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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

入浴管理士

「最近は垢すりするお客さんが全くいない日もあります。
以前ですか?一日に20人もやる時もありました。」
李さんは「最近は口に糊塗する程度だけ(ぎりぎりの生活)
稼いでいる」と話し、入浴管理士として享受した「全盛時代」
を打ち明けた。彼がこの仕事を始めたのは20年前。
清渓川(チョンゲチョン)でクリーニング店をやっていたところ、
ある日突然銭湯を買収した金・ムングォン(69)氏にスカウト
され、この世に入門したという。
当時は彼の職業が入浴管理士ではなく「垢すり」と呼ばれる
時だったが、収入だけは人に羨ましく思われるほど豊かだっ
た。2000年代初めまでは週末には普通15人の客が李さんを
訪れ、客を迎えるのに食事を抜くほど忙しい時が多かったと
いう。垢すりをする人たちはほとんど常連客で、引っ越したり
しても垢すりのために李さんのやっているミョンジン銭湯まで
わざわざ訪ねてくる客もいた。
しかし大体のアパートに浴室が2つずつ造られ、「風呂に浸
かった後、垢を落とす」ルーティンだった入浴の定義が「シャ
ワーで体を洗い流す行為」に変わった。すると、徐々に垢す
りをする客の足が遠のいた。それでも日当程度の売り上げ
水準はそのまま維持したが、新型コロナウイルス感染症
(COVID-19)の流行以後、入浴管理士業況は完璧に大きな
打撃を受けた。ソーシャルディスタンスのせいでお客さんが
ほとんど訪ねてこず、対面接触を敬遠する文化が3年以上
続き「垢すり行為」自体が人々の頭の中から完全に消えて
しまった。
新型コロナウイルス感染症以降、町の銭湯の衰退とともに
急速に姿を消している職業・入浴管理士。銭湯を訪れる客
の垢すりをするのが主業であるサービス職種だ。実際、
この職業の歴史は意外と古い。1970年10月28日、ある新
聞記事に「セウン商店街の男性サウナ風呂で働く垢すり」
が言及されていたことから、少なくとも50年前から「垢すり
を専門とする職業」が存在していたと推定できる。
数十年以上正式名称なしに「垢すり」などと見下され、時に
はセシン者(体を洗う者)と呼ばれたこの職業が、名前を持
つようになったのは比較的最近だ。 07年、統計庁は韓国
標準職業分類改正案を通じて既存の「浴室従業員」職業
名称を「入浴管理士」に変更した。一つの専門職業群にな
ったわけだ。
入浴管理士が専門職に劣らず人気があった時もあった。
通貨危機(1998年)以後、就職難が続いた2000年代初め、
働いた分だけ稼げて安定した職業である入浴管理士が注
目を集めた。現在、ソウル永登浦(ヨンドゥンポ)で入浴管
理士を養成する中央入浴管理教育院のチョ・ユンジュ院
長(60)は、「03年からセシン師(垢すり)の仕事をしている
が、当時のセシン師は月に少なくとも300万ウォン以上、
平均400万~450万ウォン程度を稼いだ」と振り返った。
2003年なら、大企業新入社員の年俸平均が2489万ウォ
ン(月200万ウォン、ジョブコリア統計)の時だ。
全盛期は長続きしなかった。家で入浴する文化が定着し
銭湯の数が次第に減ったためだ。入浴管理士を求める
需要も次第に減っている。恩平区龍光サウナのオーナ
ーである金・ジョンギョム(64)氏は、入浴管理士を別に
置くことができないフトコロ状況なので、本人が直接垢
すり業務まで担当している。彼は「2017年、学院に通い
ながら数え切れない仕事を学んだ」として「銭湯のお客
さんがますます減って、垢すりの人の人件費を節約す
るためだった」と説明した。
もうこの職業は本当に絶滅の道に入っているのだろうか。
まだそのように断言することは難しい。入浴文化の変化
と新型コロナウイルスというダブルパンチに見舞われた
にもかかわらず、入浴管理士の命脈はか細いが着実
に維持される雰囲気だ。需要がわずかでも残っている
ためだ。12日に訪れた垢すり教育学院中央入浴管理
教育院では、チョ・ユンジュ院長が受講生2人を教えて
いた。この学院は新型コロナウイルス感染症で2年間
