文化ブログ
阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
黒瀬陽平さんがニコ生ドラマ「1983年の荒川智則」で狙うこと~昨年来のカオス*ラウンジやワッショイ関連の展示を観て~
「空気系状況アートの拡張現実化」。いきなり分かりにくい言葉で説明することになったが、このカッコ内の言葉が、今回のニコ生ドラマ「1983年の荒川智則」で黒瀬さんが狙っていることではないかと思う。それは、昨年3月のカオス*ラウンジのアート界隈でのブレイクのきっかけとなった伝説のUstから、関西に上陸した「かおすら!」、「はめつら!」展。さらには昨年までカオス*ラウンジのメンバーであり、現在はカイカイキキ所属アーティストとなったob(オビ)さんが主催したwassyoi(ワッショイ)という女性版カオス*ラウンジ的なグループ展を観たり、それについて書いてきたことを、今回の黒瀬さんのツイートを考え合わせた中で出てきたものだった。
残念ながら、「破滅*ラウンジ」や現在開催中の「荒川智則展」の参加者であるギークと呼ばれる人々や、彼らに付随したネットカルチャーに疎いので、その部分は憶測するしかないが、まずはカオス*ラウンジをアート的な側面から追ってきた結果行き着いた、「空気系状況アート」というものについて説明したい。この勝手な造語を思いついたのは、昨年11月、先日まで村上隆さんが運営主体となったHidari Zingaro 左 甚蛾狼(ヒダリ ジンガロ)というギャラリーで展示を行っていた0000(オーフォー)というアートグループが、京都に持つギャラリーで開催したwassyoiのイベントに参加した時だった。
一日限りの展示とパーティを組み合わせた「wassyoi♯」というイベントの、展示自体はその年の7月、同じ場所で行われた「wassyoi+」の延長線上のもので、特に驚くべきことはなかった。しかし、翌日の明け方まで続いたパーティは、そこが作品展示空間という場所性を踏まえると、かなりユニークなインスタレーションになっていた。アートという接点以外、何の面識の無い人々が、様々なものを持ち寄って行ったパーティは、夜が更けるとゲーム、音楽、読書、ホットプレートでの焼きそば、焼きうどん作りなど、誰もが勝手気ままに振舞うカオス状態。本来主役であるはずの展示作品そっちのけで焼きそばをほお張る人々見ていると、この状況の可笑しさに笑いが止まらなかった。
そして翌日、朝日を浴びながら解散し、ぼんやりと歩きながら考えたことは、これに近い状況が6月に行われた「かおすら!」や「はめつら!」でも起きていたこと。さらには村上さんがtwitter上で絶賛した5月の「破滅*ラウンジ」でもギャラリー内でゲームや音楽、プログラムを組んだり鍋パーティーをしたりと、展示以上にそこにある状況を楽しむ空間が成立していたという。それを考えるとカオス*ラウンジのもう一人のキュレーター・藤城嘘さんが、作品より、みんなが集まってご飯を食べながらお絵かきをする「ごはんラウンジ」を見て欲しいという言葉も納得できる。またその系譜をたどっていくと、1990年にニューヨークのギャラリーでタイ風焼きそばを振舞うインスタレーションを行ったリクリット・ティーラワニットまで行き着くことになるだろう。
さらに今月、東京・中野のHidari Zingaro 左 甚蛾狼で開催された0000フェスの第3弾「アートどすえ」という展示を鑑賞したのだが、かなりの数の出展作家が11月の「wassyoi♯」参加メンバーと共通したその展示は、展示自体も面白かったが、それ以上にまるでコミックマーケットの人気ジャンル周辺のような込み具合が生み出す状況が面白かった。またその後、出展作家やpixivユーザーたちが一緒になって、麻布のkaikaikiki(カイカイキキ)ギャラリーに移動して行われたpixkiki新年会では、西洋的なアート空間であるギャラリー内の畳の間で、おにぎりやカップ麺を方張りながら、車座になって話し込むアート界隈の人々という状況も楽しかった。
本来目的とすべきアート作品以上に、そこに付随した状況やコミュニケーションを重視したアートのあり方を、ゼロ年代にアニメーションの世界で生まれた、たわいもない会話や日常生活を描くことを重視した「空気系」という作品群にちなんで、とりあえず「空気系状況アート」と呼び出したのがこの言葉の由来。その特徴は、『かおすら!』や『はめつら!』展のタイルトの元ネタともなったアニメ『けいおん!』の空気感と似て、ある特定の好きを共有し、ゆるやかなつながりを持つこと。さらには飲食を共有してまったりとした時間を過ごすことや、「空気」を生み出す音の存在を重要することなどが挙げられる。
長かった「空気系状況アート」の説明も終わり、カオス*ラウンジが今回のニコ生ドラマで生み出す状況を、あらすじから読み取ってみると、ギークというネット好きの人々が、シェアハウスというゆるやかなつながりを持つ空間で繰り広げるある種のドタバタ劇のようである。今回その第1回目にニコニコ生放送が使われる理由を推測すると、昨年頃からニコニコ動画で配信されだしたアニメを中心に起きている、視聴者からのコメントによる「突っ込み」を期待した、「突っ込み待ち」アニメと同じように、画面に視聴者のコメントが流れるレイヤー(層)を重ねることで、作品や演技者の動きに新たな面白みを生み出したり、それによる変化自体を作品に取り込む、拡張現実的コンテンツを作ろうというのが狙いなのだと思う。
トーキョーワンダーサイト渋谷というアートの領域から、ニコニコ生放送という日本的土壌が生み出した特異なアーキテクチャを駆使して配信されるそのようなコンテンツが、果たしてアートたりえるのかはまだ分からない。しかし、少なくとも、新たな領域への挑戦を目指すカオス*ラウンジと、ネットを介してこの番組に関わる不特定多数の荒川智則という存在から目が離せないことだけは確かだと思う。
ニコ生ドラマ「1983 年の荒川智則」 配信先へのリンク
東京ワンダーサイトの荒川智則個展のページ
トゥギャッター 黒瀬陽平氏によるカオス*ラウンジの説明とその後の村上隆氏の反応
0000 Galleryウェブサイト wassyoi♯のページ
ウィキペディア ギーク
ウィキペディア インスタレーション
ウィキペディア リクリット・ティーラワニット
pixkikiバスツアー&新年会開催レポートが掲載されたカイカイキキギャラリーのページ
YouTube 0000 Fest 第3弾「アートどすえ ー京都物産展ー」@Hidari ZingaroのPV
ウィキペディア 空気系
ウィキペディア 『けいおん!』
