首領様が人間になった
4月27日(金)午前9時半、板門店の南北境界線をまたいで南の文大統領と北の首領様(金正恩委員長)が歴史的な握手をかわした。
1代目の金日成のときも、2代目の金正日のときも南北首脳の出会いはあったが、
今回のは、これまでのそれとはかなり趣きを異にしている。
北が本気で核の放棄を模索していることがはっきりした。
午後散歩しながらの二人だけの対話は、マイクも付き人もなく
本当の「ただの二人」だけの会談だっただけに、どんな話が30分もの間かわされたのか気になるところだ。
二日目の4月28日になっても、あのときの会談の内容はあかされてはいない。
夕方の「板門店宣言」においては、二人の首脳はまず抱擁して宣言発表までこぎつけたことを祝いあった。
晩餐会には金正恩の妻であるリ・ソルチュも合流し、ファーストレディーとしての役割を十二分に果たした。
9月の文大統領の平壤(ピョンヤン)訪問が決まり、
開城(ケソン)に合同連絡事務所を設置することも決まり、
8月15日に離散家族の出会いの行事も合意に達した。
3年前に朴・クネの一声で閉鎖になった開城の工業団地の再開も射程に入れられた状況だ。
非核化の具体的な内容は盛り込まれなかった。
ただし朝鮮半島における非核化という点では双方合意に達していることを忘れてはいけない。
具体的な内容は、米朝首脳会談においてはじめて明確化されることだろう。
4月27日(金曜日)は、筆者の大学の授業も9時からあったのだが、
出席をとったあとはネットでの首脳会談の放送をずっと見っぱなしだった。
小学校の授業も韓国の大部分のところは午前中はずっとテレビ放送を見ていたようだ。
去年の暮れまでは北の首領様は、なにかにつけて「南のソウルを火の海にしてやるぞ」と脅していた。
あれから4ヵ月でこうも変わるのかと不思議な気持ちにもなってしまう。
保守勢力は、これは政治ショーにすぎないから信じてはいけないとやんや騒いでいるけれど、
単なる政治ショーのレベルでないことだけは確かだ。
すでに4月28日の段階で北の住民にも政府機関紙が南での報道内容とほぼ同一の内容を伝えている。
非核化ということばも登場している。
北の住民にとっては、あれほどまで一生懸命「核作り」に余念のなかった首領様が、
なんでいきなり非核化などと言い出すのか理解できないという向きもあろうかと思う。
しかし誰あろうあの首領様のおことばだ。命よりも大事な人のことばだ。
聴いた瞬間腹の底まで信じたであろうことは疑いの余地もない。
南と北の統一の絵までもうっすらと見えるような一日だった。
4月29日には、金正恩がさらに追加の発表をした。
豊渓里の核施設を5月中に閉鎖することと、
平壤(ピョンヤン)時間をソウル時間に合わせるということ。
核施設の閉鎖は韓国と米国の専門家および監視団を招いて直接見てもらう。
また時間ついては、2015年ごろに北朝鮮が突然、
それまで使っていた韓国と同じ時間(それは日本の標準時である)を30分遅らせた「北朝鮮時間」を使うと一方的に発表した。
それ以来、北の時間は南の時間より30分遅れた時間となっていた。
文大統領と握手し板門店宣言に署名したあの建物に入ったとき、
右には韓国時間を示す時計が、左には北朝鮮時間を示す時計がかけられていた。
それを見た金正恩は、すぐには誰にも言わなかったが、「とても胸が痛かった」ということだ。
きょう4月29日の発表によると、
「北朝鮮が一方的に30分遅らせていたものだから、平壤の時間を30分また早め、ソウルと同じ時間を使うことにした」
ということ。
一つ一つになんくせをつけてきた北朝鮮。
今、その態度は180度変化した。
一つ一つ正常の形に戻そうとしている。
金正恩の内部に本気で核をなくし南となかよくやっていこうとする気持ちが芽生えていることは間違いない。
北の時間については筆者もよく知っていて、
30分のずれをもったまま当分の間はやっていくんだろうなと思っていたら、
会談終了後2日目にして時間を「南」に合わせると言って来た。
こんな奇跡がおこってもいいのか。
いよいよ、米朝首脳会談が期待されるものとなった。
嘘ばかりついてきた北だけど、今は信じてやろうじゃないか。日本人拉致被害者の解放にもプラスのベクトルとなるはずだ。
文大統領と握手したあの顔は、嘘に固められたこれまでの北の首領様の顔ではない。
人間になった首領様つまり国務委員長の顔である。
イギリスのノーベル賞(平和賞)を占うオッズが、金正恩が一番人気で1.7倍と出ているという。
オッズは数字が小さいほど人気が高いことを意味する。
今、金正恩はぶっちぎりの一番人気馬である。
統一といえば、韓国におもしろい「予言」がある。
1975年ごろのこと。
