はてなキーワード: 間延びとは
ソシャゲがまず外れるだろう。
ソシャゲというシステム自体を憎んでいるプレイヤーが少なからずいるし、可処分時間の奪い合いが激しすぎて結果的にプレイヤーが各ゲームに分散しておりどれも主流となれていない。
家庭用ゲームも同じように外れるだろう。
ソシャゲと客を食い合っているし一つのゲームが奪う時間が多すぎるし、何よりも最もメジャーなハードが抽選方式という時点でアフターバベルである。
PCゲームも当然外れるわけだ。
まずPCを持っているのが少ない。ADSL時代に増えた家庭用PCもスマホの普及で萎んでいった。
一作にかかる時間は少なくとも数が多すぎるしジャンルの細分化が激しい。皆がジャンプを読んでないし、鬼滅や呪術をグロいからとスルーする人間だっているのが現状だ。
とにかく決定的な傑作が出せていない。未だにまどかやエヴァがトップランカーであり、漫画原作は原作と比べてアニメ化が遅すぎて熱が冷めきっている。
1話1時間という長さが間延びした印象を与えるし、そもそも事務所都合のつまらない作品が多すぎる。時折映画がバズっても次の弾がないから語り尽くされたらもう復活の目がない。
一時期の伸び率は高かったが、そもそも他人に興味のない奴が多いオタクの中には全く刺さらない奴が大勢いたため見た目よりもパイが少なかったというオチであろう。
エコーチェンバーが発生しやすい性質によりそれぞれの分流が混じり合う度合いが少なくなり、結果的に巨大な一つの共有幻想を作り出す存在とは足り得なくなっている。
掲示板は役目を終えた。
もはや半匿名の空間を活用する程度の人間性さえない異常者が集劣化版SNSでしかなくなっており、少し悲しい。
なんと恐ろしいことだろう。
だが、今やそれらのどれもが主流足り得ない。
最近、高市早苗が論戦から逃げ回っているのを見て、「さすが安倍の愛弟子」「安倍晋三と同じ逃げの姿勢」なんてコメントを投げているブクマカをよく見かける。
あらかじめ断っておくが、俺は安倍晋三を「日本の民主主義を破壊した史上最悪の宰相」だと思っている。だが、その「壊し方」の解像度が低すぎると、今起きていることの本質を見誤るぞ。
いい機会だ。安倍晋三と高市早苗、この二人の決定的な「質の差」について書いておく。
安倍晋三の答弁を思い出してほしい。
あのお馴染みの「意味のない質問」「ご飯論法」の数々。確かに彼は論理的な対話が壊滅的にできなかった。というか、端から「論理的に答えよう」なんて気はさらさらなかった。
彼が徹底していたのは、以下のメソッドだ。
これ、一見すると「頭が悪いからできない」ように見えるし、たぶん実際そうだが、
彼は「官僚機構の拡声器(マネキン)」に徹することで果たすべき役割を明確にしていたんだ。
安倍晋三の恐ろしいところは、自分の思想や「俺が説明してやる」というエゴを、答弁の場では完璧に殺せたことにある。
彼が時折見せる極右的な発言すら、実は質問時間を浪費させ、議論を迷走させるための「フレームワーク」に過ぎなかった。
中身は空っぽ。だが、官僚が練り上げた「法案を通すための模範解答」を機械のように反復する。自分の言葉で語ろうとしないから、ボロが出ない。官僚にとってはこれほど扱いやすく、かつ強固な防波堤はなかっただろう。
これが彼が完成させた、民主主義への最も効率的な攻撃手法だった。
翻って、高市早苗はどうだ。
彼女は安倍晋三にはなれない。なぜなら、彼女には「私は優秀だと思われたい」「自分の言葉で論破したい」という、抑えきれない自意識(エゴ)があるからだ。
日本のポップミュージックは、海外のものと比較して音を詰め込みすぎる傾向がある。
それは両方のヒット曲を聴き比べると、明確に差があることが分かると思う。
ではなぜそうした差が生まれたのか?
