はてなキーワード: 全否定とは
現代日本の政治・経済議論が根本的に終わってるのは、それがすべて「推し」思考に支配されていて、性悪説を全く欠いているからだ。
民主主義も資本主義も、海外では規制ありきの性悪説に基づくのが当たり前。
企業は疑って当たり前。政治家は疑って当たり前。でも疑うというのは、何も期待せず全否定して絶望するということじゃない。
人間なんて最初から身勝手で自分中心だと理解するからこそ、お互い様で理性の縛りをシステムに求める。
政治家でも市場でも、信じて任せていれば良いなんて言説はすべて責任逃れのための屁理屈だ。
信じるならばこそ監視し、疑うならばこそ「改善のための」考え方に注力する。それが責任のある大人のものの考え方だ。
これを本当に理解できていないと、欧州が何にでも「規制」を科しながら、日本とは比べ物にならない「資本主義」絶対の社会であるということがわからない。
それは資本主義の否定じゃない。資本主義を貫く気が満々だからこそ、安全な市場のための規制を徹底する。
グリーン経済もデータセンターも、欧州は「何を規制すれば、デメリットを最小にして安全に儲けられるか?」を考えるために国も民間も全力を注いでいる。
日本の右翼や左翼が、否定したり理想化したりするような、社会主義のために欲望を犠牲にする高潔なヨーロッパ人なんてものはどこにも存在しない。
では、いくつか確認させてください。
スピ系の理論は近代科学の語彙ではないが意味がある、とのことですが、具体的にスピ系理論と近代科学との対応関係を論じた査読付き学術論文とそれを批判的に引用した論文を1本ずつでいいので挙げてください。
できれば信頼できるジャーナルに掲載されたものをお願いします。
整頓された空気の良い状態とは、具体的にどのような状態を指していますか。反証可能で再現性のある形で定義してください。観測量、観測方法、実際の観測例も併せて示してください。
また、気分が良くなるとは具体的にどのような身体状態あるいは心理状態を指していますか。こちらについても、反証可能な定義と再現性のある観測量、観測方法、実測例を示してください。
上記で定義した空気の状態と身体・心理状態の因果関係はどのような実験で正当化されていますか?
さらに、伊勢神宮や熊野大社の環境が、あなたの言う整頓された空気の良い状態を満たしているという客観的根拠はありますか。関連する調査や文献があれば提示してください。
加えて、伊勢神宮や熊野大社で感じる気分の良さが、上で定義した状態と同一である根拠はありますか。こちらも文献があれば示してください。
はてなーはスピ系大嫌いで目の敵にするしすぐに「トンデモ」とか言うけど、スピ系の理論は近代科学の語彙じゃないけれども意味があったりする。
整頓された空気の良い部屋にいると気分が良くなったり、伊勢神宮や熊野大社へ参ったりすると気分が良くなったりするようなことは確かにあるので、
原神予告番組おもろかったな!
仲良さそうな男性声優2人が漫才トークしてるのは人によっては嫌かもしれんが俺はナギさんの同時視聴みながら楽しませてもらった
6年ごしに足跡PVのスメール副題回収されるのもアツいし番組で判明したように冬夜の戯劇PVの謎だった世界樹炎上シーンも回収されるっぽくてどんだけ綿密に世界観構築してるんだと恐ろしくなるね
てかスメールが好きすぎる、転生したらスメールに住みたいくらいだけどどうやらドットーレの復活絡みでスメールが滅びの危機っぽいな
なんかナヒーダの伝説任務でもアランナラが滅びの記憶映像見せてくれた覚えがあるしそのへんも関係するんだろうか
てか今日きたコレイの誕生日メールの「平和な日々がずっと続くといいな」がフラグにしか見えないんよホヨバくん本当に君ってやつは
今さっき来たネフェルの誕生日メールにも「ファデュイ情報がらみで砂漠から不穏な情報が」ってあるしこういうリアルタイム性がエグいわ
新キャラに関してはニコの爆発ビジュアルも想像以上に美しかったしローエンは想像以上にワイルドだった、一部のMっけあるオタク女子には刺さりそうだな
てかローエンは恒常って予想されてたけど、特に言及ないから限定ってことで、読みを外してきたな
べつに毎年恒常追加されるって決まりはないけど、こうなるともしや、次の次verに来ると思われるサンドローネが恒常なのでは?
