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はてなキーワード: ID論とは

2023-01-14

anond:20230113231559

人間は猿から進化したんだから猿と同じ感情を持ってても何も悪いことないだろ、何でも女性差別しか見えない頭を放置してるとID論にでも目覚めちゃう

2021-06-11

anond:20210611095714

おっ、ID論かい

オリジナルはどこだい?

2020-04-22

anond:20200422003548

そうはいっても、元増田みたいな、ID論配慮せよ〜!みたいな一派が勢いを今でも保ってるの、文化相対主義のせいみたいなとこあるしな……。

なんか別の呪文を開発せねばならんのでは。魔導技術進歩が待たれる

2020-04-21

anond:20200421222352

ID論者って地球平面論者と似たようなもんだと思ってるけど、違った?

ほんとにそんなのに配慮しなきゃいけない?

2020-03-19

anond:20200319174521

Edy iD論争について店員サイドから意見ですが、楽天Edyって言うようにしてくれると助かるます。もしくはロゴ見せてくれると本当にありがたいのよ……特にクレカ勢。

2020-02-03

ついに疑似科学でも国の会議が開かれる様になるのか

ゲーム依存症対策関係者連絡会議を開催いたしま

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09255.html

独立行政法人国立病院機構久里浜医療センター
独立行政法人国立病院機構久里浜医療センター
独立行政法人国立病院機構久里浜医療センター

うわぁ、これは酷い。

これに関してはある意味当時の児童ポルノの一件と同じでWHOにこいつ等が強く働きかけて、ゲーム障害と言う名称のみ認められただけに過ぎないにも関わらず、国や地方圧力をかけていると言うある種のポリシーロンダリングと言うかマッチポンプまんまの構造だね。

この手の連中っていつも国連関係組織悪用して、規制に利用してくる習性があるよね。

これに関してはWHO権威悪用しているだけで、中身すら因果関係はおろか定義すら明確ではない、疑似科学のものなのだから、きちんと否定しないと省庁の信用にも関わると思うのだけどね。

ゲーム脳やEM菌、水にありがとうとかその手の類の奴だよ。

ある意味では一部の人間の道徳的観念押し付けに過ぎないにも関わらず、科学アプローチを装って、人を騙そうとしているのだから社会的害悪を与えている具合で言えば、このゲーム依存症と言うもの自体ID論社会学並に有害とも言えるだろうね。

しか文化庁著作権DL違法化拡大の会議と言い、この手の出来レースが見える省庁関係会議には本当にうんざりするよ。

2019-12-02

anond:20191202093841

とはいえID論擁護するのも否定するのも一部は否定できないが荒唐無稽評価するのも、天体物理学……ではなかったな……まあなんか科学仕事だったろう。

負の性欲って言葉が厳密性を欠いたジャーゴンだってのは認めるが、進化心理学の他に適切な置場所もない。

2017-07-27

https://anond.hatelabo.jp/20170726215433

これに関してなんだけど、

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/orcagy/status/888355304450215937

を見てて感じたこと。ちょっと視点は違うけど。

およそアメリカで偽科学批判する人が歴史修正主義親和的であるのは考え難いが本邦はそうでもない。

その理由を、この偽科学批判歴史修正主義批判は違うと言う意見アメリカではおよそあてはまらないのかなって感じた。

「実害性や人が死ぬかどうかで、違う」

これに関してはアメリカの偽科学批判者がまず批判する「創造論」や「ID論」にも当てはまってしまう。

キリスト教原理主義親和性が高く、それらの中にはテロリズムに走るものもいるが、そんなものはごく一部で大部分の創造論者やID論者には当てはまらない。

それに危険性を言うならある集団への差別憎悪偏見助長することの多い歴史修正主義の方がさら危険とも言える。

歴史科学ではなく、追試もできない」

なんというかアメリカの偽科学批判者なら進化論に関する議論で何度も聞いてそうである

進化自体は追試できないし、方法論や手法は違うが現在ある証拠から過去再現する点では古生物学歴史共通しており、原理的に歴史を偽科学から除外することにはならない。

さらに言えば、アポロ計画陰謀論アポロ11号が月面に着陸したこと自体歴史的事実であり、厳密には追試できないが、アメリカの偽科学批判者はアポロ陰謀論否定する。

「専門分野の違いだ」

著名な懐疑論者でThe Skeptics Society創始者マイケル・シャーマーは反ホロコースト否定論でもしられる。

こうして見ていくと、偽科学批判者が歴史修正主義者たりうる理由が良くわからないが注目する点で

江戸しぐさなどは批判している」

そう、実は偽科学批判をしている人も歴史修正主義批判している例はある。

では何で、南京事件慰安婦問題など、日本もっと議論になる歴史修正主義スルーするのか。

これで気づいたのは、それらの南京慰安婦に関する議論日本では、政治的イデオロギー的、感情的な反応が引き起こさる。

ある意味「虎の尾」と言える。

そう考えると、アメリカ政治的イデオロギー的に議論となる創造論を主要なテーマとしている偽科学批判者は「虎の尾を敢えて踏む」どころか「虎が倒れるまでボコボコにして、再度起き上がってくるならまたボコボコにする」くらいの覚悟最初からあった感じなのでは。

