∼てもらう _ 筆者のエッセイ0028
2013年12月7日にアップした学生のエッセイ(学生エッセイ0006)がある。
「お越しいただけますか」というタイトルでアップしたもの。
この学生が書いているように、日本語の「_てもらう」と言う表現は、
日本を理解する上でポイントになる表現なのかもしれない。
「_ てもらう」と書いても、普通一般の人にはなんのこっちゃ?と 首をかしげるがいるかもしれない。
これは「何々してもらう」ということで、
例えば「貸してもらう」「書いてもらう」「行ってもらう」「やってもらう」など、
動詞に「もらう」のついた形の表現を指している。
日本人ならなんでもない表現なのだが、韓国人にしてみると、これがかなり難しいのだ。
というのはこの表現と同一の表現が韓国語ではないから。
意訳して用を済ませることになろう。
例えば「わたしは友だちに行ってもらいました」という表現は、
韓国語では「(わたしのために)友だちが行ってくれました」と意訳することになる。
一見何の違いもないように見えるかもしれないけれど、この2つにはかなりちがいがある。
「友だちに行ってもらいました」というほうは、
言わずもがな友に対する「感謝」の念がにじんでいる。
「感謝」と「申し訳なさ」とでもいうようなものが自ずと文の中に含意されているわけだ。
これに対して「友だちが行ってくれました」のほうは、
少しは友に対する感謝の念は感じられるが、それほど強くはないと思う。
友が行った、という「事実」をかなり機械的に言っているニュアンスだ。
(この部分は、人によって感じ方が多少違う可能性があるけれど、、、。)
なので、韓国語で言う場合は、
「友だちが行ってくれました。それでわたしはとてもうれしかった。」とか
「友だちが行ってくれました。それで友に感謝している。」などの付加的な部分をつけて
その意が十分に伝わるようにするわけだ。
このように日本語の「_ てもらう」という表現は、
それだけで相手に対する「有り難み」や「申し訳なさ」を言わずもがなことばの中に滲ませながら、
さりげなく感謝の意を表わす、にくらしいほど「日本的」な表現なのだ。
すばらしい表現なんだよね。
日本語の奥ゆかしさとでも言いましょうか。
こういう繊細な表現に富んだ日本語。
そういう奥ゆかしい心が土台にあるからこそ、こういう言い回しが生まれて来たものと思われる。
そういう心をわたしたちは持ち続けているだろうか。
永久(とわ)に持ち続けていきたいものだ。
お酒飲みに行こうか? _ 学生エッセイ73
学生エッセイシリーズは、韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその73回目で、男子学生K H U さんの作品です。
お酒飲みに行こうか?
私はお酒が大好きだ。ある地域に遊びに行ったら、必ず、その地元のお酒を飲む。 韓国は「酒を勧める社会」というスローガンがあるほど、お酒を飲む人が多い。
韓国は独立後の経済発展のために様々な犠牲を払ってきた。その過程の中で作られたのが「早く早く」という文化である。もちろん、自分の考えであるが、酒文化も「早く早く」の影響を受けたと思う。時々見られる光景だが、大人の中にはキムチひと切れでもお酒を飲む人もいる。お酒というのは飲めば飲むほど、早ければ早いほど、脳内でエンドルフィン分泌が多くなって気分が良くなるという研究結果もある。(カリフォルニア大学、ア二ネスト・ガロ・クリニック研究センターのジェニファー・ミッチェル博士)上記のように、お酒は気分を良くする効果がある。
ほかに私がお酒が好きな理由は、お酒は心理的な障壁を壊す役割が出来るからだと思う。近所で一緒にお酒を飲む相手は39歳の兄貴だ(日本人)。さらに彼は、結婚もしている。39歳と25歳の年の差、過去儒教社会の韓国だったら上下があまりにも遠いと感じるのが当然だろう。しかし、私たちはお酒で友達になった。そして、いつの間にか困ったことや大事なことがある時は、お互いに酒を飲みかわしていた。多分、お酒を飲む理由の一つは韓国人が情が深い部分も関係があると思う。「あとで、一杯やろうよ」という挨拶は、韓国で持つお酒の力を暗黙的に代弁している。
私はお酒をたくさん飲むときは、焼酎5本までは可能である。しかし、普通はそこまでは飲まない。そこまで飲んだ場合は、翌日、午後まで屍のように横になって「回復の時間」を過ごす。主に焼酎、ビールを飲むけど、その中でもビールとマッコリが大好きだ。そのように愛国者ではないが、酒好きの立場として独自の酒があるということはすごいと思ってマッコリをよく飲む。マッコリはアルコールの度数が低いから、喉越しがホットな違和感もない。様々なマッコリの種類と味は、その風味を深くする。ビールも大好きな物。最近、いろんな国のビールも簡単に飲むことができる。グローバル化の利点の一つだと思う。
お酒を飲まない人も多くなり、自己表現が強くなる時代になって「酒を勧める社会」は、現在、過去になった。彼らは彼らだけの楽しみがあろうが、汁の文化を持つ韓国でお酒は本当に「食卓の上の太陽」だと思う。だからこそ私は休みの日になると、一人でも飲みに行ったりする。酒を飲んで楽しむ風景は、文字通り楽しい。お酒一杯、どうですか?