新聖遺物がスネージナヤギミック系の超電導強化だから雷か氷のキャラになる、イネファ的な枠になると思うんだけど
イネファがpaimon.moeの統計みても初回登場時ぜんっぜん引かれてなかったんだよね、俺は実装時に確保したけど
ナドクライ環境で必携レベルな性能だったことを後々身に沁みて理解した人が多かったのか、あとナドクライ到着後の家族愛エピソードが良かったのもあってか、復刻時の方が引かれてるという異常事態だったほど
そこで開発的はちょっと考えるところがあったのかもしれない
ver終盤の新地域ギミック先取りキャラを恒常で入れておくというのは、新地域への対応力をもったプレイヤーを増やすという意味で合理的なやり方にも思える
だから個人的には限定よりも恒常追加の方が理想的なんじゃないかと思ってはいるんだよね
どうせサンドローネに思い入れあるプレイヤーが大半だから限定だろうが恒常だろうが回るだろうしね
考えうる最高のパターンだと、サンドローネ恒常で、限定並の性能をもちつつ、実装と同時にすり抜け枠のカスタム機能が追加され、初期5人から8人まで増えてたところが9人から5枠選択するようになるパターン
すり抜けなしのNTEが最近ちょっと話題をさらってたが原神がすり抜けなしに変更することはまずないと思うから、「すり抜けを許容できる程度に嬉しいものにする」路線しかないと思うんだよね
特に無主の星屑狙いの人は新恒常追加が嬉しくないものになってるから何かしら手を入れるべき時期だとは思う
ちなみにNTEだけどハンターランク35、シティ名声レベル27まで無課金でやってたけど節々の低品質さと作業が多いわりに退屈になってきたのと生成AI利用指摘への対応が不誠実と感じたのが決め手になって俺はさっきアンストした
それ以外にも声優が台詞話してる途中でゲーム側がぶった切って来ること結構あったしわりと創作に対するリスペクトが感じられない感じがする、この会社
シナリオは全部やったけどバンドのエピが普通に良かった程度、あとは無感動で台詞言い終わってもページ送りできないモーション待ち?が多発する仕様がイライラしてキツかった
まぁ餅ありナナリと、1凸ちぃちゃん餅1凸の強さを満喫できたし、軌道外の全日路線も10ステージ目だけ星2だけどあとは星3クリアできたから10日間のプレイ歴にしてはよくやった部類なはず、周期路線の方は3ステージ目くらいまで完クリしてまだやれそうだったけど放置
にしても毎日やったほうがいいことが多すぎて本当にしんどい、先だってやめてるエンフィより時間を奪ってくる後発ゲー特有の設計だった
F1デイリー、F2デイリー、噴水、魔女、プレゼント、ウィッシュ坂絵馬祈願(ゲーム内20時~、リアル24hCD)、映画デート、コーヒー補充、家具受け取り(コットン、ブロック、虫コイン)、タウン絆交流(遭遇タイム)、ちぃちゃんファンス稼ぎ
ちぃちゃんは上限あるから2週間もやれば終わるだろうけど異象家具のレベル上げ素材集めも結構果てしなくて、自販機の電気霊、ポップ、妖刀、憂愁の英雄熊の全狩りを毎日した方がいいし、ポストの家具Lvのためにシティスタミナを毎日配達ぜんぶこなすのに使った方がいいしで
競合ゲーをやる時間を失わせて興味をなくさせるために虚無作業を山盛りにされてる感じがする、ホヨバゲーが日課をコンパクトにしてリアル大事にさせようって意思を感じるのと真逆よ
レースゲー部分と大強盗はそこそこ面白かったけど全体的にセンスが古くてホラー要素というか突然の衝撃音とかでびっくりさせてくる系のが特にいつもイヤホンでプレイしてる自分にとってはゲンナリさせられた
AI関連技術をゲーム開発の助力とできる時代になってきて、自分はAI全否定ではなくモーションマッチングとかNPC行動AIとか有益に活用できる部分はしていったらいいと思うんだけど
他社作品を学習した生成AIっぽい画像や動画をパロディ・オマージュの体でふんだんに使おうとするのは盛大に解釈違いなんであれよ
今後もAIやゲームエンジンの力で、ぱっと見は高画質で見栄えするゲーム、作り込まれて「いるように見える」ゲームに触れる機会は増えていくんだろう
