文化ブログ
阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
村上隆さんの監督作品『めめめのくらげ』が伝えたいもの
ネット上に上がっている幾つかのレビューや感想にもある通り、『めめめのくらげ』という作品には、その物語や映像的に、突っ込みを入れたくなるようなシーンが、ない訳ではない。特に終盤の主人公とくらげ坊が協力して戦うシーンは、すでに作品世界を受け入れていたことや、ストーリー展開の早さのお陰で、そこまでアラ探しをせずに済んだけれど、もし冷めた視線で、作品を批判するような見方をすれば、そこには小さいながらも、おかしいと思える部分を見つけることは難しくない。
大枠のストーリー、映像、出演者たちの演技などは、しっかりと観客を引き込んでいくだけの力があるだけに、その点はちょっとと思わなくもない。しかし、そういった映画的な枠組みを離れ、作品鑑賞中、何かの感情が揺さぶられたか、また鑑賞後、心に不思議な余韻を残すことができたかという点を重視すれば、この作品は、他の映画では体験することのできない感情の揺れを、ある人々に与えることができるものと言えるだろう。
実際、作品上映中には、周囲からすすり泣く声が聞こえたり、Twitter上でも、「泣きました」という感想がつぶやかれたりと、この作品には、ある人々の琴線に触れる何かがあるように思う。自分自身、映画館を出て以降、あの作品の何が自分の腹の底に、淡いけれど、確かな存在感を持ち続ける何かを残していったのかを考えていた。そしてその答えが、監督である村上さんの「僕の全部を思いきり詰め込みました」という言葉と、この作品の最大の特徴である実写とCGが融合した映像表現にあるのだと思った。
この作品には、村上さんの幾つかのインタビューでも語られているように、「ウルトラマン」のような「特撮的」要素や、「ゲゲゲの鬼太郎」から「初音ミク」までに至る様々な「マンガ、アニメ的」要素、そして「団地」、「学園祭」といった村上さんの過去にまつわる要素、さらには『Miss Ko2』をはじめとした村上作品に登場してくる「キャラクター」やモチーフが散りばめられている。
それら村上さんにとって思い入れのある様々な要素で構成された映像は、作者個人の心象風景を色濃く反映しているというだけでなく、そこに自分が生み出したキャラクターのGCを加え、その修正や編集に2年弱もかけた結果、撮影した時点では、個人的要素の集積を撮影した限りなく「現実」に近い実写映像であったものが、CGや編集という個人的意識を上書きし、それらを融合することで、「夢見た世界がやっとかたちになりました」と村上さんが言う、作者独自の空想世界が立ちあがってきているように思えた。
ある種、シュールリアリズム的というか、シャガールの浮揚した動物たちのような存在が、実写映像と融合し、「現実」が拡張された映像は、観る側の意識の幅までも拡張し、「現実」だけの映像では感じることのできない風通しの良さや、広がりのようなものを作品に与えてくれる。その広がりのようなものを可能にしているのは、この映画の監督である村上さんが、実写という平面上に上書きし融合させた、平面を超越化(「スーパーフラット化」)するための「特撮的」かつ、「マンガ、アニメ的」なCG表現なのだろう。
「現実」であって、決して「現実」ではない、その中間を漂うようなシーンが集積した映像内では、主人公の少年が、くらげ坊という「特撮的」、かつ「マンガ、アニメ的」な存在によって、震災や現実によって受けた哀しみから救われている。それはたぶん、少年時代、「特撮的」作品に強い愛着を持ち、青年期には「マンガ、アニメ的」な世界に深く傾倒していった村上さん自身の姿が投影されているのだろう。
そして、そのような少年の出会いや別れを下地にした物語の実写映像と、そこにこれまでの村上さんの絵画的作法と、「特撮的」、かつ「マンガ、アニメ的」思い入れにより生み出されたCGキャラクター、さらには二次元的なところから生まれ、あたかも実在のアイドルのように限りなく3次元的に存在する初音ミクの音楽などの要素を集約した映像は、存在の不確かさゆえの純度を獲得し、その純度に共振することができた人々は、子供時代への懐かしさをともなった映像空間内において、一時なやすらぎや憩いを見出すことができるのかもしれない。
震災以降、一見、穏やかさを取り戻したように見える私たちの「日常」は、しかし突然襲い掛かる様々な「災厄」に見舞われてしまえば、一瞬にしてその平穏さを失い、何もかもが崩壊してしまう儚いものでしかないと気づかされた。そんな「日常」の中で、いかに「災厄」を含めた過酷な「現実」に向き合い、そこに何かしらの救いを見出していくかを象徴的に描いたこの映画は、決して多くの人に理解されるものではないかもしれないけれど、ある一部の人々にとっては心の深い部分に確かな余韻を残し続ける作品となるだろう。
