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天安からアンニョン

日々の思いや韓流情報などをエッセイ風に書きます。韓国からの発信です。

雑感002

いつもきな臭い話とか日韓の軋轢の話だったりで、
このブログはちょっとブログらしくなくなっていたかもしれない。
もっと日常のなんでもない話も書いていこうかなと最近考えている。

今年は2020というきれいな数字が並んだ年だった。
しかしあけてみると、コロナ禍が牙をむいて待っていた。
子供たちは学校に行けずに自宅でオンラインの授業。
一般人たちも外出するのに気を遣わざるをえないそんな時期を過ごしている。
中国の武漢が発祥なのかどこが発祥なのかはまだはっきりとはわかってないと思うが、
このコロナウイルスのために多くの人が苦しむ年となってしまった。
2月はじめ、韓国はコロナ危機を迎えた時期もあったが、
うまく対応して世界からも注目を浴びることにもなった。

ブログ筆者はというと、今年2月末日で20年ちかく務めた大学を定年退職した。
白石大学校(ベクソクテハッキョ)という大学で、わが生涯で一番長い職場となった。
大学で働けたという点では感謝している。
わが友達は、ソウル圏の大学に勤めはしたけど、5年で期限切れになったり、
ある大学に行った友は、3年で切れたりと、韓国の場合(日本も同じかもしれないが)、
大学教授としての契約に年数制限のあるところが多く、その点ではわたしが働いた大学は、年数制限はなかった。
学生評価で1等賞となって、大学から「優秀教授」の賞金と賞状をもらったこともあった。
また、日本でいう共通1次みたいなものに相当する「修学能力試験」略して「修能試験」(スヌン試験)の
作成委員として1か月ほどあるコンドミニュウムで缶詰状態で問題作りをしたこともあり、
大学生活の間中、数限りないエピソードがある。
大学に来る前は、三星グループの綜合研修院というところで働いていた。丸8年と1か月働いた。

この三星での生活と大学へ来てからの生活を小説風に書きたいと思い、今、しこしこと書いているところだ。
たぶん完成は来年の終わりか再来年くらいになる予定だ。

これまで筆者には、『おしょうしな韓国』、『アンニョンお隣さん』というエッセイ集がある。
次にくる小説で「韓国三部作」が完成することになる。
「韓国三部作」ができてくれれば、なんとなく、韓国の呪縛が解けるような気がしている。
いや、韓国がいやでそういっているのではなくて、
とにかく三部作を完成させるまでは、どうしても韓国および韓国人がいつまでもついてくる感じなのだ。
わーっと吐き出すことによって、韓国のしがらみが解け、もっと自由に書いて行けるような気がしている。
韓国以外に書いてみたいことはすでに山ほどあって、生きている間に全部書けるかどうかはわからないくらいだ。
書く生活がうれしい。

このブログを書いたり、レコードチャイナというサイトにコラムを書いたり、メルマガを書いたりしているが、
いちばん書きたいのは本であり、小説とエッセイだ。

定年退職をして時間がふんだんにあるので、こうして与えられた時間を使って書いている。
大学のこととか学生のことなど、自分の思考を妨げることのために時間を使わなくてもいいので、
これが筆者には一番のプレゼントだ。
自分が考えたいこと、書きたいことだけをやって日々を過ごしている。
こんな生活がしたかった。

作家になることではなくて、自分がやりたいことを自由にやっていくこと。
一番やりたいことは「書く」であるので、作家みたいなことだけれども、
職業作家となると、それで金を稼ぐ必要があるから、かなりのストレスのはずだ。
筆者は職業作家ではない。書きたければ書くし、書きたくなければ書かなくていい。
こういう自由が許される人間。
そういうものにわたしはなりたい。
そんな風に思ってやってきた。
そして今、そんな生活ができているので、日々、うれしくてたまらない。
ときどき夫婦喧嘩もやるので、そのときは、かなり意気消沈してしまうが、それも数時間のこと。
また気分を入れ替えて「書く」モードに入ると、そういういやなことは全部忘れて「書く」だけをやれる。

きょうは、完全に自由モードで書いた。
これでいいのだ。
このブログも人気のために書いているのでも金のために書いているのでもない。
ただ書くのがうれしくて書いているだけだ。
読んでいただいてつまらなければスルーしてもらっていいし、なにか感じる点があったらまた入ってもらってもいい。

こういう自由のある日本や韓国はやっぱり素晴らしい国だと思う。
仲良くやっていければもっといいのだけれど。^^
喧嘩はセイジヤに任せて、下々のわたしたちは、ともに酒飲んでしゃべって愚痴言ったり励ましたりして
なかよくやっていければいい。
筆者は、周りの韓国の人々とそんな風につきあっている。