休業したが、昨年4月に再びオープンした。チョ院長は
「ソーシャルディスタンスが解除され、月謝を50%割引
したにもかかわらず、新型コロナウイルス以前と比べ
て受講生が半分にもならない」と吐露した。
他人は「良い時代は終わった」と言うが、チョ院長が
学院を再びスタートした理由はまさに「1人垢すりショ
ップ」に期待をかけるためだ。1人用垢すりショップは、
銭湯に行くのは嫌だが、垢すりを受けたい人のため
のお風呂だ。独立した空間で入浴して垢すりまで受
けることができ、静かに休息を楽しもうとする人を中
心に最近需要が増えている。ソウル江南の女性専用
1人垢すりショップ関係者は韓国日報との通話で
「平日と週末関係なく予約が常にいっぱい」と答えた。
家にお風呂場を作るのが難しかった時代には銭湯
が「清潔」のための場所だったが、今は「健康」と
「休息」が強調される一種のレジャー産業に変身し
ている。最近の入浴業のトレンドもこのような変化を
反映している。韓国日報が昨年開業した銭湯104か
所を全数調査した結果、このうち61か所(59%)が
「ジム内の銭湯」あるいは「1人垢すりショップ」など、
これまでなかった複合文化空間の形をした銭湯だ
った。
「昔の垢すり師は経済的に余裕のない人々がして
いたものでした。でも最近はビジネスです。垢すり
技術を活用して創業をする人が増えているんです。」
垢すり20年経歴のチョ・ユンジュ院長は、「韓国固
有の垢すり文化も世の中の変化に歩調を合わせ
なければならない」と強調した。彼は「マッサージと
垢すりを並行するなど、私たちの業界も積極的に
脱出口を探さなければならない」と語る。
従事者の大部分が離れてゆき、残った少数だけ
が変身のためにもがいている垢すり業界。資本
が流入し、若い血が入ってくれば、再び垢すり
師の全盛時代がやってくるかもしれない。

北の恋人たち

北朝鮮にこんな言葉がある。「男性は年を取るほど金の価値
だが、女性は幼いほど金の価値だ」。過去の北朝鮮男性は
軍服務以後、良い所に職場を配置されたり、除隊後大学を
推薦されたり卒業して来ることになれば誰もが望む一等新郎
候補だ。このような理由で男性は「年を取るほど金の価値」と
いうことになる。
北朝鮮は1990年代後半までは結婚適齢期が女性20~25歳、
男性27~30歳程度だった。結婚適齢期の女性たちは25歳に
なると両親と周辺の知人たちから「いつ結婚するのか」という
質問を受ける。北朝鮮の社会通念上、25歳を過ぎると女性は
「老妻」に分類される。しかし最近になって結婚に対する認識
が変わり結婚適齢期が高まっている。また、結婚に対する根
本的な価値観も変化し始めた。
多くの脱北者は、北朝鮮の若い世代の認識変化には経済問
題と外部から入ってくる映像物などが大きな原因として作用
したと口をそろえる。北朝鮮の経済難、別名「苦難の行軍」は、
生計問題だけでなく男女の恋愛、結婚に対する考えも変える
決定的な契機になった。
ここ数年前から結婚せず一定期間同居したり、結婚式をした
後も子供を産む前まで法的に結婚登録をせずに暮らす同棲
恋人が増加した。あえて結婚登録をしない理由の一つは
配給制が瓦解し、女性が結婚して夫の扶養家族に登録され
たとしても実質的な恩恵を得にくいためだ。
また、同棲する場合には一緒に暮らして別れても複雑な離婚
手続きが必要ないためだ。北朝鮮では法的には離婚が認め
られているが、その過程で女性の意思が十分尊重されにくく、
手続きも複雑だ。このため若い女性たちは、ちょっと暮らして
みてから結婚を決めるやり方でまずは同棲をやってみようと
いう女性が増加しているわけだ。
彼らが(婚前)同棲をする理由については「最も重要な部分
は女性の立場や考え」とし「母親世代とは異なり家族に対す
る犠牲より自身の人生と未来がより大切だという考えが強く
作用するようになっているようだ」。
実際、北朝鮮で同棲経験のあるB氏は「過去には恋愛した
だけでも無条件結婚しなければならないと思ったが、2010
年以後には大きく変わった」とし「一生を共に生きる人なの
だから結婚前に自分と合うのかも見なければ分からない
のではないか」と話す。
新型コロナウイルス感染症以降、北朝鮮の女性たちが新郎