술 같이 한잔하실까요?
나는 술을 좋아한다. 어떤 지역에 놀러 간다면 반드시 그 지역의 술을 마셔본다. 한국은 ‘술 권하는 사회’라는 슬로건이 있을 정도로 술을 마시는 사람들이 많다.
한국은 독립 후 경제발전을 위해 온갖 희생을 해왔다. 그 과정에 만들어진 것이 “빨리 빨리”라는 문화이다. 물론 나만의 생각이지만, 술 문화도 “빨리 빨리”의 영향을 받은 것 같다. 가끔 볼 수 있는 광경이지만, 어른들 중에는 김치 한 조각하고도 술을 마시는 분들이 있다. 술이란 것은 마시면 마실수록, 빠르면 빠를수록 뇌 안의 엔도르핀 분비가 많아져 기분이 금방 좋아진다는 연구결과도 있다. (캘리포니아 대학 어니스트 갤로 클리닉 연구센터의 제니퍼 미첼 박사) 이처럼 술은 기분을 좋아지게 하는 효과가 있다.
내가 술을 좋아는 이유 중 다른 하나는 술은 마음의, 관계의 장벽을 낮게 만들어 준다고 생각한다. 동네에서 함께 술을 마시는 상대는 39살이다. 게다가 결혼도 했다. 39살과 25살의 차이, 과거 유교사회의 한국이었다면 위아래가 너무나 먼 것이 당연할 것이다. 그러나 우리는 술 하나로 친구처럼 시간을 보낸다. 그리고 언젠가부터 어려운 일이다. 힘든 일이 있을 때에는 서로가 곁에서 술을 마셔주고 있었다. 술을 마시는 이유 중 하나는 한국인이 정이 깊다는 부분도 관계가 있다고 생각한다.
나는 술을 많이 마실 때에는 5병 정도는 가능 하다. 그렇지만 평소에는 먹지 않는다. 그렇게 마시게 된다면 다음 날 오후까지 시체가 되어 누워서 회복의 시간을 보낸다. 주로 소주, 맥주를 마시는데 그 중 맥주와 막걸리를 제일 좋아한다. 그렇게 애국자는 아니지만, 애주가의 입장으로 고유의 술이 있다는 것은 대단한 것이라 생각하며 막걸리를 자주 마신다. 알코올의 도수가 낮기 때문에 넘긴 후에 화끈한 위화감도 없다. 다양한 막걸리의 종류와 맛은 그 풍미를 강하게 한다. 맥주도 많이 좋아한다. 요새는 다양한 나라의 맥주도 쉽게 마실 수 있다. 세계화의 장점 중 하나라고 생각한다.
술을 마시지 않는 사람도 많이 생기고, 자기의 의견이 강해지는 시대가 오면서 ‘술 권하는 사회’는 이제 과거가 되었다. 그들도 분명 그들만의 즐거움이 있겠지만, 국물 문화를 갖은 한국에서 술 한잔은 정말로 ‘식탁 위의 태양’이라고 생각한다. 그렇기에 나는 쉬는 날이 되면 혼자서라도 술 한 잔을 하고는 한다. 술을 마시며 즐기는 운치는 말 그대로 즐겁다. 술 한잔 어떻습니까?
