パシャパシャ
わたしのクラスでも、学生らが講義終りのころにホワイトボードの前にやってきて
書かれてあるボードの内容をパシャッとします。
これで、筆記せずにOKというわけです。
わたしはそれは勿論許容してますが、
下の内容は、授業中にパシャパシャする内容ですね。
これだと、ちょっと困りますね。
わがクラスはまだこうなってませんが、この新聞記事をみてちょっと驚いてしまいました。
こうなったら、どうしよう。
ま、そのときに考えればいいさ。
以下の記事は朝鮮日報からです。
3月のある日、ソウルにある私立大学医学部の授業で突然スマートフォンカメラの
シャッター音が相次いで鳴り響く。
講師が授業の資料に使っていたスライドを説明して次の章に移る直前。
10人余りの学生がスマートフォンを持って講義スライドを撮影した。
講義室の後ろに座っていたある学生は前に行って
スライド資料を自分のスマートフォンカメラに収めた。
シャッター音に講師は不機嫌な表情を浮かべて躊躇したが、
学生たちの写真撮影を阻止しなかった。
講師の金(42)氏は
"以前なら、怒ったが、今はもう馴れてきた"と語る。
スマートフォンが大衆化され、大学の講義室の風景が一変してきている。
講義内容をノート型パソコンやタブレットPCで書き込む「タジャ族=タイピング族」
講義内容をスマートフォンに録音する「録音族(ノグムヂョク)」に続いて、
「撮影族(チャルヨンヂョク)」らが講義室を占領している。
1回の写真撮影で講義内容がメモでき、直接手で筆記する手間が省けるからだ。
学生の立場からいえば便利だが、授業態度の「デジタル化」をめぐって大学社会では
甲論乙駁の議論が繰り広げられている。
最近、ある大学のインターネットコミュニティには
"なんで授業時間に先生の声より「パシャッ、パシャッ」の音がたくさん聞こえるのか。
カメラのシャッター音のために講義に集中できない。これらは撮影族ではなく、破廉恥族だ"
という書き込みが掲載されて論争が起きた。
大学院修士課程の李某(26)氏は
"前学期の統計の授業の時にしきりと「パシャッ、パシャッ」するカメラのシャッター音のために
他の科の学生と言い争ったこともある"と語る。
講義室の撮影族を見守る教授たちも、それほど好ましくはない雰囲気だ。
ソウルのとある私立大学の教授は3月からの新学期に入り、
受講生たちに「授業中にスマートフォンの使用禁止」を宣言した。
李教授は
"学生たちが講義ノートを回覧して見ることがあるけど、
私の講義資料をスマートフォンで撮影してSNSで回して見ていたことがあり、
授業資料撮影を禁止した"、
"大学次元で、授業時間中のIT機器使用に対する指針を作成する必要がある"とした。
「撮影族」らは、
"講義を聞いて書くだけが、いい授業態度ではないんじゃないか"としている。
むしろ筆記時間を減らして授業に集中することができ効率的だというわけだ。
ソウル大学工学部に学ぶ李(21)君は、
"講義の内容をすべて筆記することはできないので、手で筆記する代わりに写真撮影をする"と
した。
大学4年生の金(26)君は
"一教養授業で教授が動画を流しながら「試験に出る」と言うと
受講生たちがそれぞれスマートフォンを取り出して撮影するため、
何かの記者会見の会場に来たかと思った"、
"講義内容を一字も逃すまいと写真まで撮る様子が、
暗記中心の韓国の教育に起因するようでなんとなく悲しい"と語った。
(写真)済州大学の講義室で授業を聞いていた大学生たちがスマートフォンを頭上に上げて
スライド資料の内容を撮影している。 /済州大学提供
参考サイト:朝鮮日報 http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/03/21/2015032100259.html
「ケナリ」と「ヂンダルレ」
「ケナリ 개나리」と「ヂンダルレ 진달래」の写真です。
ケナリは「れんぎょう」といわれるもので黄色のかわいらしい花です。
日本にもありますが、どこにでもあるというものでもないと思います。
げんに、わたしは、故郷・米沢でもたぶん見たことがなかったし、
東京での10年ほどの生活の中でも見たことはなかったです。
