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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

甲と乙

甲と乙。
契約書などでよく見られる語です。
甲は会社側、乙は被雇用者側となるのが普通です。
甲は権力の象徴、乙は権力に屈する側の象徴と見れます。
韓国では、この「甲と乙」という単語が流行語となってました。
何にでも「甲と乙」が出てきてましたね。
甲乙つけがたい、というような甲乙ではなく、
権力側の「甲」と被支配側の「乙」といった図式で表される甲乙です。
これの発端は、たしか「ナムヤンユオプ(南陽乳業)」という牛乳会社が
代理店の下請けに対して無理難題を押し付けながら平然としていた事件だったと思います。
2013年の前半期にあった事件で、
下請けの社長(だったと思う)が、本社の暴挙に対して押い詰められ
結局命を絶ってしまった事件だったと記憶してます。
牛乳を100本注文すると200本は無条件配達されたり、
ヨーグルト100本注文するとやはり300本とか無理やり押し付けられそれを断りきれない。
甲は「南陽乳業」、乙は下請けのこの会社。
この甲乙関係が世間一般の大きな関心事となり、
結局2013年7月の国会で、このような「甲のごり押し」を放置することを取締る法案が出され、
たぶん可決されたと思います。
この事件があったあと、
テレビもラジオも新聞も、みな、「甲の横行」、「甲のごり押し」、「甲の暴挙」などということばを
使うようになりました。
ひと頃は、世間話をするときでも、
例えば
「きのうはオレが全部おごってやったよ。4人集まってさ、オレが古参で甲じゃないか。
甲としてちょっとカッコつけといたよ」とか、
「きょうはあたしが甲よ。全員きょうはあたしの言うことを聞くのよ」と使ったり。
甲乙という契約書や法律書などにしか見れないガチガチのお堅い単語が
世間話にまで応用され使われる現象がひと頃の韓国でのホットな話題でした。
現在はあまり頻繁には出てきませんが、たまにパッとスパイスを利かせようと思うときなどに
「おい、それは甲のごり押しだよ」
などと使われているようです。



アイドル _ 学生エッセイ0034

韓国の若者、大学生がどんな文章を書くのか。
学生エッセイシリーズは、韓国の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその34回目で、女子学生DJSさんの作品です。
(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)


<アイドル>
  韓国音楽市場のほとんどはアイドルグループが占めている。日本も多分一緒であろう。韓国のアイドルグループは少ないのは3人、多ければ10人をやや上回る数だけど普通のグループは5~7人ぐらいである。歌の実力がある程度あるグループもあるけど、顔や体つきなどで人気はきまり、歌の実力は全くひどいグループたちも結構多い。人の数が多いグループの場合はほとんど初めて結成した時から海外市場を狙う場合が多い。
  最近は特にK-POPがブームという理由もある。日々、毎週新しいグループが新人としてデビューする。しかし、多くの新人グループらが人気を得ないままぱっと消えてしまう。既存のグループたちのしっかりした実力の認知度に比べて実力をきちんと備えないまま急いで出てきたからではないだろうか。大きな企画会社のアイドルたちは会社でハードなトレーニングと練習、また練習を繰り返し完璧な姿で登場して大きな人気を得て長持ちするグループが多い。デビュー時から完璧な姿を見せてくれる。それが当たり前だと思っていた。
  しかし私が見た日本のアイドルはそうではなかった。日本のアイドルグループたちを見ると、たいていが歌の実力や踊り、歌手的な面で不足な点が多かった。私も韓国人だから最初は当然 'あんなに準備ができていない子らがなんであんなに人気があるの? ' と思った。
  歌手なら当然、完璧に準備して出て活動するものと考えていたのでとても意外だった。後で日本文化についてよく知っている友達に聞いたのだが、日本人たちは完璧な姿より、完璧でない姿からどんどん成長していくのを見るのが好きなんだそうだ。子供がだんだん成長するのを見守るように。自分が好きなアイドルグループのメンバーらが活動をしながら成長していく姿を見ると胸がいっぱいになるのを感じるという。韓国人と日本人の認識の違いなのかと思った。
  日本の代表的なアイドルグループの一つであるAKB48というグループがあるが、メンバー数がおよそ48人にもなるという。秋葉原というところがあるが、そこではAKB向けコンサート会場があるので、ほとんど毎日コンサートをするという。韓国では昔も今も風景だ。ジュニアという制度も不思議だった。正式デビューをしないグループたちもバラエティー番組に出演したり音楽番組に出たりしている。韓国の練習生とは完全に異なった概念ではないか。このような珍しい文化に接して以来、日本のアイドルにたくさん興味ができた。完璧な姿ももちろんいいけど、不足した点を徐々に埋めていくという姿を見るのが好きになったし、なんとなく親しみが感じられるのだ。


