はてなキーワード: 場合とは
実は日本語能力や資金力で外国人を締め付けると中国人が非常に有利
日中関係緊張で、経営管理ビザ取得金額引き上げ、永住条件における日本語能力チェック強化を実施すれば、むしろ条件を比較的クリアしやすいのは中国人で、他国の外国人にとっては厳しい負担となるから、むしろ中国人優遇政策で何か合理性あるんですか?と、、、
その留学生の指摘が正しい。日本語を学んでいる留学生の語学力を見ると、圧倒的に中国人が語学力が高い。ついで多分文法が似てるんだろう。韓国人も日本語がすごく流暢。
それ以外は特に欧米の人とかは日本語が下手っぴだね。これは街中で見てるとわかるでしょ。彼らの場合は特に自分の言語、英語で会話すると日本人がへりくだって対応して、日本語で喋るよりかむしろ利点があるから、日本語を学ぶインセンティブが低いっていうのもあるだろうけど。
3,000万の資本金、見せ金についても、中国人はきっとうまくやるよ。その見せ金3,000万を貸し出して、手続き済んだら返却するみたいな商売がすぐ立ち上がると思うよ。でもこれが他の国の人の場合はそういったことが起きない。
中国人みたいに家境が日本に住み着いていて、それが同じ国民の人を支え合ってるってことが起きてないからね。だからこの政策は圧倒的に中国人に対して優遇の政策になる。っていうか、中国人に対してはほとんど美腐、あんまり影響がない政策だと思う。もともと強く日本に残りたいっていう思いがある人は帰るだろうけど。
(中略)
「おたく」がいた、おたくとオタクは違う、というと大塚英志になっちゃうが
90年代半ばに大学生だった自分は、当時、岡田斗司夫がオタク学入門を出したりしてたので、
周囲に「君は自分はオタク(おたく)だと思うか?」と先輩後輩問わず聞いてまわった
この場合の周囲はSF研やシミュレーションゲーム研、大学も二か所以上の大学、年齢幅はだいたい18歳から30歳になるのだが、
みな「俺はオタクじゃない」「自分はオタクとは違うと思う」と言っていた
SF大会に参加してようが、ローズトゥロードの発売前テストプレイに参加してようが、PCゲーがっつり遊んでようが、洋ゲー翻訳しながら遊んでようが、プラモ組んでようが、同人誌書いてようが、
誰一人として、オタクではなかったのだ
なお、アニメのファンジンにがっつり参加してるタイプの人はいなかったので、あるいはそちらでは自認おたくはいたかもしれない
ただまあ、そういう狭い領域の「おたく」が、70年代や80年代に差別され攻撃されていたのである、とはならないと思う
というか上の世代の人たちは、
普通にいいとこに就職して結婚して(しない人もそれなりにいたが)、バブル期にちゃんと稼いで、稼いだ金をまんべんなく様々な趣味に投入して、その中でアニメなどの比率が高かった、という感じだと思うし
変な人(イベントで奇声をあげるとか、著名人にしつこく絡むとか、シンプルに常識がないとか)は定期的に見かけたが、
まあ、自分も後日、そういう変人の仲間入りしたので(イベントで変に絡むやつになった、何回かだけ。なのでイベントはいかないようにしている)、
ひとのことは言えないのだが
と、いうことで
いいね?