実際、創造論ID論アメリカ公教育から排除はされているが、何度も復活を試みようとされている。

虎の尾を踏んだ山本弘氏あたりはネット黎明期から今にいたるまでさんざん難癖をつけられている。

そうやって考えると偽科学批判者の中に感じられる「我々は政治イデオロギーから自由である」と言う勘違いが生じやすかったり「自分政治的イデオロギー立場に反しない限り歴史修正主義認識できるが、政治的イデオロギー立場合致する物は歴史修正主義認識できない」こともなんとなく分かってきたかな。

いわゆるニセ科学批判はその選択性を批判してるんだが、本人は「普通の日本人」として選択したつもりもないから何を批判されてるか分からないところとか

2017-03-07

適切な設問を用意する能力

こんな記事を見た。

http://hirorin.otaden.jp/e439923.html

ブコメでも散々言われいるが、この記事で扱われているアンケートは設問が悪すぎる。

まずもって、

 以下の質問に対し、「信じている」「やや信じている」「知らない・わからない」「やや疑っている」「信じない」の5つからあなたにあてはまるものに〇をつけてください。

という選択肢が悪い。なぜ「信じる」「信じない」なのだ。信じるだけなら根拠はいらない。科学的に正しいことを「信じている」からといって、その人がその事象根拠理解しているとは限らないのだ。

単に「信じている」だけなら、天動説を信じている人も、地動説を信じている人も、ID論を信じている人も、進化論を信じている人も、科学的な思考力を持っているとは言い難い。

他にも、個々の設問にも突っ込みどころがある。

2. 太陽は東からのぼり、月は西からのぼる。

これを6割の中学生が信じていた!問題だ!と、言いたいらしい。

しかし、この問題は、前半は正しく、後半は間違っている。流し読みしただけでは「太陽は東からのぼり」で「信じている」と答える者が少なくないことは容易く想像できる。

この問題に関して、「信じている」と答えた者は、

  • 設問をよく読まずに前半だけで判断した
  • 全文を読んだが設問の意味を適切に理解できなかった
  • 月が西から登ると本当に思っている

と分類できるだろう。

1番目は単なるケアレスミス、強いて言うなら注意力の欠如が問題なのである(これはテストではありません、なんていうアンケートで注意力云々を言うのはどうかと思うが)。

2番目は国語力の問題だ。それはそれで問題はあるのかもしれないが、科学思考力とは関係がない。

3番目が山本氏問題にしている部分であろうが、それは果たして実際には何割だろうか?少なくとも、設問が「月は西からのぼる」だけの問題であったなら、もっと少なかったのではないかと推測できるし、このデータだけでは議論できないことは明白であろう。

6. カーナビなどに使われているGPSは、月面でも使える。

現在、月に有人ミッションはなく、月面にGPS必要ない。そういう意味では、GPSは使えないだろう。

しかし一方で、月面探査機などは打ち上げられているし、電波は月まで届く。技術的には、月周回軌道衛星飛ばしてやれば十分に電波測位は可能であろう。GPSは「Global Positioning System」なので、別の名前になるかもしれないが。

そういえば、「宇宙兄弟」という漫画で、月面ローバーカーナビシステムを搭載する話があった。現実の話ではないが、不可能なことではない。あれの実現にはGPS必要である

で、この設問にはどう回答すればいいのだろう?「現在使えるか」という話なら不可能だし、「使えるようにすることは可能か」という話なら可能である。どう答えても、「間違っている」とは言えない。

23. UFOには宇宙人が乗っている。

まずUFOって何だ。未確認飛行物体だ。その正体が鳥でも飛行機でも、確認できない間はUFOだ。

まあ、いわゆる地球外生命体が空飛ぶ円盤に乗って地球に来ているか、と言われれば、証拠がないので「そのような事実はない」と言うしかない。

一方で、この地球という惑星人類という生命体が出現した以上、どこか宇宙の遠くに宇宙人存在する可能性は否定しうるものではないだろう。そして、もしその宇宙人が何らかの飛行する物体に乗っていれば「UFOに乗った宇宙人」の完成だ。

この設問は何を問いたいのだ?「宇宙人はいない」という答えが欲しいのか?宇宙のどこかに宇宙人いるかも、と語ったら「科学的でない」と言われてしまうのか?

