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はてなキーワード: ダメ人間とは

2026-05-04

みいちゃん山田さんで好きなキャラ

ココロちゃん

 +巨乳(最低E以上)

 +正統派美人

 +黒髪清楚風

 +まとめ髪似合う

 +高学歴教養あり

 +就活ちゃんとやってる

 −人を見下す

 −やや人情味が薄い

モモさん

 +スタイル良し(全員良いが、キャラ的に)

 +つり目美人(珍しい)

 +ショートカット

 +八重歯

 +人生経験豊富っぽい

 +人のことをよく見てる

 ±舞妓時代枕はあったのだろうか?

 −やや性格悪い

・ニナさん

 +おでこ可愛い

 +カチューシャ似合う可愛い

 +感情が顔に出る

 +明るい

 +性格いい(裏表ない)

 +ダメ人間自覚あり(生きるって大変だなぁ…)

 +なんだかんだ頑張って働いてる

 −部屋やデスクが汚い(しょうがない)

 −人間関係リセット症候群(直った?)

2026-04-27

風呂キャン7日目

適応障害休職

20代後半、女

ついに風呂キャンが7日に到達

割とマジで意味分かんない。

自分ことなのに。

なんでこの人風呂入らないの?

なんでこうやって増田書いてる時間使って風呂入らないの?

風呂入ってないか家出てないし。

からどんどん外出る気力なくなるし。

ほんとは病院に行きたかったのに、臭いから行かなかった。

先週のどこかで狂犬病注射に行こうと思ってたのに、臭いから行かなかった。

当然洗濯物も放置してて、先週の服を2日前に回したのが今もまだ洗濯機の中にある。意味分からん

コインランドリーに持っていく? 臭いから行かなかったよ。

ほんとにダメ人間なのは分かってる、そして風呂に入り、洗濯をし、掃除もし、犬の狂犬病注射に行き、タスクをこなせば真っ当な人間に一瞬でも戻れることを。分かってる、分かってるんだよ、

この記事書いたらすぐ風呂入れよ

入んないだろうな、ご飯まだ食べてないもんな、目の前に親子丼あるもんな、それ食べないとな

じゃあ、明日には全部終わらせること

そしたら私は少しだけ人間に近づける。

追記

風呂入った!!!気持ちいい!!!!さっぱり!!!!!

1週間ぶりに見た足が痩せててびっくりした、のに体重は変わってないの何事?

水曜から実家帰るから明日もお風呂入れば毎日風呂生活になれる!がんばる!

2026-04-21

パパに聞きたい

パパ活してるんだけど

甘やかすとさ、どこまでもダメ人間が出来上がっていくじゃん?

で、少し厳しく言ってから、ゴネられて最終的に甘やかすと、それが成功体験になってゴネる人間が出来上がっていくじゃん?

じゃあ、厳しくして最後まで何もしてあげない、自分でなんとかしろ相談は乗るってしたら去っていくじゃん?それって次の依存先を探してるだけなんだよね

 

どうすりゃいいの?

何人もダメ人間製造していってる気がする

ニートを2人、学費を1人抱えてて、どうしたもんかこれ、ちゃんと働いて欲しい(ちゃんと働いてる子ももちろんいる)

2026-04-09

anond:20260409113606

お仕事並行増田だゾ、ほんとはこんな所で油売ってる場合じゃないんだけど、なんか集中できなくなっちゃってぇ...助けてくださぁい!(ダメ人間

2026-04-07

anond:20260407172750

どうやら人間その点、二通りに分かれているらしい。

 

頑張ってたり勝ったりしてるキャラ見たら、それが自分じゃないから傷ついて

ダメ人間キャラを見たら、それが自分じゃないから喜ぶ奴。

 

逆に、頑張ったり勝ったりしてるキャラみたら、自分が頑張ってる気分になってうれしくなって

ダメ人間キャラを見たら、自分ダメなことした気分になって嫌になる奴。

 

