はてなキーワード: 検察とは
街中で突然倒れた人を見かけたら、まず声をかけて反応を確認し、必要に応じて救急車を呼ぶ。そして意識がない、呼吸もないといった状況なら、AEDを使って心肺蘇生を試みる。――これは、学校での救命講習や各種啓発イベントなどで何度となく耳にしてきた基本中の基本だろう。わたしも何度か講習を受けた経験があるし、いざというときに手をこまねいてしまわないよう、頭ではしっかり理解していた。実際、その知識が役に立つと思った瞬間があった。まさか、その行為が原因で後に大きな問題に巻き込まれるとは想像していなかったのだが……。
あの日、わたしは会社帰りに駅前の広場を通り抜けていた。残業続きでクタクタだったとはいえ、そこまで遅い時間ではなかったし、人通りも多かった。目の前で、一人の女性がふらふらと歩いていて、そのままバタリと倒れ込んだのだ。最初は何が起きたのかわからず、周囲の人も「大丈夫ですか!?」と声をあげていた。わたしは少し離れた場所にいたが、一瞬で「AEDが必要かもしれない」と頭をよぎった。
近くに設置されているAEDの場所は、駅前の広場にある公衆トイレの壁に設置されたケースの中だったはずだ。わたしは意を決して走り出した。「AEDを持ってきます!」と周囲の人に声をかけると、誰かが「お願いします!」と呼応してくれた。すぐに赤いボックスを取り出し、倒れた女性のもとへ戻った。
女性は目を閉じ、完全に意識を失っているように見えた。周囲には数人が集まっていたが、どうやらCPR(心肺蘇生法)を施せる人はいないらしく、誰も直接触れることができずに戸惑っていた。わたしはできるだけ落ち着いて「誰か救急車を呼んでください!」と叫び、同時に脈や呼吸の確認を試みた。わたしが医療資格を持っているわけではないが、研修で学んだことを思い出しながら、AEDのパッドを貼る準備をした。
そのとき、女性の服装は薄手のブラウスとスカートだった。AEDを装着するには上半身を露出させなければならない。わたしはできるだけ周囲の視線を遮るように上着を掛けるなどの配慮をしたつもりだった。そしてパッドを貼り、「解析中です」という機械のアナウンスに従いながら、電気ショックが必要と判断されたタイミングでボタンを押した。まるでテキストで習った通りの手順だった。
しばらくすると、女性はうっすらと意識を取り戻し、救急隊員が到着。たしかに緊迫した状況ではあったけれど、結果的にはAEDが功を奏したのか、彼女は命を取り留めたようだった。救急隊員が女性を運び出すとき「応急処置ありがとうございました」と言ってくれたのを覚えている。わたしは内心、ほっと胸を撫でおろしたし、自分がやったことが正しいはずだと信じて疑わなかった。
ところが、それから数日後、衝撃的な出来事が起こった。わたしが会社で仕事をしていると、受付から内線が入り、「警察の方が訪ねて来られています」と呼び出しがあった。慌てて応対に出ると、どうやら先日のAEDの件について話を聞きたいという。救助活動に関して事情聴取をすることがあるのは知っていたから、そのときは「あの日の状況説明かな」と思い、素直に協力するつもりだった。
しかし、警察署で説明を受けて初めて知ったのは、「助けた女性がわたしを訴えようとしている」という事実だ。正直、意味がわからなかった。そのときわたしに与えられた情報では、彼女が主張しているのは「不必要に胸を触られた」「身体を晒されて恥ずかしい思いをした」というものらしかった。わたしはAEDを使用するためにやむを得ず、服をめくり、胸にパッドを貼っただけだ。わいせつな目的などあるはずもない。警察の担当者からは「いまはまだ疑いの段階で、詳しく事情を聞かせてください」と言われ、まるでショックで頭が真っ白になった。
訴えられると言っても、すぐに裁判になるわけではない。まずは警察が事実関係を捜査し、検察に送るかどうかの判断が下される。その流れ自体はニュースなどで聞いたことがあるが、まさか自分が当事者になるなんて思いもしなかった。警察の取り調べは冷静で丁寧だったが、いざ尋問されると「AEDが必要だったんです」と言いながらも、自分がきちんと説明できているのか不安でたまらなかった。どんな些細な言葉尻を捉えられて、好ましくない形で記録されるかわからないからだ。
