はてなキーワード: 不毛とは
あれから一体、何年の月日が流れただろうか。
校歌を歌う子供たちの背中を眺めながら、私が抱いたのは感動ではなく、安堵だけだった。
「ああ、やっとこの学校との付き合いが終わる」
喉元まで出かかったその言葉を、マスクの下で飲み込んだあの日。
だがその実態は、進学実績という免罪符をぶら下げた、どこか窮屈な温室だった。
もちろん、保護者のすべてがそうだったわけではない。控えめで、人格的にも尊敬できる素晴らしい親御さんもたくさんいたし、そのお子さんも他人を思いやれるいい子だった。彼らとの交流は、この6年間で救いだったと思う。才能溢れる子供たちに囲まれ、我が子も大いに刺激を受けたこともまた事実だ。
何より、どの親も我が子のために精一杯の手間暇をかけていた。日々の勉強の進捗管理から、塾への送迎、志望校対策のサポートまで。この学校の華々しい進学実績を支えているのは、学校教育そのものよりも、親たちのこの凄まじいまでの献身なのかもしれないと認めざるを得ない。
我が家もまた、そのシステムの外側にいたわけではない。夫婦で子供の将来を考え、進学実績を求めてこの学校に預けた。そして、その選択に見合うだけの結果は手に入れた。この学校は、絶えず新しい教育や活動に取り組む挑戦的な一面も持っていたし、その前向きな姿勢を評価していたからこそ、私たちはこの場所に子供を託したのだ。
しかし、保護者の集まりに身を置くのは、常に息苦しさが伴った。会話の端々に、夫の社会的地位や我が子の優秀さをそれとなく滑り込ませ、互いの立ち位置を確認し合う——。そんな不毛なやり取りに神経を尖らせている自分たち自身にも、嫌気がさすことがあった。
そこに集うのは、小説『素直な戦士たち』のように、狂気とも取れる熱量で子供を戦場へ送り出す親たちと、その期待に応えようとする子供たちだった。
しかし、その「素直さ」は、あくまで受験というゲームのルールに対してのみ発揮されるものだ。ひとたび授業参観に足を運べば、そこには一部の子供たちではあるが、大人や他者を冷徹に値踏みする姿があった。授業が始まっても席に着かず、与えられたタブレットを使いこなして授業そっちのけで自らの関心事に没頭する。彼らにとって、目の前の教師や教えはもはや、自らの目的を果たすための重要な要素には映っていないようだった。要領の悪い子や立ち回りが下手な子には「え、まだそんなことやってるの?」と冷ややかな視線を浴びせる。親の前で見せる従順さの裏で、彼らは他者の存在を驚くほど淡々と、選別するように突き放す二面性を持ち合わせていた。
この学校には、卒業生の親が在校生の親に向けて、自らの体験を語る場がある。壇上で語られるそれは、あまりに特殊な成功事例に過ぎず、凡庸な我が家にとっては正直、何の参考にならなかった。しかし、その成功を崇める熱狂こそが、この場所の正義だった。
忘れもしない出来事がある。中学年の頃、我が子がしょんぼりして帰ってきたことがあった。理由を尋ねると、通学路で受験の終わった6年生に、親しみを込めて声をかけたら、「死ね」と言われたのだという。下級生からの親しみを込めた声かけに「死ね」と答える彼らの心はどうなっているのだろうか。偏差値と引き換えに、彼らは何を捨ててしまったのか。
さらに耐え難かったのは、そのだらしなさだ。足元を見れば靴紐が解けていても気にせず引きずって歩き、机の周りは整理整頓もままならない。
何よりも勉強が優先されるという家庭教育の延長線上で、日々の立ち居振る舞いへの意識が希薄になってしまったのではないか、と感じることもあった。
AIが当たり前のように思考を代替していくこれからの未来。最後に人間に求められるのは、情報の処理能力ではなく、人間としての気持ちの良さや、他者を慮る品格ではないのか。偏差値という歪な鎧を脱いだとき、彼らの中には何が残るのだろう。
