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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

旦那さんの願い _ 韓国のジョーク001

韓国のジョークおもしろいものがあったら、その都度
ここにアップしていこうと思います。
今日はその1回目で、「旦那さんの願い」です。


< 旦那さんの願い >
ある旦那さんが…。
自分は毎日出勤して苦労しているが…
女房は家でごろついているようだ。
どう過ごしてるのか詳しく知りたい。 それで
神様に祈りながら願い事をしました。

主よ、
私は毎日8時間も熱心に仕事をしているのに、
家内は家にいるだけで す。
それで私が出勤してどれだけ苦労して働いているのかを
女房がわかるようにしてあげたいんです。
なので、主よ。ぜひ一日だけ
お互いの肉体を変えてくださいませんか。

気の毒に思った全能の神様は
その夫の願いを聞き入れ、、
次の日の朝、夫は女になっていた。

彼女は起きるやいなや
ご飯を炊いて子供たちを起こし、
服を着させながらご飯を食べさせ、
お弁当を作って学校に送り、
夫を出勤させて、
洗濯物を集めては洗濯機を回し、
猫にご飯をやり、
布団をたたんで部屋の掃除をしてさらに部屋の床を拭き、
犬を洗ってあげ、
請求書の決済のため銀行に行き、
帰って来る途中、市場で食料品を買い、
その重い手提げをひいひいいいながら持って、
家に帰ってきたらもう午後1時が過ぎている。

洗濯物を干して
子供たちが学校から帰ったら食べる間食を準備し、
子供たちを待ちながらアイロンをかける。

ややあって子供たちが学校から帰ると、
食べさせ、宿題をやりなさいと、どなり、
しばらくTVを見ながら一息いれると、
もう午後4時30分、もう夕方だ。

それでまた、大急ぎでお米をとぎ、
肉を切って野菜を切り刻み、
みそ汁を作り、夕食の準備で目が回るほど忙しい。
夫が退勤して夕飯を食べた後は後片付け。

それを終えると今度は
洗濯物を畳んで入れ
子供たちを寝床に寝つかせてると
もう夜9時が過ぎている。

しかし、
まだ彼女の一日の日課は全部は終わっていない!!??

彼女は疲れた体で寝床に入り、
夫の要求まで聞いてあげなければならなかった。

翌朝になって
彼女は目が覚めたとたん
ベッドの横に跪いて祈祷をした。

主よ! 私が本当にバカでした。
女房が家でする仕事を
あまりにも知らずに嫉妬していました。
どうかお祈りいたします。
私を元通りの男に、つまり夫にしてください。

しかし、神様はにっこり笑って
お前、それはだめだよとおっしゃった。

昨日一日、お前は本当にいい経験と反省を得たものと信じている。
私もお前がすぐ夫にもとがえることを願うが…
お前は今日からきっぱり10ヵ月後に
夫にもどるしかないのだ!

なぜ、?。

なぜなら、。




お前は昨日の夜に、どんぴしゃり、
妊娠してしまったからさ。www!!!

<한국어 원문 >
어떤 남편이..
자긴 매일 출근하여 고생하는데
마누라는 집에서 빈둥대는 것 같아
어떻게 지내는지 자세히 알고 싶어
하나님께 기도하며 소원을 빌었답니다.

주여,
나는 매일 8시간이나
열심히 일 하는데,
집사람은 집에만 있습니다.

그러니 내가 출근하여 얼마나 힘들게 일하는지를
마누라가 알도록 해주고 싶습니다.
하오니 주여~ 꼭 하루만
서로의 육체를 바꾸어서 지내게 해 주십시오.
딱하게 여긴 전능하신 하나님은
그 남편의 소원을 들어주었고,
다음 날 아침 남편은 여자가 되어 있었다.
그녀는 일어나자 마자
밥을 짓고 애들을 깨우고,
옷을 챙겨 밥 먹이고
도시락을 싸서 학교로 들려 보내고,
남편 출근 시키고,
세탁물을 거두어 세탁기에 돌리고,
고양이 밥을 챙겨주고,
이불개고 쓸고 닦으며
돌아가면서 집안 청소를 하고
개를 목욕 시키고,
청구서를 결제하려 은행가서 일 보고
오는 길에 장봐서 낑낑 대며 집에 돌아 오니
벌써 오후 1시가 넘었다.

빨래를 널고
애들이 학교에서 돌아오면
먹을 간식을 준비하고,
애들을 기다리며 다림질을 하였다.
좀 있다가 애들이 학교에서 돌아와
먹이고 숙제하라고 실갱이(실랑이)를 벌이고는
잠시 TV를 보며 숨 돌리는데
벌써 오후 4시 30분 저녁 시간이 다아 되었다.

