はてなキーワード: 目的とは
ドラマはあるよ。
キャラクターの感情の動きがあり、葛藤があり、人生の喜びと失敗がある
とはいえ、空の箱に見える、というお前の感想を俺は理解することができて。
つまり、明確な主人公のわかりやすい目的、が無い……というか、隠蔽されているよね。
マチュは進路指導の希望を白紙で出すし、ニャアンは金貯めてどうするのか訊かれても無言を貫くよ。
それはまあ、目標が曖昧な若者の主体ってやつがドラマの本体なのだろうけど
そういうのって、エンタメ教科書的にやるなと言われているやつだよね。わかりにくくなるから。目標は明示するのが鉄板。
俺はそういう風にお前の主張を理解できる。
🔻記事の主張
備蓄米の売渡しにおいて、業務用(外食・中食・給食等)への販売が禁止されていることに強く不満。
米穀店の多くは業務用中心であり、小売で古古古米は売れないと断定。
家計支援というより、POSデータを操作するための見せかけの政策ではないかと疑念を呈している。
政府の公式発表では、物価高騰が続く中で「家計の負担軽減」「民間在庫の適正化」が政策目的である。
「不特定多数の消費者への小売」限定は、「業務用に回して利益確保」より「消費者が安く米を直接手に入れられること」が狙い。
古古米等であっても一定品質が保たれており、値上げ続きの米価に対し「量を確保しつつ安価な商品」が必要。
利益を確保できる業者ではなく、実際の消費者に行き渡ることが重要視されている。
給食・外食・弁当などに使われれば、消費者が「安い米が出回っている」と実感することはできない。
政策効果の「見える化」には、小売価格の低下と市場への可視性が重要。
業務用排除 「なぜ業務用を禁止するのか合理的な理由が示されていない」 上記の通り、政策目的に照らして業務用排除は妥当。消費者支援・可視性確保のための合理的な設計。
消費構成 「消費の多くは業務用、そこを除外するのは現実的でない」 業務用消費が多いのは事実だが、支援対象が業務用事業者ではなく、家計である。目的が違う。
消化義務 「家庭内消費の40%が古古米に」など極端な仮定 家計支援政策であって“全家庭が消費する”設計ではない。自主選択制であるため、均一的な強制消費割合など存在しない。
DXとは「私たちの在り方を問い直すこと」です
こうして、自分の枠(可能性)が広がっていく成長こそが「トランスフォーメーション(変化の本質)」です
だから今、私たちの枠組み──つまり「当たり前」を見直す転機にきています。
うーん、そもそも自分で産むわけじゃないけど子孫を残したいのが男性というか動物のオスとしての本能なわけで、人間も動物である以上子孫残したいです!って男性がいるのは何もおかしいことではないんじゃないかなと思う
あと、例えば元々友人関係からお付き合いに発展したとかなら「あなたと一緒にいたいので子供を作るかどうかは話し合いましょう」になるだろうけどマッチングアプリや婚活の場合はお付き合いや結婚が目的なわけで、話し合い以前にある程度お互いの価値観の手札を出しておかないと話にならないって側面はあるよ
譲れないポイントは人それぞれで、たまたまその男性にとっては「結婚するなら子供が欲しい」が譲れないポイントってだけの話ではないのかなあ
女性とその代弁者が「若い子無し女性が特権を失うのは改悪!」って騒いでるだけで、単に男女平等になっただけなんですよね。
https://x.com/neroopinion/status/1929100613612376431
その夢は決まって同じ場所だった。大きな店の中央奥にぽつんと扉があって、その扉を弟と二人で開ける。扉の向こうには細いトンネルが続き、それを抜けると面緑の芝生の丘が広がっていた。
子供心に強烈な印象が残っていて、ずっと夢だったと思っていた。
それから長い年月が経ち、自分にも子供ができた。ある休日、ふと思いついて、家族で郊外のとある公園を訪れた。特に目的があったわけでもなく、偶然見つけて立ち寄った場所だった。
でも、その場所に足を踏み入れた瞬間、私は立ち止まった。
そこは、あの夢とまったく同じだった。
広がる芝生の丘、緑が眩しいほど鮮やかで、丘のところどころに小さなトンネルが点在している。
不思議な気持ちになった。夢だと思っていた場所が現実に存在している。それとも、子供の頃に実際に訪れた記憶を夢だと勘違いしていただけなのだろうか。
どちらにせよ、自分が子供だった頃に見た景色に、自分の子供を連れて来ていることが、なんだか嬉しくて切なくて、少し胸が締め付けられるようだった。
こんな経験をした人は他にもいるのだろうか。
昔付き合いたての彼女がドライブ中にうっかり屁をしちゃったみたいで車内が激臭になったことがあったな…
