文化ブログ
阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
凄い奈良11 仏像の流れを学ぶ『奈良国立博物館・平常展』
あれだけ混んでいる正倉院展やお堂で見る阿修羅に比べ、正倉院展のチケットで入れるにも関わらず平常展には人が少ない。幾つかの国宝はあっても、阿修羅像や無著・世親像のような有名な仏像がある訳ではない。しかし秋篠寺・技芸天の姉妹作となる仏像や、兵庫浄土寺の阿弥陀三尊像と同作者の手による仏像など興味深い仏像は多い。
奈良に行けば頻繁に足を運んでいた平常展。展示替えの少ないことが唯一の不満だったが、今回の正倉院展を前に大幅な展示替えが行われていた。正倉院展が終わると、西新館の耐震工事、さらには来年(平成22年2月15日)からは本館の平常展も当分展示が中止されるだけに、この機会を逃すとまとまった量の仏像を見れる所がしばらくなくなる。(京都国立博物館平常展は立替のため展示中止)
そんな中で見た平常展はやはり見る価値があった。特にインドから中国、日本という大きな仏教の流れ。さらに国や環境の違いが生み出す仏像の特徴など仏像の大枠をつかむには持って来い。偶像崇拝を禁じた仏陀の死後から数百年後、アレクサンダー大王の遠征により流入したギリシャ文化の産物として生み出された仏像。それがシルクロードによって中国、日本へと伝わってきたことが仏像によって理解できる。
それは開催中の正倉院展と同じもの。そこから始まった仏像彫刻は、石仏、乾漆、青銅、木造などの多様な素材で制作されながら、技法や時代によるスタイルを生み出していった。また当初は釈迦の姿のみを仏像としていたものが、インドや中国、そして日本の神々と融合していく中で新たな仏を生み、各宗派の高僧までもが仏像として刻まれていった。
そんな歴史が国や仏像の種類ごとに分けられたこの展示。初心者にもその流れが理解できる展示でないことは残念だが、無名な仏像の中にも、名品と呼ばれる美や迫力もった仏像があることが実感できる。関西では泉屋博古館に次いで優れた青銅器のコレクションである坂本コレクションと共に、先人の文化の結晶を堪能したい。
奈良国立博物館平常展
ウィキペディア 奈良国立博物館
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西新館南側の館内に3つに分けて展示されているのが東大寺関係の展示。その最初となるのが「供養具と献物几・献物箱」。後半の山場となるこの展示で、特に目を引くのは金銀花盤。花形をしたこの銀盤の中央には想像上の動物・花鹿が描かれており、裏から打ち出されたものとは思えない精巧さを持つ。サイズ61・5センチという大きさは唐代銀器最大級。
他にも枯れたピンク色と金色が残った漆彩絵花形皿。優れた柄の色彩とその先の獅子細工が見事な白銅柄香炉など優品が揃っている。また東大寺の諸仏に様々な献物をする時、入れ物として使用した箱も単なる箱とあなどれない。沈香木画箱は幾つもの貴重な香木と金使い、見事な装飾施した箱。蓋の上に初期の山水図が描かれた黒柿蘇芳染金銀山水絵箱は、東洋で発展したこの画題の資料としても貴重な存在。
陳列数は決して多くないが、充実した内容を持った今年の正倉院展。残す2つの区分は、貴重な紙を再利用したために残った諸国の戸籍や税に関する「文書」。そして光明皇后と称徳天皇の発願により写経された2つの経典を含む「聖語蔵の経巻」。これら全ては宮内庁管轄でなければ国宝級の文化財的、資料的価値を持つものだけに、じっくりと鑑賞したい。
明治期、皇室に献納されるまで正倉院の宝物を保管していた東大寺。平重衡の兵火や千年以上という年月の間、宝物を守り続けてこれたのは、一重に聖武天皇が発願し、民衆の力を結集して作られた国宝・東大寺盧舎那仏(大仏)に対する信仰お陰だろう。
(ちなみに11月12日は天皇即位20周年記念により正倉院展の入館料は無料)
(前編へ戻る)
奈良国立博物館第61回正倉院展
ウィキペディア 正倉院
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル : 学問・文化・芸術
凄い奈良9 『圧倒的!第61回正倉院展感想~より分かり易い見方~』前編
これまで6回ほど訪れている正倉院展。年によっては出し惜しみを感じることもあるこの展示。しかし今年は即位20周年記念と冠されているだけあって圧倒的だった。
今から約1250年前の天平勝宝八歳(756年)6月21日、聖武天皇の四十九日にあたるその日。光明皇后が天皇遺愛の品、六百数十点を東大寺大仏に献納したことに始まる正倉院御物。61回目となる今回の展示は大きく2つの区分に分けられる。一つは前半の天皇家関係の展示。そしてもう一つが東大寺関係の展示。今回はその前者、天皇家関係の展示を紹介する。
まずこの正倉院展、分かり易く見る前提となるのが展示区分の理解。大きく分けた天皇家関係の展示の中にも5つの区分があり、その区分を理解した上で見ていくと、驚くほど理解できる。最初に入る東新館は右手に「聖武天皇遺愛の宝物」。中央が宮廷などで使われた「楽器、遊戯具」。左手は「刀剣と刀子、佩飾品(アクセサリー)」となっており、当時の天皇家やその周辺に生きた人々の生活が垣間見れる。
