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羽幌炭礦鉄道の廃線跡

 羽幌炭礦鉄道は、羽幌炭鉱からの石炭積み出しのため敷設された鉄道です。1941(昭和16)年築別駅~築別炭礦駅間16.6kmが開通すると、1962(昭和37)年には途中の曙駅から三毛別駅までの3.8kmの軌道工事を完成させ、運炭列車が走り始めました。

 国内有数の優良鉱として近代化も進んでいた羽幌炭鉱でしたが、国内の石炭産業衰退の波には抗えず、1970(昭和45)年11月1日の取締役会にて閉山を決定、鉄道線も同年12月14日の運行を以って廃止されました。

 廃止から52年が過ぎた2022(令和4)年5月某日、羽幌炭礦鉄道の廃線跡を巡りましたので、今回はその時の様子を炭鉱の遺構と併せてご紹介したいと思います。

 ▼築別集落から廃線跡を辿ると、最初に遺構らしい遺構に出会うのが…。
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 ▼こちらの第一築別川橋梁。
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 ▼現在も主桁が残されています。
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 ▼付近には廃線跡の道床が残されています。
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 ▼続いて目に入るのは…。
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 ▼第三築別川橋梁。
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 ▼1940(昭和15)年に開始された鉄道敷設工事は…。
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 ▼第一次世界大戦の真っ只中。
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 ▼鋼材不足で物資をそろえるのが困難な時代であったため…。
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 ▼各地から中古品を集めてきて建設したそうです。
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 ▼そのため、橋梁の桁高や橋脚の間隔が著しく不揃いなのが特徴です。
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 ▼曙駅があった場所付近に現存するのは…。
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 ▼曙小学校だった建物。
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 ▼残念ながら、訪問日直後の2022(令和4)年6月以降に解体されてしまったようです。
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 ▼曙駅~桜ケ丘駅間の廃線跡。橋梁が残されています。
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 ▼桜ケ丘駅~古賀町駅間の廃線跡。
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 ▼先ほどのより長めの第四築別川橋梁です。
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 ▼桜ケ丘駅~古賀町駅間の廃線跡。第五築別川橋梁です。
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 ▼謎の構造物に目をやると…。
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 ▼遠くに建造物が見えます。雪の重みで屋根が倒壊した太陽小学校の体育館。
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 ▼倒壊前は非常に美しい円形の体育館でした。※2014(平成26)年10月に撮影
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 ▼付近には建物の土台と思しきコンクリートが散見されます。
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 ▼続いて見えてくるのが、この大きな建造物…。
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 ▼築別炭砿の貯炭場(ホッパー)があった場所です。
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 ▼貯炭された石炭は建物の下に貨車が到着すると…。
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 ▼頭上から荷積みが行われていました。
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 ▼周辺には道路(あるいは軌道)があったことを示す橋桁や…。
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 ▼煙突などが残されています。
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 ▼原野に突如そびえる大きな建造物に思わず息をのみます。
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 ▼貯炭場(ホッパー)を後にして、さらに奥へ進むと…。
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 ▼羽幌炭礦鉄道病院だった建物が。この付近に築別炭砿駅があったようです。
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 ▼そして、その向かい側には炭鉱アパートがあるのですが、橋から先は立入禁止。
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 ▼今は道道741号線から相沢川越しに眺めるしかありません。
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 ▼こちらは2014(平成26)年10月に訪問した時の様子。
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 ▼当時は建物内は立入禁止だったものの、建物のすぐ近くまで行くことができました。
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 ▼曙集落まで戻り、次は上羽幌方面へ向かいます。
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 ▼北辰中学校跡。私有地につき、立ち入ることはできません。
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 ▼ガソリンスタンド跡。大五商事という会社が運営されていました。※2014(平成26)年10月に撮影
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 ▼そして、見えてくるのが…。
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 ▼羽幌本坑の運搬立坑と…。
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 ▼貯炭場(ホッパー)があった場所です。
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 ▼貯炭場の仕組みは築別炭砿ものと同じ。
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 ▼建物下に貨車が到着すると、頭上から荷積みが行われていました。
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 ▼貯炭場の奥にあるのが選炭工場。
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 ▼建物は木々に覆われ、幻想的な雰囲気。
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 ▼建物手前にあるのは沈殿池。選炭工程で出る汚水を貯め、微粉炭を沈澱させる設備です。
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 ▼運搬立坑から搬出された石炭は…。
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 ▼選炭工場で分別され…。
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 ▼貯炭場に送られる…という当時としては最先端の設備でした。
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 ▼貯炭場から少し進んだところにある羽幌本坑坑口。自然に還りつつあります。
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 訪問日:2014年10月・2022年5月

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