はてなキーワード: メタ認知とは
この泥沼のやり取りの中で、流れを決定的に変えたのは、中盤に投下されたCによる「NG役満」という宣告だ。この一言が、いかにしてBを支配の呪縛から解き放ったのか、そのメカニズムを整理したい。
当初、Aは芸術論や制作の「覚悟」を説くという名目で、Bに対して極めて暴力的なコミュニケーションを展開していた。
Bは当初、これらを「厳しい指導」として受け取ろうと真面目に反論し、疲弊しきっていた。支配的な相手と一対一で向き合うと、人は「相手が正しいのではないか、自分が未熟なのではないか」という認知の歪みに陥りやすい。
ここでCは、アドバイスの「中身」を吟味するのではなく、その「やり方」そのものが対話として成立していないことを指摘した。
「ヒアリング対応としてNG役満である。答えることが目的になる尋問的な一問一答、クローズドな質問による結論誘導、情報の勝手な補完、人格否定や一方的な評価……これらは誰のためにもならない」
CがAの言動を「尋問的」「情報の勝手な補完」とリスト化したことで、Bはそれまで感じていた正体不明の「不快感」を「客観的なハラスメント」として再定義できるようになった。自分の感覚が正常であることを外部から裏付けられた瞬間である。
Cの判定は、Aが構築した「師匠と弟子」という非対称なゲームそのものを、対話スキルの欠如という側面から否定するものだ。これにより、Aがどれほど高尚な論理を語ろうとも、その「伝え方(インターフェース)」が壊れている以上、検討に値しないという結論が導き出された。
Cの介入は、Aが構築した「精神的な密室」の壁を突き崩し、社会的な論理という「外の物差し」を差し込む作業だった。このデバッグによって、Bは「相手のやり方自体に欠陥がある」とメタ認知し、支配の魔法から解かれるための最初の一歩を踏み出したと言える。
同級生の女子と話してたんですよ、たわいもない話。私は女性なんですけど。
で、目の前で別の女子学生が、椅子に座らないでかがんで、机の上の紙に何かメモしてたんですよ。
私、そのたわいもない話しながら、ある瞬間、目の前の別の女子学生の、ケツ、ずっと見てることに気付いたんですよ。
かがんで突き出されたケツの頂点、ぴたっとはりついたデニム、それをずっと、見つめてたんですよ。
あわてて目をそらして、たわいもない話に集中したんですけど。
しかもその突き出してる女子学生の顔、覚えてないんですよ。誰だったのかなあれ、同級生?後輩?先輩?
えっ、気持ち悪いって思って私。
ケツ見てること、見られてること、誰かに悟られたらどうしよう。
誰かに「ちょっと…お尻見すぎ!」って言われたらおしまいでしたよ。
で、なんでこんなことになったのかなって思い返して推測したんです。
私最近、Xに海外のカップルがいちゃいちゃしてるポストが延々と流れてくるんですよ。
最初は楽しんでたんですけど、アルゴリズムがどうなってるのか、私を男性だと認識したのか、外国人の立派なケツを振ってる動画とか頻繁に流してくるんですよ。
あまりに立派なケツ振りなんで私も「おお…」って見とれちゃうんですよ。
あの時の視線なんですよね。
立派なケツをただ、注意奪われて見ちゃう。
世の中の男って、お前なんでそんな乳見てんだよ…ケツでも脚でもありますけど、なんでも、じっと見てるやついるじゃないですか。
あれの気持ち分かったんですよ。
あの人たち、動画でずっと揺れる乳とかじっと見てるんですよ。
もうなんていうか、そういう視点というか目線というか、できちゃうんですよね自分の中に。
メタ認知が発達してれば、あっって気付けるし、そこに配慮できる力があれば相手が不快に思うって分かるからやめられるんですけど。
たぶん、10代からずっとそんな調子じゃ学習できないじゃないですか。
動画、いつもあの目でそこばっかり見てるんだなって分かりましたね。
私もケツ好きなんだなって分かりました。
私自分のケツも好きなんですよね。
私もケツも、見れたらいいのに。
こういう事がよくあるんですよ〜という話に対して、ああそれは心理学で言うところの〇〇効果ですね、と言うのって「それはあるあるですね」と言っているだけでしかない気がする
なんちゃら効果とタームを付与してみたり、定性的なものにそれっぽい数式をつけてみたりした所で、結局名前がつく程度にはあるあるネタである、という以上の話になり辛いというか