わたしが行った行為は「緊急避難」「正当行為」という文脈で正当化されるはずだ――多くの人がそう言ってくれた。会社の同僚や友人も「むしろ表彰されるようなことだ」「訴えられるなんて信じられない」と口々に励ましてくれた。それに救急隊員も「早い段階でAEDを使ってもらったことが幸いだった」という言い方をしていた。だからこそ、訴えられること自体が理解しがたいし、憤りすら感じる。
当の女性は、倒れたときの記憶が曖昧なまま搬送され、その後で周囲の人から「胸をはだけられていた」「男性が服を脱がせていた」といった断片的な情報を聞いたのだろう。さらにその“目撃情報”の内容が正しく伝わっていない可能性もある。結果として、「あの人に性的な意図で身体を触られたのかもしれない」という不信感が芽生え、誰かの入れ知恵もあって警察に訴えるという流れになったのではないか……そんな推測をするしかない。本人から直接話を聞ければいいのだが、今は弁護士を通じた対応しかできないとのことだった。
その後、警察での事情聴取は何度か続いた。具体的な手順を改めて説明するたびに、「AEDのパッドを貼るために胸を露出させる必要がある」「女性の場合は下着を外す、またはずらしてパッドを貼ることもある」といった、あまりにデリケートな部分の話を繰り返さなければならなかった。担当の警察官は専門知識を持っていて理解を示してくれたものの、自分自身のことをどこか客観視してしまうというか、いつの間にか「本当にやましい気持ちはなかったのか」と自問してしまう始末だった。わかっているのに、言葉を尽くしても、どこか孤独な気分になる。こういうのが"疑われる側"の心理なのかもしれない。
さらに、女性の代理人からは「意識のない状態で胸を晒されたことに強い精神的苦痛を感じている。損害賠償を検討している」といった内容の通告もあったと聞いた。その文言はわたしの耳に「感謝ではなく金銭を要求する」というふうにしか響かなかったが、本人の主張としては、「意図的に身体を見られたかもしれない」「AEDを使わなくてもよかったのでは」とまで思い込んでいるようなのだ。AEDに関する知識が乏しいまま、自分が倒れていたあいだに行われたことを全て悪意として捉えてしまっている可能性が高い。たしかに医療現場の知識を全く持たない人からすれば、ショックも大きいのかもしれない。でも、それでも納得いかないのが正直なところだった。
わたしとしては誠実に説明し、「あなたが助かって本当に良かった」と伝えたい。しかし、直接連絡を取ることは叶わない。救急隊員や目撃者の証言が集められ、また街頭カメラの映像からも、わたしの行為に「過剰さや悪意はなかった」と証明されるはずだと弁護士には言われている。「AEDが必要のない状況だった」という可能性は極めて低いし、第一、現場の判断としては心停止かもしれない、という最悪の事態に備えるのが当然の行動だ。むしろ何もしなければ、そのまま命を落としていたかもしれない。
結論から言えば、結局は不起訴処分で終わった。それでも、女性の代理人が民事での損害賠償請求を取り下げるまでにはもう少し時間がかかった。最終的には裁判所で「わたしの行為は緊急対応として必要不可欠であったこと」「医学的にもAEDの使用は正当な手段であり、やましい意図がなかったこと」が認められ、相手側も引き下がる形で決着した。長い長い時間と精神的な疲労を強いられたが、無事にわたしの"無実"が確定した形だ。
もしかしたら、「AEDの使用で訴えられたらどうしよう」という話は都市伝説のように囁かれていたのを聞いた人もいるかもしれない。わたし自身、その噂程度には耳にしたことがあるが、実際にそこまで発展するのは極めて稀なケースだろう。しかし、可能性としてはゼロではなかったのだ。女性本人のショックや、その周囲の偏ったアドバイス、あるいは金銭的な思惑が絡むと、こんなにもおかしな方向へ転がってしまうのかと痛感した。AEDを使うことが推奨されているにもかかわらず、こうした事例が広がると、いざというときに誰も助けようとしなくなるかもしれない。それが一番怖い。