すぐに窓を全開にしたかったけどそうすると彼女が屁をしたことに気づいてるってわかっちゃうしすでに無理があるけど何もなかったことにするためには窓を開けられなかったんだよね…
ということで幸せなドライブデートは一転地獄の屁臭ドライブに変わり俺は吐き気をこらえながら目的地まで運転した…
俺たちはどうしても気まずさを抱えきれず次の日に別れた…
地球が目的地のやつ、他にも何かあった気がしたが思い出せない。
検索掛けたらAIが「「地球が目的地のアニメ」といえば、「チ。 ―地球の運動について―」が挙げられます。」とか言ってきたがたぶん絶対にちがう
エンジニアがやめてしまうと多数のユーザーが使っているアプリケーションでもメンテナンス困難な事態に陥りやすいです。
そんなわけで、staticでいいところはstaticでいいんじゃないですかねえ。
古い時代の言語からインクルード・ファイルという手法が用いられてきた。
これは元ファイルに記述しておいて、そのファイルをインクルードすれば、ゼロからコードを記述せずに済むという手法です。
同じ元ファイルを使っているプログラムは、そのファイルの記述を継承することができますよね。
継承について「動物」と「犬」「猫」のようなたとえ話をすることもよく聞きます。
でもそれは哲学的というか万物創生の宗教的な話にであり飛躍しすぎの感があります。
ショッピングサイトの構築をしてもリアルの店舗の販売者、購入者の行動を分析してみてドキュメントにまとめて客に説明しても、この工数を客に請求するのはかなり無理があると思います。
サイトならば画面上でどのように表示して、どのボタンをクリックすれば購入などのアクションが起こるか、それが客が知りたいことなのです。
ITというものはあくまでも現実の技術レベルでユーザーに受け入れらるように表現することを目的とするもので、自分が神様となって万物を創造するものではない、ということです。
ただ趣味やSFとしてIT書籍を読むならば後者つまり自分が万物創生の神になる幻想に浸るほうがウケるでしょう。
WEBアプリケーションはページ毎がプログラム単位であって、ページ間連携はポストやセッション変数によって行われる。
オブジェクト指向言語では、クラスによって意図的にプログラム分割して開発の利便性を上げる必要があるが、WEBアプリケーションにおいては自然に分割して開発作業が行われる。
オブジェクト指向のメリットとしてはクラス分割により大規模化を抑制する機能があるが、WEBアプリケーション開発については、そのようなクラス分割は込み入ったモジュールでのみ行えばよい。
オブジェクト指向が当時なんでウケたのがという原因が、継承、カプセル化、プロパティ、メソッド、ポリモーフィズムなどの言葉がかっこいいし、それをアフィリエイトブロガーがネットで言葉巧みに宣伝し書籍も売れた。
ポリモーフィズムはかつては、多態とか多相とか呼ばれてましたが、マジな話、Perfumeのポリリズムがヒットしたから似た言葉としてポリモーフィズムが用語として知られるようになったと思う。
カーラジオで埼玉のFM局を聞いていた時にデヴュー当時のPerfumeが出演していて、あの曲聞きました。今となっては昔の話ですよね。
国際社会の「平和及び安全の確保」なのか、「国際社会の平和」及び「安全の確保」なのか?
上記の文言は「に寄与する」にかかっていてそれが「目的」だと言っているのか、それとも「我が国の安全保障に寄与すること」で完結して目的の一つだと言っているのか。
頭が赤い魚を食べる猫問題がまさに法律文に立ち現れている例だ。
法の不知を許さずっていうのは法律が公開されていることを前提にしているんでしょ?
でもその公開されている条文がここまで「ちゃんとした法解釈の訓練を受けないと一意に解読できない」類のものだったら、その理屈は横柄にもほどがあるんじゃないの?
疑わしいことはしなきゃいいっていいけども世の中には不作為犯もあるからなあ。結局不確実な情報のもとでは何かに対してそれをしてもしなくても法律違反に問われるリスクを完全回避はできない。
英語の授業でよくやるように、どこまでが修飾関係のかたまりでそれがどこにかかるのかということを明示する括弧記号や矢印を法律文を書くのに必須にするべきなんじゃないの?
贅沢言えば↓のように構文木で法律文を書くのがもっとも「条文の意味」へのアクセシビリティが高いだろう。
https://scitsiugnil.wordpress.com/wp-content/uploads/2019/10/busa6gdcuai0hhf.png-small.png
旅行になにを求めるかは人それぞれ違うよねというのは当たり前の事だが、実際に誰かと旅行に行こうとする時に、実は意外とそこをあまり考えずに計画してしまうことも多くないだろうか?
