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『出雲の阿国』公演だより
有吉佐和子原作『出雲の阿国』
――本日(2010・9・18)、北海道釧路での公演にて全222ステージの千穐楽を迎えました!!
2002年9月に名古屋の中日劇場で初日の幕を開けてから、東京初台の新国立劇場と吉祥寺・前進座劇場と続いて45ステージを公演しました。
その後2005年の春から演出・音楽・振付・装置などを一新して新生『出雲の阿国』として再出発。
初日をおくにのふるさと出雲であけ、山陰地方を巡ったあと尾道から山陽道へ出て、中国ブロックをツアー(28ステージ)しました(後半一座のメンバーにインフルエンザが流行し大変だったことを思い出しました)。
2007年は吉祥寺・前進座劇場で初春の幕を開けたのち2月いっぱいかけて関信越と新潟地域を巡演23ステージ。
2009年には《おくにかぶき》発祥の地、京都四条南座で1月3日~22日まで32ステージの初春公演をさせていただき(冬の京都で昼夜2ステージが連続1週間続いた翌8日目つまり15ステージ目の舞台の始まる前のキツカッタこと!でも幕があいたら当然とはいえとシャンとしましたヨ)、全国からたくさんの皆さまがお運び下さいました。
今年は再度初春に東京吉祥寺・前進座劇場で公演をしたのち、九州全県と静岡県下の演劇鑑賞会様を1月~4月までかけて73ステージ公演、あちらこちらで会員さまと忘れられない多くのドラマに出逢いました。
そしてこの9月の北海道10ステージのツアーをもって、わたくし妻倉の[阿国]と山崎辰三郎さんの[伝介]、今村文美さんの[お菊]の組み合わせでの『出雲の阿国』公演はとりあえずファイナルとなりました。
中世から近世、つまり安土桃山期から江戸期へと歴史上の大きな転換期に出現し、花開いたこの《おくにかぶき》が今の日本の伝統文化の《歌舞伎》へと発展していくわけですが、これは〝文化芸術〟は〝平和〟でなければ芽生え育まれていかないという歴然たる証しなのです。
【有吉おくに】はおくにを奥出雲の鑪(たたら)製鐵の職人の娘として位置づけて、製鐵に欠かせない〝炎〟と〝火のおなご〟として情熱的に恋をし芸に生きて舞台に立つ姿を重ね合わせ、おしまいには故郷出雲に恩返しをする為に命をかけるーーその激しくもたおやかな女性の半生は深く濃密で、再演の稽古の度にたくさんの発見と確認と手が届かない程の崇高さを感じて、毎度毎度新鮮に役造りにノタウチまわっておりました。
でも…愛が破局した時、女の命といわれる艶やかな黒髪をバッサリと切り落とし、キリリと男髷に結い上げて腰には長太刀、首には珊瑚のロザリオを下げた〝かぶいた〟いでたちで男振りを踊って一世を風靡した、恐らく日本初の男装の麗人である【おくに】は、入場料(木戸銭)というものをいただいて踊りに筋と台詞を導入したプロの芸能集団の先駆者であり、故郷出雲の砂止めの嘆願をする…いわゆる公害問題に取り組んだ最初の女性であったと思われます。
この【おくに】さんという素晴らしい女性の魅力にどんどん取り憑かれていった幸せな8年間でもありました。
今日開演前に〔くしろ演劇をみたい会〕の皆さんから受けたインタビューの中で「阿国という役は妻倉さんにとってどういう存在ですか」というご質問がありました。
かつてこのご質問をいただいた時にはたいてい「女優人生をかけて全身全霊で取組んでもまだ足りない程の役者冥利につきるお役です」と答えていましたが、今回は思わず「孫やひ孫(どちらもいませんせんが)にこんな凄い仕事をしたのよと自慢したい。
私の人生の宝です」と答えてしまいました。
今まで叱咤激励して支え続けて下さった沢山の皆さまに言葉では言い尽くせない程の感謝の念を持って『出雲の阿国』ファイナル公演千穐楽の夜に筆を置きます。
ありがとうございました。
■記:妻倉 和子■
☆おまけコーナー☆
←感動のエピローグ終了直後に、阿国さんと伝介さんを!
←開演前に、スタッフさん含め記念写真を撮りました!
←たんちょう釧路空港で、津上忠さん(右)と阿国役の妻倉和子(左)
←たたらの大旦那は、実は、阿国さんの大旦那様でした!