能では沈黙がいちばん緊張しているし、尺八は音と音のあいだに呼吸が流れ、雅楽に至ってはテンポという発想自体が曖昧で、音が空間に置かれていく。
前近代の日本音楽では、「何も起きていない時間」は欠落じゃなく、ちゃんと意味のある時間だった。
現代ではどうか。
日本のポップ音楽は、伝統音楽から地続きで育ったわけじゃなく、西洋音楽の完成形を途中から一気に輸入した。
しかも、そのとき一緒に入ってきたのは、宮廷や教会、労働歌といった社会的文脈じゃなく、拍子や和声、構造といった「技法」だけだった。
西洋近代音楽は、拍が明確で、時間が前に進み、構造によって曲が運ばれていく。
その形式だけを制度と教育で取り込んだ結果、「音楽は止まらず進み続けるもの」という理解が強くなった。
ここで「間」は、共有された前提ではなく、不安や失敗の兆候として扱われるようになる。
ライブや放送、商業の場では、沈黙は事故に見えてしまうからだ。
日本語は母音が多く、英語のように子音でリズムを切ったり、溜めを作ったりしにくい。
その結果、隙間を作るより、音数で埋めるほうが安全になる。
さらに、日本のポップでは長いあいだ、メロディの複雑さや歌詞の情報量、転調や展開の多さが「技術力」や「親切さ」として評価されてきた。詰め込むこと自体がサービス精神、という感覚だ。(この辺りは、チラシデザインにおける情報の詰め込みとも関連していると思う。)
はじめに。
内容はまったく肯定的でないです。
本文中、主語がざっくりしている箇所がありますが、この文章の目的上、「アニメ銀八を楽しめていない〇〇」であることを含みおき下さい。
楽しんでご覧になっている方や、銀八や銀魂が大好きで面白い面白くないは関係ないんだという方はご気分を害される内容のはずです。
自分自身の気持ちの整理や一感想として残しておくこと、また、同じように感じている方に届けばいいなと言う気持ちで書きました。
したがって、作文の程度は低いものですので、お目通しになる際は、可読性についてはご容赦ください。
よくある5段階評価を付けるなら、決して星2を超えない。
星1ではなく2なのは、声優さんの演技や製作の苦労といった、クリエイターへの“同情”から。
まるちばーす祭りもライビュを昼と夜の両方見に行ったり、銀八放映開始を本当に楽しみにしていた。
それがどうして低評価となったのか。
Xやレビューサイトで評判を調べれば、多くの人が次のように口を揃えている。
「テンポが悪い」
賛同する。
「ギャグが滑っている」
「銀魂本編のノリと違う」
これも確かに言える。
何故こんなふうに言われるのか。
まず、『銀八先生』シリーズの原作小説は空知先生ではなく、大崎知仁先生が著されている。
ギャグの雰囲気に違いを感じる人がいるのは、書いている人が異なるためもあろうと理解できるが、私が読んだのはシリーズの折り返しまでであるものの、原作小説も十分“楽しめる”内容とクオリティだった。空知先生も「(ノベライズの内容は)銀魂そのものだ。自分の代わりに大崎先生に書いてもらうことにする」と冗談めかしながらも太鼓判を押していたくらい。
元は普通の小説を書かれる作家さんであることは、銀八本文内の表現や言い回しに滲んでいる。だから、文体をあえてここまで落として、よくあのハチャメチャな作風を文字として表現できたなと、私は銀八原作小説を結構高く評価している。私が読んだのが半ばで止まっているのは、その“あえて落とされた文体”が個人的に合わず、読むのに大変な体力を使うからで、内容の退屈さからではない。
なので「原作小説からそもそも面白くなかった」という声は、この若年層向けの文体が合わなかったものではないかと推察している。こう言っているのは、高校生以上の読書慣れした人が多いのではないか。小中学生なら取っ付きやすくハードルの低い文体だと思う。
だから「ギャグが滑って」「面白みを感じない」のは、場面転換や時間経過表現、セリフとセリフの間の妙なテンポの悪さが寒々しいからではないだろうか。その寒い所へBGMのアシストもないので、笑わせるつもりのネタも響いていかない。そうして場がシラケるような気まずさを視聴者に与えるのだろうと思った。