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一応、公共広告機構のCMで使われていた『ポリリズム』ぐらいは知っていたが、特別興味を持っていなかったPerfume。それが今回、「道夏大陸 Perfume 編 1/2 ~20分でわかるPerfume」という動画を観て、彼女たちの独自性が、アイドルというジャンル出身でありながら、現在はそのジャンル外にも多くのファンを獲得していることだと理解できた。サウンドプロデューサーの中田ヤスタカさんという方の作り出す、テクノポップとしての完成度の高さがその大きな要因なのだが、それと同じことが0000にも言えるのではないか。
日本のアートというこれまで一定人口にしか波及していなかったジャンルの中で、アートフェアフリーや2010円展など圧倒的なコストパフォーマンスによって、これまでアートに興味の薄かった層にまでアートを広めようとしていることは、Perfumeが音楽で行ってきた多ジャンルのファンを獲得する活動とかなりの共通するのではないか。関西でこの半年、彼らの動きを見てきた者として、デパートで開催された2010円展や、彼らのギャラリーに来た人々は、ファッションやオタク、ネットやストリート系の人々など、これまで美術館やギャラリーに足を運んだことのないような人々まで含まれていた。
もちろん現在のPerfumeのような圧倒的な知名度や、過去の長い試行錯誤の繰り返しはまだ0000にはない。しかし、今回のUstで谷口創さんが言った、「日本のアートの産業レベルでの脆弱性」といった問題や、上海で作家として活動してきたNam HyoJun(ナム ヒョジュン)さんが「個人の危機感」として語った、「日本で食べていくとして月20万、年間240万で、ギャラリーと売り上げを半切するとして480万。2年に1回の個展でその2倍の売るなんて無理だって実感ある」という言葉は彼らなりの切実さを伴ったものであり、それは同時に日本でアートに関わる人全ての問題だと思う。
そんな「自分たちのアートができなくなる」という危機感の中、彼らが4日間、寝泊りを共にして話し合い、「個人の力ではどうしようもない」という結論に達し、話し合いの熱量からグループ結成に至ったことは、最近、若いアーティストたちがゆるやかにつながるグループを作ったり、共同アトリエを運営していたりする流れに共通するものがある。そこには、ゼロ年代後半から生まれた流れである、「サバイブ感」(とりあえず生き延びること)を具体化したものとして理解できる部分もあるが、彼らは互いの長所を活かし、グループであることのメリットを最大限に引き出している点も、Perfume的と言えなくもない。
メキシコで生まれ、親がアーテストだったことから、外国語でのコミュニケーション能力や西洋のアート事情に詳しい緑川雄太郎さん、ファッションから文学、サブカルチャーに至るまで、文化全般へのアクセス能力を持つ谷口創さん、共に在日というマイノリティーに所属し、作家として中国マーケットでの作品制作経験を持つNam HyoJunさんとKim okko(キム オッコ)さんの4人で結成された0000。彼らの最大の持ち味は、それぞれの属性に基づいた多角的な視点から意見を出し合い、そこで生まれたアイデアを迅速に具現化できる実行力にある。
一部では、彼らのアイドル的な路線や、ギャラリストの枠からはみ出した活動に、否定的な意見を述べる人もいるが、アートの枠外に向かって、その「ポピュラー化」を目指している彼らとしては、より多くの人に訴えることのできる可能性を捨ててまで、その枠内に留まることにどれだけ意味があるだろう。彼らの本質は、「いろんな人にアートを観て欲しい」というアート関係者なら特に反対する理由もないものだから、小さな違いを非難するのではなく、少しでもマーケットや観客を増やそうとしている彼らの活動を静観するなり、協力するなりできないものか。
最後にUstの後半で話された、彼らの今後の方向性について思うこと。日本の音楽業界のヒットメーカーの幾人かが、これまで世界の音楽シーンへの参入を狙いことごとく跳ね返されてきたことと、最近の韓国文化が巧みにアジアのマーケットの中に食い込んで成功していることは、国家戦略や国内マーケットの規模という以上に、これからの日本アートの動きにとっても示唆多きことのように思う。その点では、メンバーの2人が韓国や中国との深い関わりを持つ0000にとって、アジアへのパワーシフトが起きていく今後、「世界で戦えるような作家を輩出していく」ための大きなアドバンテージになるのだと思う。
0000 Galleryのウェブサイト
0000artsのtwitter
ウィキペディア Perfume(パフューム)
ウィキペディア 中田ヤスタカ
YouTube 道夏大陸 Perfume 編 1/2 ~20分でわかるPerfumeの動画
途中から異様に熱い過去の話になるNamHyoJunさんのトゥギャッター
アマゾン 『結成10周年、 メジャーデビュー5周年記念! Perfume LIVE @東京ドーム 「1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11」』【通常盤】 [DVD]
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話を聞いていく中でまず最初に驚かされたのが、古い廃車を使った大型作品の経験はあっても、今回のようなアートフェスティバル内でのインスタレーションが初めてだったということ。それなのに『未生命の遊槽』では、本部の蔵の中にあった長持を中央に配置して子宮や棺桶のイメージを浮かび上がらせたり、廃屋という場にあまりにもマッチした作品空間を作り上げるなど、状況の活かし方や作為と無作為のバランスに只ならぬ印象を受けたと述べると。
作者の青木さんは、まるで場を使った表現を何度も重ねてきた人のように、「空間を見て、空間が持っている時間とか人の流れとか、歴史としてどういう風に使われているかを見て作品を作りだします。作品に合った空間を見つける時もあるけど、今回はお家を何個も何個も下見して、どこでも良い訳じゃなく、イメージを決めて、そこの空間を肌で感じながら決めていきます」と回答。これまでの展示自体をインスタレーション的に設営してきたことが今回の完成度に繋がっているらしい。
