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『出雲の阿国』稽古場だより
《“まめ” “勘じ” そして “私”》
「もうこないな浮き草稼業はやめて、
どこぞの土に張りついて暮らしたい」
“まめと勘じ”の二人は阿国一座を支える囃子方。
常に行動を共にする良き相棒、親友…けれど
二人の生き方はきわめて対照的です。
勘じはその事務能力や機転の早さから、
阿国一座に見切りをつけ、やがて遊女歌舞伎に
“ヘッドハンティング”され一座を辞めてしまいます。
一方のまめは芝居を一生続けていく自信を失い、
家族のためにも一座を離れ百姓になることを決意します。
これはお芝居の中の話ではすまされない、
現実の私たち俳優につきつけられた問題でもあります。
志しを半ばに劇団を辞めていったたくさんの人たちのことを
どうしても思い出してしまいます。
涙が出ます。
私は今年1月から4月までは勘じを演じ、
この9月にはまめを演じることになりました。
両方を演じてみて私が少しだけわかったのは、
「それでも芝居は、演劇は、尊い仕事だ」
ということです。
この北海道での公演でそのことをもう一度自分に問いかけ、
私には何ができるのか、そして、私が役者を続けていくことの意味を
確かなものにしたいと思っています。
□記:柳生啓介□
「もうこないな浮き草稼業はやめて、
どこぞの土に張りついて暮らしたい」
“まめと勘じ”の二人は阿国一座を支える囃子方。
常に行動を共にする良き相棒、親友…けれど
二人の生き方はきわめて対照的です。
勘じはその事務能力や機転の早さから、
阿国一座に見切りをつけ、やがて遊女歌舞伎に
“ヘッドハンティング”され一座を辞めてしまいます。
一方のまめは芝居を一生続けていく自信を失い、
家族のためにも一座を離れ百姓になることを決意します。
これはお芝居の中の話ではすまされない、
現実の私たち俳優につきつけられた問題でもあります。
志しを半ばに劇団を辞めていったたくさんの人たちのことを
どうしても思い出してしまいます。
涙が出ます。
私は今年1月から4月までは勘じを演じ、
この9月にはまめを演じることになりました。
両方を演じてみて私が少しだけわかったのは、
「それでも芝居は、演劇は、尊い仕事だ」
ということです。
この北海道での公演でそのことをもう一度自分に問いかけ、
私には何ができるのか、そして、私が役者を続けていくことの意味を
確かなものにしたいと思っています。
□記:柳生啓介□
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- カテゴリ : 出雲の阿国
- 2010-09-01
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