まあ、これは個人ブログのようだが、世の中には往々にして、アンケート結果よりも設問を問題にしたほうがいいケースが存在する。

正しい統計を取るためには、曖昧さの少ない標本が必要だ。中学生科学思考力を問題にする前に、統計を取る側の人間が、統計を取るための能力を身につけることが先決ではないだろうか。

2016-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20160131234050

ID論ならDNAという形態人間が選んだというのは違うのでは?

それはまさに進化論の話じゃないか。

2014-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20140904102749

ID論採用すると進化論の内容と致命的に衝突する…ということはないだろ。

ID論反対者は主に「それは宗教から教育で教えるべきではない」と主張しているのであって。

2014-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20140729185559

元増田だけど

サル排卵わかるよ。そもそも繁殖期があって生殖器肥大するから


別にid論は信じてないしキリスト教徒でもない。

繁殖期がないのになんで交尾排卵じゃないのか、って考えて

メスの浮気やすくする隠蔽説とか、キリスト教徒の大好きなペア仮設を否定するなら

わかる奴らが積極的に子孫を残さなかったため、わかりにくいのだけ生き残ったって考えるのが妥当かな、と。

2014-06-06

キリスト教など西洋宗教は人は神の子であると考え、また祖先を崇拝した延長線上に神がある。

一方、東洋型の神道などでは、神は人間とは別の階層存在すると考える。

我々がID論など西洋型の宗教観理解しようとしても、無意識のうちにこのような隔絶を前提としていると、うまく消化できない。

舞台を変え、現代日本韓国ではどうか。

これらの国では国粋主義を叫ぶことが流行しているが、その旗振り役に居るのは西洋型の一神教価値観の持ち主達である

彼らが「伝統」を口にしてもどこか空しいのは、彼らがそもそも東洋的な宗教観価値体系を持っていないためだ。

アフリカへの奴隷制中東への「ぬれぎぬ侵攻」、そして東京広島長崎代表される、人を人とも思わぬ、計画的悲惨国際法違反行為、同じ価値観を持った西洋人同士でも果たして行ったのだろうか。

彼ら西洋人価値観が、我々の伝統を軽んじ、書き換えようとしている、これらを黙って見て、伝統を重んじる者たちは心が痛まないのだろうか。

その国の伝統をうまく把握できない者が、困難を抱えた時に国民を一致団結させることなど無理であり、統制で誤魔化すのが関の山であろう。

2013-03-08

理系文系の本当の違い

タイトルはやや釣り。既に皆が知っているような事を、ちょっと別な言葉でもう一回書くだけ。

一応最初自己申告すると、筆者は理系を自負している。

 

違うのは興味の対象

いきなり結論を書くと、これ。

理系事象や物それ自体に興味を抱き、人間同士の営みについてはあまり興味がないが、文系は基本的に人間中心主義で、人間関係に強く関心を寄せる。

興味というと話が限定的になるので、世界の捉え方と言ってもいいかもしれない。

理系は、まず銀河の中に太陽系がありその中の地球と言う惑星に棲む様々な生物のうちの一つが人間、というように、自然科学的な世界の枠組みの中に人間社会があると考える。物事の本質はそれ自身の持つ法則や性質にあり、人間がそれに与える意味は付随的な物と考える。

一方文系は、まず人間社会がありその中の一団が天文学を発達させ太陽系銀河の有り方を発見した、というように、人間社会の枠組みの中に様々な知識や発見があると考える。人間社会に置いて物事がどのような意味を持つか、それこそが物事の本質であると考える。

どちらの見方もそれぞれに真理であり、当然ながら優劣をつけるような種類の事ではない。

筆者は子供の頃、理科はとても好きで教科書を隅々まで読んだりしたが、社会科殊に歴史現代社会には全く興味を感じなかった。基本的に社会科人間同士の営みの話だからである歴史の授業で出てくる○○の戦いやら××革命やらも全て、「ある時代のある場所人間同士が喧嘩した」というだけのことに見えて、個別に細かく眺める意味がさっぱり分からなかった。それに比べると理科の知識は、一つ覚えるごとに一つ新しい世界が広がるような気がしたものだった。

現在ではその頃よりもう少し歴史面白さが分かるつもりではある。

興味が違うとどうなるか

興味が向かう方面に関しては努力も苦にならず、能力が伸びる。その結果、理系は物事に入れ込むオタク気質に、文系人間関係に強いリア充になる。

逆に、興味がない分野のことについては、アプローチが下手になる。理系は、新しい知識や発明品が、人間社会においてどんなカードとして使えるかまで、気が回らない。ただその物の新奇さやスペック凄さを言うばかりで、それが金や権力にどう変換し得るか、その発見で喜ぶのは誰で困るのは誰か、そういう政治ビジョンが乏しい。文系からすれば酷くどうでもいい事に拘って人間関係を悪化させたり、他者の発言の裏にある感情政治的動機が読みとれずに見当違いな反応を返したりする。