그래서 또 허겁지겁 쌀 씻고
고기 저미고 채소를 다듬어서
국 끓이고 저녁 준비를 정신 없이 하였다.

남편이 퇴근하고
저녁 먹은 후에 설거질 끝내고
세탁물을 개어 넣고
애들을 잠자리에 들려 재우고 나니
벌써 밤 9시가 넘었다.

그러나
아직도 그녀의 하루 일과는
다아 끝나지 않았다!!??

그녀는 지친 몸으로
잠자리에 들었고
남편의 요구까지 들어줘야 했다
다음날 아침이되어
그녀는 눈 뜨자 마자
침대 옆에 무릎 꿇고 기도 하였다.

주여! 제가 정말 멍청 했습니다.
마누라가 집에서 하는 일을
너무나 모르고 질투하고 말았습니다.

제발 소원하오니,
저를 원상으로 회복하여
당장 남편으로 돌려 주십시오.

그러나 하나님은 빙긋이 웃으시며
이 사람아 그건 안 되느니라 말씀 하셨다.

어제 하루 너는 정말 좋은 경험과
뉘우침을 얻었으리라 믿는다.
나도 네가 바로 남편으로 돌아 가길 바라지만,..

너는 오늘부터 꼭 10개월 후에야
남편으로 돌아 갈 수밖에 없게 되었다!

왜,..??  왜냐하면,..


넌 어제 밤에 그만
임신 하고 말았기 때문이니라ㅎㅎㅎ!!!

相手が可愛そうです

「痛快!サルもできるツボ療法」というメルマガを愛読してるんですが、
ここにあったことばです。

心にひびくものがあって、ご紹介します。

□■□ □■□ □■□ □■□ □■□ □■□ [痛快!サルもできるツボ療法] 2014/02/20 No453より。

2月8日、オークションで通信機器を落札し、支払い代金を振込み、
相手からも「明日(10日)入金確認後、
商品を発送いたします」と実にスムーズな流れで連絡をもらった。

ところが、それから数日しても発送連絡もなく、商品も届かず、
こちらからの再三の取引連絡にも返事がなく、電話も繋がらず、

  “残念無念”の思いが募ってきた。

しかし、シメシメと一瞬だけ喜んだ相手には、
この残念無念の思いがいつまでもついて回り、子々孫々まで尾を引くものです。
これは決して良いことにはならず、相手が可愛そうです。

支払いが終わって10日が過ぎ、最後のつもりで取引連絡を入れた。

  「お金や物を失っても“信頼”という大切な宝は失いたくありません」
   「私は貴方さまを信じて、商品が届くのをお待ちしております」と....。

すると3時間後、相手から詫び状と商品発送の連絡が届いた。
人を責めたらかえって責められ、お互い安らぎはありませんが、
こちらの気持ちが通じて、改心してくれたのでしょうか?

商品が届く喜びと、他人(ひと)を信頼してよかったという安堵の気持ちが交錯して、
凍てついていた気分が一挙に解け始めた。
http://www13.plala.or.jp/kousei/より。□■□ □■□ □■□ □■□ □■□ □■□

どうですか。すばらしいお話ですね。
騙されそうになったのに、「相手が可愛そうだ」という部分は、まさに驚きです。
こういう姿勢で生きておられる人もいるんだということを知って、
驚きでもありうれしくもあり、です。

反省することしきりです。^^


世紀の発見!!! _ 数学の話題002

 
数学の話題はおもしろいです。
きょう2月26日、日本の各新聞に
素数に関するニュースが出ていました。
これはかなりおもしろいので、ご紹介します。
どうも世紀の発見のようですね。

♦ここから引用♦

素数の新定理発見 極端な偏りなく分布 米英数学者「夢のような成果」

1とその数自身以外では割り切れない2以上の自然数「素数」が、
どのような間隔で分布するかに関する新たな定理を米英の2人の数学者が
26日までに見つけた。

数学者からは「教科書を書き換える」との声も上がる成果。
素数は小学校でも習う基本的な数だが、謎も多い。
新定理の結論は理解しやすい内容で、幅広い関心を集めそうだ。

数が大きくなると、素数はまばらにしか見つからない。
1~100の100個の中には2、3、5など素数は25個あるが、
同じ100個でも、10万1~10万100には素数は6個しかない。