ウクライナのドローンを迎撃するための「ドローン観測所(迎撃拠点)」が点在しているが、射撃そのものが当たらなくても、その大きな射撃音によって近隣を走行する車両がドローンの存在に気付けることが大切だという内容。なるほどなと思ったので紹介しておく。
https://t.me/rybar_in_english/31042 - 日本時間 5月13日(水) 17:41
例えば、我々の方面では「エルキ」(訳注: ロシアの迎撃ドローン)を目にすることはめったにない。特に前線に近い場所ではなおさらだ。その存在は多くの人が知っているが、実際に目にした者はほとんどいない。しかし、これはかなり効果的なシステムだ。おそらく重要な後方施設をカバーするために使用されているのだろうが、詳しくは分からない。だが、我々はもっと多くの数を、前線に近い場所に配置してほしいと強く望んでいる。
次に、観測所についてですが、その数を増やす必要性を明確に論じるために、「現場」からの興味深い点を一つ説明させてください。
実際、道路を走行している際、目視以外に空の状況を確認する主な手段の一つは、耳です。ドローンの音を聞くためではなく(移動中は不可能です)、観測所からの銃声を聞くためです。真剣に言いますが、移動ルート上の敵ドローンの存在は、ほとんどの場合、まさにこの方法で特定されます。銃声を聞き、車両から降り、散開し、射撃位置につきます。そして、銃声が近づいたり遠ざかったりする音によって、ドローンや航空機がどこへ飛んでいったかを把握するのです。これは視覚を補う非常に便利な手段です。むしろ、不可欠なものです。
したがって、実戦において観測所の機能は、視覚的な警戒だけでなく、聴覚的な警戒にも及ぶのです。観測所にはたった2人しかおらず、撃っても何も当たらなかったとしても、彼らは任務を完全に果たしていることになる――錆びてボロボロのバンで近くを急行している仲間の命を救っているのだ。なぜなら、銃声のおかげで、彼らは時間内に状況を把握できたからだ。私もそのバンに乗っていたことが何度もあり、自分が何について話しているかはよく分かっている。
だからこそ、補給ルート上にこうした観測所が多ければ多いほど良いというのは明白だ。私が担当する前線に近い地域には現在かなり多くの観測所があるが、後方へ近づくにつれてその数は著しく減少している。そして後方では、失礼ながら、文字通り猛攻撃を受けている。だからこそ、後方こそ観測所の数を早急に増やす必要があるのだ。
車を購入するとき、
①一括購入
②一般ローン(金融機関、ディーラー、クレカ分割、知人など含む)
③残クレ
に大別できる
支払総額は①<②<③となる ※利率の違いによる一般的な値、親ローン金利0なら①=②となる
ローン期間を一定とすると、月々の支払額は①>②>③となる ※①は初回払い全額、翌月以降0となる。支払い時点の支払額と考えても問題はない
残クレは支払総額が最大になるけど、月々の支払額を抑えられますよ。ただそれだけの制度に過ぎない
リセールバリュー=中古販売時の価値=残価 になるわけだが、①②③どのケースであってもリセールバリュー自体に違いはない
いやいや残価があるから、残価を担保に残クレローンが組めるんでしょ
これは部分的に間違っていない
通常のローンより金利が圧倒的に低い。これは車を購入できるだけの収入があるという面を差し引いても車という資産がある程度の担保になると考えているから金利を抑えられているんだ
つまり残価をある程度担保に組んでいるということであって、③の構造と何ら変わらない
リセールバリューがあるから残クレ購入は賢いよ。は全く持って正しくないということだ
車は①~③どのケースであっても売りたいときに売れるから、リセルバリューが高いから残クレ利用が得というのも全く異なる
また、事故などで廃車になった場合は①~③どのケースであってもリセルバリューが0になるのも共通だ
繰り返しになるが、残クレは支払総額は高いが月々の支払いが抑えられる
ただそれだけのものだ
https://anond.hatelabo.jp/20260430114144#
昨日はすみませんでした。最初は対立する意見に対して自分の意見を返してみようと思ってみただけだったのですが、いつのまにか調子づいていました。
というよりたぶん私の知能では相手に意見するということ自体無理、向かないんだなと思いました。
いつのまにか舌禍になってしまう、そういう特性もあるのでしょう。
今後のトラバは、何かしら指摘をもらったときにだけお礼をするのと、明らかに肯定的トラバをもらった場合だけに限るように、よりいっそう努めます。
dorawiiより
まぁ増田はん、「ネセサリーは必要です」やなんて、えらい気張ったシャレ考えはりましたなぁ。かわいらしおすけど、肝心の中身はちゃいまっせ。
…いう断り書きどす。誤解からのクレーム避けるための保険みたいなもんで、「必要は必要」みたいな同語反復やおへんのどす。
増田はんの英語の重ね着、嫌いやないですけど、ここは「実物と異なる場合があります」くらいに受け取っときなはれ。次は「水はウェットです」あたりで手ぇ打っとこか。