<한국어 원문>
  한국 음악시장의 대부분은 아이돌 그룹들이 차지하고 있다. 일본도 아마 마찬가지일 것이다. 한국의 아이돌 그룹들은 적으면 3명, 많으면 10명이 조금 넘는 수이지만, 보통의 그룹들은 5~7명 정도이다. 노래실력이 어느정도 되는 그룹도 있지만, 얼굴이나 몸매 등으로 인기는 있지만 노래실력은 아주 형편없는 그룹들도 꽤 많다. 사람 수가 많은 그룹의 경우는 대부분 처음 결성할 때부터 해외시장을 노리는 경우가 많다. 
  요즘은 특히나 K-POP이 대세인 이유도 있다. 하루하루 매주매주 새로운 그룹들이 신인이라 하며 데뷔한다. 하지만 많은 신인 그룹들이 인기를 얻지 못 하고 반짝하다가 사라져버린다. 기존 그룹들의 탄탄한 실력과 인지도에 비해 실력을 제대로 갖추지 못 한 채 급하게 나왔기 때문은 아닐까. 큰 기획사의 아이돌들은 회사에서 힘든 트레이닝과 연습, 또 연습을 하며 완벽한 모습으로 등장해 큰 인기를 얻고 오래가는 그룹들이 많다. 처음 나올 때부터 완벽한 모습을 보여주는 것이 당연하게 생각되는 것이다.
  하지만 내가 본 일본은 그렇지 않았다. 일본의 아이돌 그룹들을 보면 대부분이 노래실력이나 춤, 가수적인 면에서 부족한 점이 많은 것 같았다. 나도 한국 사람이기에 처음에는 당연히 ‘저렇게 준비가 안 되어있는 애들이 어떻게 아이돌을 하고 저렇게 인기가 많은거지?’ 하고 생각했다.  
  가수라면 당연히 완벽히 준비하고 나와서 활동하는 것이라고 생각해서 인지 무척 생소했다. 나중에 일본 문화에 대해 잘 아는 친구에게 들었는데 일본인들은 완벽한 모습보다, 완벽하지 않은 모습부터 점점 성장해 나가는 것을 지켜보는 것을 좋아한다고 한다. 아이가 점점 자라는 것을 지켜보듯이 자신이 좋아하는 아이돌 그룹의 멤버들이 활동을 하면서 성장해 나가는 모습을 볼 때 뿌듯함을 느낀다고 한다. 한국인과 일본인의 인식차이라고 생각했다.
  일본의 대표 아이돌 그룹 중 하나인 AKB48이란 그룹이 있는데 멤버 수가 무려 48명이나 된다고 한다. 일본에 아키하바라라는 곳이 있는데 그곳에는 AKB 전용 콘서트장이 있어서 거의 매일 콘서트를 한다고 한다. 한국에서는 예전에도 지금도 찾아볼 수 없는 일이 아닌가? 주니어라는 제도도 신기했다. 정식 데뷔를 하지 않은 그룹들도 버라이어티 프로그램에 출연하고 음악 방송에도 나온다. 한국의 연습생과는 완전히 다른 개념이지 않은가. 이런 색다른 문화를 접한 이후 일본의 아이돌에 많은 관심이 생겼다. 완벽한 모습도 물론 좋지만, 부족한 점을 점점 채워나가는 그런 모습을 보는 것이 좋아졌고 어쩐지 친근함이 느껴진다.


日本のリアルなフリン事情

下のような記事がでていたのですが、
日本の不倫事情ってほんとに下に書かれているほどのものなんでしょうか。
不倫サイトの利用者が世界37か国中でもっとも多いとか、
女性の98%は不倫に罪悪感ナシとか、
こういうことが事実の世界なのか仮想の世界なのか。
わたしにはとても信じられない世界なので、どなたか、これを否定していただければ
ありがたいと思ってます。

♦ここから引用♦

98%が罪悪感ナシ!驚くべき「日本のリアルな不倫事情」3つ
離婚のきっかけとなる大きな理由のひとつ“不倫”。ところが、『Menjoy!』のこれまでの記事「結婚制度の破壊者か?ついに日本に上陸した“不倫専用サイト”とは」でもご紹介したように、最近では、既婚者を対象にした出会い系SNSなんてものも存在しているのです!
しかも、この既婚者向けの出会い系SNS『AshleyMadison.com』は、日本の登録会員数が世界37ヵ国中最速で100万人を突破したのだとか……。どうやら、日本では不倫が盛んに行われているようです。
そこで、同サイトを世界的に運営するAvid Life Mediaが、同SNS会員74,640人(内国内会員3,531人)に実施した調査より、日本国内会員の回答をピックアップして、現代日本のリアルな不倫事情をご紹介します。

■1:不倫理由の1位は“セックスレス”
「不倫する主な理由は何ですか?」という質問に対し、「セックス不足」と回答した国内ユーザーが、男性51%、女性55%という結果でした。男女共に半数以上の人々が、パートナーとの“セックスレス”を理由に不倫をしているということがわかりました。
長い間共に過ごし、トキメキが失われたり、子供ができて相手を異性として見られなくなったり……。そんな夫婦間のトキメキのなさが不倫を招くといえるのかもしれません。

■2:女性の98%は不倫に罪悪感ナシ!
驚くべきことに、「不倫していることについて罪悪感がありますか?」という質問に対して「ある」と回答した男性は8%、女性はわずか2%という結果に!
さらに「不倫していることにより、配偶者との関係に良い影響があると感じますか?」という質問に対して、「ある」という前向きな回答をした人は、男性が61%、女性が84%でした。
多くの男女が、パートナーと良好な関係を築く上で、不倫がプラスに働くと考えているようです。よく“男は浮気をする生きもの”などと聞きますが、今回の結果を見ると、男性よりも女性のほうが不倫をポジティブにとらえているようで驚きますね。