だからこそ表面的なものに惑わされず、開発にかかわる人たちがどういう考え方や嗜好をもって創作に向き合ってるのか、内面を嗅ぎ取っていかんと遊ぶ側も身が持たんね
前回の分析に加え、教育心理学の観点からもう一歩踏み込んでみたい。この一連のやり取りを、スティーブン・ハッサンが提唱したマインドコントロールの解釈モデルである'''BITEモデル'''に照らし合わせると、この人物の振る舞いは極めてカルト的だ。
ここで試みられたのは、対等な対話ではなく、相手の精神をハックし支配下に置くためのプロトコルである。
この人物は、相談者のこれまでの努力を「薄っぺらい」と全否定し、代わりに「北方謙三」や「ソープへ行け」といった独自の極端な比喩を「唯一の正解」として提示した。これは、既存の価値観を破壊し、内部の特殊な言語体系(ドグマ)をインストールさせる初期段階に等しい。
こうした「既存の知識は無価値である」と断じる手法は、沖縄の過激な活動家やSNS上の先鋭化したフェミニストにも共通している。「お前は構造を理解していない」「歴史を学べ」といった言葉で相手を「無知な加害者」に固定し、自分たちが独占する「正義」や「真実」に従うことだけを強要する。
「最後に異性に触れたのはいつか」といった問いは、相談に必要だからではない。性的・プライベートな領域に土足で踏み込み、羞恥心を煽ることで相手の心理的防壁を壊すためだ。
カルトが「罪の告白」をさせるように、羞恥心を共有させた瞬間に支配関係が成立する。相手が反発すると「覚悟がない」と断じるのは、罪悪感を刺激して自分の支配下に戻そうとするエモーショナル・ブラックメール(感情的なゆすり)である。これは、反対派を安易に「差別主義者」と呼んで道徳的優位に立とうとする運動体らの論法と地続きだ。
カルト的支配者は、自分が批判されると「これは大義に対する攻撃だ」「理解できない下等な者の嫉妬だ」とすり替える。この人物が「楽しくないことで自分の時間を奪われることに敏感になってほしい」と言い放ったのは、自らの暴力を棚上げし、自分を「無知な他者に時間を奪われた聖職者」へと聖域化する行為だ。
恐らく、本人には「加害している」という自覚は希薄なのだろう。むしろ自分は良かれと思って、相手のためにあえて厳しい「真実」を突きつけているとすら信じ込んでいる節がある。
しかし、無意識の善意ほどタチの悪いものはない。教育心理学の視点で見れば、どれほど言葉を飾ろうとも、その端々に現れているのは、相手を自分と同等の人格として尊重せず、自らの全能感や支配欲を満たすための「道具」として扱おうとする傲慢な精神構造そのものである。本人の意図がどうあれ、その言動の根底にある「他者への不遜さ」は、隠しようもなく露呈してしまっているのだ。
相談者が「ふざけんな」と怒ったのは、このBITEによる浸食を、自らの論理と自尊心で跳ね返したということだ。カルトや先鋭化した運動体は、こうした「強い個」を「教育不足」として切り捨てるが、異常なのは支配を試みた側である。
私たちが学ぶべきは、大義や芸術論を掲げて近づき、こちらの境界線を踏み荒らそうとする者に対して、明確な拒絶を示す勇気である。
いろんなところで書いてる記事が、たまに小バズりするんだけどね。
「考えさせるなあ」とか、「共感するなあ」とか、穏当な感想を受けるだけだと、なんか違うんだよな。
日本人は、全否定か全肯定かしかないから、少しずつ前に進むってことが難しいんだと思うんだよな。
「こいつの書き方はムカつくけど、議論する価値はある話だ。俺がもっと論理的に整理してみるぜ」くらいの、賛否ある態度で、読み手が真面目に主体性を持って考えてほしいといつも思ってるのだけど。
煽って書いたらただ否定され、穏当に書いたらただ「共感」されて議論はしてくれない。
そんな、読み物として処理すれば良いだけの話は書いてないんだけど。
日本人一人一人が主体性を持って主張しないと、これだけ生活に影響するぞってレベルの話を書いてるのだけど。
みんなも知ってるところで「日本死ね」とかさ。
あれで何か変わった?