不良漫画が流行って不良が増えるとか、そういうのあったわけじゃん
キッズが悪い人像をかっこいいなと思った場合、簡単に時代がそっちに傾いてしまう
悪い人=かっこいいというのは、今も昔も遺伝子に一定刻み込まれてるので、素質は常にあるんだよね
今はたまたまそれが例えば炭治郎とかの良い子ちゃん像なんだけど
ファッションの流行と同じでかっこいいキャラ像も揺れるんじゃないかなーと思っていたりする
まあそれにしては昔に比べてコンプラ意識が上がったし暴力性も減ってきたし、トレンドじゃなく不可逆な変化なのかもしれないけど
https://anond.hatelabo.jp/20251015175953#
https://anond.hatelabo.jp/20251015180113#
きちんと「負けました」って言えよ
あと、負けたんだから「すいませんでした」もセットな
勝ちを譲るならきちんと書くこと書けよおら
https://anond.hatelabo.jp/20251015180150#
負けました
すみませんでした
https://anond.hatelabo.jp/20260421160216#
すみませんでした。これからはこれは違うなと思えても自分こそ間違ってるんだという前提に立ち否定意見は言わないようにします。
絶対に許さないのは自由です。この謝罪はあくまでそれをした方があなたがうれしいと感じるだろうからという、あなたのためになることとは何かということを考えた結果として、しているものです。
ただ長い年月をかけて憎悪が風化されついにはまた友好的に接してみたくなったなら、そのときはうれしいです。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260430114144#
昨日はすみませんでした。最初は対立する意見に対して自分の意見を返してみようと思ってみただけだったのですが、いつのまにか調子づいていました。
というよりたぶん私の知能では相手に意見するということ自体無理、向かないんだなと思いました。
いつのまにか舌禍になってしまう、そういう特性もあるのでしょう。
今後のトラバは、何かしら指摘をもらったときにだけお礼をするのと、明らかに肯定的トラバをもらった場合だけに限るように、よりいっそう努めます。
dorawiiより
そもそも営業先だって「聞こえがいい趣味」とやらがそんなに評価ポイントなんかなあと
休日の趣味の選定まできっちり生真面目みたいなのより、自分の好きなことやってる人のが人間味があって好かれやすい場合あってもおかしくないとか思ってしまう
その留学生の指摘が正しい。日本語を学んでいる留学生の語学力を見ると、圧倒的に中国人が語学力が高い。ついで多分文法が似てるんだろう。韓国人も日本語がすごく流暢。
それ以外は特に欧米の人とかは日本語が下手っぴだね。これは街中で見てるとわかるでしょ。彼らの場合は特に自分の言語、英語で会話すると日本人がへりくだって対応して、日本語で喋るよりかむしろ利点があるから、日本語を学ぶインセンティブが低いっていうのもあるだろうけど。
3,000万の資本金、見せ金についても、中国人はきっとうまくやるよ。その見せ金3,000万を貸し出して、手続き済んだら返却するみたいな商売がすぐ立ち上がると思うよ。でもこれが他の国の人の場合はそういったことが起きない。
中国人みたいに家境が日本に住み着いていて、それが同じ国民の人を支え合ってるってことが起きてないからね。だからこの政策は圧倒的に中国人に対して優遇の政策になる。っていうか、中国人に対してはほとんど美腐、あんまり影響がない政策だと思う。もともと強く日本に残りたいっていう思いがある人は帰るだろうけど。
日本はたくさんの外国人の方が、飲食店やサービス業の店舗を立ち上げたり運営したりしているけど、その業界が壊滅的な影響を受けると思う。だから日本のエスニック文化は、高市早苗の極右政策や外国人排斥の政策によって破壊されると思う。
問題は単に外国人のお店が減ったから右翼が喜ぶとか、そんなレベルの低いことじゃないんだよね。エスニックのお店がない、エスニックの飲食店がないってことは、日本にやってくる外国人にとってはすごくマイナスの評価になるんだよね。だから海外から日本にやってくるだろう、本来だったらいた優秀な人材も日本を避けるんだよ。
外国の人とビジネスやってることがある人がいればわかるだろうけど、外国の人ってわざわざ日本食を食べたりしないんだよね。日本に来ても自分の国の料理を食べたいっていうのを普通に押し出すんだよ。だから日本でエスニックの料理を減らすと、そういった外国人が来なくなってしまう。結果、日本がまた外国人から見向きされない国になってしまう。どんどんどんどん内向きになって貧しくなってしまう。本当に愚かな政策だと思うよ。
時々、“買わない理由”をチラシの裏に書いたりするんだけど、自分でもしっくりこないことが多々あるんだよな。
何度かアウトプットを試みても、どうにも御託ばかりになってしまう。
手がかりが欲しくて他人の“買わない理由”とかも見聞きするんだが、俺と同レベルのことしか語ってなくて共感の一歩手前くらいをなぞってる感じ。
