文化ブログ
阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
凄い絵画10 中村岳陵『四天王寺金堂障壁画「仏伝図」』
堂内に障壁画があることも、中村岳陵という画家の名前も知らなかった。だから障壁画を見た時の衝撃は大きかった。穏やかな色彩と筆使いで描かれた釈迦や摩耶夫人の姿は、あくまで美しく現代的。70代に手の届こうとする作者が描いたものだとは信じられなかった。
また登場する女性たちの姿には、寺院の障壁画としては行き過ぎに思えるほどの艶やかさがあり、その美しい姿や眼差しが見る者を魅了する。昨年、横浜美術館で行われた回顧展を見逃しただけに作者の全体像は理解していないが、この作品が代表作であることは間違いない。
御札のような経木(きょうぎ)に亡くなった人の戒名を書いて亀井堂の水盤に沈める風習や放生会の名残が残る亀ノ池など古い信仰の形が残る四天王寺。日本最古の官立寺院の金堂に、釈迦の一生を描いた素晴らしい障壁画があることをもっと多くに人に知って欲しい。
(写真は障壁画にも描かれた摩耶夫人)
ウィキペディア 中村岳陵
ウィキペディア 四天王寺
凄い絵画9 草間彌生(弥生)「ニューヨークで製作した『網目』作品」
現在では主に水玉で知られる草間彌生の作品群。しかし個人的には10代の頃に描いた作品や、渡米時代の得体の知れないエネルギーを持った絵画やハプニングに強く引かれる。
中でも50年代、ニューヨークで製作された『網目』作品は、部屋に閉じこもり巨大なキャンバスに網目を描き続けずにはいられなかった作者の衝動をリアルに感じることができる。
迷路にように引かれた網目の一つひとつに作者の息遣や、切迫した感情が伝わってくる。それはとても原始的で呪術的な、一種の祈りのようにも感じられる。
幼少から幻覚や幻聴に悩まされ、それを逃れるために絵を描き始めた草間彌生。彼女にとって芸術は生き続けるための手段であるのならば、天才と呼ばれる才能の裏には何と深い苦しみが存在するのだろう。
ウィキペディア 草間彌生
草間彌生オフィシャルサイト
凄い絵画8 アンリ・ルソー『陽気な道化師たち』
森の中の動物たちがつぶらな瞳でこちらを見ている。その瞳には無垢な光を宿し、彼らはじっと動かぬままたたずんでいる。画家が愛する動植物を想像を駆使して描き上げた作品。
「税関吏ルソー」として知られる彼は、その名の通り20数年間パリで税関吏として働き、休日に絵筆を握るアマチュアの「日曜画家」だった。そんな彼が40代最後の年に仕事を辞め、画業に専念して10年以上も描き続けた後に製作したこの絵画。
葉の一枚一枚にいたるまで、丁寧に描き込んだ独特の筆使い。技術的なつたなさまでをも個性に変え、深い詩情とあたたかい眼差しを感じさせる描写力には、作者の人柄がうかがえる。
40代になって絵を描く喜びに出会い、多くの批判を浴びながらも、死ぬまで自分が描きたい絵を描き続けたルソー。彼が残した絵画には、決して器用ではないけれど、好きなことを実直にやり続けてきた人の作品だけが持つ静かな凄みが感じられる。
ウィキペディア アンリ・ルソー
凄い絵画9 マグリット『光の帝国』
空は明るい昼なのに、建物の周辺は夜で灯りが燈っている。説明すればこんな単純なものになるこの絵画。シュールレアリズムを代表する画家・マグリットが生涯に20作以上も書いたといわれる同名絵画の中で、最も知られたこの作品。
そこにあるのは写真や説明、ジャンル分けといったものを一切受け付けない詩情の世界。作品の前に立つと、詩情としか言いようのない不思議な感覚を味わうことになる。そしてその感覚に慣れると、なぜこの作品が、このような詩情を生み出せるのかと疑問を抱く。
