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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

2014年、行く年来る年。

みなさん、今年の来し方、いかがでしたか。

こちら韓国の年末は映画が話題です。

一つは「インタビュー」というアメリカ映画。
もう一つは「님아,그 강을 건너지마오」 (ニマ、ク ガングル ゴンノジマオ = あなた、その川を渡らないで = 死なないで )という映画です。

「インタビュー」のほうは、北朝鮮の김정은(キム・ヂョンウン)暗殺のお話です。
ソニーで制作したのですが、北からの脅迫に遇い一時上映取りやめとなったのですが、
オバマ大統領の「取りやめは残念だ」の一言で、再度上映が決まり、今アメリカで大ヒットしているというものです。

北に関する話を、なんで今アメリカの若者たちが見るのか。
理由はよくわかりませんが、オバマの一言が大きな宣伝効果になっているようなフシもありそうです。

あるいは、北朝鮮の世襲3代という、どこの世界にもありえないことを地でいっている国があるってことに対する
一種の不思議さ、驚き、疑問、などがアメリカ人観客を動員しているのかもしれません。

ちょっと幼稚っぽいですよね。北って。
でも、外交手腕は天下一品で北を凌ぐ外交手腕を持ち合わせている国は、たぶんないんじゃないかと思います。
単にだだをこねているように見えますが、すべて計算された動きです。
北のあのしたたかさは、ほれぼれするくらいです。勿論皮肉ですけど。

韓国の原発に対するサイバー攻撃が今現在なされていますが、99%の確率で北朝鮮の仕業のようです。
ソニーに対するサイバー攻撃とほぼ同じコードが使用されているんですね。

2010年3月26日に発生したいわゆる「天安艦事件」(チョナンハムサコン)のあとから、
北はこういう物理的な攻撃じゃなくてサイバー空間でのテロのほうにウエイトをおいて準備してきているようです。


もう一つの「ニマ」のほうは、76年間結構生活をともにしてきた老夫婦の「愛」の物語です。
おじいさん98歳、おばあさん89歳。

数年前「ウォナンソリ」(牛の鈴音)という映画がヒットしましたが、
それを越える勢いで記録ロードを突っ走っています。

きのう(12月25日)までに300万人を突破しました。
ドキュメンタリー映画としては、これは破格なんだそうです。
10代から70代、80代の人々まで、あらゆる世代まんべんなく動員しているようです。
なんでもない平凡な日常を監督がただ動画に撮り続けたものを
映画化したもののようですが、その「何気ない」部分が大きな感動を与えているもようです。

失われてしまった素朴な夫婦の形が、この映画に描かれており、
その平凡さ、普通さ、何気なさがうけているものと思われます。

今年夏の「ミョンリャン」(鳴梁)という戦争映画で、
日本の豊臣秀吉の軍隊と韓国の英雄李舜臣(イ・スンシン)将軍の率いる韓国軍との戦いを描いた映画がありましたが、
あれは動員数なんと1700余万人。韓国の人口約5000万人であることを考えると、べらぼうな数と言えますね。

「ミョンリャン」(鳴梁)というのは、戦いの場であった地名で、
こちらでは鳴梁海戰(ミョンリャンヘヂョン)と呼んでいます。
この戦いで韓国軍が大勝利し秀吉軍が引き上げるという内容です。

ちょうど4月にセウォル号の事故で、
船長がリーダーとしての責任を果たさず自分から逃げるという非常に恥ずかしい行動をとってしまった事件がありましたが、
この映画は180度それと反対の内容で、リーダー(イ・スンシン)が、最後までリーダーとしての責任を果たすお話なので、
韓国の人たちには大きなカタルシスを与えてくれた映画だと言えます。

でも、こういう映画は日本では勿論あまり人気のないのは当然です。
日本が負ける映画ですから^^。
そんなことまで「客観的」に見れる人があったら、そういう人こそ真のリーダーにふさわしい人かもしれません。

日本での上映が決まっているかどうかわかりませんが、
もし機会がありましたら、この「インタビュー」と「ニマ、ク ガングル ゴンノジマオ」はお勧めです。
泣けて、笑えるかと思います。