で、最近ちょっと青天の霹靂だったのが、そういう“買わない理由”を揶揄してるコメントを見かけたこと。
そもそも「買わない理由そのものがナンセンスなんじゃないか」って視点があることに、そういえばそうだな~てなったというか。
生活必需品とか金欠だとかでもない限り、あるモノを買わない理由なんて、ぶっちゃけ大した理由なんてないんだよ。
「本当に買うつもりがないモノ」ってのは認識外に存在する(選択肢すらない)ものだから。
そういう感覚ってのは結局のところパーソナルだったりプライベートなもの由来だから、客観的だったり普遍的に述べようとすると、理屈は通っていても本質からどんどん遠ざかっていく。
「買う理由がない」と表現すること自体は可能だけど、本質的な部分で「買わない理由」を述べることってかなり難しい。
だから大抵の場合“買わない理由”は御託まみれになってしまう。
まあ、それでも他人に尋ねられたら、本質的な回答ではなくても御託を並べるしかない時はある。
けど、誰に聞かれたわけでもなく自ら“買わない理由”をつらつらと語る奴がいる(まあ俺なんだけど)。
考えるに、あれは“自分自身を納得させるための儀式”みたいなもんだと思ってる。
他人に尋ねられた際に“買わない理由”を述べるのは、その他人に納得してもらうためにやるわけだが。
ということは誰に言われるわけでもなく自らやる場合、納得させる対象は自分自身ってことになる。
前項でも書いたけど「本当に買うつもりがないモノ」は認識の外にあるから、買わない理由を述べる必要すらない。
でも、世の中には「認識内にあって、なおかつ買うつもりがないモノ」も勿論ある。
上手くいえないんだけど、そういうモノに対して「それを買わない自分自身を納得させてやりたい」ってなる時があるんだよな。
すみませんでした。最初は対立する意見に対して自分の意見を返してみようと思ってみただけだったのですが、いつのまにか調子づいていました。
というよりたぶん私の知能では相手に意見するということ自体無理、向かないんだなと思いました。
いつのまにか舌禍になってしまう、そういう特性もあるのでしょう。
今後のトラバは、何かしら指摘をもらったときにだけお礼をするのと、明らかに肯定的トラバをもらった場合だけに限るように、よりいっそう努めます。
dorawiiより
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この文脈でスラング言うとといった場合自ずとそのスラングには「永遠」の使い方も含まれているとふつうはわかる。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260513165406# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCagQvlwAKCRBwMdsubs4+ SEWeAQC9CEXTnuA0DLWQE/QSm3L2/SzVoOsRl6XEDgO7ylwZtwD+JrQVQtwYq6Zd ouDd7hU6lwgCxku0p/nlSfKZEYqYbwI= =KFPw -----END PGP SIGNATURE-----
ここ数年の話
昔、2chが元気だったくらいの頃って
新聞・テレビの情報は「知ってる前提」だし、出たらすぐネットで報告されて、そこから更に情報を疑ったり、新情報を出したりということがネットの常だった
ネット民は記事は読んでるので、たまたま良い記事がないとか、テレビの解説や取材が優れている場合はネットの情報がテレビより遅れるシーンが目立ってきた
ローン会社と組んでてディーラーにバックあるからローンの方が基本的にうれしいよ
キャッシュフロー悪すぎてすぐに現金が必要なんじゃあってなら一括がうれしいだろうから場合にはよるけど、売り上げが最大になるローンの方がありがたいのが最近の主流
オタクの迫害というのは、趣味と属性・性格を結びつけて語られることの害悪なんではないかと思った。
たとえば、「野球観戦が好きなんですよね」と色んな人が言ったとしても「そうなんだ」で済む。「野球が好きということは、この人は〜なんだろうな」にはならない。これは野球がメジャーな競技で、テレビで誰もが見る機会があり、属性や性格と結びつけて語ることができないからだろう。
オタク趣味については、そうでない部分がある。「オタク趣味があるんですよね」という時に、そのジャンルによっては、この人は〜な人かもしれない、こういう傾向があるかもしれない、場合によっては警戒され得るようなところがある。この傾向が、昔ほど強かったというのは多分そうなんだろう。
オタク趣味がメジャーになったと言っても、推し活が流行語になったとしても、そこにある種の偏見が残り続けているのは確かだろう。
○他人の車両の運転を委託されて運転役務を提供した場合に、運転役務の委託者から運転役務の提供者に対して当該役務の提供について報酬が支払われたとしても、有償の運送行為にはあたらない
○ただし、運送の態様又は対象となる旅客の範囲によっては、自動車運転代行業、人材派遣業等とみなされる場合があり、それぞれの関係法令が適用されるため留意が必要