では、何故テンポが悪いのか。
文字ベースの原作小説をアニメにすると恐らく尺がギュッとして足りなくなる。これを30分枠で一本の作りにしているため、間が持たずタラタラしてしまうのではないだろうか。
割り切ってAパートとBパートで分ける、クレしんのような形式にすればここまで間延びはしなかったのではないか。何話目か忘れたが、この構成の週は間延び感が緩和されて感じたので、的外れな発想ではないように思う。
さらに、原作小説そのままでは尺が足りないのであれば、元を削るようなことはせず、アニオリはその不足分を充填する要素として用いればいいのに、何故か原作小説の内容を削ってアニオリを入れてくる。これが面白いなら構わないが、面白くないから賛否別れるハメになっている。
複数のレビューで同様に見られた表現が「二次創作みたい」というもの。これには唸った。
例えば2話か3話のアバンで、銀八が生徒らが幼児化や獣化する白昼夢を見る。正直公式のアニメにそういう供給は求めてない。
見るのはオタクばかりじゃない。天下のWJの目玉漫画でギャグの人気が高いんだから、漫画が好きな普通の人たちも読んでいたしアニメも見ている。評判を調べていても「懐かしいと思って見てみた」という人も多い。
そうした需要の様相に対して、特定の、狭いニーズに向けたようにも感じられるショタ化ロリ化、ケモ化といったイロモノネタは面白くないどころか笑えないとさえ思える。
銀魂アニメのアニオリは、いい意味で、空知先生と同年代か少し上のおじさんたちが、おじさんホイホイやキワキワの下ネタでアニオリを突っ込んでくれていたので、作品との相性が良かった。しかし今回は監督も脚本も女性で、恐らくそうした方面への解像度が以前の上流工程陣ほど高まりにくいのではないだろうか。
銀魂アニメの監督さんたちは現在50代前後の男性で、彼らの子供時代にはまだ家庭科授業は女子だけというような区分があった。男女で見えるもの、培えるものに今よりも差があったことは想像しやすい。
加えて、キャラクターの扱いや動かし方といったものも雑だ。分かりやすいところだと高杉や土方。
頬をこけさせ好物を吸引する土方が、バケモノのように揶揄され、その姿をくどく使いまわしていたところや、ギャグを放とうとして滑り散らかす高杉というネタも、それしか弾がないかのように繰り返し繰り返しで、大変しつこかった。大抵の繰り返しネタは二回、内容や出来によっては三回程度なら繰り返していいが、この浅さで動かされるキャラクターネタを二度三度見せられるのは御免だと思った。
深夜放送とはいえ学園設定、学生ものであるゆえに、昨今のコンプラ意識の変容による縛りを余儀なくされ、表現の幅・深度に制約があることも考えられるが、どちらにせよ、アニオリ部分に面白みを感じられない。
「そういうのは二次創作でやる」というやつだと思う。公式なら、ちゃんとキャラを動かしてほしい。
従って、全体的に惜しさ、つまらなさ、退屈さ、以前のアニメとの差異を覚える流れは以下のセットだと推測。
音の乏しさ。テンポのもたつき。イマイチ乗らない視聴者の気持ち。シラけ、空回りした空気。キャラクターの掘り下げの甘いネタ。さらにシラケる視聴者の心。以下ループ。
声優さんの変わらない演技とプロ意識、及第的な作画で体面は保たれているが、原作小説の履修、未履修に関わらず、自然のうちに期待のハードルが上がっていたものが銀八アニメでは叶えられなかったということなのだと思う。ましてや、まるちばーす祭りなど、公式サイドが気流を上げまくっているのだから、期待値とともにハードルは上がって当然だ。
1話のアバンでも確かにこの事については触れていた。「渡されたバトンが重い」と。
でもね、と。
これについても言及したい。
プロが、クオリティの担保をできないことを、いくらやりたい放題ギャグ作品であろうと、「別物だと思って」と言い訳めいた建前を設けたことには、はっきり拒否感情を覚える。