候補に望む男性像が変わった。過去には、北朝鮮女性が
最も望む「夫」観は、平壌(ピョンヤン)に居住する男性だっ
た。その後、保衛員や安全機関関係者らに対する選好度
が高かった。
最近は海外に親戚がいる男性、すなわち韓国に家族がい
る男性を最も好む傾向という。コロナ19の事態で深刻な経
済難に苦しんでいる北朝鮮の住民たちの中で脱北した家
族がいる住民たちはそれでも生活が良いことが評価され
ているためだ。
なので韓国から定期的にお金を送ってあげる両親や兄弟
がいる男性が一等花婿候補だ。韓国に脱北した人たちは
自分の親や子供、兄弟を北朝鮮に残してきたことに対す
る「済まなさ」をもっており、これをお金で弁済しようとする
性向が強い。一度に100万ウォンから多くは、数百万ウォ
ンまで送ってあげる。もちろんこれらの金も余裕があって
送るのはではない。自分が使うお金を節約して送るのだ。
このように送ってあげたお金なら、北朝鮮で金持ちとまで
はいかなくても少なくとも飢えることはない。
結婚に対する北朝鮮の若者たちの考えを変えたのには、
韓国の映画やドラマも決定的な役割を果たした。北朝鮮
の女性たちに「ロマンチックな愛」を伝えたのは、外部か
ら流入した映画、ドラマ、Kポップなどの文化コンテンツだ。
特に韓国映画とドラマは、北朝鮮メディアでは珍しい男
女間の愛とロマンチックな恋人関係を北朝鮮女性たちに
見せてくれた。彼らは映画やドラマに現れる韓国人の行
動方式、例えば男性に立ち向かう女性の姿、女性に配
慮する男性の姿に注目し、これを北朝鮮男性の行動様
式と比較するようになった。
金正恩政権後、韓国映画やドラマに対する取り締まり
を大幅に強化したが、若い女性たちは統制を避けて
韓国映画やドラマを見て、信頼できる友人と話を交わす。
そのように映画やドラマで見せてくれる愛の情緒は、
若い北朝鮮女性たちの情緒に反映される。映画やドラ
マが見せる男女間の意思疎通と人間関係の方式は、
既成世代とは異なる考えと行動様式を作り出した。
外部社会から流れてきた新鮮な文化は、恋愛関係で
女性が積極的に愛を表現するセクシュアリティ
(Sexuality)の変化にもつながった。2010年以降、国
境地域と大都市を中心に2030世代女性の間では男女
間の自由な恋愛とスキンシップ、避妊と中絶、(婚前)
同棲などセクシュアリティ側面の新しい実践が行われ
ている。
これに対する社会的視線は地域によって差があるも
のと見られる。平壌のような大都市や中国と隣接した
国境地域では、手を繋いだり腕を組んで歩く恋人たち
を簡単に見かける。しかし、農村地域ではまだそのよ
うな行為をすれば厳しい視線を浴びたり、非難された
りすることになる。
北朝鮮で同棲する恋人たちは、住宅問題をどう解決
するだろうか。多くの脱北者の証言によると、3つ程度
の方法がある。
第一に、家を借りることだ。同棲する若い恋人たちは
主に一人暮らしの老人の家にお金を払って彼らと一緒
に暮らす。彼らが家主に支払う家賃は、毎月北朝鮮通
貨3万ウォン程度だという。北朝鮮専門メディア「デイリ
ーNK」によると、2023年1月9日基準で1ドル当たりの
北朝鮮通貨は8400ウォンだ。ドルで計算すると約3.4
ドル程度だ。ウォンにすると3744ウォン=390円だ。
では、なぜ彼らはこの方法を選ぶのだろうか。何より
も随時行われる宿泊検閲を避けるためだ。宿泊検閲
にひっかかっても高齢者の孫娘や親戚だと言い張れ
ば、比較的簡単に見過ごされる。検閲にかかる場合
も、大抵は賄賂を渡せば解決できる。
第二に、旅館を借りて生活する場合だ。北朝鮮では
ほとんどの地域に旅館が1、2軒ずつ存在する。さま
ざまな理由で、他の地域から来て寝る場所がない場
合や、汽車に乗り遅れて一晩泊まらなければならな
い場合に備えたものだ。そのため、北朝鮮ではほと
んどの旅館は駅の近くに位置している。
しかし北朝鮮住民は宿泊料のため旅館をあまり利用
しない。そのため、大半の地域の旅館は空いている
状態だ。旅館を管理するところではお金を稼ぐため
に人々に1か月ずつ賃貸してあげる。もちろん不法だ。
しかし、北朝鮮では1990年代の苦難の行軍以後、秩