ブログ、今年最後のアップになりそうです。
今年1年、ブログに入ってくださったみなさまのおかげで楽しく更新することができました。
ありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。(だんだん間隔が開いてきてますが;;;)

日本と韓国が「お隣さん」として仲よくつきあっていける姿だけを夢見ながら……。


みなさま、どうぞ、よいお年を

脱北女子大生の手記、世界的な出版社から注文殺到

1205_Bark Yeonmi 
脱北の女子大生 バク・ヨンミ氏の手記が世界的な出版社から注文が殺到しているというニュースです。美しい女子大生バク・ヨンミさんが、脱北し韓国に定着し大学生として学ぶ今までの経験などを手記風にまとめたもののようです。
出版は来年ということですが、すでに世界的な出版者から契約の申し込みあるということです。どんな内容なのか気になりますね。

♦ここから引用♦

脱北女子大生 バク・ヨンミ氏の手記、世界的な出版社から注文

"21歳のバク・ヨンミは、金正日体制のもとで人間の権利のために戦う最も勇猛な戦士だ。"
イタリア文化界で映画監督兼作家としても活躍しているチュンピアニ出版社のエリサベタ・スカルビ編集長は最近、有力日刊紙 'コリエーレ・デラ・セラ紙' に脱北の女子大生バク・ヨンミさんの脱北手記の版権契約事実を伝え、このように述べた。

欧州各国をめぐりながら北朝鮮の人権弾圧の実態を暴露して注目を浴びている脱北の女子大生
バク・ヨンミ(東国大学警察行政学科)氏が来年発売する予定の自伝的な手記が、本として出版されるより前にすでに世界の有名出版社から相次いで注文が来ている。

コリエーレ・デラ・セラ紙は最近、"英国と米国の版権はペンギン出版社、ドイツはゴールドマン出版社、イタリアはチュンピアニ出版社が、朴氏手記の版権を確保した" と伝えた。

これら三つの出版社は、それぞれ1935年(ロンドン)ㆍ1922年(ライプッチヒ)ㆍ1929年(ミラノ)で設立され、各国の出版界を代表する '知性の産室' として知られている。

特に英国の出版専門誌 'ザ・ブック・セラー' によると、朴さんの手記版権は、ペンギンのさまざまな出版ブランドのうち、同時代人の自叙伝ㆍ小説ㆍ伝記分野などヒット作を主として出版する 'ペンギン・ゼネラル・ピグ・ツリー' で出版することが決定された。

朴さんの手記の版権を確保した出版社は、名声だけでなく強力な流通網を備えている。ペンギンとゴールドマンの場合、世界最大の出版メディアグループである 'ペンギンランダムハウス' に所属している。チュンピアニもやはりイタリアの巨大メディアグループであるRCS所属だ。

朴さんは17歳だった2009年に父親が政治犯収容所に収容されると、母親と共に北朝鮮を脱出してモンゴルを経て命からがら韓国に逃げて来て定着した。彼女は最近、各国で北朝鮮の生活と脱北過程、韓国に定着した後に経験したことを積極的に知らせ、'北朝鮮人権のアイコン' として急浮上している。先月はアイルランドの '世界若者指導者会議' に出席し、中国が脱北者強制送還政策を中断しなければならないと主張。

英国議会でも、自分の脱北の経験を話しながら、国際社会が北朝鮮の人権に関心を持ってくれるよう訴えた。イギリスのネチズンとのオンライン対話では、死を覚悟して北朝鮮を脱出した人たちが韓国社会からもいじめを受け、韓国社会への適応に困難を来たしている実情を語った。
特に脱北過程を紹介し、母が自分を守るためひどい仕打ちに遭ったというエピソード、韓国の大学で講義を聞いている途中、自分の成長の背景を知らないある教授が '脱北者たちは潜在的テロリスト' と言った逸話などを包み隠さず打ち明け、聴衆らの喝采を浴びた。

イギリスBBC放送ではバク・ヨンミさんを '今年の女性100人' に選定した。
朴さんのエピソードが本として出た場合、全世界の出版市場に大きな反響を巻き起こすものと出版社らは予測していると、外信は伝えた。ペンギン出版社の関係者は "朴氏は、北朝鮮の人権に関する最先端の報道官として浮上した" と語った。

