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『死なないための葬送』としての『はめつら!』

 椹木野衣さんの「荒川修作展がとてもよかった。明日日曜までだが見た方が」というつぶやきを見て以来、気になっていた『死なないための葬送…荒川修作初期作品展』。同じく最終日でクロージング・パーティーがあるという「破滅ラウンジ」の関西版『はめつら!』とは四ツ橋線一本ということもあり、2つ展示に行ってきた。あくまで個人的感覚だが、その2つは『死』を媒介に共鳴し合っているように思えたのでそのことについて書いてみたい。荒川修作死なないための葬送1

荒川修作という作家を知ったのは、今から1ヶ月ほど前の5月19日、ツィッター(twitter)のタイムラインに、尊敬や敬意をもって荒川修作のニューヨークでの死が伝えられた時だった。どうやら有名な建築家であること以外、もうひとつ明確なイメージが持てないまま、誰かが探してきた荒川修作講演会を収録したMP3を聞いた。

個人的には、何を言っているのか理解できないような発言も多かったが、何かそこにあるの強い確信のようなものだけは理解できた。そしてその時にはそれが何を意味しているのか分からなかったが、「人間は死なないんだ。死ねないんだ」という言葉が強く印象に残った。

国立国際美術館の地下2階フロアーの3分の1ほどのスペースを用いて行われていた展示には、棺桶を連想させる20点の作品が並べられていた。最初期にあたる1958年の綿を使った作品などは、それが一体何を提示しているのか全く理解できなかった。しかし芸術とは偏見や先入観を捨て、フラットに物を見るべきなのだと最近になって気づきだしたので、そのまま見ていくと、そこにはやはり凄いものがあった。

会場左奥に立て掛けられた《名前のない耐えているもの No.2》1958(1986)年を見ていると、その窪みやへこみ、凹凸や汚れといったものの中から、死の臭いを濃密に放つ存在が浮かび上がってくる。そのことに一度気づくことができれば、あとは荒川修作が作り上げた世界を理解するのはそれほど困難ではない。荒川「死なない」3

腐った臓器や胎児、うめく人々の表情や排泄物といったグロテスクなイメージで人々の心を鷲掴みにする作品群は、どれも極めて根源的かつ日本的な暗部を持っている。そしてそれは、恐ろしい心霊写真を見せられた時のような生理的な反応を引き起こす。

それらは日本という社会に土着的に存在してきたが、経済成長といった「発展」や、文明的「光」によって駆逐された、今の我々の日常ではほとんど見ることない、しかし決して逃れることのできない『死』や『闇』の痕跡なのだろう。そんなとりとめの無い話を隣で鑑賞していた方と共に話しながら作品を見て回った。

そしてその方と作品ナンバー9『作品』という展示物を見ていた時、突然雷に打たれたようにして一つの啓示のが訪れた。それは『死なないための葬送』というこの展示がまさに、肉体的『死』を迎えた荒川修作が永遠を獲得するために創り上げた『死なないための葬送』という作品なのだというものだった。

それは「人間は死なないんだ」という永遠を求めてきた作家が自らの『死』という、最もインパクトのある事象を用いて人々に刻み付けた最後の作品であり、その啓示は「有機体」とは別の姿と化した荒川修作がその意味を伝えるために行った「言語」や「観念」を越えた何かの伝達ではなかったのだろうか。

そんな啓示を受けたことを隣の方に伝えると、その方は非常に驚かれながらも、「きっとそう。そうなのよ」と『死なないための葬送』という展覧会がなぜ荒川修作が亡くなった今行われているのかという意味をその方なりの理解をもって感じられたようだった。閉館時間を過ぎ、「出口へ向かってください」というアナウンスが流れる館内は日常のようでありながら、そこには日常とは全く別の時間が流れていた。

きっとそんな感覚を共有していたからこそ、地下鉄の駅へと向かいながらその方を『はめつら!』に誘うことになったのだと思う。そしてその方も「時間が無いけど、じゃあちょっとだけ」と誘いに応じて『はめつら!』会場まで足を運ばれたのだと思う。会場までの道のり、日頃は決して話すことはない、心の奥にあった様々な思いを話していたように思う。はめつら!1

その方の持つアイフォン(iPhone)に導かれて辿り着いた「はめつら!」会場には、『かおすら!』会場ともなった0000(オーフォー)ギャラリーに関係した人々や、カオスラウンジの支柱の一人、黒瀬陽平さんなどリアルとウェブで微かにつながりのある人々で溢れていた。そしてそれだけでなく、どこか自分と同じ、日本という国が作ってきた社会概念の枠にはまり切れない人々の匂いを感じた。