美しい絵画が作り出す詩情の世界ならば、フェルメールやモネやクリムトの作品にも見出すことができる。しかし特別美しい訳でもなければ、昼と夜が一つになった以外、極めて平凡に見えるこの作品の一体何がこのような感覚を作り出すのだろう。
それはきっと何かの技法や作者独自の精神のようなものが生み出す作用なのだろう。しかしマグリットが死んだ今となっては誰にも正確なことはわからない。それはまるで今は無き文明の遺物のように、そこに秘密を抱えながらただひっそりとたたずんでいる。
ウィキペディア マグリット
凄い絵画8 藤田嗣治『サイパン島同胞臣節を完うす』
戦後はこの絵をはじめとする戦争画による「戦争責任」によって日本を去り、フランスに帰化した藤田嗣治。国際的に高く評価されてきた画家でありながら、晩年まで「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ」と語っていたのだという。
一説では画壇の責任を背負い込まされ、日本を出て行く以外に選択肢がなかったという。しかしこの絵に向かい合えば、たとえ作者は語らずとも、絵に込められた作品の意図は理解できる。女、子供や怪我人といった追い詰められた人々は、すでに疲れ果て希望も失っている。画面全体はあくまで暗く、死が迫った人々を象徴するかのよう。
そしてこれと同じ光景が沖縄でも、原爆や空襲を受けた日本各地の都市でも見られることなる。この作品を見て戦意が高揚する人間がいたとしたら、それは一体どんな人だろう。確かに藤田の親族には陸軍関係者が多く、またこの作品には「臣節を完うす」というタイトルが付けられている。しかし、戦争協力が義務づけられていた当時、一介の画家に何ができただろう。
以前、多くの画家が軍に協力し描いた戦争画の一部を見たことがある。まるで生気が抜けたような絵ばかりが並んていたそれらの作品と比べると、やはりこの作品には、激しく人の心を打つ何かが感じられる。そしてもし、それを言葉で表すとしたら「死にゆく人々の哀しみ」という一言になるのだろう。
ウィキペディア 藤田嗣治
凄い絵画7 ジャック=ルイ・ダヴィッド『シャルル=ルイ・トリュデーヌ夫人』
フェルメールやクリムトのように生まれながらの素描の才能を持っていたダヴィッドは、繊細で華麗な作品作りを得意とした。そんな彼の作品の中でも、真っ直ぐにこちらを見つめるモデルの視線に、思わず吸い寄せられるような不思議なリアルさを持った作品。
完全に色を塗り終えてない部分もあることから、未完成とされているが、そんなことは全く気にならない。血の気の通った頬の色や、何かを問い掛けるようにして動きを止めてしまったモデルを見ていると、今から200年以上昔の人物とはとても思えない。
画家として優れた才能を持っていたダヴィッドは、その才能ゆえにフランス革命以降の社会をきわめて政治的に生きることになった。歴史家によっては変節者とまで非難する彼の政治的な一面も、この作品の前では沈黙せざるおえない。
ルーブル美術館 ダヴィッド『シャルル=ルイ・トリュデーヌ夫人』解説(日本語)
ウィキペディア ジャック=ルイ・ダヴィッド
凄い絵画6 マリー・ローランサン『プリンセスたち』
2005年に行われた「大阪市近代美術館所蔵名品展」。一昨年に行われた「夢の美術館・大阪コレクションズ」に出品されていたこの作品。初めて見た時はそこから生じる独特の雰囲気に思わず一目ぼれ。一時期はローランサン熱にかかってしまうほど影響を受けた。
大きな画面の中に描かれた4人の女性と3匹の犬。そこにはなにやらとても動物的無垢さを持ちながら近寄りがたく、それでいて近寄らずにはいられない存在が描かれている。特に一人の少女と3人の優雅さを秘めた女性たちは『プリンセスたち』の名にふさわしい美を感じさせる。