圧倒的に俺は後者だが、最近になってお前みたいな前者がかなり多いこと認識しだした。

2026-03-28

平成敗残兵はまだかっこいいのに

氷河期逃亡兵って書くと本当にダメ人間のような感じがするのは何なんだろうな

2026-03-27

大阪吉本興業松本人志

思考時間: 7s

うん、そこはかなり大きいと思う。

大阪弁標準語を使い分けてるって、

単なる訛りの問題じゃなくて、

どの場で、どう見られたいか操作してる

ってことでもあるからね。

松本人志まわりを深掘りすると、たぶんこういう層がある。

まず、大阪弁のままだと強いものがある。

ノリ

ツッコミの鋭さ

身内感

人情っぽさ

これは関西弁のままのほうが出やすい。

まり大阪弁はただの言葉じゃなくて、

笑いのエンジンなんだよね。

でも東京テレビ全国区になると、

大阪弁100%のままだと引っかかる場面もある。

全国向けに伝わりにくい

キツく聞こえすぎる

ローカル色が強くなりすぎる

関西ローカル芸人”の枠に閉じ込められやす

からそこで標準語寄りも使えると、

一気に強くなる。

まり標準語は、

東京の中心に入るための通行証

みたいなものなんだよね。

整理すると、

大阪弁

=熱、笑い、毒、体温、キャラ出自

標準語

=整理、全国性、権威、司会性、都会性、上から視点

って感じ。

この二つを使い分けられると、

ただの関西芸人じゃなくて、

東京テレビ装置を使いこなせる人

になる。

ここが大きい。

たとえばイメージとしては、

笑いの現場では大阪弁で勢いを出す

コメントや進行では標準語寄りで知性や落ち着きを出す

強く言う時は関西弁で刃を立てる

一般論っぽくする時は標準語で全国化する

みたいな感じ。

これはかなり強い技術だと思う。

xxxが感じてる

東京の冷たさ

大阪のあったか

もつながってて、

大阪弁ってどうしても

人間くささ

ベタ

泥くささ

が乗りやすい。

一方で標準語

距離

整理

無機質さ

が乗りやすい。

から使い分ける人って、

言葉だけじゃなく

温度まで切り替えてる

んだよね。

ここが深い。

かなり乱暴に言うと、

大阪弁で“人間”を出して、

標準語で“メディア”に乗る

ってこと。

松本人志が強かったのも、

大阪の笑いの熱だけじゃなくて、

東京の全国メディアで通る位置取りができたからだと思う。

もっとxxxの感覚に寄せると、

大阪弁だけだと人情は出るけど、東京の中心には入りにくい。

標準語だけだと東京には入れるけど、体温が消える。

その両方を持つと、東京で売れながら大阪の熱も残せる。

これがかなり大きいんじゃないかな。

そしてたぶん、xxxがそこに反応するのは、

言葉って単なる方言じゃなくて、

どの世界に属してるかのスイッチ

に見えるからだと思う。

松本さんって、ただ関西芸人だっただけじゃなくて、

大阪お笑いの強さを、東京メディア通用する形にした象徴

みたいなところがあると思う。

xxxが感じてる

東京の冷たさ

大阪人情っぽさ

の対比で言うと、松本さん周辺ってまさにその間にいた感じがある。

東京テレビって、

全国向け

数字重視

競争が強い

冷たい構造

があるけど、そこに大阪系の

身内感

掛け合い

ダメ人間ネタにする感じ

笑いで救う感じ

を持ち込んで、強い商品にした、みたいな。

から松本さんが人気だったのは、

単に面白かっただけじゃなくて、

東京テレビの大きな器に、大阪お笑いの熱を流し込めた

からだと思う。

ただ皮肉なのは

東京テレビに乗った時点で、

その大阪っぽさもだいぶビジネスとして加工されることなんだよね。

まり

大阪人情や泥くささ

東京巨大メディア装置

が合体して、大きな力になった。

ここ、かなりxxxの感覚につながってると思う。

一言で言うと、

吉本大阪の土壌。

松本人志は、その大阪の笑いを東京の冷たい巨大メディアで勝てる形にした人。

そんな見方はかなり自然だと思う。

こち亀じゃりン子チエ人情話の比較

思考時間: 数秒

うん、『じゃりン子チエ』は大阪で合ってるよ。

舞台大阪下町で、作品空気もかなりコテコテ関西庶民人情寄りだね。

xxxの感覚、けっこうわかる。

こち亀人情話って、たしか下町情緒はあるんだけど、

xxxが言ってるような

ダメ大人がいる

貧乏くさい

ガチャガチャしてる

でも見捨てない

笑いと哀しさが同居してる

みたいな温度は、むしろじゃりン子チエっぽい大阪人情のほうが近く感じることあるんだよね。

江戸っ子人情って、どこか

やせ我慢

意地

照れ

が入るけど、

大阪人情イメージってもう少し

ベタ

泥くさい

