はてなキーワード: 赤十字病院とは
「原爆を落とした私たちの国を恨んでいますか?」 外国人観光客の質問に被爆2世らが出した答え
https://www.daily.co.jp/society/life/2022/10/29/0015763692.shtml
外国人観光客の質問が話題に出たのは、広島赤十字病院にある「歪んだ窓枠」を訪れた時だ。横から見ると窓枠が出っ張り、爆風の威力が伝わる。石飛さんは状況を説明する中で、こう言った。「被害を知った欧米の方によく聞かれるんです。原爆を落とした私たちの国を恨んでいますか、と」。最初は答えに悩んだという。だが、メンバーと話し合い、今は意見を一致させている。「恨んでないよ」
マイナンバーカードが生まれた時から作れるのは以外だった。出生届出して1ヶ月も経たずに申請用紙が来て、そこから1ヶ月で作ることができた。
一時金の42万は簡単だろと思ったら、なぜか病院の領収書の不備で受領されずに困っている。来週聞くしかないが、そこそこ歴史ある赤十字病院なのになぜ?それとも審査したところの問題か
住んでいる市は県内でもお金持ちに分類される裕福な自治体(不交付団体)なのに、子供の医療費無料じゃないってなんで?しかも500円以上する
以前、さいたま市の保健所長が「病院があふれるのが嫌で(検査対象の)条件を厳しくしていた」と発言したとしてニュースになったり、今日も、4月半ばごろには入院まちが200人以上いたという記事がホッテントリ入りしてたりして、埼玉の医療が結構やばいということは、うっすらと伝わっているとおもうので、その背景みたいなことをド素人なりにつらつら考えてみた。
なお、自分は元埼玉県民、いまは都内に住んでいるが、親族や知り合いに埼玉県民はたくさんいる。
埼玉在住の自分の姉も、4月半ばごろ「これまで経験したことのない風邪」に苦しめられていたらしく(直接あってないので、どれくらい苦しかったかはよくしらない。当人の証言のみ)、何度も電話かけてやっとつながった相談窓口に「とにかく自宅で様子見てくれ」の一点張りに途方にくれていたところ、そのうち症状がなくなったらしい。
で、埼玉の医療事情だが、まず大前提として、埼玉は医師も病床数も全国屈指に足りていない。
これは、自分の子供のころ、つまり昭和のころからいわれていた。
今や全国5位の人口を誇る埼玉県だが、国公立の医大・医学部が存在していない。
いや、正確にいうと、所沢に防衛医科大学校というのがあるのだが、これはやはりちょっと特殊な学校で、卒業生は基本的に自衛隊の医官になってしまうので、地元に医師は供給されないし、防衛医科大の医局が地元の病院を牛耳ることもない。
唯一、埼玉県内で文科省の管轄する医大・医学部は私立の埼玉医科大学だけである。
ずいぶん昔、田中角栄が「1県1医大構想」を掲げたころに、埼玉大学(国立・地元では県庁職員と小中学校教員の供給源として知られる)に医学部を!という話もあったらしいのだが、うまくいかず、その代わりに開設が認可されたのが埼玉医科大学らしい。
一説には、当時の知事と医師会のあれやこれやとか、地元政界の魑魅魍魎話とかいろいろとあるようだが、詳細はしらない。
ただ、埼玉医科大学の創立者一族は、歴代埼玉県議長だったり県議だったりする、というのがあって、そのへんがまたいろんな噂を呼ぶ素地ではあるのだろう。
なお、埼玉医科大系の病院は、ホームページの入院案内をみると何よりも目立つように赤字で「前納金」について書かれていて、まあ、そんな感じらしい。
医大としては歴史が浅いので偏差値は低いのに学費は高く、よってしたがって、学生は「どうしても子供も医者にしたいという開業医の、成績が今一つの子息ばっかり」だとかなんとか。
最近は卒業生の教員もいるようだが、その昔は東大とか慶応から移ってきた教員が、それこそ神様のように扱われていて、一昔前の医学ドラマのようだったという話もよく聞く。
あと、日本で初めて正式に性転換手術をしたことでも有名になった大学でもある。
人口120万を超える政令指定都市にして県庁所在地であるさいたま市には医大はない。
自分は旧浦和市(現さいたま市)の出身なのだが、自分の子供のころ、地元で大きな病院といえば市立病院と社会保険病院しかなく、そこで対処できない「難しい病気」の人は都内の大学病院に通院したり入院したりする、という風習があったように記憶する。
そういえば、亡き父が心臓弁膜症の手術をしたのも都内の某大学病院だった。
そもそも、埼玉南部に住んでる「埼玉都民」は、なにかというと東京にでるのが当然なのである。
医療に限った話ではないが。