ここはけっこう安易に考えてはいけないポイントだなと常々思っている。
よく知ってる人のつもりでも、日常的な生活の中では見えてこない旅先だからこそ浮き彫りにされる個性というのがある。実際生まれた時から一緒に暮らしてる家族とかでも、旅行の時だけ「え、こういうとこあるんだ」と気付かされることもあったりする。それはやはり旅行ならではの個々のこだわりポイントから生まれるズレだったりすると思うのだ。
基本的には目的地での散策や、宿泊先で見る風景などを大事にする。
精神的な癒やしを求めるので食事やお土産などにはあまり拘らない。
宿泊先については雰囲気重視なのでそれなりにこだわりを見せることが多い。
害が少なそうにも思えるが求めるものの抽象度が高いので、意外とやっかい。
本人が思ってたんと違うパターンの時に一気に気落ちしてしまう危険もあって、
旅先の知見が少ない若いカップルとかで揉め事の原因となったりする。(もっとオシャレなとこがよかった・・など)
「もったいない」という気持ちが強めなのが特徴だが、同時に現実的でしっかりした面を併せ持つ。
旅先の名物などがあると、とりあえずそれが食べたら満足できるという分かりやすさもあって、調子を合わせやすいという意味では意外と害は少なめだと思う。
ただし極端に食に拘るタイプだと一気にめんどくさい人になるのでどの程度のラインかは見極めが必要。
目的地で過ごす時間と同じくらい、その行程にロマンを感じるタイプ。
男性には乗り物好きも多いので、強く主張はせずとも密やかなこだわりポイントになる場合もけっこうあると思う。
鉄道など極端なオタでもなければ比較的害は少なく、あくまで個人的にひっそりと嗜むといった傾向があるので精神的にも余裕がある大人な印象。
その土地の歴史的背景、建造物、地産のもの、文化など、様々な知識を照らし合わせながら一人でもいくらでも楽しめてしまう、タモさんなんかはこのタイプと思われる。
ただ歴史のある建物を長い時間じっと見れる人もいれば、写真だけ撮って「へー」って言って終わる人もいて、ここは噛み合わないと中々もどかしいとこではあるだろう。
お父さんが家族にこれはこうこうで・・と説明してる横で子供がスマホをいじってる場面なんかもたまに見かける。がんばれお父さん。
どちらかと言えば一人旅のほうが相性はいいが、一人で行くのは寂しいとか、そうでなくても誰かいたほうがなにかと都合が良い場合も多いのが旅行である。
そこへの理解を示してくれる相手となら良い旅行になるが、なんとなく付き合っていくとなんでそんな大変なことを・・・とストレスが溜まってしまうこともあるだろう。
ただ趣味が一緒とかなら、これはもう最大限に近いレベルでお互い楽しめる旅になり、現代的なカップルなどはそういったパートナーシップを大事にするケースは多くなってると思う。
公共交通機関であれば時刻表などと照らし合わせて、ヘタすると分単位での行動を計画し、とにかく段取りをとって無駄をなくそうとするタイプ。
一緒に行く相手としては頼もしい一方で、ちょっとでも予定が狂うとイライラしたり、気持ちに余裕がなかったりもするのでけっこう繊細でもある。
全ての旅程が予定通り進み無事家に帰ってきたことで達成感を感じて満足する。
個人的にはこの手のタイプはけっこう苦手だが、日本人、特に男性にこの手のタイプは割と多いのではと思う。
最初は自分でもどんな旅行なら満足できるのか、よくわからないままその時々のパートナーや友人、知人、あるいは一人で旅行に行くが、相手が変われば旅も変わるので、旅を楽しむにはやはりある程度場数を踏むしかないのかなとも思う。
誰かと旅行に行くときはこの辺の見定めは必要だが、ほとんどの場合なんとなく日常から離れられば満足できる、ってくらい日常がしんどい人は多いのも事実で、
そう考えると旅行への拘りがハッキリしてる人って、それだけ日常生活に余裕があるってことなのか、それとも旅行への拘りが強いことじたい余裕がないってことなのかよくわからなくなってきた。
農業やってて右寄りだった知人も、備蓄米が備蓄してただけで迅速に配給できる仕組みは考えられていなかった現実を目にして考え直すらしい
そもそも備蓄米なんて備蓄量が少なすぎるし、安保なんて言えたもんじゃないんだよな
本音のところでは国の危機に備えるというより米価維持が目的だから仕方ないんだろうけども、我田引水の由来そのままっていう卑しさ
ちなみに中国は米だけでなく小麦や大豆も国民一人当たり日本の10倍の量を備蓄しているそう
震災への備えにしても台湾がかなりしっかり対応していたし、本気で戦争を想定している国と比べちゃいけないのだろうけど
蝉が私の足元で脚を投げ出し、腹を見せている。
生きているのか死んでいるのかもわからない。
コイツが生き物としての宿命を果たしたのか、それとも何も達成する事なく生まれて朽ちる今その瞬間なのかもしれない。
しかしそんな事は私にはどうでも良かった.