朴さんの脱北手記の執筆には、米国の作家メリーアンドボリスが一緒に作業する予定だと 'ザ・ブック・セラー' は伝えた。ボリスは白人優越主義者たちの暴力問題を扱った 'ミシシッピの幽霊' で1995年米国 'ナショナルブックアワード' を受賞している。また、ヒラリー・クリントン前国務長官、俳優アシュレイ・ジャッドなど、有名人たちの自伝的手記の執筆を担当し、'ゴースト・ライター(ghost writer)'としても名をはせている。

朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/12/05/2014120502765.html?csmain

♦ここまで引用♦

すでに脱北している人たちの多くは、テレビに出たり本を書いたりして
その弾圧された生活を赤裸々に紹介しています。
今回の朴さんの手記もそうした流れの一環となるものです。
来年の何月ごろなのかは記事には出てませんが、
出版されたらわたしもすぐ読んでみたいと考えております。

記事の中にあるように、
「韓国の大学で講義を聞いている途中、ある教授が '脱北者たちは潜在的テロリスト' 」と言った逸話などは、さもありなん、という感じですね。
昔は脱北者はあまりいませんでしたが、今は何人いるかわかりません。(超多数)。
それで、脱北者の人々をそれほど大切にしない態度が見られます。
でも彼らは、今でもあの国を脱出するためには命を担保にしなければなりません。
命からがら逃げてきた人々ですから、数が何人になっても、大切に対してあげたいものだと思います。

インサム _ 筆者のエッセイ0014

   秋の一日、親父、叔父といっしょに吾妻山に山ぶどう狩りにいったのは、小学六年のころだったろうか。バスを降りてからはテクテクと歩いて山にわけ入る。崖っぷちにぶどうがなっていたりして、けっこう危ない思いをしたことを覚えている。一日終えて午後三時ごろ、背中いっぱい山ぶどうを背負って帰途についたときの充実感は、今もわたしの心をさわやかにしてくれる。かれこれ四五年前の話である。
 韓国の山も、ぶどうや山イチゴ、きのこなど日本と変わらず豊かな恵みを与えてくれるが、韓国と言えばなんといっても高麗人参( インサム) だ。日本などでも栽培されているようだが、その薬効の面においては韓国産にはるかに及ばないらしい。中国産もあるがこれも韓国産に遠く及ばないという。なぜこの韓半島のものにそういう薬効が強くあるのかわからないが、とにかく大きな天の祝福であることだけはまちがいない。特に山に自生する山人参(サンサム)は貴重だ。畑に栽培する高麗人参は見られても、サンサムは日本ではほとんど見られないだけに、さらに価値があろうというものだ。山でこれを見つけたとき、「シンバッタ」と大声で叫ぶ。そうすることによって、そこら一帯のサンサムは自分のものであることを宣言することになるという。このサンサム、ほんとうのサンサムというのは、サンサムの実を鳥が食べ、その鳥が排便をしてそこから育ったものをいうそうだ。サンサムの実を人間が一回手にとり、それを畑にまいて育てたものは、ほんとうのサンサムではないという。人間の手に触れたときの熱によって、本来のサンサムではなくなるという。いわれてみるとそうかな、という気もするがすごいことだ。葉っぱが人間の手のように五枚単位で出てくる。五枚そろうまで10年以上かかるそうだ。次の枝に五枚でてくるとこれは20~30年ぐらいたっているという。さらに五枚、五枚と出てきて全部で30枚ぐらいになると、80年から100年。これぐらいになると一億ウォン(約1000万円)を超えるものもあるという。200年を超えたものは10億ウォン(約一億円)を超えるというからすごい。薬効によってなんでも治るというものでもないが、虚弱体質は改善され、ときにはガンが治ったなどという話も聞く。根っこから葉っぱの先まで一人の人が全部食べるのがよいとされている。何人かで分けて食べるのは、薬効の面から言うとだめなのだそうだ。
 以上は山に自生するサンサムの話だが、普通にチョーセンニンジンというと、畑に栽培する高麗人参のことになる。東京に住んでいるわたしの知人などは、わたしが帰省するたびにニンジンを買って帰るので、韓国ではだれでも自由にいつもいつも食べているような錯覚をもっている人もあるが、決してそうではない。高麗人参は韓国でも貴重なもので、そう簡単に食べられるものではない。かといって一度も高麗人参を食べたことのない韓国人はおそらくいないと思われるが、それでも年がら年中食べているわけではない。高価だからそんなにやすやすとは口に入らないのだ。だから日本に帰るたびに高麗人参をもってきて、と言われても海苔を買うように気軽な気持ちで買うわけにはいかないのである。
 九州出身で今も九州に住んでいるわたしの別のおじさんは、子供のときから韓国人が近くにいたようで、高麗人参のことを知っていて「あれは何でも治る薬らしい」などと言う。そんな鬼のような効き目はないと思うが、それほど「崇拝」している日本人もいる、ということはここに書いておいてもいいかと思われる。このおじの子供の頃の話だが、病気で寝ていた近所のおやじさんがよく言っていたそうだ。「チョーセンニンジンさえ手に入れば、この病気も治るんだがな」。治るかどうかは知らねど、こういう人にこそ、チョーセンニンジンをプレゼントしたいものだと思ったことだった。