華やかな品々の中でも特に目を引くのが平螺鈿背円鏡。白く輝く貝殻と赤い琥珀が散りばめられた装飾はそれ自体が宝石。当時の工芸の素晴らしさを実感できる。また今回の目玉の一つ紫檀木画槽琵琶と琵琶袋に残る文様や色合いには遠くペルシャや唐の文化の影響が見られ、シルクロードの終着点とも言える天平文化の国際性を感じることができる。
他にも聖武天皇愛用の小刀・緑牙撥鏤把鞘御刀子。光明皇后の「籐三娘」という署名が入った楽殻論などは、歴史上の人物としてしか認識できなかった人々が、実体を持って感じられるという不思議な感覚を味わえる。千年以上昔という年月を感じさせないこれらの宝物が、美しく現存すること自体奇跡的。
東新館を出て、次に向かうのが西新館。そこにあるのは天平勝宝四年(752)4月9日に行われた大仏開眼法要で実際に使われた「楽舞に用いられた品々」。今回は伎楽、高麗楽の面と装束が陳列されており、中でも伎楽面・呉女は現存する3点全てが出品。それと共に法要の時、呉女が使用した衣装(上着とスカート)も展示されており、当時の伎楽の姿を知ることができる。
天皇家関係の展示の最後となるのは「儀式に用いられた品々」。一見何の変哲もない箒(ほうき)や鋤が陳列されているが、実はこれ、聖武天皇の娘・孝謙天皇の時代に取り入れられた儀式に用いれたれ品々。正月初子(1月3日)に天子が田を鋤で耕し豊作を祈願する儀式と、皇后が蚕の部屋を掃き蚕神を祀る儀式に用いられたもの。特に箒は天平宝字二年(758)の儀式に使用され、大伴家持が「初春の初子の今日の玉箒 手にとるからにゆらぐ玉の緒」と『万葉集』に詠んだもの。
このよう千年以上昔の品々が使用目的だけでなく、日付までもが理解できる正倉院御物。埋蔵品でなく、収蔵品として優れた保存状態でこれほどの量が残るものは世界でも類を見ない。そんな宝物が「正倉院展」として鑑賞できる機会は、たとえ年に一度だとしても逃すべきではないだろう。
(東大寺関係の後編は25日の午後にアップロード・後編に続く)
(ちなみに11月12日は天皇即位20周年記念により正倉院展の入館料は無料)
奈良国立博物館第61回正倉院展
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凄い奈良8 『興福寺北円堂・無著(むちゃく)菩薩像』
先ごろ行われた「国宝・阿修羅展」の阿修羅像を所蔵していることでも知られる興福寺。そんな境内の中で、日頃はひっそりと扉を閉ざしているのが北円堂。創建は藤原不比等(659-720)の一周忌にあたる養老5年。現存する建物は承元2年(1208)年頃に再建された国宝である。
春と秋の一時期にしか入れない堂内に足を踏み入れると、ひんやりとした空気の中でこの仏像に対面できる。5世紀頃、北インドで法相(ほっそう)教学の礎となる唯識を生み出した僧侶がモデル。すべての存在は空であり、個人の意識は幻であるという大胆な考えで以後の仏教に多大な影響を与えた人物。
唯識や空の問題に、自分なりの回答を見出すまではあまりの苦悩のために、死ぬことも考えたというその生き様。見下ろした視線を受け止めれば、見ている者にまで深い哀しみを誘うこの仏像。その瞳には無著、そして運慶の指導でこの仏像を制作したという運助の深い精神性が宿っている。
(ちなみに09年は10月17日から11月23日まで仮金堂に展示される阿修羅像や八部衆、十大弟子像と共に北円堂も開帳される。共通拝観券は一般1500円とちょっとした値段だが、正倉院展などに行かれた際にはぜひ立ち寄って欲しい。詳しくはこちら)
興福寺ウェブサイト
ウィキペディア 無著
コトバンク 運助
ウィキペディア 興福寺
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飛鳥や吉野方面に行くために何度も通ったことがある今井町。しかしそこに、これほど凄い街並みが残っているとは知らなかった。東西約600m、南北約300mの町内に広がる光景はまるで江戸時代。9つの重要文化財住宅をはじめとする建造物群が不思議な世界へいざなう。
かって「大和の金は今井に七分」といわれたこの町が、これほど発展した理由は情報と交通の拠点になったこと。天文年間(1532-1555)に初期浄土真宗を支ええていた遍歴の商工業者たちが京都、大阪、伊勢につながるこの地に現在の称念寺となる道場を建てたことが町の起こり。
以来、町の発展と共に環濠や土居(土塁)をめぐらし商工業都市として発達。町内は9つの門や折れ曲がった通りで城塞化されており、総年寄による自治が行われていた。また建物には防災対策やかまどの煙を利用した防虫対策、さらに生活の知恵を盛り込んだ技術が当時のまま残されている。