序が崩れ、不法も合法になって久しい。旅館を1か月
間借りる費用は、北朝鮮通貨で2万ウォン(260円)
程度だという。
第三に、家を買い入れることだ。北朝鮮の市場が本
格的に活性化し、過去とは違って未婚の若い女性た
ちも商売をするケースが多くなった。手腕が良い場合、
多くの富を蓄積することになる。お金を稼いだ女性た
ちは、自分たちで男性を選んで同棲する。この場合、
家を購入するのは女性の方だ。しかし、このような
ケースが多いわけではない。住宅価格が高いため、
家を買える人があまりいないためだ。
北朝鮮の若い恋人たちは、主にどこでデートをし、
愛を分かち合うのだろうか。地域によって偏差がある。
平壌の場合、若い男女がデートする場所が比較的
多い方だ。彼らは遊園地やゲームセンターなどを
転々としながらデートができる。
平壌以外の地域の場合はそうではないため、主に
夜にデートをする。一日の仕事が終わった夕方に一
緒に出て公園の椅子に座って話をしたり芝生に座っ
てデートを楽しむ。このように夜、ひっそりとした場所
でデートし、密かに恋を交わす恋人たちもいる。
最近になって北朝鮮でも韓国のように「非婚」を選ぶ
女性が増えている。北朝鮮の男性は依然として結婚
しなければならないという考えを持つ場合が多い。
一方、女性たちは出世に対する関心や経済的な能
力があるなら、あえて結婚する必要はないという考え
から非婚を選ぶケースが増えている。
北朝鮮の女性たちが結婚を避ける理由の一つは、
結婚後、女性たちに課される労働負担をこれ以上
運命だと思って生きないということだ。北朝鮮では
結婚後、男性に代わって女性が市場活動を通じて
家族の生計を維持することが当然視され、まだ家事
労働も女性が主に担当しているが、若いMZ世代は
そのような暮らしを拒否するようになっているわけだ。
(朝鮮日報ベース)

プルメ財団のペク・ギョンハクさん。

彼の人生第二幕はとりわけ早く始まった。30代後半に約10年間
やってきた記者生活をやめビール屋を出すと発表した。幼い頃
の夢が記者で、それなりに楽しく働いたが、大きな事件一つが
彼の人生を根こそぎ揺さぶった。
1998年、ドイツ研修の終盤に英国で巻き込まれた交通事故で妻
が重症障害者になった。プルメ財団のペク・ギョンハク常任理事
(59)は、平凡な記者から出発し年間670億ウォン(約70億円)の
予算を扱う非営利団体の経営者に変身した。
東亜日報で「ソ・ヨンアの100歳カフェ」というシリーズから今回は
プルメ財団のペク・ギョンハクさんをご紹介したい。
同年代の引退シーズン、彼の人生第二幕はどのように展開され
ているのだろうか。(記者は)2022年12月9日、ソウル鍾路区
新橋洞(シンギョドン)の財団事務室を訪れた。
事故直後、妻は応急手術で左足を切断したが、炎症のため死線
をさ迷った。最後の手段としてさらに2度の切断手術を受けた後、
意識が戻った。その後も厳しい治療とリハビリが続いた。英国と
ドイツで接した欧州のリハビリ病院は徹底的に患者中心に運営
されていた。
3年半ぶりに帰ってきた韓国はやることなすこと全部違和感があ
った。障害者が治療を受けることも、生活することも大変な国だ
った。何かしなければならなかった。夫婦はいつかは患者が主
人となる小さなリハビリ病院を作ろうと誓い合うようになった。
「当時、家内がリハビリ病院に入院したのですが、病院費として
私の給料がそのまま投入されました。病院に入院したのに、な
ぜ別に介護者を雇わなければならないのか理解できませんで
した。病院では医者に会うのも大変で、患者ではなく医療スタッ
フが主人でしたね。ヨーロッパでは、医療スタッフが24時間患者
を家族のように世話してくれました。手遅れになる前にヨーロッ
パのような病院を作らなければならないと決心しました」
病院を作るにはまず財団が必要であり、財団を作るには「財産」
が必要だった。「財産を用意しよう!」
ちょうど2002年W杯を控えて酒税法が変わり、小規模醸造が
解除されるというニュースが聞こえてきた。ドイツで醸造学を
専攻した後輩を思い出し、W杯の前にドイツ式ハウスビール
を作ろうというアイディアが湧いた。01年末、会社に辞表を出し
翌年7月、ドイツのビール祭りの名を冠した「オクトーバーフェス
