私の好きなもの_ 学生エッセイ88
ソウルで会社勤めをしている娘が今週(天安に)帰って来て、あれこれしゃべっていたら
筆者が大学の講義で出した課題に興味を持って、自分でも書いてみると言って書いたもの。
テーマは「わたしの好きなもの」。わが娘ながら、まあまあの文章だと思う。
もう学生ではないのだけれど、だいたい年代がそうなのでこのカテゴリに入れた。
「わたしの好きなもの」
歳をとるにつれて好きなものが増えてくる。
最近は山登りが好きになった。
子供の頃から山に行く機会は何回かあったが、しょうがなくついて行った感じだった。
とくに中学・高校時代の私には山登りが「克己」のような概念だった。
勉強に向けて集中するためにわざと山に登ったりして覚悟を決めたことがあるくらいだった。
だが、その山登りがいきなり好きになった。
きっかけはたぶん、今勤めている会社に入ってすぐのワークショップだと思う。
「五臺山(オーデサン)」という国立公園に行ったのだが、規模も大きいし、ちょうど10月の紅葉の時期だったので絶景だった。
いい気分で歩いていたらスムーズにウォーミングアップができ、あとは加速して先頭グループになっていた。
何百人かのおじさんたちと比べても私の山登り力が負けないってことが分かって嬉しかった。
多分その時に山登りに対しての私の恐怖感または拒否感が減ったと思う。
その後から春、夏、秋に山登りに行っている。冬の山はこれからだ。
山登りがどのくらい好きかというと、
「男が愛に落ちたときの気分がわかるようになった」くらいかな。
行こうとしている山がどんだけ遠く離れていても全くめんどくさがらずに行ける。
その山からの景色はどうだろう、そこのコースはどんな難易度だろう、その高度はどんな達成感を与えてくれるだろう、
と好奇心をもって行ける。
今年は7200歳の杉の木が観れる9時間トラッキングコースのある屋久島観光に行ってきた。
普段山登りで体力を鍛えていたので無事に成功した。
自然好きな人には屋久島を強くお勧めする。いわゆる「迫力ある自然に囲まれた気分」がわかる‼︎
私が思う山登りの魅力は「自分の成果が一番早く目に見える運動」と「自然の美しさを満喫できる運動」という点だ。
どんな運動でもいくら痩せたのかはそんなに簡単にはわからない。
だが山登りは少なくとも頂上から見る景色で自分が登って来た高さがわかる。
登り甲斐(がい)もすごい。
あと、木、岩、草、花などの自然と触れられるし、美しい色合いも見れるのが嬉しい。
そういった自然を見ていると自動的に神さまに感謝の言葉を捧げるようになる。
こういう自然に囲まれている街に住めること、自然地形を創造してくださったこと、
健康な足で登れること、自然の美しさがわかることなどに感謝する。
周りに「週末には山登りに行きます」というとみんな「体力がすごいね」と言いながらびっくりする。
でも山登りをしたらむしろ元気になって月曜病がなくなる。
山から元気をもらうようだ。普段めんどくさがったことも山登りのあとにはスムーズにできる。
山登りのコツは「最初はゆっくり」だ。始めから思いっきり進むと乳酸が出て筋肉にすごい負担がかかる。
いくら慣れている人でも最初から無理をすると体が重く感じれれる。
準備運動のストレッチをしてゆっくり登れば、だれにでも山登りの魅力を分かってもらえると思う。
今週、あなたもいかが?