■3:行為中の写真撮影は世界一!
さらには「性行為中の写真を撮りますか? またその相手は誰ですか?」という質問に対して男女共に8割以上が「撮る」と答え、その内「不倫相手と撮影する」と答えた男性が88%、女性は75%もいたのです! パートナーに見られたら一発でアウトな行為ですが、はたして大丈夫なのでしょうか……。
しかも、日本は、行為中の撮影率が男女共に35ヵ国中1位。記録に残したいという気持ちの底にあるのは相手への好意なのか、ただのお遊びだからなのか、気になるところですね。
長い結婚生活が進むと、夜の営みもトキメキも少なくなってしまうのかもしれませんが、万が一、パートナーにバレてしまうと人生が台無しになってしまいます。既婚者向けの出会い系SNSを使うのは個人の自由かもしれませんが、お遊びならばほどほどにしたほうが良さそうです。

参考サイト:Menjoy!2014年06月16日21時00分 http://news.livedoor.com/article/detail/8944461/

♦ここまで引用♦



韓国に勝るとも劣らない香港人の……

中央日報の記者のコラムである。

♦ここから引用♦

15日、香港市内のショッピングモールのシティウォーク。朝から200人ほどが集まり大型スクリーンでワールドカップ中継を見ていた。日本とコートジボワールの試合だった。香港や中国の試合でもないのに結構な熱気を帯びていた。雰囲気は100%に近い一方的応援だった。コートジボワールが得点チャンスを得るたびに歓声が起きた。代表攻撃手のドログバがボールを持って走れば満場の拍手が起こった。コートジボワールのゴールが決まると席から立ち上がり両手を上げて喜ぶ人たちも多かった。結果はコートジボワールが2対1で逆転勝ち。香港人はさっぱりした表情で散っていった。他国同士の試合を一生懸命に応援し見守る姿、珍風景だった。
  コートジボワールが正確にどこにある国なのか知っている人がその場にどれだけいただろうか。英語圏での名称のアイボリーコーストと呼んできたところと同じ国なのか知っている人たちもそれほど多くなかっただろう。中国人が特に好きな象牙の主要供給地だったということ以外はアフリカ西部のこの国と香港または中国の間にこれといった縁があるものでもない。
  冷静に考えれば日本がワールドカップベスト16進出、またはそれ以上の成績を上げることは香港や中国にとって悪いことではない。似たような身体条件のアジア人も十分にサッカーをうまくやれるということを確認する機会になり、長期的にはアジアに配分された4.5枚の本戦チケット(欧州は13枚)を増やすのにつながるかも知れない。
  香港人に「なぜコートジボワールを応援するのか」と尋ねると表情が一瞬固まり、「日本人か」と聞き返した。「韓国人だ」と言ったところ表情を緩め、「私たちは日本が好きでない」と短く答えた。日本は1941年12月の真珠湾攻撃と同時に英国が支配中の香港も侵略し45年の敗戦時まで占領した。香港人は軍事施設建設に強制的に動員された。香港市内には日本軍“慰安所”の痕跡がいまでも残っている。最近では中国と日本の尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権紛争で香港でも日本製品不買運動が起きた。ある香港在住韓国人は「こちらの反日感情は韓国に勝るとも劣らない」と話した。
  香港人の間で私は静かに日本を応援した。日本サッカーの技術的発展の成果を見たかった。このところ遅々として進まない韓国サッカーに刺激になるだろうとの期待もあった。しかし韓国・香港で、ひいてはアジア圏では“身辺安全”のためこうした気持ちをむやみに示すことはできない。日本政府の河野談話(慰安婦強制動員認定)無力化の試みでこれはさらに危険なことになった。サッカーをサッカーとして見ることができない隣国の事情を知ってか知らずか、日本はきょうも逆走中だ。 
                       
(イ・サンオン社会部門記者中央SUNDAY第380号)

中央日報: http://japanese.joins.com/article/805/186805.html?servcode=100&sectcode=140


♦ここまで引用♦

香港在住のある韓国人のことば、「こちらの反日感情は韓国に勝るとも劣らない」とは、まことに驚きだ。南京ならいざしらず、香港あたりはけっこう日本びいきの人も多いんじゃないかと独断で思っていたけど、その反日感情は韓国に「勝るとも劣らない」とは。

日本のために思うのだ。隣国同士できるだけ仲よく付き合っていかないと、後々日本が何らかの助けが必要となったとき困るよと。韓国、中国、台湾などとは、いかなることをしてでもお互い支え合い話し合い助け合ってやっていくべきだと。われわれ日常生活の場でもそうじゃないか。お隣さんといがみ合いながら生活していたんでは、不安で毎日おもしろくもなく病気にもなりやすい。ご近所さんと仲よく付き合っていくのが、日本の古来からのシキタリであったはずなのだがなあ。