では数が大きくなると、素数の間隔は際限なく離れていくのか。
新定理は「そんなことはない」と否定する結果を示した。

数学者の本橋洋一博士(素数分布論)は
「素数が極端に偏ることなく分布するという数学の大予想があり、
その初の証拠と言えるのではないか」と説明する。

新定理は、英国出身でカナダ・モントリオール大のジェームズ・メイナード博士(26)と、
米カリフォルニア大のテレンス・タオ教授(38)がそれぞれ独自に見つけた。

本橋博士は新定理について「素晴らしいひらめきがないと絶対に気づかない。夢のような成果だ」と話している。

▼新定理を発見したジェームズ・メイナード博士 
最初に鍵となる着想を得たときには、このような非常に強力な結果が得られるとは思っておらず、今でも驚いている。
▼新定理を発見した米カリフォルニア大のテレンス・タオ教授 
素数の分布に関して、過去の研究者が試みて失敗した計算をもっと注意深く行った結果、たどり着くことができた。
素数 2以上の自然数で、1とその数以外では割り切れない数。無限にある。自然数を素数の積で表すことを素因数分解といい、例えば60は2と3と5の積に分解できる。大きな素数をかけた数ほど素因数分解が難しくなるため、ITの世界では「素因数分解できたら鍵が開く」という仕組みの暗号に使われる。10349は二つの素数131と79の積だが、手計算だとすぐには分からない。これも計算機では簡単に判明するため、暗号にはもっと大きな桁の数が用いられる。極めて大きな素数を見つけ出す競争も行われ、これまでに1742万5170桁の素数が発見されている。
(スポニチ http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/02/26/kiji/K20140226007668140.html

♦ここまで引用♦

やはり素数というやつはおもしろいですね。
もう一度見てみると、
1~100の100個の中には素数は25個ある。
が、同じ100個でも、10万1~10万100には素数は6個しかない。
では数が大きくなると、素数の間隔は際限なく離れていくのか。

新定理は「そんなことはない」と否定する結果を示したということです。

数が大きくなれば、素数の現われ方もだんだんまばらになってくるような気がしますが、

「そうではない」

と証明したわけですね。
どうやって証明したかは新聞にはどこにも載っていません。
それは当然です。
載っていてもたぶん全然わからないはずです;;;(勿論筆者も含めて;;)。

簡単に説明してくれるブログなどがあれば、
非常にありがたいのですが、、、。
もしそういうブログご存じのかたは、教えてください。
わたし、素数にはかなり関心があるんです^^。


トトロの森

わたしが生まれ育った山形県米沢市。
ここのある場所に「トトロに似ている木」があって、
人々は「トトロの森」と呼んでいるようです。

いつのころから「トトロの森」として有名になったのか、はっきりとはわかりません。
たぶん2010年ぐらいからかと思います。

おもしろいので、ご紹介します。
わがふるさとでもありますので^^。totoro ki 0225toto2.jpg 0225toto.jpg

まずは、HPに入ると、挨拶のことばがあります。(http://sumomoyama.web.fc2.com/index.html)

「トトロの森を守る会」のホームページへご訪問ありがとうございます。
私たちはトトロに見える森のある李山という地域を心から愛し、
豊かな自然環境と地域の暮らしを守るため、
協力・交流・融和・挑戦により持続可能な地域の発展を目指しています。

地域に暮らす人、訪れる人とのふれ合いの中で、
一人ひとりが地域の代表者で あることを自覚し、自ら感じ、気づき、行動していきます。

米沢市南原東李山集落内の「丹南山神」の周囲に自生する樹木群が
トトロに見える事から「トトロの森」とマスコミで注目を浴び、
観光地としての受け入れ態勢が不備なところに多数の観光の方々が訪れ、
またお問い合わせが殺到しました。

集落では組織を設立して「トトロの森」周辺の環境整備を行い、
地域の環境資源を広域的に一体化して捉え、
工夫やアイデアで 着地型観光地の増加を目指しています。

                                                                                                トトロの森を守る会:代表

挨拶のことばにもありますが、
「丹南山神」の周辺に自生する樹木群がトトロに見えることから
「トトロの森」として人気を呼び大変なさわぎになったようです。

「丹南山神」は「たんなんやまのかみ」と読むものと思います。
「たんなん」にはわたしが通った小学校の分校がありました。

子どもたちがその分校からわたしの通う本校に
5年生のときに転校して来たと記憶してます。

その分校にはわたしの祖母の妹にあたるおばさんが泊まり込みで
給食のおばさんとして一人奮闘していました。
なので時どき分校にも遊びに行ってました。

でもそのころは(昔むかしなので)この話題のトトロの森はありませんでした。
樹木たちはあったと思いますが、
トトロの木としては認識されていなかったわけです。

だれが一番はじめに「あ、あれはトトロに似ている」と言ったのでしょうか。
その人は大きな功績があると思います^^。

「トトロの森」とも「トトロに似ている木」とも呼ばれているみたいですね。



「トトロの森」について
http://yonesumomoyama.blog.fc2.com/
「トトロの森」つまり「トトロに似ている木」は、たくさんの木で出来ています。
大小18本の杉の木とケヤキの木、3本の桜の木で
「トトロの森」(トトロに似ている木)は出来ています。