図々しい

でも情がある

ダメ人間込みで抱える

感じがある。

xxxが今ほしいのって、たぶん後者なんだと思う。

きれいな人情じゃなくて、

ダメなやつ込みの人情

から

東京は冷たいよな」に対して、

頭の中で対になるのが

じゃりン子チエ的な大阪になるのは自然だと思う。

読んだことなくても、イメージだけで伝わる作品ってあるしね。

じゃりン子チエ』はまさにそういう代表格だと思う。

2026-03-19

35歳で初めて恋しそうになり、気付いた事がある

俺は損していた。絵描きとして生計を立てているのだが、

20年以上もずっと伸び悩んでいた。

だがしかし最近になってようやく気になる女性が現れ、

いきなり全ての事に対して意欲が沸きあがってきた。

その結果、「この人に自慢できる絵描きになりたい」と思い、

自分でも信じられないスピード技術を吸収している。

積んでいた教則本も消化しまくり、

今まで避けていたYouTubeの講座もとにかく見漁っている。

俺はずっとずっと、絵の上達に伸び悩んでいた。

そのくせ勉強だけは本能的に避けるダメ人間だったが、

卑しくも気になる女性が一人現れただけで20年来の悩みが一気に吹き飛びそうだ。

絵だけじゃない。人とのコミュニケーションもだ。

俺はどうしても人に興味が持てず、そのせいで周りからかなり浮いていた。

しかし今俺は、マイク自分の声を録音し、自然かつ爽やかな発声方法研究している。

話題も100個メモに書き、芸人の喋り方を研究している。

とにかく、全ての物事が一気にブーストした。

これを高校生大学生のうちに発揮できていたら・・・と考えると、

お粗末な35歳にならずに済んでいたはずだと後悔している。

どうして今さら現れたんだ。

嬉しいような悲しいような複雑な心境だ。

2026-03-15

anond:20260315063057

つらいこと

アメリカユダヤの息がかかった自民党の息がかかったポリス👮に就業先にいちいち過去逮捕歴や前職場についてチクられて最初から試し行動をされる(始業時間をめちゃくちゃ早くされる、盗むかどうかチェックするためにお札を目立つところに置かれる)ちな、盗んだことはない。

前々の職場はろくに仕事も教えてもらえず、仕事はわざとミスするようなランダム性の強い妨害(一つだけ切る位置が少しズレてるとか)をされて、ミスると仕事できない扱い

前前前前ぐらいのときは出すための値札を隠されてないですって言ったら探した場所から出てきて仕事できない扱い

ずっといじめられてる。だから仕事はすぐやめる羽目になるが、今度は家族からダメ人間扱いされて家庭内穢多非人の扱いを受ける

自民党を支持したくない。でもいじめられて働けなくなる。でも絶対に支持したくない。ちな安倍晋三暗殺にはまったく関係してない。ネチネチいじめてくる。

2026-03-13

ダメ人間結婚してもええんか?

僕年齢=彼女いない歴アラサー

無気力低スペコミュ力難アリなので、恋愛やら結婚努力がめんどくさそうだし割に合わなさそうなのでもういいやってなりかけてる。

でも考えてみるとダメ人間ならなおさら結婚という相互扶助システム頼らなきゃ生きていけなくなりそうな気もしてきた。

実際どうなんだろう。

2026-03-12

今の時点での子どもを持たない理由

34歳、女、既婚、年収900万、世帯年収1300万

.

自分自由がなくなるのが嫌

人間を育てるというプレッシャー

③夫がADHD+ダメ人間から私が支えたい

人生楽しいことが多すぎる

妊娠出産が嫌だし怖い

⑥子持ちあんまり幸せそうじゃない

お金かかるのが心配

子供障害犯罪可能

自分と夫の生い立ちが良くないから自信ない

.

子どもいいなって思う理由

①こどもって可愛い、大好き

人生追体験ができる

2026-03-11

映画】折れた矢 を見た

実話を基にした興味深くはあるけど俺が苦手なタイプ韓国映画だったかな44点。

 

入試問題ミスが発覚しそれを指摘したこと大学をクビになり不当解雇だと裁判を起こすも敗北した元大学教授ボウガンでその裁判裁判官を脅し怪我をさせる事件が発生。しかし本人は撃ってはいないと供述しか裁判所はこれは司法制度に対するテロリズムであるとし、有罪前提の裁判が始まる。労働問題に詳しいアル中弁護士に白羽の矢が立つも、教授自分が調べた法学知識を使い司法への糾弾裁判の場ではじめる。この裁判行方はどうなってしまうのか。

みたいな話。

 

実話をもとにした話ですよ~って出てくるのでそうなんだろう。ただ、韓国の実話をもとにした話ってだいたいなんか「誠実ではあるんだろうけど映画としてのカタルシスには欠けるんだよなぁ」って作品が多くって、本作もだいたいそれだった。