一方文系は、人間関係の中でのみ有効方法を、それ以外の分野にまで当てはめようとして、おかしな話に引っかかってしまう事がある。例を挙げれば、自然現象相手に取引やお願いをしてみたり(「願えば叶う」式ライフハックなど)、自然に起こった出来事に誰かの作為を求めたり(ID論など)、人間価値観で物事の因果関係まで推測したり(水伝など)、と言った調子だ。最重要事項が良好な人間関係政治的な強弱関係であり、知識や情報はそのための道具にすぎないので必ずしも正確さは必要なく、より人を動かせる話に食いつく。

 

断定的に書いたが、実際は大抵の人間理系の心と文系の心を両方持ち合わせており、割合に個人差があるだけである。その割合も、置かれた環境や心理状態によって変化するであろう。

興味の方向性から、それぞれ理系分野・文系分野に進む傾向は有るかと思うが、当然当てはまらない人も多く居るだろう。

筆者は文系の心がやや乏しいため、文系の描写にはズレた点が多いかもしれない。

ツッコミ歓迎。

2011-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20110109134520

俺も横だけど・・・

進化論場合

既に指摘されてるように、環境が変わると一部は環境適応して生き延びる(進化する)。残りは死滅する。

から過当競争と画一化で多様性を失った種は、小さな環境変化で根こそぎ死滅する。

今は社交的で能動的なリア充が時代に最も適してるけど、

何かしら環境変化が起こってニート気質の方が生き残る局面が来た場合

それまでの段階でニートを皆殺しにしてたら、人類滅亡ってわけ。

(ニートが有利な環境変化って具体的にはちょっと思いつかないけどね。

でも深海洞窟たいなローコスト有利環境や、ナマケモノたいな種もいるか抽象的にはありえるだろう。

また、何がしかの疾患に強い遺伝子が、副次的にアスペルガーとか対人恐怖症とかを誘発しやすい作用があるとかね。

猫の毛を黒くする遺伝子が、人懐っこさを決める遺伝子と隣接してるせいで黒猫は白猫より性格が丸い、みたい理屈。)

 

一方ID論のような非進化論場合

次の人類が現れても、それは予め神がデザイン済みの種なので、

旧人類(我々の事)とは独立した種ということになる。

事前にニートが死んでいようがいまいが関係ない。

2009-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20090322111951

あー、フライホイールか。なるほどね。

産経ID論もそうだけど、新聞科学リテラシーはどうにかならんものかねー。

2009-02-08

大陸臭は動物

 ~動物臭ことってどんなこと? 他人を気にしないこと~

 動物はそこらに糞尿を垂れる。なぜならば,「他人」という概念がないからだ。

 当たり前のことを書くけど,「人間は何故服を着るの?」ということは大切に問題だ。

 全裸であれば,他人に不快感を与える可能性があるからだ。肉体は,よほど清潔にしていなければ匂いもするし,不潔感もある。

 現代のように毎日シャワーにあびれる環境ではなく,昔のようにこまめにフロに入れない時代であれば,皮膚病もあるし,とにかく清潔ではなく,相手に不快感を与える。それが「清潔にされた特別な美女」でない限り。

 このため,人は衣類を着用する。

 衣類を必要とする理由は,自分のためではなく他人のためだ。

 あなただって,もしも無人島に一人しかいなくて,助けに来る気配もないとする。まわりには動物かいない。気候が温暖であり,岩場やとげのある植物もないようなところだったら,それでも衣類を着るだろうか?

 自分の汗なくすため,こまめに洗濯をするだろうか?

 いま貴方はどんな部屋にすんでいる?

 頻繁に友達や恋人が訪れる部屋ならば,掃除が行き届いてるいることだろう。部屋が不潔であることは,来客に対して失礼であるからだ。

 しかし,誰もこなければ部屋は汚くなる。

 「他人のため」という意識が,人の自律をうながす。

 他人という存在知覚し,理解するからこそ,つまり「社会」という概念があるからこそ,言葉遣いも正確になって誤解のない表現をつかい,几帳面になり,物事にたいして正確になる。

 他人を意識するからこそ,他人に共感するからこそ,他人の権利や心情を理解し,他人の権利を侵害しない。つまり,違法な行為をしない。

 すべて人間だけが持つ能力だ。

 動物には「他の者」という概念がない。世界には自分一体だけだ。だから,誰にも関心を示さないし誰からも関心をもたれないと思っている。

 従って,他人の権利という意識もないから,女が欲しいとおもったら犯すし,空腹になれば盗むし,感情的になれば殴るし,違法な行為をする。

 能動的にしなくても,自分の義務を全うしない。法律に何がかいてあっても,「ただの紙」と思う。

 人間であれば,常に他人の目を意識する。だから,感情的になるような不愉快なことがあっても,社会秩序と自分の権利義務の範囲で行動する。

 動物人間の違いは,「他人の目がある」という意識があるかないか,ということにある。

 だから,私たちは,不潔な格好をしていたり,いつも「へらへら」とわらっている気色の悪い表情の者や,円滑に会話することすらできないほどの無知,その他の「反社会的行為」が起きる。

