文化ブログ
阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
凄い大阪3 『大阪造幣局・工場、博物館見学』
実は10世紀の中盤から家康が幕府を開くまで、日本では公式な貨幣が作られなかった。(その間は中国から輸入した宋銭、明銭を使用)そんな貨幣についての驚きの事実が大量に眠っているのが大阪造幣局博物館。
世界中から集めためずらしい貨幣や、秀吉が作った時価1億と言われる「天正菱大判」など国内外の貨幣4000点が展示されており、貨幣の歴史や貴重な展示物が見学できる。また展示室には文化勲章や紫綬褒章のメダルが陳列されており、それらも造幣局の制作物だと知ることができる。
カラス越しに見学できる貨幣の製造過程では、完全オートメーション化した生産ラインから次々と生み出される500円や10円を見ることができる。無機的な容器にたまっていくピカピカのお金を見ていると、ちょっと得した気分になれるから不思議。
予約が必要で決して気軽に見学できる訳ではないけれど、造幣局という硬い外見からは見えてこない面白い知識や意外な事実が学べる場所。そこは大量の貨幣だけでなく、大量の知識が眠っている宝の宝庫と言えるだろう。
ウィキペェイア 造幣局(日本)
独立行政法人 造幣局
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凄い滋賀3 湖東三山その1『百済寺(ひゃくさいじ)』
湖東三山第1回目は3つの寺の中で最南に位置する百済寺。寺伝によると聖徳太子の願いによっての創建された古刹だという。平安、鎌倉期には300余りの塔頭を誇る壮大な寺院であったが、室町期の2度にわたる火災や信長の焼き討ちにより建物は焼失。本堂をはじめとする現在の建物は近世以降に再建されたものだ。
しかし、その境内に漂う落ち着いた雰囲気は古刹ならでは。自然石の長い石段は紅葉に覆われ、その先に本堂がひっそりとたたずんでいる。また受付付近にある喜見院庭園は池と山裾が一体となった池泉回遊式庭園。この寺に今も残る優雅さが味わえる。
かってこれほどの山奥に約1200人の人々が修行や生活を送っていたこの寺。今では紅葉を見に訪れる観光客が去っていくと、境内はひっそりとして人影もない。そんな歴史を生きてきたこの寺の、散り行く紅葉もまた美しい。
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ウィキペディア 百済寺
百済寺公式サイト
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凄い大阪2 『葛井寺(藤井寺)・十一面千手観音像』
寺伝によると聖武天皇の命を受け作られた仏像で、開眼供養は行基によって行われたという。国内最古の千手観音像ということや、西国三十三箇所巡礼第5番札所ということもあり、この仏像が開帳される毎月18日には、境内は多くの人でごった返す。
保存状態を保つため内陣は透明な板によって仕切られており、板越しの対面となるが、それでもこの仏像の迫力は伝わってくる。実際よりも大きく感じられる坐像の周囲には、様々なお供え物で埋め尽くされており、人々の信仰の深さを感じさせる。
まだ都が奈良にあった時代、難波や住吉津といった海の玄関口に通じる長尾街道の要衝であった葛井寺(藤井寺)。現在もその名称が地名や駅名として残るのは、この仏像に対する人々の信仰が続いてきた結果だろう。
ウィキペディア 葛井寺
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凄い滋賀2 渡岸寺観音堂(向源寺)『十一面観音像(国宝)』
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凄い滋賀2 渡岸寺観音堂(向源時)『十一面観音像』
2006年に東京国立博物館で行われた特別展『仏像』に初出品され、多くの仏像ファンを魅了したことで知られるこの仏像。戦国時代には戦火を逃れるために地元の住民が地中に埋蔵して仏像を守り抜いたという話でも知られている。
隠れた寺社、文化財を数多く保有している滋賀にあって、この仏像の凄さに匹敵するものは他にないのではと思う。平安初期から地元の人々に篤く信仰され、守り続けられてきた仏像であることも、この仏像に向かい合えば納得できる。