でも、童謡などで「れんぎょうの花」という句が出てきますから、昔はどこにでもあったのかな? レンギョウをご存じの方がいらしたら、ぜひ、ご教示いただけるとうれしいです。
うちの地方では普通に見られる、とか。
彫刻家で詩人の高村光太郎がレンギョウを好んだということで、
彼の命日の4月2日はこれを連翹忌とも呼ぶそうです。
ヂンダルレは、日本にはありません。桃紫色の可憐な花です。
辞書的には「カラムラサキツツジ」と呼ばれているそうですが、
たぶんこんな名前、誰もご存じないかと思います。
朝鮮半島や中国北東部が原産地のようです。
韓国で春を告げる花はこの「ケナリ」と「ヂンダルレ」が代表的です。
これが終わる頃、桜が咲きます。
桜が咲くと「あはれ花びら流れ」(三好達治)のフレーズが独りでに口をついて出てきます。
やっぱ、わたしは日本人ですね。
さようなら原発 米沢のつどい(第22回)
【さようなら原発 米沢のつどい(第22回)】のお知らせです。
今回は、レインボープラン虹の駅理事長の菅野芳秀さんをお招きしての講演会です。
講演会「理と利が一緒になって力となる ~ レインボープランから置賜自給圏構想まで~」
講師: 菅野芳秀さん (レインボープラン虹の駅理事長)
日時: 3月28日(土)14:00~16:00
会場: 米沢市すこやかセンター 2階会議室(米沢市西大通1丁目5-60)
菅野芳秀さん談:
「若い頃成田闘争にかけつけ、農家の人と一緒に座り込みをしました。
長井市に戻り、いくら理想を説いても周りから相手にされませんでした。
紆余曲折のなか“百姓”を選択し、理と利が一緒になってこそ人が動くことを知りました。
台所の生ゴミで農地を豊かにしようと思い立ち、レインボープランを立ち上げました。
長井の発展は都会になることではなく、品格ある堂々たる田舎になることだと思います。
震災後、それまでの“田舎から都会へ”という流れを180度転回するために
置賜地方の食とエネルギーの自給を図る構想を仲間と語り合いました。」
今こそ世の中を変える最後のチャンスだと、明治維新の志士の気概をもって語ってくださいます。
どなたさまも、ご自由に来場ください。
菅野芳秀さんのブログです。ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
2014年には「ソウル宣言 プレフォーラム」というのを明治大学駿河台キャンパスで
おやりになるなど、韓国にもご関心をお持ちのようです。3月28日の講演が楽しみです。
【次回(第23回)の予定】
講演会「地域エネルギーによる会津の自立」
講師:会津電力株式会社 代表取締役社長 佐藤彌右衛門さん /
日時:4月25日(土)14:00~ /
会場:米沢市すこやかセンター
カルビ _ 筆者のエッセイ0017
カルビとは何かというと、あばら骨の部位のこと。肋骨の部分である。ここに付く肉だからカルビというのである。部位によって肉の味もちがうし用途もちがう。牛でも豚でもカルビとかドゥンシムといった部分は最高級品である。ドゥンシムというのは、脚のつけ根あたりの背中側の部分である。やわらかくて肉のコクがあっておいしい。ブルコギ(焼き肉)は、カルビとかドゥンシムという重要部位以外の、いわばその他おおぜいの肉の寄せ集めである。醤油・みりんなどで味付けした肉に野菜をふんだんにまぶしていっしょに焼く。芳ばしい香りが立ちのぼり、次から次に口のなかに吸い込まれていく。ブルコギもすごくおいしいし、韓国というとブルコギのイメージがあるが、ブルコギは第二次的なものである。第一次は、やはり牛のカルビあるいはドゥンシムである。これらは普通味付けをしない。肉そのままを焼いて塩などをつけてたべるだけだ。この間テレビを見ていたら、日本一のあるソムリエの話だった。このソムリエは客に決して媚びないという。客の機嫌をとり、媚び笑いをうかべて客をもてなす必要などないんだそうだ。店にある六〇〇種以上のワイン、客をもてなすのはこのワインの味であって、決してこびへつらいではないという。カルビしかりドゥンシムしかりである。本物で新鮮であれば、味付けはむしろ本来の味をじゃまするものになってしまうのだ。なんにも手を加えていない肉をそのまま焼いて塩をつけて食べるだけが、最上の味でありうまく食べるコツなのである。焼き肉のタレというものが日本では発達していて、ネコもシャクシも焼き肉のタレで食べるが、韓国の素朴な味を知ったあとでは焼き肉のタレは食べられなくなってしまう。