映画『めめめのくらげ』公式サイト
ウィキペディア 村上隆
「持ち寄りシェアトーク!豊島区の美味いラーメン」開催告知
11月24日(土)に豊島区民センター2階まちづくりサロンで行うイベントですので、ご興味のある方はぜひご参加ください。
「持ち寄りシェアトーク!豊島区の美味いラーメン」
ラーメン激戦区として知られる池袋をはじめとした、豊島区内にあるラーメン屋さんの情報を持ち寄り、ラーメン情報紙を作ります。「豊島区の美味しいラーメン屋さんを知ってるけど、誰かに伝えたいなぁ」、「区内の美味しいラーメン屋さんを知りたいけど、この辺のこと、よく知らないし」という人々が集うイベントです。区民の方だけでなく、ラーメンが好きな方などどなたでも参加できますので、ぜひご参加ください。
日時 2012年11月24日(土)14時から16時頃まで
会場 豊島区民センター2階まちづくりサロン(豊島区東池袋1‐20‐10、豊島区役所から南に3軒先)
参加費 無料/事前申し込み不要
連絡先 居場所部 阿部和璧(あべかへき) [email protected]
「場を開くアートの力」~BIWAKOビエンナーレ2012を巡って~
前回の近江八幡エリアのみの展示から、五個荘エリアにも会場を広げ、出品作家数も70名以上と大幅に規模を拡大したBIWAKOビエンナーレ2012。2つの会場を1日で巡るのは難しいことから、2日間に分けて全17会場を巡ることにした。
初日に巡った近江八幡エリアでは、事務局もある天籟宮の蔵にあった大量の麻糸を垂らした空間に、光の映像を投影する作品(interweaveの「circle side」)に圧倒され、カネ吉別邸では、二階の空間を劇の舞台のような雰囲気に変えたTシャツを用いた作品(永井俊平の「おさまる」)や、旧中村邸奥の巨大な石のレプリカが室内に平然と佇む作品(友田多恵子のProfundity-2012)といった場の特性を活かしながら、それでいてその奥にある気配を引き出すような展示が数多く見受けられた。
八幡山ロープーウェイを使って観に行く2つの会場以外、過去のビエンナーレで使われた会場と同じ町屋を使っているだけに、展示場所としては、すでに見覚えがあり、それほど驚きを感じることはなかった。しかし、作品自体のインパクトや、光と闇を巧みに活かした展示方法で、町屋空間の新たな魅力を引き出すことに成功していた。
日ごろ使われない古い町屋の中には、そこにある湿っぽく朽ちた感じから、おどろおどろしさを醸し出す雰囲気があった。そんな気配を作品内に取り込んで、現代アートという異物でありながらも、その場の雰囲気と融合し、何かそこにうごめくような気配を生み出している作品もあり、それらは、この時期、この会場に行かなければ観られないもののように思えた。
2日目に巡った五個荘エリアは、近江商人の古い家屋が、周辺の町並みと共に保存された地区で、このビエンナーレでもなければ、足を運ぶ機会がなかっただろうエリア。展示全体としては、「保存」が行き届いた現代に近い空間だけに、近江八幡エリアほど、古い町屋と現代アートといった遠く離れたもの同士が結びついたインパクトは少なかった。けれど、田中太賀志や、草木義博、越中正人やAWAYAらの作品には、時間と手間をかけて五個荘まで足を運ぶ魅力があったように思う。
しかし、五個荘エリアの展示で何より凄かったのは、これまでそれほど知られていなかった五個荘という地域で、そこにある近江商人たちの古い住まいと現代アートを融合させ、多くの人にその建物や街並みの魅力を発見させたことにあると思う。
場を開くアートの力を最大限に活用し、これほどの規模と広がりをビエンナーレにもたらしたことで、これまで一部の人々にしか届かなかった芸術祭の魅力が、より多くの人々に認知され、一段上のステージへと進むことができたように思う。
2日間に渡り巡った2つのエリアでは、芸術祭を観るだけでなく、八幡山からの琵琶湖の眺めや、周囲の町並み、さらには古い寺社仏閣なども見て歩くことができる。今回のビエンナーレを巡るという目的で、そういった「BIWAKO」を背景にして生み出された歴史や文化を実感できるということが、BIWAKOビエンナーレ2012の最大の魅力のように思えた。
BIWAKOビエンナーレ2012ウェブサイト
会期が2012年11月4日(日)までと迫っています。興味のある方は早急に足を運ばれることをお勧めします。
トークイベント「ストリートにおけるアートの可能性」開催!