確かにメタさは銀魂の醍醐味のひとつだ。けれど、これまでよくネタにされてきた、オマージュをやって色んな偉い人に怒られたというメタエピソードは、視聴者を楽しませるためにギリギリアウトのことまでした結果、BtoB的にはひんしゅくを買ったという話なのであり、今回のように、BtoCで十分な提供が出来ないことを言い訳がましく置き石するようなネタとは性質を全く異にする。例えば環境が整えられる状況でなかったとか、無理な予算や納期で進行していたという話はエンドユーザーには関係の無い話である。製作者らで談義したり解決すべき話なのであり、消費者をそれに巻き込まないでもらいたい。
ちなみに、銀魂アニメの時のような、外部のひんしゅくを招きかねないリスクを再びなぞってほしいと言っているのではない。あれらの話は、何度頭を丸めようが、額を床に擦りつけようが、立ち続けられたプロデューサー、その他製作の偉い方々の多大なる自己犠牲の上に成り立っていた。彼らが笑い話として盛り込んでいても、それはご本人の類い稀なる胆力、相手方や周囲の理解と協力によって我々に届けられていた。だから、また同じことをして笑わせろと要求している訳では無いことだけは、忘れずに言い置いておきたい。
山崎ががんばる話でした。地上波でもつい先日放送されたみたいですね。
日本語のラップがダサいとはよく言われるが、個人的にはもっと広げて歌全般で日本語はダサいと思う。
例えばクリスマスが近いから『きよしこの夜』を例に出す。英語が「Silent night, holy night」とワンフレーズでも密度があるのに対し、日本語だと「きーよしー、こーのよーるー」って間延び感が凄い。
子音のほとんどに母音がくっつく言語(開音節言語)で一音に一文字しか当てられないからか、すごくもったりしてる。
アナ雪の「レット・イット・ゴー~ありのままで~」も日本語verが一番歌詞が薄いらしい。
「元が英語の曲を和訳したらそりゃダサくなるでしょ」と思われそうだけど、元から日本語の曲もダサいと感じる。
何なんだろうね?
レコメンドで流れてきた次やったら殴るがかなりいい。
とことん情けない。
パンクロックみてえなやつなのかな、と思ったら良い意味で裏切られた。
こんな曲の名前で、言葉選びも尻下がりにひょろひょろ間延びする声も、コイツは絶対に殴れないだろうと確信させてくれる。
沸々と湧く苛立ちというかモヤモヤを音にしたようなギターリフは、でも激しく爆発はしなくて、サビ(?)のとぼけたギターがまた悲哀を煽る。
内省の流れも他人へのムカつきからむしろ自己嫌悪に向かって、結局自己弁護というか殴らない、殴れないことへの言い訳ばかりになってるような。
大体殴れる奴は次とかじゃなくて、殴ろうとした時にはもう手が出てるんだろうな。
無敵の人とか言ったってそう簡単に捨て身になんかなれやしなくて、せいぜいネットでガチャガチャ喚くのが関の山というか。
いやこの歌のコイツは譲れないもののために殴ろうと思う訳だけど、にしたってやっぱり人はそう打撃マンにはなれない。
でもまあこれが社会の立ち回りだぜ、賢さだぜ、理性だぜ、みたいな方面の負け惜しみじみた正当化で溜飲を下げる方に行かないのもまたいいね。
色々思う所はあって反芻してみても、結局行動にならなくて、外に出なくて、誰にも見えない。それが一番情けないのかとしれない。
そんな気持ちを曲としてまとめて出すのは、それはなんか良いよなって思う。保健体育の「昇華」の図そのものという感じがする。
まあ曲書いた人がこういう事思う人なのかは知らんけど。
どうせ意気地のないザコはこんなような事考えてんだろうな、でこれを出力出来るのだとしたら、それはそれでかなり凄い。
でもまあ、度合いにこそ差はあれこんなようなこと誰だって思ってんだろうな。
某港区のやつ
脚本がつまらないとか、そもそも企画がつまらないとかは置いておいて。
明らかにカメラ演出の基礎知識もないド素人が、生成したシネマティックフォトを適当に動かして切り貼りしてつなぎ合わせて作ってる。
そのために、映像に緩急がなくリズムが単調で間延びしていて盛り上がりにかける。
その上、なんの意図も感じられないズームやパン、スローモーションが多用される。
パワポ覚えたての学生が、スライドの切り替え全てにエフェクト入れるような感じ。
さらに視聴者が忖度して読み解かないといけないシーンが多すぎる。
とくに会話シーン。