私は「飛ぶなよ」と蝉に言い聞かせるように呟きながら蝉を避けて進む。
白く塗ったばかりのコンクリートの箱が夏の西陽に照らされ、まるで景色をくり抜いたように浮き上がっていた。
築30年を越える、私と同い年の決して新しいとは言えない箱にまっさらな白を塗るあたりそのチグハグさが気持ち悪いと常々思う。
まあこれもあと数年もすれば雨風砂にさらされ、くすみがかったグレーにでもなるのだろう。
そんな外壁とは裏腹にエントランスの床に敷き詰めたタイルは所々ひっぺがえされ、凸凹になっている。
ここの管理会社はいい加減だ。かれこれ住み始めてから2回は喧嘩している。
何故住み続けるかといえば、そんなものは安いから以外他にない。
最近はポストを見てもヨガや塾やマンション購入の勧誘しかない。単身マンションにファミリーマンションの広告を入れるなど嫌がらせにも等しい愚行だとは思わないものだろうか。
ため息と共にエレベーターのボタンを押そうとしたが、そのエレベーターは既に上階へ向かっている最中であった。
AmazonだかQoo10だかのセールだろうか、宅配便が頻発する時期というのがあるがどうやら今はその時期である事を思い出し、私は運動だと自分に言い聞かせて階段を上がる。
3階を越えると辛い年頃になってきたな、と息を吐きつつ目的の階へ到着する。
建て付けの悪い鍵をどうにかこうにか回し、中へ入る。
6畳1間の独房だ。
物を片付けるようになってからは余計にそう見える。
洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、背の低いテーブルと室内干し用のラックと折り畳まれた布団。
友人の家には、テレビもPCも、漫画も学生時代の参考書やフィギュア、抱き抱えられるほどのぬいぐるみなんかがあったりして目が回るような場所だと思った。その全ては私の部屋にはない。
帰ってご飯を食べて、寝る。
最低限の空間。
ここは独房。
「風呂、入りたくないな」
俯いた額の汗が革靴に落ち、染み込む。
夕飯を買うのを忘れたことに気がついた。
神戸の中華街は全部ボッタクリだからそれで正しい。通勤で毎日通ってたワイがいうので間違いないです。職場の人も全員あそこはボッタクリだからねって別の定食屋行ってた。
というか神戸って特殊な街で観光客用の食い物は全部高い上に高飛車なので、まああそこ観光目的で行くなら飯屋には入らない方がいいよ…
中学高校の頃、友人に引っ張られて乗り鉄やってたことあったんだけど、
マジレスすると、俺の場合は場所にこだわってるんじゃなくて、人にこだわっている。
自分らしさを捨てて好きなことをするんだ。だからも旅行の目的とか、予定もない。
友達の前だといつもビールで、ビールのんでないと「おいおい、どうしたんらしくねーじゃん」とか言われる。だけど、俺だってご当地サイダーを飲みたいときもある。だけど、組織や友達のなかの俺はそれじゃ「らしくない」。
地名ってその土地の地形や気候、あるいは文化が盛り込まれたとても有意義で興味深いものなのに、とか言ってるのと同じ。
それぞれがそれぞれに関心のあるものを楽しめばいいし、何なら普段いる場所を離れること自体が目的になってもいい。
アラサー女です。
1年前、友達がマッチングアプリで出会った人と結婚して、自分はちょうど彼氏と別れた時期だったのでマッチングアプリ始めた。
この1年やってみて、恋愛感情を持てる人には出会えずとも、会った人は8割いい人、という感じ。
でもメッセージでやり取りしてる時は気が合うのに、実際に会うと「なんか違うなー疲れるなー」って思うことが多くて、基本的に一回会ったっきり。
でも、有料でアプリ登録してる男性と、無料でアプリ登録できる女性とでは、一回会うという重みが違うよね?
こっちとしては「とりあえず会ってみて、なんか違ったらまた別の人」くらいの気持ちなのに、向こうとしては「会えるということは、このまま付き合うかも!」くらいの差がある気がする。
毎回会った男性は奢ってくれようとするけど、奢られ目的だと思われてネットに晒されるのが怖いので、何が何でも割り勘にしてる。
何なら相手に気づかれないように、ちょっと多めにPayPayで送ってる。
有料だから男性側としても早くアプリ辞めたいだろうし、アプリに対しての気持ちの重みが違うから、お断りするとき心苦しいよ〜
ヤリ目防止とかなのかなぁ
でも有料でもヤリ目っているもんなぁ