 ※高麗人参:コーリョーインサム。栽培用のものと山に自生するものとに大きく分けられる。栽培するニンジンは、六年根といって六年目のものが価値がある。四、五年のものも市場には出るが、見た目も矮小で颯爽とした風格にかける。山に自生するのは本文でも言及したが、サンサムという。これは十年、五十年、百年、二百年ときりがない。大きければそれだけ年数も多い。本文にも書いた通り百年くらいになると、一億ウォンを超えるようだ。(この価格についてはまともには信じないでいただきたい。あってないようなものなのだそうだ)サンサムの百年根といっても見た目にはすごく小さい。栽培された六年根よりもはるかに小さい。サンサムの価値は、その大きさではなく、葉の数や形のよさや素性のよさで決まるのである。素人のわたしには、サンサムの価値を判断する知識はない。山でサンサムを見つけて取って来ても、その価値がいかほどなのかは「シムマニ」に聞くしかない。シムマニといわれる人々は、サンサムを採取するのが職業なのである。韓国にしかない職業だと思われる。


                                                                           (『おしょうしな韓国』より)

世界史、100年周期

グ・ヒョンゴン亜州(アジュ)大学金融工学科教授が三星グループ社長団会議で '最近のグローバルな金融現象とその裏話' というタイトルで講演した内容の要約。朝鮮日報からです。