 結論をいうと,人間犯罪をしないし,動物は「躾」や「鎖」がない限り,必ず犯罪違法行為)をする。

 動物は「ルール」を理解できない。

 自分がそのとき考えたことが「ルール」である。

 動物には意思がない。だから,いきなり性行為を強要したとしても,「嫌だ」という意思がないのだから強姦にならない。

 従って,動物同士には,窃盗強姦もない。「とられたら嫌だ」とか「おかされたら嫌だ」という意思がないからだ。

 しかし,これを人間相手にしたとき深刻な被害が生じる。

 他人の心(犯されたくない,殺されたくない,傷つけられたくない,盗まれたくない等)は,そもそもそこに心があるからこそ,「読みと力」が発達する。

 誰も意思がなければ,共感能力を発達させる必要性がない。

 相手の意思を確認する能力,それが共感能力であり,これは人間前頭葉にあるミラーニューロンによって機能する。

 この前頭葉には,ブロカ野といって言語を司る機能がある。

 言葉とは,相手の表情や筋肉の動きからではなく,より的確に「相手の心」を把握する手段だ。だから,人間だけが言語を発達させた。

 「他人と連携するため」に。

 動物は,一体でいきている。そこに「他人」という概念がない。

 だから,法律も守らないし,法律という意識がそもそも存在しない。他人の所有権という概念を理解できない。そして,たいてい,言葉がろくに話せない。

 単語を発することが出来るが,オウムのように何かを模倣して繰り返すか,コピーのみできる。どれも「不適切」な用法で。

 だから,人間社会言葉を話せない者,聞けない者を人間として認めない。

 (ただし,その人が幼児または動物にかこまれて半生を生きたため言語能力が発達していない場合除く)

 動物世界では,反対に言語を自由にあやつる者を「動物として認めない」。

 さて,以上までは社会科学の立場から論じた。

 自然科学の立場から,「動物」を論じることが今,世界中で起きている。

 事の発端は,「恐怖の大魔王」が世界を滅ぼすという予言のあった1999年,人類起源そのものをかえてしまう発見ポルトガルであったことだ。

 人間サピエンス)と,旧人ネアンデルタール)の混血化石発見されたことだ。

 2002年,米ワシントン大のアラン・テンプルト博士が,人類の常染色体の10座標から,原人旧人の血統を発見した。

 2008年,この研究発表に対して様々な反論がくわえられたが,ついに断念,人類の「混血」が確定した事実となった。

 混血の頻度は,西欧がもっとも低く,ついで東欧中央アジア東アジア,の順となっている。

 ネアンデルタールは,人間に似た形をしているが人間ではない。共食いが大好きだし,空腹になればまず子ども妊婦を殺して食べる。

 感情的になればすぐ相手を殺すし,つまるところ他の動物となんら違いはない。

 ボスの座をめぐって,殺し合いをするチンパンジーの習性と全く違わないし,子どもの脳(栄養価の高い)を食べて空腹を満たすチンパンジー母親となんらかわることはない習性を持つ。

 言語ははなせないが,石器などから人間の真似をすることはできる。勿論,劣化コピーとなる。

 旧人はお互いに交流しないと連携しない。だから,交易はない。たいてい,近親相姦によって子孫を増やす。

 遺伝的に等しいので,近親相姦をしても問題がないのだ。

 進化の速度がはやい人類は,劣性遺伝があるので,近親相関は奇形児の生む確率が高い。しかし,旧人進化の速度が遅くて均一しているので問題ない。

 勿論,「旧人との混血なんて無いはずだ」と感情的にただ叫ぶ者もまだ世界には多い。

 だが,考えてもみてほしい。

 人間であるあなたは,「全て人間だ」つまり自分と同じだと思えるだろうか。「全て」に対して。

 エドマンド・バーク偏見の大切さを論じた。

 人間の「裸の理性」(思いつき)によって為されたことは失敗し,長い歴史時間の積み重ねによって得た英知が,「偏見」にあると論じた。

 確かに,一つや二つ異常をみたところで,人は先入観を抱かない。

 歴史的に連続した「異常」によって,偏見が形成される。偏見は,すぐにはつくられない。

 もちろん,偏見の中にも,時代の変化によって不適切なものが含まれてくる。その場合は,再び時間の経過によってその事象が偏見の中から削除される。

 あなたは,今までの人生の中で,明らかに「人間ではない存在」を多く見たり,或いは新聞ニュースの伝聞で聞いているはずだ。

 犬は犬に対して異常とはおもわない。しかし,人間が犬の行動をもし「人間がしていたら」と思うと,「異常だ」と思う。吠える,噛む,糞尿をたれる。

 しかし,「あれは犬だから」と認識することで自然だと考える。だが,もし犬が形態的に人間とあまりかわらない形をしていて,かつコピーされうような人間言葉をある程度再生できる能力を有した状態で,「犬の行動」をしたらどうなるか。