アサヒビールと全国のアートNPO、市民グループが共働して開催しているアサヒ・アート・フェスティバル(AAF)に参加するMiracle Water(ミラクル ウォーター)というチームの一員として、このイベントに関わることになりました。
AAFという集まりの中で知り合った、魅力的な活動をされている方の話を聞き、地域やまちに開いたアートプロジェクトのこれまでの歩みを確かめながら、これからのアートの可能性を探っていきます。
身近な人々に寄り添ったアートのあり方に興味のある方はもちろん、どなたでも参加、発言できるイベントとなりますので、興味のある方は、ぜひ今度の金曜日に大阪市西成区にあるカマン!メディアセンターに足を運んでいただければと思います。
トークイベント「ストリートにおけるアートの可能性」
大阪に活動拠点を持つ3つのAAF2012 参加団体、「大阪七墓巡り復活プロジェクト」、「NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」、「映像発信てれれ」の、これまでの活動をうかがいながら、今、改めて日常を普通に暮らす人々に寄り添った表現の中から、新たなアートの可能性が生まれているのではないかというテーマで話し合うイベントを開催します。
大阪という「まち(ストリート)」を背景にしたプロジェクトが持つ共通点や相違点を見ながら、参加者全員の多様な視点で、新たなアートの可能性を探っていきます。
日時:2012/10/26(金) 19:00-21:00
ゲストスピーカー:陸奥賢さん、小手川望さん、下之坊修子さん
場所:カマン!メディアセンター(大阪市西成区太子1-11-6、ココルーム手前)
参加費:カンパ制、予約不要
-------
お問い合わせ:Miracle Water 阿部和璧(あべかへき)
e-mail: [email protected]
西野達さんの作品「知らないのはお前だけ」滞在時のある一日
今回の新潟滞在の目的は、作品に住んでみるだけでなく、「水と土の芸術祭」や「大地の芸術祭」の観賞、さらには長岡の花火大会を見に行くなど、休みの時間帯を利用しての新潟遊びも兼ねていただけに、その拠点として活用できたこともよかった。(しかし、市内へはバスや電車で約40分、大地の芸術祭へはレンタカーで2時間ほどかかる)
そのようなイベント事は別にして、作品の一部となっていた日に、どんな生活を送っていたか興味を持たれる方がいるかもしれないので、この体験記の文章の一つとして書き残してみたい。
朝、目が覚めると剥ぎ取られた天井に残る梁の木材と、その先にある、吹き抜けとなったギャラリーの天井が目に入ってくる。一日の内、目が覚める時間以外には、なかなか上を見上げる機会がないことや、目を覚ました直後にその居場所を認識することもあって、この時間帯が最も、日常から微妙にズレた空間を意識することになる。
受付が始まるのは11時だが、その準備のため市の職員の方が来られる10時には、一応の雑用は済ませておくというのが夫婦間で何となくあったルールなので、鍋を使ってご飯を炊き(炊飯器がない)、備え付けの洗濯機を使っての洗濯や(外側が工事の足場で囲まれているため室内干ししかできない)、おおまかな掃除を済ませ、食事と、食器洗いも終わらせて展示開始となる。
展示開始になると、室内を外側から照らす照明が四隅からつけられ、映画やドラマのセットのような雰囲気が醸し出される。その結果かどうかはわからないけれど、室内全体の雰囲気もハリボテやベニヤ板で作られているかのような薄っぺらな感覚が、より強く感じられるようになる。照明に照らされるため、室内は熱を持つのだけれど、滞在2日目に入れてもらったエアコンと2台の扇風機が室内を快適に保ってくれるため、居心地はとても良い。
11時から始まり、夕方6時に終わる展示時間中、誰か一人が室内にいなければならない時間は5時間あるのだけれど、平日の昼間はほとんど人が来ないことや、外の暑さは東京とそれほど変わらないだけに、気温の高い時間帯には室内で本を読んだり、仕事の文章を書いて過ごすことが多かった。(ネット環境はなく、テレビやラジオの機能はあるけれど、アンテナがなく、外部からの情報を得ることは難しい)
本棚には、なぜか週刊少年ジャンプが8冊ほど置いてあり、高校以来久し振りにジャンプを連続ものとして読むことができた。またCDとDVDの再生装置もなぜか置かれており、ハリーポッターやマトリックスのといった映画や、10年ほど前のJポップのコンピレーションアルバムがあったりして、それを視聴することもできた。
平日に来る人は本当に少なくて、6日間中、一番少ない時で4組10名ぐらい。(一番多かった日曜日で20組50名ぐらい)だから仕事や読書に集中している時は、人が来ていることを、それほど意識することはなく、展示空間に響きやすい話し声や、来場者の足音で、誰かが来ていることを意識することが多かった。