一人の高僧があった。タンホ(1913~1983)という和尚さん。韓国仏教界でもかなり有名な僧だった。
この人が、忠清北道・提川(チュンチョンブクト・ジェチョン)と忠州の間にある月岳山(ウォルアクサン)の
麓に位置する徳周寺(ドクジュサ)で予言を行なった。予言の内容とは、
「月岳山の上に月が出て、月影が水に映ってから30年後に女性の大統領が現れる。
女性大統領が出てから3、4年後に朝鮮半島は統一する」
というものだった。
ところが、その当時この予言は誰にも顧みられない予言だった。
というのは月岳山の上に月は常に昇るのだが、月影が映るような川も湖もなかったからだ。海もないのだ。
忠清北道というところは韓国で海のない唯一のド(道)である。
ところが1983年ごろ、提川(ジェチョン)に提川ダムの建設が決まりすぐにダムができることになる。
ダムができてみると月岳山の上にのぼったお月様がダムにきれいに映るのだった。
それから30年後というと2013年だが、この年になんと朴・クネが大統領となる。
女性第一号の大統領だった。
残念ながら今は国政壟断の件で刑務所暮らしの状態だ。
2017年の3月10日に弾劾裁判にて弾劾され大統領職からいきなり前科者の身分となった。
2017年を基準にして3から4年後というと、2020年から2021年ごろとなる。
タンホ僧侶の徳周寺予言がなんとなく真実となるのではないかと思わせる27日の抱擁であった。
【さようなら原発 米沢のつどい (第52回)】
Good-bye,NukeS !
さようなら原発 米沢のつどい (第52回)
中村敦夫 朗読劇 「線量計が鳴る」
「さようなら原発米沢」の4月公演のご案内です。
中村敦夫さん(俳優、作家、元参議院議員)は、“木枯らし紋次郎”で私達の記憶に残ってます。
・2018年4月28日 午後2時。
・(於)置賜総合文化センター 1500円
過去100年の中で一番重要な時
いよいよ今週の金曜日(27日)、南北首脳会談が開かれる。
南北の首脳同士ががん首をそろえて会談するという光景はこれまでもあった。
が、今回のそれはこれまでのものとはかなり位相がちがう。
金正恩が本気で核や戦争からの脱却を考えているのではないかと思われるからだ。
いままでなら、そんなことはなかった。
金日成のときも金正日のときも北が本気で大向こうと会談に臨むなんてことはなかった。
甘い汁を吸うためのジェスチャーに過ぎなかった。
特に金正日のときは、ひどかった。
2000年だったか、南の金大中と会って大いなる「和平」ムードを作り上げ、
これがもとで金大中はノーベル平和賞をもらうこととなった。
さらに2007年ごろだったか、ノ・ムヒョンと会ってさらに「平和・和平」ムードを盛り上げ、
六者会談などを何度も開いたものの、その裏でぬくぬくと核開発に余念がなかった。
その点金正恩は素直というかそのままというか、親の金正日を引き継いで核開発をやっていたころは、
大向こうを相手に完全な対決姿勢をもろに出し、ソウルを火の海にしてやるぞとかアメリカまで核をぶち込めるんだとか
ソウル市民やアメリカ国民の金玉を縮み上がらせるような過激な発言ばかりをやっていた。
心の中から核でやっつけてやると思っていたからだろうと思われる。
それが今年の年初の演説から変わり始めていた。
ピョンチャン五輪に選手を送る考えがあると発言したあたりから変化は現れ始めていたわけだ。
でもあの時はまだ、
世界のだれもが、またジェスチャーばっかやって、と思っていたはずだ。
ところがその後の流れが今日まで続いていて、それは非常に友好と温和の流れだ。
都合の悪い幹部らをバズーカ砲で肉片もないくらいに木っ端微塵にしてしまったという噂が
なにか全然別の人間のことなのかと思わせるような変わりようだ。
韓国の中には勿論慎重論も出てはいるけれど、
今の流れを素直に受け止めているムードが大勢を占めている。
北の首領様と南の大統領を結ぶホットライン(電話)も開通しており、
実際の会話はたぶん明日月曜日あたりになるんじゃないかといわれている。
韓国内では、#meToo報道が毎日あることはあるのだが、
最近はどうもそういうちまちました問題はどうでもいい、もっと大切なこと、
朝鮮半島情勢がどうなるかといったテレビ番組が多くなっている。
今週、いよいよ南北首脳会談が開かれる。
その結果によって今後の米朝首脳会談、そしてほんとの非核化への青写真が見えてくるかどうかが
わかってくるだろう。
朝鮮半島は、過去100年の中で一番重要な時期を迎えている。
この時期にここに住んでいられることの奇跡を日々感じている。
北の故郷の平壌(ピョンヤン)の地を一度踏んでみたいと語っていたおじいさんのことが思い出される。