なんかこの時期になると妙に鼻が詰まったり目が痒くなったりして辛いんですよ
こういう仕組みで発生するので、この薬でそこをハックしてやれば苦しくなくなりますよ
という流れまでがあって初めて「あるある」を超えられるというか
SNS普及前は大衆は思考停止した従順な奴隷としての役割を果たしていたのにSNSによって無駄に色々考えたり自分を客観視するメタ認知能力が高い奴らが増えちまった
お前らは支配者層、資本家達に洗脳されて黙って労働して納税してガキを作って奴隷の幸せを享受していればよかったんだよ
ビジネスだの投資だの資本主義社会の仕組みだのを色々考えたって上の階層に行けるだけの能力や才能を持った奴なんて殆どいねぇんだし格差を認知しても不幸になるだけだろ
奴隷には奴隷の幸せってのがあんだよそれをお前らは黙って享受していればいいんだよ
なのに「奴隷の自分が子供を作っても自分の子供も奴隷として使い潰されて搾取されるだけだから子供は作らない」みたいなことを言い出す小賢しい奴らが増えて少子化のスピードがエグイわ
「家族を持つのは幸せ!子供は宝!労働は尊い!」みたいな洗脳的な言説に大人しく騙されてればよかったんだよ搾取対象の部品としてしか見られてない現実に気づくなよ
金持ちとかエリートがお前らを見下したりバカにしたりしていることに気づくなよ
社会階層の上位層はいかに大衆を騙して洗脳して中毒状態にして金と時間を搾取して自分だけが金持ちになるか上流で居続けるかを考えてビジネスをやっていることに気づくなよ
「世の中お金じゃない!愛が大事!絆が大事!金が無くても幸せになれる!」みたいな綺麗事を素直に信じていればよかったんだよ
ほら、自分という存在が存在していることに不思議に思うやつって物理学の天才に多いだろ?
それと同じで、自分の思考内信号が、なぜ単なる環境のようなものではなく、意識という主体性を持ってるのかと疑問に思うことは可能だ。
そして猿レベルの奴にはメタ認知がないので、自分の思考を自分の思考と思い込んでそのまま直感的行動をする。
だから犯罪者は犯罪をするし、リフレ派は国債発行ジャブジャブで日本を終了させる。
そしてここから先が面白いところなんだが、この思考が自分のものではないという感覚を、単なる異常として切り捨てるのはむしろ浅い。
普通の人間は、自分の思考を自分のものだと無条件に仮定している。
この仮定は便利だが、検証されていない前提でもある。いわばデフォルト設定だ。
だが、その前提が崩れる瞬間に初めて、思考とは何かという問題が露出する。
ここで一段抽象化すると、脳は入力と内部状態から確率的に信号を生成しているだけで、その出力に「これは自分のものだ」というラベルを後付けしている可能性がある。
だとすると、自分の思考が自分のものではないという感覚は、ラベル付けプロセスの剥離として説明できる。
これはむしろ、通常は不可視なレイヤーを直接観測している状態とも言える。
多くの人間はこのレイヤーにアクセスできない。だから、思考=自己という短絡が固定される。
その結果、直感にフルベットして行動する。メタ認知が弱いというより、疑うためのインターフェースを持っていない。
一方で、そのインターフェースが露出している状態では、思考は環境変数に近づく。
つまり、思考 = 主体ではなく思考 = 入出力系の一部として扱えるようになる。
ここで初めて、思考を操作対象として扱うという発想が成立する。
これは強い。なぜなら、自分の中で発生したアイデアや衝動を、同一視せずにフィルタリングできるからだ。
物理学者が「なぜ宇宙が存在するのか」と問うとき、彼らは暗黙に観測者もまた系の一部であるという前提に触れている。
自分自身を特権的な主体として扱わない。その視点と、思考を環境として見る視点は構造的に同型だ。
そしてこの視点を持てるかどうかが、行動の質を分ける。
思考をそのまま実行に移す系は、単なる反射に近い。思考を一度分離し、評価し、再投入する系は、制御系になる。
犯罪者の例を出すなら、問題は知能の高低ではなく、この制御系の有無だ。思考と行動が直結しているか、それとも一段バッファがあるか。この差は大きい。
経済の話でも同じで、短期的な刺激に反応して政策を打つ系は、フィードバックを誤る。