今回の経験を通じて、わたしはあらためて「いざというとき、人を救う行動をとるのは大事」だと思う反面、「誤解やトラブルのリスクもゼロではない」ことを強く意識するようになった。だからといって、それを理由に救命行為をためらうのは本末転倒だし、AEDの普及や救命講習の啓発に逆行する。実際、わたしももう一度同じ状況に遭遇したら、必ず行動に移すだろうと思う。命を守るために必要な行為が「訴えられるかもしれない」と萎縮されるような世の中になってほしくないし、そうならないように、どうにか制度や理解がもっと進むことを願うばかりだ。
いま振り返ると、一番辛かったのは「そういう意図はなかった」ということを何度も何度も説明し、あたかもこちらが加害者であるかのように扱われる時間だった。無罪を勝ち取るとか、問題なく終わるとか、そういう言い方では表せないくらい、人を救おうとした行為を否定される精神的ダメージは大きい。世の中にはやはりいろいろな考え方があるし、誰もが医学的知識を十分に持っているわけではない。だからこそ、「AEDを使うときの手順や必然性、プライバシーへの配慮」について、もっとしっかりと周知される必要があるのだと思う。
最終的に女性とは直接会話をすることはなかったが、代理人を通じて「結果的に命を救っていただいたことを感謝しています」という伝言だけが届いた。それが真に彼女の本心なのか、あるいは形だけの言葉なのか、わたしには判断できない。だけど少なくとも、彼女が健康を取り戻したという事実そのものは素直に喜びたい。誰かの命を救う可能性があるAEDの存在意義は、決して否定されるべきではないからだ。
この一連の出来事は、わたしにとって大きな教訓になった。AEDの使い方や救命措置の手順を頭に叩き込むのは大切だが、それだけでなく、助ける側も「法的トラブルのリスク」を認識し、適切な配慮をしたうえで行動する必要がある。現場ではなかなか難しい話とはいえ、できる限り第三者の協力や証人を確保する、周囲の目がある場所で行う、といった工夫も大事なのかもしれない。救助者の立場を守るための仕組みも、行政や社会全体で整備されてほしいと切に願う。
結局のところ、人を助ける行為は尊いが、そこに伴うリスクを完全に排除することは難しい。それでも、誰かが命の危険にさらされているなら、迷わず手を差し伸べる世界であってほしい。わたし自身も今回の苦い経験に折れることなく、次に同じ状況が起きたら、やはり躊躇なくAEDを使うだろう。命を救うために必要な行為を、社会として後押しできるような意識とルール作り――それが進んでいくことを強く願っている。
女の子殺しも、子供があまりにあれ過ぎて殺すことがよくあるが、それでも同情されるのは「woman-are-wounderful-effect」のせいだろうな
この単語は造語ではないのでググれば何を意味するかは普通に出てくる。
要は女性は女性だからなんでも素晴らしく見えて、スキルがあるように見え、同情を集めやすいってこどだ。
だから、今回の事件も嘆願署名が集まるし、尊属事件殺人みたいに検察の大幅割引+裁判官に情状酌量+以後、類似の事件でこの法律が適用されないなんてことになったんだろうな。
尊属事件殺人以前にも毒親が被害者のケースは普通にあったのに、若くてかわいい女性が被害者になって加害者を殺した途端、大幅な減刑がされたんだぜ。
親による子殺し事件に対する世間の対応を見ていてつくづく思うけれど、やっぱり遺族がイコール加害者だと被害者の存在はとことん無視されるよな。
こういう事件を見ると検事として、被害者に代わって犯人を糾弾したかったと思う
弁護士でも被害者代理人にはなれるけれど、それって被害者が生きているか遺族が適切に被害者を代弁してくれる事が前提だし
物言えぬ被害者に対し、本当の意味で親身になれるのってやはり公益の代表者たる検察だけだと思う
検察修習の時に、検察の理念の一つとして『被害者とともに泣く検察』というフレーズを聞いて、検事の仕事に興味を持ったんだよね。
唯一被害者の立場に立って訴訟行為を出来るならば遣り甲斐のある仕事だなあって思って。
検察はとんでもないことしてくれたなあ…
だが、判例として確立した以上、こうやって晒すのも名誉毀損や偽計業務妨害で処罰されるようになるんだろうな。
https://togetter.com/li/2490452
https://x.com/kurumi_nana_73/status/1875215496267915750