――本日(2010・9・18)、北海道釧路での公演にて全222ステージの千穐楽を迎えました!!
2002年9月に名古屋の中日劇場で初日の幕を開けてから、東京初台の新国立劇場と吉祥寺・前進座劇場と続いて45ステージを公演しました。
その後2005年の春から演出・音楽・振付・装置などを一新して新生『出雲の阿国』として再出発。
初日をおくにのふるさと出雲であけ、山陰地方を巡ったあと尾道から山陽道へ出て、中国ブロックをツアー(28ステージ)しました(後半一座のメンバーにインフルエンザが流行し大変だったことを思い出しました)。
2007年は吉祥寺・前進座劇場で初春の幕を開けたのち2月いっぱいかけて関信越と新潟地域を巡演23ステージ。
2009年には《おくにかぶき》発祥の地、京都四条南座で1月3日~22日まで32ステージの初春公演をさせていただき(冬の京都で昼夜2ステージが連続1週間続いた翌8日目つまり15ステージ目の舞台の始まる前のキツカッタこと!でも幕があいたら当然とはいえとシャンとしましたヨ)、全国からたくさんの皆さまがお運び下さいました。
今年は再度初春に東京吉祥寺・前進座劇場で公演をしたのち、九州全県と静岡県下の演劇鑑賞会様を1月~4月までかけて73ステージ公演、あちらこちらで会員さまと忘れられない多くのドラマに出逢いました。
そしてこの9月の北海道10ステージのツアーをもって、わたくし妻倉の[阿国]と山崎辰三郎さんの[伝介]、今村文美さんの[お菊]の組み合わせでの『出雲の阿国』公演はとりあえずファイナルとなりました。
中世から近世、つまり安土桃山期から江戸期へと歴史上の大きな転換期に出現し、花開いたこの《おくにかぶき》が今の日本の伝統文化の《歌舞伎》へと発展していくわけですが、これは〝文化芸術〟は〝平和〟でなければ芽生え育まれていかないという歴然たる証しなのです。
【有吉おくに】はおくにを奥出雲の鑪(たたら)製鐵の職人の娘として位置づけて、製鐵に欠かせない〝炎〟と〝火のおなご〟として情熱的に恋をし芸に生きて舞台に立つ姿を重ね合わせ、おしまいには故郷出雲に恩返しをする為に命をかけるーーその激しくもたおやかな女性の半生は深く濃密で、再演の稽古の度にたくさんの発見と確認と手が届かない程の崇高さを感じて、毎度毎度新鮮に役造りにノタウチまわっておりました。
でも…愛が破局した時、女の命といわれる艶やかな黒髪をバッサリと切り落とし、キリリと男髷に結い上げて腰には長太刀、首には珊瑚のロザリオを下げた〝かぶいた〟いでたちで男振りを踊って一世を風靡した、恐らく日本初の男装の麗人である【おくに】は、入場料(木戸銭)というものをいただいて踊りに筋と台詞を導入したプロの芸能集団の先駆者であり、故郷出雲の砂止めの嘆願をする…いわゆる公害問題に取り組んだ最初の女性であったと思われます。
この【おくに】さんという素晴らしい女性の魅力にどんどん取り憑かれていった幸せな8年間でもありました。
今日開演前に〔くしろ演劇をみたい会〕の皆さんから受けたインタビューの中で「阿国という役は妻倉さんにとってどういう存在ですか」というご質問がありました。
かつてこのご質問をいただいた時にはたいてい「女優人生をかけて全身全霊で取組んでもまだ足りない程の役者冥利につきるお役です」と答えていましたが、今回は思わず「孫やひ孫(どちらもいませんせんが)にこんな凄い仕事をしたのよと自慢したい。
私の人生の宝です」と答えてしまいました。
今まで叱咤激励して支え続けて下さった沢山の皆さまに言葉では言い尽くせない程の感謝の念を持って『出雲の阿国』ファイナル公演千穐楽の夜に筆を置きます。
ありがとうございました。
■記:妻倉 和子■
☆おまけコーナー☆
←感動のエピローグ終了直後に、阿国さんと伝介さんを!
←開演前に、スタッフさん含め記念写真を撮りました!
←たんちょう釧路空港で、津上忠さん(右)と阿国役の妻倉和子(左)
←たたらの大旦那は、実は、阿国さんの大旦那様でした!
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- カテゴリ : 出雲の阿国
- 2010-09-22
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