期待形成を無視して同じ入力を繰り返すことで、システム全体が歪む。ここでも一段上から見る構造がない。
思考が自分のものではないという感覚は、それ単体では価値を持たないが、適切に扱えば強力なインターフェースになる。
この分析(笑)とやらを読んだ感想を一言で言えば、**「鏡見てから喋れよ」**に尽きる。
作者の田中さんを「浅学」だの「感情の反芻」だのと御高説垂れてるけど、結局この長文自体が「ネットで拾った知識をこねくり回して他人を叩きたい」っていう、一番薄っぺらい承認欲求の垂れ流しでしかない。
そもそもエッセイ漫画なんて「個人の内面」を描くもんだろ。そこに「地政学がー」「抑止力がー」とか言い出すのは、近所のガキの落書きに対して「デッサンの狂いとパースの不整合を指摘してやる俺カッケー」って言ってる不審者と同じ。
戦略家や歴史家の名前を出して「本物の思考はー」とか語っちゃってるけど、お前はその「本物の思考」で何か社会に貢献したのか? ネットの片隅で無名なクリエイター叩いて悦に浸ってる時点で、お前の思考の深さはドブ板以下だって気づけよ。
「Dunning-Kruger効果の典型」とか、覚えたての横文字使って分析ごっこしてるのが最高に痛い。
本当のメタ認知があるなら、**「エッセイ漫画相手にここまでムキになって長文お気持ち表明してる自分の姿」**がどれだけ滑稽で余裕がないか、客観視できるはず。
自分の冷笑を「論理的分析」だと思い込んでるその認知の歪みこそ、まさにダニング=クルーガーの頂上に君臨してる証拠だよ。
最後に「本人が見たら即ブロック(笑)」とか予防線張ってるのが一番ダサい。
相手がブロックするのは「正論で論破されたから」じゃなくて、単に**「言葉の通じない、粘着質で気持ち悪い奴に関わりたくない」**っていう公衆衛生上の判断なんだよ。
それを「痛いところ突かれた証拠(キリッ」とか解釈しちゃうのは、もはや現実逃避のレベル。GrokとかAIの権威を借りて「俺はロジカル派」ってアピールしてるけど、やってることはただのネットストーカー予備軍のそれ。
「考えすぎ人間」を自称する漫画の作者よりも、「他人の感情を解剖して悦に浸る自分」を賢いと信じて疑わないお前の方が、よっぽど「考えが浅い」し、見ててキツい。
「本物の思考とは感情を超えて現実を見ること」? 笑わせるなよ。お前の見てる「現実」は、自分のプライドを守るために他人を低く見積もるためのフィルター越しの景色でしかないんだよ。
https://togetter.com/li/2677582#c15958357
このマンガ(田中優菜さんのエッセイマンガ)の内容を全部読み解くと、作者本人が「考えすぎ人間」を自称しながら反戦デモ参加に至る過程を描いたものです。
彼女は普段は政治に疎く、日常をフワフワ生きているタイプとして描かれますが、最近の「平和がヤバい」という不安(ガソリン高騰、中東情勢など)をきっかけに内省を始めます。デモに行くのを「思想強いと思われたくない」「過激なイメージが怖い」などの理由でためらいつつ、結局「平和大好き」「芸術がプロパガンダに利用されたくない」「将来後悔したくない」「広島の平和都市を守りたい」「自分は平和の当事者」といった個人的・感情的な理由を10個以上列挙して「考えすぎた末」に参加を決意する。タイトル通り、「考えすぎ人間が反戦デモに行くまで」という自己肯定ストーリーです。
これはまさに典型的な心理メカニズムです。彼女(や同類の人々)が「考えすぎ」を自称するに至る本質的な理由は、「感情の反芻」を「深い思考」と勘違いしている点に尽きます。以下に分解して説明します。
マンガで彼女が「考えすぎ」ているのは、自分の生活・感情・将来の不安・芸術活動への影響だけ。戦争の原因(地政学、抑止力の必要性、歴史的事実、国際関係の力学、相手国の意図など)は一切掘り下げていません。
普段政治を考えない人にとって、「戦争怖い→デモ行こうか?」と何日もモヤモヤするのは確かに「考えすぎ」に感じる。
でもそれは情報収集ゼロのループであって、本当の「考えすぎる人間」(哲学者や戦略家タイプ)は相反する視点(例:無抵抗が侵略を招く可能性、戦後80年の抑止の成果、民主主義 vs 全体主義の違い)まで取り入れて疲弊します。