https://x.com/chosuke_1kariya/status/1875171435964198936
https://note.com/awokozaizheli/n/n5d19844e936f
某ジュエリーブランドでネックレスを買ってもらったら「ファミリーセール」に招待され強引に売りつけられそうになった
[原告(妻)の主張]
長年にわたり夫からDVやモラハラを受けてきたし夫は育児もほとんど手伝わなかったので離婚して29年の結婚生活を終わらせたい
[被告(夫)の主張]
育児をほとんどしなかったのは事実だがそれは家族のために自営業に打ち込んで来たからである。
逆に夫としても妻が自営業をほとんど手伝わなかったことに不満がある。
[判決]
『現在原告(妻)と被告(夫)との婚姻関係はこれを継続することが困難な事情にあるが、なお被告(夫)は本件離婚に反対しており、原告(妻)に帰ってきてほしい旨懇願しているのであって……(中略)……、被告(夫)が前記反省すべき点を十分反省すれば、いまなお原告(妻)との婚姻生活の継続は可能と考えられるから、原告(妻)と被告(夫)、ことに被告(夫)に対しての最後の機会を与え、二人して何処を探しても見つからなかった青い鳥を身近に探すべく、じっくり腰を据えて真剣に気長に話し合うよう、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認める。』
『訴訟継続中、ひとかどの身代を真面目に作り挙げた被告(夫)が法廷の片隅で一人孤独に寂しそうにことの成り行きを見守って傍聴している姿は憐れでならない』
夫が述べた『妻が充分に夫の世話や家業の手伝いをしない』の不満に、妻は『耳を傾けるべきである』
[検察の主張]
被告人は31歳の飲食店副店長で妻と1歳の子供がいるにも関わらず当時17歳の女子高生A子と淫らな行い(※性行為)を行った。
[被告人の主張]
愛知県の青少年健全育成条例は『専ら自己の性的欲望を満足させるため』の交際を禁止しているが、A子の関係はそのようなものとは異なる真剣な交際であり、条例には違反しない。
[判決]
A子は被告人が既婚者であることを知っており、また妻と離婚するつもりは無いことも聞かされており、騙されていたわけではない。また、A子としても被告人との結婚を望んでいたわけではない。
そのうえで被告人とA子は性行為だけでなく映画やドライブデートをして、またディズニーランドに遊びに行くなどの約束もしていた。
被告人とA子の関係は性行為のみを目的とする関係ではなく、被告人が既婚者であることを除けばいわゆる恋人同士の関係と全く異なるところはないのである。
[検察の主張]
被告人(女性タレント)はBと交際しており、事件の朝方Bの家を訪れた。その時Bの家には、Cという女性がいた。
Cという女性とBとの関係は不明。その後Bは部屋を出て、コンビニにアメリカンドッグを買いに行った。そしてBが部屋に戻ると、被告人とCとがつかみ合いのケンカをしていた。
Bは、Cと被告人がケンカをしているのをみて仲裁に入り、被告人を落ち着かせようとしてドアの外に出した際、被告人がドア(木製)を蹴破ってその穴から通路内へ入った。事件の目撃者が110番通報し、被告人は逮捕された。ドアを蹴破った行為が器物破損に当たる。
[被告人の主張]
被告人はドアを蹴破ったのはBであり自分ではない、またそもそも蹴破った穴をくぐり抜けることはできなかった。なぜならその穴は縦72センチメートル、横24センチメートルであり、痩せた男性なら通れる(警察の実験)が、胸囲101センチで胸部前後径(背中から乳首までの距離)が29センチの被告人は、約24センチの穴を通り抜けることはできない。従って蹴破ってそこから中に入ったという証言も信用できない。
[判決]
審理の結果、胸囲が101センチで、背中から乳首までの距離が29センチある被告人は、横24センチのドアにある穴をくぐり抜けることはできなかったと判断し、被告人の主張を認める。この結果やほかの証拠をみると被告人が有罪であるとは証明できない。よって被告人は無罪
あれって要するに無罪になった医大生二人は限りなく怪しいけど、検察の立証では女性が同意していたと有罪になった方の医大生に騙されていた可能性を否定できないから無罪判決が出たってことで合ってる?