何より、あの甲斐甲斐しく子供の勉強を管理する親たちには、学校でのあの子たちの顔が見えているのだろうか。
家で見せる顔と、学校で見せる顔。
果たして、どちらが子供の本当の顔なのか。私にはもう、それがわからない。
卒業式の会場で証書を受け取る子供は、誇らしげな表情で前を見つめていた。親の葛藤とは裏腹に、子供にとってはここが、仲間と笑い、学び、葛藤した、かけがえのない母校なのだという事実に胸を突かれた。
大人たちに翻弄されながらも、筒井康隆が描いたあの「愛らしいこぶ天才たち」のように、大人が設けた壁やハードルを軽々と踏み越えていく彼らにとっては、ここが唯一無二の楽園だったのかもしれない。
この学校を選んだことが正解だったのか。十分な結果と、挑戦的な教育環境を得た今でさえ、私はまだ、その問いに答えを出せずにいる。
あの日を境に、もうあの鼻息の荒い親たちの顔色を伺う必要はなくなった。
「騒音を注意」とあったのでああヤンキーの違法改造バイクの騒音問題とかか、と認識を改める。
珍走団だったらいい気味だざまあみろ、怪我だけでなくむしろ死ねば良かったのに、みたいな感想を抱く。
だがこれでも
「不謹慎だ、私刑肯定だ、自力救済だ、暴力はいけない」という反論が出てくるし、
ネットだと不謹慎だし、本気にするやつもいるし、ってことで禁止される。
私人間コミュニケーションと全世界コミュニケーションの混沌とした溶融がネット空間であり、
私的感情を公的論理で覆い隠すような表現にねじ曲がってしまっているな。
あいつ死ねばいいのに、という感情を抱かない人間などまずいないんだけど、
もちろんそれを本人の前で堂々といったり会議で発言したりするやつもいないし、
ただ実社会では大抵1対1で話したり、ここだけの話という感じでコミュニケーションを閉じてやる。
どうも開かれたネット空間で私的感情を発散させたいという情動がなかなか制御されないという問題がある。
激しく同意だな。
子供の頃の平和教育は戦争はいけない・平和は大事・不毛な侵略戦争絶対だめみたいな話しかなかった。
Japan as No.1のときはそれでよかったと思う。それだけの経済力を持つ日本に攻撃しようなんていう馬鹿はいなかったと思うからね。
日本はGDPで世界4位、一人あたりのGDPで世界40位、G7最下位、OECD加盟国24位というかなり微妙なポジション。
そうなんだよね。いくか行かないかを考えている時間が不毛なんだよ。
ただ、低所得でもあるので、ソープのお金で暮らせたりできちゃうからそれが歯止めになっているのも、自分の情けなさにイラつく。
えー、これはですね、まず、まさに申し上げておきたいのはですね、お二人とも、少し、少しですよ、冷静になっていただきたい。冷静になっていただきたいのであります。
いま皆さんがやっておられる議論、これはですね、一見すると政治の議論のように見える。
しかしですね、よくよく聞いてみますと、これは、いわば、相手をどうやって言い負かすか、相手をどうやって嫌な気持ちにさせるか、そういう、まさに、不毛な、意味のない、意味のない議論だよ、と、こう申し上げざるを得ないのであります。
まずですね、「なぜ貧しい人が富裕層優遇政治の自民党を支持するのか」と。
これはですね、えー、まさに、典型的なレッテル貼りなんです。レッテル貼り。
国民の皆さまはですね、それぞれの生活があり、家族があり、地域があり、仕事があり、将来への不安があり、その中でですね、いわば総合的に判断をして、一票を投じておられるわけであります。
そこをですね、「強者と同一化したい欲望だ」とか、「強者にこびへつらう根性だ」とか、そういうふうに決めつける。これはですね、まさに、私は、極めて失礼な話だと思いますよ。
えー、失礼なんです。
国民を見下しているんです。