また、「大地の芸術祭」のオープニング直後だったこともあり、知っている美術関係者が見学に来たり、新潟日報の記者の方が取材に来られ、作品に滞在した感想を話したりすることもあり、結構、忙しく時間は過ぎていった。(取材の日は突然天気が荒れ、8月だというのに大粒の雹が降ったりして、桃や柿などの農作物にも被害があった。記事は8月9日付に掲載)
そうめんやレトルト食品など、簡単にできるものでお昼を済ませ、生後3カ月の娘をあやしたり、仕事の続きをしたりしていると、あっという間に4時頃になる。展示時間は一応、6時までだけれど、滞在者が室内にいなければならない時間は5時間で終了。あとの2時間は自由に使うことができるので、近所のスーパーに買い物に行ったり、長岡の花火を見に行くために出かけたりした。(初めて見た長岡の花火は、夜空をワイドスクリーンのように使っていて本当に凄かった)
展示が終了し、6時に市役所の方が帰られる頃から、夕食の準備を始める。近所のスーパーから買ってきた、十全ナスや、えごという海藻が原料の地元食材を使いながらの料理は、限られた調味料や鍋類を、いかに有効活用して楽しむかというキャンプ生活に似ていて、することが少ない生活に彩りを与えてくれた。
ビールやワインといった酒類を、食事と共に楽しみながらの夕食を終えれば、あとは後片付けをし、歯を磨き、お風呂に入って寝る時間となる。基本的には11時前には寝る、極めて健康な生活を送っていたけれど、冷蔵庫の食材を総ざらいする目的も兼ねて行った新潟の知人たちを招いてのパーティーは、日常からズレた場所に、自分たちが組み込んだ、ちょっと違ったイベント事として、強い印象に残るものとなった。
このように過ぎて行った新潟滞在は、ほんとうにあっという間で、もし時間があり、新潟に行く用事があれば、もう一度滞在してみても良いかなと思っている。(雪の降る冬場は暖房設備が十分でなければ大変そうな気がする)また、室内でするまとまった仕事や作業を持っている方には、ぜひお勧めの長期滞在型の作業スペースになりえると思う。
最近、都内近郊でお会いした「水と土の芸術祭」事務局の方の話では、8月上旬以降は、学生が夏休み期間に入ったこともあり、9月の中旬までの滞在日程は、ほとんど埋まっていて、週末や平日のわずかな隙間にしか空き日程はないのだという。12月24日までの期間中、様々な滞在者が自分たちの目的を優先して滞在生活を送り、西野達さんの展示空間をより面白げな場所にしていくのならば、そこには一見、現代アート作品でありながらも、中身は人々のユニークな日常のあり方が多様に展開した、あんパンやカレーパンや、うぐいすパンのような、日本的変容に満ちた独自の空間状況が生み出されていくのかもしれない。
西野達さんの作品「知らないのはお前だけ」に住んで考えたこと
巨大なブロンズのキリスト像がベッドの上に立つ室内や、美術館内のピカソの作品を囲むようにしてワンルームのダイニングキッチンを作った作品。その場所、場所にしかないものを作品空間に取り込んで、日常と非日常が混じり合った「場」を生み出すことを得意とした西野さんの作品。
今回、滞在している「知らないのはお前だけ」という作品も、使われなくなった平屋の教職員住宅を、天井部分から屋根ごと取り除き、その2階部分にギャラリー空間を乗っけた日常と非日常が混じり合ったもので、この作品にもこれまでに西野さんが制作してきた作品の特徴が浮かび上がっている。
それはまず何よりも、突拍子もない思いつきを具現化したことによって生まれる、視覚的インパクトや、発想の面白さ。今回、住人になって一度だけ経験した日曜日には、西野さんの美術界における知名度もあってか、メイン会場から車で40分ほどの離れた場所にあるにも関わらず、50人以上の人が作品を鑑賞しに来ていたことにも表れているし、通りかかった近所の人に、住んでみた感想を尋ねられたことにも表れているように思う。
しかし、そんな風にわざわざ足を運んで来たにも関わらず、この空間内に滞在する人々の滞在時間が意外に短いことには驚かされた。ツアーバスの都合があったりする人は仕方ないにしても、それ以外の平日に来た人も、ある程度の興味を持って2階ギャラリー内に入ってきただろうにも関わらず、ギャラリー内を2周するような人は少なかった。
下で鑑賞されていた感触では、そこには確かに一種の動物園的な状態が生み出されていて、見る側にも、見られる側にも視線の暴力的なものに対する遠慮のようなものがあったと思う。しかしそれ以上に、人間の生活をギャラリー空間から眺めるという物珍しさはあるにしても、それは動物園の檻の中で、普通の猫を見せられるような感じで、別段珍しいものではなく、それほどは鑑賞者の興味関心を引くようなものではないように思えた。
個人的な感触としては、それ以上に、その発想やビジュアルを実質的に支えている工事現場の骨組や、ギャラリーの外壁を囲んだ白いシートがかもし出す、どこかの新興宗教の施設というか、謎めいた外観と、その内部に立ち入った時に感じる空間への驚きの瞬間にこそ、作品の肝のようなものがあって、その感情の動きが起こった後の観客のあっさりとした態度には、たぶん他の西野さんの作品にも共通するインパクトの大きさと比例した、その感情の着地後の平常の感覚との落差のようなものがあるように思う。
