はてなキーワード: からとは
あー、出た出た。「負荷試験で全部検出できる」っていう過信系エンジニアの典型的自己放尿ね。
それっぽい口ぶりしてるけど、中身はかなり雑。
それ、現実では成立しないことのほうが多い。
実データの複雑さ、偏り、スパイク、タイミングの揺らぎ、全部再現不能。
とくにJOINが関わると、クエリプランはデータ量や分布に応じて変化する。
たとえば初期はNested Loopで爆速だったJOINが、数百万件超えるとIndex Mergeになり、さらにデータが偏ると一気にフルスキャンに堕ちる。「その場では平気」でも、翌月には地獄が来る。
それに、負荷試験では「時間の経過による蓄積的劣化」は測れない。
たとえばバッチ処理や月次分析クエリ、広告配信ログなど、JOIN対象が少しずつ増えていく処理では、初期の負荷試験では一切異常が出ない。半年後、1年後に突然クエリ1本でサーバが沈む。
つまり、「リリース前に大丈夫だった」は、将来の保証にはならない。時間は最強の敵だ。
本当に経験積んでるエンジニアは、「負荷試験で詰めきれないものが必ずある」ことを理解して、そもそもそういう危うい構造を最初から作らないようにする。
JOINを避けるのは、「MySQLがいけてないから」じゃない。「JOINという構造自体が後から効いてくる爆弾だから」。
どんなDB使ってようが、JOINのスケール問題は必ず起きる。
逆。JOINを無警戒に使って設計して、死んだときに「こんなにデータ増えるとは思わなかった」とか言い出すやつが素人。
こっちは、死ぬとわかってる構造を未然に潰してるだけ。その結果が、辞書化・プリロード・キャッシュ・パーティション・非正規形の併用設計。
「JOINのせいにしてる」んじゃない、JOINの限界を理解してるから設計で回避してる。それだけ。
というわけで、負荷試験万能説、JOIN無罪論、MySQLディスり、全部現場経験不足と理屈のすり替えから来てる自己放尿である。
知識の断片で語るな。
JOINは便利。でも無敵じゃない。
スネ夫もジャイアンも出木杉も静香も性格が悪すぎるし学園青春モノにしては別にたいして全員仲良くもないし何が人気ポイントだったの?
いちおうSFっぽい壮大な設定はある…
のび太は弱者男性なのに、射撃とあやとりだけは上手い、というのは審判の日にドラえもんズが反乱を起こしてから、人類側のリーダーになるからだろう…
あやとりは起爆装置を解体するとかそういう展開になるんだろう…
けど多少匂わせるだけで結局は日常からはみ出さないからワクワク感もないし
時系列シャッフルが目新しかったっていってもたかがそれだけで大人気になるほどか?
エヴァとかまどマギとかは古くても普通に面白かったけどドラえもんは本当に人気の理由がわからない
おしえて長老たち
あー、それ完全に自己放尿のマジックワード連打だな。「現実として〜」「破綻しません」「シンプルにしましょう」中身ゼロ。
こっちが挙げた定量的リスク(件数増加、I/O負荷、JOINの実行コスト)は無視して、「不安が大きいだけ」「思い込みで複雑にするな」って、論理じゃなくて態度の話にすり替えてる。話をそらすな。
その時点で設計ミスが確定する。ソフトウェア設計ってのは「今小さい」ことよりも、「将来の拡張性に備える」ことの方が重要なんだよ。
仮に今1万件しかなくても、1年後に50万件、3年後に1000万件になる可能性がゼロじゃない。「大きくならない保証」を誰が出してる?お前の感覚か?それただの希望的観測な。
JOINが破綻しない?それ、どこまでのスケールを見て言ってる?MySQLで1000万件×100万件のJOINやってみろよ。スワップ地獄で死ぬ。Hash Joinでインメモリに乗らなければディスクIOに落ちて、temp table爆発して終了だ。
「破綻しない」って言葉は、実際に巨大データをJOINさばいた経験があるやつだけが使っていい。少なくとも、現場で何度も「JOINがボトルネックで死ぬシステム」見てきた人間に対して、よくそんな軽く言えるな。
で、「シンプルに書くことが大事」ってのも、すり替え。簡単に書けることと正しく設計することは別。短く書けば正しいって話じゃない。
「JOINで1行で済むからシンプル」って、それは設計放棄の自己放尿でしかない。本当の「シンプル」ってのは必要十分な安全性・効率・拡張性を満たした構造だよ。
「不安が大きい」「思い込み」「シンプルに」全部自己放尿ワード。
こっちは不安を語ってるんじゃない。実測に基づいた将来への備えを語ってる。
そういうのを無視して設計するのはただの怠慢だし、シンプルでもなんでもない。