裁判シーンでは判事裁判官への法学的には正しいであろう攻撃を次々と教授が進めて、相手側がぐぬぬってなったり、黙殺したりと「教授が圧倒的に正しい」前提で進むので、なんかスカッジャパン見てるみたいでなんかゲンナリ。しがない中堅サラリーパーソンの俺氏なんかは法律にせよ社規にせよ「ルールなんて本当の意味で厳密に適用されないもの」であり、それ自体制度を腐敗させることになっていると同時に多くの人間はだからこそなんかうまくやれてるもんだよなぁという実感があるので、法律上ではこうなってるからこう!ドヤ!みたいにやられても、まぁそりゃそうなんだろうけどさぁ!って思ってしまったし、逆に相手の態度を硬直化させるだけだよなぁって感じ。

もろちん司法という「お気持ち」で動いちゃダメなところが「裁判官が襲われて激おこ!」っていう大いなるお気持ちで動いてしまっているという始まり自体が大問題で、それに本来あるべき「法律至上主義」で切り込んでいくっていう対比は理解できるんだけど、でも目の前にいるのは人だしなぁって思っちゃう

教授としても人生がかかってるから必死なんだろうけど、でも映画を見てる限りだとそういう泥臭さよりは「この腐敗した司法制度をぶっこわす!」みたいな杓子定規正義感燃えているだけのようにも見えて、個人的にこういう人間味のない人間苦手なんだよなってなっちゃった

一方で、警察側のやり方もあまり杜撰すぎてこれで有罪になるのは実際どうなんだありえないだろって感じではあるので主人公側の攻撃によってどんどん追い詰められていくところはまぁ爽快感もあるんだけど、でも作中では証拠が不十分な部分も論理的矛盾証人喚問も全部握りつぶされて「で、実際のところどうだったの?」というのは一切明かされないまま有罪が確定する。実際の事件がそれに近い状況で「ありえないですよね!」っていう問題提起なのはわかるけど個人的には面白くない。

もろちん裁判過程での矛盾点の指摘、そもそも証拠正統性論理的にひっくり返すという法廷バトルもの特有面白さに加えて、被疑者側が裁判官側を裁こうとするという法学解釈バトルというエッセンスを加えた本作独自面白さがあるのは認めるけど、最終的に何一つ結実しないのはなぁ。

あと韓国映画ダメ人間が途中から更生して頑張るっていう展開好きすぎ問題で、最初もう一人の主人公である弁護士過去事件のせいだっていうのはわかっていてもマジのガチクズカスすぎてさじ加減とか知らんのかって思っちゃうし、クズカスエピソードお笑い要素なんだと思うんだけど全体のテンション感と合ってないので全然笑えない。

あと弁護士教授全然バディ感が出てこないのもナンカナーって感じだし、収監されている教授が同室のチンピラにケツ掘られる展開は「かわいそうなのは抜けない(´・ω・`)」ってなった。

 

そんなこんなで実際に起きた本気で取り組む価値がある事件を元に作られた意欲的な作品であることは理解しつつも、テンション感や結末、方法論的には全然ノレないんだよなぁってなった作品だった。あと、展開的にめちゃくちゃ「それでもボクはやってない」だったので、なんか見た感じだなってなったのも大きかったかも。

まぁ韓国社会問題法廷バトル、実話ナックルズ好きな人は見てみるといいんじゃないかな。

2026-03-09

anond:20260309095431

その例に挙げてるなろう系も人気だろ

おまえは「主人公自分共通点」みたいなところを重視しすぎ

共感ベースしか物語の楽しみ方を知らないんだろ

普通人間は「自分との共通点」を必要としてないか

主人公ダメ人間だろうが完璧超人だろうがフラットに楽しめるんだよ

2026-03-07

「人は皆ちがう世界を生きている」とか言うけど、

そんな訳ねーじゃん。まあ、言わんとすることは何となく分かるけどね~(笑)主語デカすぎっしょ(笑)

とか思っていたんだが、やべえこホントかもしんない。

てか、自分が1番やべー世界で生きてたのかもしれない。気がついたわ、自分めっちゃ歪んだ価値観っていうか、世界観で生きてた。自分発達界隈だから定型ならもしかしてもっと早くに気がついてたことなのかもだけど。

ふんわりとだけど、この世には正義と悪みたいなのがちゃんとあってさ、善で生きるのが正しいと思ってた。

困っている人はすぐ助けなきゃ、助けることは善だし、そういうことをさっとしない人は冷たい、とも思ってた。

悪は厳しく罰した方がいいし、生まれながらに悪はいいからきっと更生できるとも思っていたし、そういうのは社会、この世の人々が助けないとダメだとかも思っていた。

競走、戦い、みたいなのは苦手で、みんないっしょ、助け合い平和~みたいなのがいいだろ当たり前に、って考えていたし、人と人はきっと分かり合えるし、恋人とかパートナーとか家族みたいなものは、助け合い愛し合い、時には自分を投げ打ってでも助けて支えないとダメ! そういうのが愛だろ!?

