文化ブログ
阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
凄い沖縄1 『与那国島』
海外一人旅に馴れたあと、国内一人旅に挑戦し、行った沖縄。夜の寂しさが思いの外、応えた。台風で足止めを食い、帰りのフェリーのキャンセル待ちには長蛇の列。自棄になって港の人々に声を掛けて乗せてもらった与那国船籍の貨物船。もしあの船に乗らなければ与那国に行くことはなかったと思う。
寄港時の貨物の積み下ろしを手伝うことを条件に乗せてもらった貨物船。約2日の船内生活や、賄いとして食べたソーキそばの味は今でも記憶に残っている。船長をはじめとする6人の船乗りたちの温かいもてなしは、お盆直前に到着した与那国島でも続いた。
高倉健さんに似た無口な機関長の家に泊めてもらい、毎晩浴びるほど飲んだ泡盛。街灯も無い暗い夜道を走った軽トラック。お盆の供え物が並んだアパートの居間で話してくれた離婚した奥さんの話。酔いつぶれた機関長を寝かす時、「息子が帰って来たようだ」と言ってくれた夜の部屋。
それなのに仕事に戻った機関長へお礼も言わず立ち去った与那国島。多くの人の親切を受け、様々な思い出が出来た島なのに、周囲の好意をどこか当たり前のようにしか思えなかった自分。逃げるように立ち去った後ろめたさが、あの島の思い出の中に今の影を残している。
多くの旅をしてきて思うのは、もう二度とその国や島、人や時間に出会うことはできないという当たり前のこと。たとえ同じ島を再び訪れることがあっても、それはもうあの時とは決して同じものではない。だからこそあの時、後悔することない「さよなら」をしておけばよかったと強く思う。
ウィキペディア 与那国島
与那国町ホームページ
凄い中国1 上田宗箇作『縮景園』
この庭園を見たあと、和歌山の和歌山城西の丸庭園や粉河寺庭園といった庭園を巡り、そのどれもが戦国武将であり、茶人でもあった上田宗箇が作庭した庭であることに驚いた。
それぞれに特徴の異なる庭園でありながら、そのどれもに自分を強く引きつける何かの存在を感じたからだ。中でも最初に出会った縮景園は庭園についての知識も乏しかった時に、予期せずその凄さを感じた庭園だけに強く印象に残っている。
開けた感覚を味わえる園内には、こまごまとした見どころが各所に設けられており、ただ歩いているだけでも気分が安らいでくる。また一年を通して花々が楽しめ、行き届いた手入れにより気持ちよく園内を回れることも素晴らしい。
作庭家の上田宗箇は戦国の乱世を自らの刀一本で武勲をたて、その後は豊臣、徳川の権力の狭間で微妙な立場に立たされた。粉河寺庭園のように荒々しさを前面に出した庭園を造ったかと思えば、この庭園のように統一感を持った優れた庭園も作庭する。それは乱世と安定という二つの時代を生き抜いた男の精神史でもあるのだろう。
縮景園ウェブサイト
ウィキペディア 縮景園
ウィキペディア 上田重安(宗箇)
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凄い四国1 高松『栗林公園』
栗林公園の凄さの秘密は、広大な庭園内に作り出された変化に富んだ地形。そしてその中に、四季の移り変わりを味わえる植物を巧みに配置した景観の多様性にある。
多くの庭園めぐりの中で悟った「庭園には作者の哲学がなけらばならない」という個人的な意見に当てはめてみれば、この公園には確かに哲学がある。
また広大な庭園でありながら、樹木の剪定など管理面でも行き届いて好感がもてる。きっとそこには、江戸前期から約100年の歳月をかけて作り上げられたお国自慢としての誇りが今も残っているのだろう。
栗林公園ウェブサイト
ウィキペディア 栗林公園
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