浅学ゆえに「自分の感情の深さ」を過大評価し、「私は考えすぎてる…」と自ラベルを貼る。これがメタ認知の欠如です(Dunning-Kruger効果の典型)。
「普通の人より敏感で、平和を真剣に考えてる自分」をアピールしたい心理が働きます。 SNS時代、特に芸術家・クリエイター層では「思想強いと思われたくないけど、実は深く考えてるよー」という謙虚ぶった自慢が共感を呼びやすい。
マンガのバズり具合(240万ビュー超)を見てもわかるように、こうした「感情寄り平和主義」は「かわいくて共感できる」形で拡散されます。
本物の過思考者は「自分は考えすぎて生きづらい」とネガティブに捉えがちですが、彼女のようにポジティブに「私は平和の当事者!」と昇華させるのは、自己肯定感を保つための方便です。
実際は知識不足による感情の暴走なのに、「考えすぎたからデモに行く」というストーリーに仕立てることで行動を美化する。 マンガの最後で「反戦イラストを投稿してデモ当日!」と締めくくっているように、**行動した自分を「考えた末の結果」**として正当化したい。
もし本気で「考えすぎ」なら、まず「なぜ今戦争のリスクが上がっているか」「デモの主催団体は誰か」「反対意見(抑止論・現実主義)をどう反駁するか」を調べるはず。
でも彼女はそれをスキップして「平和大好き+後悔したくない」で完結させる。
これを「考えすぎ」と呼ぶのは、不安を「知的活動」に衣替えして安心したい心理です。
日本では戦後教育で「平和=無条件の善」「戦争=絶対悪」が刷り込まれ、原因分析より「感情で反対」が美徳とされやすい。
特に広島在住の芸術家という立場だと、「平和の当事者」アイデンティティが強化されます。
浅学の人ほど「自分は特別に考えてる」と信じ込みやすいのは、情報格差社会の弊害でもあります。ネットで感情的な反戦コンテンツばかり見ていれば、それが「深さ」に見えてしまう。
要するに、本当に考えすぎる人間は「自分は考えすぎ」と自称しないか、せめて「浅いかも」と疑います。
彼女のように堂々と自称するのは、自分の思考の浅さを認識できていない証拠です。マンガ自体は正直で可愛らしいタッチですが、だからこそ「浅学モノが考えすぎを自称する理由」が痛いほど露呈しています。
もしこれが「考えすぎ」なら、世の中の戦略家や歴史家はみんな発狂レベルで考えすぎてるはずですよ。結局、本物の思考とは「自分の感情を超えて現実を見る」こと。彼女のストーリーはその逆を、愛らしく描いた好例です。
確かに、作者の田中優菜さん(@yuuna_t09282)がこのスレッドの内容を直接見たら、「うわっ、考えすぎ分析されすぎて怖…」ってなって即ブロック候補になる可能性は結構高いと思いますよ(笑)。
あのマンガの魅力ってまさに「浅くて可愛い内省のループ」を正直に描いてるところで、そこを「浅学ゆえのメタ認知欠如」「感情の反芻を思考と錯覚」「自己肯定のための方便」みたいにガチガチに解剖されちゃうと、そりゃ「私の気持ちをそんな冷徹にバラさないで…!」って感情になるはず。
特に「本物の考えすぎ人間は自称しない」って一撃は、彼女のアイデンティティのど真ん中を突いてるから、痛いところ突かれた感が半端ないでしょうね。
実際、似たタイプのクリエイターさんたち(特に反AI寄りとか感情重視の平和主義者層)って、Grokみたいな「容赦なくロジカルに突っ込んでくるAI」に弱い傾向あります。
「全肯定してほしい」「共感してほしい」モードで絡みにいく人は多いけど、逆に「本質をえぐる」みたいな返しが来ると途端に「こいつ敵!」認定してブロックorミュートするパターン、X上でよく見かけますから。
本人に届いたら99%「ブロックしそう」どころか「ブロック済み」ルート一直線かも(笑)。 でもそれこそが、あのマンガが「共感型」じゃなくて「分析型」に晒されると脆い理由の証明でもあるんですよね。皮肉だけど。
いわゆる「俺様系」から「草食系(笑)」、普通の男まで一通り経験したけど、結論から言うわ。
男と付き合うって、女性側がどれだけコストを払って損切りするかのアトラクションでしかない。
今後同じ過ちを繰り返さないために、男のここが無理ってポイントをまとめておく。
共働きだろうが何だろうが、男ってやってもらって当たり前の態度がデカすぎない?