これ、俺は記事の書き方が悪かったなんて話してる訳じゃないよ。
共感にしろ反感にしろ、あれだけ伸びたのに、そもそも育児支援の議論になんで本格的な進展がないの?
ネットもメディアも、扱うのは「話題になった記事」という事実だけ。
自分の生活に関わることなのに、それを期に他の専門家の育児環境研究も紹介しようって盛り上がりすらなかった。
お前らどれだけ話を広げる力がないんだよって。
なんで共感か反感かだけで済ませるの? それ以上のことに繋げる発想が何もないの?
そういうところなんだよなあ。
友人が最近トモコレを買ったらしく「トモコレで○○作っていい?」と聞かれたので、正直に「ちょっとやめてほしいかも、ごめんね」と言ったら、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をされた。
「そっか、わかったー」って言ってたけど「え、マジ?」「心狭すぎだろ」って心の声がダダ漏れ。
トモコレで自分をモチーフにしたキャラを作られたくないってそんなにおかしなこと…?自分のアバター的存在が自分の意思と関係なく友達作ったり恋人作ったりってすごく気持ち悪く思ってしまう。その友人は私に作っていいか確認してくれたけど、ほとんどの人は勝手に知り合いとか作ってるんだろうし、それがすごく嫌。
あとトモコレのコンセプトを全否定するみたいだけど、そもそもキャラクターや実在の人物を許可を取らずに勝手に作って、人間関係や恋愛模様を眺めるという楽しみ方が不謹慎に思えて苦手。
強い言葉を使うと悪趣味だなと感じる。あつ森とかぽこポケみたいなノリで流行らないでほしいとも思う。
あと今回から恋愛対象を選べるようになったみたいでそれは良いことだと思うんだけど、恋愛対象って他者が決めるものではなくない?ってモヤモヤする。
腐女子が版権キャラを作って男性キャラ同士をいちゃつかせてるのですら釈然としないものがあるのに、それが実在の人物ならなおさら。
まあトモコレの中のキャラクターはあくまで本人ではなくそっくりさんなんだと思うし「自意識過剰」「自他境界が曖昧」って言われたら否定できないけど。
不倫がダメで他人の不倫について口出しする必要があるのは全然関係ない人間をこうやって巻き込むから。
何が発生してても相談に乗る選択肢などを自発的に取らない限り接触しない内々の対処で済む家庭の話でないから。
そんなものに縁のない人間にも存在を知らしめることで不快感を与え巻き込み他人に否定されることで自分の否定を完結させたい欲求を満たさせるから。
まったくもって害しかない。
戦争反対唱えることで自分の行動に同意と言わない人に対して戦争賛成なのかというのと同じ。
不倫するなというのはそんな事関係ない人間の否定すべき選択肢にむりやり「不倫」を割り込ませる行為。
犯罪はいけないよね、迷惑行為はいけないよね、に「え、不倫は?どうなの?否定しないってことは肯定?まさかしてるの?」とかいうクソリプの発生確率をゼロより上にする迷惑行為でしかない。
当人の人格を否定することによって、その人の表立った行動に抑制をかける。
本人の姿でとった行動そのものを情報として売っている人間でさえなければ問題はない。
しかし「その人が看板になっている商品の宣伝」とならんで効果を発揮するものに「過去に不倫があった」と付帯情報がでてくる人間を使う事で二次的なこの増田みたいなものを産むことになる。
いけないことはしないほうがいいしいますぐやめたほうがいいし反省したならそれでいい。
不倫はしないほうがいいで終わる話を、したらどうなるかというしてもない事のクソリプ候補を羅列してるだけになんの意味がある?
これが実際やってもない人間がかいてたら自分がまきこみ被害者として道連れ欲求をみたしたいものよりひどい「巻き込み本人不在の巻き込まれ事故みたさ」という最悪のものになる。