グローバル金融危機は今でも進行中だ。その原因についての学者たちの多様な分析はすでにたくさん出ている。今日私は、それよりは歴史的に深い視覚を持つのが今日の危機を理解するのに重要だという話をしようと思う。
グローバル金融危機の発生以前に、ほぼ唯一、これを予見したマイケル・ジェンソン元ハーバード大学教授は、1993年の米国の金融学会会長就任講演で、"20世紀末は19世紀末と類似の傾向を見せている"、"(19世紀と20世紀を貫く)この力が、世界経済に持続的に働けば欧米企業と政治体制に対して強力な挑戦となるだろう"と語った。
世界の近現代史は偶然にも100年の周期を見せている。200年前には第1次産業革命期が終わり、ナポレオン戦争があり、100年前には第2の産業革命と第1次世界大戦があり、そして今はIT革命と言われる第3の産業革命とグローバル金融危機があった。特に100年前の状況と今は驚くほど類似している。
100年前と驚くほど類似した現在
①情報革命
20世紀の大英帝国はロンドンからオーストラリアのシドニー、南アフリカのケープタウンそして南米大陸までつながる全世界的な電信網を備えた。現代の表現で言えば情報高速道路だ。今日のインターネットで全世界が連結されたのもすごいことだが、100年前に大英帝国が成し遂げたものは、長い歴史の流れから見てもっと驚くべきことだった。今日のIT革新は、当時に比べるとスピードをちょっと速くした程度と見ることもできる。
②技術革新
様々な産業で画期的な革新が起こった。溶鉱炉で溶解された銑鉄に再び酸素を吹き込み高純度鋼鉄を生産し、燃料燃焼時の排熱を利用して溶鉱炉温度を高める技術が発明された。このような技術が商用化され既存の10分の1に過ぎない費用でより強い鉄を作ることができるようになった。
鉄鋼産業の発展は鉄道産業の飛躍的発展につながった。汽車を利用した人材・物資の移動速度と量が増加し、これは再び市場拡大と生産量の増加につながった。20世紀末ITとバイオ産業が新たな市場を創出し、他の産業の生産性まで向上させたものと似た様相だ。
③新たなエネルギー源
この時期、新しいエネルギー源である石油がそれ以前の石炭を代替した。ジョン・ロックフェラーが作ったスタンダードオイルは1880年前、世界の原油供給量の80%を占めた。しかし、ロックフェラーは独占的地位を濫用せず、ガソリン価格の引き下げ戦略を使いながら石油の時代を切り開いた。シェールガス、太陽熱、風力などの代替エネルギーが一斉に登場する最近の状況と似ている。
④新しい産業の台頭
人類が飢餓から解放されたのは19世紀に発明された化学肥料のおかげだった。また、電気、ラジオ、自動車、航空、軍需産業が台頭する。IT、宇宙、バイオなど新産業が台頭する最近と似ている。
⑤グローバル化(世界化)
当時のグローバル化の水準は今日に劣らなかった。19世紀には、主に西ヨーロッパから新大陸と欧州大陸への移民形態で世界化が進んだた。19世紀だけでこのような移民が3000万人を超えた。自由貿易と金融世界化も歴史的に最高水準だった。ナポレオン戦争による莫大な戦費負担を税金だけで埋められなかった各国政府が民間資本に依存せざるを得ず、ロスチャイルドとベアリングなどの金融家らが国際的な金融ネットワークを構築したのもこの時からだった。国際金融ネットワークの発達は高い水準の世界化につながった。第1次世界大戦の直前に到達していた金融世界化のレベルは、20世紀末まで克服できないほど高い水準だった。インド中央銀行総裁であるラグラム・ラジャンは、金融市場の時系列分析の結果、1999年に至ってはじめて1913年の金融世界化の水準まで復帰したと明らかにした。我々の時代にあっては、ニクソンのピンポン外交後、中国をはじめ、インド、ロシアなど、新興国において12億の人口が本格的な生産体系に編入され世界化が急進展した。
⑥政治的状況
100年前に米国が、欧州列強を中心とした国際秩序において新しい中心地に浮上したように、20世紀末以降中国が急浮上し米国とともにG2として位置づけられた。また1871年、ドイツ統一に代表される民族主義の台頭は、イスラム民族主義に各種の紛争が頻発する今日と大きく変わらない。

第1次世界大戦・グローバル金融危機の類似点
第2産業革命期を破局に導いた第1次世界大戦の勃発と第3産業革命を危機に追い込んだグローバル金融危機の原因もやはり大きな脈絡で同一だ。部分の合理化が全体の破局をもたらす'構成の逆説(paradox of composition)'のためだった。100年前に列強は軍事分野で驚くべき科学化と合理化を成し遂げドイツがその頂点にいた。各国の軍備競争が激しくなってますます兵器体系が複雑化し、新技術開発で兵器会社が先駆的役割を果たし始める。これは国家と兵器会社間の緊密なフィードバックを必要とし、これは両者の結託を深め、軍産複合体が誕生した。
これは一見合理的に見えるがその限界はすぐ現れた。洪水のように溢れた新技術で軍隊は技術に対する細部的理解と制御が不可能になり、企業体は自分たちが作った兵器をコントロールすることが不可能となり、政治家は社会体制全般を運用することに深い理解と政策の使用が不可能になった。
第1次世界大戦当時のドイツ合同参謀が樹立したシュリッペン計画は、開戦以降、軍事動員とフランス進撃などの計画を時間単位で緻密に樹立しておいた。それ自体では最高の効率性を担保したが、同時に'一度戦争が始まれば、誰も中断することが不可能な'状況を作ってしまった。
これは19世紀の発展を導いた合理的・科学的思考が他の面では破局を導いたことを示している。19世紀に芽生えていた合理的、科学的思考は20世紀に入って軍事分野を超え、経済、政治など社会全般に拡散された。特に金融産業は、このような文化が極度に発達した。金融市場を自然と同様の客観的対象と認識して、工学技術を利用して商品を作ったり、利潤を追求する文化が広がった。米国の金融危機の直接的原因になったサブプライム・ローン問題は、金融工学の産物である負債担保付証券(CDO)流通から始まった。部分の合理化が全体の破局をもたらすこのような構成の矛盾は、19世紀と同様に20世紀の破局をもたらした。
民族主義も100年前の破局と現在の危機の共通した原因だ。第1次大戦の導火線となったオーストリア皇太子暗殺事件は民族国家樹立の熱望を持ったセルビアの青年の銃口から始まった。2001年の9・11テロは、過去において経済的利益を追求することものとされる宗教民族主義が、政治的、暴力的な形として現れたものだ。これはイラク戦争のきっかけとなり、イラク戦争は軍産複合体など不良企業の構造調整を遅らせることで、グローバル金融危機の間接的な原因になった。

