기찻길을 따라 벚꽃나무가 늘어서 있고, 그 뒤에는 사진에서만 보던 일본의 목조주택이 벚꽃과 함께 늘어서 있었다. 
내가 상상한 일본 그대로의 모습이었다. 한동안 그 풍경에 매료되어 넋을 잃고 바라보는 사이 어느새 전철은 역에 도착해 있었다.
일본에 도착하고 처음 맞는 주말. 같이 유학 온 친구와 함께 자전거를 타고 숙소 주변을 둘러볼 겸 산책을 나갔다. 
골목 여기저기를 다니며 사진도 찍고 편의점에 들려 꼭 먹어보고 싶었던 푸딩도 먹었다. 
그리고 자전거를 타고 따뜻하고도 시원한 바람을 맞으며 달려 내려온 곳은 ‘신’이라는 이름이 붙은 강가였다. 
만개한 벚꽃이 강가를 따라 쭉 늘어서 있고, 그 밑에서 꽃구경을 온 동네 주민들이 가족이나 친구와 함께 
도시락을 먹거나 술을 마시는 모습도 보였다. 우리도 그 길가를 따라 걸으며 사진을 찍거나 스쳐 지나가는 사람에게 말을 걸기도 했다.
이곳에 오고나서 유명한 거리나 관광지, 많은 사람들이 좋다고 추천해준 곳 등 다양한 곳에 가봤지만, 
우연히 지나가다 만난 동네의 거리와 신강 만큼 기억에 남는 곳은 없었다. 
한국에 돌아오고 나서도 가끔 그리워질 정도로 아직도 그곳의 풍경만큼은 생생히 기억하고 있다.   

私の好きなもの_ 学生エッセイ88

ソウルで会社勤めをしている娘が今週(天安に)帰って来て、あれこれしゃべっていたら
筆者が大学の講義で出した課題に興味を持って、自分でも書いてみると言って書いたもの。
テーマは「わたしの好きなもの」。わが娘ながら、まあまあの文章だと思う。
もう学生ではないのだけれど、だいたい年代がそうなのでこのカテゴリに入れた。


「わたしの好きなもの」

歳をとるにつれて好きなものが増えてくる。
最近は山登りが好きになった。

子供の頃から山に行く機会は何回かあったが、しょうがなくついて行った感じだった。
とくに中学・高校時代の私には山登りが「克己」のような概念だった。
勉強に向けて集中するためにわざと山に登ったりして覚悟を決めたことがあるくらいだった。

だが、その山登りがいきなり好きになった。
きっかけはたぶん、今勤めている会社に入ってすぐのワークショップだと思う。
「五臺山(オーデサン)」という国立公園に行ったのだが、規模も大きいし、ちょうど10月の紅葉の時期だったので絶景だった。
いい気分で歩いていたらスムーズにウォーミングアップができ、あとは加速して先頭グループになっていた。
何百人かのおじさんたちと比べても私の山登り力が負けないってことが分かって嬉しかった。
多分その時に山登りに対しての私の恐怖感または拒否感が減ったと思う。

その後から春、夏、秋に山登りに行っている。冬の山はこれからだ。

山登りがどのくらい好きかというと、
「男が愛に落ちたときの気分がわかるようになった」くらいかな。
行こうとしている山がどんだけ遠く離れていても全くめんどくさがらずに行ける。
その山からの景色はどうだろう、そこのコースはどんな難易度だろう、その高度はどんな達成感を与えてくれるだろう、
と好奇心をもって行ける。

今年は7200歳の杉の木が観れる9時間トラッキングコースのある屋久島観光に行ってきた。
普段山登りで体力を鍛えていたので無事に成功した。
自然好きな人には屋久島を強くお勧めする。いわゆる「迫力ある自然に囲まれた気分」がわかる‼︎

私が思う山登りの魅力は「自分の成果が一番早く目に見える運動」と「自然の美しさを満喫できる運動」という点だ。
どんな運動でもいくら痩せたのかはそんなに簡単にはわからない。
だが山登りは少なくとも頂上から見る景色で自分が登って来た高さがわかる。
登り甲斐(がい)もすごい。
あと、木、岩、草、花などの自然と触れられるし、美しい色合いも見れるのが嬉しい。
そういった自然を見ていると自動的に神さまに感謝の言葉を捧げるようになる。
こういう自然に囲まれている街に住めること、自然地形を創造してくださったこと、
健康な足で登れること、自然の美しさがわかることなどに感謝する。

周りに「週末には山登りに行きます」というとみんな「体力がすごいね」と言いながらびっくりする。
でも山登りをしたらむしろ元気になって月曜病がなくなる。
山から元気をもらうようだ。普段めんどくさがったことも山登りのあとにはスムーズにできる。

山登りのコツは「最初はゆっくり」だ。始めから思いっきり進むと乳酸が出て筋肉にすごい負担がかかる。
いくら慣れている人でも最初から無理をすると体が重く感じれれる。
準備運動のストレッチをしてゆっくり登れば、だれにでも山登りの魅力を分かってもらえると思う。
今週、あなたもいかが?