1910年、20年代のパリで独特のパステルカラーを用いて数々の傑作を描いたマリー・ローランサン。この時代を過ぎたあと、ユトリロやムンクと同じく、ぱったりと傑作が描けなくなってしまったのは一体どういう理由だろう。
(大阪市立近代美術館設立準備室所蔵)
ウィキペディア マリー・ローランサン
凄い絵画5 三橋節子『三井の晩鐘』
もしあなたが前途有望な画家で、突然ガンを宣告されたとしたらどうするだろう。そしてガンの転移によって画家の命とも言える利き腕の切断を迫られたとしたら。
今から36年前、一人の画家であり、二人の子供の母親だった33歳の三橋節子はそんな状況に置かれていた。絶望の淵のような場所に立たされた彼女は、腕を切断してもなお母として、そして画家として生きることを選んだ。
右腕を無くし、再発を恐れながらの左手でのリハビリ。そして半年後、彼女が住む大津に伝わる伝説を元にして描いた作品がこの『三井の晩鐘』である。
琵琶湖に住む竜神の娘は地上の猟師と結ばれて、一人の子供を生んだ。しかし彼女は猟師と子供を残したまま地上を去らねばならぬことになってしまった。
幼い子供との永遠の別れ。乳の代わりにくりぬいて与えた二つの目玉。子供の無事を知るために鳴らして欲しいと頼んだ三井寺の鐘。画面に描かれたそれぞれのモチーフに同じ母として、また近い境遇に立つものとしての哀しみが込められている。
それから1年半、転移したガンと戦いながら、彼女はなおも作品を作り続けた。そして永遠に消えてしまった彼女の存在の証としてこの傑作をはじめとする「湖の伝説シリーズ」が残された。
(『三井の晩鐘』は京都大学付属病院所蔵)
ウィキペディア 三橋節子
大津市公共施設一覧 三橋節子美術館
テーマ : art・芸術・美術 - ジャンル : 学問・文化・芸術
凄い絵画4 『鈴木春信の浮世絵』
江戸庶民たちが経済、文化において中心を担いだした江戸中期、庶民たちの姿を生き生きと鮮やかに描き出したのが浮世絵。その製作を担った浮世絵師の中でも、その後の浮世絵の発展に多大な影響を与えたのが鈴木春信。
同じ町内に住んでいた平賀源内の協力や、彫師、刷師たちの助力をもとに、木版多色刷版画の『錦絵』を完成。その技法がのちの浮世絵の発展に大きな影響を与えた。
また、主題として頻繁に取り上げた猫のような細い目を持つ少女たちの姿。それはのちの美人画だげでなく、現在のグラビア写真にも脈々続く女性ポートレートの先駆となっている。
これら様々な功績を持つ鈴木春信。しかし彼の作品が多くの人に愛される最大の理由は、一体何を考えているのか全くつかめない細い目の少女たちの姿に漂った、不思議な艶やかさを表現できたことにある。
(写真は『中納言朝忠(文読み)』)
ウィキペディア 鈴木春信
コトバンク 鈴木春信
凄い絵画3 ホイッスラー『 灰色と黒のアレンジメント 第1番 画家の母の肖像』
アメリカ人で好きな画家を挙げるとすれば、正統派ならホッパー、ホイッスラー。前衛ならウォーホール、コーネル、バスキアがまず思い浮かぶ。中でもホイッスラーは近代美術の本場、パリやロンドンで歴史に名を残した画家たちと同等かそれ以上に認められた人物。
オルセー美術館所蔵のこの絵画は彼の作品の中でも最も有名な代表作。抑制の効いた色使いで、敬虔なクリスチャンである母親の威厳や静謐さを深い愛情を込めて描き出している。現代的な感覚を感じさせるこの作品が、今から100年以上も昔に描かれたものだとは全く信じられない。
美術作品を見る楽しみの一つは、その作品が生み出す現実とは別の、詩情の世界に身を委ねることにあると思う。そんな詩情の世界の感覚をしっかりと味わわせてくれる確かな力が、この傑作にはある。
(オルセー美術館所蔵)
ウィキペディア ジェームズ・マクニール・ホイッスラー