背の高い2本の杉の木が耳、桜の木が尻尾になって、
春先にはピンクに染まり可愛らしさに文字通り花を添えます。
巨体です。
森としては小さな森ですが、
それでも胴回り約80m、直径約25m、高さ30mとかなりの巨体です!!
遠くからでも「トトロ」に見え、季節により葉の色を変え、
多様な表情をご覧いただけます。

いちどHPにはいってご覧下さい。米沢の自慢です。

ちなみに、「トトロの木」あるいは「トトロに似ている木」は
山形県鮭川村というところにもあるみたいです。
上にご紹介したのは山形県米沢市の「トトロの木」です^^。よろしく。
いずれにしましても、山形県はトトロと縁が深そうです^^。

愛しているよ

中国の男性は、口先だけで何かを言うのが苦手らしいです。
これは人間的ですばらしいことですよね。

中国っていうと、不良食品とか詐欺とか、
そういうマイナスのイメージが先走ってしまいそうですが、
どうしてどうして、中国、やっぱ、なかなかのものです。

一手、学ばせてもらいました。

毎日中国経済(http://news.livedoor.com/article/detail/8542818/)からの引用です。

♦ここから引用♦

中国の男性、口に出すのが最も苦手な言葉とは?―中国ネット

中国メディア・華声在線は16日、2月14日は西洋ではバレンタインデーとされ、
恋人たちが花火を見に行ったり、映画を見たり、ランタン祭りを見に行ったりしたと報じた。

しかし、一部の恋人たちは「文字を刻む」方法でしか愛の思い出を作れないようだ。
バレンタインデー後に湖南省の烈士公園にある木製の柱には「○○は××を愛してる」とか、
「離れない」とか、「○○、君を一生愛する」とかいった「愛情宣言」が多く刻まれた。

公園側は修理のための経費を申請中とのことだ。

中国の男性は各種の行動によって愛を示す一方で、口で愛を伝えることは少ない。

先日、ある中国のネットユーザーが
「天下の男性のなかで、中国の男性が最も『愛している』と言わない」とする文章を
発表した。

文章の内容は以下のとおり。

米国で26年暮らしているが、
早いうちに英語で口先だけ「愛している」と言うことを覚えた。
従業員や近隣住民、果ては見知らぬ人を相手に1日平均70回あまりも口にする。

現地で生まれた息子は、私とのケンカが終結すると
電話口に英語で「パパ、愛してる」と言うのを忘れない。

ところがだ、これを中国語にすると死んでも口に出せない。
トイレにこもって小声で練習したりもするのだが、
歯が浮くような、気取っているような感じがする。

自分に対する蔑視に耐えきれなくなる。
80歳を過ぎた母の様子を見に北京へ戻ったとき、
あと何回母親の顔を見られるか分からないという思いから

「母さん、愛してるよ」

と口にした。
すると母親はにわかに驚き、
私の目を見て「あんた、頭おかしくなっちゃったんじゃないか」と訝しげに聞いてきた。

中華民族の男は、愛を行動で示せるが、愛を語ることはできない。
欧米の男子は、毎日愛を口先で語るだけで実際は何もしないと私は思う。

かたや中国の男子は最も地味ながらも一生懸命に取り組む。
だからこそ、われわれは世界最多の人口を生みだしたのだ。
この偉業は言うだけではできないのだ。

典拠:毎日中国経済 http://news.livedoor.com/article/detail/8542818/

♦ここまで引用♦

最後の部分、
「われわれは世界最多の人口を生みだしたのだ。
この偉業は言うだけではできないのだ。」

これには笑わせられました。ユーモアも1級です。

それにしても中国の男性、かっこいいですね。
「男は黙ってサッポロビール」ってやつですね。
ダンディズムが感じられます。かなりかっこいいです。

わたしの住んでいる天安市。
ここには大学が10だったか12だったか、ものすごい数があるんですが、
そのなかでもS大学は外国からの留学生が多いことで有名です。
(ちなみにわたしの所属する大学ではありません)