小出裕章 講演会
ふるさと米沢で、6月11日(土)に行われた
原発と憲法
小出裕章 講演会
のDVDが届いた。
米沢のTさん(Y大学名誉教授)が送ってくれたもの。
「さようなら原発 米沢」の第35回目のつどいでのイベント。
いつも小出さんの講演会はユーチューブで拝見しているが、
ふるさとの会館でやられたとあって、
2時間以上の講演会も、あっという間に見てしまった。
憲法の話で、
アメリカから押し付けられたものだからはやく変えようと叫ぶ人たちがあるけど、
こんな素晴らしい憲法を押し付けてくれて、ありがとう、と
逆に言うべきくらいだと思う、と語られた部分には、
思わず笑いが込み上げてきた。小出さん一流のユーモアだ。
「さようなら原発 米沢」のつどいといったものは、
人々の目にあまり触れないから、ともすると次第に減速しがちであるが、
変わらずやっておられる方々の努力に脱帽だ。
韓国の空の下からだけど、
限りないエールを送りたい。
全国で声をあげる「さようなら原発」のつどいの皆さま、
その輪はグローバルです^^。
世界から応援してますので、原発がなくなるまでがんばってゆきましょう。
近況報告
7月14日から19日まで、ふるさと米沢に行ってきた。
幼馴染の友と会い、
韓国語勉強会のメンバーらといっしょに食事した。
勉強会のリーダーSさん、山形大学名誉教授 T さん、
お坊さんKさん、新聞社のNさん、Aさん、そしてわたしの6人。
韓国料理屋さんでの食事会は3時間ほどだったが、
あっという間に過ぎてしまった。(Sさんに感謝。すべてSさんのおごりだった。)
米沢の地で、韓国語を軸にこうやって集まるモイムがあるというのは、
とてもうれしいことであり、また、時代が変わったなという感を新たにする。
モイムとは「集まり」ほどの意。
わたしが米沢を出て東京に行った1970年代の終わりごろは、
韓国語の「か」の字も巷で聞くのは困難だったはずだ。
外国語といえば英語と相場が決まっていた時代だった。
ところがどうだ。
今は、韓国語あり、中国語あり、タイ語あり、モンゴル語ありと、
近くの国々の言語を学ぶ会が非常に多くなっている。
好ましいこと、この上ない。
英語は勿論大切だが、英語の一人勝ちだけはさせたくない。
翻訳機を使ってでも、それぞれの言語は守っていくべきだと心から思う。
7月25日から31日までは、学生らを連れて岡山のほうへ行っていた。
短期の日本研修である。
学生らは、日本がはじめての子も多く、
期待90%に不安がちょっと混じった感じだったか。
岡山とあって、きびだんごの店があちこちに見えた。
ここは桃太郎の発祥の地である。
(桃太郎発祥を主張する土地はあちこちにあるけど、
岡山がやはり一番有力ではないかと筆者は思う)
備前焼のちょっとしたものを買ってきた。
焼き物の色合いが多様な土色でとても趣のある焼き物だ。
8月に入ると、きのうまで韓国の奥地といわれる
カンウォンド(江原道)のヨンウォル(寧越)というところの友を訪ねて
行ってきた。
20年来の友で、大学教授から農夫に変身したやつである。
もも、りんご、すいかなどの果樹園をやっている。
やりはじめて5年になる。
今年からなんとか収益を上げていきたいと言っている。
農園といっても、耕地が全体にだんだら坂になっているため、
3メートル離れたところにおいたバケツをとってくるのも大変だ。
3メートル降りて、すぐまた上がってこないといけない。
ここで果樹園をやるというのは相当に大変なことだ。
わたしは、シンマニ(山人参を採取する専門の人)らといっしょに
山歩きをしたりして、だからある程度脚には自信があるのだが、
彼の果樹園での仕事は、このわたしでも「ひえーっ」と
悲鳴を上げたいくらいだった。
袋かけのお手伝いとか、雑草取りなどをしてきた。
夜は二人でマッコルリとビールで飲み、しゃべり、食った。
この時間があるため、3泊くらいはなんとかもったようなものだ。
「がんばれよ」と言って帰ってきたが、
あの広い果樹園を独りでやっていくことを考えると
暗澹たる気持ちにもなった。
でも彼はやるだろう。強靭な体力プラス精神力で。
なので、このブログの管理ができないでいる。
誰に対しても責任はないのだけど、
やっている以上は、マジメにやりたいものだと常に思っている。
でも、なにせシゴトが次々と襲ってくるものだから(今年にはいって特に)、
なかなかブログに神経が回らない。
月いちくらいでも、なんとかやっていくので、
皆さまには時々でも思い出していただいて見ていただければ
望外の幸せに存じます。