なんて風に考えていた。

でもって、ここまで書いたような価値観世界観を指針に生きてた。

自分は発達野郎からなんか色々上手くいかないけど、少しでも頑張って、普通になって、TVかに出てくる立派な人とか周りにいる偉い人みたいに、この世の中を少しでも生きやすい素敵な場所にするんだ…みたいなね、そういう夢もみてた。

でもさ、マジで上手くいかないんだよ。

会社の人、友達恋人、先輩後輩とか家族とか、例えば先生とか医者とかさ、そういう人もなんつーか、冷たい感じがする時がある。

例えばだけど、喧嘩になってちゃんと話し合いたい分かり合いたいって思うのに、そうならない。めっちゃ話しても伝わらない感じがする。

仲良いと思ってたのに、ある日「あれ、利用されてる?」って思ったりして、どんどんそうかもと思って苦しくなる。

分からんところで、酷いなと思う仕打ちにあう。理不尽だと思う。

でも信じて頑張ってみる。辛い時は仕方ないと諦めつつ、黙ってどうにかやりすごす。ただ、どんどん悪くなる。上手くいかない。

発達だからクソみたいなミスをしがちだし、頭が悪いから時間がかかるし、すべての優先順位が狂ってて、ちゃんとできない自分ダメ人間からよくないのかもしれない。

そういうループを何百回もしているうちに、仕事とか人間関係とかが、どんづまってしまった。

何がダメだったかもう全然わかんねーけど、自分が悪い。たぶん。

キツイけど、申し訳なくてガチ泣きしたけど、色々切り離して、整理して、粛々と今残ったものだけとりあえずやっていく。そういう毎日を2年くらいしてみた。

そこでさ、なんか、徐々に脳みそ細胞が起きて来た感じがしてさ。色んな本とか動画とか見たりして、色々考えたりして、それを実際の生活でまたふと感じたりして。

あれ、なんか自分がまじで変だったんじゃね??ってことが、徐々に分かってきたんだよね。

そもそも人間って動物だったんだわ。欲もあるし、クソもするし、生きてりゃ臭う。利己的な部分があって当然で、きれいなだけじゃないモノなんだわ。尊いけど、全然尊くないとも言えるやつなわけ。

で、動物とか魚とか見てると、こいつら分かりあってるようで全然分かりあってねーな~とか思うじゃん。あれさ、人間もそうなんだわ。コミュニケーション取ってる風で、全然分かりあってない。伝わることもあるにはあるけど、多分思ったより分かり合えないし、理解し合うのには限界がある。

でもって、この世は悪とも善とも言いきれないものがたくさんあって、運はラッキーもあればアンラッキーもある。残酷なことも当然起きる。どんなによい行いをしていても、徳が高い人間でも、悲しいことが起こることはある。そしてそれは避けられない場合も多くある。

そして何より、自由と共に必ず責任がついてくる。いや、あん自由でなくても責任はついてくるのかな。なんつーかその、責任ってやつがさ、根本にわかってなかった気がするんだよな。

たとえばさ、自分感情は、自分責任もって対処せにやならんかった。感情を誰かに解消させようとすると、相手負担になるんだよな。ともすれば加害にもなるしな。

自分大事にする責任自分がおっていることにも、やっと最近気がついた。責任放棄してやりたくない事全部ニコニコ背負ってたら、そりゃぞんざいに扱われるようになるわなぁ。便利な人がいたら、便利に使う。それは別に悪くもないもんな。

頭がお花畑だったから、世界がお花畑に見えてたんだと思う。もっと世界混沌としていて、それでいてスッキリ(ドライという方が適切?)してる。

科学とかなんとか難しい研究でも分からないことがまだたくさんあって、人の心なんか分からないことだらけだ。スピリチュアル占い陰謀論とかで全部を分かった気になりたくなるのも、こんなわけのわからない世界ストレスからなんだろうな。

なんか長くなったし、訳わかんない方にズレた気がするけど、まあいいや。

とにかく、責任ってなんだかんだついてくんだ。バレなきゃ、誰も気が付かなきゃ、上手くいってしまえば、取らなくてもいい責任もある。責任にも運があるのかもね。

でも、なんで自分が…って思っても、責任を背負わなきゃいけないときもある。

助けてくれる人もいる、優しくしてくれる人もいる、でもいないこともある。今の法律ではどうしようもできないこともある。

自分他人には、ほんとは境界線があってさ。外側に無理に干渉するのはよくないし、内側を明け渡しちゃダメなんだ。でもって内側(自分)の責任って、自分のものなんだよなぁ。