しかしこれらの知恵の凄さは生活習慣や居住空間が変化してしまった私たちには理解できない。観光ガイドの説明が必要不可欠。また見学可能な住宅の多くは現在も家屋として使用されているので、毎年5月の第2土曜、日曜に行われる「今井町街並み散歩」に参加するのがお勧め。当時の賑やかさを取り戻した街並みで、先人たちの知恵に触れて欲しい。
ウィキペディア 今井町
今井町の写真を多数掲載したホームページ日本の旅
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燃え盛る業火の中にたたずんで、人々の愚かさを哀しんでいる。長い年月でくすみを帯びた下半身と、色褪せながらも鮮やかに残る上半身の朱色。二つの対比に思うのは罪や罰といった闇の存在と、それらを焼き尽くす赤々とした炎。
そんな相反する雰囲気を漂わせながら、見せる表情は静かであきらめを帯びたようでもあり、どこか死顔のようでもある。畏怖を感じずにいられな表情を持ちながら、流れるような薄い腰の曲線、異様に長い腕や手に表れた優しい雰囲気には、抗うことにのできない美が存在する。
様々な相反する感情を見る者に与え、複雑な印象がいつまでも心に残るこの仏像。そこには光と闇、美と醜、生と死とった概念がまだ混沌とし、仏というものが自分たちの世界とは全く異なった、しかし崇拝せずにいられなjかった時代の深い信仰が映し出されている。
(写真はパンフレットより)
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法隆寺ウェブサイト
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天平17年(745年)、藤原不比等の娘であり、聖武天皇の皇后である光明子が自分の皇后宮を宮寺としたのがこの寺の始まり。以来、日本の尼寺の総本山(総国分尼寺)になるなど、女性との関わりの深い寺として現在まで続いている。
そんな寺の最も奥まった場所にあり、春と秋の一時期にしか公開されないのがこの庭園。皇室と深い関係を持つ尼門跡であったため、庭は江戸初期に御所の庭園を移したものと伝えられる。この庭が「仙洞うつし」とも呼ばれる理由はそこにある。
適度な広さの庭園に季節の花々の彩りと、調和を重視した植栽を配置。何かを主張する庭園ではないが、女性的な穏やかさを漂わせ、いつまでも印象に残る庭園。どこか寂しげで、それでいて気品を感じるのは、世を捨て尼となった女たちのことを思うからだろうか。
(写真は法華寺本堂)
法華寺ウェブサイト
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奈良と京都の県境に位置し、行政区画的には京都にある岩船寺。しかし交通や経済圏としては断然、奈良が近い。交通の不便なエリアにあるが、最盛期には浄瑠璃寺、円城寺などと共に阿弥陀仏を祭る大規模な寺として栄えていた。
本尊の阿弥陀如来像は、まさかこんな山奥にこれほど凄い仏像があったのかと思わせるほどの静かな迫力に満ちている。丸みを帯びた表情や身体が、祈りを捧げるものたちを極楽へといざなうかのような柔和さを醸し出している。
木々に囲まれた境内はいつも静かで、しっとりと湿り気を帯びている。西日が射して、霞がかったような夕暮れ時には、そこはまるで仙人の住む別天地のような不思議な空気に満たされる。
(写真は岩船寺本堂)
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のどかな田園地帯の高台に、ひっそりとたたずむ聖林寺。そこの裏手の収蔵庫に収められているのがこの十一面観音像。
一見、派手なインパクトを持たない仏像だけに、油断してしまいがちだが、そこにはじわりじわりと染み込んでくるような深い何ものかが存在する。
それが特に感じられるのは、右手の微妙な動き。何かを求めるように、また見る者を呼び止めるような独特の緊張感を持った表現は見る者を魅了する。
天平時代の作で、明治の神仏分離令以前は三輪の大三輪神社で左右を様々な仏像に守られてたたずんでいたのだという。今、その面影を残すものは、この仏像の美の中に秘められた緊張感のみである。
(写真はパンフレットより)
聖林寺ホームページ
ウィキペディア 聖林寺
凄い奈良2 東大寺三月堂・内陣仏像群
あれだけ人の溢れた大仏殿から徒歩3分という距離にありながら、堂内はひっそりとして人影もない。しかしそこには12体の国宝仏を含む16体の仏像群が配置された圧巻の仏教世界が広がっている。
本尊の不空羂索観音像と両脇士の日光、月光菩薩像の静けさの中に秘められた深い信仰心。そしてその「静」との見事な対比を見せる金剛力像や四天王像の荒々しい躍動感。それらが一体となって見る者を魅了する。
今から1200年以上昔に造られたこれらの仏像の中に、私たちは天平という時代を生きた人々の息遣いを感じることができる。そしてその息遣いは、決して私たちと違ったものでも離れたものでもないと実感できる。
(写真はパンフレットより)
東大寺公式ホームページ
ウィキペディア 東大寺
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