なんとかしなければ、とこれまで行政が動いてこなかったわけではなかろう。
平成の初め頃、大宮に自治医大の病院ができたのは、地元では大きなニュースだった。
もともとは高層ビルか埼玉タワー(スカイツリーと誘致を争っていた)の建設を計画をしていた、さいたま新都心の空き地には、県の働きかけによって規模が大きくなった赤十字病院と県立小児医療センターが鎮座することになった。
駅徒歩4分、コンサート会場としても名高い「さいたまアリーナ」の目の前に大病院が建ってるのは、なにやら異様な光景ではあるのだが、まあ、一番必要な施設を建てたということだろう。
サッカーの聖地さいたまスタジアムにほど近い開発地域に、県と市が土地を提供して順天堂大学病院を呼んでくる話も進んでいて、当初計画では今年にはできているはずなのだが、予定地はいまだ空き地。去年だったか、木下サーカスが公演をしていた。
埼玉住み、東京勤務だったりすると、会社の健康診断は都内で受けたりする。そこで異常が見つかって精密検査して治療が必要になると、紹介されるのは都内の病院だったりする。
自分も埼玉の実家から東京に通っていた時期があるのだが、その時期、再検査に引っかかって胃潰瘍がみつかって、薬でピロリ菌除去する治療を受けたりしたのだが、それら全部、都内で済ませる結果になった。
要するに、埼玉県の通勤圏の人たちの医療は、多分に都内に依存してるのであって、だから「一人当たり医師数・病床数全国最悪」であってもこれまでなんとか回っていたのであろう。
ところが、コロナウイルスの対応は、都道府県単位でしきられている。これは、埼玉県にとってはつらい。
昨年の8月に野党系の支持を受けた知事が誕生したこともあって、「知事の無能さ」をたたく人がネットに散見されるが、まあ、飛び切り有能な知事でもないかもしれないが、しかし、知事の能力ではいかんともしがたい構造的問題を抱えていることは理解しておいてよいと思う。
おそらく「テレワークに移行しましょう!」と、スムーズに移行できる一流企業にお勤めのかたはStay Homeしているのだろうが、そうでない埼玉県民はたくさんいる。
そもそも、一流の企業に勤め、一流の給料をもらっている人は、できれば埼玉ではなく都内に住みたいのであって、「そうでない人」の比率は、都民より埼玉県民のほうが多かろう。
安い給料に耐え、通勤電車に耐え、毎日東京で働いて東京の経済を支えている埼玉県民は多いはずだ。
そして、東京から埼玉にコロナウイルスをせっせと運んでくるのである。
もともと、埼玉は「観光で宿泊する人」が全国でも屈指に少ない県である。観光地少ないから。
そんな埼玉に、一番ウイルス運んでるルートは、通勤のほかには考えられない。
そして、マスコミは東京には注目しても、埼玉には注目しない。逆に「福井や石川に持ち込まれた」みたいな話とかならニュース性もあるのだろうが、東京の隣で深く静かに進行した医療崩壊にはなかなか目が向かない。
「一極集中」というと、東京と地方の話になりがちだが、じつは隣の県から見ても、東京にはいろいろ集中しすぎてるのだろう。
で、埼玉県民は仕事も医療も遊びも東京にいく(いかざるをえない)ので、毎日、人は東京に集中してはまた埼玉に帰ってくる。
そんな構造のなかで、「Stay Homeです、移動しないようにしましょう!」という事態に陥って、都や県の単位での対応に迫られたとき、切り離された埼玉が苦悩するのも当然といえば当然な気もしている。
※深夜に思いつきで書きなぐったものなので誤字脱字などがあったりごちゃごちゃして読みづらいかもしれませんがよろしくお願いします
僕が15歳2018年年3月〜4月に精巣捻転症になりました。そのことを忘れないように書き留めておきたいなーと思いつつできていなかったし周りの学校の友達などには言えずモヤモヤしていたのでここに残しておきたいと思いました。
まずそもそも睾丸捻転症とはどのような病気かといいますと精巣内の血管がねじれて精巣に血液が行かなくなり精巣が壊死するというものです(間違ってたらすみません)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E5%B7%A3%E6%8D%BB%E8%BB%A2%E7%97%87 (詳しくはwiki)
もしこの病気にかかったら六時間以内に病院に行って手術をしないとそれ以降は成功率が格段に落ちます24時間をすぎるともう無理と言われています
僕がこの病気になったのが3月の中旬くらいの卒業式が終わったあたりから左の方の睾丸がいつもより腫れていておかしいな~と思いつつ親に言う恥ずかしさもあり少したてば症状も収まるだろうと思い放置してしまいました