歴史を教訓に、未来を準備しなければならない
このように我々は様々な面で100年前の残像を見るようになっている。特に第1次大戦にてそれ以前の100年間の平和と繁栄が破壊されたように、今日我々はグローバル金融危機を経験した後、周期的に危機が繰り返される長く暗いトンネルに入っている。1873年にウィーン証券市場の暴落に触発された20年間の大恐慌は、過剰生産が原因だった。ところが、現在は過剰生産がその時より深刻な水準だ。
それなら我々は今後どこに行かなければならないのだろうか。
変革と危機の時代には歴史を教訓に未来を準備しなければならない。企業内でも各部門や個人が最高の合理的選択をしても、企業全体に危機が来る '構成の逆説' がいつでも起りうる。
このような危機に対して常に覚醒しているのが、経営者の役割ではないだろうか。


参考サイト。朝鮮日報
http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/12/05/2014120503503.html?csmain



部分の合理化が全体の破局をもたらす'構成の逆説(paradox of composition)' というところが、おもしろいですね。一部の人(あるいは部署など)にとって都合のいいことをやろうとしたら、全体が破局に陥ってしまった、という現象を言い表しているもののようです。
paradox of compositionの翻訳として「構成の逆説」でいいのかどうか、ちょっと自信がありません。ネットを叩いてもはっきりした訳がでてきませんでした。
どなたか、ご教示願えるとありがたいです。

冬こそ運動を

こたつのこまっていたいでもこのこそ運動をやるべき時期なんだそうです

ここから引用

 筋肉しい季節気温急激すぐに硬直してしまうためだ筋肉はもともと収縮弛緩適切たちの臓器関節がうまくくようにける役割をしているところがさのために筋肉収縮した状態持続するとってんだり骨折呼吸器疾患など大小問題じる盆唐ブンダンソウル大学病院内分泌内科医イム・ス教授筋肉運動まずしてこそこのような危険らすことができるした

 専門家らは筋力運動をすれば効果がさらにあがるという季節より活動量なく基礎代謝量くなるがその筋力運動をすればるエネルギーを最大限活用することができるためだ大韓ボディービル協会コーチアカデミー チャン・ヨンチャン院長初心者場合1だけ地道運動しても筋肉まってくることをじるだろうしたにもっとえるべき部位ももだ天気ければをすくめている場合いがこの姿勢持続させると筋肉過度緊張してしまい組織損傷して血流減少するこのような変化筋膜疼痛症侯群(筋肉くなってだるくなり症状)主要原因として作用する

 慶煕(キョンヒ)大学病院リハビリ医学科のヂョン・ジンマン教授

筋肉えるとをすくめても血流量変化きくないした筋肉てなければならない理由呼吸器疾患予防するためだ筋肉らませて萎縮するのをうまくけている筋肉機能低下運動円滑でないと酸素二酸化炭素がうまく運搬されず炎症じやすいこれは結局肺炎気管支喘息のような呼吸器疾患につながる

