文化ブログ
阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
「生き延びるアートフェスティバルになるために」~地域系アートプロジェクトの課題~
2001年の大津での初開催以降、滋賀県中部の水郷で知られた近江八幡市を開催場所として、3回のアートフェスティバルを行ってきたBIWAKOビエンナーレ。総合ディレクターの中田洋子さんの強力なリーダーシップの元、行政主導ではない独自のビエンナーレとして10年の歴史を刻んできた。現在まで続く国内のアートフェスティバルとしては、最長に近い歴史を持つこのビエンナーレだが、これまでの歩みは他のアートプロジェクトと同じく決して平坦ではなかった。
特に行政からの支援がないことからくる慢性的な資金不足。それに伴う定期雇用できる人材が確保できず、少人数での準備、運営が生むスタッフの疲弊。組織としての規模があまりに小さいため、スタッフは様々な業務を兼任せざるおえず、目の前の仕事に追われた結果、会期をなんとか乗り切っても、そのノウハウの継承が難しく、新たな人材が毎回同じ課題を抱えるといった問題。そんな苦難を乗り越えながら、回を重ねるごとに規模を拡大し、魅力的なビエンナーレを生み出してきたのは、総合ディレクターの中田さんの力と、「なぜか必要な人材だけは揃った」という少数精鋭のスタッフの努力の賜物だった。
「黒字化が一つの目標だった」という今回だが、実質的には助成金と協賛金、さらには入場料収入を足した金額でも目標は達成できず、会期終了直後は「次回の開催は難しいかもしれない」と中田さんは肩を落とした。しかし今回は、地元をはじめとした観客の中から、BIWAKOビエンナーレを何とか盛り上げていこうという動きが生まれ、展示作品の中で最も評判の良かった青木美歌さんの作品の会期後の展示延長が決定。これまでも望みながらできなかったことが一つ達成できた。
今回話を聞いた、近江八幡の教育を考える会の川尻宏さんも、実は青木美歌さんの作品制作時のホームステー先や、「おやじ連」ボランティアとしてビエンナーレに関わった人物。「内覧会の時に参加させていただいて観て愕然とした。地元の応援や理解が足りないということで公民館長、自治会長、地屋の管理の方に回覧板でもいいから回してくれ、八幡の人にこそ観てもらわないと損失だ」ということで動き出された。その川尻さんが連れて来られた高山さんは、数年前まで京都の器関係の企業で商品開発をしていたという方。
「片田舎でこのようなイベントが開催され凄いなと思った」とビエンナーレの感想が述べられた後の言葉には、アートや美術に興味の無い「一般」の人々の意見を確認させる意味でも貴重なものだった。「そもそも一般の人にとってはビエンナーレって何?っていうのがあってその部分ですでに乖離してたんじゃないか?ある期間、近江八幡が美術館になるよというような、何がしたいのかを浸透させる必要があったのではないか。それと部分、部分は素晴らしいのに、それがリンクしていない。そこには近江八幡でやることできることは何なのか?もたらしたいグランドデザインが何なのかを描けてなかったことに原因があるのではないか」という厳しい意見が述べられた。
それに対して主催者側で、デザインや広報をはじめとした運営全般に関わってきた井上智治さんは、「確かに足りない部分はあって、外に対してやる人や、それをやる能力がなかった。中田がやりたい部分では環境と整えて、アーティストを信頼してやっていれば間違ったものは出て来ないというのはある。しかし人員的な問題は明らかで、一人で何役もやらなきゃならないカツカツの中でやっているというのがある。運営としていい状況じゃないし、理想的な規模の事務局を作ってソフトをコーディネートするような組織運営をやらないと発展はついて来ない」と語った。
では実際に何をしていけば良いかという問題に対しては、「地元の協力が決定的に欠けている」と言われる現状を変え、より多くの人がボランティアとして参加できる人員的にも無理のない仕組みを作ることではないかという意見が上がった。多くの地域アートフェスティバルと違い「過疎」や「町おこし」といった危機意識が少なく、このビエンナーレの特色でもある古い町屋建築や、歴史的建造物が立ち並ぶ観光地でもあるこの地域で、いかに「当事者意識」を持ってもらうかを考えていくと、「魅力と価値を理解できたらみんな協力する」というところまで理念を固め、情報を提供すること。「学びの報酬」や「ウィン・ウィンな関係」が得られる仕組みづくりが大切との意見が寄せられた。
「使えることは使わないと」という地元側の意見に見られるように、古い町並みや建造物だけでなく、地域に眠る人材や文化財、そこに生きる人々のネットワークやコミュニティーを巻き込んだ、「より開かれた」ビエンナーレにしていかなければ、美術館からギャラリー、さらにはストリートへと拡散しているアートの方向性や、「共有」や「多様性」へとシフトしている時代の流れとは逆行したアートフェスティバルになりかねない。核になるキュレーションの質を保ちながら、その周辺の様々な人のアイデアを取り込める仕組みを作る。場所性を活かした作品が魅力の地域アートフェスティバルでは、そのフェスティバル自体も、地域やそこに住む人々の魅力を最大限に活かしたものこそが優れたプロジェクトとして評価されゆく基準にもなる。
今回のヒアリングでは行政と民間とのパイプ役である中間支援センター、そして地域に住む最近まで企業や組織に勤め、その中で企画や運営に関わってきた人々の中にある技術や情報といった、アートの文脈からは見えてこなかったものの存在を知り、そんな人々とのつながりが生まれたことが最大の収穫だった。地域の人々の中に眠る経験に根ざした「財産」と、アーティストや若い世代が持つユニークな発想や行動力が、アートフェスティバルという存在の中で融合した時、そこには、これまでにない極めて優れたビエンナーレが人々の前に立ち上がることだろう。
【BIWAKOビエンナーレ2010シンポジウム】~解き放たれた玉手箱 カオスは潮流へと成り得るか~が2011年3月20日(日)滋賀県近江八幡市玉屋町6の天籟宮(てんらいきゅう)で13:30~16:00まで開催されます。
昨年開催されたBIWAKOビエンナーレを振り返ると共に、今後の地域アートフェスティバルにおける市民や自治体、アーティストをはじめとした主催者側のあり方や関わり方のについて話し合われるそうです。入場無料(ただしワンドリンクオーダー)、予約不要。シンポジウム後には500円程度のお金を出し合っての懇親会という名の飲み会も開催される予定。連絡先 TEL・FAX:0748-26-4398 問い合わせメールアドレス:[email protected]
ウィキペディア BIWAKOビエンナーレ
BIWAKOビエンナーレを主催したエナジーフィールドのウェブサイト
ウィキペディア 近江八幡市
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