医療や薬学といったものが今ほど発展していなかった時代、人は自分の力を超えた存在にすがることでしか救いを求めることができなかった。そんな時代の面影を十分感じさせてくれる仏像にあなたはここで出会えるだろう。
ウィキペディア 十一面観音
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滋賀県観光情報 渡岸観音堂(向源寺)
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関西三大動物園の一つと言われる王子動物園。しかしその実力は他の2つを大きく引き離す。パンダ、コアラといった目玉動物がいるのはもちろんだが、高台から海を望める開放感のある立地と敷地の広さが魅力。
個人的には初めてパンダとコアラを見たのがこの動物園だけに、何か特別な気持ちがあるのも事実。しかし、それ以外の動物にしても、どこか他の動物園よりはのんびりして見える。
それにしてもパンダって結構凶暴で、竹の根元なんかをバリバリ食べるのだけれど、それでも可愛く感じてしまうのはなぜなんだろう。もし体が全部黒だったら、熊とほとんど変わらないし、だれも可愛いなんて言わないだろうに。
(写真はパンダのコウコウ)
神戸市立王子動物園トップページ
ウィキペディア 神戸市立王子動物園
ユーチューブ 夢中で竹の根元を食べる王子動物園のパンダ
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凄い和歌山1 道成寺『千手観音と日光、月光菩薩の両脇侍』
能や歌舞伎の『道成寺』で知られる和歌山南西部にある県内最古の寺。名前の知名度は全国的だが、今でも寺が現存し、そこの本尊・千手観音像を含む3体の仏像が国宝指定を受けていることはそれほど知られていない。
ちょうど大宝律令と同じ年の701年に創建されたというこの寺の2代目の本尊と両脇侍。寺伝によると藤原不比等の養女となり、聖武天皇を生んだ藤原宮子の発願によって創建された寺であるという。
広い宝仏殿に並ぶ20数体の仏像の中でも、自然と目が吸い寄せられていくのが本尊と両脇侍。柔和な表情と安定感のある肢体を持つ3体の仏像が抜群のバランス感覚で一つの世界を作り出す。
また両脇侍が手にする一茎の蓮や千手観音の指先に宿る不思議な表情がその世界の神秘性を一層際立たせる。今から約1200年前に作られたこれらの仏像。その3体が今も共に並び立ち、信仰の世界を作り出していること自体、一つの奇跡である。
(写真は道成寺本堂)
道成寺 ホームページ
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2 渡岸寺観音堂(向源寺)『十一面観音像(国宝)』">凄い滋賀2 渡岸寺観音堂(向源寺)『十一面観音像(国宝)』
凄い滋賀1 大通寺の書院・岸駒『老梅図』
この障壁画を見た時は、まだ岸駒について何も知らなかったので、巨大な老梅の持つ力強さやその筆遣いの鋭さにゾッとするほど心を動かされた。
金箔の貼られた12面の襖に墨のみで描かれた老梅は、かすれた筆跡さえもがつい先ほど描かれたかのような鮮やかな色を残している。
また荒々しく描かれた幹の巨大さや、勢い良く広がる枝振りの見事さに、自己顕示欲の強さや画料の高さでも知られていた岸駒の気概が感じられる。
最近では伊藤若冲や曽我蕭白といった江戸中期の絵師たちに注目が集まっているだけに、ぜひとも気迫みなぎる岸駒の作品にも注目して欲しい。
(画像は大通寺の本堂)
ウィキペディア 岸駒
ウィキペディア 大通寺
大通寺公式ホームページ
凄い大阪1 『歓心寺・如意輪観音像』
今から数年前、この仏像を見た時の感覚はいまでもはっきり覚えている。桜がまだ残る春の陽気の中、山奥の寺まで行き、この仏像に向かい合った。すると、じわじわと染み入るようにその凄さ伝わってきた。
それはちょうど春の陽気のように艶のある親密な感覚でありながら、同時に全てが幻のような幻想的で近寄り難い不思議な感覚を覚えたのだった。
その日の堂内にはこの秘仏をひと目見ようと多くの人々が詰めかけていた。しかしその感覚の中では、他の人々の存在がほとんど気にならず、ただ仏像と向かい合い長い時間を過ごした。
あれ以来、4月17、18日のあの仏像の開帳日が近づくとあの感覚を思い出す。そしてもう一度あの仏像を見たいと思いながら、穏やかな春の日が過ぎていくのだった。
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