 筋肉老年層重要地面ってりやすいが臀部筋肉発達していればバランス感覚われてあまりばない転倒しても筋肉がクッションの役割をするために臀部関節骨折する危険性くなるももの筋肉体全体筋肉30%めるほどたちのきな筋肉イム・ス教授ももの筋肉だけをえておいても冬場基礎代謝量ちるのをある程度食めることができるした

出典 朝鮮日報 http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2014/12/03/2014120300460.html?csmain

ここまで引用

こそ運動季節ですかわたしも毎日朝運動をして一日めています腕立てや腹筋などをくこなします腕立ては50ずつ2ラウンドスクワップ702ラウンドこんなじですかねほぼ毎日やってるのでももに筋肉がついてきたのがわかりますももがだいぶくなってきました力強く感じられていいですよね

韓国と日本の食堂文化 _ 学生エッセイ46

韓国の日本語学科の学生らが書いた文章を紹介するコーナーです。
今回はその46回目で、女子学生HANさんの作品です。(違和感のある部分は、ブログ管理者が適当に直してます。)



中学生の時から日本語に少しずつ関心を持っていた私は、24歳になる今年の7月に初めて日本に行った。
日本語学の専攻者としていつかはきっと行きたかった日本。
長い時間を滞在するわけではなかったけれど、母とも初めての旅行(パック旅行)だったからいろんな意味で大事な時間だった。
旅行の日程は神戸ー大阪ー京都ー奈良。三泊四日ではギリギリだったが、できる限りいろんなことを見たかった。

ギンポ空港から関西空港に到着。空気を大きく吸い込んだら海の臭いがした。
韓国より湿気も高くてようやく日本に来たことを実感した。

日本文化については直接経験していないが、食堂文化、交通文化については本で読んでいから知っていた。
しかし直接経験してみると、知っていたにもかかわらず慣れていなくて不便さを感じた。

昔、韓国では飲食店に長く並ぶことはあまりなかったが、
最近、若者層の'グルメツアー'などで並ぶ文化が少しずつできているようだ。

日本旅行の初めての昼食で与えられた時間は1時間。
何を食べるか、ゆったりと悩んでいたのもつかの間、店の前に長蛇の列が目にはいる。
急いで私たちも列に並んで待機者リストに名前を書いた。
30度を超える蒸し暑い天気のもとで待機時間15分はかなり長い時間だった。
早く涼しい店内に入って希望する席に座ろうとした時、店員が席に案内してくれた。
ほとんどの韓国の料理店と違い、日本では客が希望する席ではなく、店員が案内する場に座るのが当然な文化だったのだ。

さらに、韓国はおかず中心の献立であるため、母みたいに日本文化についてよく知らない韓国の'おばさん'たちはその点を
不満としてもおかしくない。期待していた日本での初めての昼食のおかずは切り刻んだたくあん一つだったからだ。
母におかずがもっと必要なら追加料金を払わなければならないと耳打ちしてあげたら、母はますます不満だった。

韓国の料理店ではおかずの数や量が店の成否を左右すると言っても過言ではない。
韓国の料理店でだいたい2~3回ぐらいおかずをお代わりすることはそれほど礼儀に反するものではない。
極端的な例だけど、実際に私は料理店でバイトをしたとき同じおかずを7度リフィールされたこともある。
それほど韓国でのおかずのおかわりは、当然な客の権利なのだ。

このように旅行初日からすぐ'文化の差'を経験することになった。
私は母国と他国の文化の差を'極と極のように違う点'と思ったのかもしれない。
文化の差というのは実際に、このようにささいな違いから始まることなんだと思う。
母国で当たり前だったことが他国では当たり前なことではないのが、文化の違いである。
文化の差を体験することで、人間が一廻り大きくなったような気がする。
いろいろの文化があると知ったのだから。
でも(「おばさん」たちのように)不満だけを感じていたのでは、1センチの成長もできないのかもしれない。
それはそれでしかたないのだけれど…。

上杉鷹山(12)