仲よく付き合うためには自分の利益だけ考えていてはだめだ。「損して得とれ」という言い回しも日本語にはある。友だちと良い関係で付き合っていくためには多少の損は覚悟でやっていく必要がある。人間、だれだってだいたい同じだと思う。やつのためには多少損してもいいや、という友なら、その友とは末長くつきあっていける。反対にあいつはいつも得してばかり(もらってばかり)で自分から金を出すことがない、というような友なら、1年もしないうちにだれも付き合わなくなるであろう。嘘をいったり騙したりしたら、近所付き合いは崩壊する。国同士だってこれと同じだ。

ところでこのイ・サンオン記者、「香港人の間で私は静かに日本を応援した」と書いてるけど、本当に日本の応援ができたんだろうか。本当なら日本人としてはまことにありがたいし、強くハグしてやりたい気分だ。ことばだけなら、その欺瞞は許しがたい。とはいっても(わたしが許さないといっても)なにほどの力があるだろうか。でもこのように、第三国で日本の応援ができる韓国人がいてくれることを信じたいと思う。

虚虚実実

潘基文(バン・ギムン)UN事務総長の書いた「虚虚実実」という風刺詩があります。
英語の達人ということで有名な人ですが、
こういう哲学もある方だったんですね。
かなりエスプリのある詩ですので、
ぜひ味わってみてください。

♦ここから♦

「虚虚実実」

建物は高くなったが、
人格はもっと小さくなり、
高速道路は広くなったが
視野はさらに狭まった。

消費は増えたが
喜びはさらに減り、
家は大きくなったが、
家族はさらに少なくなった。

生活は便利になったが
時間は不足し、
持っているものは何倍にもなったが
大切な価値はもっと減った。

学歴は高くなったが、
常識はもっと不足し、
知識は高くなったが
判断力はさらに足りない。

専門家は増えたが、
問題はもっと多くなっており、
薬は多くなったが
健康はさらに悪化した。

お金を稼ぐ方法は習ったが
分け合う方法は忘れてしまったし、
平均寿命は延びたが、
生きる間の人生の意味を模索する術は喪失した。

月に行っては来たが
道を渡ってお隣さんと会うのはもっと大変になり、
宇宙に向けて進みはするが
我々の内面の世界は失われた。

空気浄化器は持っているが、
魂はもっと汚染され、
原子は分割できるが
偏見を打ち砕くことはできないでいる。

自由はさらに増えたが
情熱はさらに減り、
世界平和についてはたくさん語るが
心の平和はさらに減った。


(韓国語 原文)

허허실실(虛虛實實)

건물(建物)은 높아졌지만
인격(人格)은 더 작아졌고,
고속도로(高速道路)는 넓어졌지만
시야(視野)는 더 좁아졌다.

소비(消費)는 많아졌지만
기쁨은 더 줄어들었고,
집은 커졌지만
가족(家族)은 더 적어졌다.

생활(生活)은 편리(便利)해졌지만
시간(時間)은 더 부족(不足)하고,
가진 것은 몇 배가 되었지만
소중(所重)한 가치(價値)는 더 줄어들었다.

학력(學力)은 높아졌지만
상식(常識)은 더 부족(不足)하고,
지식(知識)은 많아졌지만
판단력(判斷力)은 더 모자란다.

전문가(專門家)들은 늘어났지만
문제(問題)는 더 많아졌고,
약(藥)은 많아졌지만
건강(健康)은 더 나빠졌다.

돈을 버는 법(法)은 배웠지만
나누는 법(法)은 잊어 버렸고,
평균수명(平均壽命)은 늘어났지만
시간(時間) 속에 삶의 의미(意味)를 넣는 법(法)은 상실(喪失)했다.

달에 갔다 왔지만
길을 건너가 이웃을 만나기는 더 힘들어졌고,
우주(宇宙)를 향해 나아가지만
우리 안의 세계(世界)는 잃어버렸다.

공기(空氣) 정화기(淨化器)는 갖고 있지만
영혼(靈魂)은 더 오염(汚染)되었고,
원자(原子)는 쪼갤 수 있지만
편견(偏見)을 부수지는 못한다.

자유(自由)는 더 늘었지만
열정(熱情)은 더 줄어들었고,
세계평화(世界平和)를 많이 이야기하지만
마음의 평화(平和)는 더 줄어들었다.

(글 반기문 UN사무총장)