 「異常」とあなたは感じるだろう。

 なぜならば,人間の中には,吠えたり噛んだりする者はいないからだ。

 しかし,人間の形をしていることに違和感をおぼえる。

 あなたは「視覚」と「偏見」どちらが正しいと思うだろうか?

 あなたの偏見は,人間価値基準での偏見だ。

 参考までに,一つの「事実」を示そう。

 「プレ・ネアンデルタール」というのがいる。これは人間とそっくりだ。何故ならば,人間から分離して別の進化(まはた退化と呼ぶべきか)を遂げてから間がないからだ。

 そして,旧人には渡航能力がない。まだ島と大陸が同じだったとき,または氷河期に海面が凍結していたときに徒歩で移動した。

 従って,原則,アフリカユーラシア大陸にしか旧人はいなかった。

 イギリス日本にも徒歩で移動できるが,島であればそこにいるだけの旧人を殺してしまえば,後から「次は来ない」。

 旧人に接した人間は,どう変化するのだろうか?

 以前まではの内容は,いままで散々日記に書いてきた。過去4年間にわたって書いてきた。

 ここからが,「旧人と接しつづけた人間は,どうなったか?」という新しい考察だ。

 いや,そもそも「なぜ,旧人人間から離れてしまったのか」。

 進化論インテリジェンスデザイン論も,根拠がない。

 人間は猿から進化したといっても,その「進化した様子の化石」がいまだ発見されず,「失われた輪」であり,想像の産物に過ぎない。

 一方で,神などの知的存在人間デザインしたという説も,具体的な根拠がない。進化論ID論も物証がない。

 しかし,私はアラブ人,シナ人,朝鮮人などをみて思うのだ。

 「彼らが,次の旧人ではないか」と。

 次の,というのは現時点で彼らの中にホモサピエンスがいることに違いはない。しかし,明らかに彼らは島嶼部の人類形態的にも試行的にも異なる。

 専門的なことをかくが,島嶼部の人類および「アダム」の時代とされる初期のホモサピエンスの頭示数は81以上-86未満であるのに対して,大陸人類は頭示数が86以上であり,サピエンス形態的に変化しているのだ。学術的には「過短頭」と呼ばれる。

 もはや,目でみて「大陸人間だ」とわかるようになるまで形態的な差が生じてきている。

 ここで私は考えた。

 もし,生まれたときから旧人と共に生活し,それが何世代にもわたってしまえばどうなるのか。

 恐らく,心を持つこと自体不毛であり,精神的につかれてしまう。他人をおもいやる気持ちをもっていても相手は自分を尊重しない。

 愛しても愛されない。守っても守られない。盗まなくても盗まれる。犯さなくても犯される。傷つけられなくても傷つけられる。殺さなくても殺される。

 この時,「他人を思いやる気持ち」(共感能力)を持つ人間は,精神的に疲弊して,やがて死んでしまうのではないか。死ななくても,子孫をつくる気力さえなくなってしまうのではないか。

 こうして,人類の中にも,旧人と共に暮らしてきた者は,「共感能力をなくす」つまり,退化するということで,旧人に対応したのではないか。

 動物に対応する方法は二つあって,動物を殺して統制して飼い慣らすか,或いは自分自身も動物になってしまうことだ。

 能力の高い人間動物を統制して対応し,能力の低い人間は同化したのではないか。その際に,全てを捨ててしまったのではないか。

 つまり「人間性」を。

 朝鮮人,シナ人への偏見は,「非人間性」を持つ。それは今更説明しなくても報道をみればわかる。

 そして,旧人ユーラシア大陸に分布していた。原人も同様だ。

 彼には明らかに退化している。人間としての機能が退化している。「他人を思いやる心」が無い。共感能力が無い。法がない。

 退化することで,自然淘汰を免れ,旧人と共に暮らす進化ベクトルおせんだのではないか。

 ここで一つの答えがある。

 どうして,プレ・ネアンデルタール人間から分離してしまったのか。後期型ネアンデルタールは明らかに人間と違う形態をしているが,初期型ネアンデルタール,つまりプレネアンデルタール人間と極めて似通っている。まだ分離して間がないからだ。