「なんか背景の質感が違ってどうみても同じ場所にいるように見えないけれど、この三人は今同じ場所にいて会話しているんだろうな」みたいな忖度が必要になる。
せめて、会話の前に登場人物が同じ場所にいることがわかるショットを入れてくれればいいのだけれど、まぁこれは技術的に難しいのかもしれない。
ただ、イマジナリーラインとかがぐちゃぐちゃなので、てんでバラバラの方を向いて会話しているように見えるシーンが多くて全然頭に入ってこない。
206 メロン名無しさん sage 2025/07/21(月) 17:47:40.72
鬼滅見てきた
219 メロン名無しさん sage 2025/07/21(月) 18:01:34.80
アクションも大したことなかったけどキャラの芝居がいくらなんでも省力すぎた
会話に限らずバストアップでの切り返しみたいなのが多くておおよそ映画のコンテじゃねえ
詰め込みすぎて間をとれないとかじゃなくて全部台詞で説明してるから間延びだけはしてるし
223 メロン名無しさん sage 2025/07/21(月) 18:05:11.12
アクションも摩訶不思議空間も別に生かせてなくてジャンプ映画にある広場でのアクションとあんま変わらんし
回想挟みまくるのもウザいし次はもうイホウ待ちでいい
235 メロン名無しさん sage 2025/07/21(月) 18:14:17.96
何よりもレイアウトがテレビと変わらない映画見続けるの苦痛だなって思いました
決しておにまいとか瑠璃の宝石の1話みたいなちんごがかなりチェックしてレイアウトバチバチ決まってるテレビアニメじゃなく
以上鬼滅の感想です
最近もたまに流れて見ることがある。
今挙げられるだけでこれだけある。
今夜はナゾトレ
東大王
「ネプリーグ」かもしれない。
簡単でも難しくもなく、真剣さと笑いのバランスがちょうどいい。
難しすぎる問題は、漢字の最後の問題くらいであとはちょうどいい。
さすが長寿番組な。
他の番組も悪くはなかったけど……。なんかバランス……ちょうどよさが悪かった。
簡単すぎたり難しすぎたり、誰かをバカにするような感じだったり逆に敬いすぎたり。
・雑学系
たまに知っているものもあるので答えられると嬉しい。
ただ常識的な問題を間違えると引かれるのであまり観たくはない。
・難問系
私が解ける問題は無い。
たまに入試の問題が出て、受験時期にそれを観ていて解けないと心配される。
・発想・ヒラメキ系
知識がいらず、発想で挑む。
知識がいらないのはいいのだが、なんか番組の全体として問題数が少ない気がする。
その他
調べていて思ったこととか
なんか事件があって、それが影響しているらしい?
一方、有名大学の学生を主体としたクイズ番組に対しては「過度な学歴信仰を煽る」という批判もなされた。例えば池上彰は、2022年に発生した東京大学前刺傷事件を受け、「東大生がいかに物知りかを強調した番組だったり。そんな番組が増えてきたことにあきれていたのですが、こんな事件が起きてしまうのを見ると、黙ってはいられなくなりました」と述べ、民放各局の番組制作姿勢を非難した[9]。
ハイクオリティアニメで初見のわくわくを体感したいので原作は読んでない。
でもなんか、ストーリーが間延びしてて、拍子抜けしてしまった。ほんとは何回かリピートしようとおもってたけど、もういいかなあってなった。
迫力あるバトルを大画面で楽しみたいのに、盛り上がってるとやたら長い回想が挟まってきたり、バトル自体もなんか拍子抜けだった。(結局 猗窩座倒せてはいないじゃん…みたいな)
なんだろう、確かにあの映画を見ると、結局鬼殺隊に倒されなかった 猗窩座かっけー!とか、恋雪ちゃんかわええあんな彼女ほしいとか、冨岡さんかっけー!とか、善逸かっけー!とか、童磨好きー!とか、しのぶちゃんかわええー!蜜璃ちゃんかわええー!とか、それぞれのキャラのことは好きになるんだけど、一つの作品としてまとまりがあって面白いかと言われると、なんかとっ散らかってて、どこに感情を入れてみればいいんだろうみたいな宙ぶらりんな、消化不良な気持ちになってしまった。なんというか、やたら絵がハイクオリティなショート動画まとめを見てる気分だった。