実際のわたしの経験である。日本の有名な焼き肉のタレを買ってきて韓国で食べてみたことがある。おいしい肉をさらにおいしく食べてみよう、うちの家族にも日本のタレのすばらしさを知ってもらおう、というダンドリだった。ところがこのタレがなんとも人口調味料の味がして、吐きそうな気分になるのである。化学成分のせいであろう。塩だけで食べている舌には、あまりにも「化学的」なのである。日本で食べればおいしいのに、同じものでも韓国で食べると味がちがって感じられてしまう。不思議な経験だった。これはタレだけではないが、カルビに話をもどそう。
知り合いの家族に招待されて、カルビ屋に行くことになった。このカルビ屋は、生カルビ屋である。冷凍カルビではなく生のカルビを食べさせる店で、本格的なカルビ屋ということになる。招待してくれた韓国人夫婦は二人の子ども連れ、わたしら招待を受けた家庭は日本人夫と韓国人妻の三家庭、子どもは総勢六人である。全体で15、6人という大集団だった。テーブルにつき、生のカルビが給仕され、店員さんが上手に焼いてくれる。カルビには骨がしっかりとついている。色よく焼けて、みな食べにかかった。骨についた肉は大きな塊になっているから、ハサミで数ヵ所切って食べごろの大きさにして食べる。うまい。とろけるような舌触り、芳ばしい香りを、何と形容したらいいだろうか。子どもたちも小さく切った肉を食べる。みな舌鼓を打ちながら食べる。いくらでも胃袋の中に入る感じだ。どのテーブルも肉はたいてい平らげ、骨が残った。骨にも肉はついているから、この肉も食いちぎるようにして食べる。骨についている肉もおおかた食べた。これぐらいきれいに食べれば上出来だろうと思った。もったいない食べ方をするのも礼儀にもとることではないか。
ところがこれが大きな思いちがいだった。招待してくれた韓国人夫妻のダンナさんが、「Mさん、その骨のまわりについているやつあるじゃない。そこがいちばんおいしいところなんだよ」と言うではないか。完全に一本とられた格好だ。わたしとしては、きれいに食べたつもりだったのに、そうじゃなかったんだ。よく見ると、骨にはたしかに、肉というかプラスチックのようなコリコリのものが巻き付くようについている。骨を保護している部分のようだ。歯があんまり上等でない筆者は、この部分を食いちぎることができない。どうしよう。爪でひっぱがそうとしたが、なかなかこれが剥がれない。前歯で食いちぎれればそれにこしたことはないんだが。わたしの歯では危ない。結局そばにいたわたしのかみさんに食べてもらった。わたしはひとかけらぐらいは爪でひっぱがして食べたかな。いちばんうまいということだが、ほんとにそうかな。丈夫な歯でぎちゃぎちゃかんだら、うまさがしみだしてくるのかもしれないが、歯に若干の問題のあるわたしにはそれほどのうまみは感じることができなかった。ともあれカルビというのはこうやって食べるのか。おいしかったうえ、本格的なカルビの食べ方まで学んで、きょうは大きな収穫だ。ここまで食べれば、骨は真っ白でツルンツルン。完璧だ。骨つきカルビと日本ではいってるけど、カルビには本来骨(肋骨)がついているものなんだ。しかも骨だけを残してあとは完璧に食べるものなのである。骨つきカルビを見て喜ぶ人でも、ここまできれいに食べている日本の人はさほど多くないのではなかろうか。
(『おしょうしな韓国』より)
よもぎの味噌汁
3月13日に今年はじめて「よもぎ」の味噌汁をすすった。
よもぎは韓国語では쑥(スク)といいまして、春を告げる山菜ですね。
わたし、米沢出身で、よもぎってやつはよく食べてました。
「よもぎのもち」とか「よもぎの大福」とかって形でした。
でもこちら(韓国)では、よもぎを味噌汁にして食べるんですね。
米沢にいたときには、よもぎの味噌汁って、食べなかったです。
で、これが春の美味でして、いちど是非食してほしいと思いまして、アップしてみます。
芽が出てちょっとしたころに摘みます。
味噌汁は、春の味そのものです。
写真左は摘んだよもぎ。右は味噌汁にしたもの。(主に米沢のみなさんへ。)