鷹山について書くシリーズです。
今回はその12回目。11月22日ブログ上杉鷹山(11) の続きです。

○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 

 東洋思想の一つの美点は、経済と道徳とを分けない考え方であります。東洋の思想家たちは、富は常に徳の結果であり、両者は木と実との相互の関係と同じであるとみます。木によく肥料をほどこすならば、労せずして確実に結果は実ります。「民を愛する」ならば、富は当然もたらされるでしょう。「ゆえに賢者は木を考えて実をえる。小人は実を考えて実をえない」。このような儒教の教えを、鷹山は、尊師・細井から授かりました。
 鷹山の産業改革の全体を通じて、とくにすぐれている点は、産業改革の目的の中心に、家臣を有徳な人間に育てることをおいたところです。快楽主義的な幸福観は、鷹山の考えに反していました。富を得るのは、それによって皆「礼節を知る人」になるためでした。「衣食足りて礼節を知る」といにしえの賢者も言っているからであります。当時の慣習には全然こだわらず、鷹山は自己に天から託された民を、大名も農夫も共にしたがわなければならない「人の道」に導こうとしました。

                                  ここまで上杉鷹山(12)。『代表的日本人』(内村鑑三)より

モンテディオ、奇跡のゴール


わが故郷山形のチーム「モンテディオ」が
ゴールキーパーの劇的なゴールで磐田を2対1で破るという
夢のような出来事がありました。
11月30日にヤマハスタジアムで行われた「山形 対 磐田」のゲーム。

♦ここから引用♦
誰もが驚いたGK山岸の劇弾!「何が起こったか分からなかった」
 ◇J1昇格プレーオフ準決勝 山形2―1磐田(2014年11月30日 ヤマハ)

後半ロスタイムにGK山岸範宏(36)が決勝ゴールを決めるという、鳥肌ものの劇的勝利。
日本のサッカー史に残る勝利でJ1昇格プレーオフ決勝進出を決めた山形の石崎信弘監督(56)は、
「これだけ多くのサポーターが山形から応援に来てくれて、その気持ちが山岸のゴールにつながった」と
興奮を抑えるように話した。

前半26分にDF山田拓巳(25)の右クロスをFWディエゴ(30)が頭で決めて先制。だが、
同48分には同点に追いつかれ、そのままドローで終われば年間順位の優位性をもって
4位・磐田の決勝進出が決まるはずだった。

だが、ロスタイム突入後の後半47分、DF石川竜也(34)の右CKへ頭を合わせた山岸が
プロ14年目にして初の公式戦ゴールとなる劇的弾。チームの1点目をアシストしていた山田は
「本当に何が起こったか分からなかった。まさかギシさん(山岸)が取るとは思わなかったが、
皆の勝ちたいという強い気持ちがあのゴールにつながったと思う」と話し、
大殊勲の山岸は「引き分けでは僕らは敗退なので、何とか決勝点を取って欲しいと思って後ろで踏ん張っていた。
ネットに吸い込まれていったのは見えなかったが、
とにかくニアに飛び込んでコースを変えることだけ考えて飛び込んだ」と振り返った。

12月7日のJ1プレーオフ決勝で対戦する千葉には、26日の天皇杯準決勝で勝ったばかり。
山田は「千葉は自分たちに負けてかなり強い気持ちでくると思うが、
きょうみたいに泥臭く最後までやれば勝てると思う」と話し、
キャプテンマークを巻く山岸も「昇格するためには勝利するしかないので、
いい準備をして味スタに向かって、千葉に勝ちたいと思います」と言い切った。

出典:スポニチアネックス http://news.livedoor.com/article/detail/9523836/

♦ここまで引用♦

いやあ、おめでとう!!
こんなすごいことがモンテでおきるとは。
サッカーって、わからないもんですよね。
サポーターがはるばる山形からおおぜいつめかけ、
選手の後押しをしたことはまちがいないですね。
勝ちたいという「気」が選手一人一人に乗り移り、あのゴールキーパーのゴールという
信じられないような出来事を生んだんだと思います。
こういうゴールは、山形出身でなくても、胸のすくゴールではないでしょうか。
ほんと、モンテディオ山形よ、おめでとう。
次の千葉戦も、勝利でしめくくってほしい!!頼んだぜ。
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treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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