アイデンティティ _ 筆者のエッセイ0008

 米沢のほうにも、最近は外国人がたくさん住むようになったのだろうか。山形弁で有名なアメリカ人のタレントなどもいるようだが、今回は「自分は何者か」ということ、つまりアイデンティティということについて書いてみたい。
 かれこれ12年ほど前、わたしがある論文を準備しているときのことである。論文の下準備として、日本語のできる韓国人のおじいさんやおばあさんと会って、日本語でのインタビューを試み、それを録音する仕事をしていた。ソウルや天安( チョナン) で10人以上のインタビューを終えたころ、夏休みに妻のふるさとギョンジュ( 慶州 )に行き、そこでもインタビューしてみようと思い立った。ギョンジュに行き、さっそく韓国人のおじいさん二人と会い、首尾よくインタビューできた。
 妻の実家のすぐ近くに日本人でありながら戦争前に韓国人と結婚し、当時まですでに60年以上も韓国に暮しているおばあさんがいるということだった。予定にはなかったのだが、さっそくおじゃまし、つもる話を日本語でインタビューしてみようと出かけた。韓国人でありながら日本語のできる高齢者が論文の対象であったため、日本人のおばあさんの話は、必ずしもそのときの論文に必要な資料とはならないのであるが、60年もこちらに住み着いている方がどんな日本語を話すのか、かなり興味があってうかがったのである。
 ちょうど二〇〇二年の日韓ワールドカップの最中であった。おばあさんは50インチほどの大型の薄型テレビでワールドカップを見ていた。サッカーが大好きという。
 雑談はすべて韓国語でやり、さて本題にはいって日本語でのインタビューを試みようと「じゃ、おかあさん、これからは日本語で話しますので、おかあさんも日本語でおねがいしますね」と誘いをかけてみた。「うん、わかったよ」と日本語で答えてくれたはいいものの、二言目からは完全に韓国語になってしまう。再度、日本語でおねがいしますと水をむけてみたが、やはり「わかったよ」は日本語で言うが、すぐ韓国語になってしまう。こりゃあかん。インタビューはどうでもいいや。どうせ資料にするためにやってるんじゃないんだと、わが身に言い聞かせた。
 このおばあさん、東京生まれで東京の大学に通っていたときに韓国人の旦那さんと知り合い(日帝時代のため韓国からたくさんの学生が日本へ来て勉強していた)、韓国に来て結婚。子宝に恵まれ、幸せな結婚生活を送った。しかし結婚は親の反対にあい、結婚後日本に帰ったことはただの一度もないということだった。韓国に帰化し、韓国名ももっていた。「善花=ソンファ」、それがおばあさんの韓国語の名前だ。
 旦那さんも韓国人、本人も韓国に帰化し子供たちもみな韓国で家庭をもっている。ことばもすべて韓国語だ。日本語ではじめてもすぐ韓国語になってしまうほど、韓国語が言語中枢の芯になっているわけだ。親の反対で結婚後は一度も日本の地を踏んでいない。日本にはもはや関心はないはずだ。だから当然サッカーの応援も韓国を応援しているものと思った。

 「おかあさん、サッカーは日本と韓国、どっちを応援するんですか」

  わたしは「韓国だよ」という返事を想像しながらそう聞いてみた。聞くまでもないことだと思っていた。しかしいちおう、本人の口から確認しておくのも意味のあることだろうと思って聞いてみたのである。
 ところがおばあさんのこたえは何と「日本だよ」というものだった。わたしははじめ、質問の意味をとりちがえているのかな、と思ったほどだった。もう一度確認のことばをかけてみた。やはり「日本」ということだった。予想が裏切られたことへの驚きと、日本の味方だということへの安堵感があったことは覚えているが、おばあさんのこたえはわたしにはあまりにも衝撃の大きいものだった。マンガでよく「ガーン」と頭をたたかれて気絶するような場面が見られるが、まさにあれだった。頭が真っ白になってしまった。「ええっ?そんなことって、ありなの?こんなことがあっていいの! ?」。日本を応援してくれてありがとう、という気持ちよりは、アイデンティティということへの神聖さに、全身が雷に打たれたようなショックを受けたのである。アイデンティティというのは、こんなに奥深いところにまで入り込んで生きているんだ。愛する旦那が韓国、ことばも韓国、国籍も韓国( 帰化)、息子娘も韓国。日本での生活は20年ぐらいで韓国での生活は60年以上。すべてが韓国の側に傾いているのに、「日本応援」というではないか。
  わたしの目からいつのまにか熱い液体が何粒か流れていた。アイデンティティというものは、こんなにも神聖なものなんだ。だれも手に触れることのできない神聖な場所に大切に保管されているんだ。涙なしに接してはいけないものなんだ。そういうことが瞬時にしてわかったのである。

 学生らがときどきわたしに質問してくる。

「先生は奥さんも韓国人で韓国ファンですよね。サッカーでもやっぱり韓国を応援するんですか」

  おばあさんと出会うまでは、曖昧な返事をしていたものだ。

「そうだね、晩御飯をおいしく食べようと思ったら韓国の応援をしてるよ」

 これは完全に嘘である。日本、韓国、アメリカというようなことじゃなくて、これはアイデンティティの問題なんだ。人為的・人工的に日本よりも韓国の応援をしたりすることは、原理的にできない相談だったんだ。チャンネルを替えるように、簡単に切り替えできるようなシロモノではないのだ。そういうことがこのおばあさんと出会ってはっきり理解できるようになった。わたしはここ韓国に骨をうずめることになるかもしれない。そうなったとしても、サッカーの応援は日本以外にはできないのである。これはアンタッチャブルな領域で、どうしようもないことなんだ。涙なしに語れないことなのだ。祈りの手を合わせずして接することのできない領域なのだ。
 こちら韓国の男性と結婚している日本女性で、ごくまれではあるが「あたし、韓国の応援するわよ」なんて言う人がある。第二次大戦前だったら「非国民」ということになるだろうし、現在だったら「ええ? けっこう愛国心がないんだね」ぐらいの対話になるのかもしれない。しかし、おばあさんと会った今、わたしははっきりと言うことができる。「ばか言ってんじゃねえ」と。つまり、彼女は嘘を言っているか、あるいは本当の自分が何なのかもわからずに生きている根無し草のような人格だと断言できる。アイデンティティというのはそんなに軽はずみなものではないのである。そんなに甘いもんじゃないのである。いかに韓国人のダンナを愛していても、である。
  アイデンティティということについては、これからも考え続けていくことになるだろうと予感している。