その大学もときどき行くので、学生らの傾向などについてはけっこうわかってるんですが、
その大学の女子学生らに聞くと、
中国からの男子学生らに好意を懐いているケースがかなり多いんです。

「あたしも、あの中国の学生が好き」

って感じです。

なんで中国からの男子学生が人気があるのか、ながいこと理解に苦しんでいました。

でも、上の記事を見て、かなりの部分、納得!って感じです。
そうだったんですか。

中国の男たちよ、おそれいりました。
男は黙ってサッポロビールっていう、あのフレーズを地でいっているから、
女の子たちにはモテルんですね。

納得がいって、なんとなくほかほかとなるわが心であります。
一句いってみます。

「中国の男にもあり麦酒香」

日本の町 _ 釜山サムライエッセイ0006

釜山サムライさんは韓国の方でわが友。
居場所は釜山。
美しいヘウンデ(海雲臺)に暮らしながら、
日本語や日本のことについて、独自のエッセイを展開中。
今回はその第六号です。お楽しみください。


<日本の町>

暑い太陽が照りつける真夏の午後。
ここは釜山。

車に乗って、海雲台(ヘウンデ)から東海南部線に沿ってつづく海岸道路を走る。
海岸を挟んで走るコースの真っ青な海の風景が、いかに美しいことか。
左側は鬱蒼たる緑色の山林、右側は海。このコースは韓国でも指折りの絶景だ。
海岸にまき散されている小さい岩、大きい岩たち。
彼らはその場が自分の場でもあるかのように、でんと据えている。

自然も自らこのように自分をうつくしく表わそうとする姿が、まさに見応えがある。
万物の霊長といわれる人間も、自分のみならず身の回りもきれいにしていけば、
自然のように香りを発散することができるのではないかと思います。

私は幼いころからの性格というか、、まあ、今もおなじですけど、、
軍隊での生活がもしかすると私には合っているのではないかと思ってきました。
軍隊というところは、回りのすべてがきちんと整理整頓されているのが性に合っています。
身の回りのものが散らかっていたら、なんとなく精神までも散らかっているようです。

先だっても書きましたが、家の娘が日本で留学していたころ、
娘が自炊するところ(神奈川県川崎市麻生区)で何日間か泊まったことがあります。

娘が学校へ行った後、町の見物でもしようと、近所に出かけました。
家の前にある踏み切りを通り過ぎ、もうすこし遡って行くと田舎の趣きが感じられる風景が
広がっていました。

土の色が黒色で、滋養分が十分含まれた土地のように見受けられました。
何をするところかは分からないけど、
本当にきれいに手入れされているのを見て微笑ましい気持になりました。
私のものではありませんけどね。。。

家のほうに戻って来ながら、ちらっと振り返って見たら

○○土地模範地区"

という看板が見えました。
家の回りをぶらぶらと歩いていると
幅が8~10メートルくらいの河川(鶴川)がありました。

しばらく立って見下ろしていたら、何かが動いているのが見えたので、
じっと見つめていたら黒色の大きな鯉でした。
その一帯へ目をまわしたら、これが、なんと、1~2匹ではなく数十匹いたんです。

"なんだ、これ、鯉がなぜここにいる?"。

しばらくあれこれ考えているとふとこんな考えが浮かびました。

"あ~これは河川を浄化するため鯉を放流したのであろう"と。

観賞用として、また河川を浄化するため、一石二鳥の効果を出す、
まさにすばらしい構想だという思いがふっと湧きました。

ところが、これが韓国だったらあの鯉。真夜中にきっと悲惨な目にあうだろうな。。^^

あたりを一回りしてから家へ向っててくてく歩いていた時、
前から誰かが周囲をきょろきょろ見回しながら、
何かを拾ってはビニール袋に入れているのが目に入りました。

それで、私のほうに来るまでしばし待ちました。
近くまで来ました。見ると60代後半のお婆さんでした。

「お婆さん、今、何を拾っていられますか」って聞いてみたところ、

「うん、何でもないわよ。私、この町に住んでいるの。

毎日、運動がてら歩いてるんだけど、ゴミが見えれば拾うんですよ。」と答え、
またそのまま歩いて行きました。

いまでもあの時、にこにこ微笑みをうかべたあのお婆さんのことが思い出されます。

そして、一般の住宅を見るとほどんどの住宅が一階建ての家で、
白い木柵で囲まれていて、
だいたい何本かの木が植えられていて見た感じもとてもいいものでした。
その後でも何か所かの町をぶらぶら見て回りましたが、
全体的に落ち着いていてきれいなのが、日本の町だなという印象を受けました。
人と永遠にともにある自然を大事にするのは、言うまでもなく当然のことです。