他にも「小さい時から絵を描くのが凄い好きで、4歳ぐらいの時から将来は絵の先生になる」という目標を持っていた青木さんは、小学3年から始めた絵画教室通いや芸大受験のための予備校に通っていく中で、「絵の中に自分が入りたいなと思った。自分がその空間の中に入りたい」という気持ちを強く持ち、生まれ育った北海道から進学のために東京に出てきた時は、舞台美術や映画美術が学べる空間デザイン系の学科のある大学を選択。「空間を作るインスタレーションには興味があって、前から今回のようなものがしたかった」と空間に対する興味が強かったのだという。
しかし、一度入った大学では、「やっぱり自分でものを作りたいというのがあって」と違和感を感じ、「テキスタイルから木や石やガラスまで色々な素材を学べる」という武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科に再入学。そこで最初に行われた実習の中で「ああ、これしかない」と思ったというガラスという素材に出会ったのだという。そこで、一体ガラスの何にそこまで惹かれたのでしょう?と疑問を投げ掛けると、「最初に作った作品講評の朝、転んで作品を割っちゃったんですよ。ちゃんと作ったものがバラバラになってしまって、ガラスって本当に割れてしまうんだなと感じて」と現在の作品も表れた儚さや繊細さに通じるエピソードを語った。
また「何より透明なところが好きで、あるか無いか分からないところとか、存在の危うさとか」という作者に、ガラスを選択した理由は氷や雪といったものが身近にあった影響があるのでは?と尋ねると、「自分では考えたことはないんですけど、当り前にあった雪とか、氷の透明さとかつららとか肌で感じているんだと思うんです。色をガラスにつけないし、つけたくない理由はそういうところにあるのかもしれません」と照明に使う淡い青や静けさが似合う作品が、自身の育った環境に影響されている可能性についても語った。
「ガラスに出会った時から、もう作家になろうとしか思ってなくて」という学生生活の中で、様々なガラスの技術を習得。卒業制作で作った『あなたと私の間に』という作品では、「テーブルや窓といったものがある当り前の生活をしている二人の間に、目に見えない何かが根付いて育っている」という状況をその頃からモチーフとしていた菌糸や胞子の造形物を使って表現。「反響も良くて実際にお仕事をいただいたり、今まで見てもらっていた先生もびっくりしてらした」という作品は卒業制作優秀賞を受賞。「自分の作品だといえるはじめての作品」という手応えも感じた。
その写真を見ながら、わずか4年で造形的にもコンセプト的にも優れた作品が作れた理由は何なのでしょう?と聞いてみると、青木さんは少し考えた後に、「劇団でお芝居をやっていたことが大きいかもしれません。舞台美術を最初はやっていて、それで出るようになって。体を動かしたり演技したりして、普通は動かさないような筋肉を使ったり。あと見せるということとか、舞台に出る高揚感とかライブで表現したことも大きいと思います」と今回の作品にも共通する作品配置の上手さや光の使い方、暗幕の先に広がる別世界性などを納得させる答えを述べた。
さらにこれまでに影響を受けてきた作家や作品について尋ねてみると、「あんまり影響を受けた人とかいなくて。大学に入ってからは博物館とかの方が影響を受けたのが多いですね。骨とか図鑑とか顕微鏡で色々見たりとかしてました。絵を見て何かにというよりも顕微鏡とかで見たものの方が影響は大きいと思います」とモチーフや素材にしている菌糸や胞子、シャーレや注射器といったものがそういった経緯で用いられ、特別な愛着があることを伺わせた。
「もう一瞬であの構成が浮かんで、作り終わってすぐは良くわからなかったけど、時間を置いて見ると良いものができたと思う」という今回の作品については、「次は家をやりたいと思っていて、何百年の間生命の繰り返しや受け継ぎががあったああいった建物が持つ生だけでもなく、死だけでもない。そういう循環を表現できないかと思って。着物を入れる長持が子宮のようにも棺桶のように見えて、室内には魂のような精子のようなものがプカプカしている」という極めて幻想的な空間を作り出した。
作者のこれまでの経験や目指していたものが一つの作品として結実した今回の作品。好評を受けてビエンナーレ期間以降も約1ヶ月間の展示の延長が決まった。その決定に笑顔を見せながらも、作者としては次の段階へ進むために動きだしている。「今は次の個展の予定を日本では入れてなくって、海外に滞在できるコンペとかに色々応募したりしてて、1年から3年ぐらい色々な国に行ってみたいと思っています。日本で生まれ育って、日本の宗教、死生観が出てきたので、これからも色んな国の色んな生命観を見たい」とより広がりのある舞台での活動を見据えている。
青木美歌さんのウェブサイト
青木美歌さんのtwitter
11月7日に終了したBIRAKOビエンナーレ2010のサイト
ウィキペディア サイトスペシフィック・アート
ウィキペディア インスタレーション
アマゾン 青木美歌さんの作品がジャケットで使用された『ウーヴン』
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これまで開催された「展覧会」の全てにに参加している者として断言できることは、購入された作品がその場でお持ち帰りとなるこのイベントが一番楽しめるのは、開始日初日の数時間ということになる。その時間帯には先を争って買う価値のある作品が揃っていることが多いし、何よりこの「展覧会」のコンセプト、「作品を観るだけでなく選んで買う」という楽しみが一番味わえる時間帯なのだ。
そんな経験則から向かった大丸心斎橋店北館には開始時間の10時から約30分ほど遅れて到着。前回までの「婦人服売り場のバーゲンセール状態」を知っているだけに、目ぼしい作品は売れてしまっているかもと心配しながら到着した北館9階エスカレーター付近には、水色の伊達メガネをかけた0000メンバーの緑川さんが、案外暇そうに立っていた。
8つのフロアーに分散展示される今回の「展覧会」の8、9階は、エスカレーター付近の通路スペースに高さ2メートル、幅8メートル程の白い壁を設置し、そこに約200点づつの絵画、イラストを中心とした作品を無秩序に展示するという、基本的に前回までのスタイルを踏襲した形式が採られていた。9階は平日の開店直後のベビー・子供服売り場ということもあってか、「観客」はまばらで、拍子抜けしてしまうほど。
その分、緑川さんや、ボランティアスタッフの方々と今回の「展覧会」や、それぞれの作品についての話を聞きながら作品を選べるメリットがあって楽しかったが、2ヶ月に満たない準備期間ということもあってか、作品全体のクオリティーは前回、前々回には劣るように思えた。しかし2010円にしては絶対お得、という作品に向かい合っていると、他の購入者との競争心が湧き起こり、気づけば財布が軽くなっているという、バーゲン売り場状態。