マーライオンやピカソの絵、クレーンで釣り上げたコンテナ内のカフェなど、西野さんのほとんどの作品が、期間限定のものであり、公共的なものと私的なもの、建築と彫刻、日常と非日常など様々なはざまを不明瞭にするような、かりそめ感の強い作品が多い裏には、工事現場の足場やクレーンという機材などの、ある種の暴力的装置を用い、我々が日常的に立っている足場というもが、不確かで、かりそめのものでしかないということを、アートという表現を用いて暗示しようとしているのかもしれない。
一階には、日常を過ごせる日本的な居住空間に、普通の生活を送る人々が住んでおり、その上に西洋美術の文脈から生まれた美術に向き合うためのギャラリー空間が、ある種、暴力的な力によって無理やり接合されている。そのような日本の現代美術のあり方をも示唆するような造形物であり、もしかすると西洋と日本のアートのはざまで作品制作を行ってきた西野さん自身の美術的肖像のようなものが、結果的に浮かび上がることになった作品なのかもしれないという気にもさせられた。
3.11以降の「転換期」をテーマとした「水と土の芸術祭」において作られた、天井を屋根ごと剥ぎ取られた居住空間と、工事現場の足場によって作られたギャラリー空間。それらが一つになった造形物は、日常と非日常の営みが行われている2つの足場が、決して定まったものではなく、不安定でかりそめのものでしかないということが、新潟の田舎の集落という場所にさえ避けて通ることはできなくなっている時代状況を、「知らないのはお前だけ」というタイトルと共に発信している作品なのかもしれない。
水と土の芸術祭 アートプロジェクト 西野達 「知らないのはお前だけ」
西野達さんの作品「知らないのはお前だけ」の中の人になる その1
「マーライオンホテル」などで知られる西野達さんは、「水と土」の六本木ヒルズでの記者発表会、メイン会場となる「万代の水揚場」の「知ってるのはオレだけ」という作品の設営会場で2度お会いし、設営の時には、「住人を募集しているから」というお誘いを挨拶程度に交わした方。
その時は、すでにその話を聞いており、「知らないのはお前だけ」というタイトルや、自分の生活を他人から見られることに抵抗があり、実際に作品内に住むことになるとは思ってもいなかった。しかし、別ルートでその情報を得てきた奥さんが、「無料で新潟に滞在できる」というメリットに興味を示し、その興味に押し切られるような形で、7月30日から8月8日までの10日間、作品の中の人になることになった。
東京から電車で4時間かけ降り立った矢代田という駅は、駅前にぽつぽつと住宅が建ったのどかな田園風景が広がっていた。そこから車で5、6分ほど行ったところにある西野さんの「知らないのはお前だけ」という作品。その外観は、まるで建設途中の建物のように家の周りを工事用の足場が取り囲んだ物々しい感じの家だった。
事務局の女性に促されて早速室内に足を踏み入れてみると、ちょうどその日は、前住人である一人旅の女性との鍵の受け渡しを行うことになっており、その女性にも話を聞くことができた。この作品に2日間滞在したという女性の話では、2階のギャラリー部分から観客に見られることはほとんど気にならないという。
実際、その女性や事務局の方に、ここでの暮らし方や、周辺事情を聞いている間にも、切り取られた天井部分から私たちの様子を眺めている人がいたのだけれど、その視線はほとんど気にならない。たぶん日常生活を送る視点と、2階ギャラリーからの非日常的な鑑賞の視点が実質的にも、観念的にも微妙に交わらない状況が生まれた結果、このようなことになっているように思える。
天井がなく、2階まで吹き抜けのようになった空間は、ドラマのセットのようでもあり、引っ越して来てすぐの新居のようでもあり、その日常と非日常が混じり合った空間の居心地は、思っていた以上に良い。事務局の方の話では、これまで4人の住人が滞在したということだが、どの方の女性一人での滞在で、今回のように家族3人で、それも生後3か月の赤ちゃんか住人になるのは初めてだという。
そういう訳でとりあえず10日間、西野さんの作品の中に住んで、その意味や、状況を体験してみることになった。ネット環境がないので、このレポートがアップされるにはタイムラグが生じるだろうけれど、参加型の現代アートの極めてユニークな作品の体験記として今後の文章を読んでいただければと思う。
地域アートプロジェクトに必要なもの~「みずつち学校とことんとーく 2000年代→2010年代のアートプロジェクトとは?」というイベントに参加して~