値段は関係ないな。
親の立場で、理系の大学がいいだの、東大がいいだの、海外がいいだの、Fランは論外だの、いうやつきんも
成人は18歳になったんだよ
相談に乗ってほしいと言われたら初めて自分の考えを提示すればいいだけ
提示の際も決して押し付けにならないように、ここはこうだからこう思う、あっちはこういう利点があるが職業選択の幅が狭まるかも、最後は自分で決めろなど助言に留めろ
お金(仕送り含む)を出すなら地理的な問題と国公立私立についてはある程度突っ込んでもいい
この場合でも、出す上限決めてそれ超える分は自分でやりくりしろというのが望ましいとは思うけどな
大学すら自分で選択出来ないやつが社会に出て何かが選択できるようになると思ってんのかね
そういう人間になれ
という教育思想であれば反対はしないが、そんな奴は少数だろう
でも言動が一致しておらず、〇〇以外は認めねえみたいなカスが一定数湧いてくる
お前はきっと誰かに言われるままに進んできて失敗したら誰かのせい
そういう風に生きてきたんだろう
人は、自らを何らかの属性を持つ集団へ帰属させ、その集団同士で勝ち負けを競い合うことが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル・アナログ問わないテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪。
二元論的対立でなくとも、プロアマ問わない複数チームによる対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校。同じ学校内でさえ学級、学科、部活、委員、学内地域と細分化される。
更には血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰が推しか何沼にハマっているかに至るまで、人は己を自らカテゴライズし、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分自身で戦えない場合、時には相手への罵倒すら織り交ぜながら贔屓への応援支援を行う。
味方の勝利は己の勝利。実効的な行為は何一つしていなくとも馬鹿騒ぎし、負けてしまえば最悪の場合は殺人事件にまで発展する。
「争いは嫌だ」と主張する場合でさえ、その主張を巡ってそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。
なんにしろ、単に個人対個人よりも「所属している集団」「肩入れする集団」同士の抗争が特に好まれる傾向にあると言っていい。
個人で戦うより楽だから、というのも勿論あるだろう。責任は分散しつつ、比較的安全圏から敵を攻撃できるのだから。
本気で対決するわけでもなく、ただ二項対立の状況そのものを面白がる風潮というのもある。
無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人同士の軋轢に首を突っ込み頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくというのは、昨今のSNSで誰しも一度は見たことがあるだろう。
例えば、競合する商品やサービスを提供する二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は根絶すべきだという流れを見たことはないだろうか。
本来なら「どちらも買えばいい」「どちらも楽しめばいい」という発想があって然るべきなのに、そうした一般的思考は敢えて排除される。
勿論、中には本気の「アンチ」や「信者」もいるのだろうが、別に両方へ同時に手を出してはいけない法はない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり「どちらかしか選べない」という事情もあるだろう。
そうであったとしても、選択できなかった側を貶めることで自尊心を保つ行為にしては、少々度が過ぎているように感じる。
つまり、人は好き好んで仲違いし、自らを持ち上げ、相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースへラベリングを施し、延々とマウントを取り合う。
その様を楽しんでいるとしか思えない。別に自陣営へ勧誘したいわけでもなく、ただ互いに罵倒し合うことそのものを愉しんでいる。
詰まるところ、やはり主たる目的は「優劣をつけること」なのだろう。
エコノミックなパイの奪い合いというより、自分が正しく相手が間違っていることの確認、証明、「相手を攻撃できれば何でもいい」という欲求の方が実態に近い。
その「何でもいい」の部分へ、同族集団というものが、もっともらしい大義名分を与えてくれるわけだ。
なにしろ実利とは無関係である。というか、機会損失という意味ではむしろ損をしていることすらある。
まあ、対立状況そのものを面白がる人間は、そもそも外部の野次馬であり、失うものなど最初から持っていない場合も多いのだが。