(※) 日帝時代:一九一〇年八月から一九四五年八月までの間、日本が韓国を強制的に植民地にして支配した時代。日本帝国時代という意味である。足掛け三六年になるので「日帝三六年」ということばがときどき見られる。歴史上消すことのできない汚点を日本は残してしまったのである。このおばあさんのように、韓国人の男性と結婚した日本女性がけっこういる。夫に先立たれ、女性が残っているケースが多いが、こうした女性は今はもう八〇歳を越えていて、韓国のあちこちにちらばっているようだ。慶州の「ナザレ園」というところに数十人の日本人おばあさんらがいっしょに暮らしている。日本からの観光客らもときどき慰問のような形で訪れているようである。日本から訪れた人たちと日本語で話し、日本の歌を歌い、日本のものを食べたりするのがおばあさんらの大きな喜びになっている。戦争と植民地時代の犠牲者と言えるだろう。

(※) アイデンティティ:自己同一性( じこどういつせい、Self Identity)のこと。単にアイデンティティということも多い。意味としては、自分は何者なのか、どこにその存在の根を持っていて、何をなすべきか、という個人の心の中に保持される概念。自我同一性ともいう。エリク・エリクソン(E・H・Erikson、一九〇二年- 一九九四年) による言葉で、青年期の発達課題を語るキーワードである(ウィキペディアより)。日本人として生まれて、どれだけ日本のことを思い愛しているのかということ。この脈絡で思いつく歌がある。<敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花>(本居宣長)。大和心って何と問われれば、朝日に輝いて匂う山桜の花のようなものだよと答えるという歌。のびのびと晴れやかで一点の翳りもない様を歌っているものであろう。わたしの心がそこまでかっこよくなくても、そうありたいものだと日本人として思う次第である。
『おしょうしな韓国』より)





次は必勝だ!

ケイスケはメンタルのモロサをあげたようです。
ほんとです。

日本は実力はあるのに、メンタルで負けた。そうハッキリ言えます。
ギリシャ戦は、このメンタルを大切にして、
もっている力を120%発揮して戦ってもらいたいですね。
さむらい日本は勝てます。
十分勝てます。

焦らず、じっくり、もってる力を十二分に発揮しさえすれば、
グリースに十分に勝てます。

グリースは、ポーンと蹴って、ゴール前で待ってて蹴るだけですから、
こういう単純なサッカーをする相手だったら、必ず勝てます。
持ってる力だけを発揮して、動いてほしいです。
動ければ日本の勝算は十二分にあります。
動かないからどうにもならなかった。

ドログバ戦は蛇に睨まれた蛙のようで、
何もできなかった。いい動きどころか動き自体できなかった。
足が完全に止まっていましたよね。

次なるギリシャ、グリース戦は、最低でも日本人らしく動いてほしいです。
動きましょう。

ほんと、負けてもいい。日本の若者らしく動いて負けるのなら。
(でも、勿論勝つに越したことはない)。

すくんで萎縮してガチガチになって動けなかった。あれではだめだ。
ケイスケもそうだけど、香川、オカ、長友、吉田、内田、そして大久保、
魂の叫びを感じて、、、がんばれよ。
特に、ケイスケ、香川、オカ、大久保、長友。
君たちに期待する。

                                                                                             韓国の空の下より。

きょうだいを殺しに _ 高良留美子の詩

高良留美子の「きょうだいを殺しに」という詩をご紹介します。
非常に強い感銘を受けました。

♦ここから引用♦

わたしたちは言わなければならなかった
日の丸の波に送られて
たたかいに行く兵士たちに
きょうだいを殺しに行ってはいけないと
わたしたちは言ってはいけなかった
お国のために立派にたたかってきて下さいなどとは
国とは何なのか
国とは何だったというのか
わたしたちは日の丸の小旗など振って
道に並んではいけなかった
やがてその人の血に染まる
千人針などを作ってはいけなかった
わたしたちは言わなければいけなかった
どんなに美しいことばで飾られようと
あなたたちが殺しにいくのは
きょうだいしまいなのだと
わたしたちは言ってはいけなかった
お国のために死んで下さいなどとは
国とは何なのか
国とは何だったというのか
わたしたちは一度でも
そのことを考えたことがあったか
わたしたちは言わなければいけなかった
きょうだいを殺しに行ってはいけないと
日の丸の波に送られて 行き
二度と帰らなかった
男たちに

♦ここまで引用♦


戦争の足音がまた聞こえてきそうな日本です。
今こそ、わたしたちが声をあげて、戦争はしない、ということを
強く訴えるべきときではないかと思います。
争いはあっても、戦争でない道を選んでやってゆくべきです。
21世紀になって、まだ戦争をしますか。
戦争でない方法をなんとか模索して、賢明な道を探してやってゆくべきです。
そしてそれは必ず可能なことだと信じます。
上の詩は、『ポケット詩集Ⅲ』(童話屋)にあった詩です。