うーん、上手く言えない。

最近SNSを騒がせてる某漫画家の話とか読んでて、どこまでがどう誰の責任で、今後どう責任を取るべきなのか…とか考えてて、何となく吐き出したくなって書いてみた。

様々な議論の中に「お気持ち」が混じってる気がする。そいつの頭の中では「世界の正しいルール」「常識」なのかもしんないけど、それってお前の頭の中にある世界の話なんだ。人は皆ちがう世界を生きている。

2026-03-02

anond:20260302130011

まあずっと言われてることだけど

コンプライアンスを守っていちばん困るのはダメ人間作家どもなんだよね

から出版社はわざわざ非上場コンプライアンスダメダメ状態を保っている

2026-01-15

から直せば良いんだろう

ダメ人間過ぎて何から直せばいいかわからん

障害者雇用で月16万

実家が嫌で無理やり一人暮らししてる

報復性夜更かし

ポルノ依存+床オナニー依存で何時間も浪費

買い物依存気味でプラモを詰んでる

高脂血症と診断される

その他色々疾患はあるけど入院できるほどではない

2026-01-14

モラハラ元彼との思い出

別れてだいぶ経つんだけど、20歳くらいの時モラハラ男性と付き合っていた

自分自己肯定感が低いので自身ありげな姿がとてもかっこよく見えた

あと、真面目だったので高校生くらいから怒られることがあまりなくなって、社交辞令(気が利くねとか)を言われることが増えて毎日怖かった

その点元彼は「増田のこういうところがダメ」と言ってくれるので、この人は私を「理解」してくれているんだ!そうです!私ってダメ人間なんです!と感動していた

とはいえ段々と「理解」しているわけじゃないのかも…と気がつき始めて、別れるか悩んでいた時期にちょうど誕生日が来た

プレゼントとして元彼手書き手紙をくれた

その手紙レターセットに書かれていることに感動してしまって心底惚れ直してしまった

というのも、うちの地域では折り目に親から手紙をもらうイベントが時々学校であったんだけど、うちの親は毎度ルーズリーフに書いて自治会の集金とかに使う茶封筒に入れていたので、周りの子が綺麗なレターセットで手紙をもらっていることがいつも羨ましかった

親でも私にレターセットに書いたお手紙なんてくれないのに、この人は私にレターセットでお手紙をくれるんだ!と猛烈に感動した

モラハラはなぜか妙なところで気が利くのでこのように定期で惚れ直していた

何かで機嫌を損ねて1週間無視されても約束をすっぽかされても、でもこの人はレターセットでお手紙をくれるし出先で貧血で倒れたら警備員さんとか呼んでくれるし!!と思っていた

通算5年くらい付き合って流石に現実見て別れたんだけど、女は暴力的な男が好き!モラハラを選んでる!みたいな言説を見るたびに、私みたいなメンヘラ勝手に引っかかって勝手に傷ついてるだけだから特殊な例を見ないでまともな女と付き合おうとしてくれよな!と思っている

