はてなキーワード: ホモサピエンスとは
結婚できなくても世の中の構造的にそういうもんで別におかしい事じゃないと思っとけばいい
種としてホモサピエンスが残っていけばいいわけで、子孫を残せなかった個体なんて今までも山のようにいたわけだし
150年前は日本の人口3400万人だったのが今は1億2000万人いるんだから自分が遺伝子残さなくても自分と似た遺伝子持ってるやつは沢山いるので個体レベルがそんな責任を感じる必要もない
気楽に生きろよ、どうせ残り数十年で誰も彼も全員死ぬんだし、100年も経てば大谷翔平レベルでもない限り平凡な個体が生きていたことも顔も名前も誰も知らないんだから
男性の性欲の話になったときに、薬で抑えればいいのに~というコメントをたまに見かける。
たしかにそうした方がいい人がいるのも事実だが、大部分の男性にとって、それを抑えるなんてとんでもない!ことなので、それについて書いておく。
まず極論から書くが、
生き物のオスとは、つまるところ射精をするために生まれてきた存在である。
これは我々の祖先が太古の昔より何億年も続けてきた営みであり、我々ホモサピエンスのオスもその宿命から逃れることはできない。
生き物の中には、射精をすると死んでしまうものもいるというが、そのように射精というのは時に命を懸けてでもそれを成し遂げたいという凄まじい衝動をもたらすことがある。
そしてそれが達成された暁には、無常の幸せが身体を包む。それは生き物のオスとしての本懐を遂げた喜びである。
この衝動は、時に「相手」が目の前にいなくても生じることがある。おそらくは、衝動に駆られたオスが必死に「相手探し」に奔走することも、生物の繁栄に寄与してきた側面があるのだろう。
現在の人類でも、男性が女性と「付き合いたい」「結婚したい」と思う動機の大きなウェイトを占めるのはセックスであり、男性のそうした衝動がこれまでの人口増加に寄与してきた側面は否定できない。
しかしそうした衝動は暴力などとも結びつきやすいため現代社会でその本能をそのままさらけ出しては不都合が多く、衝動に駆られて破滅する人や犯罪に走る人も多い。
そういう人は、薬で性欲を抑えよと言われても仕方がない。
しかしそうでない大部分の男性は、衝動を理性で抑え、うまくコントロールしながら生きている。
巷に溢れるアダルトコンテンツとは、いわば他人にあまり迷惑を掛けない形でオスの衝動を自分だけで小規模に発散させるための装置だ。
そうした行為が、男性にとってただ面倒くさいだけのものであれば、薬で抑える論にも多くの男性が賛同するかもしれない。
しかしその行為は、たとえ一人でするのであっても、喜びをもたらすものなのだ。
それを薬で抑えるというのは、喜びを捨て去ることであり、多くの男性にとっては、それを捨てるなんてとんでもない!ことなのだ。
他人に迷惑は掛けないから、せめてオスとしての本懐を少しでも遂げさせてくれ、ということである。オスとはそのために生まれた存在なのだから。
今のホモサピは10万年前と比べて特に知能が高くなったとか肉体の機能が変わったとかいうのは何もない。
仮に原始ホモサピの赤ちゃんが現代にタイムスリップしてきて拾われて育てられたとしたら、その子は普通に現代語を喋りスマホも使い、見た目も現代ホモサピと何も変わらないだろう。
ホモサピは昔から天才は天才だし、凡人は凡人であることは変わらない。
例えば原始ホモサピにも、文字や時計の概念が無いのに月齢や潮の満ち引きを計算して牡蛎の漁をしてた人がいたわけで、それがどれだけ天才技か想像もつかない。
文字も計算もスマホも天才が作ってくれて凡人が真似して使ってるだけだ。
何が言いたいかというと我々現代ホモサピの凡人は結局原始ホモサピと何も変わらないってことだ。
文字や農耕や都市社会も5千年前くらい前にできたばかりのもので、それ以前の9万5千年以上の間の原始ホモサピの本能が我々には染み付いてるのだ。
ハゲていない限り、人間は頭頂部から足の指先まで全身に毛が生えているわけだが、その中でも個人的に特に不快な毛は何か?と問われたら俺は即答でケツ毛と答える。
やたら太くてゴワゴワしてるくせに見えない場所に生えてて引っ掛かると痛いし、何より排便の時に極めて不快な思いをする。この不快な気持ちを感じる人が1人でも減るように、ホモサピエンスはケツ毛の毛根を消滅させる方向でぜひ進化して頂きたいものだが俺が生きてるうちにはどうしようもないのでこの前思い切って全部抜いてみた。
まず驚いたことに想像の3倍くらい抜くのが痛かった。ケツ毛に限らず抜け毛には根本に白い半透明の塊がくっついていることがあるが、ケツ毛の場合はそれの大きさが尋常ではない。通常の3倍くらいの太さ・長さを備えているのだ。それだけケツの皮膚深くに奴等は鎮座していることの証拠だろう、そりゃ抜く時めちゃくちゃ痛いわけだ。
で、ケツ穴の痛みに耐えながら就寝して起きてウンコしたら驚くなかれ、大便が今までにない勢いで華麗にアナルから発射されたではないか。
久々に味わった快便の喜びに激しく動揺しながら気持ちの良い朝日と共にコーヒーと朝食を摂り、久々のオフライン出勤に向けて気合いの屁をこくと、これも先の大便に呼応するかのようなキレの良いフレッシュな屁をかますことができた。
ケツ毛が無いだけでこれだけクオリティ・オブ・ライフが向上するものなのかと感動しながらいつもの通勤路を颯爽と歩き、最寄り駅のエスカレーターに足軽にステップ・インすると前にはロングヘアーのオフィスカジュアルな服装の女性がおり、腰のくびれから臀部に至る美しい曲線を描いたデカ尻が視界に入ってきた。
そのデカ尻をまじまじと見ているとふと一つの考えが頭に浮かんだ。世の女性はこの快適な肛門体験を何の苦労もなく毎日得ることができるのか、なんと羨ましいことか、と。
そして、この素晴らしい1日の始まりもケツ毛が再生するにつれ失われてゆくのだろうと考えると少し憂鬱な気持ちになり、他の表情筋の死んだサラリーマン達と共に朝の通勤電車の中に私は埋もれていく。
そして徐にスマホを取り出し、Apple musicを起動する。電車の不快な騒音を流行りの音楽とノイズキャンセリングでかき消しながらブラウザに文字を入力する。
「ケツ毛 脱毛 値段」
ほほう、時々耳にするVIOラインというのは正にこの不快な毛が集中しているエリアのことだったのか。スマホは正しく使えばいつも新しい知識を提供し、私を賢くしてくれる。人類文明と科学の進化に感謝しながら検索を続ける。こんな不快な付属物を抹消するためだけにそこそこの費用がかかるのは実に不愉快だが、別に払えない金額ではないということもわかる。だが気になるのは脱毛は痛いという経験者の心の叫びだ。
昨日の人力強制脱毛も相当痛かったが、この痛みを金を払って受けなきゃいけないと思うとなんとも気が進まない。しかし、ケツ毛がない事による爽快感はとても忘れられるものではない。