"流れる小川から石を一つ取り除ければ、その小川はすでに生命を失ったものだ"

以前どこかで読んだ本の言葉が、もう一度思い浮かびます。

ところで、あの時出会った名もない鯉たち。今も元気でいるかな~~^^


<일본 마을>
뜨거운 태양이 내려 쬐는 한여름의 오후.
여기는 부산입니다. 차를 타고 해운대에서 동해남부선을 따라 연결되어 있는
해안도로를 달린다.
해안을 끼고 달리는 코스로 시퍼런 바다의 풍경이 정말로 아름답다.
좌측은 짙은 녹색의 산림, 우측은 바다. 이 코스는 한국에서도 손꼽히는 절경입니다.
해안에 흩어져 있는 작고 큰 바위도 그 자리가 자신의 자리인양 떡 하고 자리잡고 있다.

자연도 스스로 이 처럼 자신을 아름답게 나타내는 것이 정말로 보기에도 좋다.
만물의 영장이라고 하는 사람도 자신뿐만 아니라 주위를 깨끗하게 하면 자연처럼
향기을 내는 것이 가능치 않을까 하고 생각 합니다.

나는 어릴 적부터 성격이라고 할까.. 지금도 마찬가지 이지만..
군대에서의 생활이 어쩌면 나에게 맞을것 같다는 생각을 해왔습니다.
군대라는 곳은 주위의 모든 것이 깨끗하게 정리정돈되어 있는 것이 마음에 듭니다.
주위의 것들이 흐트러져 있으면 왠지 모르게 정신 마저도 흩트러져 있는것 같습니다..

일전에도 적었습니다만 우리집 딸이 일본에서 유학하고 있을때 자취하는 곳에서
(가나가와현,가와사키시,아사오구)
며칠간 머무른 일이 있습니다.

딸이 학교에 간후 집 근처로 마을 구경을 하러 나갔습니다.
집 앞에 있는 건널목을 지나서 조금 올라가면 시골의 정취를 느낄 수 있는
풍경이 펼쳐져 있었습니다.

땅의 색깔이 검은색으로 자양분이 충분히 함유된 땅으로 보여졌습니다.
무엇을 하는 곳인지 모르겠지만 정말로 깨끗하게 손질을 한 것을 보고 흐뭇한
기분이 되었습니다.
내 것도 아닌데도 말입니다...

집쪽으로 내려오면서 힐끗 뒤돌아 봤더니 “00토지 시범지구”라는 간판이 보였습니다.
집 주위를 어슬렁 거리고 걷고 있었더니 폭이 8~10미터 정도의 하천(쯔루가와)이 있었습니다.
잠시 서서 밑을 내려다 봤더니 뭔가 움직이고 있는 것이 있어서
응시하였더니 검은색의 큰 잉어였습니다.

그 주위로 눈을 돌렸더니, 이것이 말입니다... 1~2마리가 아니고 수십 마리가 있었습니다.

“이게 뭐지~ 잉어가 왜 여기에 있지?” 한참동안 의아스러운 생각이 들었습니다.

“아~이건 하천을 정화시키기 위해 잉어를 방류한 것이겠지..”라고 생각했습니다.

사람을 위한 관상용으로,그리고 하천을 정화시키기 위한,일석이조의 효과를 내는
정말로 훌륭한 구상이라는 생각이 문득 들었습니다.

그런데,, 여기가 한국이었으면 이 잉어.. 한밤중에 분명히 험한 꼴을 당했겠지~^^

한번 돌아보고 나서 집으로 향해 터벅터벅 걷고 있을때 앞에서 누군가가 주위를
두리번 두리번 거리면서 뭔가를 주워서 비닐봉투에 넣는 것이 눈에 띄었습니다.
그래서 내쪽으로 올때까지 잠시 기다렸습니다.

가깝게 온 사람을 봤더니 60대 후반에 할머니였습니다.

“할머니! 지금 무엇을 줍고 계셨습니까? ”라고 물어 봤더니
“응,, 아무것도 아닙니다.. 나는 이 동네에 살고 있어요...

매일 운동을 겸해서 걷고 있는데 쓰레기가 보이면 줍습니다.“ 라고
대답을 남기고 발걸음을 옮겼습니다.
지금도 그때의 생글생글 미소를 보였던 그 할머니가 생각이 납니다.