 このため,「進化している」と当初勘違いされた。実際,ネアンデルタールは80万年前に人類から分離して「退化」したのだ。

 なぜ退化したのか。

 そこには「原人」がいた。原人にふれた人間が,「他人を思う心」をなくすことで適応し,それが旧人へと「退化」したのではないか。

 ならば,大陸に住む人類の末路でなはないか。

 彼らは知能の問題から,人間動物を見極める能力を有さない。だから信じては裏切られ,ということを繰り返し,そのうち考えることも信じることもやめて,機能そのものを遺伝から削除した。

 退化した。

 それが生きる術だった。

 島嶼部の人間は,旧人を殺せば次はこないため,人間同士で生活し,人間特有の機能をそのまま進化させた。

 協力すること,信じること,愛すること,理解すること,尊重すること。

 アルフレッド・セイヤー・マハンによれば,シーパワーランドパワーはあきらかに区分することが出来るとする。

 それは地政学上の問題では論じることの出来ない,思想・思考の違いがある。

 ホモサピエンス,つまりアダムの子孫が住む地域は,日本イギリス台湾,およびこれらのイギリス人の子孫が入植した地域に限られる。

 その日本でさえ「人間が混じっている」という状態だ。

 なにしろ,1万年前まで日本大陸は陸続きだったのだから。

 人間人間でいることは,孤独の場合つらいことだ。

 自分が信じても相手は信じてくれない。自分が誠実にしても相手は適当。与えた分だけ相手に着服される。

 そんなことを繰り返していては,自分が死ぬ。だから,死ぬ前に彼らを殺すか,或いは自分自身が「彼らと同じになる」しかない。選択肢は二つしかない。

 私は,旧人を殺すことが正しいと思う。

 それは私の生育環境人間が多かったことが原因していると思う。

 私のこの意思は,ここに矮小ながら発信している。

 あにたは私の意思に共感するだろうか?

 もし共感したならば,もっと私を知って欲しい。私の考えや発想を暗記するほどに知って欲しい。そして私の目的をより理解してほしい。

 それがあなたの利益になるのだから。

 一体だれが,愛のない世界,他人の協力のない世界に生きたいのだろうか?

 この文明は,一人ではできない仕事だ。

 「他人を信じ合い,協力すること」でビルがたつ。製品が出来る。

 人間社会幸福を私たちはしっている。

 これを壊すことなく,維持発展させるには,旧人原人を皆殺しにすることだ。

 その方法は,唯一,私たちが共感能力をもちいてお互いに共感しあうことになる。

 共感すること。それが人間の力だ。

最近は「DISりたい奴の文章を勝手増田転載してブックマーカーに叩かせる」という手法がはやってるらしいので、某所で見かけた電波文を載せてみました。

2007-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20070726205149

今世間で言われているような「オタク」っていうのは、いわゆる外部からの呼称であって、内部で強固な結束があるというわけじゃない。

ぶっちゃけ、親近感という意味では

味方オタ勢力>>>所謂一般人>>>敵対オタ勢力

であるとさえ言っていい。わかりにくいようであれば、別の言葉でいうと、「同じソフトウェア厨でも、アンチMSFSF信者は、MS信者よりは無知な一般人に友好的であろう」といっていい。或いは、「ある宗教の信者は、敵対する宗教の信者よりは不可知論者を好むであろう」と言ってもいいかも知れない。かの無神論者の急先鋒たるリチャードさんも、「宗教科学の融和を訴える学者ID論者とよりは、完全に科学見解を無視するような宗教的な人々と組む」というような発言をしているくらいで、外見的な派閥と内部での抗争の系図が異なっていることはしばしばなのだ。

2007-05-01

本末転倒。

http://anond.hatelabo.jp/20070501021600

http://anond.hatelabo.jp/20070430214129

こーゆーの見てるとさ、社会進化論と個人の生と狭義の進化論を混同している人がいまだにいるのねー、とか思って絶望的になる(もちろん反論がちゃんと出てるのが増田クオリティ)。お前らUSAID論見て笑ってるけど、下手したらあっちよりレベル低いぜ? 学校進化論習わなかったか?

必要か必要じゃないかは、現時点では誰も判定できないんだよ。

唯一価値があるとしたら、それは多様性だけだ。

逆に言えば、すべてはリスクヘッジにすぎない。

進化論は徹底的に結果主義なんだよ。

本末転倒。

にゃー。

2006-12-31

コレって結局、創発でしょ?

群より個のミーム - はてな匿名ダイアリー

ESSって結局『創発』のことだよね?