今回、自分も少しだけ関わりを持った「水と土の芸術祭」というアートフェスティバルの中で行われた、「みずつち学校とことんとーく 2000年代→2010年代のアートプロジェクトとは?」というタイトルのイベント。2日間で計10時間に渡って行われたこのイベントに参加して思った、地域アートプロジェクトに必要なものを、このトークイベントのあり方から考えてみたいと思う。
正直、会場となる新潟市までわざわざ足を運び、計10時間も、個人的な時間を割いて参加したこのトークイベントから得られたものは少なかった。特に2日目の「アーティスト」や「プロジェクトディレクター」について話し合われた5時間は、そんな人々を傍目で見て、興味を持っている自分にとっても退屈で、「なぜ内輪だけでするような話をわざわざ公開のイベントにしているのだろう」と思ったぐらいだから、ほとんどアートや美術に興味のない聴衆がいたとしたら、それはそれは退屈だっただろうし、2日間でのべ50人程度の参加者しかいなかった理由もうなずけると思う。
個人的に断言してしまえば失敗だったこのトークイベントの「失敗の要因」は、出演者が多すぎたことや、テーマ内で扱う内容の解釈が人それぞれすぎて、体験談や考えを共通の基盤で話せなかったという部分があったように思うのだけれども、最も大きな「失敗の要因」は、今回、モデレーターという、司会のような役割を担当した人の「場」に対する意識の低さにあったように思う。
特にそれを強く感じたのは、2日目のその人物が座り続けた座席の位置で、聴衆に背を向け、まるでそちらの反応は一切関係ないといった状態で話を進めていく姿には、「客席を交えながらゆるやかに」と事前にうたっていたこのイベントの趣旨や、地域アートプロジェクトという「場の特性」や地域の人々に向き合わざるをえないものについて話し合う状況にもそぐわなかったように思う。
話の内容から判断すると、今年開催された西洋の美術圏で最も影響力を持つアートプロジェクトの一つである「ドクメンタ」のようなものを称賛していたその人物にとっては、「日本型」の地域アートプロジェクトのような、地域の特性や、そこに住む人々と嫌が応でも向き合わなければならない傾向が強い表現の場には、「アーティストのクリエーティビティーが発揮できているのか」という問題を孕んでおり、「アート本来の趣旨ではない町おこし的なものが、地域アートプロジェクトとして日本中で行われていることがいいことなのか」という疑問があるのかもしれない。
しかし、そういった個人的な疑問や懐疑のようなものを中心にして話を進めていくことは、これまで地域アートプロジェクトの負の側面について話し合う機会が少なかったという点はあるにしても、あまりにもテーマ設定として話の内容を限定してしまい、専門的な人間しか話し合いに参加できない、蛸壺的で閉じた内容になってしまったように思う。
その閉じた感じは、本来2日間も行えば、自発的に発言が生み出されていくだろう出演者の間からでさえ、司会者に促されなければ自発的な発言をする人が少なかった状況にも表れているようにも思うし、計10時間行うはずだった論議が、質疑応答も含め、それ以上に意見を言う人がおらず、最後は30分前倒しで終了してしまったことにも表れているように思う。
また本来、「参加者」であるはずの聴衆に、「視線攻撃」というものを送ることでやっと一つだけ質問を得ることができた2日目最後の質疑応答のあり方や、その表現にも、それまでの4時間半、聴衆に背を向け、司会進行を行っていた人らしさが現われていたように思う。
決して個人攻撃をしたい訳ではないのだけれど、全国各地で様々なアートプロジェクトに関わってきた豪華なメンバーが集ったイベントと期待し、話の中には、「芸術の公共性」や地域のアートプロジェクトに税金を投入する意味についても論議されただけに、もう少し、市民や聴衆に対して開いた場の設定が「みずつち学校」というもののあり方として必要だったのではないだろうか。
たぶん、3.11という「水と土」が人々に様々な災害をもたらし、福島だけでなく隣接県の新潟、さらには東北や関東を中心とした各地に、人間の人生という物差しでは回復の見込みのない傷跡を残してしまったこの国の「転換期」までの10年、少子高齢化やコミュニティー内の孤立といった問題に向き合ってきた「日本型地域アートプロジェクト」には、様々な疑問や懐疑を含みながらも、それでも新たな価値観を提示できる何かが含まれているように思える。
そして、そんな可能性が生み出される「場」に必要なものがあるとしたら、既存の価値観や、個人の意見というものにとらわれない開いた態度と、地域の特性や、そこに住む人々の声に耳を傾けながら、自分の中のものと、それらのものを融合させ面白がっていくような、柔軟で前向きな発想や姿勢のような気がする。
神山健治監督が語った「自己実現のための方法論」
アメリカの有人月宇宙飛行計画(アポロ計画)で採用されたというバックキャスティングの手法を用い、これまでとは異なるアプローチで業界に新風を吹き込もうとしている新会社「STEVE N’STEVEN」。その取締役にも名を連ね、今秋に公開される『009 RE:CYBORG』の監督も務める神山監督。そんな監督が「ようやくここまで辿り着いたかな」という約23年の道のりで得てきたエッセンスを惜しげもなく語った約20分が、今回の講義のハイライトだったように思う。