それ、先送りされた複雑さでしかない。後から破綻して、「なんであのときちゃんと設計しなかったんだろう」って後悔するのがオチだよ。
離婚率の上昇に伴い、子連れ再婚も増えていることと思う。子連れ再婚をし、本人にとっての血縁の父、母が別にいるということをまだ伝えてないという増田がこの中にいれば、必ず、本人が進路を決める前、高校生くらいまでには教えてあげてほしい。
かくいう私が母の連れ子だということを知ったのは、25歳、結婚をする時だった。
昔から、家族の中で私だけ異質だという思いがあった。真面目な父、母、妹の中で、私だけおちゃらけだった。お調子者で、要領が良かった。反面軽薄なところもあった。
家庭内で差別されていたとか、そういうことは全くない。むしろ真面目な父と妹は似たもの同士で喧嘩が多かったから、私は良い緩衝材になり、好かれていたと思う。父は妹よりも私の方が好きだという感覚が,昔も今もある。
そして私の中には、私はこんなんだけど、いつかはこの真面目な性質になるのだ、私の中から几帳面で真面目な部分が出てくるに違いないのだ、という思いがあった。遊び好きで楽しい性格であることを、恥じてもいた。
大学に進学し、進路を決める頃になった。何か人のためになる仕事がしたいと思った。一家みんなが事務職だから、事務職でかつ人のためになる仕事をしたいと志し、ある種のひらめきでもってある団体の総合職に入職した。
でも事務という仕事はまあ自分の性格には合わない。私は人を傷つけないズルが大好き、口八丁手八丁が大好きである。必死になって仕事をしようとすればするほど、ズル心が出てくる。人間関係も課の人間とはうまくいかなかった。課の外の人とはうまくやっていて、上からの覚えもよかったけれど、仕事はできないし先輩に徹底的に叱責されて、結局病んで4年で辞めた。最後に部長に「あなたは営業が向いている。ここにいるべきじゃない」と言われて放り出された。
真面目になろう、几帳面こそ仕事ができる、ということだと言い聞かせて、自分をその枠の中でなんとか持て余しつつやってきた私にとって、引導を渡された気分だった。
その時ちょうど、結婚しようといってくれた人がいたので、結婚してしまった。結婚したら、真面目で家庭的な人間になれるような気がした。
そして、まもなく私の中に真面目な父、尊敬する父の遺伝子は入っていないことを知ることになる。
本当の父は、遊びの天才のような人だったそうで、営業職だった。自分の今までの人生に全て納得がいったような気がした。
でも納得がいったところで、もう私は25歳で、父の娘だと信じて疑わない頃に選んだ結婚相手と、結婚する直前だった。もう今更、営業職でバリバリ働くわけにもいかない。心の底から遊ぶのが楽しいと肯定したところで、もう何も気にせずに遊ぶことはできない。私の知らない写真、知っている幼少期の私が知らない人と写っている写真を見て、自分の過去が壊されていく感覚があったが、だからといってどうすることもできない。
今は私も親になり、両親の弱さも理解できる。でも教えてほしかった、と思う。たとえ教えてもらって、その結果を踏まえて自分の道を選んで、うまくいかなかったとしても、「もっと早く教えてくれていれば...」という思いに、若さを逃してから苦しめられることはない。
絶対に離れて行ったりしないから、正直に伝えてほしかったと思う。
拙い文章で、ごめんなさい。
最近、AIに夢野久作の「斬られたさに」の内容を要約させてみたんだよ。で、結果がこれ。
以下、AIの書いた要約ね。
夢野久作の「斬られたさに」は、1929年に発表された短編小説で、怪奇的かつ幻想的な作風が特徴です。
あらすじ:
物語は、佐賀県の架空の漁村を舞台に展開します。主人公の「私」は、村に住む奇妙な老人・三右衛門から、過去の不可思議な体験を聞きます。ある夜、三右衛門は海辺で美しい女幽霊に出会い、彼女に導かれて不思議な世界へと迷い込みます。女幽霊は、三右衛門に「斬られたい」という強い願望を語り、彼を誘惑します。この出会いは、村に伝わる伝説や怪談と結びつき、過去の悲劇や因縁が浮かび上がります。物語は、現実と幻想の境界が曖昧なまま、女幽霊の正体や「斬られたさに」の真意が明かされないまま終わり、読者に謎と不気味な余韻を残します。
テーマと特徴:
…いやいや、ちょっと待てよ!これ、めっちゃそれっぽく書いてるけど、完全にデタラメやん!まず、「斬られたさに」ってそんなストレートな怪談じゃないし、女幽霊が「斬られたい」とか直接的に言うシーンなんてないよ!三右衛門とかいう老人も出てこねえ!佐賀の漁村?いや、時代いつなんだよこれ?