そんな8、9階の「展示」を楽しみ、「2階から7階までは約60のショップの中に置いてもらっている」という展示を観だした時に感じたこれまでにない感覚。2階の男性ファッション売り場の時はそれほどでもなかったが、3階から7階までの婦人服売り場で洋服や小物に混じり、まるで宝探しのようにして探さなければならない作品を観るためには、足を踏み入れたこともない女性ブランドショップ内に踏み込まなければならず、そこには不思議な「越境感」があった。
ショップの店員の方々も、平日昼間の婦人服売り場をうろつく男に違和感を感じられていたようだが、こちらが「絵を観に来ました」と声掛けると、大抵は気さくに対応してくれ、中には今回の企画やその方の好きなアート作品について話し込んでしまうなど、アートが生み出す「越境的出会い」が体験できた。それはまるで瀬戸内やBIWAKOのアートフェスティバルで体験した出会いと同じで、社会的属性を留保した極めて私的で風通しの良い関係だった。
一通りの買い物を終え、そんな出会いを生み出した「展覧会」について考えていると、ちょうど今回の企画について、ショップの方々に説明して回っていた0000の谷口さんと、主催会社の担当の方に遭遇。谷口さんにその意図を聞いてみると、アート側の視点よりもファッション側の視点から、「展覧会に来ない方とか、服を買われる方にファッションを買うようにアートを買ってもらう『展覧会』」とあくまで「展覧会」であることを強調。
そこにはアート界隈よりも、その周辺や外側にいる人々を巻き込んだ動きを作り出したいという思いを強く感じた。3時間ほど滞在した会場を後にし、心斎橋周辺のギャラリー巡りをしていく中でも、「アートの販売網がないのを、こういう風に広げていく試みは初めてではないか」という言葉が、いつまでの残り続けた。その日はギャラリーよりも、偶然入った洋服店や、茶道具店、タトゥーショップの店員の方々との会話の中に収穫が多く、そんな言葉の数々を反芻しながら帰る電車の中で、ふと思いついた。
「もしかすると、今回の『2010円展』という『展覧会』は、最近国内で起きているアートフェアーや、村上隆さんを中心とした動きが示す、『社会におけるアートの拡散』という形の一つの表れであり、この国で独自に発展してきた『デパートアート』というものが、催し物会場から各フロアーへ拡散したという状況を生み出したという点では、極めてコンセプチュアルな意味合いを持つのではないか?」
それは「GEISAI」というアーティストがダイレクトに作品を販売するイベントや、自作フィギュアの縮小版をコンビニで販売したり、最近では「買えるブルータス」の企画としてオンライン上で作品購入できる手法を取り入れた村上隆さんの「アートの流通経路の変革」という挑戦の延長線上に立つ行為であり、そんな基本コンセプトの共通性があるからこそ、アートバトルロアイヤル(ABA)以降の村上隆さんと0000との接近が生まれ得たのではないだろうか。
90年代以降、美術館からギャラリーへ、そこからさらにアートフェスティバルやpixiv(ピクシブ)といったネット上など、様々な場所へと拡散し続けるアートは今、各地で開催されるビエンナーレ、トリエンナーレなどを一つの装置として、より多くの人々へ拡散し続けようとしている。京都にある20代の4人が半年ほど前に始めたギャラリーが、大丸という近畿圏では最もメジャーなデパートの一つと組んでおこなった「2010円展」という企画展は、この国のアートの今を象徴する一つの作品として成立し得ていると思う。
0000 Galleryウェブサイト ¥2010 exhibition-Final at大丸心斎橋店のページ
大丸心斎橋店ウェブサイト
0000arts(オーフォーアーツ)のtwitter
ウィキペディア コンセプチュアルアート
ウィキペディア 大丸
ウィキペディア 瀬戸内国際芸術祭
瀬戸内国際芸術祭2010ウェブサイト
BIWAKOビエンナーレのホームページ
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今思うと、アーティストトークの前に、eN arts版の展示を観ておいたことは非常に良かったと思う。それまで青木良太さんの作品はニコ生で見た一風変わった王冠の作品と、小山ギャラリーの彩色の施されていない作品しか見たことがなかったからだ。実際、オブジェ的な作品よりも、きっちりとした器の方が好みな自分にとっては、主に茶器として使われる茶碗や花入れといった実用性の高い作品の美しさを全面に出したeN arts版の展示の方が良かったと思う。展示の説明をしてくれたeN artsのスタッフの方の話では、青木良太さん自身は、茶道の経験はほとんど無いということだったが、ちょうど茶器サイズに作られた作品はどれも、これまでの茶碗の地味なイメージとは全くかけ離れた、鮮やかな色どりや、メタリックな色彩を持った非常に挑戦的なものばかりで、茶碗の概念に囚われない思い切りの良さが気持ちよかった。
さらに色彩だけでなく、通常の茶碗より少し高く小さい高台(土台の部分)などは、お茶を知る人には違和感を持つ人もあるだろうが、全体としてのフォルムやバランスには確かな魅力を感じさせるものがあって面白かった。お茶というと、どうしても千利休以来続いてきた「侘び、寂び」の世界に囚われてしまい、変に難しくなったり、堅苦しくなってしまったりという側面があるが、今回の作品には、そんな美意識を全く気にせず、「自分の作りたいもの」を「現代の器」として提示したという感覚が見て取れ、「こういうのもアリかな」と思わせる説得力があった。ギャラリー内にある茶室の床の間に飾られたテレビゲームで見かける刀のようなオブジェや、西洋風の銀食器と並べられた茶器の使い方にも、これまでに無い「見立て」の心が感じられ「展示」としても面白かった。
会場を移動し、向かった小山ギャラリー(正確には2階のTGKエディションズ京都)には、アーティストトークを聴こうとすでに70人以上の人が集っていた。まさかこれほどの人が集うとは予想もしていなかったが、後で話しを聞くと、名古屋や東京からもこのイベントのためにやって来たという女性がいたり、愛知のテレビ局のカメラが取材に来ていたりと人気の程が伺われた。トークの内容は頭蓋骨と王冠のオブジェを制作した理由(王や王妃の永遠に存在したいという欲望を永遠に残るセラミックという素材で表現した)という話や、釉薬(ゆうやく)の魅力に魅せられたこと、これからも自分の欲しいものがいっぱいあるので、作りたいものを全部作っていきたいという意気込みが語られた。