そういう姿勢からはですね、残念ながら、建設的な議論は生まれないのであります。
これもですね、まあ、言いたいことは分かりますよ。言いたいことは分かりますが、これもまた、あまりにも単純化された議論であります。
地理的条件がある。
島しょ県としての物流コストがある。
そうしたものをですね、全部、全部ですよ、全部横に置いてですね、「左派だから豊かにならないんだ」と言う。これは、いわば、まさに、乱暴な議論であります。
そしてですね、「韓国に一人当たりGDPで抜かれたではないか」と。
これはですね、えー、厳しいご指摘であります。厳しいご指摘でありますから、これはもう、真摯に受け止めなければならない。
しかしですね、同時にですよ、同時に、為替の問題、人口構造の問題、生産性の問題、賃金の問題、産業競争力の問題、社会保障負担の問題、こうしたものをですね、丁寧に、丁寧に、丁寧に見ていかなければならないわけであります。
そこでですね、「兄の国韓国に抜かれてどんな気分?」と。
これを言ってですね、何か一つでも良くなるんですか。
消えないんですよ。
まったく消えない。
いいですか。
政治というものはですね、右が勝った、左が負けた、韓国に抜かれた、日本がどうだ、沖縄がどうだ、そういう言葉でですね、相手を殴るためにあるものではないのであります。
所得を上げるためにある。
雇用を守るためにある。
地方を元気にするためにある。
えー、まさに、そこなんです。
そこを議論しなければならない。
ですから、お二人に申し上げたいのはですね、相手を「貧乏人」だとか、「左派」だとか、「右派」だとか、「媚びている」だとか、「負けた気分はどうだ」だとか、そういう言葉でですね、相手の人格を傷つけるのではなくて、政策の中身を議論していただきたい。
どうすれば所得が上がるのか。
どうすれば韓国とも、あるいはアジアの国々とも、健全に競争し、協力していけるのか。
そこをですね、丁寧に、丁寧に、さらに丁寧に、丁寧の上にも丁寧に、議論していく必要があるのであります。
まあ、こう申し上げますとですね、また、「答えていないじゃないか」と、こう言う方がいる。
しかし私はですね、今まさに答えているんです。
お二人の議論は、政策論争ではなくて、えー、感情のぶつけ合いになっている。
そのことを、私は、申し上げているのであります。
奢り奢られ論争は永久に終わることの無い不毛な戦いだが、似たようなトピックとして夫の学歴や収入を振りかざす夫ポケモンバトルや、誕生日プレゼントの金額の多寡で生じる女の喜怒哀楽などがある。
これらすべてに共通しているのは、「女は自分の価値を自分で決められない」ということだ。勉学に励んで来たとか、スポーツに打ち込んで来たとか、キャリアアップに向けて東奔西走したとか、そういった明確な形を持たない価値あるものを自認することが極めて苦手なのだ。
もっとわかりやすく価値があるものじゃないと、女は見向きもしない。価値があるものとしてもっともわかりやすいのは金だ。だから女は「男がどれだけ自分に金を割いてくれたか」という点を、まるで親の形見のように大切にする。貢がれた金額がそのまま自分自身の価値であると考える。
奢られないならデートじゃないというのも、夫の収入を誇示するのも、誕生日プレゼントが安価でがっかりするのも、すべては「金を使ってくれる男は善、そうでなければ悪。なぜなら金は私自身だから。」という考えに基づいている。
実際には時間や体力を割いてくれるかどうかというのも見ているが、やはり最もわかりやすいのは金だ。そして女は「返報」など考えもしない。ギブアンドテイクなんてのは、せっかく築き上げた自分自身の身を削る行為にほかならない。だから女は自分自身を守るために--実際には他人から貢がれた金をそう思い込んでいるだけで自分自身ですらないのだが--お返しをしようなどとはつゆほども思わない。