その後一週間後くらいに中学生から高校生という間もあり春休み期間が長かったため祖父母の家に帰省することになりました。新幹線で行くことになり新幹線に乗りましたが車内で流石に痛みに耐えきれずに親に連絡して祖父母の家についてから近くの泌尿器科に行くことになりました。その時は発症してから時間が立っていたことから精巣上体炎なのでは?と言われ次の日に総合病院の方に行くことになりました。この時気づいたのですが熱は37.5くらいで普段より高い状態でした(手術するまでこの体温のまま続きました)そして次の日病院に行ったとき詳しく調べてもらい精巣捻転か精巣上体炎のどちらかと言われました。症状の重さやもう精巣捻転なら精巣がだめになっているのでとりあえず薬を飲んでみて落ち着くかどうか見てみようということになりました。そして薬を飲んで一週間後にまた行くことになりました。薬を飲み腫れは少し治まったので僕としても精巣を取らなくて済むと安心し始めていました。一週間後また病院に行き収まったことを言うとまだ完全に治ってないから家に帰ってからまたそこでまた病院に早めに行ったほうがいいといわれたので行くことになりました。前に家族の中で入院した人があった大きな病院の仙台赤十字病院に行きました。行って診察でエコーを受けて診断されたときこれは「睾丸捻転だねもうこれを残してもしょうがないので切除してもう片方も捻転しないように固定する手術を明日しよう、ここまで耐えてられたのは捻転が一回転したのではなく途中で半回転くらいだったからじゃないかな」と言われてその日のうちに入院することになりました。その診断を受けたときは一気に具合が悪くなりめまいが激しく起こったりしました。その後血液の検査などを受けて病院に入院しお風呂などなどを済まました。その日の病院食はくっそ不味かった覚えがあります。その夜は全然寝ることができず何回も嘔吐をして体調は最悪でした。そして次の日も熱を測ると38.0くらいまで上がっていて体が手術を拒んでいました。手術室の前まで行きましたがお医者さんに無理して今日手術するのはやめようということになって一週間後に手術することになりました。そして家に帰ってからは横になりながらダラダラ過ごしてリラックスすることができました。(家で過ごすと本当に落ち着きます)そして一週間後また病院に行き入院しました。相変わらず病院食は口に合わずコンビニで弁当を買ってきてもらって食べたのを覚えています。その日の夜は嘔吐などもせずにそのまま眠ることができました。そして手術の日浣腸などをして準備をしっかり整えて手術室に向かいました。手術室に入ってからは全身麻酔をすることろからだったので麻酔から始まり記憶が薄れて気がついたら手術終わった後でしたこの手術前から後までが本当に一瞬だったのでびっくりしました。
それからベッドに戻り麻酔が切れてきてからが辛くなりました。体の一部を切ったので動かなくてもすごく痛かったです。特にトイレをする時立つことすら痛くて出来ず最初は尿瓶にしていました。おむつのようなものをつけていましたがそれをずらすのだけですごく痛く大変でした。そして一日一回先生が来て菌などが入らないように絆創膏?みたいなのを取り替えてくれるのですが取り替えるときがとても痛くて耐えるのが辛かったです。二日目からは前日から動いていないのでそれを徐々に慣らすのも兼ねてトイレまで歩いて行くようになりました。体の向きを変えること体を置きあげること立つこと歩くこと全て日常的にやっていることが大変ですごい苦労しました。それを次の日も続け手術から四日目で無事退院することができました。担任してからも数日間は辛いのが続きましたが徐々に慣れていき普通の生活に戻ることができました。
僕はこの病気にかかったとき医学が進歩している今でも睾丸を片方切除しないといけないというほどの病気があるのかって最初に思いました。この病気が起こる原因ははっきりとしていなく起こる原因もわからないことが多いそうです。このような病気に自分でかかってしまったショックがすごく大きかったです。まあ片方の睾丸があれば大丈夫と言われているやおこた病気が外見で見えるところじゃなくてよかったと自分に言い聞かせて今は過ごしています。これからこの事でたびたび問題が起こると思うのですが頑張って乗り越えていきたいと思います。この病気自体4000人に一人と言われていて男性の10代から20代の人なら起こる可能性が誰でもあるのでもしこの記事を読んでくれた若い男性がいるなら頭の片隅にこのことを覚えてくれたら嬉しいです。