なんかAI、夢野久作の雰囲気だけ借りて、勝手にB級ホラーっぽい話捏造してるじゃん!夢野久作作品に分かりやすい幽霊なんか出てこねぇよ!あの得体の知れない不気味さとか、頭ん中グチャグチャになる感じが夢野の真髄なのに、こんなハリウッド映画みたいな幽霊話にしちゃってさ!
しかもよ、「ドグラ・マグラ」とか関係ない作品引き合いに出して、さも分かってます風なのも腹立つわ(笑)。お前、青空文庫で「斬られたさに」公開されてるのに、学習データとして全く役立ててねえな!無料でテキスト丸々読めるのに、なんでこんなテキトーな要約しか吐けねえんだよ!ほんと、AIって文学のニュアンスとか全然分かってないのに、自信満々にそれらしい文章並べるんだな。なんか「不条理な恐怖」とか「欲望と破滅」とか、テンプレっぽい言葉で誤魔化してる感すごい。試しに他の作品も要約させてみたら、もっとヤバいことになりそう。みんな、AIに文学語らせるときは気をつけなよ。雰囲気だけは一丁前だけど、中身スカスカだからさ!
リアルな若者を描きたいが意図なのは、そうかもしれんと思うわ。
でも、それに失敗してるとか誤魔化してるとかタグつけるのは、まだ控えたほうがよくない?
俺は、リアルな若者とは空白が多いもの、と言われている気がする。まあ空白にオチつけるとこちゃんとしてほしいはあるけど。
少し前にXの音楽好き界隈で捨て曲についての考えが飛び交っていたことがあった。
捨て曲も楽しんでこそ、とか捨て曲という表現は失礼、とかあれこれ云われていたのだけど、たしかに思うところのある言葉ではある。
基本的にはアルバムの中のつまらない曲を指す言葉だと思う。ただし、この曲は捨て曲、と名指しで否定するより、このアルバムは捨て曲無し、と褒めるための用法が主になっている。
個人的には捨て曲という言葉は使わないが、それに相応する曲はもちろんある。ただ、要らないとは思わなくてそれはそれでしっかりいただくほうだ。刺身はツマまで食べるタイプである。
リスナーが感じる良し悪しとは別に、ライブで一度もやらないような曲はミュージシャン的には捨て曲なのかなと思ったりする。
じゃあそういう曲は不要な埋め草にすぎないのかというと、そうでもない。あまり面白くない曲、地味な曲、お試し的な曲を作ることもミュージシャンの重要な創意であり、それを聴けるところにむしろ豊かさがあるのではないか。
サザンのアルバムなんかには、(シングル曲的なサザンを求める人にとっては)よくわからないであろう曲がちょいちょいあったと思う。これが音楽的豊かさであると勝手に得心したりする。
まあそう思えるのもなんだかんだアルバムすべてを楽しんで聴けているからであって、本当につまらなかったらプレイリストから捨て曲だけ省く暴挙をしてしまうかもしれない。幸いこれまでそうした経験はないけど。
近年はアルバム前提の曲作りをするミュージシャンは減ってきているようだ。一曲ずつMVで発表するスタイルなわけだが、そうするとすべての曲は単独で聴かれるため今回はウケなくてもいいとはならず、常にキャッチーさが求められ捨て曲は許されない。結果的にリスナーにとっては全部良い曲!という感覚を持てたりもするが、やはり若干の窮屈さを感じなくもない。捨て曲ウェルカムな気持ちにもなる。
これから成長ってのがあるとして、今のところ作中にロールモデルになるような大人もいないし(母親か?)、
どういう価値観を示そうとしてんのかまだわかんなくない?
たとえば水星は、明らかにスレッタはプロスペラに洗脳されてる風に描かれてたから逆に、まずはそこから解放されるべきなんだろうなってのが分かりやすかった。
ハルヒもキョンも性格が悪すぎるし学園青春モノにしては別にたいして全員仲良くもないし何が人気ポイントだったの?
いちおうSFっぽい壮大な設定はあるけど多少匂わせるだけで結局は日常からはみ出さないからワクワク感もないし
時系列シャッフルが目新しかったっていってもたかがそれだけで大人気になるほどか?