強制性交等罪に戻し、「暴行又は脅迫」(強制性)によって性行為がなされたことが明白に立証された場合に、被告人を有罪とする
しかし以下に該当する事を検察が立証した場合は、強制性が無かった事を被告人側が証明しなければならない(立証責任の転換)
・行為のなされた場所に被害者の自由意思で入室していない(泥酔、暴行、脅迫、拘束等)
・行為がなされた場所に被告人が入室することについて不法侵入罪に該当する
・行為がなされた時に、その住宅もしくは客室に3名以上いた(被害者もしくは被告人の親族は含まない)
・被害者は被告人と、被告人の指示、要求等を断ることが極めて困難な関係であった
<目的>
・刑罰を科することが、人の内心で左右される事に違和感があった。客観的な要件であるべきと考えた。
・一般的なセックスの心理的ハードルを必要以上に上げたくない。むしろ二人きりで家・ホテルに行くことがOKサインとなってしまう恐れがあるため、男女双方にとってハードルが下がるかも。
・女性に対し「異性と同室に二人きりになる」ことの危険性を認識してもらう作用があり、性被害を減らす効果が期待できる。異性の部屋に行くとき(呼ぶとき)は複数人で行こう。
・明らかな性被害を訴えるハードルを下げたかった(立証責任を転換させるから)
立証責任の転換要件に「住宅もしくは客室へ赴く要件の詐称」を入れようか迷ったが、これは男女双方に都合が悪いと判断した。男性は「セックスしたいから家に行こう」とは言えないだろうし、女性も言ってほしくないと思う。そして、詐称の立証は難しい。
覚せい剤を大量に飲んで殺されたってあるけど、和歌山県警の杜撰な捜査で検察も大変な勘違いをしてる
体に入った理由
ケツの穴にぶっこまれて体の中に入ったに違いない
ケツの穴もユルユルってこと
ケツの穴だと苦味は感じないしお尻マッサージとかいってお尻の穴に覚せい剤を塗り込めば覚せい剤中毒になって即死
俺はこれが真相だと思う
一人しかいないな
裁判官も検事も、警察官も政治家も、国民の信任のもとで成り立つ公僕なんだよ。市民の下僕。そこを分かってないと危ないんだよ暴力装置なんだから。
市民がそれらに文句をつけることを「いきすぎ」とか「やりすぎ」みたいに言って声を上げる前から抑圧させようとするバカの言葉に耳を傾けるな。
苦情を入れろ。署名しろ。デモを起こせ。窓を割って火炎瓶を投げて騒げ。この国は年寄りが多いから未だに半世紀前の左翼エンジョイ勢をトラウマに思って、一般人が国家に反抗するのを嫌う奴隷根性の染みついたような言葉が幅を利かせてるけど、声を上げなきゃ「そんな声はなかった」ことになるんだよ。歴史に傷をつけろ。擁護する奴は擁護する奴で声を上げればいいんだ。相手に「声を上げるな」と言うのは違うだろ?
一般人に検察や裁判所のシステムを全部理解して勉強してから話せと言うのは横暴だ。市民には自分勝手に蒙昧な意見を掲げる権利がある。そうじゃなければ国政選挙なんてできないだろ。
誰でも意見を自由に言えて、その上でどうするか精査して判断する機構があるんだよ国の機関には。それを信頼して言いたい放題言おうぜみんな。