約7年間、「自分の見たいもの、作りたいもの」をプロダクションやスポンサーに企画として出し続け、ことごとく門前払いされていたという20代の神山監督。そんな監督の転機となったのが「このままでは業界に入ることもできず仕事もない」という危機感から、これまでとは異なる態度で「やり手がない仕事を受けてみよう」と関わった作品だった。監督が逃亡し、2ヶ月放置されていた作品の、「絵コンテを1週間で書いてくれ」という危機的な依頼に応えるべく、睡眠時間4時間という状況の中で絵コンテを完成。
仕事を依頼をした人物はもちろん、「準備していた結果」という絵コンテは、内容だけでなく、クリエーター集団である制作スタッフからも、「このコンテだったら絵を描いてもいいよ」と言われて喜ばれた。そんな周囲の喜びを感じたことで、実は「自分がやりたいことは人からすればやりたくないことで、仕事をするからには誰かを喜ばせなきゃならない。だからお客さんのない仕事はないし、人に喜ばれることをする必要がある」という目標を実現する「近道」を学んだ。
そこからは、海外メディアが取材時に「経歴詐称では?」と問うほどの急激なキャリアアップを重ねていく。コアなアニメファンの中では、名作として知られる『人狼 JIN-ROH』の演出や、実は「たった2週間しか行われなかった」という『押井塾』から生まれた『BLOOD THE LAST VAMPIRE』の脚本。それら全ては、神山監督が控え目に話す「準備」と、「自分が対峙している目の前の人を喜ばせないと、次のチャンスは来ない」という「コツ」を実践した結果だった。
周囲を喜ばせることで、制作資金も含む、周囲の期待や協力という「自分の中の衝動」を実現させるために不可欠なものを呼びこむ流れを生み出し、2002年には、「人生において、もう監督できなくてもいいという思いで作った」という初のテレビ監督作品『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』を制作。「幸か不幸か望まれて監督を続けることができた」というそれ以後は、「本当のお客さんが待っていて、自分の夢で押し通しても無理」という新たなステージへと足を踏み入れた。
成功した作品と同じものが求められ、より広く「周囲を喜ばせる」ことが期待されている現在までの状況を「何百倍も大変」ということばで表現した神山監督。「周りの状況やお客さんの要請、時代のニーズを考えながら作っていかなきゃいけないというのを学んでいった」ということを幾つかの事例て紹介。スタッフの事情と「我々のチームのバージョンアップをしていかなきゃならなかったんで」という戦略的見地から2作目に『精霊の守り人』を選んだ理由。
さらには、「自分が気になること、興味のあることを精査して、その中から出てきたものを、みんなだったらどういう使い方していくかと演出チームと気絶するぐらい話し合って、作品に入れていく。そのことで作品への近似値が増え、ハードSFの作品でも身近な問題として見てもらえる」といったメールや携帯が普及しだした頃に作られた『攻殻機動隊』の電脳設定誕生の経緯も明かした。
「商業作品を作っていくためには不可欠な部分」の大前提として「相手を喜ばせる」ことの重要性を語った神山監督。「夢も希望もない話ではなく、どんなに自分を押し殺しても、自分ってなくならないんですよ。個性そのものは最初からあるものだから。だけど、最初から持っているものが黄金か、ただのうんこかは見極めた方がいい。そしてうんこも最後には黄金に変わる可能性があるから持ち続けてていい」。
自分の「個性」や「表現」といったものにこだわ続け、家族や友人以外からの期待や協力を得ることができず、その先にある「夢」や「希望」をあきらめてしまう現実。そこから一歩距離を置き、周囲に望まれていることをやり続けていく中で、少しづく動き出していく人生の歯車。もちろんそれは与えられたチャンスを確実にものにしてきた神山監督の凄さではあるけれど、その成功をうらやむだけでなく、今から確実にできる自己実現の第一歩として「周囲が喜ぶこと」をやっていくことで見えてくる次の風景があるのだと思った。
ウィキペディア 神山健治
「ゆるやかな革命」~東京事典公開録画イベント第4回目を聴いて~
最近、アート関係のイベントで名前を見かける、ヴィヴィアン佐藤さん、『疾走するアジア』という本を読んで以来、西洋には偏らないアートへの情熱に共感を覚えた森美術館館長の南條史生さん。藤さんだけでなく、興味深いメンバーが揃ったプレゼン会場に、特例として土足で上がってきたヴィヴィアン佐藤さん。銀髪の上に、ギリシャ神話に登場するメデューサをイメージしたぬいぐるみのヘビと、花壇のついたかぶり物をかぶって登場。