그리고, 일반의 주택을 보면 거의 모든 주택이 1층의 집으로 하얀 나무 울타리로 둘러 싸여있고,
대부분 몇그루의 나무가 심겨져 있어 보기에도 좋았습니다.

그 후에도 몇군데의 마을을 돌아 보았읍니다만,
전반적으로 차분하고 깨끗한 것이 일본의 마을이라고 하는 인상을 받았습니다.

사람과 영원히 함께 하는 자연을 중요하게 여기는 것은 말할 것도 없이 당연한 것이겠지요.

-흐르는 개울에서 돌을 치워 버리면, 그 개울은 이미 생명을 잃어버린 것이다-

이전에 읽은 적이 있는 책에서의 말이 다시 한번 생각이 떠오릅니다.

그나저나, 그때 마주쳤던 이름도 모를 잉어는 지금도 건강히 잘 있는지?

南北離散家族再会

わたしたち日本人には、あまりピンと来ないかもしれません。
肉親と離ればなれになって暮らしたりした経験がないからです。

北朝鮮の拉致された方々のご家族のお気持ちは、
ちょうどこのニュースにあるようなお気持ちではないかと想像します。

韓半島は、北と南に分断されています。
1950年6月25日の「ユギオ」(朝鮮戦争)の結果、
南と北に分かれてしまうことになりました。

そのとき、離ればなれになった家族、親子、兄弟、親戚などなど。
60年以上が過ぎてもまだ南と北が統一できずにいます。

分かれた人々が再会する(韓国語では「相逢」(サンボン)と言う)行事が
これまでにも何度も行なわれてきましたが、

離ればなれになっている人々の数%に過ぎません。
時間がだんだんなくなってきています。

今回も100カップルの再会(相逢)が予定されていましたが、
死亡や不調などの理由により82カップルだけが再会できました。
祝福すると同時に、こんな少ない数だけやっていては
何年、何十年やってもおわらない。

1年に数千カップルやっても、何年もかかるそうです。
急がれています。

南と北が、なんらかのスピードアップの対策を立てるのではないかと思われますが、
ぜひ効果的な対策を期待したいところです。

以下、KBSニュースからです。

♦ここから引用♦
<アンカーコメント>

3年4ヵ月ぶりに南北離散家族たちが再会しました。
今日のKBS9時のニュースは、離散家族再会特集ニュースでお伝えします。
以前お伝えしたように、金剛山(クムガンサン)再会場は、文字通り涙の海でした。
夢にまで見た家族たちとの再会。その表情をまず、キム・ソンジュ記者がお伝えいたします。

<レポート>
 
0221sangbong.jpg
花のような年ごろに別れた後、おばあさんになって初めて会った姉妹たち。 
車椅子に乗ってきた上のお姉さんを見て北側の妹は嗚咽します。

<録画>"お姉さん! こんな車椅子に乗ってくる姿を見るなんて"
夢にまで見た妹と生きて会えるようになったイ・ヨンシルおばあさん。
なぜもっと早く会えなかったのか...ただ涙を流すだけです。

お姉さんを残して親と一緒に避難してきたキム・ミョンボクさん。
60余年ぶりにお姉さんと会って一番最初に伝えなければならなかった消息は、両親の死亡です。

<インタビュー>"10年前に死亡したの"。"はい、10年前に亡くなりました"。

90歳を過ぎた父のお供をして再会場を訪ねた朴さんの目もしっとりとぬれていきます。
初めて会う北のおじさんだが、血肉の情が引っ張りあうのは仕方がないです。

<録画>"今まで60年間一度も欠かさず(おじさんの)誕生日祝いの料理を作ってきたのが父です"。
1次再会事業初日の今日は、韓国側離散家族82人と、北朝鮮側離散家族178人が2度会い、
血肉の情を交わしました。

離散家族たちは明後日まで2日間さらに4回再会することになります。

典拠:(KBS http://news.kbs.co.kr/news/NewsView.do?SEARCH_PAGE_NO=&SEARCH_NEWS_CODE=2812984)

みみをすます(5) _ 谷川俊太郎の詩(5/5)

みみをすます
みちばたの
いしころに
みみをすます
かすかにうなる
コンピューターに
みみをすます
くちごもる
となりのひとに
みみをすます
どこかでギターのつまびき
どこかでさらがわれる
どこかであいうえお
ざわめきのそこの
いまに
みみをすます