世界最古の十進法の計算表、中国で発見

中国で世界最古の十進法の計算表が発見されたというニュースです。(今年4月)
理系の名門中国・清華大学の研究チームが謎の竹簡を薄紙を剥がすように
丁寧に丁寧に解読していった結果、2300年前の十進法の計算表が現われたということです。
大きな発見のようです。
十進法とか位取り記数法といったものは、「ゼロ」の発見がなくては不可能だと思いますが、
インドでのゼロの発見と、この中国の世界最古の計算表の存在と、時間関係はどうなっているのか? 
このあたりの詳しい内容は筆者にはわかりません。
が、世界最古の十進法のマトリクス(計算表)が中国で見つかったということで、
ブログにアップしてみました。
ちなみに、ウィキによると
「最近になって、アフリカのスワジランドで35000年前に0に関する算術が取り入れられていたことがわかった。」
という記述が見えます。3万5千年前!?。
人類はいつから今の形になり、今の知恵を持ちはじめたのだろうか。
「35000年前」の記述に度肝を抜かれた思いだ。

♦ここから引用♦

中国・清華大学に、
卒業生から香港の美術市場で購入したという竹簡(文字の書かれた竹の札)が寄贈された。
2008年のこと。ところでその竹簡、謎と混乱に満ちていた。

竹札の順番はばらばらで、一部破損もみられ、悪臭を放ち、泥とカビに覆われていた。
墓からの盗掘品であることは確かだったが、それじゃ一体その竹簡は何なのか? 
謎だらけだったのである。

清華大学で学際的な研究チームを集結し竹簡の調査を開始。
湿度と温度を調整した部屋に2500枚の竹札を並べ、乾燥させ、汚れを除去するという
根気のいる作業を3カ月かけて行った。
中心は、アメリカ、ニューハンプシャー州ハノーバーにあるダートマス大学の古文書学教授で、
竹簡の研究に最初期から参加したウェン・シン(Wen Xing)氏。

放射性炭素年代測定を行った結果、竹簡は紀元前310年ごろのものであることがわかった。
その後4年間をかけて、シン氏らのチームは竹札の1枚1枚を解読し、
内容と書体によって分類した。

その結果60種類以上の異なる文書が発見された。
「ほとんどは歴史に関する文書だ」とシン氏は述べる。
「(儒教の経典である)『五経』の1つ、『書経』の一部などだ。
そのほか戦に関する文書もあり、
こちらはすべて古代の王国、楚で用いられていた美しい書体で書かれている」。

ところでその中の21枚の竹札は、他と異なっていた。数字ばかりが書かれていたのだ。
清華大学の数学史学者、馮立昇(Feng Lisheng)氏が正しく並べなおしたところ、
十進法による掛け算のマトリクス(行列)が出来上がった。

これは、世界最古の十進法の計算表だったのだ。
例えば8に7をかける場合、上端の行の8と、右端の列の7を見る。
8の下に並ぶ数字をたどり、7の左に並ぶ数字と交わるところを探せば、
そこに答えの56が書いてあるという仕組み。

小数の計算などもでき、
ニューヨーク市立大学大学院センターの歴史学ディスティングイッシュトプロフェッサーである
ジョセフ・ドーベン(Joseph Dauben)氏は
「この計算表はすこぶる使いやすい」と述べる。

この計算表がなぜすごいかというと、それまでのものは、
「『9かける9は81』、『9かける8は72』などと、
掛け算の結果を文章で書き連ねているにすぎない。

今回の計算表が他と異なるのは、マトリクス構造になっているところと、
どんな掛け算も、そして割り算も、さらにはやろうと思えば平方根の計算までも、
表を参照するだけで簡単にできてしまうところだ」と、ドーベン氏は述べる。

マトリクス構造というのは、行と列の形式になっているということ。
表になっているため、行と列を眺めるだけでいろいろの計算が瞬時にできてしまうわけだ。
文章で書いてあるものは、その文章以外のものは存在しない。

今回の計算表が作られたのは、中国の戦国時代であり、
秦の始皇帝が中国を統一する1世紀前のことだと、上記シン氏は述べる。

統一後、始皇帝が最初に行ったのは、
自身の権威を脅かすと考えた孔子や他の哲学者の思想を消し去ろうとすることだった。
始皇帝は学者を処刑し、文書を書き換え、書物を燃やし、個人の蔵書を禁じた(焚書坑儒)。

清華大学の竹簡は、おそらく墓に埋められていたために難を逃れたもようだ。
「彼らは数字を文字で表し、計算を行っていた。

また、数学史における重要な発展の1つ、位取り記数法(十進法などの数の表し方)の
確立にも寄与している。「これはその物的証拠だ」とシン氏は述べる。

参考サイト:ナショナルジオグラフィック ニュース
http://eco.goo.ne.jp/news/nationalgeographic/detail.html?20140409003-ng 