責任の分散どころか、そんなものは存在しないと思っているからこそ無責任に煽れるのだろう。
優劣をつけることと、勝敗を決することは、似て非なるものだからだ。
誤解なきよう言っておくが、それ自体が悪いと言いたいわけではない。
人間とはどうやらそういう風に出来ている、という説明と解釈である。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖のための異性獲得競争など、「勝つこと」が「悦び」であるという根本的反応なのだろう。
知恵によって食物連鎖から仮初めに脱し、生存率も高い水準を保てるようになった人類にとって、その「悦び」を得るための代替行為を欲するのは自然なことだ。
闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるなら、それもまた勝利の一種ではある。
だが、先ほども言ったように、人々にとって勝敗そのものは、実のところそこまで重要ではないらしい。
プレイヤーが気持ちよくなるために都合の良い仮想敵を設定し、それはあくまで倒される前提で存在する。
攻略可能な範囲内で、接待だと気付かれないギリギリの強さで抵抗し、最後には敗北することを運命づけられた存在。
そうしたものを配することで「悦び」を得る疑似戦闘として非常に有用で、率直に言えば、だから人気なのだ。
ただし、対人戦特化型は全く別の話になる。
一人用ゲームでも高難易度特化のものは存在するが、それらはハードルが高く門戸が狭いことによって、「他の奴らには出来ないことを出来る自分」という、より強い優越感を提供する。だから一定数の支持を得る。
誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、むしろ無粋でつまらないものですらある。
当然、ストレス発散として結果的な悦びを求める者達にとっては、「悦びを得るために苦行をこなさねばならない」それらは、「ゲームのためにゲームをしている」という本末転倒な思考回路に見えるだろう。
決してそんなことはないのだが、それこそ属する集団が違うということだ。
そして重要なのは、ある集団に属することによって、人は「戦うための大義名分」を得られるだけでなく、「自分が何らかの役に立っている」と思い込める機会を得る、という点だ。
特に、普通のコミュニティへ馴染めない人間にとって、それは非常に蠱惑的である。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献できる。
敢えて「疑似」と表現したのは、要するに「現実社会と直接には繋がっていない」という意味だ。
そして上に立つ人間は、そうした心情を利用することが多い。
現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献――否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。
直接的な強制など必要ない。本人に自覚のないまま、都合の良い駒として、一層離れられなくしていく。
無論、普通のコミュニティとて同じ構造を持つ部分はある。だが、マイナスを経験した後に用意された逃げ場としての幸福である以上、同じプラスでも、その絶対値は大きく感じられる。依存が強まるのも無理はない。
実際、オンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割が明確で、効果に即時性があり、目に見えて貢献度が分かるパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはもう愉しい。
自らの貢献、味方との連携。互いを求め、そして求められる関係。作戦立案と実行。
その結果として敵が倒される。自己承認と敵の殲滅が同時に得られるのだから、脳汁が止まらないというやつだ。
つまり、組織だった戦闘とは、「悦び」を最も実感しやすいシチュエーションなのである。
厄介なことに、「物理的集団戦闘行為」は、その悦楽を最も得やすい。
先ほど述べたように、集団を主催する側はそれを利用するし、快楽が強烈であるが故に、強制すら不要となる。
ただ、論戦に関しては、双方がルールに則って戦うことが前提だ。そもそも言葉とは真理ではない。言葉が通じない相手とは、論を戦わせることができない。
ある動物の威嚇行動が、人間から見れば愛らしい仕草に見えるように、概念による戦いは、言語を始めとした共通ルールの存在が大前提である。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するならば、言語は極めて強力な武器たり得るということでもある。
普通に暮らしている限り、我々は「言語という呪文」が通じる世界に生きている。
その威力は、人を生かしも殺しもできるほど強い。少なくとも、言葉が通じる場においてなら、戦闘行為は成立する。
そもそも、属性集団の中には、言語によって分けられた集団すら存在する以上、強い悦楽が物理戦闘に限られるわけではない。
だが実際問題、同じ社会にいながら、言葉の通じない相手というのは存外多いものなのだ。