ドラッグクイーンというテレビでは見たことはあっても、実際に目にしたことのなかった世界の人が目の前にいる。そんな空間は部屋の雰囲気と相まって、日常と非日常が混じり合った独特の味わいを持っていた。人々がそんな佐藤さんの登場にようやく慣れた頃に始まったプレゼンは、今個人的に最も興味を持っている「場と空間」について、佐藤さん自身の存在を例にして語ったものだった。
以前は建築を学びながら、現在はアーティストであると共に、非建築家という肩書も持つヴィヴィアン佐藤さん。その話を要約すると、硬直した場を開くための存在として必要なものは、ハードとしての建築ではなく、極限のソフトとしての人間であり、それが最も有効なのは、ドラッグクイーンのような枠組みを超越した存在ではないかというものだった。
その考えは、前日、横浜で行われた藤さんと中村政人さんのトークイベントでも語られた「個人から始まる衝動を大事にすべきじゃないか」といった言葉や、「自分たちで自分たちの場所をつくり、自分たちの文化を生み出す」というアーツ千代田3331の理念にも共通するものを感じさせた。従来の枠組みを変容させ、新たな価値観を生み出すアーティストもまた、ドラッグクイーンと同じような役割を持つのだろう。
そんな存在である藤さんが、2番目に行ったプレゼンは、雑司が谷のプロジェクトに深く関わった水についてのこと。これまで様々な地域アートの現場に関わってきた藤さんの説明によれば、風としてやって来ては去っていくアーティストや、土として存在する地域の人々が、種としてのアイデアや創造力を植え付けるだけでは、新たな可能性の芽のようなものは育たないという。
そこにはその種に光を当てるメディアや個人といった情報発信者。さらにその種や芽となる存在に興味関心という「不思議な水」を注ぎ込み、成長を促す水的な人々の存在が欠かせないのだという。そして、その4つの要素の中で、これまで語られることのなかった水的な存在に注目していくことで、地域内に新たな芽が育ち、成長していく過程をより明快にしていこうという話らしい。
佐藤さんが焦点を当てるプライベートな空間よりも、より社会に開いたパブリックな状況の中で、そこにある問題と向き合ってきた藤さん。そんな藤さんが今注目する「不思議な感情の水」というものには、今現在、様々な地域や空間の中で、異なる価値観や立場の違いといったものにはばまれ、孤立化している人々を、ゆるやかにつなげるための重要な要素が含まれているのかもしれない。
もう一人、国境を超える規模で、アートの魅力を伝えてきた南條さんのプレゼンは、都市や国家の進化の過程には、生物に例えるならば遺伝子的な歴史的必然だけでなく、そのものや場所や人に宿った意志のようなものも重要ではないかという問題定義がなされた。現在、森美術館で行われているメタボリズム展を例にして話された話の最後には、法律や国自体の制度にまで話が及び、「安全に安全にやっていこうというのが今の日本の悪いところ。新しいことをやるために、制約を外す。法律や管理する側にルーズな面を生み出していくような政治の力も高めないといけない」と大きな枠組み内での「意志」の力の重要性を強調した。
佐藤さんが語ったプレイベートな空間のあり方や、藤さんの語った地域的側面での人々をつなぐための活動。そして南條さんが語った法律やこの国の制度という枠組みにまで踏み込んだ動き。これらは今、資本主義や民主主義といった社会の根底を支えてきたものさえも揺らぐ時代の中で、個人や地域、国といったそれぞれの集合体にある人々の内面を変革させ、新たな価値観へと向かわせる「ゆるやかな革命」を生み出すための時代的動きのように思えてならない。
3.11以降、「このままでは日本は衰退していく」という考えだけが、立場や境遇は異なる人々の中で唯一共有できるものとして存在しだした今、個人に近い空間から国家や法律といった社会制度に至るまでのそれぞれ空間で、より自由度の高い場を生み出そうとする人々がゆるやかにつながり、それぞれの現場で「ゆるやかな革命」を起こし続けることができれば、経済成長という指標では測りきれない、真の豊かさを持った魅力的な国家が、極東の日本という島国に成立するのかもしれない。
東京事典のウェブサイト
藤浩志さんの活動を紹介したブログ
ウィキペディア ヴィヴィアン佐藤
ウィキペディア 南條史生
【関連記事】
「かすかな希望の積み重ね」~村上隆さんが主催する"petit"GEISAI #15 を観て~
「傷ついた街」展に観る3.11後の世界 写真家レオ・ルビンファイン講演を聴いて
「アートフェア東京批判」
「結局は作品強度」~アートフェア東京の今後について~
「世界標準とガラパゴス、なぜ今、韓国アートが強いのか?」~アート大阪2011を観て~
「90年代、日本の写真界を席捲したガーリーフォトブームとは何だったのか」~木村伊兵衛写真賞35周年記念展を観て考えたこと~
「いま、日本社会で何が起きているのか」~問い直しと自己決定の時代に~