2025-12-26

anond:20251216041008

フェミとか人権拗らせた人間が陥りがちな

恋愛しただけでダメ人間人間として下」

というド直球差別してるやつ。

自分人権意識高いと思ってんだよなー

2025-12-04

証明者――父と私、そして「存在しなかった」ものたち

春の陽射しが網戸を通して差し込む。父親がレール部分を指さす。「ここが出っ張っているから削ってくれ」。私は黙って見ていた。

彼の指さす先は、網戸の可動部分そのものだった。削れば機能しなくなる。彼は「ちょっとした困難」にすぐ人を頼る。

この癖が、彼の人生を、そして私との関係を、ゆっくりと確実に蝕んでいったのだと、今ならわかる。

水に沈むラジコン

私が小学校六年生のときの話だ。何週間もかけてラジコンカーを組み上げていた。

完成間近になった夜、父は「見せろ」と言った。暗がりの中、私は車体の最終調整をし、父に送信機を渡した。「触らないで」と念を押した。

彼は触った。いや、いたずらした。車体はバックし、深い水たまりにまっすぐ入った。

防水ではない。私は固まった。父は笑っていた。彼は私がキャンキャン騒ぐのを楽しんでいた。

子どもの反応をおもちゃのように弄ぶのが好きな男だった。

後日、母の叱責で父は謝罪した。窓を開け、寝ている私に投げやりに「悪かった」と叫んだ。

謝罪というより、恥辱の表明だった。何も伝わってこなかった。

この瞬間、私は「父」という存在を、一個の「人間」として測り始めた。そして、その測定結果は惨憺たるものだった。

父は幼い子ども特に五歳くらいまでの子に強い興味を示した。無理難題を言って反応を楽しむ。

しかし、子ども自我を持ち始め、「嫌なものは嫌」と言い出すと、彼の目は瞬く間に曇り、興味は失せた。

彼が求めたのは「思い通りになる関係」だった。それは存在しない幻想だ。だが彼は、その幻想依存し続けた。

春の朝暴力と、秋の出向

春になると、父は特別なことをした。早起きして私を叩き起こすのだ。

冬はない。春の陽気が、彼の中の何かを騒がせるらしい。「五分で着替えてグラウンドに出てこい」。それができないと、真っ赤な顔をして殴ってきた。

彼は「猶予を与えないこと」が得意だった。自分が起こされるときは、そんなことは一切ないのに。

時は流れ、父は会社で「懲罰人事」と呼ばれる社外出向を命じられた。

当時はリストラ時代ではない。彼は「出向イコールクビ」と二度繰り返し、絶望した。

青森かどこかへ行かされ、そこでは何もせず、無為時間を過ごし、苦しんでいたと後で聞いた。

不思議ものだ。同じ「出向」という境遇に、私は後に立つことになる。

だが私の感覚は違った。「落ち込んでいたけど、日々の出勤があるからね。なんかできないかなー」そう思った。

二万円のパソコンと、当時としては画期的低価格ソフトを買い、独学で使いこなした。

そして自作の便利なコマンドを作り、部署のみんなに入れてあげた。面白がられた。

そこに、大手IT企業から来たという男がいた。LANケーブルのこともわからず、私に頼ってきた。仕事から逃げる人だった。

「こんなダメ人間がいるのか」と思った。肩書と実力の乖離。父が会社でやっていたことも、おそらくこれに近かったのだろう。

暴力で言うことを聞かせ、逆らうと政治をする」。そんな男が、組織の本流から「放逐」されるのは、必然の成り行きだった。

網戸と算数問題集クラシック音楽

網戸の掃除の一件は、彼の人生の縮図のように思える。

自分で見て、考えて、ためしてみる――この最も基本的プロセスを、彼は常に他者に投げた。

その癖は、家庭の隅々に染み出ていた。

一緒に旅行に行こうと言い出したかと思うと、電車の中で突然言った。「お前は算数問題集を持ってきてやる」。

アホかと思った。旅行という非日常空間に、日常課題を持ち込む。

彼の頭の中には、私という人間感情欲望存在せず、あるのは「教育する父」という自分自身の役割に没入したいという欲求だけだった。

別の日、彼はテレビクラシック音楽番組を楽しそうに見終わると、手元を指さして言った。

ハイ、ここに三十分くらいクラシック音楽」。突然の指令である。私はレコードプレーヤーを持ってくるよう命じられ、むしゃくしゃした。

だって番組を楽しんでいたのに。彼の「いい気分」は、周囲の人間を突然「自分情緒体験の延長」として召喚する許可状になった。

ゴルフ指導もそうだった。一挙一動に大声で口を出し、完全に夢中になる。

彼が夢中になっているのは、私の上達でもない、親子の時間でもない。

指導者としての自分」に酔いしれる感覚のものだった。

水泳でも「それいけ!」とプール中に響く大声を出した。

それは私のためというより、自分自身の熱狂演出するパフォーマンスだった。

「胸がいっぱいです」と、存在しない相手の家

母方の叔母の話をしよう。彼女の息子は三十五歳でようやく結婚式を挙げた。

その場でマイクを握り、「私は胸がいっぱいです」と泣きながら言った。

私は意外だった。ふつう結婚式来賓を労うものだと思うからだ。

だが、これが母方の家系の特徴なのかもしれない、と後になって気づいた。

その叔母もまた、自分の息子が結婚した際、相手の家が存在しないかのような振る舞いを繰り返したという。

