文化ブログ
阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
神山健治監督が語った「自己実現のための方法論」
アメリカの有人月宇宙飛行計画(アポロ計画)で採用されたというバックキャスティングの手法を用い、これまでとは異なるアプローチで業界に新風を吹き込もうとしている新会社「STEVE N’STEVEN」。その取締役にも名を連ね、今秋に公開される『009 RE:CYBORG』の監督も務める神山監督。そんな監督が「ようやくここまで辿り着いたかな」という約23年の道のりで得てきたエッセンスを惜しげもなく語った約20分が、今回の講義のハイライトだったように思う。
約7年間、「自分の見たいもの、作りたいもの」をプロダクションやスポンサーに企画として出し続け、ことごとく門前払いされていたという20代の神山監督。そんな監督の転機となったのが「このままでは業界に入ることもできず仕事もない」という危機感から、これまでとは異なる態度で「やり手がない仕事を受けてみよう」と関わった作品だった。監督が逃亡し、2ヶ月放置されていた作品の、「絵コンテを1週間で書いてくれ」という危機的な依頼に応えるべく、睡眠時間4時間という状況の中で絵コンテを完成。
仕事を依頼をした人物はもちろん、「準備していた結果」という絵コンテは、内容だけでなく、クリエーター集団である制作スタッフからも、「このコンテだったら絵を描いてもいいよ」と言われて喜ばれた。そんな周囲の喜びを感じたことで、実は「自分がやりたいことは人からすればやりたくないことで、仕事をするからには誰かを喜ばせなきゃならない。だからお客さんのない仕事はないし、人に喜ばれることをする必要がある」という目標を実現する「近道」を学んだ。
そこからは、海外メディアが取材時に「経歴詐称では?」と問うほどの急激なキャリアアップを重ねていく。コアなアニメファンの中では、名作として知られる『人狼 JIN-ROH』の演出や、実は「たった2週間しか行われなかった」という『押井塾』から生まれた『BLOOD THE LAST VAMPIRE』の脚本。それら全ては、神山監督が控え目に話す「準備」と、「自分が対峙している目の前の人を喜ばせないと、次のチャンスは来ない」という「コツ」を実践した結果だった。
周囲を喜ばせることで、制作資金も含む、周囲の期待や協力という「自分の中の衝動」を実現させるために不可欠なものを呼びこむ流れを生み出し、2002年には、「人生において、もう監督できなくてもいいという思いで作った」という初のテレビ監督作品『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』を制作。「幸か不幸か望まれて監督を続けることができた」というそれ以後は、「本当のお客さんが待っていて、自分の夢で押し通しても無理」という新たなステージへと足を踏み入れた。
成功した作品と同じものが求められ、より広く「周囲を喜ばせる」ことが期待されている現在までの状況を「何百倍も大変」ということばで表現した神山監督。「周りの状況やお客さんの要請、時代のニーズを考えながら作っていかなきゃいけないというのを学んでいった」ということを幾つかの事例て紹介。スタッフの事情と「我々のチームのバージョンアップをしていかなきゃならなかったんで」という戦略的見地から2作目に『精霊の守り人』を選んだ理由。
さらには、「自分が気になること、興味のあることを精査して、その中から出てきたものを、みんなだったらどういう使い方していくかと演出チームと気絶するぐらい話し合って、作品に入れていく。そのことで作品への近似値が増え、ハードSFの作品でも身近な問題として見てもらえる」といったメールや携帯が普及しだした頃に作られた『攻殻機動隊』の電脳設定誕生の経緯も明かした。
「商業作品を作っていくためには不可欠な部分」の大前提として「相手を喜ばせる」ことの重要性を語った神山監督。「夢も希望もない話ではなく、どんなに自分を押し殺しても、自分ってなくならないんですよ。個性そのものは最初からあるものだから。だけど、最初から持っているものが黄金か、ただのうんこかは見極めた方がいい。そしてうんこも最後には黄金に変わる可能性があるから持ち続けてていい」。
自分の「個性」や「表現」といったものにこだわ続け、家族や友人以外からの期待や協力を得ることができず、その先にある「夢」や「希望」をあきらめてしまう現実。そこから一歩距離を置き、周囲に望まれていることをやり続けていく中で、少しづく動き出していく人生の歯車。もちろんそれは与えられたチャンスを確実にものにしてきた神山監督の凄さではあるけれど、その成功をうらやむだけでなく、今から確実にできる自己実現の第一歩として「周囲が喜ぶこと」をやっていくことで見えてくる次の風景があるのだと思った。
ウィキペディア 神山健治
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