みみをすます
きょうへとながれこむ
あしたの
まだきこえない
おがわのせせらぎに
みみをすます

**********************************************

以上で5日にわたりアップしてきた谷川俊太郎作「みみをすます」を終わります。

きょうの5回目では、

「ざわめきのそこの
いまに
みみをすます」

の部分に俊太郎独特の言い回しを見て取りました。
「ざわめきのそこの いまに みみをすます」

これは詩人独特の文法です。おそれいりました。おもしろいです。

さて、
詩をこのように分けてアップするのはどうかと思いますが、
このブログは詩集ではないのでお許しのほど。

「みみをすます」。
この発音をするだけでも詩ですよね。
すばらしいことばです、「みみをすます」。

わたしたちは、自分の体にみみをすまし、足もとの雑草にみみをすまし、
流れる雲にみみをすまし、山の向こうにみみをすまし、
水に空気に雪に氷に
みみをすまして生きていきたいものです。

「みみをすます」全体を通してカタカナは、

ハイヒール、モカシン、プランクトン、コンピューター、ギター

の5つが使われています。
「ああめん」「おるがん」などはカタカナが普通ですが、あえてひらがなで書いてます。
このあたりの深いニュアンスは、俊太郎本人に確認してみたいところです。

カタカナを全く使わないで全部ひらがなで書いてもよかったのではないかと
わたしには思われるんですが、
なぜこの5つはカタカナで書いたんでしょうか?
不思議です。


みみをすます(4) _ 谷川俊太郎の詩(4/5)

(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)

みみをすます
じゅうねんまえの
むすめの
すすりなきに
みみをすます

みみをすます
ひやくねんまえのひゃくしょうの
しゃっくりに
みみをすます

みみをすます
せんねんまえの
いざりの
いのりに
みみをすます

みみをすます
いちまんねんまえの
あかんぼの
あくびに
みみをすます

みみをすます
じゅうまんねんまえの
こじかのなきごえに
ひゃくまんねんまえの
しだのそよぎに
せんまんねんまえの
なだれに
いちおくねんまえの
ほしのささやきに
いっちょうねんまえの
うちゅうのとどろきに
みみをすます

**********************************************

(ひとつのおとに
ひとつのこえに
みみをすますことが
もうひとつのおとに
もうひとつのこえに
みみをふさぐことに
ならないように)

この部分も意味深ですよね。

これはたぶん、太平洋戦争のころの、
日本全体が「それいけ、戦争だ!!!」という空気になっているとき、
「いや、戦争はやっちゃいけない」という声が掻き消された経緯がありますが、
あのようなことを言っているんだと思います。

今現在でも、福島では「放射能」の「ホウ」の字も言ってはならない、
というような空気があると言われていますが、
そういうことを言っているんだと思います。

人間は「自由」であることが最大の価値だと思います。

自由にものが言えなくなるとき、
そこには大きな問題、大きな壁、大きな断絶、激しい暴力が
大手をふって歩くような許されざる時代が到来することになるのでしょう。

特定秘密保護法のようなものが、堂々と手をふって歩くような時代が、
当たり前の世の中と言えるのでしょうか。


みみをすます(3) _ 谷川俊太郎の詩(3/5)

おじいさんの
とおいせき
おばあさんの
はたのひびき
たけやぶをわたるかぜと
そのかぜにのる
ああめんと
なんまいだ
しょうがっこうの
あしぶみおるがん
うみをわたってきた
みしらぬくにの
ふるいうたに
みみをすます
くさをかるおと
てつをうつおと
きをけずるおと
ふえをふくおと
にくのにえるおと
さけをつぐおと
とをたたくおと
ひとりごと

うったえるこえ
おしえるこえ
めいれいするこえ
こばむこえ
あざけるこえ
ねこなでごえ
ときのこえ
そして
おし
・・・・・・
みみをすます

うまのいななきと
ゆみのつるおと
やりがよろいを
つらぬくおと
みみもとにうなる
たまおと
ひきずられるくさり
ふりおろされるむち
ののしりと
のろい
くびつりだい
きのこぐも
つきることのない
あらそいの
かんだかい
ものおとにまじる
たかいびきと
やがて
すずめのさえずり
かわらぬあさの
しずけさに
みみをすます

**********************************************

「ああめん」とか「おるがん」など
普通はカタカナの語がひらがなになってますので、
その驚きがありますね。

ちょっとこれは差別用語ということで
今は禁止されているのかもしれませんが、

「ときのこえ
そして
おし
・・・・・・
みみをすます」

の部分の「・・・・・・」が、なんとも意味深ですね。

声のない沈黙、沈黙の中の表情が「・・・・・・」の部分に感じられませんか。
なんとも、楽しい詩です。

<audio src="貼り付けたい音声ファイルのurl" controls>

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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