雑感001

6月16日火曜日、午後2時49分ごろ、北が南北共同連絡事務所を爆破した。
こんなこと、普通だったら「宣戦布告」と同じ状況だ。
北が被害国(韓国)から攻撃をかけられても何も言えない、そんな状況だ。
しかし南がすぐに攻撃をしかけたら、それこそ本当の戦争になるから、それはやらない。
やらないけど、18日に経済団体の全国経済人連合会(全経連)が
朝鮮戦争勃発70年に合わせ参戦国の大使を招いてソウルで開いた記念行事の祝辞を述べる席で、
鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防部長官が、
「万が一、北が軍事的挑発を強行するなら軍はためらうことなく強力に対応する」と警告した。
本来祝辞を述べる席でこのような警告を発したことは、韓国の断固たる態度がみてとれる。
それもそのはず。
北が爆破した南北共同連絡事務所は、2018年の南北首脳の歴史的「合意」に合わせて
韓国の税金で造られた南北友好の象徴的建物であり文政権の唯一ともいえる成果だ。
これを北は「無慈悲に」爆破したのだ。文が怒るのも無理はない。
爆破から一日あけて、韓国はこのニュースで持ち切りだ。
韓国の政府高官が米に今朝飛んだ。
ビーガンなどと会って対応策を協議するのだろう。
北がさらに金剛山ホテルを爆破したり、ミサイル発射実験などをやった場合、
南も、米も、今回は黙ってはいないような気がする。
10年前に砲撃されて犠牲も出たヨンピョンド(延坪島)の住民たちは
今のところは緊張の中でも日常生活を送っているようだ。漁にもでている。
すぐ目の前が北朝鮮だ。
あんなところに住める勇気を見習いたいものだ。
10年前の2010年11月23日、北からの突然の砲撃で、4人が犠牲となり10人が負傷した。
しかしこのときは南もすぐに報復攻撃をして、北の犠牲は南よりも多かったという。
(詳しい数字はわからない)

毎日毎日が、戦争勃発の緊張の中にいるものの、
実際にはみんなそれほど慌てふためいてはいない。
日々の生活をたんたんと営んでいる。筆者もその一人。
今夜どうなるか、明日どうなるかわからないけど、
今目の前の「生」をちゃんと生きるのが現実の歩みであり、しかもそれしか行き方はない。

でも北があれだけ暴れているのは、いよいよ苦しい時期になっているからだ。
余裕がないから、暴れているのだろう。
北に飛ばされるビラのために(その報復として)爆破したといっているが、
実際は早く経済制裁をといてくれ、というのが本音中の本音だろう。
しかしトランプは知らんぷりだ。トランプらしいじゃないか。
約束通り、「非核化」をやるんなら、すぐにも解くけど、約束しないから制裁はかけ続けねばならん。
そういうことだ。
原理原則をやってるのがトランプといえる。
核施設をあのとき爆破して「さあ、壊したぜ。制裁の一部でも解けよ」と北はいったが、
あんななくてもいいような施設を爆破したところで、なんの意味もないことはトランプは知っている。
見せかけのジェスチャーはやめろということだろう。
本気で非核化に踏み切れ、ということだ。
それはトランプだけじゃなくて南も、世界も、みな同じだ。
北に本気が見えたとき、制裁は解かれていくけれども、本気が霞んでいるなら、
いつまでも制裁は続く。
もうほとんど耐えられないくらいまでに追い詰められている北。
このあと、どうでてくるのだろうか。

定年。

 韓国に来て、三星綜合研修所(サムスン チョンハプ ヨンスソ)での勤務を経て現在の大学に来た。
約20年大学で仕事をしてきた。日本語学や言語学を教えてきた。
今年2020年、2月末、定年退職となる。
思えばあっという間であった。
ソウルからここ天安(チョナン)という町に来たときのことはきのうのことのように覚えている。
天安のトルゲートを出るとすぐにあるアパート(マンション)が右手に見える。
大林APT(デリmアパート)。
「きれいなアパートだな」
と思ったことを思い出す。
このときは大学教授採用の面接試験を受けるときで、
緊張の中にも「こんなアパートに住めればいいけどな」などと思った。
数日後、面接合格の通知が来た。
さっそくソウルのアパートから天安のアパートに引っ越しだ。
ソウルから天安までは車で約1時間弱。すぐだ。
家族といっしょに天安に来て、これから住むアパートを探すことに。
3か所、4か所、あちこち探してみたが、結局、なんと偶然にも
面接のときに「あ、いいな」と思ったアパートに決まった。
決めるとき、あのアパートだとは全然思っていなかった。
車であちこち回っている間に、トルゲートを出てすぐに見えたアパートがどのアパートなのかなんて、
わからなかったからだ。
不動産屋さんで話しあって、不動産屋のおやじさんとアパートまで来て、
すでに住んでいる家族の方に「ちょっと部屋をみせてもらっていいですか」とあいさつを入れて、
中に入って窓から外を見たときにはじめて、
「あ、このアパート、オレがあのときいいなって思ったアパートだ」
と気づいた次第だ。かみさんと子供に話したら、驚いていた。当然。当然。
15階建てのアパート。団地全体で500世帯が住んでいるから、けっこう大きな団地といっていい。
ここでずっと住み続けている。
子供は大学を卒業して今はソウルで会社勤めをしながら一人暮らしだ。
このアパートにはかみさんとわたしの二人暮らし。
すぐ南側が小学校になっていて、ここに子供は通った。
小学校の建物は3階建て。グラウンドあり。
なので南の窓から外を眺めるとどこまでも見渡せる。見晴らしがいい。
東にテジョサン(太祖山)、西にはクァンドクサン(700m)が位置していて、
pm2.5などのないときには、かなり素晴らしい眺めだ。
これを書いている今も、天気もよくpm2.5もpm10もほとんどなくて、まさに春近しといった日和。
定年となっても、ここ天安に住みつづけることは決まっている。
ここで、また別の大学関係の仕事があるからだ。
週1くらいで軽くやりながら、あとは自分のやりたいことをやっていくつもりだ。
散歩したり山登りしたりギターひいたりものを書いたり。
ブログを書くのもおもしろいし、別の投稿サイトに文章を送ったりもしている。
ブログやSNSではない、わがオリジナルの書きおろしの文章を書いていくのも楽しみの一つだ。
毎日少しずつ書いている。
いずれ形となって世の中に出てくるであろう。
その日が待ち遠しい。
いつになるやら^^。。。。。