トークの最後には質問を受ける時間が設けられ、誰も質問をしないならばと手を挙げて、「フォルムについてのこだわりと陶芸を始めたきっかけ」について尋ねてみた。するとフォルムについては「自分がかっこいいと思うものや形の集合体」であるとの答えかが返ってきた。そして驚きだった「陶芸を始めたきっかけ」については、小さい頃からマンガを書いたり、手で何かを作ったりするのが好きだったが、愛知の「下から2番目に頭の悪い大学」に入り、20歳になるまでは遊んでばかりだったのだという。そして卒業後の事を考えた時、「自分の好きなことしよう」とファッションやアクセサリーの道を選択。どちらも注文を受けるまでなっていくが、その注文に合わせた製作の難しさや大変さに進路を変更。レゲエバーや美容師ブームに乗ってのアルバイトの合間に通いだした陶芸教室で土を触った瞬間、「これしかない!」という衝撃を感じたのだという。
卒業を間近に控え、陶芸家になりたいという思いは生まれたが、陶芸を職業とする人々の経歴を調べると、そのほとんどが東京芸大などの芸術系大学出身者。あきらめきれず、何とか探した陶芸の技能を学べる教育訓練校に必死でデッサンの勉強をし多治見、瀬戸、九谷の学校に合格。その中から「人間国宝が多いから」という理由で選んだ多治見での勉強の中で、「陶芸と心中しようと」覚悟を決めたのが今からちょうど10年前だったのだという。トーク終了後、個人的に聞いた話では、「いつ死んでもいいように制作していて、朝8時半に工房に入って食事の時間を除く夜の11時まで軍隊みたいな感じで制作をやっていて、本当はレセプションに出るより制作をしていたい」という程の生活を送っているのだという。
頭には黒いターバンを巻き、いかにも今風の雰囲気を漂わせてはいても、その陶芸家として制作に賭けた10年は、有無を言わせぬ作品として観る者に強い印象を与える。「陶芸界の日本代表として世界で戦いたい」という夢を持ち、すでにニューヨークの個展にも挑んでいる若き陶芸家は、伝統に囚われない斬新な発想と、自らの感覚に忠実に従って制作を続けてきた。そんな青木良太の作品が世代を越え、多くの人々に支持される理由は、本来、利休などが挑んできた「新たな発想を取り入れる」という美意識の挑戦を、今という時代の感覚に沿って行っているからなのだと思う。
ウィキペディア 青木良太 (陶芸家)
eN arts『青木良太展』※開廊は期間中の金、土、日
小山登美夫ギャラリー京都『青木良太展』
青木良太さんのウェブサイト
青木良太さんのtwitter
ニコニコ生放送『村上隆 vs 若手“ABR vs GEISAI”徹底討論 芸術とは何か?1/2』アーカイブ版
ウィキペディア 千利休
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横浜美術館から大阪の国立国際美術館へ巡回してきた『断面の世代』も一通り観て、何か言葉にできない独特の不安感や後味の悪さを感じてはいたが、そこから先にもう一つ突き抜けるものがなく、何かを書こうとまでは思わなかった彼女の展示。ヴェネチア・ビエンナーレの日本館出品作家に選ばれたというニュースの直後だっただけに、同世代のトップランナー的アーティストとしてはもう一つ物足りなさを感じていた印象が、今回の『dolefullhouse』(ドールフルハウス)を観たことで完全に吹き飛ばされた。
『水木しげる妖怪図鑑』で賑わう3階展示場とは違い、2人しか人がいない2階フロアーの第6展示室の最奥の空間を区切って流されていた映像作品『dolefullhouse』。時間があるからまあ観ておこうと全く期待せずに観た映像は、BGMもなく、西洋風の空っぽのドールハウスに淡々と家具類が並べられていく地味な作品だった。
しかし、音やアングルの変更はなくても不思議と最後まで見れてしまうのが束芋さんの作品。6分30秒の映像が終わり、エンドレスに編集されていることを確認してその空間を退出した時には、それほど印象に残る作品とは思わなかったが、自宅に戻る電車内や、帰宅後の室内でぼんやりしているとふとあの作品について考えてしまう自分がいて、一日たった今では、この作品についてはどうしても書いておきたいという気持ちにまでなっている。
この作品の何か自分をそこまで突き動かすのかを考えると、やはり束芋さんと同世代の、いわよる団塊ジュニアと呼ばれる世代に刻印されたどうしようもないほどの傷跡がそうさせるのたと思う。そしてそれは戦後60数年という歴史を経てきたこの国の今を見ていくためには決して無視することのできない社会的傷跡なのだと思う。
束芋さんが処女作から一貫して「家」というテーマを作品に多く取り扱っていることは、たぶんこの国というもののありようを提示するためにはとても有効なモチーフなのだと思う。現在の孤立した都市型の社会では失われつつあるけれど、本来、この国には長い歴史を通じて「家を守る」とか「お家のために」的な集団的構造を大切にするメンタリティーが存在するのだと思う。
戦後、そんな日本的な「家」が欧米文化の流入により文化住宅的、分譲マンション的な「家」に変化していく中で、人々はいわゆる「三種の神器」(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)や3C(カラーテレビ・クーラー・自動車)といった製品を購入し、空っぽだった家に少しずつモノが収められていく。映像はそんな社会の縮図を見せるようにして空っぽだった「ドールハウス」にも様々なモノが配置されていく。
少しずつモノが増えていく「ドールハウス」ではあるけれど、そのモノが増えていくのと比例するように、作者視点から伸びてきて、それまでモノを置いていた手が「かゆみ」を感じて皮膚を掻いたり、窓から謎の蛸が出現する回数が増えていき、モノが順調に増えていた状況が少しづつ変化していく。それはまるでバブル経済崩壊前後の様々な問題を抱えたこの国の肖像でもあるかのように。
侵入してきた蛸の足がついには「ドールハウス」全体に絡みつき、独自の生命体として鼓動を刻み始めた頃、それと呼応するように「かゆみ」は激しさを増し、ついには各部屋の窓から手首が侵入。それまで平穏だった室内は破壊され、壁に開いた穴から大量の水が室内に流れ込み、全ての部屋は再び空っぽとなってエンドレスに映像は続いていく。