平安北道定州の地を踏み、家族や親戚と会いたいと言っていたおばあさんのことが思い出される。
今まだ数万の人が、北の故郷の地を踏めずにいる。
筆者の周りにもそういったお年寄りの方がゴマンといらっしゃる。
まずはこうした人々が自分の生まれ故郷の地をその足で踏めるようにしてあげることから
事態は動いていくように思う。
偶然のきっかけで会ったあの平壌出身のおじいさん。
あと3、4年がんばって生きていたら生涯の願いも叶えられたであろうに。
運命というものの断固たる冷厳性が、ひしひしと感じられてくる今夜だ。
春がやってくるのか。
聨合ニュースより
チョ・ヨンピルやレッドベルベット(Red Velvet)など、韓国の有名歌手ら200人近くが訪朝し
4月2日に1回目の公演を行い、今日3日に2回目の公演を行なう予定だ。
2日の公演には金正恩夫妻も観覧し、公演の最後に歌手らと写真も撮った。
金正恩が2列目に並んで写真を撮るのは、異例のことという。彼は常に1列目のど真ん中を占める。
歌手らと親しげに握手をかわし、「ありがとうございます(カmサハmニダ)」と言ったという。
文在寅政府発足から三か月後の2017年8月、北朝鮮はソウルを火の海にすると脅迫した。
秋には核実験とミサイル発射を続けざまに行ない、いつ戦争が起こっても常にスタンバイの状態だった。
一体何が北朝鮮をこのように劇的に変えたのだろうか。
朝鮮日報に一つの答えが出ていた。
北朝鮮サッカー代表チームのアンデルセン監督が最近、
「経済的状況」を理由に辞任するという意向を明らかにしたというのだ。
2016年5月から北朝鮮のサッカーチームを率いてきたアンデルセン監督は、
インタビューで「北朝鮮の経済的状況が良くないのでこれ以上とどまることは困難」と語った。
ロイター通信は、アンデルセン監督が北朝鮮を離れる理由として、
国際社会の対北朝鮮制裁が北朝鮮スポーツにまで影響を及ぼしたためと分析した。
金正恩は、サッカーマニアとされているが、外国人監督を正当に待遇できないくらい大変な状況だということだ。
昨年東アジアサッカー大会に参加した北朝鮮チームは、制裁ゆえに賞金をもらえなかったのはもちろん、
帰国プレゼント一つ買うこともできなかった。
韓国鉱物資源公社によると、昨年、北朝鮮の対中鉱産物輸出額は6億4000万ドルで2016年に比べて56%減少した。
中国からの石油輸入も多くの制限を受けている。
今の南北融和ムードの中でも国連安保理は北朝鮮船舶27隻を含む、計49個のリストを対北朝鮮制裁リストに追加した。
ソウルを火の海にするとか、核1発で南を叩き潰すなどという暴力団のような表現ばかりしていた北朝鮮が、
そういった荒っぽいことばをしまいこみ、微笑攻勢を見せるようにさせたのがまさに、このような徹底した圧力ゆえだ。
北朝鮮が自ら口に出した非核化を実際の行動に移すようにするパワーも、こういう一連の制裁以外にない。
これから南と北との間でどんなことがあるか誰にも分からない。
しかし制裁さえぶれることなくやっていけば、北朝鮮の核は無くすことができる。
朝鮮日報の記事はだいたい上のようなものだ。
経済制裁がこれだけのパワーを発揮するものなのだろうか。たぶんそうなんだろう。
しかし筆者は、これだけではないようにも考えている。
ルーマニアのニコラエ・チャウシェスクが、1989年の12月にルーマニア革命の中で
革命軍の手によって妻とともに公開処刑された事件があった。
現代における衝撃的な事件として記憶にとどめている方は多いと思う。
独裁者として思うがままの生活をしてきた人間だ。
1971年には、北朝鮮に来て金日成とも会っている。
北朝鮮とはあながち縁のない人間ではなかった。
北で暴動が起こったら、まちがいなく第二のチャウシェスクになることは必定だ。
民衆たちもだんだんいろんなことをわかるようになってきている。
金もないから、民衆たちにええかっこもできない。
一旦どっかでほころびが見えたら、その時が最期のときだ。
金正恩は、非常にクールな部分もあるもののようだ。
英語、ドイツ語など外国語もネイティブレベルで数か国語操るほどの頭脳を持っているらしい。
そのクールさが、このままいったらやばいと思わせたのかもしれない。
アメリカの攻撃でイラクのように潰されるか、
民衆の蜂起により第二のチャウシェスクになるか。
南や米国に向けて核をぶっぱなしたとしても、自滅することはわかりきっている。
死をかけて最後の瞬間までやってやるべ、とは考えていないということなのだろう。幸いなるかな。
4月末の南北首脳会談、そして5月の米朝首脳会談と
朝鮮半島だけに限らず地球の運命をも左右するような重要な流れが待っている。