∼てもらう _ 筆者のエッセイ0028

2013年12月7日にアップした学生のエッセイ(学生エッセイ0006)がある。
「お越しいただけますか」というタイトルでアップしたもの。

この学生が書いているように、日本語の「_てもらう」と言う表現は、
日本を理解する上でポイントになる表現なのかもしれない。

「_ てもらう」と書いても、普通一般の人にはなんのこっちゃ?と 首をかしげるがいるかもしれない。
これは「何々してもらう」ということで、
例えば「貸してもらう」「書いてもらう」「行ってもらう」「やってもらう」など、
動詞に「もらう」のついた形の表現を指している。

日本人ならなんでもない表現なのだが、韓国人にしてみると、これがかなり難しいのだ。
というのはこの表現と同一の表現が韓国語ではないから。

意訳して用を済ませることになろう。
例えば「わたしは友だちに行ってもらいました」という表現は、
韓国語では「(わたしのために)友だちが行ってくれました」と意訳することになる。

一見何の違いもないように見えるかもしれないけれど、この2つにはかなりちがいがある。

「友だちに行ってもらいました」というほうは、
言わずもがな友に対する「感謝」の念がにじんでいる。
「感謝」と「申し訳なさ」とでもいうようなものが自ずと文の中に含意されているわけだ。

これに対して「友だちが行ってくれました」のほうは、
少しは友に対する感謝の念は感じられるが、それほど強くはないと思う。
友が行った、という「事実」をかなり機械的に言っているニュアンスだ。
(この部分は、人によって感じ方が多少違う可能性があるけれど、、、。)

なので、韓国語で言う場合は、
「友だちが行ってくれました。それでわたしはとてもうれしかった。」とか
「友だちが行ってくれました。それで友に感謝している。」などの付加的な部分をつけて
その意が十分に伝わるようにするわけだ。

このように日本語の「_ てもらう」という表現は、
それだけで相手に対する「有り難み」や「申し訳なさ」を言わずもがなことばの中に滲ませながら、
さりげなく感謝の意を表わす、にくらしいほど「日本的」な表現なのだ。
すばらしい表現なんだよね。

日本語の奥ゆかしさとでも言いましょうか。

こういう繊細な表現に富んだ日本語。
そういう奥ゆかしい心が土台にあるからこそ、こういう言い回しが生まれて来たものと思われる。
そういう心をわたしたちは持ち続けているだろうか。
永久(とわ)に持ち続けていきたいものだ。

運と信仰

会話の授業があって、この日は「運というもの」というテーマだった。
お金を拾ってよかったとか、
バスには遅れるわ財布は落とすわでついてない日の話をするものあるなかで、
ある男子学生が、うちは全員がキリスト教の信者なので、
運がいいとかわるいとか言うと、即、親からバシッと叱られたという。

すべては神様の思し召しなのだから、
運がいいとか悪いとかは言うでない、と。

いやあ、驚きました。
キリスト教の家庭では、こういう教育がなされているのかと知った瞬間でもあった。

彼は「モーテ・シナン」つまり「母胎信仰」ということで、
母の胎内にあるときからの信仰という意味。
親がキリスト教信仰をもっているなかで生まれたというわけだ。
偶然というものはない、という人生観とも捉えられるか。

運がいいとか悪いとかって、信仰とは関係なく存在するんじゃないの、と
筆者には思えるのだが、あまりいじめるような質問はせず、「あ、そう」ということで
かるーくパスした。はい、次の人、行きましょうかって。

赤瀬川源平の『世の中は偶然に満ちている』と対極をなす姿勢ともいえよう。

ポイントは、たぶん、
いやあツイテるなあとかツイテねえな、と思う瞬間は彼にもあろうけど、
それを口に出しては言わない(言えない)という点であろう。

ちなみに、うちの大学は韓国でも有数のキリスト教系の大学だ。

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プロフィール

treenamu

Author:treenamu
韓国在住の日本人で、山歩きやサッカー、リフティングなどが好きです。小説・随筆なども書いてます。鴨長明、ヘッセ、バルザック、モーム、チャンドラーなどが好きです。スローライフがモットーです。

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