その映像に写された世界は、あくまで作家個人のアトピー性皮膚炎を患った体験を基にした唐突にやってくる災厄によって掻き乱される「ドールハウス」の姿に見えるかもしれない。しかし、その姿にバブル崩壊以後の地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災、9.11同時多発テロやスマトラ島沖地震などの突発的に襲い掛かる理不尽な「悪夢」に思いを重ねると、そこには近い未来のことさえも思い描くことの難しくなった世界の今が映し出されているように思えてならない。
高度経済成長という「神話」が終わりを見せて以後、この国の未来は様々な災厄に翻弄され続け、特に10代後半や20代前半にその変動を身にしみて感じ続けてきた世代にとってはその後の「失われた10年」という長いループ状況と、エンドレスに編集された『dolefullhou
se』という作品が繰り返すループ状況との類似点を思わずにいられなくなる。ただそれが異なるのは現実はループの中で確実に歳を重ね、劣化していかざるおえないということを除けば。
いわゆる「ゼロ年代」という時代が終わりを向かえ、twitter(ツイッター)やUSTREAM(ユーストリーム)という新たなツールの登場によって初めて、この国はこれまでの閉塞感やループ状況を抜け出せる可能性を手に入れたように思う。しかしその可能性を変化に結びつけるのはあくまで人の力であり情熱であることを考えると、再び「デフレスパイラル」的なループ状況に陥らないためにも、戦後日本の歴史が刻まれた『dolefullhouse』(ドールフルハウス)という作品に向き合って過去を振り返る意味はあるのだと思う。
束芋さんの『dolefullhouse』が2010年11月7日まで展示されている兵庫県立美術館のウェブサイト
大阪の国立国際美術館で9月12日(日)まで開催されている『束芋 断面の世代』展のページ
ウィキペディア 束芋
ウィキペディア ヴェネツィア・ビエンナーレ
ウィキペディア 三種の神器(電化製品)
ウィキペディア バブル景気
ウィキペディア 地下鉄サリン事件
ウィキペディア 阪神・淡路大震災
アメリカ同時多発テロ事件
ウィキペディア スマトラ島沖地震 (2004年)
ウィキペディア デフレーション
アマソン 新聞連載された小説の挿絵を収録した束芋『悪人』
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前日に参加した「アーティストが制作の現場に求めるものとは?」というトークイベントに感化され、ならばそこでテーマとされたスタジオを一つでも多く巡ってみようと出掛けた中、偶然立ち寄った「Kyoto家Gallery」本部会場。「芸大生が住む自宅がギャラリー化する」という言葉だけを頼りに、大音量でロックが流れる一軒家に、「近所迷惑だろうな」と思いながら入った空間はアート版「トキワ荘」のような世界だった。
昭和臭が漂う玄関に飾られた平面作品。乱雑に靴が並んだ玄関で靴を脱ぎ、最初に入った部屋が音楽の発生源。そこにいた2人の芸大生は室内右手の壁全面を使ったライブペインティングをしながら「ゆっくりしていって下さい」と言うが、大音量の6畳ほどの部屋で一体どのようにして「ゆっくり」すればいいのか分からず、早々と退散する。
「何かがおかしい」と思いながら、その先の部屋を訪ねてみれば、次は比較的まともな人が対応してくれて、「隣の音、近所迷惑じゃないですか?」と聞くと、「基本、住人は芸大生なんで」という答えに、「そういうレベルの話でもなさそうだが…」と思いながら一応納得して室内を見る。室内は茶系統で統一されており、作品も展示してあるのだが、部屋にある細々としたものの方に興味が向かい、作品の印象はあまり覚えてない。
しかし、前日のイベントでの、「アーティストにとってスタジオも一つの作品だ」という意見を鵜呑みにすれば、学生たちの生活臭あふれるこの空間も彼らの作品といえなくもない。次に見た畳敷きの部屋をなんとかホワイトキューブ化しようとした努力は買いたい「ホワイティーな部屋」や、「共同台所につき気持ち良く料理作りを♪」と書かれた台所を通って向かった2階の2つの部屋は日ごろ見れないものを見れたというお宅訪問的面白さがあった。
一軒家内を一通り見終わり、帰ろうとした中で知った本部会場はあくまで家ギャラリーの一つでしかなく、他にも9軒の芸大生の自宅が「ギャラリー」になっているという情報。早速、詳細の書かれた地図を貰い、近所のごくありふれた5階建てマンションの一室を訪れてみると、そこも3人の学生の作品が展示された「ギャラリー」となっており、そこの住人の歴史上の人物をキャラクター化した箱作品は雑貨的なアートとしての面白みがあった。
その住人に薦められた向かった修学院駅近くの3件目の「ギャラリー」は自宅でありながらも、光の射す3つの部屋にバランス良く作品が配置された、最もアートと室内が融合した空間だった。あまりの居心地の良さにお茶まで出してもらい、この企画の詳細について尋ねていると、今回の企画を立案したという代表者がやって来た。精華大学2回生で、まだ19歳というその学生は、この企画の趣旨について驚くほど流暢に話し始めた。
全10会場、31名が出展した今回のイベントは、「アート系の学生でこれまで創るだけで留まっていた人間が、発展途上段階でも作品を展示しようとする時、アートイベントや貸しギャラリーにお金を払って出す以外に方法がなかった。けれど、自分の家を開放して、同時多発的に『ギャラリー』にするイベントをやれば、お金をかけずに作品を展示でき、出展者と来場者もより密にコミュニケーションできるのでは」という趣旨で開催したという。
その結果、張り紙を見た近所の人が「ギャラリー」を訪れ、作品に対する素朴な疑問を投げかけたり、イベントの趣旨に共鳴した近くの大学の卒業生が次は自分も参加したいと名乗りを上げたりと新たな交流の場としての機能を果たした。そして彼らの目標とする、「大学では出会えない人たちが出会って新しいものが生まれていくことで、京都の色んなシーンを盛り上げていきたい」という理想への一歩を踏み出すことができた。
ゆくゆくは京都大学や立命館といったアート系以外の大学の自宅をも巻き込んだイベントにすることや、多くの地域に「家ギャラリー」というフォーマットが波及することで、アートに興味を持つ人やアートを身近に感じる人が全国に増えていくことも考えているという活動は、一見穏健なもののように見える。しかしそこには、剥き出しのリアルによって新たな生き方を示するという「破滅ラウンジ」的な考え方があるように思えなくもなかった。