原爆の落ちた広島で次の年にいちばん早く芽を出したのがこのよもぎだと
聞いたことがあります。
生命力のある植物なんですね。
よもぎはまた、もぐさとも言って「お灸」の原料ですね。
英語にもmoxa(モクサ)として取り入れられています。
「もぐさ」は世界共通語になってるんですね。
こちらでもお灸の文化が盛んで、かなりの人が伝統的にやってます。
江華島(カンファド)のよもぎがお灸の材料としては最高級品と言われてます。
わが家でも、お灸はときどきやってまして、いつもお灸はそばにあります。
ということで、きょうはよもぎの話でした。
よもぎの味噌汁、ぜひ味わってみてください。
寂しさは 致命的
♦ここから引用♦
寂しさは人だけの病気でない。スイスと日本の共同研究チームは最近、
国際学術誌 '行動生態学と社会生物学' に
"群集から孤立したアリは、寿命が10分の1に減る"と発表した。
研究陣は働きアリが一匹でいるときと、2匹、10匹が一緒にいる場合、
そして働きアリ1匹が、幼虫3、4匹と一緒にいる場合を分けて行動を観察した。
ひとりになったアリは、仲間を探しているのか一時も休まず歩き回る。
それでも餌はきちんと消化できず、エネルギー不足状態に陥った。
オーストラリアのメッケリー大学のケンチェン教授は
"仲間から食物消化に必要な腸内細菌をもらえないため"と推定した。
アリは餌を食べるとすぐには消化をせず、'社會胃'という特別の袋にためておく。
お腹がすいた仲間が触角で口の下のひげを刺激するとき、'社會胃'から餌を吐きだす。
ひとりになったアリは、このような栄養交換ができず、問題が生じるというわけだ。
様々な条件で観察した結果、働きアリが単独であれば、寿命が6日にしかならなかった。
しかし集団になると、最大66日まで寿命が伸びることが分かった。
これは人にも役立つ。
人も寂しさが過度になれば、命まで脅かされるからだ。
米シカゴ大学・心理学科のジョン・カシオポ教授は、
昨年、米国科学振興協会(AAAS)の定例学術大会で
"寂しさは、老年層の早期死亡の可能性を14%増加させる"と発表した。
2010年の研究では、寂しさが肥満より早期死亡に2倍も大きな影響を与えることがわかった。
家族や友人が危険状態にあるか、どうやって把握することができるだろうか。
科学者たちは二つの兆候を提示した。
第一に、米テキサス大学の研究陣は、
孤独な人ほど、同じ場所でTVドラマをまとめて見る傾向があると今年1月に発表した。
テキサス大学広告広報学科博士課程のソン・ユンヒ研究員は
"ドラマの過度な視聴は、疲労感や肥満といった健康問題も起こしかねない"と話した。
第二は、人ではないある対象に人の顔を見るように感じるようになること。
米ダートマス大学の研究陣は、人形と人の顔写真を多様に合成して大学生たちに見せてみた。
人の顔との類似度が、0%の人形から100%の本物の人の顔まで、
グラデーション的に連続する写真だった。
学生たちは平均的に類似性が68.9%以上になってはじめて人の顔と判断した。
しかし、事前に心理検査で寂しい状態と現れた大学生たちは、
それより人形に近い顔でも、人の顔とみなすことが明らかになった。
映画 '彼女(Her)' で、手紙の代筆作家である主人公は、
コンピュータにインストールした対話型の人工知能プログラムと恋に落ちる。
科学者らは極端な寂しさに陥れば、ロボットやコンピューターゲームのアバター、
ペットみたいな非人格的存在も人のように思うようになると見ている。
参考サイト:朝鮮日報
http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2015/02/09/2015020900397.html?csmain
♦ここまで引用♦
若者なら恋人が必要、ということですね。
年老いた方々には配偶者ということですかね。
異性でなくても、友だちのような存在も意義はあるのかな。
寂しさというのは、こんなにも致命的だったとは、はじめて知りました。
アリの実験での66日、対、6日というのはすごいですね。
仲間といっしょであれば11倍長生きということですね。
たまには孤独もいいですが、寂しさにまみれた孤独は寿命を縮めてしまいそうです。
誰かといっしょにいる生活をしたいですね。