エジプト分数
数学の話題が続くが、今回はエジプト分数というもの。
分子が1になる分数を単位分数というが、
ある分数を単位分数の和で表したものをエジプト分数であらわすというらしい。
例えば、 7/15のエジプト分数を求める場合を考えてみよう。
7/15より小さい最大の単位分数は1/3なので、まずこれを引いて
7/15 - 1/3 = 2/15
次に2/15よりより小さい最大の単位分数は1/8なので 1/8 を引いてやって
2/15 - 1/8 = 1/120
でこの 1/120 は単位分数となったのでここまでにして、答えは
7/15 = 1/3 + 1/8 + 1/120
とあらわせた。これを称して 7/15 を「エジプト分数であらわした」という。
どんな分数でもこの単位分数で表せるというからちょっとおもしろいんじゃないだろうか。
筆者もこの方法でいろいろやってみたが、
実際すべての分数は単位分数で表せるみたいだ。
例題として
① 3/5
② 4/5
③ 6/7
④ 9/20
⑤ 12/25
などをやってみてはいかがだろうか。(かなり閑人でないとできないかも。答えは次回のアップにて)。
本庶佑氏_ ノーベル医学・生理学賞
京都大がまたやりました。
本庶佑(ほんじょ・たすく)氏がノーベル医学・生理学賞を受賞。
京都大ゆかりのノーベル賞を受賞した研究者は10人となった。
京大の受賞者はすべて自然科学分野で、同分野だけで比較すると東大の5人を抜く7人。
西の最高学府に位置づけられる京大は、「自由な学風」として知られ、これまでに世界的な研究者を生み出してきた。
なんといってもすごいのは、1949年のノーベル物理学賞の湯川英樹だ。
廃墟の日本に、生きる勇気と力を与えるのに、これ以上に偉大なものはなかった。
湯川英樹のノーベル賞から日本のノーベル賞の歴史がはじまった。
ノーベル賞をもらう少し前のこと。
米国で勉強している湯川の部屋にアインシュタインが入ってきて、
涙ながらに「申し訳ない」と謝罪したという。
(湯川の妻・スミさん言:
「部屋にくるなり、私たち二人の手をとって、涙をポロポロと流しながら、
自分が研究したことが原爆になってつみもない日本人を殺すことになって申し訳ないと言って泣いた」)。
1945年8月の原爆(広島、長崎)投下に対する研究者としての最大の良心からだった。
ナチスに先をこされるとやばいと考えたアインシュタインは、
米大統領に原爆の製造を提案する。
それがすぐ形となったのはいいのだが、
実際に落とされたのは日本だった。
アインシュタインの考えとはまったくちがった結果となったわけだ。
自分が理論を作り(E=MC2)、申し立てまでした原爆。
悪を潰すためのものとばかり考えていたのだが、
いざ使われてみると、それは悪(ナチス)ではなく日本だったわけだから、
アインシュタインの心に中には消そうにも消しきれない悔悟の念が渦巻くことになる。
湯川を訪ねて、涙を流しながらお詫びをし、申し訳ないと訴えたアインシュタイン。
本当の科学者だと思う。
アインシュタインは晩年、量子力学に対する反発が強く、
今の物理学を引っ張る量子力学をニセモノと見ていたフシはあるけれど、
そこは、アインシュタインも人間。
間違いもあるということだろう。
アインシュタインは死に臨んでも、墓を作らないよう家族らに伝えたという。
遺灰は、川に流すだけでよいと。
遺骨は散骨されたわけだがそこに参拝者が訪れることを防ぐために、場所は公表されていない。
プリンストンのどこか近くの川に撒かれたという。彼の墓は作られていない。
靴職人でもしながら、あちこちを流浪する人になりたかったという
アインシュタインの子供のころの「夢」をどっかで読んだことがあるけれど、
最後まで一介の葦として、雑草として生き抜いた偉大なる物理学者であった。
いつの間にかアインシュタインの話になってしまったけれど、
本稿のまとめ。
日本人のノーベル賞受賞者は、2017年のカズオ・イシグロ氏(文学賞)を含めると27人となった。
カズオ・イシグロ氏は日本国籍ではないから実際には26人ということになる。
さらに南部陽一郎氏、中村修二氏は国籍を米国に変えているので、これも除くと24人。
(でも、ま、そんなことはどうでもよいか)。
本庶佑氏が朝日新聞のインタビューで語った、学生時代から追求してきた人生の価値という「6つのC」は、
好奇心(Curiousity)、
勇気(Courage)、
挑戦(Challenge)
確信(Confidence)、
集中(Concentration)
連続(Continuation)」。
だという。