彼らの自宅という「ギャラリー」を、そして彼らの作品を見てきた中で、最も強く感じたことは、これまでの古い価値観に囚われることのない、ある意味軽率で思い切りの良い新たな試みへの挑戦の姿勢だった。そしてそれは、なぜ今現代美術やアートの世界から特異な熱量が生み出され、その熱に自分までもが感化され、それを必死に追い続けているのかという疑問に対する明確な答えとなりうるものだった。
Kyoto 家 Galleryのブログ
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「遭遇、梅佳代さん」~梅佳代写真展「ウメップ」シャッターチャンス祭りinうめかよひるずを観て ~
東京滞在2日目に、六本木界隈の美術展を一通り見終わり、そこで手にしたチラシを手に向かった梅佳代写真展「ウメップ」。表参道駅というおしゃれな感じの駅で降り、表参道ヒルズという、またも「ヒルズか!」と突っ込みを抑えながら向かった建物の地下3階。その会場前に到着した途端、目の前に赤いチェックのパーカーを着た派手目のおじさんが立っていた。
首からプレスパスを下げた人々に囲まれたその人は、どうやら現在、「AKB48」などのプロデューサーとして知られる秋元康さんらしい。最近の芸能事情には全く疎い人間にもそれぐらいは理解できるが、「だから別に」という感じで華麗にスルーして料金を払い、早速、展示を観るべく場内を巡ろうとした途端、今度は梅佳代さんがそこに立っていた。
梅佳代さんに対する第一印象は、たぶん初めて彼女を見た人なら誰もが思うであろう、「背が高けー!」というもの。この日は踵の高い靴を履いていたということもあって、多分、168~9センチはあるであろう身長がより一層高くなり、横に並んでいた秋元をさんを少し見下ろす感じになっていた。さらに頭につけたバネの宇宙人の触覚みたいなものが、不思議な彼女の雰囲気をより一層際立たせていた。
またそこにはあの伝説のUst(ユースト)とも言われるGEISAI大学放課後討論会で見た美術手帳の編集長さんもいて、秋元さん、梅佳代さんを取り巻いて、大名行列的練り歩きが開始された。周囲の人に聞いてみると、来月号の美術手帳掲載記事の取材だという。折角の機会なので、コバンザメ的にその行列に張り付いて、美術手帳より早い段階でこの状況を紹介しようと目論む。
安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」などを梅佳代さんの友人が歌うカラオケがBGMとなった場内を、紺のワンピースを着た梅佳代さんが先導役となって行列を導いていく。その中で秋元さんに自作を紹介していく梅佳代さんの雰囲気は、どこか椎名林檎さんのような独特のスタンスで表現を行っている女性アーティストに通じるものがあり、今輝いている人が持つ華やかさと相まってちょっと近寄り難い。
しかし同時に彼女が話す「石川弁」や、周囲に漂わせている「ふざけるって最高だよね」的な感じが、親密感というか普通感も作り出し、近づき難くもありながら、引き寄せられずにいられない不思議な磁場を作り出している。カメラマンの依頼に応え、撮影に応じる梅佳代さんは、彼女がよく見せる「お化けのポーズ」や脱力の「両手ピース」で依頼に応え、そのテンションに秋元さんまでも巻き込んでいた。
二人の会話は、梅佳代さんが今年の5月から会期中の現在まで毎日撮っている写真が張られたのボードを見ながら、「じゃあこれが彼氏でしょ」とか、秋元さんのライトなおやじ的居酒屋からみ系の話が多かったので、途中から展示の方に集中し、ほとんど覚えてはいないのだけど、興味のある方は来月号の美術手帳の記事になるそうなので、それを読んでください。
そんなこんなで取材が終わり、非常口へと消えていった梅佳代さんは、会場から一歩外に出ると速攻、頭の宇宙人の触覚を外していた様子から見ると、実はもっとドライで複雑な内面を持った人なのかも、という気がした。作品的にも「神がかったユニークな写真を撮る人」というような認知の仕方をされているけれど、子供を撮った写真の幾つかは、彼らの圧倒的幸福感をノンフィルターで切り取っていて、只者ではないと思った。
それに会場にいる人々がこんなに楽しそうにしている展覧会も初めてだった。次にどんなユニークな写真が来るかを期待しながら、思わず吹き出してしまうような写真に出会う。そこには和やかな雰囲気が満ちていて、純粋に人っていな、世界って面白いなという思いが湧き上がってくる。そしてそれはきっと、梅佳代さんが最も人々に伝えたいことなのだろう。
本当は誰の見る世界にも、面白いことやユニークなことが数えきれないほど起こっていて、ただ多くの人はその「シャッターチャンス祭り」に気づくことができないだけなのかもしれない。梅佳代さんがその「チャッターチャンス祭り」を逃さないのは、人生の一瞬が掛け替えのないものであることを知り、その一瞬を大切にしたいという切実な思いがあるからこそ、このような「神がかった」写真が撮れるのだと思う。
■日時:2010年8月7日(土)~22日(日) 11:00~21:00 ※日曜は20:00まで
■場所:表参道ヒルズ スペース オー(本館B3F)
一般300円/大中高生200円/小学生以下無料
※表参道ヒルズの当日レシートご提示で、一般300円⇒200円でご入場いただけます。
ちなみにこの展覧会は10月に大阪に巡回します。
梅佳代写真展「ウメップ:シャッターチャンス祭りinうめかよFIVE」
日程:2010年10月2日(土)から15日(金)
場所:大阪HEP HALL
「梅佳代写真展「ウメップ」 シャッターチャンス祭り in うめかよひるず」の情報も紹介された表参道ヒルズのイベントページ
梅佳代写真展「ウメップ:シャッターチャンス祭りinうめかよFIVE」のウェブサイト
ウィキペディア 梅佳代
ウィキペディア 秋元康
ウィキペディア コバンザメ
ウィキペディア 安室奈美恵
アマゾン 梅佳代『ウメップ』
アマゾン 梅佳代『じいちゃんさま』
アマゾン 梅佳代『うめめ』
アマゾン 梅佳代さんとは関係ない篠山紀信さんが特集された『美術手帖 2009年 04月号』
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『村上隆&itkz出演!OTAKU
×CHAOS@台湾~それぞれのカタチ~』と題されたイベントは、1部は台湾の「OTAKU」の現状、2部はカオスの黒瀬さん、BOMEさん、Pixivの片桐社長がそれぞれ自身が関わっている展覧会の紹介。さらに日本のオタク文化が台湾を足掛かりとして世界へ展開していく可能性についての懇談した。第3部ではカオス、破滅の主要メンバーが集い、「カオスとは、破滅とは何か」とのトークを行ったのだが、少なくともニコ生上はそんな話は全部吹っ飛んで、「メイドラウンジ」というものになっていた。