¶ 日本の「道」 _ 学生エッセイ87

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその87回目で、男子學生 Y H G  さんの作品です。


<日本の「道」>
 僕が考えている日本文化の特徴の一つは’道(どう)’の文化だ。日本は他の国の人が見ると簡単に見えることまでも意味を探して、それをずっと練習する人もたびたびみえる。
  例えば、日本の’香道’がそうだ 。’香道’は平安時代、海外から来た香木と日本の香木の香りを区分する’道’であった。
この文化は韓国では聞いたこともなく、日本独特の文化としてこの内容を教わた時、「こんなことまで道で作ったのか」と考えたほどだった。
 上の例の通りで、日本はいろんな仕事を練習するし、この中で意味を探す。香道だけではなく、武道、茶道、書道なども日本の’道’の文化をよく表しているものと思う。
もちろん韓国や、中国でも’道’という文化はある。しかし、日本の’道’は別の特徴がもうひとつある。それは仏教と関連しているということだ。
 日本の’道’は仏教の’悟り’ということが混ざっている。それは昔の武士階級の人たちが中国からきた仏教の中にある「修練を通じて自身を鍛錬し、それで悟りを求める。」ということが自分たちの武道の価値観と合うことだと考え、それを受け入れたといわれている。
  このように、日本の’道’は日本だけのことだけではなく、ほかのものも受け入れながら日本の生活に染み込んでいる一つの文化として変わって来たといっても構わないだろう。


<일본의 도>
내가 생각하는 일본문화의 특징중 하나가 ‘도’라는 문화이다. 일본은 다른 국가의 사람이 본다면 간단하게 보이는 일에도 의미를 찾고, 그것을 계속 연습하는 사람이 종종 보인다.
예를 들면, 일본의’향도’가 그 중 한 가지이다. 향도는 헤이안시대, 해외에서 수입한 향목과 일본향목의 향을 구분하는 ‘도’였다.
이런 문화는 한국에서도 들은적도 없고, 일본특유의 문화로써 ‘도’를 배웠을때”이런것까지 ‘도’로 만들었었구나.”라고 생각했을 정도였다.
위의 예시대로일본은 여러가지 일을 연습하고 이 안에서 의미를 찾는다. 향도뿐만 아니라 무도, 차도, 서도등도 일본의 ‘도’문화를 잘 알수있다.
물론 한국이나 중국에서도 ‘도’라는 문화는 있다. 그러나 일본의 ‘도’는 그 외의 특징이 한가지 더 있다.
그것은 불교와 관련되어 있다는 것이다.
일본의 도는 불교의 ‘깨달음’이라는 것과 조합되어있다. 깨달음은 과거, 일본 무사계급의 사람들이 중국에서 온 불교의 가르침에 있는 “단련을 통해서 자신을 단련하고, 그것으로 깨달음을 구한다.”라는 것이 자신들의 무도의 가치관과 닮아있다고 생각해서 그것을 받아들였다고 말해지고 있다.
이렇듯, 일본의 ‘도’는 일본만의 것이 아니라 그 외의 것도 받아들이면서 일본의 생활에 스며들어있는 하나의 문화로 변해왔다고 해도 문제가 없을정도가 되었다.

¶ 東京と大阪での出来事 _ 学生エッセイ86

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその86回目で、男子學生 K J Uさんの作品です。

<東京と大阪での出来事>
私は日本は旅行で東京と大阪に一回づつ行ってきた。
当然東京と大阪では感じられることや体験の違いがった。
まず大阪では話しかけられることが多かった。
祭りに行った時、友たちと韓国語で話していたら屋台のおじいさんが
「あ、君たち韓国人かい?旅行?いいね!あ、日本語できる?すごいな!」など
その場で約15分間大阪の親密感を味わいました。その後はサービスも貰ってかなり面白い体験だった。
そして電車でも同じく似たような経験があったり、お店でも話しかけられることがあったりした。
私が聞いてきた大阪のイメージは東京に比べて、もっと活発でおしゃべり好きなイメージだということだったが、確かにと思った経験だった。
東京でもたまに話かけてくださるおばあちゃんがいらっしゃったが、大阪のそれとは比べにならなかった。
普通話しかけても話が5分以内に終わった東京にくらべ大阪は本当に会話をしたという違いだ。
そして対照的な東京での一件、旅行の途中あるご家族と一緒になったことがあった。
そこでおばあさんが
「あの子たち韓国人みたいだね。なんかあげるもんないかしら。」というと、
そのおばあさんの娘らしき人が
「やめなよ、あの子たちだって旅行中なのに話しかけられたりすると、困らせるだけだから。」
「でも…」
「やめといたら。」
もちろん私たちも日本語ができたので、その会話を聞いていたが、なんとも言えずただ聞いていることしかできなかった。
今ならこっちから話しかけてみたりしたのかも知れないが、当時の私には無理だった。
結局は人それぞれの性格の差なのかも知れないことだが、この二件の出来事はよき対照となった。