エヴァとかまどマギとかは古くても普通に面白かったけどハルヒは本当に人気の理由がわからない
おしえて長老たち
結婚して子持ちなので正直トレーニングペースは落ちてるしサボる時はトレーニングサボってる
でシングルや子無しの同僚がジム入ったとか週末走ったって話が聴こえてくると焦燥感で潰れそうになる
同僚頑張るな!と祈るしかないけどそれ以前に人と比較しなきゃ良いんだけど、なんかうちの会社毎週末の成果発表する奴多いんだけど営業の自己啓発かなんかで流行ってるの?
そもそもの高騰自体が政府の失策だって批判は全然わかるんだけど
その対応として行われた今回の備蓄米随契からの小売販売に対する批判報道がどれもおかしいんだけど
いやいや、新米の買い上げ価格と3年前4年前の古米の店頭小売価格を比較して何意味のわからない記事作ってんの?
備蓄米が市場に出たって需給の問題は解決してないんだから農家の売上が大幅に減ることなんて起きないだろ?
逆にそれで農家の売上が減るようならそれこそJAや集荷業者を批判しろよ
いやいやアンケート付きで記事出てたけど生活に困ってない人は値上がりしたブランド米買って生活が苦しい人が安い備蓄米を買うで何の問題があるの?
小泉進次郎は最初から「消費者に対して選択肢を広げる」って言ってるんだからこのデータは批判の根拠となりえないだろ。
いやいや今回のケースでなくて災害でも米不足でもどんな理由でも備蓄米の放出という業務上必ずあり得る自体に対して、
「それが起こったら廃業」とかいうのは政府の対応どうこう以前に業者の事業設計が破綻してるだろ。
保管期間の費用で補填できるだけの価格設定をするとかリスクケアしないで潰れるって言われもそりゃそうやろとしか思わんけど。
例えば批判として
「今回の備蓄米放出は一時的な需要に対する対策で、今後の流通価格下落には繋がらない。根本的な対策が明示されていない」
とかなら全然わかるんだよ。実際今回の備蓄米で今年以降収穫される新米の価格別に下がらないだろうし。
さらにその対策とか減った備蓄の補填として輸入条件の緩和とかを言い出したらそれに対して喧々諤々あるのはわかるんだよ。
陰謀論寄りだなって自分でも思うけどいろんな理由つけて備蓄米の流通が遅れていたJA(+農水省の一部)が
この話、「隣にすわる純朴そうな女子高生も、テレビでよく見る清純派で瑞々しい女優さんも、同じ部署の女の子も、みんなおまんこを持ってて、セックスできる仕様になってることが信じられない」みたいな、わりと純粋な疑問というか、性に対する純粋な戸惑いだと思うんだけどさ
それに対してブコメが「ああ、素人の一般人はお前がネットで見る裸の女と違うぞ、あれはフィクションだぞ」みたいに言ってるの残酷過ぎない?
元増田が言いたいのはもっと観念的な戸惑いの話だと思うのに、その、お前のちょっと戸惑ってる現実ですら美化されたフィクションやからなあ、みたいに言うのさあ
うちの母は、夕張メロン味のポッキーとか、松坂牛味の煎餅とか、そういうお土産が嫌い。
夕張メロンや松坂牛は食べたいけど、ポッキーを夕張メロン味にしたり、せんべいを松坂牛味にされてもぜんぜん嬉しくない。
とのこと。
あの手の土産は、「どこどこに行ってきました」という話のタネで、「あらそう!どうでした?」などという中身がない会話をしたかったらどうぞ、という儀式である。
私の母は、夕張メロンポッキーが嫌いとか松坂牛せんべいが嫌いとかでなく、他人がどこに行ったかとかに興味がないのだろう。
テレビの向こうで食べてても、私の舌や胃袋が満たされるわけじゃないし、なぜ芸能人が楽しくカラオケするのを見なくちゃいけないの?
と言う。
閉ざされた部屋で、
高く、冷たい金属の音が、
一定の間隔で無機質に響く。
音は孤立している。
直前の音から逃れるように。
余韻は消え、
予期を許さない。
旋律になることを拒むように。
響きはある。
共鳴を拒み、
繰り返される空間に、
虚しさの上に立った
脆い砂上の楼閣に、
私は吐き気をもよおす。
私は、
水面は激しく波打ち、
波紋を描く。
波紋は、
意識を超え出て、
今との干渉により増幅され、
余韻として残る。
また、波紋は未来へ広がり、
予期として現れる。
この一連の波紋の干渉は、
存在に奥行きと深みを与える。
これは旋律を思わせる。
今、響いている音には、
直前の音が残響として、
次に来るであろう音は期待として、
一塊をなしている。
この音の連なりは、
豊かなメロディとして奏でられる。
絶望も、
苦悩も、
歓喜も、
悲哀も、
愛おしさも、
音として重なり合い、
響き合い、
メロディを奏でる、
この生きた世界を。