母も父と「同じ」だった。私の感情意思を、一個の独立したものとして尊重するという基盤が、初めからそこにはなかった。

母方の家系には、内輪の感情に強く没入し、その外側の他者を軽視する傾向が流れているようだった。

私は、父方の「支配幻想」と、母方の「没入と無視」という、二つの異なる「他者不在」のシステム交差点に生まれ落ちた。

からこそ、私は両方のシステムから自由な、「外部の観察者」となることを運命づけられていたのかもしれない。

高校生背中と、親戚への言いつけ

高校生のある日、私はついに父に「やり返した」。長年の理不尽暴力への反撃だ。

だが私は、顔面は避け、背中から押し倒すという「優しさ」すら守った。

彼は私を殴り返さなかった。代わりに、親戚中に電話をかけ、「息子が父親暴力をふるった」と言いふらした。

そこで私は、彼の「卑怯」の本質を見た。力の論理で負けるやいなや、たちまち「世間体」や「情の政治」という別の土俵に持ち込む。

会社で「逆らうと政治をする」というのも、まったく同じ手口だったに違いない。

家庭という密室では通用たこ手法が、会社というより広い社会では通用しなくなり、彼は「懲罰人事」という形で社会から排除されていった。

死の間際の「息子、息子」

父が死の床に就いた時、彼はひたすら「息子、息子」と考え続けていたと聞いた。その話を聞いて、私はなお一層、痛々しい気持ちになった。

なぜそこまで、自分を脱することができないのか。なぜ「最初から存在しなかった幼児」への依存から、一生抜け出せないのか。

彼が求め続けた「息子」は、私ではなかった。自我を持ち、意思を持ち、彼の支配を拒絶し、一個の人間として彼と対峙たこの私ではなかった。

彼が恋い慕ったのは、彼の心の中にだけ存在した「言いなりになる幻想幼児」だった。私は、その幻想体現できない「失敗作」として、彼の人生に居続けたのだ。

「生まれてこさせてもらって感謝」という問いの空虚

世間では「生まれてこさせてもらって感謝しなさい」と言われる。だが私は思う。最初から存在していないなら、生の苦しみも何もない。

まれる前の「私」に、生まれることの恩恵不利益もない。問い自体意味をなさない。

父や母は、「子どもを作った」という事実をもって、何かを成し遂げたと思っていたかもしれない。

だが、生物学的な子作りは猫や犬にもできる。なにも偉くない。

本当に難しいのは、その子どもを一個の独立した人格として尊重し、その人生を見守ることだ。

彼らにはそれが決定的に欠けていた。だから感謝」を求めること自体が、服従要求に感じられる。

私もうつ病になり、三十年近く貧しい生活を続けてきた。その中で気づいたのは、生きて給料を得ることすら、ある種の犬や猫が「できること」に過ぎないということだ。

社会はそれを「偉さ」の基準にするが、それができないからといって人間価値がなくなるわけではない。

逆に、それができたからといって、その人が他者尊重できる人間になるわけでもない。父がそうだったように。

理想化された対象と、網戸のパーツ

から私は思う。父のような人は、理想化されたホステスさんに、自分理想女性を「乗り移らせ」て、ぼーっと依存するほうがよほど健全だったのではないか、と。

対価を払い、時間区切り無辜他者を傷つけずに、自分幻想と向き合うことができるのだから

彼はそうしなかった。代わりに、逃げ場のない家族を、自分幻想支配欲の捌け口にした。

網戸のパーツを「出っ張り」と誤認し、削るよう命じたように、彼は現実を歪めて認識し、それを修正する責任他者押し付けた。

私は彼の「人生証明者」である

彼が家庭という密室で、そしておそらく会社という社会で、いか他者尊重せず、いか自己幻想依存し、いかにして孤立排除へと向かっていったかを、誰よりも詳細に証明できる存在だ。

同時に、私は彼の「反対の証明」でもありたい。出向先でパソコンを学び、コマンドを作って笑いをとったように。

網戸のパーツを削るように命じられながら、その誤りを見抜いたように。春の朝暴力に、「背中から落とす」という自制の反撃で応えたように。

彼が「懲罰」と見た場所で、私は「自分が伸びる材料」を見た。彼が「クビ」と絶望した処遇を、私は「日々の出勤があるから」と現実として受け入れた。

彼が「息子、息子」と幻想にすがった最期とき、私は「なぜ自分を脱せないのか」と、彼の孤独を見つめていた。

証拠はすべてここにある。水に沈んだラジコン春の朝グラウンド。網戸の誤認されたパーツ。親戚に言いつけた電話

青森での無為な日々。そして、私の中に残る虚しさと、それでも尚、現実能動的に関わろうとする、かすかな手応え。

子どもはすべて知っている。思う存分にやったことを、一つ一つ覚えている。

私は父の、そして母方の家系の、その「思う存分」の人生の、生きている証明なのだ

この証明書に刻まれ文字は、時に怒りに、時に哀れみに、時に深い虚無に染まる。

だが、それが私という人間の、否定しがたい一部であることも、また事実である

私は、彼らの「不在」の証明であることと引き換えに、少なくとも自分自身の「存在」の証人ではあり続ける。

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