ト」1号店を江南にオープンした。
05年、ついにプルメ財団が発足した。8年間にわたる訴訟の末、
妻の交通事故被害補償金を受け取り、妻はこのうち半分の10
億7000万ウォンを財団に出した。ここにペク氏のオクトーバー
フェスト持分10%が加わり財団の「基本財産」になった。
「だから私たち同士は冗談半分でプルメを血とビールで構成さ
れた財団だと言ってるんですよ」(ペクさん)
-ご協力してくださった方も多いと伺いました
「ええ、多くの人に助けてもらいました。まずはプルメ財団が
子供医療事業をできるようにしてくれた方、イ・チョルジェ社
長が一番ありがたいです。何の条件もなく手伝ってくれました。
当時、韓国に障害のある子供たちがリハビリ治療を受けられ
るところがほとんどありませんでした。
イ・チョルジェ社長は米国留学時代、交通事故で下半身が麻痺
しましたがベンチャー創業に成功した事業家でして、先に連絡
をしてきてくれました。金持ちなら現金を寄付してくれたでしょう
が、その方は自分が持っている会社の株式を担保に融資を受
けて10億ウォンを用意してくれました。東亜日報に記事が出て、
それを見て感動したNXC(ネクソンの持株会社)の金ジョンジュ
代表が、より大きな寄付をしてくれました。2016年、ソウル上岩
洞(サンアムドン)にオープンした国内初の子どもリハビリ病院
の建設に200億ウォンを寄付してくれ、呼び水の役割を果たし
てくれました。」
財団は「プルメ財団ネクソン子供リハビリ病院」という病院名で
感謝の意を表した。「寄付は、かろうじて食べていける方々が
実践する」という言葉がある。金持ちは税金減免だから社会的
名誉などを問うが、条件なしに寄付するのはほとんど普通の人
だという。リハビリ病院の建設には市民1万人、200社が心を集
めてくれた。
「不治の病で子供を先に送ったある夫婦は保険会社から受け
取った保険金を寄付し、イ・ヘイン修道女は詩集印税を寄付
してくれました。財団広報大使の歌手ショーンさんは、1年に20
以上のマラソンを走りながら基金を集めてくれました。このよう
に残りの230億ウォンが奇跡のように募金で賄われました。」
しかし、子供リハビリ病院は「構造的赤字」という宿命を抱い
ていた。収益を上げるためには高い検査と手術をたくさんしな
ければならないが、リハビリ病院はそのようなものはない。
有数の大型病院がリハビリ病院を運営していない理由だ。
「うちの病院が安定した運営をしていると言うには無理があり
ます。持続可能でなければならないのにそれが難しいです。
リハビリの基本が理学療法と作業療法ですが、報酬がとても
低いんです。治療するほど赤字が出る仕組みです」
プルメ・リハビリ病院は当初、年間30億ウォン程度の赤字要
因を抱えていた。一部はソウル市と麻浦(マポ)区の支援を
受け、残りは募金などで埋めようと覚悟していた。ところが、
新型コロナ事態で患者が大幅に減り、2020年53億、2021年
51億の赤字を記録した。昨年、病院設立5周年記念式に出
席したキム・ジョンジュ代表に緊急支援を要請し、助けを受
けたりもした。
このように難しい時はいつも善良な人々が現れて力を与え
てくれたが、政府や地方自治体は彼の期待とは全く違った。
「子どもリハビリ病院は必ず必要なところです。公共がすべ
きことを私たちが先頭に立ってすることなので時がくれば支
援してくれると内心信じていました。でもいつまで経っても
助けてくれなかったんですよ」。
「政府は、私たちのリハビリ病院が社会福祉施設用地に建
てられたので、療養病院だとし、子供のリハビリ病院に適
用されるモデル報酬を適用することはできないと言ってい
ます。国内唯一の子供リハビリ病院を、子供リハビリ病院
の立地する土地が医療施設用地ではないという理由で認
めることはできないという論理です。それでは敷地の用途
を変えてほしいと麻浦区に要請しましたが、難しいという
立場です」
公務員の無責任と官僚主義は、21世紀を四半世紀ほど
過ぎようとしている現時点でも依然として色濃く残ってい
るようだ。
-もしあの日の事故がなかったら、今あなた(ペク・ギョン
ハクさん)はどこで何をしていたでしょうか?