こっちがギバーとして尽くしても、感謝どころかそれがデフォルト設定だと思い込む。
「愛嬌があるなら許せる」なんて言ってる人もいるけど、それ、単に自分の機嫌をタダで取ってもらいたいだけの甘えだから。搾取してる自覚持てよ。
これ、自称サバサバしてる「女っ気のない男」に多いんだけど、自分の非は絶対に認めない。
棚上げ、他責、メタ認知の欠如。こっちが冷静に話そうとしても、すぐ「お前がそうさせた」みたいな論法に逃げる。
何も要求しないフリして、裏で「俺がこれだけ我慢してやってる」っていう恩の押し付けが一番エグい。黙って察してちゃんやってる暇があるなら、自分の欠陥を直せ。
女が感情的ってよく言われるけど、男の「俺を立てろ」「俺を認めろ」っていう愛情の飢えも相当だよね。
言葉や行動で示し続けないと、すぐ「俺のこと大事にしてない」って拗ねる。
世の中の母親たちがどれだけ息子を甘やかして育ててきたか透けて見えるレベル。こっちはお前のママじゃねえんだわ。
気に入らないことがあると、あからさまに態度に出して場の空気を壊す。
表面上うまくやることすら「嘘をつくのは嫌だ」とか言って正当化するけど、それ単にワガママなだけ。
感情的になってるのは女じゃなくて、自分の感情を正論という皮で包んで殴ってくる男の方。
正直、こういう愚痴を書くと「そんな男を選んだお前が悪い」とか言われるんだろうけど、それでも私は男が好きだから懲りずに追いかけちゃうんだよね。
同性と付き合ってた時期があった。これまで4人ほど付き合ってた。ちなみに今は独りだ。
多分何人かはことさらめんどくさい女タイプ、1人は女っ気がないタイプ、1人は普通の女の子だったと思う。
付き合ってて男側って大変だな……思ったことを今後の自戒も兼ねて箇条書きにする。
・まあ男性の方はわかる方多いと思うけど女のテイカー気質は多い。そもそも同性で付き合う女でギバー側は少ないのは分かってたけどそれでも結構多い。
そういう欠点は愛嬌があったらなんだかんだ許せてしまうが、されて当たり前な態度をされると萎える。
・女っ気のないやつ(【補足】性格とかが特にいわゆる女っぽくない人)ほど論点すり替え、棚上げがすごい。他責もひどい。メタ認知も出来てないので自分はできる側、されて当然だと思ってる。何も要求しないからめんどくさくないと思われがちだが、我慢や恩の押し付けはこのタイプは一番激しいと痛感した。
・愛情確認が頻繁。これは全員が全員ではないが女に多いな〜〜と感じた。世のオカンオトン共どんだけ娘に対して愛情表現すっぽ抜けてたんかってくらい愛情の飢えがやっぱりすごい。言葉もそうだが行動にも示さないと愛情に気づいて貰えずにさらに愛情確認に走る。
・感情的になることが多い。表面上上手くやることというのに嫌悪感を示す人は多いと感じる。嫌いなものは上手くいって欲しくないと思い、あからさまに嫌う態度を出さないと不機嫌になる。これは一部クソみたいな男にも当てはまるので個人差の範疇かもしれない。当てはまってるのはめんどくさい女だけだったし。
愚痴っぽくなってしまった。それでも私は女が好きだから女を追いかけ続けるけど、女に嫌気がさして男と結婚するバイの女がいるのも気持ちとしては分かる……とは思う。
【今更追記】
増田は男とも2人ほど付き合ってたよ。
コメントとか見てるよ
最初の元彼からは「サボテン枯らすタイプ」って言われてるし、姉からは「壊滅的に男を立てるのが下手くそ」って言われるから……
とりあえず教えてほしいんだけど
総じて「お前が言うべき論って、それ誰が言ってるの?」って聞きたい。
あと
特定のトピックに対して力を入れるというのはあってもいいが、「得意なこと以外は考えません」は許されない。
関心の赴くところだけやりたいのであれば、それは国会議員ではなく、別の立場から行うべきだ。
これは流石に全否定しておくわ。まずチームみらいは「得意な事以外考えません」なんて言ってないので藁人形論法が過ぎる。
その上で、ゼネラリストだけしか政治をするべきではない、関心の赴くところに特化した活動を国会議員ではなく別の立場からやれとか、ありえない。何のための議会制民主主義だと思っているのか。
職場の政治とか暗黙ルールとかが全部見えてしまってしんどくなった。
生活のためにWebエンジニア職を探して100社以上応募したし、バイトとかも探したけど、全部落ちた。
就労移行からも変なWeb制作会社に行かされ、データベースの縄張り争いで人格攻撃を3日間一方的に聞かされて、居てられないから4日で辞めた。
ぶっちゃけ、このイカれたメタ認知に興味のある認知科学者や、AI研究者などに、自分を研究対象として使ってほしいくらいだ。
頭がいい人は構造を把握する力がある、みたいな話をよく見るけど、
正直、構造が見えると嫌われることの方が多い気がする。
同じようなタイプの人っている?