저는 일본에 여행으로 도쿄, 오사카에 한 번 씩 다녀왔습니다.
당연히 도쿄와 오사카에서는 느낀 점이나 체험에 다른 점이 있었습니다.
우선 오사카에서는 말을 걸어오는 경우가 많았습니다.
축제에 갓을 때, 저희 일행들끼리 한국어로 말하고 있으려니, 노점의 아저씨께서 “아, 너희들 한국인이냐? 여행 온 거야? 좋겠네! 아, 일본어 할 줄 알아? 대단한데!” 그 자리에서 약 15분간 오사카의 친밀감을 맛보았습니다.
그 후에는 서비스도 받아 상당히 재미있는 체험이었습니다.
그리고 지하철에서도 유사한 체험을 하거나, 가게에서도 말을 걸어오시는 경우가 있었다거나 했었습니다.
제가 들어온 오사카에 대한 이미지는 도쿄와 비교해서, 더 활발하고 말하는 걸 좋아하는 이미지였습니다만, 확실히 그렇네..라고 느낀 경험이었습니다.
도쿄에서도 가끔 말을 걸어주시는 할머님이 계셨습니다만, 오사카의 경우와는 비교가 되지 않았습니다.
보통은 말을 걸더라도 5분이내에 이야기가 끝났던 도쿄에 비해 오사카에서는 정말로 대화를 했었다는 차이가 있습니다.
그리고 대조적인 도쿄에서의 한 사건이 있었습니다. 당시 어떤 가족과 같이 가게 된 적이 있었습니다.
거기서 할머님이 “저 애들 한국인 같아. 뭐 줄만한 거 없을까?” 라고 하시자, 그 따님 같아 보이시는 분이 “하지마, 저 애들도 여행 중에 누가 말 걸고 그러면 곤란해 할 뿐이니까.”
“그래도..”
“하지마.”
물론 저희들도 일본어를 할 수 있었기에, 그 대화를 듣고 있었습니다만, 아무 말도 못 하고 그저 듣고 있을 수 밖에 없었습니다.
지금이라면 이쪽에서 말을 걸어볼 수도 있었을지 모르지만, 당시의 저에게는 불가능했습니다.
결국 사람 각각의 성격 차이 일지도 모르는 일이지만, 이 두 경험은 비교해 볼만 합니다.

2018年が始まった。きょうは3日目。戊戌(つちのえいぬ)年の出発だ。
いぬ年の皆さんはもちろん、全ての読者の方々の健康と幸運を祈りながら。

お付き合いのエピソード_ 学生エッセイ85

学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその85回目で、男子學生 I D G さんの作品です。



<お付き合いのエピソード>

普段、手話に関心が多くて両親の勧めで二ヶ月半くらい前から教会の青少年聾唖部で
補助の先生としてボランティアしています。
手話は大学の二年生の時、教養の授業で学んだのが全部で、
それさえも時間がかなり過ぎたので忘れてしまい、
最初からまた学ばなければならなくてコミュニケーションに多くの困難があります。
聾唖の青少年たちのような場合にはまだ手話に通じていないため
話す人の口の動きを見たり文字を書いて対話をしますが、
特に聾唖人の青少年たちとコミュニケーションをしながら一番難しかったのは
多様な表情の変化でした。
手話には手の動きだけではなく表情もかなり重要だということを知らなかったときに、
意図とはちがって相手の聾唖の青少年が異なるニュアンスで受け入れてしまい
僅かな誤解を招きましたが、大したことではないので誤解はすぐに解かれました。
今も聾唖の青少年たちとよく過ごしていますが、
普段私が無愛想な性格で表情の変化がないタイプなので今でもまだ多くの困難があります。

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평소에 수화에 관심이 많아서 부모님의 권유로 2개월 반 정도 전부터 교회의 청소년 농아부에서
보조 선생님으로 봉사하고 있습니다.
수화는 대학교에서 2학년 때 교양수업으로 배웠던 게 전부였고
그마저도 시간이 꽤 지나서 까먹어서
처음부터 다시 배워야 해서 의사소통에 많은 어려움이 있습니다.
농아인 청소년들 같은 경우에는 아직 수화에 능통하지 않기에
구화인의 입모양을 보거나 글씨를 써서 대화를 하는데
특히나 농아인 청소년들과 의사소통하면서 가장 어려웠던 것은
바로 다양한 표정변화였습니다.
수화에는 손동작뿐만 아니라 표정도 크게 중요하다는 걸 몰랐던 때,
의도와는 다르게 상대 농아인 청소년이 다른 뉘앙스로 받아드리고 말아서
사소한 오해를 불러일으켰습니다만 별것 아닌 일이라 오해는 금방 풀었습니다.
지금도 농아인 청소년들과 잘 지내고 있지만
평소 제가 무뚝뚝한 성격에 표정변화가 없는 타입이라 아직도 많은 어려움이 있습니다. 

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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