ID論とかキリスト教原理主義プロパガンダとしか思ってない人が多いと思うんだけど

実際学会で議論になるのは進化現象の創発による上位概念の判別システムをどう考えるか?って感じなんじゃね


ここら辺は遺伝的アルゴリズムプログラムを効率化する上位概念の観察の構築ででる観測者主観を模したタスクを考えてもらえれば解ると思うけど

(例えば有名なサラリーマンの巡回経路最適化問題で、突然変異とかの係数を自動的に変えるタスクのこと)


別に神とかいう概念でもないよーな気がする。進化現象のようなより複雑なタスクになった場合、これは知性と呼べるのかどうか?って感じ。

そういえば脳生理学とかでは自我とかも創発現象からアプローチした研究が多いよね最近


まあそんなわけで、ID論自体は前回も書いたけど私は現実的な解は得られそうに無いと思うので否定的なんだけど。


以下駄文

web2.0とかも創発を利用したもんを指すって説に自分も一票

年末特番が詰まらなすぎて匿名ダイアリーでツマミを食べながら徒然なるままに書いてみた。


memo ついでだから自分用のメモも衆目に晒してみよう

創発 - Wikipedia

  • もうちょっと詳しく書いて欲しかった…

はてなブックマーク - タグ 創発

インテリジェント・デザインとは - はてなダイアリー

  • この文章を読んでるとID論とかちょっとでも肯定したら叩かれる状況も仕方ないと思うけどあまりに皆の反応がステレオタイプ上の記事みたいな話が日本ではほとんど出来ないんだよね。そこら辺ちょっと残念
  • 本音をぶっちゃけちゃうと、これはどう考えても変でしょ。例えば宇宙物理学相対性理論宇宙は神が創ったとかエーテル理論とかタキオンによる公式の改変運動とかあり得ないものが論争になることは全く有り得ないじゃん。なんでこんなのが進化論だけ論争になるのか理由を考えると「類友なんじゃね?」とか思っちゃうのですよ。まあ、日常だと痛すぎてこんなこと書く気にもならないけどさ。
  • あと、このネタの記事で米国の方を小馬鹿にした文章を良く見るんだけどこれは端から見てると痛々しいのです。ニッポン生物学は化け学とか電気工学とかと違って米国は勿論のこと欧州各国より全然強くは無いから…。どうしても貧しくて所得層が底辺に固まってる国が日本は貧富の格差がわが国よりあって劣った国だな、ガハハハハ的な痛さを感じてしまいます…。


無駄にmemo&感想 追加 -11:34:15-01/01(月)/2007

俺の科学観とか。

科学とはなにかて、

思うに究極的には事実の解明でありその過程で現実の単純化が行われる。その単純化された「単純化された事実」を「モデル」と呼んでるのだろうな。そしてモデルは、事実を説明する役割をする。

人間には物事を解明しようとする本能が備わってるとかよく言われるけど、俺はそうとは思わない

進化論科学たらしめてるのは、それは生物界という現実に足がついてるからであり、ID論は創造者なんていう「現実に足が付いてない」概念を持ち出すから科学の範囲から外される。のだろう。

事実を追求するにあたり、科学は徹底して論理的でなければならない。論理とはなにかて、それは事実と論拠と主張から成り立つものであり、事実を元に、その事実をどうすれば主張に繋げられるかを説明するために論拠があり、それが即ち論理。そして、論拠と主張が即ち、事実を説明するために与えられた「モデル」に相当するのだろう。モデルから演繹された結論事実に添えばそれはとりあえず事実を説明したと見なされるのであり、1つの仮説が出来上がる。つまり科学とは、論理を逆に辿る営みであり、事実からモデルが作られるのではなく、事実に合うようなモデル創作されるのである。これこそが「科学は仮説によって成り立ってる」といわれる理由なのだ。きっと。(たとえばf=maは1つのモデルだが、ニュートンが「こうなってなきゃオカシーヨ」と言い出したのが発端であり、それの正しさを追求しだしたらキリがないと俺は解釈している。ただ、様々な経験則よりf=maは正しいのだろう、とされているんだろうな。相対性理論が絡むとどうなるかは知らない。念のために言っておくが、あくまで「f=ma」は演繹によって導出されたのではない、と俺は解釈していると主張したい)

だけど問題は、事実にあうようなモデルなんていくつも作れるのであり、ここらへんは詳しくはないけど心理学なんかいくつものモデルが錯綜している感がある。物理学でも、たとえばニュートン力学相対性理論という相対するモデル存在し、何れも事実に近似してあるので実用に耐えられないレベルではない。ただ、精度を高くしようと思ったら相対性理論をつかうとか、そういった細かな修正はある。ただ、実用する際にはニュートン力学が主に使われるので、その意味では工学は科学ではない。たぶん。

わかりにくくてすまん。勢いでかいた。あとそれから、

↓参考にした

http://anond.hatelabo.jp/20061229000552

http://d.hatena.ne.jp/sivad/20061227#p1

 
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