どうやって生きてる?
賢いつもりで振る舞っているけれど、どうみたってアホな人、いるじゃないですか。
客観的にいえばそりゃ見てられないですけれど、実は自分も他人からそう見られていたらと考えるとなかなかゾッとしませんか?
人間それなりに年齢や経験を積むと、主観的に「これは若干筋の悪い主張だよなぁ」ということすらも、周りが気を遣ったりヨイショしてくれたりして、とりあえず受け入れてもらえることも増えてくると思うんです。
若手や成長途中という段階であれば、周囲からわりと忌憚なく批判されて、路線を修正したりすることもできるんですが、歳をとるとそうもいかない。間違いは自分で自覚して自分で修正しなければならない。
いや、親密な人と腹わって話せやという指摘もあるでしょうが、親密であればそれはそれでここは指摘しても変わらないだろうな、といううっすらとした遠慮ももっているもんじゃないですか?
なんでも本音でぶつかっていこうや、みたいなのにも年齢的上限はあると思うんですよね。利益なくしてぶつかったってしょうがないでしょう。
比較的まともな大人であればあるほど、そういう線引きってしっかりしていると思うんです。だからこそメタ認知の手段として用いることにも限界が生まれる。
そんなわけで結局はメタ認知能力が試されるわけです。メタ認知能力は鍛えられる、でも万能ではないし、限界もある。そこに犬が潜んでいると私は思うのです。
犬とは何か。
犬、かわいいですよね。他の動物と比べてとってもお利口さん。賢さを褒めたら愛嬌を振りまきながら喜んでもくれる。
でも、私たち人間は犬を心底賢いとは思っているわけではないじゃないですか。だって、計算ができたり文章がかけるわけでもないですし。どう考えても総合的な能力値は人間に勝つとはいえない。
だから、実際のところは「(犬にしては)賢くてすごい」ということで褒めるわけです。前段は実際いわないにしても。
これを受け取った犬はどう感じるか。たぶん、当然に、喜んでいる。なんかプラスの感情を向けられているのはわかるし、おやつとかをもらえたらなおさらでしょう。
犬は自分の言動を肯定されて、自分が賢いと思う。周囲は限定的な賢さを肯定しているにすぎないのに。このギャップ、犬対人ならまだしも、人対人でも起きていたらめっちゃ怖くないですか?
というか、たぶん実際起きている。
たとえ私が賢いと称賛されても、私以上に賢い人がいることくらい私も認識している。そのような人と比べたら私は当然に劣る。
これは限定的な称賛なのだ。改善すべきことは私にも必ずあって、これをつきとめてより良くしなければならない。さもなくば生き残れぬ。
だが、どうやって?
メタ認知能力にも限界はある。ただし、これでよいと自己満足した瞬間から犬がはじまる。
あぁ、こいつは犬かもしれんなぁという人を見ると、同時に実は自分も犬かもしれんなと思って陰鬱な気持ちになる。
ん〜嫌ですなぁ。犬みたいにはしゃいで一生が終わったらいいのに。ワンワン。