多分、このニコ生を見てない人には、一体何が「メイドラウンジ」なのか分からないと思いますが、見ていた方もどう説明していいか難しい。簡単に説明してみると、会場には台湾の「OTAKU」系の若者が結構いて、その中になぜか6名ほどの同じメイド服を着た「メイドさん」が並んでおり、1部、2部までは時折、通訳が入る合間の箸休め的に会場の若者たちの姿を映していたのだが、3部になり、ニコ生視聴者の一部が猛烈に「メイドさん萌え!」的なコメントを書き込み始めると、ノリの良いカメラさん、編集さんがそのコメントに応え、「メイドさん」メインの映像を流し始たのだった。
それは司会をする黒瀬さんまでもが思わず笑い出してしまうほどのもので、このイベントを計画したであろう村上さんも青字のコメントで「冥土さんへ話を個人的にきくお~」などと悪ふざけの書き込みを画面にしていた。個人的には、何か貴重な話が聞けるかも、とペンを手に待機していたのだが、いつのまにかトークは二の次で、「メイドさん、カメラさんGJ(Good Job)」などいかに祭り的なコメントを書き込むかに腐心してしまっていた。見始めた開始20分過ぎには視聴者は2600人程度だったのが、「メイドラウンジ」最高潮の終盤には何と8000人以上の視聴者のコメントが画面上を乱れ飛び、これまで見たニコ生の中で最も面白い番組となっていた。
しかし少し冷静になってみると「果たしてこれでよいのだろうか?」という思いが頭に浮かんでくる。カオス&破滅ラウンジにとっては初の海外展での絶好のプレゼンの機会だっただけに、会場的には途中退場者も出だした終盤は、ちょっとマズイような気もした。台湾の来場者に「だから日本文化は内輪受けばっかりのカラパゴス的なんだよ」といわれれば、「はいそうなんです。すみません」という以外にない状況と言えなくもなかった。しかし結局は日本では見ることができない今回の展覧会での作品たちが彼らの評価を決めるであろうから、まあこの放送はこれで良かったのかもしれない。
とにかく多くの人にニコ生の本当の楽しみ方を教えたという点ではこの放送は完璧と言えるものだった。でも「カオス&破滅については?」と思う方は、twitter上でfuchiz
akiというユーザーネーム方から「黒瀬帰りは泳げ」という突っ込みを入れられていた黒瀬さんに直接尋ねてみる以外にないのかもしれない。
(2番目の写真はウィキペディア メイドから、3番目は梅ラボさんから無断お借りしたものです。この場を借りてお礼申し上げます)
カオス*ラウンジ2010基本情報 カオス*ラウンジ in 台湾
台湾で開催されているカオスラウンジ展など3つの展覧会を紹介したカイカイキキ台北のホームページ
ニコニコニュース 海外で破滅*ラウンジ?台湾カオス*ラウンジより生放送
ウィキペディア メイド
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4月、5月の東京での4つの展示、6月の関西での2つの展示や中野ブロードウェイギャラリーでの個別展が始まり確実に知名度を上げているカオスラウンジが、東京でキュレーションをするのは約1ヶ月ぶり。トーキョーワンダーサイト本郷という東京都が新しい芸術文化を創造・発信するアートセンターとして設けた会場で行われた展示は、幾つかの若手アーティスト集団が集った催しのようだった。
なぜようだったと書くのかといえば、ユーストを使った配信では、カオスラウンジと遠藤一郎さんのグループが行うパフォーマンス以外にはほとんど何も見れなかったからだ。会場は黒瀬さんのチャットを引用すると「今日は全グループ入り乱れての祭りになってしまったので、流れとかはない感じです。。」と言うことなのだが、完全に上記2つのグループがカオス状態を作り出していた。
ツイッター(twitter)から移動して最初に聞こえてきたのは規則的な木魚の音と誰かが読むお経の声。壁にはお馴染みのアニメ雑誌の切り抜きだけでなく、今回は黒瀬さんをはじめとする人々の顔が遺影としてプリントされた紙がいたるところに貼り付けられていた。映像の中には黒い喪服のようなものを着た人や遺影の紙に手を合わせる人がいたりと完全に葬送状態。
さらにユーストの中盤からは緑のTシャツを着た若者が「髪の毛を剃ってますんで、他に剃りたい人いませんか?」と言いながら頭を丸めるパフォーマンスを行うなど、異常な空間が展開していた。遠藤さんの集団は墓石のようなものを掘り込むパフォーマンスを行っており、その音と木魚やお経が入り乱れた空間では極めて葬送的パフォーマンスが繰り広げられていた。
それらは思わず笑ってしまうような悪ふざけのはずなのだけれど、しかしこの『葬送』的状況を読み解いていくと、やはり彼らがこれまでに無い何か新しいものを求めているのだということは理解できる。自らの写真を敢えて遺影化したものは、もし前回私が書いた『「死なないための葬送」としての「はめつら!」』の中で指摘した「古い価値観を押し付けられた彼ら」というのが正しいのであれば、今回の展示をそんな価値観に縛られた自分自身を葬送するための儀式と捉えることはできないか。
さらにまるでオノ・ヨーコの『カット・ピース』を思わせる若者の頭を丸めるパフォーマンスは、歴史的に見れば頭を丸めるという行為に含まれる仏教的な、現世を離れ出家するという意味に読み取れば、新たな信仰や来世といったものを求める姿と受け取れるだろう。半分は彼らの悪ふざけに便乗したこじつけと取ってもらって構わないが、もしかすると彼らの葬送の後には、何かしらこれまでには無い価値観というか『新たなリアル』というものが生まれるのかもしれない。
あくまで予測でしかないが、それは9.11以降の世界情勢や、サブプライムローン問題に端を発した世界金融危機という問題の上に立ち、下流化や貧困といった問題も孕みながら、しかしそれでもその苦境を乗り越え、多くの人が本当の意味での豊かさに辿り着くための小さな糸口を見出すことなのだと思う。セロ年代という不毛の10年を経てきたこの国だからこそ提示できる、ポストゼロ年代の『新たなリアル』が生まれる可能性を秘めたこの展示は、多くの人の心をつかむ『ハートキャッチ!かおすら!』になり得るかもしれない。
『ハートキャッチ!かおすら!』が見れるイベント アートバトルロワイアル―オルタナティブなアートの地平を求めて―のサイト
ウィキペディア オノ・ヨーコ
(会場の写真は黒瀬陽平さんから勝手にお借りしました。この場を借りてお礼申し上げます)
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