ちょうどそれは学生時代に旅したインドで出会ったドミトリー(ベッドだけが並ぶ相部屋)にたむろする人々のように怠惰ではあるのだけれど、どこか共犯関係でつながっているような居心地の良さを感じた。展示会場となっている2階へ上がると、文化祭のお化け屋敷のような暗い空間でパソコンを操作する人、ライブペイントを行う人、寝そべって動かない人などが勝手気ままに振舞っていた。

一緒に来たその方も最初は戸惑われたいたようだが、雑誌などの切り抜きが散乱し、ペイントスプレーのシンナー臭がする空間に居心地の良さを感じられたのか、「床に座りたい」と仰り、駅で貰ってきたフリーペーパーを床に敷くと、その目線から見る光景を「こっちの方が素敵ね」と笑顔を見せられた。

実際、その高さに自分の身体を置いてみると、全てがバラバラに見えた無秩序な空間にどこか統一感のようなものが生まれ出し、それまでは自分には関係のない空間だったものの中に、自分も一員として入り込んでいるような感じを覚えることができた。そしてそこから見る空間内の人々もこれまでとは違って見えた。東方求聞史紀

以前書いた京都造形大学のアートイベントで知り合ったKさんが、暗い壁面にプロジェクターで映された『東方プロジェクト(Project)』というゲームを無言でプレーする姿が印象に残った。青白い微かな光を浴びながら、弾幕系といわれるシューテングゲーム内で、自分の分身となった少女に弾を避けさせてる姿はなぜかとても切なかった。

目の前を乱れ飛ぶ弾を避けることに没入している姿。休むことなく繰り返される敵との戦いの中で必死に生き延びようとしている姿は、ゼロ年代という不毛の時代を精一杯生き抜いた自分自身や、多くの若い世代の姿そのままのような気がしてならなかった。

すでに決定されたルールの中で可能なことは、目の前に襲い掛かる様々な苦痛を回避するための回避行動以外になく、残された道はその回避をいかに美しく優雅に見せるかという自己満足に限りなく近い快感。ルールの外には決して出ることのできない閉塞感。そして結果的に繰り返される自分自身や仲間たちの『死』。

本当に不毛だったゼロ年代という時代の中で、若い世代の人々は、多くの『死』を経験することになったのだと思う。それは肉体的な『死』ではなくとも、自身のプライドや、人間の尊厳を否定されるような、ある意味で肉体の『死』より不幸な『死』の経験だったのだと思う。

自分が作った訳でもないシステムや価値観を押し付けられて、その中での生を強制させられる。自分たちが作った訳でもないバブル崩壊後の不良債権の犠牲になって、ある意味人間の尊厳を売り渡して生き続けていかなければならない絶望感。そんなゼロ年代の自分自身のリアルがそこに映し出されているように思えてならなかった。つかさをつくろう!

画面上には大量の『死』が溢れており、その世界ではほとんど勝つことの不可能な回避ゲームが繰り返され続けている。そしてほとんどの場合最後に訪れるのは「GAME OVER」という暗く不吉な画面。日常で見ればなんでもないゲーム画面が、『はめつら!』という空間にあることでそんな風に見えてくる。

あの時代、荒川修作が刻んだ『死』の刻印とは別の、軽く、あくまでゲーム的『死』だが、そこには数え切れないほどの連続の『死』が薄暗い空間の中に漂っていた。そしてそれがきっと自分をも含む『新たなリアリティー』に即した現実なのだと思った。

『はめつら!』は我々にとっての、古い価値観を押し付けられながら生き延びてきた若い人々にとっての消極的な意味での『死なないための葬送』なのかも知れないと思った。ゲームやネット、アニメといったものに自分たちの『新たなリアリティー』を託しながら破滅への道を回避するための回避行動や、代償としての『死』が集積した空間なのだと思った。

ウィキペディア 荒川修作
MP3 荒川修作講演
ウィキペディア ドミトリー (宿泊施設)
ウィキペディア 東方Project
ウィキペディア 弾幕系シューティング
カオス*ラウンジ 2010 in関西 「かおすら!」 「はめつら!」
アマゾン 『東方求聞史紀 ~Perfect Memento in Strict Sense.』


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阿部和璧

Author:阿部和璧
現代アートを中心とした美術関係について書くライターをやっています。2011年8月より東京に拠点を移し、現在は都内の地域アートプロジェクトのリサーチの仕事などをさせていただいてます。世の中にある凄いもの、面白いものに興味があり、そんなものたちについてみなさんと話し合ってみたいと思います。
連絡先はメール[email protected]
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