♦ここまで引用♦



ビビンパプ _ 筆者のエッセイ0007

これまで、「西野カレン」「なべもの」とエッセイ的なものを書いてきました。このスタイルは、これからもときおり登場する予定です。折をみて、気が向いたとき書いていきます。
きょうは「ビビンパプ」と題するエッセイです。

< ビビンパプ >

日本では普通「ビビンパ」と呼ばれているが、本当はビビンパプ。
「パ」の次に「プ」という音が小さくついている。
これをパッチムというのだが、この概念はちょっと音韻論的に難しいのでここではこれくらいにとどめておく。

「プ」という音と書いたが、これも本当は「P」という子音だ。あくまでも「プ」=「PU」ではなく「P」である。

韓流ブームのおかげで、最近はビビンパプを知らない日本の方はいないかもしれない。
ご飯にいろいろの野菜や牛挽き肉を入れ、目玉焼きを乗せてあとは韓国独特のコチュジャンをたっぷり入れてかき混ぜる。
あ、そうそう、胡麻油もちょっぴり入れて。

スッカラク(スプーン)でまぶして食べるのだが、まぶしかたによって味も違ってくるといわれている。
上手な人がかき混ぜれば見た目にもうまそうだし、実際食べてみてもおいしい。
下手な人がやると、見た目もまずそうだが食べてみてもこれまた不思議とおいしくない。

結婚して数年間は家でビビンパプを食べるときはいつもかみさんがかき混ぜてくれた。
わたしのかき混ぜる様子があまりにも不器用に見えたらしい。
パッと微笑みを見せたかと思うと、わたしの器をすっと持ち上げ、鮮やかな手並みでかき混ぜてくれるのだ。

スッカラク(スプーン)の持ち方も独特だ。
親指と残り四本指でスッカラクをぎゅっとにぎる。
このときもちろん小指側にスプーンのアタマ部分が来るように持つ。
野球でグラブを手にはめるとき、中指を抜いたり小指を抜いたりするのがよく見られるが、
あれ式で、薬指と小指をスッカラクの下にもぐりこませ、
これでスッカラクの角度をある程度自由に調節できるようにして力を込めてご飯をまぜる。

わたしの感覚としては、そんなに力を込めたらご飯つぶが潰れてしまうんじゃないのかと思えるのだが、
ご飯つぶが潰れてぐじゃぐじゃになることはもちろんなくて、
短時間でほどよい加減に野菜とコチュジャンとご飯が混ぜ合わさり、出来上がりとなる。

ものの一分もかからないくらいだ。わたしがやると五分やってもうまく混ぜ合わせられない。

この愛のこもったビビンパプ。
ご飯どんぶりに野菜とコチュジャンを入れてかき混ぜるだけなので、わたしはこの料理は簡単な料理だと考えていた。

もうすこし言うと、いろんなおかずを作るのを省略するための一つの便法つまり手抜き料理(これは言い過ぎだが)と
思っていた。

ある集まり(モイム)で、「うちでよくビビンパプ食べてるよ」と言った。
他の家でも休みの日などにはよく食べてるものと思って。

ところがなんと女性連の言うことには、「ええっ! あんなに手のかかるのをよく食べてるんですって!」ときたもんだ。
「うちもよ」といったこたえを想像していたわたしとしては、まったくもって驚きのこたえだった。
ええっ? ご飯に野菜だけ入れてかき混ぜるだけのあの料理の、どこが手の込んだ料理なんだ?

女性連の言うには、ご飯はいいんだけど、野菜がたいへんなんだそうだ。
そういえばビビンパプに入る野菜は、にんじん、もやし、ほうれんそう、わらび、ぜんまいなどなど、
五種類も六種類も入る。
いざとなれば七種類くらい入るかもしれない。

その一つ一つを、まず買ってきて、洗って手入れをして、フライパンで炒めて、とやるのは、
女性にとってかなりの労働だというのである。
一つの「便法料理」などとまで思っていたわが浅はかさに、思わず顔の赤くなるのを感じた。
かみさんのことが、またひとつ好きになってしまったのは言うまでもない。(スイマセン)

戦争中、逃げたり隠れたりと時間のないときに、
大きな器にご飯さえあれば、あとは何でもぶっこんで、コチュジャンでかき混ぜてパッと食べて逃げる。
そのときの料理がビビンパプの起源だと聞いている。

起源はそうかもしれないけど、現代のビビンパプはまったく次元を異にしていたのである。

いちばん単純な料理だと思っていたビビンパプが、
実はそうではなく、むしろけっこう複雑な種類に属するものだと知ったときの驚きは、
このエッセイの仲間として(このシリーズの仲間として)十分にその資格を有するものだ。

思いが覆されるっていうのは、場合によっては落ち込む元になることもあるかもしれないけれど、
こういう驚きはむしろわれとわが身を明るくしてくれようというもの。

「えっ、そうなんだ」と驚く。
通信料金で払わなくてもいいようなものを払い続けていた。
こういう場合はちょっとショゲルが、「今気づいただけでもよしとしよう」と持ち直す。

ネアカ、生来の楽天家、もしくはテンネンということなのかもしれない。
はたまたこれはB型のなせる業なのかもしれない。いずれにしても天に感謝ではある。



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韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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