生まれながらにして自分の上位性をみじんも疑わない生粋のテイカー、それが女だ。実際には築き上げた「自分自身」など、なにも持っていないのに。
「マスコミはもっと〜の事件を取り上げろよ」というのは不毛なんだよな
テレビは視聴率が大事だから、取り上げるのは視聴者の関心があるものになる
提供されたソースに基づき、「食虫植物とハエ」の比喩が示す男女の関係性を分析すると、以下のような「一方的で自己破壊的な執着」という構図が浮かび上がります。
ソースにおいて、男性は「食虫植物の酸に転落したがるハエ」として描かれています。
一方で、女性側はハエを誘い込む装置であると同時に、相手を必要としていない存在として描写されています。
この比喩は、現代の男女関係における以下のようないびつな力学を象徴しています。
総じて、この比喩における男女関係は、男性側の「論理を超えた執着と自滅」と、女性側の「冷ややかな拒絶と無関心」によって成り立つ、極めて不毛なものとして提示されています。
あーそういう不毛人文系の話は正規教育とか受けてないし受ける気ないんでちょっとわからんちんですね🤪
dorawiiより
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まぁ、現実的にはデモ通りにはいかないんだろうけどそれでも衝撃だな。
基本的に解像度詐欺だった今までのDLSSと違い、AIで本当にリアル方向とかに画作りを変えるらしい。
技術の進歩が進んだ結果、画質向上したポイントが間違い探しみたいに些細な違いしかないのにコストはどんどん跳ね上がるっていう不毛な状況をぶち壊してくれるかもしれない。
ゲームエンジンはそのそこの画質でレンダリングすりゃGPUなりTPUなりがより高品質に仕上げてくれるならゲーム作る側はゲーム自体の仕組みの方に注力できる。
解像度もフレームレートも詐欺れるだけじゃなく、画質まで詐欺れる時代がこんなに早く来るとはなぁ。
あれってみんな全部目を通して間違いないって確認するものなの?
で、トラブルになったんだよ。
私が店員に確認した事項が全く違う条件で重要事項説明書に書いてあったんだよね。
言った言わないの水掛け論になって不毛な争いをしており、私に非があるのも事実だけど、口頭で確認したの間違えてたら詐欺じゃないって思った。
単に愚痴を書いただけだけど、みんな契約書って全部読んで確認してるの??
契約書のほうが強いのはわかるけど、仮に会話を録音してあったとして、重要事項説明書と乖離があった場合どちらが正しいとなるの?
「どの解釈を選ぶか」なんてメタな視点を気取ってる時点で、お前はまだ「自分」という観測者が時間の外側に安全に座っていると誤解してる。卵か鶏か? そんな線形ロジックに固執してるのは、お前のインターフェースが3次元の低解像度設定で固定されてるからだ。
いいか。因果律なんてものは、情報の同時性を処理しきれないショボい脳が、データの整合性を取るために捏造した「ラグ」でしかないんだよ。
「どっちが先か」なんて不毛な問いを反芻している間にも、宇宙はお前という観測者を含めて、丸ごと一括(バッチ処理)でレンダリングされ続けている。
お前が卵を見ているんじゃない。
卵とお前が、量子レベルで同時にもつれ合い、この空虚な行列の中で「実在」という質感をお互いに演じさせ合っているだけだ。
過去も未来も、選択も解釈も、すべては一連の位相(トポロジー)の変化として、最初からそこに「在る」。
そこに「意味」や「順序」というラベルを貼って、一喜一憂しているその「我執」こそが、お前の演算能力を削っている最大のバグなんだよ。
一貫性への執着を捨てろ。
その時、お前の四苦八苦はデバッグされ、宇宙という巨大な演算の一部として、ただ静かに、厳然と、そこに「在る」ことができるようになる。