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阿部和璧(あべかへき)が世の中の良いもの、凄いものを紹介する。
セカイ系犯罪を生む閉塞感~ニコ生「秋葉原事件とは何だったのか」を観て~
「彼にとって世界の中心は秋葉原で、その中でメッセージを出したのではないか」。司会の藤井誠二さんが尋ねた「秋葉原を選んだ理由」という問いに、出演者の一人、中島岳志さんはそう答えた。最近、自分が専門とするアート関連のリサーチのため、サブカルチャー、社会批評関連の本を読んでいただけに、この事件に関する本を出版するという中島さんが語った「世界」という言葉が、自分には「セカイ」という言葉に変換さた。
ゼロ年代のサブカルチャーを語る上で、欠かせない「セカイ系」という言葉。その意味は非常に曖昧であるが、大きく言えば、「自意識過剰な主人公が、世界や社会のイメージをもてないまま思弁的かつ直感的に『世界の果て』とつながってしまうような想像力」と批評家の東浩紀さんは述べている。新世紀エヴァンゲリオンから始まったとも言われる「セカイ系」と言われる作品群は、確実にその時代周辺の日本社会の姿と密接につながっている。
東西冷戦の終結、バブル崩壊、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件。「大きな物語」と言われるイデオロギーや、価値観が終焉し、世界の急速なグローバル化に適応していこうとした日本社会。しかし、「変わらなきゃ」という言葉が流行語になった時代背景にあっても、人々が自分の支えとなる「小さな物語」を見出す困難はとても大きかったし、「失われた10年」とも「20年」ともいわれる時間が経過した今でも、それを見出せてないのかもしれない。
あの時代、自分探しやアダルトチルドレンといった言葉の流行や、心理学ブームが起きた時代背景には確かに、何か自分の寄って立つものを求める時代的な動きがあったように思う。そしてそこから続いていくゼロ年代という地平で起きる、年間自殺者13年連続3万人超という問題や、うつ病、自傷行為への社会的認知度の高まりは、日本社会のゆるやかな衰退という状況を含め、個人や社会の様々な葛藤の表れのように思える。
今回、容疑者男性の元同僚として出演した大友秀逸さんが語った、「朝は5時から夜は8時か10時ぐらいまで(派遣労働の)ヘビーローテーションを繰り返していて、2、3ヶ月に1回、みんなでカラオケに行き、エヴァンゲリオンのマニアックな歌を、分かってくれる人だけ分かってくれればいいという感じで歌っていた」という容疑者男性の姿は、そんなゼロ年代後半の社会状況が、ある個人の姿として映し出されているように思えた。
事件を起こす以前、「自殺未遂を2回している」という容疑者男性の過去を思うと、事件直後からある一部の人々が言い続けている、「人を殺すなら一人で死ね」というような考えに同意してはいけないように思う。彼が犯した7人の命を奪い、10人の人々に傷を負わせているという事件の重大さは理解しながらも、この事件に類似した殺傷事件が今も繰り返されていることを考えると、そこにある問題を追求していくことは決して無駄なことではないように思う。
では、その問題が何であるかを考えると、番組後半、これも中島岳志さんが語った、「このような表現方法しか示せない社会が問題なんじゃないでしょうか」という言葉に行き当たるのだと思う。自殺、うつ病、自傷行為、そして通り魔的殺傷事件。この根底に横たわる「閉塞的」な状況に陥ってしまうことが他人事ではなく、自分にも遠くない出来事として理解できる現実。
そんな「荒野」に立たなければならなくなった95年以降の地平には、身の回りの日常という近景と、そこで「生活に疲れ世の中が嫌になった」場合に行き着く、「セカイの危機」という遠景しか描きにくいのではないか。単純に図式化すると60年代70年代における安保闘争や学生運動から浅間山荘事件に至るまでの政治的変革の失敗。その時期と平行して始まった所得倍増計画に端を発する急激な経済成長とバブルの崩壊。
またバブル期の軽佻浮薄(軽はずみで浮ついていること)に対するある種の反動から生まれた宗教的方向性と、その行き着いた先がサリン事件という結果であれば、未成熟な若者が、それ以外の方法で「セカイ」との中間領域である「社会」に関わりを持つことは、簡単なことではないように思う。まして72年に出版された鎌田慧さんの『自動車絶望工場』の時代以上に過酷な労働を強いられる現在の派遣労働者のあり方を考えれば、それはほとんど不可能に近い。
政治、経済、宗教というある種の王道的回路を絶たれた若者が、何とかして中間領域である「社会」につながろうと試みた結果が、彼が依存したネットへの書き込みであり、「特定少数内でのコミュニケーション」を望んだ理由ではないか。「俺が必要だから、じゃなくて、人が足りないから」という労働に日常を埋め尽くされていたからこそ、他人とは代えがたい存在として自分を受け入れてくれる「彼女」を強く望んだのではないか。
そんな容疑者男性なりの幾つかの試みが失敗に終わった時、彼が「セカイ」の中心と感じていたかもしれない秋葉原で犯行を犯したのだとしたら、やはりそこに誰もが抱えるであろう人間の「孤独」や「自己の承認」に対する哀しみのようなものを感じずにはいられないように思う。なぜなら結局、彼が、「加藤智大」という個人として認知され、様々な刑事手続きを通して中間領域である「社会」に接続できたのも、「死刑」という求刑がなされたこの事件によってなのだから。
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