「ただの記者生活をしていたと思います。政治部や社会
部より文化部の宗教担当記者を楽しみながらやってい
たと思います」
-今の年齢(59歳)なら、マスコミ界に残っていても、もう
すぐ定年だと思いますが。
「うーん、でも他のことはせず、記者として生きていたは
ずです。あえてお金を作ると言ってビール屋を開こうと
する冒険はしなかったでしょう。その時、その事故によ
って荒波に立ち向かって戦うことになりました。妻がこ
の世の中で生きていかなければならないので、もっと
強くならなければならなかったし、わずか7歳の娘がい
たので死に物狂いで働いていました。どれが最善で、
私が耐えられるか考えました。幸い崖から落ちず、周
りの方がいつも力を貸してくれました。しかし、振り返
ってみると本当に大変な道のりでした。」
苦痛は現在進行形だ。彼の妻は年を取るにつれて「鬼
の痛み」という幻想痛(phantom pain)に苦しむ。切断障
害者に多くの症状で、なくなった足の甲と足首を数百
本の針で周期的に刺すような痛みが来るという。
彼の関心はリハビリから自活へと広がっている。リハビ
リ治療を熱心に受けた子供たちが青年になったら、
一生どのように生きていくのか。彼が農場建設に乗り
出した理由だ。偶然、農業が自閉症や発達障害の青
年に役立つことが分かったからだ。職員たちと一緒に
オランダのスマートファームを見て回り、答えを見つけ
た。
「古い小さな農場を改造し、癌、脳卒中、認知症、精神
障害患者、発達障害の青年を保護する『ケアファーム』
を作りました。病院に横になっているより、自由に農業
をして鶏に餌を与え、自然を呼吸する方が費用も少な
く、幸せだという確信がありました。」
このような農場を作るキャンペーンを始めると、発達障
害の息子(33)を持つ李サンフン、チャン・チュンスン
夫妻が京畿道驪州市五鶴洞(キョンギド・ヨジュシ・オ
ハクドン)の農場敷地3800坪を寄付してくれた。財団
で障害のある青年たちが幸せに働ける農場を作って
ほしいというお願いと共に。
この地に建築費130億ウォンをかけて1200坪のガラ
ス温室とカフェ、食堂、ゲストハウス、プログラム室な
どを建設し、昨年9月にオープン式を行った。
近隣のSKハイニックスで建築費と運営費を支援し、
農場で生産されたトマトとキノコは全て買ってくれる
など、大きく役立っている。
「たびたび農場を訪問した方々が障害青年たちが
一日4時間働き月給100万ウォンずつを受け取ると
すれば『外国人労働者4人を雇用すれば良いのに』
として助言してくれる方がいます。しかし、私たちは
生産性ではなく、これらの若者たちの幸せを望んで
いるのです。追求する価値が違うのです。」
-農場に行くとどんな感じがしますか。
「幸せですね。子供たちが本当に美しいです。最初
は目も合わせなかった子が近づいてきて、先に挨
拶をしたりします。お菓子のようなものを差し出し
ながら、『会いたかったです。愛しています』と。
若者たちは同年代の集団を通じて社会性を学びま
す。仕事と給料が彼らの自尊心を高めてくれます。
あるお母さんがおっしゃったことなんだけど、『お
前、なんでまたこんなものを買ったの?』と言った
ら『わたしが稼いだお金だから私が勝手に使いま
す』という返事を聞いて、うれしくて涙が出てきた
と言ってくださいました。少しずつ自立する息子
が偉いんですよね」。
<audio src="貼り付けたい音声ファイルのurl" controls>

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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